ゆうきとの出会いは、私が小学2年生の頃。真夜中にふと目が覚めると、枕元に子猫がいたのです。半分眠ったままの頭で喜びながら、近くにいた父に「これ、夢?」と尋ねたことを覚えています。それから私とゆうきは、姉弟のようにじゃれあいながら成長していきました。ゆうきは当時高齢猫に片足を突っ込んでいた先住猫を追い掛け回したり、巨大な昆虫を捕まえては家の中に持ち込んだり、そこらじゅうにマーキングしたり、何かとお騒がせで、当時子供だった私や父と離婚寸前だった母からは、十分な愛情を注がれなかったかもしれません。そこが一番、今でも悔やまれるところです。そんな風に、ゆうきや私が成長するまでの間は何かとドタバタしましたが、私が高校を卒業するころにはお互いに落ち着いて、「ツンツンした猫」と「そんな猫を溺愛する女」という一般的な猫飼いの構図に落ち着きました。ゆうきは私にとって、世界で一番かわいい弟でした。そんなゆうきを失ったのは、今からたった半年ほど前のことです。それでもあまり悲しみを引きずっていないのは、彼が17年10カ月もの間生きてくれたことと、亡くなるまでの間に何度も「命が危ない」という状態になったにも関わらず、そのたびに不死鳥のごとく復活し、私たちの覚悟を少しずつ固めてくれたからにほかなりません。最終的には老衰で亡くなったゆうきですが、彼には持病がありました。きっかけは、私たちの不注意で彼の脱走を許してしまったことです。家から脱走し、丸一日たったあとに帰ってきたゆうきは、頭にけがをしていました。すぐに病院に連れて行きましたが、数日たつと傷口は膿み、それがきっかけでてんかんの発作を起こすようになってしまいました。発作が出るようになってから、一日中けいれんが止まらなくなったり、おしっこが何日も出なくなったり、ゴハンが食べれなくなったりといった問題が、一つずつ順番に起こりました。ぐったりするゆうきを見て「もうだめかもしれない」と私たちが覚悟を決めたことは一度や二度ではありません。しかし彼はそのたびに問題を乗り越え、私たちの前にふたたび元気な姿を見せてくれました。そんな彼のおかげで、私たちは少しずつ覚悟を固めることができたし、後悔も少なく済んだんだと思います。それでも愛する者を亡くした事実に変わりはないので、こうして書いているとやはり涙が出てきますが、彼を家族に迎えたこと、彼を愛したことは一ミリたりとも後悔していません。ずっと愛しています。
25歳女 長い時間をかけゆっくりと覚悟を決めさせてくれた
