高校生の時に友人からネコをもらいました。あまり動物が好きではない母を何とか説得し、無事に我が家へ迎えることができた時は本当に嬉しかったことを昨日のことのように覚えています。ネコを飼ったことがなく、しかも子ネコを飼うとなると、ちゃんと育てられるか少々心配でしたが、エサのあげかたやトイレのしつけなどをしっかりと頭に叩き込み一生懸命に面倒をみました。一生懸命かわいがると、ネコにも気持ちが伝わるのか、かなり人懐っこいネコに成長してくれました。当時私は大学受験を控えていました。毎日続く受験勉強に嫌気がさすこともありましたが、投げだすことはできません。その理由の一つに、母との約束がありました。それは、ネコを飼う条件として、受験勉強に集中し第一志望の大学に合格するという何とも厳しいものでした。受験に失敗するとネコの立場が悪くなるような気がして、必死に頑張りました。勉強していると、ネコが私の膝に乗ってきて休憩を入れるタイミングを教えてくれていました。ネコのために頑張っていたつもりでしたが、頑張れたのは、ネコに見守られていたからだと思います。大学に合格したころには、母もすっかりネコの虜になり、まさに我が家のアイドル的な存在となっていました。その後、社会人になってからも試練があると「ネコのため」とこじつけのようですが自分を鼓舞してきました。そんなある日、別れが突然やってきました。朝、出社するときには元気だったネコが、帰宅すると亡くなっていたのです。原因は心臓発作。現実が全く受け入れられず、ただ泣くばかりでした。通勤電車の中でも、知らず知らずのうちに涙が頬を伝っていることもありました。オフィスでも涙があふれてきてトイレに駆け込んだこともありました。何か病気のサインを見落としたのではないかと自分を責め深く落ち込んだ日々が続きました。かなりの時間を要しましたが、ふとあの「ネコのために」という言葉が浮かんだのです。私がいろいろなことを乗り越えられたのは、ネコのおかげ、いつまでもふさぎ込んでいてはネコに申し訳ないと思ったのです。ネコを失った悲しみは消えませんが、前進すること、困難を乗り越えることを思い出しました。これも、ネコのおかげだと思っています。
今があるのはネコのおかげ、お別れしても見守られている気がします
