40才 主婦 2代目はまだ受け入れられません。

私と愛犬の出会いは本当に突然でした。
突然、父が犬を連れて帰ってきたからです。職場近くの駐車場で子犬が産まれた。保健所に連れていかれる予定だから、とのことでした。当時の私は高1で、小さい頃から犬を飼いたい飼いたいと願っていましたが頑なに両親は世話が出来ないからとなかなか首を縦に振ってはくれなかったので、あまりの突然に犬がいる生活は宝くじが当たったくらいに嬉しかったです。動物嫌いの兄と世話をどうせ丸投げしてくるんでしょ、と警戒気味の母を説得する間もなく生後3か月ほどの子犬は我が家で愛嬌を振りまいていました。
今では珍しい黒や茶色のぶち模様の雑種犬。よく食べよく遊びよく眠る番犬ちゃん。外の犬小屋を嫌い、いつの間にかテーブルの下で毛布を丸めて居座るようになりました。私が社会人になっても朝一の散歩は私が連れて行っていました。私が寝ぼけ眼で歩いていてもリードで彼女はいつも通りの散歩コースを歩いてくれました。そして私が結婚して実家を出る日。私だけの荷物を外へ運んでいると顔回りの白髪が増えた顔で私の周りをうろうろしていました。引っ越し先は犬を飼えません。連れて行く事は出来ませんでした。実家を出てからは近距離でしたので何度も散歩に連れ出したりしていましたが、老いと共に彼女の身体は病気に侵されていきました。がんでした。お中には水がたまり、顔はぱんぱんに腫れあがっていました。獣医は安楽死を進めてきました。私と母は無知だったのかもしれません。反対しました。家で看取ると。どんなに苦しくてもうちの中ではおしっこはしませんでした。外のいつもの場所まで我慢をしていたそうです。彼女が亡くなる前日、私は体調を崩していました。結婚、出産、仕事とこなしていく中で疲労がたまっていたのでしょうか。回転性の眩暈で立つことも出来ず、立ち上がっては吐き、歩くことも出来ず、目をつぶっても目が回っていました。夜中、救急車に乗せられ運ばれました。翌日、入院した事を実家に電話すると彼女が息を引き取った事を聞かされました。今でも思います。私は過労や疲労がたまっていたのではなく、彼女の苦しさ、辛さが私に飛んできたんじゃないのか。最後の最後に私は側にいてやらなかったのか。こんなに苦しい思いをするのなら・・・と他に方法があったじゃないか・・と。その後、病院からすぐに実家に帰り固くなっていた彼女を撫でました。あんなに腫れていた顔がすっきりして若い頃の顔立ちになっていたのはびっくりでした。そのころには私の眩暈はおさまっていました。実家の父と母がペット霊園に連絡をとり、火葬、埋葬の手筈となりましたが、あの日から10数年。子供たちもそれぞれ犬が欲しい。猫が欲しい、と言っています。お世話をする事は当たり前です。看取りの事を考えると新しい家族を迎えるのには躊躇してしまいます。私には私の人生があり、生活し生きています。ですが、彼女が我が家に来た。毎日のお散歩、ご飯、お風呂。話相手。遊び。そして最後の病気。我が家に来て幸せだったのかな。退屈じゃなかったのかな。最後にあんな苦しさを私に伝えようとしてくれたのに私は自分がしんどいってだけで倒れてて、不安だったよね。痛かったよね。ごめんね。気づいてやれなくて。そう思うと子供たちが願う、愛玩動物としての迎え方にはまだ私は受け入れられないのが現状です。

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