そのウサギに出会ったのは、18年前の12月になります。その頃、わたし自身とても疲弊していて、安らぎを求めてペットを飼おうと決めました。わたしは冬生まれだったので、自分への御褒美として。当時は家族全員が働いていたので、大好きな犬が飼えないなと思っていたのを記憶しています。何より、何とはなしにネットサーフィンを繰り返しているうちに見つけた「ウサギの里親さん募集」の掲示板をみて、ウサギがいい! と考え直しました。里親の条件をクリアするために、ケージを買ったり、キャリーを買ったりで、その時は大忙しでした。でも新しい家族が来ることに幸福感も抱いていました。来たウサギはまだ手のひらに収まるほど小さくて、「なんてかわいいんだろう! この子はわたしが守らねばならない」という、使命感みたいなものもわきました。それから家族のアイドル的存在になったうちの子は、父親がおやつをあげ、母親が野菜や果物をあげ……美味しいものばかりを食べるものですから、普段のペットフードを残すようになりました。そんなときです。うちの子が血尿を出しました。病院へ連れていくと、結石が出来ているということ。薬で散らすか、入院して手術するか、二つに一つの選択を迫られました。うちの子の小さなおなかを開くのはかわいそうだと、投薬治療を試みました。一度はよかったものの、またぶり返します。何度もぶり返しているのをみて、思い切って手術を選びました。ロップイヤーとネザーランドドワーフのミックスで体はネザーより大きいとはいえ、死活問題でした。うちの子は当時7歳。決して若い子ではありません。結果として手術は成功しました。エリザベスカラーをまいて動物病院の檻の中にいるうちの子を見て、ごめんね、ごめんね、と何度も謝りました。その後5年間はうちの子は穏やかに暮らしました。ただ、父親のおやつを上げる癖が災いして、結石になったのに、しつこくおやつを与えているのを見ては何度も激昂したのを覚えています。今から5年前。その日は来ました。家に来た頃のやんちゃな子ではなく、穏やかな性格になり、動きも緩慢になり、でも家の階段を上ってみたり、好奇心旺盛なところは変わらずに。ぐったりしているうちの子を見つけた母が、ちょうど休みだった私たちを呼びました。呼吸が早くなり、「キィーーー!!」と高い声を上げて。断末魔というものでしょうか。がくりと全身の力がなくなり、それから動かなくなりました。老衰です。私はうちの子が亡くなることによって、今までの12年間が断ち切られたような気持になりました。泣いて、泣いて、お別れの時だということが、まだ信じられなくて。ウサギは火葬すると、骨が細いため、殆ど灰になってしまうそうですが、うちの子はきちんと残っていて、お別れを言うことが出来ました。その後暫くは、ペットロスというのでしょうか。何も手につかず、うちの子を撮った写真を眺めてはため息ばかりつき、時には情緒不安定になり、思わず泣いてしまったりしました。今もしうちの子に会うことが出来たら、きっと、はじめは「ごめんね、私にもっと知識があれば、長生き出来て、もっと長く一緒にいられたのにね」と謝るでしょう。楽しい思いも、苦しい思いも、たくさんたくさんしました。もし、これを読んで勇気づけられる方がいるとすれば、私は言いたいです。家族であるペットは、私たちより先に逝ってしまうものです。だから、最高の愛情をもって、一緒にいてあげてください。若い頃だけかわいがって、年を取ったからと言って放り出さないでください。最期のその時まで、どんな動物も飼い主を信頼しています。その信頼に応えられたと胸を張って言えるような事をしていたのならば、その子はきっと幸せです。あなたの家に来て良かったと、きっと、きっと思っているはずです。
大好きなウサギの死でペットロスに、もし出会えるなら謝りたい
