専門学校で知り合った友達が猫を飼っていて、その猫が赤ちゃんを産んだ話を聞きました。そして最後の黒猫が貰い手がないということでした。親の仕事柄、猫は飼えないと諦めていましたが、なぜかその時は、飼えるんじゃないかとの確信が強く、「その子私が欲しい」と友達に宣言していました。得意の事後承諾、強引に、ケージに入ったその子を自宅に持ち帰ると、両親は今考えても本当に不思議なほど怒りませんでした。一人っ子の我が子に、何か自分たちには出来ない教育、与えられない経験、そんなものをこの黒猫が与えてくれるんじゃないかとでも思ったのかもしれません。それは当たっていました。心の底から愛おしいと感じる、感じることがどれほど無敵なことか知りました。無償の無敵、いるだけでいい。何があっても「ああ、出会って良かった」という100パーセントの愛情を経験できたことは幸せでした。それほど唯一無二の宝物であっても、それでも私は死に目に立ち会えませんでした。その日、職場へ母から連絡が入り、急ぎ帰ると、泣き顔の母の腕の中で亡くなっていました。泣きながら「なんでもっと早く帰ってこなかったの?!」と責める母に言葉は出ませんでした。死の数週間前、弱った身体を横たえることが多くなりました。そんなある日、急に身体を起こして階段のほうへ歩き出しました。驚くことに階段を昇り始めたのです。ゆっくりゆっくり。昔はもの凄い勢いで上り下りしていた階段。昇り切ると部屋の奥に進んで窓際に横たわりました。2階に来るのは久しぶりだね、話しかけると眠そうにゆっくりと瞬きし、窓から注ぐ柔らかな陽の光を黒い毛並みに受けていました。私はその姿があまりにも神聖に見えたので、カメラで撮らずにいられませんでした。私が初めて家に連れてきてケージから出した途端に、狂ったように滑りながら走り回った、この2階の部屋。専門の葬儀社に連絡を入れたのは母でした。電話口で号泣しています。何年生きたのか問われて、23年ですと答えたところ、「偉かったですね、褒めてあげてください」と言われたそうです。本当に偉かった。同じような経験をして、何かを求めて今この文章を読んでいる人に言えることは、私でさえあなたのかなしみを理解できないかもしれないということです。それはあなただけの貴重な経験だからです。あなたにしか乗り越えられない体験になるからです。正直当時のことを私は憶えていないのです。もうずいぶん経ちます。甘えん坊だったあの子も今は私の心の中に居場所を移しています。そして、時々、猫を見るたびに、「あの子ほどカワイイ猫はいないなあ」と思ってしまうのです。
あの子ほどカワイイ猫はいないなあ
