26歳、IT会社に勤めている男性です。動物が好きで、実家では今現在もキジトラの猫を2匹飼っています。この猫たちの前に飼っていた白キジのお話です。名前はきらと名づけられました。ある日、私が仕事から帰ってくると白キジの子猫が家の居間にいました。母と姉が道路の真ん中で震えていたのを保護してきたという経緯らしいです。かなり怖い思いを経験したようで、鳴きすぎたせいで声が出ない状態でした。相変わらず震えてもいました。春先4月の出来事でした。ですが順調に育っていき、声もきちんと取戻し、我が家に馴染んでいきました。オスなのに声の高い美男子の可愛い猫でした。布団に入ってきて、一緒に寝るのが好きな子でした。大きな悪さもせず、優秀な子でもありました。家猫として育てていました。季節は流れて、翌年の2月になりました。私は知り合いのところへ行くため夜行バスに乗る日。いつもの様に可愛がり、珍しく私の膝の上に乗って鳴いていたのを覚えています。いつもはあまり触らせてくれないのに妙に触らせてくれるきらくんでした。バスの搭乗時刻のため、私は家を出て無事にバスに乗り発車しました。そこから2時間後にサービスエリアに休憩で止まった時のことです。ラインを開くと、母が玄関のドアを開けた瞬間猫が飛び出してしまい、家の前で車に轢かれ死んでしまった旨が姉より届いていました。急いでバスの運転手さんに説明し、そこで下してもらい、友人に迎えを頼みました。帰ると変わり果てた愛猫の姿がありました。もう見ていられませんでした。だって先ほど、ほんの数時間前まではあんなに膝の上でゴロゴロ喉を鳴らしていたんですよ。信じられませんでした。葬儀は翌日にお寺でしていただきました。ペットの供養もしてくださるお寺でした。心情としましては、もう何も考えられないくらい悲しくて、何故か悔しくて。自分がその日バスに乗らなければ、何か違ったのではないか。私の後を追って外に飛び出してしまったのではないか。このような気持ちから後悔の念が押し寄せていたんだと思います。我が家に来なかったらもっと生きられたかな、幸せになれたのかなと。悔やんでも悔やみきれませんでした。そしてきらくんが大好きだったおやつやタオル、おもちゃを入れて火葬していただきました。住職さんがすべて丁寧に滞りなく行ってくれました。愛猫だったはずの昇っていく煙を見て、悲しいけれどほんの少しだけ気が楽になりました。骨を持ち帰らせていただいて、仏壇に置いています。数年経ち、ようやっと写真を直視出来るようになりました。あの時きちんと葬儀を行っていなければ、気持ちの整理がつかなかったと今では思います。見ている方にアドバイスになるとは思いませんが、葬儀は悲しくてもしてあげてください。ちゃんと空に昇っていけるように。いつか自分も同じ場所に昇っていく時が来ます。その時に再会出来るように。思いを込めて、執り行ってあげてください。後から考えるとひとつの区切りにもなります。同じ悲しみを経験されてしまった方に私の思いが届いてくれることを祈ります。
26歳男性、お寺で愛猫を葬式し、ほんの少し気持ちに区切りがついた
