最愛のペットとの別れ、辛いですよね。私は、正直こんなに辛いとは、思っていませんでした。侮っていました。やはり、人は体験したことでないと、想像力に欠けるのだなと、実感しました。そんな思いをしたのは、つい最近のことです。10月に入ってすぐのある日、四歳の娘と外に買い物に行って18時すぎごろに帰宅しました。お風呂に入る前に、あ、忘れてた!と、スマホの電源をいれたときです。(出掛け先で充電がなくなり電源が入っていませんでした)すぐにラインが入り、確認しました。それは実家の母から、17時ごろに入っていたラインでした。ラッキーひかれちゃったどうしよう何も考えられない今相手の運転手と事情聴取うけてるそんな内容でした。私は、思わず叫びました。お風呂から娘の声がします。「ママ、まだーー?」お風呂に入る直前に見たそのラインで、私はいきなりのパニックになりました。それからのことは、あまりよく覚えていません。とにかく、娘がいるのにも関わらず、焦ってしまいどうしよう、どうしよう、そればかり口にしていました。ラッキーに出逢ったのは、高校一年生の時です。私の父は、私が中学生の時に脳梗塞で倒れ、それから在宅で介護をしていました。その時に見たテレビで、動物の奇跡のようなタイトルの特集がやっていました。私と母は、これだ!と思いました。犬か猫を飼って、父の回復を手助けしてくれないかと、そんな期待もこめて、ラッキーを飼い始めることになったのです。ペットショップに行った父が、車椅子から一番最初に指をさし、最初から最後までずーっと抱っこして離さなかったのが、ラッキーでした。ミニチュアダックスフントのオスで、当時は8か月でした。売れ残りなので、安くします!と、ペットショップの人は言いました。私達は、そんなのが信じられないくらい、一瞬でラッキーの虜になってしまいました。今思えば、何かの縁で繋がっていたのではと思っています。そして、ラッキーとの生活が始まりました。私は、学校から帰るとすぐにラッキーの部屋に行き、躾を教えたり、芸を覚えさせたり、まるで我が子のように可愛がりました。一緒にお風呂に入り、時には一緒に寝て、ラッキーがいる生活が、当たり前になっていきました。社会人になり、なかなかラッキーと触れあえる時間もとれないなかで、休みの日には同期とラッキーの散歩をしたり、車でドライブに連れて行ったり、時間がないなかで少しでも触れあえるようにしてきました。そんなとき、急に私の犬アレルギーが発症しました。もともと猫のアレルギーは少しあったので、懸念はありましたが、まさかという感じでした。そしてそれからというもの、可愛いのに触りたいのにたくさん触れ合えなく、ラッキーと距離ができてしまいました。それでもなんとか、マスクをして触ったりなど、工夫をしながら散歩などには行ってました。そして、22の時に私が結婚をし家を出ました。すぐに子供にも恵まれ、たまに実家に帰ると、子供も一緒に今度はラッキーを可愛がりました。本当に、みんなの癒しであり、愛する家族でした。そんなラッキーの死を、私はどうしても信じられませんでした。娘を寝かしつけ、夫が帰ってきてから娘をお願いし、私はすぐに車で実家に向かいました。玄関をあけると、衣装ケースに入った、綺麗な姿のまま目を閉じているラッキーが、そこにいました。本当に、寝ているようでした。ラッキー、起きてよ。なんで寝てるの?お姉ちゃん、覚えてるでしょ?ねぇ、起きてよ。また首をかしげて、可愛く鼻を鳴らしてよ。お腹を見せて、ゴロンとしてみせてよ。どんなに呼び掛けても、反応しませんでした。うちの実家の家の前の道路は、前にも何度かご近所の犬が車に跳ねられていました。一方通行のその狭い道を、時速20キロであり通学路でもあるその道を、ほとんどの車はものすごいスピードで通り過ぎるのです。母は、膝を悪くしており、ラッキーがリードを強く引っ張って走っていった時に、すぐに追いかけることができなかったそうです。そしてものすごい音と共に、ラッキーが倒れこんだと。即死でした。車が悪いわけではありません。飛び出したラッキーが、それを躾てこなかった私達が悪いのです。けれども、20キロでどうしたら即死になるのか、まだ生きられたんじゃないか、そもそもなぜラッキーが、あんなに元気だったのに。ごちゃごちゃな感情をどこにぶつけていいかも分からず、ただひたすら涙を流し、ラッキーに謝ることしかできませんでした。守ってあげられなくて、ごめんね。うちの家に飼われて、幸せだったのかな。そんなことばかりが、心を埋め尽くしていきました。翌朝も、起きるなり泣きじゃくって、娘を困らせました。この文章を書いている今も、涙が溢れそうです。まだ心の整理なんかできてなく、信じられてないかもしれません。それくらい、辛いのです。それでも、朝はやってきます。目の前には愛する夫と守るべき子供がいます。それだけが私の原動力であり、辛さを和らげてくれる時間です。後悔など、数えきれないくらいあります。ラッキーと一緒に行きたかった場所も、まだまだたくさんありました。それでも、もうラッキーはいないのです。それが現実であり、真実です。それを受け止めて、後悔しないように生きていく努力をすることが、ラッキーへの償いであり、お悔やみになるのかなと、思っています。きっと、私の父と共に、ラッキーも空から見守ってくれてると信じて、日々前を向いて歩いていきます。
愛犬の突然の事故死 しつけの後悔 行き場のない感情 受け止めるしかないが辛い
