北海道在住の愛猫家です。2019年3月に亡くなった猫を含めると、7匹を我が家に迎え入れました。それぞれ飼育した期間は違います。猫は私にとって身近な存在で、さかのぼれば幼稚園のころからずっと家にいました。25年ほど猫と暮らしていたことになります。現在、私は両親と三人で暮らしており、姉二人は結婚して離れた場所に住み、また90歳を超えた祖母は老人ホームにいます。その猫が我が家に住むこととなったのは、12年前です。2番目の姉が仕事の都合上遠方に行く際に、当時姉が飼っていた猫を迎えました。その時点で猫は2歳でした。アビシニアンとミックスとの混血で、鳴き声がアビシニアンの特徴ともいえる「鈴を転がしたように」コロコロと鳴き、よく芸をし覚える猫でした。その猫のおばあさんは20歳を超える長寿だったので、家族全員は飼い始めた当初から「遺伝的なことを考えると相当長生きするだろう」と高をくくっていたのですが、そうはいきませんでした。どんどんと腰が引けたように歩くようになったのです。様子を見ていてどう考えても状態がいつもとは違ってきていたので、動物病院に連れて行きました。そうすると見つかった時には手遅れといわれるような、ガンにかかっていたのです。その状態になる二週間前までいつも通りご飯は食べていましたし、食器棚の上に登って家族を見下ろしていました。ですがみるみるうちに、腹部が引っ込み歩くこともままならなくなっていきました。動物病院のお医者さんに「延命治療をすることもできるけど、どのみち長くは持ちませんよ」と言われましたが延命治療をしてもらいました。ですが治療後4日で同じように歩けなくなり、また弱っていきました。その時ずっと猫は苦しそうで、次第にもがくようになっていったのでせめて楽になってほしいと延命治療をやめ看取ることにしました。動けなくなっていく猫を見ていた私はどこか冷めていたというか、今思えば「死」というものから逃げていたのかもしれません。人間ってなんて勝手なんだろう、自分の都合で生き物を飼いまるで死ぬということさえもコントロールしている、そのようなことばかり考えていました。そして死の日は訪れます。両親は祖母の様子をみに老人ホームへ行っていたので、私一人で看取ることとなりました。必死に立ち上がり、歩こうとしてそれでも無理でゼーゼーと呼吸しはじめました。ずっと撫ぜて、撫ぜていましたが涙は溜まる一方で流れはしませんでした。今まで飼った猫たちはみんな外へ出て帰らなくなり、死ぬということそのものに直面せずに大切な存在を失いました。ですが今度は絶対に避けられない死への直面であり、きれいごとでは済まされないものごととの対峙で、愛猫の死をむかえなければなりませんでした。そうして痛みにもがき、最期に二度、鳴き声にならないような鳴き声を出して呼吸をやめました。その後ペットの訪問火葬をしてくれる会社をインターネットで探して、来てもらうことになりました。実際死の瞬間に立ち会った時よりも、自分の口から「猫が死んでしまった」と言うことのほうが辛く、死を認めなくてはならないので家族や葬儀会社に電話をする時が非常に辛かったです。火葬するまえ身体はすっかり固まっていました。一緒に遊んだねこじゃらしを棺に入れましたが当然反応はあるはずもなかったです。ペットロスという言葉がありますが、正直そんなことあるはずないと思っていました。ですがここにはありました。ガンが全身に転移していたため、火葬時間は長かったと葬儀会社の人は言っていました。それがなお苦しめていたと思うと辛かったです。12年の歳月があったのでこの猫との間に後悔はありません。ですが自分自身のなかに後悔はあります。それは一か月程経ったあと、ペットショップの猫を買おうと思ったことです。今まで飼った猫はみな流れものでした。命に値段はつけられるはずはないのに、ましてや必ず必要としてくれる存在のある血統書のついた猫を買おうとしたことが私の悔いる点でしょう。アドバイスがあるとしたら、また何かしら愛情を注げられる動物を飼ってほしい。現在我が家では身寄りのなくなり保護された、いわゆる保護猫二匹と生活しています。大切に育てた一匹の猫が亡くなったために、二匹の猫の命が助かった。私はそう思います。人間はペットの生き死にをコントロール出来るのかもしれない。ですがそれゆえに命の重さを責任を持って考えて、大切にしなければなりません。それは命を預けられた身なのかもしれません。また、一度愛情を注げた人ならきっと別の存在も大切にできるはずです。そう思うことによって、助けられる命があるなら別の猫を飼うことに罪悪感を感じる必要はないと思います。私の祖母は今でも口癖のように「猫は元気か?」と言います。祖母の言う「猫」はもう亡くなった猫のことです。祖母はその14歳だった猫と命の期限について、冗談交じりでしたがライバル視していました。ライバルがいなくなれば、きっと祖母も落ち込むはずです。祖母の中ではあの猫はまだ、元気に走り回っているでしょう。そして私は命を繋いでくれる歴代の猫に感謝したいです。
30歳男愛猫を訪問ペット葬儀会社にて火葬 死を前向きに
