愛犬のシベリアンハスキー、ランを14年飼っていました。最期を看取ってから15年がたちます。生後3ヶ月で家にやって来た時は、スリッパよりも小さく、庭を掘り返したりリモコンを破壊したりやんちゃばかりしていました。14歳のおばあちゃんになった頃、近所に住む姉夫婦に子供が産まれました。きっと家族皆の注意がそちらに向けられていたのでしょう。寝ている時間が長くなったのも、単に年をとったせいだと思っていました。焼きもちをやいてるのかもしれないね、と家族で笑っていた事を思い出します。愚かでした。その後急激に食欲が落ちました。自力で立ち上がる事さえできなくなるまでは信じられないスピードでした。急いで獣医にみせた時に言われた言葉は「もって明日か明後日でしょう」なぜもっと早く気づいてあげられなかったのか、なぜすぐ獣医に連れて来なかったのかと自分を責めました。「このままではとても苦しいし痛いと思いますが、どうされますか」朦朧としながら苦しんだ体を強張らせているあの子を前に、私がとった手段は安楽死でした。死ぬ瞬間までの数日間、こんなに苦しい思いをし続けるこの子を救う方法はそれしかないと思ったからです。家族皆に見守られながら、薬が体に入った直後、全身の強張りがふっと和らいだ瞬間を今でも覚えています。私は最期まであの子を見守る事から逃げた。自分が辛いからあの子を死なせた!そんな思いでいっぱいになり、申し訳なさ、自分勝手さにつぶされそうでした。何度も何度も謝りました。正直15年たった今でも胸が痛いです。けれども時間とともに、あの子が嬉しそうだったことや、一緒にあそんではしゃいだ事を思い出せるようになってきました。今は後悔もありますが、感謝の気持ちが大きいです。写真を見るたび、ビロードみたいな耳の柔らかさやふかふかのお腹のさわり心地を思い出し、ありがとね、と話しかけています。
愛犬の安楽死を選んだ自分の選択に、15年経った今も胸がいたい
