愛犬の介護と私の後悔

二年ほど前に17年以上一緒に過ごしてきたミニチュアダックスフンドのジュリアが亡くなりました。


あと一か月も生きていれば、18歳の誕生日を迎えることができたのに・・・。



女の子でありながらも気が強い子でした。


『忠誠心がある犬』というよりはあたしについて来いと言わんばかりの気性でお留守番にも手こずり、不満も態度で示すような可愛げのない子でした。



若いころには出産も経験し、もし人間ならば、結構肝のすわった強い女だったんじゃないのかな、なんて思ったりもします。



私もジュリアも、あまりベタベタすることは好まず、もしかしたら猫なの?と思うほどあっさりした関係だったけれど、毎日を当たり前のように過ごしていました。



歳をとってくると、マニュアルでもあるみたいに寝てばかりいるようになり、節分の豆にも興味が無くなり、隠れて残飯を漁ることもしなくなりました。



更には、歩いてもつまずき、ご飯を食べたかも忘れ、狭い隙間に体を押し込め、自力で脱出できなくなりました。



皮肉な事に、老後になってからジュリアと私の心が通じ合うような関係になっていくのがはっきりと感じ取れました。



そういう経過を経て介護になり、一番大変だったのはトイレです。

一晩トイレを我慢できず一緒に寝ている布団に漏らしてしまうので、私の就寝前に外へ行き用を足してから寝ていましたが、毎日のことでイライラすることもありました。



楽しく話しかけながらの日ももちろんありますが、無言で事務的に用だけを済ませていたことがどうしても私の中でクローズアップされてしまいます。



面倒だと思いながらの私の行動が今でも私の大きな後悔となっています。



やれることはやったような気もするし、そこには確かに愛情もありました。

でも私はもっと優しさを持って、もっと何かができたのではないかと考えてしまうのです。



誰に話をしてもどんな風に慰めてもらっても自分の問題だとわかっています。



最後は目も衰えて見えてはいなかっただろうけど、夜空を見上げると、一緒に見た星空を思い出します。

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