結婚して一緒に住むようになった妻が連れて来た犬、それがポチとの出会いでした。はじめは私を警戒していたものの、一ヶ月も一緒に暮らせば、私の手からエサを食べてくれたり、私がうたた寝をしていると知らぬ間に横に寄り添って寝ていたりするくらいに私にも懐いてくれました。そうしたころ、妻が鬱で入院することになり家には私とポチだけの日々となりました。妻のいない寂しさも、ポチに、妻が帰ってくるまで一人と一匹で頑張るぞ、などと声をかけて寂しさをまぎらわせることができました。ポチも妻のいないことが寂しかったのか、より私に懐こい態度となりました。そんなポチも、昨年の12月に死にました。その半年ほど前に立ち上がれない、という症状ため病院に連れていったら前庭疾患とのこと。もう老犬なので仕方がないとも言われました。フラフラと足取りも危ないので散歩にも連れてゆけず、なんとなく弱ってゆくのを見守る日々でした。そうしてついに、まったく立ち上がれない状態になり、ご飯も食べなくなり、なにか夢を見ているように虚ろな目でヒャンヒャンと鳴きはじめて、12時間ほど。声がしなくなったのでポチを見にいったら、死んでいました。ご飯が食べれなくなったら、もうそろそろだ、と覚悟はしていましたが、目の前に動かくなった体をみると、こちらも放心状態で動けなくなってしまいました。まだ温かい体を抱きしめ、楽しい一生だったか? 死んだってずっと友達だぞ、など声をかけてやりました。ぼろぼろと出る涙は止まりませんでした。妻の入院など、辛い日々を共に支え合ってきた親友の死です。どうすれば良かったのか、いま考えてもわかりません。ポチが倒れてからネットで調べて、餌も高タンパクな栄養価の高い、高価な物を与えていました。反省としては散歩かもしれません。ポチが歩けなくなってからは、ずっと宅内に閉じ込めていた状態でした。歩けないなら、カートにでも乗せて外を歩き、外の景色を見せてやるべきだったのかもしれません。そして最後、死の瞬間に傍にいてやれなかったことが心残りです。ポチが死んでから一週間、こちらの食欲もなくなりました。ポチの足音の幻聴も聞こえました。こうして思い出す機会があると、胸が張り裂けそうにまだ痛みます。そろそろポチが死んで一年になりますが、ポチのベッドもエサのストックも片づける気にはなれなくて。ポチが帰ってくることを期待しているわけではありませんが、なんとなく…。片づけてしまうとポチのことを忘れてしまいそうな、忘れられた時に片付けに手をつけられるのか、そんな感じです。
妻の退院を友にまった愛犬の死 ベッドもエサのストックも片づける気にはなれない
