39歳女性 愛猫とペット供養寺で永遠のお別れ。次の命を救いたい。

はなちゃん。忘れたくても忘れられない私の愛猫。
仕事で生き詰まって、毎日追い詰められていた29歳の頃。このままいまの会社でいいのか、それともスキルアップのために転職したほうがいいのか。。。
毎日、悶々としていた私に運命の出会いがありました。

仕事が休みの土曜日、マンションでずーっと鳴き続ける猫の声が聞こえます。その声は悲痛で聞いていて胸が苦しくなるくらい。まるで「助けて~、誰か」と、言っているようでした。
鳴き声のする階までマンションの階段を下りていくと、猫がいました。床に伏せっておびえたように鳴き続けています。引っ越しに連れてもらえなかったようです。

私はその猫を自分の猫にすることにしました。それがはなちゃんです。

はなちゃんはすぐに私に懐きました。まるで赤ちゃんのように私に懐いたのです。当時、独身だった私は完全に母親気分でした。
母になり、守るものができた私には強い気持ちが生まれ、転職をする勇気が湧きました。
結果、転職に成功。はなちゃんが私の背中を押してくれたんだと思います。

はなちゃんとの愛にあふれた日々はとても幸せでした。寝るときはいつも一緒。
私の腕に頭を置いていつも寄り添って寝ていました。モフモフの毛が暖かく、気持ちよかった。。。

しかし、はなちゃんとの幸せな日々は長くは続きませんでした。
もともと腎臓が悪かったようです。1週間に1度、点滴をしても失った腎機能は元にはもどることなく、少しずつ、少しずつ、はなちゃんは弱っていきました。

最期は病院のベッドでした。
深夜、病院に呼び出され、心臓マッサージをうけるはなちゃんをただただ、茫然と立ち尽くして祈るような思いで見ていました。
でも無常ながら、心電図は棒一直線になってしまいました。
予期はしていたものの、涙は止まりませんでした。

悲しみに暮れている私にとって、唯一の救いは、荼毘に付したお寺さんでのご住職のお言葉でした。
「愛されて幸せだったと思いますよ。」そう言っていただき、救われた思いがいたしました。

飼い主さんは皆、「自分のところに来て、この子は本当に幸せだったのか?」と後悔の念を抱くと思います。もっと、遊んであげられたんじゃないか。もっとおいしいものをあげればよかったんじゃないか、、、、
でも、精一杯の愛情を注ぐだけで十分なのではないでしょうか。
精一杯、愛したと思えれば、お亡くなりになった動物も幸せに旅立てるはずです。
そして、泣いている暇があったら、「ママ。次の子を助けてあげて」と言っているのではないでしょうか。

私はすぐに保護猫譲渡会に行き、新しい猫を譲ってもらいました。
はなちゃんのことは忘れない。だからこそ救う命がある。
私はそう思っています。

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