老衰でなくなった愛猫 思い出はいまも色あせることなく鮮明に 本当の家族だった

飼っていた猫が亡くなって、もう、6年ほど経ちます。


年月が経過しても、猫のミータと過ごした記憶は鮮明に思い出せますし、褪せることも不思議とありません。



それは、本当に家族だったからだと思います。



ミータと出会ったのは、私が小学生の頃です。


2つ年下の弟が土手で捨てられていた子猫を拾ってきたのが、ミータでした。

やせ細って、お腹も下し、目やにで目が開かない状態のミータを動物病院に連れて行ったのが始めでした。



それからは私の部屋にビニールシート・毛布を敷き、トイレの世話から、躾、すべて私がしました。


もともと、動物好きな家族みんな、すぐにミータを家族として認め、それから、長く長く一緒に過ごしました。



大人になった私が結婚し、お嫁入りする時も、子供が産まれてからも、ずっと一緒に過ごしてきました。


子供には、毛の生えたお兄ちゃんのように、ミータも側で見守り、家族でした。



それまで病気ひとつしたことのなかったミータが、ある夏の日、毛玉をはくことができず、くふう~くふう~と空咳をするようになりました。


その時点で、すでに20年以上生きたミータはかなりのおじいちゃん猫でしたので、病院に連れていったときは、「老衰ですね」と。

自分で毛玉を吐く力がなくなってきていました。


それでも、それからしばらくは食欲もあり、元気で、その年の冬に、朝から寝たままだったミータの体が冷たく硬くなり出しました。



意識があり、目からは涙が出ており、結婚した家族全員がミータの体に手を置き、「ありがとうね」と泣きながら、少しづつ、息ができなくなり、目を閉じ、亡くなるミータを見送りました。


しばらくして、家に戻った私を主人や子供たちは何も聞かず、迎えてくれました。


キッチンで声を我慢できず、泣きながら料理する私を誰も、何も言わず、そっとしておいてくれました。



すぐには、葬儀する決意ができず、2日ほどはミータを家族と過ごしました。

それから、骨となり、土へと還りました。



今でも、あの時のつらさを思い出すと又、新しいペットを飼う決断ができずにいます。

ペットは家族、本当にこの一言に尽きます。



彼がいてくれて、私の人生は温かいものになりましたし、彼を思う家族の絆で離れた家族も繋がっているような気もするのです。

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