40代独身女性、パートナーと二人暮らしの会社員です。幼い頃からペットがそばにいる環境で生活してきました。実家は鳥、犬、2~3匹の猫が常にいる状態で、私も幼い頃から動物好きでした。特に猫は、一番身近な家族・友達として、いつもそばにいてくれる存在です。その家族と、最初に別れを経験したのが15才の時です。ヤス、という名のその子は、年老いたヤス猫でした。彼女のオレンジの短毛は、いつも乾いた草とお日さまの匂いがして、私はその背中に頬をつけてクンクンするのが大好きでした。その頃、私の家には不登校の弟がいて、暴力がひどくなる時期が続きました。毎日殴られては家を追い出されて外で泣いていた私に、お日さまの匂いのするヤスのふかふかの毛は、心を落ち着けてくれる存在でした。外で一人、親にも誰にも助けてもらえず、飼い猫のお腹に顔をつけて泣いていた私にとって、なにも言わずあたたかなお腹を提供してくれるヤスは一番の理解者だったのです。ヤスとの別れは突然でした。ある雨の日、いつも帰ってくる時間になっても姿が見えないのです。少し心配でしたが、どこか遊びにいってるのかな?明日になったら帰ってくるかな、と、その日は思いました。しかし、その翌日、翌々日になってもヤスは帰ってきません。外で餌を持って「ヤス~、帰っておいで~!」と一生懸命呼びました。近所の草むら、裏山にも探しにいきました。「ヤス、年寄りだったからね、死んだのかも」と母が言いました。「絶対死んでないもん!生きてるもん!」と泣きながら母に言いましたが、どこかでひっそりと倒れている姿を想像したら、本当につらかったです。しばらく食事を取ることができなくなり、テレビを見ても何を見ても楽しい気持ちになることが出来なくなりました。暴力でつらい日々が続いていた私にとって、身近な家族よりも、ヤスの方が私の心に寄り添ってくれた存在だったからです。もっと一緒に遊んでいればよかった、とか、もっと美味しいものを食べさせてあげればよかった、もっとなでてあげればよかった、もっとそばに居ればよかった。ヤスがいなくなった日々から、私を助けてくれたのも、小さな猫でした。我が家の車庫に捨てられていたその子猫は、大人だったヤスとは違い、やんちゃで、あちこちに粗相をするし、ひっかくし噛みつく。でも、ご飯を食べてすやすや眠る姿は、すごく小さく弱く、でも命の塊みたいな温もりがあり。毎日学校から帰ったら、やんちゃな子猫に振り回される日々に、いつしかまた笑えるようになりました。動物は、どうしても人間より寿命が短いです。側にいられるのも、人の人生と比べたらわずかな時間。でも、何より無条件に愛せるという幸せを感じさせてくれる存在です。ペットを亡くすと、家族を亡くしたのと同じように感じ、「もう猫なんて飼わない」と思う人も多いと思います。私もそうでした。でも、命が短いからこそ教えてくれることもあります。短い命のこの子たちが、私のそばに来たのも縁だと思います。もし、もう飼わないと思っていたあなたのそばに、新しい家族ができる機会があったとしたら、そばに迎えてあげて欲しいと思います。
43才女性、生まれた時からの家族との別れと新しい出会い
