63才男猫動物を供養するお寺単独で火葬して遺骨を持ち帰った

現在63歳の男です。結婚は52歳だったので、一人暮らしは長かった。彼女(猫)と会ったのは、45歳の時。
会社の事務の女性が、「お墓で猫拾ってきたけど、飼わない?」と言ってきた。普通に、猫飼わない?と言われたら、当時のアパートは動物を飼ってはいけないところだったので、断っていただろう。ただ、お墓で・・という言葉が引っ掛かった。今までたいして立派な生き方をしてこなかったので、今までの謝罪の意味も込めて、飼わなければいけないような気がした。それで、いいよと返事をしてしまった。彼女が初めてアパートに来たのは、生まれて2ヶ月程の時だった。独り住まいが長かったこともあり、部屋の中で、
自分の意志とは違う動きをする彼女は、不思議に思えた。一緒に寝たかったが、圧迫してはいけないと思い、ダンボールで寝床を作った。2年程経つと、意思疎通ができるようになる。何を言っているかがわかるようになる。猫を飼っていいアパートに移ったり、健康診断をしたり、彼女のためにいいと思うことを優先した。6年程したある日、彼女は、血栓症になり、下半身が動かなくなった。病院の先生に言われた。
覚悟して下さい・・と。もうひとつの病院では、今まで手術をして助かった猫はいない・・とまで言われた。色々と調べ、血栓を溶かす薬を血管投与する方法を選んだ。1ヶ月程入院をしたが、その時営業の仕事をしていたので、時間をごまかしながら、毎日会いに行った。その費用も、ボーナスを前借して工面した。奇跡です・・と先生に言われた。彼女は右後ろ脚の足首を切断はしたものの、命は取り留めた。その後3年間、彼女は元気に私と暮らした。動物を飼ったことのある人は、判るだろう。動物とはいえ、
家族となんら変わらない。その当時、よく友人に語っていた。となりの親父が死んでも泣かないが、こいつが死んだら泣くよ・・と。単独で火葬をして、骨はしばらく転勤ごとに持ち運んだ。そして、お墓に埋葬した。彼女には、色々と教えてもらった気がする。その一番が、奇跡を見せてくれたこと。奇跡は
起こるんじゃない。起こすんだ・・と思っている根拠は、ここにある。猫に関わらず、動物を飼おうと
思っている人がいるなら、こう伝えたい。人も動物も変わらない。生き物に誠実に向き合うこと。それはきっと、自分を成長させてくれるはずだ。人と動物では、仏教では格差があるようだが、私には、
そうは思えない。人なんかより、ずっと動物の方が偉く思える時もある。だから、人も動物も変わらないと考えている。後悔したこと・・もう20年も経ったから、薄れてきているけど、もっと沢山、何かをしてあげられたかな・・かな。けど、彼女に会えて、本当によかった。今も写真に向かって挨拶をしている。
ありがとう・・ってね。

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