生まれてからずっと一緒にいた猫との別れ。老衰で衰弱する姿はみるのが辛かった。

私は数年前、自分が生まれてからずっと時を同じくしたミルクと別れを告げました。

ミルクは猫でした。私の母が私が生まれる少し前に拾った猫で、母はいつもミルクとの出会いは運命だったと言っていました。

ミルクはとにかく母が可愛がっていたのですが、私が生まれた時からずっと一緒にいたわけであり、愛着を抱かないはずがありません。私は幼い頃から母親と二人暮らしで、ミルクはまさに家族の一人でした。

ミルクが亡くなった原因は、老衰でした。ミルクは20年近く生きたので、猫の方では長生きだったと思います。

常に活発な猫だったというわけではないのですが、徐々に病弱になって餌も食べなくなり動かなくなっていく様を見るのは辛いものがありました。

私はミルクがなくなる瞬間に立ち会うことはできませんでした。私は高校の部活で合宿に行っており、ミルクは母に看取られて息を引き取りました。くしくも、その命日は母の誕生日でした。

ミルクは私にとてもなついてたわけではありませんでした。私が物心もつかないうちに何かとちょっかいをかけたりしたこともあり、母ほど仲良くはありませんでした。

しかしミルクは確実に私の家族であり、癒やしでした。私自身学校での友だちが多いほどではなかったのですが、毎日家に変えるとミルクがいることでなんだか安心感がありました。直に触ってやると暖かくて、毛並みがフサフサで、餌をやったりトイレを片付けたり面倒だと思うことはありながらも、世話すること自体は嫌いではありませんでした。

私自身はペットの死に対し著しい悲しみを抱いたりはしませんでした。むしろ私は母の心情のほうが心残りでした。母は文字通り目に入れても痛くないほどミルクを可愛がっていたので、ミルクがいなくなることで気に病んでしまうのではないかと心配しました。

一応、母もなんとかやっているようです。ミルクが亡くなる少し前に新たな猫が我が家にやってきて、今度はその猫を可愛がっています。それでも、ミルクのことは忘れられないようです。

出会いがあれば必ず別れがあります。人であれペットであれ死に直面することは人生でそうないので衝撃は小さくありまえん。ただ、この世からいなくなったとしても出会いがあったということは私たちの心の中に残り続けます。出会えてよかったという思いこそを糧の一部としてその生命をも背負って生きていきたいということを学ばせてくれました。