愛犬の死が、私に教えてくれたこと

今から10年ほど前、私は22歳の冬に愛犬を亡くす経験をしています。
トラくんという柴犬で、亡くなったときはおよそ15才でした。

トラくんと出会ったのは、保健所で里親募集のイベントに参加をしたときのことです。
まだ1才程度にも関わらず元の飼い主から捨てられ、それでも人懐っこいとても可愛い仔だったのを覚えています。
その健気さに胸を打たれ、当時小学校低学年だった私は必死に親に頼みました。
必ず最期まで面倒を看るからと、何度も約束したのも今では懐かしいです。

トラくんとは、本当に色々なところへ行きました。
家族旅行にも欠かさず連れて行きましたし、私の部活動の応援にも来てくれたことがあります。
実は私は学校での人間関係が上手くいっておらず、いじめを受けていた時期も何年かありました。
しかし帰宅するとトラくんがいる、その姿に何度癒やされたか分かりません。

沢山の思い出や感謝、亡くなるときにはそれらが一気に溢れてきた記憶があります。

様子がおかしくなったのは、亡くなるほんの2日前くらいからでした。
出会いからずっと室内で飼っていたのですが、あるときから突然家に入るのを拒むようになったのです。
何か家族を避けているような、変な感覚がしました。

そしてその変化からすぐのこと、トラくんは私が朝起きると玄関のところで横たわり動かなくなっていました。
息はしているのですが、全く家族の声にも反応をしません。
慌てて病院へ連れて行くと、もう衰弱していてあまり持たないだろうと言われました。

このときの困惑と悲しさは、今振り返っても苦しくて涙が出てきます。
昨日まで元気だったのにどうして、もしかしてずっと無理をしていたのか、そういった思考を繰り返しては何とか奇跡が起きないか願っていました。

とはいえ推定で15才、心のどこかでは理解していたのです。
寧ろよくここまで元気でいてくれた、私たち家族を笑顔にしてくれたと、諦めではないのですがありがとうという気持ちの方が大きかったかもしれません。

亡くなる直前には、大きな遠吠えを2回して何かを伝えようとしていました。
実は他の愛犬家の方から、犬は死ぬときに遠吠えをするよと以前に言われていたので、これがお別れの挨拶なのかなと感じたのです。
そうして翌日、トラくんは私が大学から帰宅すると亡くなっていました。
最期は母と妹に見守られながら、ゆっくりと呼吸が止まったそうです。

最期に立ち会えなかったこと、それはとても悲しかったです。
しかし安らかそうだったと聞いて、少しだけ良かったとも思いました。
うちに来て幸せだったのかな、それは現在でも思い返してしまいます。

トラくんが亡くなってからは、何か大きな心の支えを失ったようでした。
夢にも1週間ほど続けてトラくんが現れ、一緒に遊ぼうとすると遠くへ行くのです。

また、私は当時就職活動を行っていました。
愛犬を亡くして辛いなどというのは個人の事情でしかなく、就職試験の期限は待ってはくれません。
自分はしっかり社会人になれるのか、その不安も大きく圧し掛かってくるようになりました。

こんなときにトラくんがいてくれたらと、何度も写真を見ては思ったものです。
突然迫られた別れへの覚悟、そして別れ、気持ちの整理など到底つくはずもありませんでした。
これがペットロスなのかと、痛いほどに実感したように思います。

愛犬の他界から3ヶ月ほどが経った頃、忙しさも手伝ってようやく前を向けるようになりました。
こうなって初めて気が付いたのが、時間が経つことの重みです。
悲しみが癒えることは叶わなくても、上手に向き合って過ごせるようになった自分には驚きました。
時間の解決とは、きっとこういうことを言うのでしょうね。

あれからもう10年、すっかり私も良いおじさんになろうとしています。
ペットは以来1回も飼ってはおらず、今後もきっと飼うことはありません。
与えてくれるものの大きさの分だけ、失ったときの悲しみも大きいです。
トラくんは自身の命を通じて、私に大切なことを教えてくれました。

現在ペットロスで苦しんでいる皆さん、今は悲しくても必ず前を向ける日はやって来ます。
現在ペットを飼っている皆さん、いずれ必ず別れの日はやって来ます。
常に少し先の未来を想像しながら、後悔のない時間を過ごしてください。

トラくんは、今も天国で幸せに過ごせているでしょうか。
私が頑張ればきっと天国に届くと信じて、これからも一生懸命に生きていきたいです。