鳥がなくなってペットロスになった体験談

目次

最後のセキセイインコ

私はセキセイインコを飼っていました。

私の家では私が物心がついた頃からずっとペットといえばセキセイインコでした。

いちばん最後に飼っていたセキセイインコが何代目なのか覚えてないくらいたくさん飼ってたと思います。

最後に飼っていたセキセイインコは結局ほぼ10年生きていました。

というよりもはや家族の一人というくらい長く一緒に生活をしていました。

最初は父親が飼いたいと言って飼い始めたのですがいつしか私もそのセキセイインコを可愛がるようになりました。

もう私も大人になって飼い始めたセキセイインコだったので子供の頃に飼っていた頃と違ってものすごく感情移入していて小屋の掃除や餌の入れ替えなど本当に一生懸命やっていました。

そしてある日、父親が亡くなりました。

自分で飼いたいと言ってすごく可愛がっていた父親がいなくなったあとそのセキセイインコを私は父親の忘れ形見のように今まで以上に可愛がりました。

飼い始めて8年くらい経ってそろそろ寿命かな、と思い始めました。

今まで飼ってきたセキセイインコは大体それ位で死んでいたのでそれからはもっと長く生きて欲しいと願うように飼っていました。

だんだん病気がちになりいつも死んでしまうことを考えそれでもいつものように可愛がっていました。

そして飼い始めてからほぼ10年経った頃、いつもなら体調を崩しても一週間くらいで良くなっていたのにまったく体調が戻りませんでした。

朝起きてみるとセキセイインコは小屋の床にうずくまるようにしていました。

息も絶え絶えで動くこともありませんでした。

私はセキセイインコを手のひらに乗せ最後を看取りました。

実は死を目前で見ることは初めてでした。

だからお別れを言うことも感謝を言うこともできました。

それから初めてペットロスというのも感じました。

たぶんもうペットを飼うことはできないかもしれません。

この子以上の子に会うことはないのではないかと思います。

突然亡くなったセキセイインコ 大事な家族だからこそ一歩前に進もうと思った

私が飼っていたのはセキセイインコです!
私の家に来たのは中学2年生の冬でした。

亡くなったのはつい最近12月の頭でした…
夜勤の休憩中携帯を確認したところ母より「ピーちゃん死んじゃった」とメールが入っていました。

夜勤が始まってまだ数時間だったので仕事を真剣にしなければいけないしでも
早く会って頭を撫でてあげたいなぁという気持ちもっとああしておけば・・・

もっと遊んであげたかった…そんなことばかり考えていました。

夜勤が終わり家に到着し夜勤の緊張感から解き放たれたとき
自然と涙が流れてきました。

頭を撫でながら人生で初めて声を出して泣いてしまいました。

その日は何も手につかない思い出すだけで涙が出てきてしまうほどでした。

いつまでもそのままでは居られないのは分かっているのに中々立ち直れないでいる自分に
母親から

「ピーちゃんの為にも笑って元気に過ごそう」

この一言に少しだけ心がスーッとしたような気がしました。

何かの記事で見た気がしたのですが
ペットが亡くなるのには何か理由があるのだと。

「自分の役目が終わったとき」「家族が幸せになったとき」

色々あると思いますが私は結構信じています。

いつも見守っていてくれてたんだと思うと悲しい気持ちもありますが
心から「ありがとう」という気持ちでいっぱいになりました。

その人によって考えは違うと思いますが

その子のためにも一歩前に進んでいきましょう!

その先に新しい出会いやいいことが待っているはずです!
そして私はその子に「ありがとう」の気持ちを忘れずにこれからも元気に暮らしていきます。

飼っていた小鳥が亡くなって想像以上に悲しく、小鳥の病気に詳しくなかったことに後悔した

私はいくつかの動物を飼った経験がありますが、小鳥を飼った事があります。

なぜ小鳥を飼う事になったのかというと、知り合いが飼っていた小鳥に子どもが沢山産まれたので、1羽もらった感じです。

最初は小鳥について興味というのはあまりなかったですが、いざ世話をしていくと興味が出てきて、時折こちらの声に反応してくれるようになったので可愛く思えてきました。

この小鳥は約5年から8年ぐらいは生存出来るみたいですが、2羽もらった小鳥のうち1羽は数年後に亡くなってしまいました。

どちらも元気でなついていたのでとても愛着が湧いていた中での1羽の死ですので、とても悲しかったです。

もう1羽も亡くなった小鳥を目の前にしてなんだか悲しい顔をしていたので、私以上に悲しかったと思います。

この件で後悔しているのは少しの症状の変化に気付かなかった事です。

小鳥が亡くなる少し前に小鳥の足が少し腫れているように感じたのです。

少しだったのでどこかぶつけたのかなという感じでしたけど、その数日後にまったく鳴かなくなってさすがに病院に連れていかなければいけないと思って、次の日に病院に連れて行こうと思いましたけど、朝みたら亡くなっていました。

つまり、対応が遅れたという事です。

この病気は、オスに多く見られる病気だと後から知って、小鳥の病気の知識がなかったという事で、その点に後悔しています。

病気について知識があれば、もしかしたら早めに対応出来たのかもしれないです。

これから小鳥を飼う人は、ぜひ小鳥の病気について調べてから購入するのがお勧めです。

小鳥が病気になると、少し今までと違った変化があるので見逃さない事が大事です。

愛嬌のあるインコの死に家族が意気消沈、新しいインコがきても代わりにはならなかった

それは高校を卒業して、グラフィックの専門学校に通いおこずかいを稼ぐ為に近所のフルーツパーラー店でバイトしてた時の事だった、滅多な事ではバイト先に電話などしてこない母からの電話、出ると、いきなり「ピーちゃんが!」と悲痛な悲しみの声で母が泣いている、

この所、可愛がっていたピーちゃんが調子が悪かった、棒に立っていられなくなっていた、餌も食べなくなって、鳥かごの床にへばりついて、弱っていく姿が痛々しく見てられなかった。

ピーちゃんは、インコなんです、とっても愛嬌があって、おしゃべりが上手でした、父はビールが好きだった、会社から買えると母はいつも「お父さんビール!」というのを覚えて、お父さんビール!お父さんビール!と言い、家族みんなを笑わせてくれたピーちゃん、母はピーちゃんによく話しかけ、ピーちゃんいい子ね!○○ちゃん駄目よ~!(○○ちゃんは私の事)それを覚えて、「ピーちゃん!いい子よ!○○ちゃんだ~め~ねぇ!」と、連呼して言っては、皆を笑わせてくれた、あのピーちゃんが、亡くなってしまった。

こんなに小さな鳥だというのに、ピーちゃんの存在は大きかった、ピーちゃんがいない部屋の中は静まり返り、寂しさしかなかった、母は苦労人でどんな事があっても、オタオタしない人だった、母のあんな姿は後にも先にも見た事がなかった、父も姉も私も、沈んでしまった、家族の一員だった、もう家に帰っても、「お父さんビール!」と言ってくれない、私の事を○○ちゃんだ~めぇ~ネェ!」と言う声も聞けなくなった。

淋しくてたまらなかった、家族全員が、たった小さなインコの存在に口数も少なくなってしまったのだ、あまりに悲しいのでまたインコを買おう!という事になった、でも何も語らないインコだった、新しいインコが訪れたので、少しは悲しみが薄れたけれど、あのピーちゃんの変わりにはならなかった、あのピーちゃんは家族の忘れられないピーちゃんとなった、それは面白い私達家族にピッタリのインコだったのだから。

4歳で亡くなったセキセイインコ、仕事の忙しさであまり構ってあげれなかった後悔

セキセイインコのぴーちゃんが亡くなったのは4歳の時でした。

突然、籠の中で冷たくなっていた姿を見たときは、目の前が真っ白になり、まるで時が止まったようでした。

ぴーちゃんが我が家にやってきたのはまだ幼い雛の時でした。

大学生だった私は講義の休憩の度に家に帰っては毎日スプーンで餌をあげました。

数ヶ月が達ち、すくすく育ったおてんば娘のぴーちゃんが空を飛ぼうと羽をバタバタさせ、飛んでは落ちを繰り返す時には床や壁にぶつからないかヒヤヒヤし、布団やクッションを敷き詰めたのを覚えています。

また、ぴーちゃんが私が不注意で開けていた窓から逃げ出してしまった時、あれほどヒヤヒヤしたことはありません。

しかし、ぴーちゃんは暫くすると窓から自分で我が家に戻ってきました。

私は安心と罪悪感で涙が止まりませんでした。

ぴーちゃんが4歳の年。

私は社会人1年目となり、初めての仕事や人間関係に日々疲労困憊。

毎日餌やりや部屋の掃除は欠かさずやっていましたが、中々ぴーちゃんと一緒に遊んであげたり、構ってあげることが難しくなってきました。

ある日家に帰ると、いつも私を迎えてくれる鳴き声がせず、おかしいなと思い籠を見ると、そこにはゲージの端で冷たくなっているぴーちゃんがいました。

一般的なセキセイインコの余命である5~10年より短い4年。

ぴーちゃんは亡くなりました。

忙しさにかまけず、もっと良く見てあげていれば、何か異変に気がつけていたのではないか。

病院などにも定期受診させてあげていればよかった。

私に飼われていなければもっと長生きできていたのではないか。

とかなり落ち込みました。

また、ぴーちゃんが平均寿命より短く亡くなってしまった負い目から当時はぴーちゃんが亡くなったことを人に話せず、悲しみを誰かに打ち明けることもできませんでした。

ぴーちゃんが亡くなって一年後久しぶりに会った大学の友達と話し、そこで初めて人に打ち明け「でもぴーちゃんはきっと幸せだったよ」と言われた時、涙が止まりませんでした。

今でも思い出すと気持ちが沈みますが、ぴーちゃんとの楽しかった日々も私の大切な思い出です。

悲しかったことも楽しかったことも、これからも大切な思い出として持ち続けていきたいです。

すこしそばを離れた瞬間、野良猫に襲われ姿を消したインコ 自分のせいだと激しく後悔

ピーちゃんがいなくなったあの冬。

インコのピーちゃんは初めて我が家にきたペットでした。

アパート住まいだったため、犬や猫は飼えず、ずっとペットが欲しいと願っていました。

その願いが届いたのか従妹が飼っていたインコを譲り受けることになりました。

我が家はひとたびにぎやかになりました。

何年も大切に育てていた時、遠くにいる祖父母の家に遊びに行くことになり、ピーちゃんも一緒に連れていくことになりました。

祖父母の家はとても広かったので外の庭に鳥かごを出してあげたりお世話をしていました。

我が家は狭かったのでピーちゃんも外の世界でのびのび過ごしているようでたくさん鳴いていました。

何日か過ごしたある日、縁側で座ってピーちゃんを眺め、少しそばを離れたときです。

ガチャガチャガターンとものすごい大きな音がなりました。

何事かと表に出ると、野良猫がピーちゃんのかごを襲っていたのです。

かごは地面に落ちてしまい、扉は開き・・。

あの元気なピーちゃんの姿は見る影もありませんでした。

野良猫を探そうと走っておいかけましたが追いつけず、ピーちゃんが食べられてしまったのかもしれない、痛い思いをしているかもしれない、いや、もしかしたらどこか近くの木に逃げたのかもしれないと様々な思いがあふれ出ながらあちこち走り回りました。

ピーちゃんは見つからずに鳥かごだけがもぬけの殻となっているのをみるといたたまれない思いになりました。

あんな小さなからだで、猫に襲われてしまっては怖くて怖くてたまらなかったはずです。

痛かったかもしれない。

私が縁側から離れなければ、猫を追い払ってやれたかもしれない、自分の責任だと胸のうちがざわざわするのがわかりました。

怖い思いさせてしまってごめんね、守ってあげたかった。

たった1年で亡くなったインコ、もし会えるならまずは謝りたい

2年前に亡くなったオカメインコの話しです。

購入したのは3年前でたった一年しか一緒いる事ができませんでした。

私結婚しているのですがなかなか子供が出来ず落ち込んでいる嫁の為に少しでも気が紛れればと購入しました。

雛の状態で餌付けしていったので凄くなついてくれて家に帰るといつも私の片の上で毛繕いをしてたまに私の頬に顔を擦り付けてきて本当に可愛かったです。

オカメインコは話しはしませんが口笛が上手でトトロの曲をよく吹いていました。

羽根を切っていなかったのでよく飛び回りそこら辺に糞をするのがやっかいでしたが。

ある日帰ると飛ぼうとするのにまったく飛べなくなっているしいつもは帰らない小屋にすぐにかえるのでおかしいなと思っていましたが仕事もある為、3日後に病院につれていく予定でした。

そして前日の夜、いきなり体調が悪化しいきたえました。

最後寄り添ってくるすがたと早く異変に気付き病院に、つれていってあげれなかった後悔で泣きました。

あれから2年たちますがトトロをみる度に思い出します。

犬や猫より悲しくないように感じると思いますが鳥も同じ家族なので新しい鳥はまだかっていません。

もしもう一度会う事が出来たら、まずは謝りたいと思います。

平均寿命の15年どころか1年しか生きさせてあげれなかった事や変化に気づくのが遅かった事など。

そして、少しの間だけど家族として楽しませてくれてありがとう。

最後に思うのはあのときのようにトトロを歌っている姿が見たいです。

私が二回目の手術で入院中に亡くなったセキセイインコ 身代わりになってくれたのではと思いました

10年一緒に生活した、セキセイインコのきみちゃんが死にました。

きみちゃんは、黄緑色の雄のインコです。

おとなしくて、他のインコは本気で噛みつくのに、きみちゃんは、怒っていても甘噛み程度で、気を使ってくれるインコでした。

ただ、羽根の調子が悪く、他のインコが部屋を縦横無尽に飛び回るのに、比べ、小屋の中で一人で静かにしていることが多い鳥でした。

そのため、籠の扉を開けていても、いつも小屋の中にいるきみちゃんが、ある日、私の足元に来て、私のズボンのすそを二、三回、引っ張ったのです。

外に出てくることも、あまりないきみちゃん。

何か、様子がおかしいと思い、観察してみると、フンが肛門の周りに固まっており、便が出ない状態であることが分かりました。

糞は、2センチ位の塊で、全然気が付いてあげられず、とても後悔しました。

糞をするとき、一生懸命いきむのですが、ぐ―という音がするだけで、出ず、とても苦しそうに見えました。

すぐに翌日病院に連れていきましたが、高齢のため、特に何かするよりは、他の仲間の鳥と一緒にいたほうが、本人のためにいいだろうと、連れて帰ることになりました。

ただ、糞の塊は取っていただいたので、だいぶ元気になったようでした。

どうして、こうなるまで気が付かなかったのか。

私が入院、手術後で、鳥の細かい状況まで気が付かなかったのです。

そして、私が二回目の手術で入院している間に、きみちゃんは死んでしまいました。

夫から、その話を聞いたとき、私は、きみちゃんが身代わりになってくれたのではと思いました。

のんびりやさんで、マイペースな男の子でしたが、きっと私の病気が重いことを知り、代わりに背負って旅立ってくれたのだと思いました。

その後、家に帰り、きみちゃんがいないことを実感しました。

あまりに寂しさに負けて、新しい雛を一羽購入しました。

この子のお世話で、自分の術後の痛みと、喪失感を紛らわしています。

きみちゃん、ありがとうね。

なにものかに襲われていなくなった十姉妹 食欲も減り、遊びも楽しくなくなった 25年経っても飼いたいと思えない

 今からもう25年程前の話になります。

私が小学生の時、十姉妹を6羽飼っていました。

 
 それは、休日に父親と姉と私と三人でペットショップに行ったときに、姉が十姉妹をみて、父親に飼いたいねだり、根負けした父親が飼ってくれたものでした。

オスとメスのつがいの十姉妹。

オスの方は、雪のような白いまだら模様で、吹雪となづけました。

メスは、真っ白で、朗らかな感じだったのでのどかと名付けました。

 
 それが、我が家で飼育した初めてのペットでした。

父親に買ってとねだった姉は、最初の2~3か月、吹雪とのどかの世話を頑張ってしていましたが、鳥の世話というのは、特に鳥かごについた糞の掃除が結構手間がかかるのと、飽きやすい性格だったこともあり、やがて、世話をほとんどしなくなり、結果、弟の私が世話をすることになりました。

 
 当時の私はそれほどペットを飼いたいという願望はありませんでしたが、世話をしていくにつれて、段々愛着が湧いてきました。

庭で採ったはこべらをあげると、鳥は空腹が満たされることがないのか一杯になと思うくらいパクパクと食べる様子に癒されていました。

 やがて、のどかが卵を産みひな2羽が生まれました。

ひなが生まれ、吹雪やのどかも子育てをするようになると、その様子を見たり、ひなが成長していく姿を見て、さらに、癒されていました。

飼い始めて2年もしたころには、生まれたひながすべて育ったわけではありませんが、我が家の十姉妹は6羽の家族になり、たいそうにぎやかにしておりました。

 しかし、悲劇というのは、突然やってくるものです。

学校から帰った私が見たものは、無残にも倒れて開いた鳥かごと、散らかった羽毛と血だらけになって動かなくなった吹雪と1羽の子供の死骸でした。

蛇が食べたのか、野良猫がやったのかはわかりません。

私は戸締りをせずに家を空けた母親を責めましたが、亡くなったものが帰ってくるはずもなく、ただ、そこにある吹雪と1羽の子を庭先に穴を掘って葬ることしかできませんでした。

 いつもそばにいたものがなくなるというのは、それが動物であっても悲しいものです。

2年以上続けてきた餌やりと鳥かごの掃除という毎日の癒しの日課が、その日を境に突然なくなって、徐々に自分の心の中に喪失感が実感として湧き上がってきました。

それから、半月ほど、吹雪、のどか、その子たちへの申し訳なさからか、食欲も減り、友達と遊んでいても楽しめなかった自分がいたのを覚えています。

 ただ当時、思春期を迎えつつあった私は、直に、好きな女の子のことやクラブ活動等に関心を奪われ、その悲しみを長く引きずるありませんでしたが、その経験からか、それ以来、私はペットを飼っていません。

飼うことに強い抵抗があるわけでもなく、唯々、飼いたい気が起こらないのです。

今、体験談を書いて昔の話を思い出しましたが、改めて思うのは、あの日、死骸のなかったのどかと残り3羽の子が、その時、無事に逃げていてくれればということです。

 
 
 

大切にしていたインコが亡くなってから、定期的に見る鳥が死ぬ悪夢 心に負い目を感じる

昔から、セキセイインコや文鳥等の小鳥が好きで、ずっと飼っていました。

怪我をしていた野鳥(図鑑で調べたところカワラヒワだと思います)を飼っていたこともあります。

小鳥は犬や猫と違い、逃げてしまったり、他の動物に襲われてしまったりでお別れになった小鳥たちも少なくはありませんでした。

中でも私はセキセイインコが大好きで、歴代可愛いインコちゃんたちを飼育しました。

写真も残っています。

セキセイインコの愛くるしいところは、ちゃんと飼い主になついて呼べば飛んでくるところ。

しかもちゃんと指先に止まってくれるんです。

それに、ピロピロ♪とごきげんな鳴き声。

毎日教えれば言葉も覚えるんですよね。

一番思い出のあるインコは、学生時代に飼っていた全身レモンイエローの男の子です。

「俊太」という名前を付けましたが、結局「チュン太」と呼んでいました。

地方から東京に出てきて初めての一人暮らし、やはり寂しかったのでしょうか。

チュン太が今まで飼った小鳥たち以上にかわいくて仕方なく、帰省の時は一緒に帰ったし、病気の時は大学に連れて行ったこともありました。

大学卒業後、そのまま都内で就職し、一人暮らしは継続。

社会人四年目の頃でしょうか、俊太が息をひきとりました。

季節は春。

自宅アパート近くに桜並木のある場所に住んでいました。

こんなこと、ばれたら怒られてしまうかもしれませんが、俊太は桜の木の下に埋めました。

俊太がいなくなってからは、小鳥は飼っていません。

飼いたいけれど、何だか飼えなくなってしまいました。

それから、3ヶ月に一度くらいのペースで、「飼っている小鳥たちが死ぬ夢」を見るようになりました。

ゲージの中にたくさんの小鳥がおり、ガリガリに痩せ細っていて、一部はすでに息絶えている…という。

夢の中で私は、早く餌をあげなきゃ!水をあげなきゃ!と焦っているのです。

いまだに定期的にそんな夢を見てしまい、悲しいことに俊太を亡くした負い目がかなりあるのだと思います。

人懐っこい愛嬌のある姿で家族を癒してくれたセキセイインコ 過失で水死しさせてしまい後悔

私は以前セキセイインコを飼っていました、くちばしの上の部分が青かったのでオスだったと思います。

一羽だけしか飼えませんでしたから名前は特に必要ではありませんでしたから、ここでは便宜的に「トリ君」と呼ばせていただくことにします。

トリ君との出会いは、父が偶然外出中に見つけて保護し、家に連れ帰ったことから始まりました。

何処かの飼い鳥が逃げ出して家に戻ることが出来なくなったようでした。

トリ君はとても人懐っこく、見知らぬ家の見知らぬ私達に対しても全く警戒せず、昔からの関係であるかのように振る舞ってました。

取り敢えず食パンをちぎって与えましたが、喜んでついばんでいました。

よほど空腹だったのでしょう。

いちおう満腹になったと見えて、トリ君は親愛の情を示しすためか、順番に私達の肩に飛び乗り頬ずりをしてきたのです。

我が家ではそれ以前にジュウシマツを飼っていましたが、トリ君のように積極的に慣れるという仕種を見せませんでしたから、その愛嬌のある姿に家族全員が感激をしたのです。

それからはトリ君が家族の中心であるかのようになりましたね。

ジュウシマツ達はその当時の家へ転居する際に親しくしていた人達にかごごと譲っていましたので(表向きはペット禁止でしたので)、新品を購入するまで取り敢えずヒマラヤスギの鉢植えを寝床とさせていたのですが、トリ君はそこを気に入ったようで、が我が家として受け要られたようでした。

鳥類を屋内で放し飼いにする際に困るのは糞をまき散らすことですが、トリ君はきちんと鉢の土の部分の同じ場所で糞をしていましたのでそういう心配はせずに済みました。

家に戻るとトリ君が真っ先に迎えてくれるのはとても嬉しいことでした。

かごが設えられても家族が家にいる間は外へ出して、実に狭い空間でしたが自由気ままにその飛ぶ姿を飽きもせずに眺めている日々が続きました。

思い返すとトリ君にとって一番幸せな時期だったと言えるはずです。

ペットを飼っている人が必ず迎える悲しいできごとは、そう、愛する彼らとの別れの時です。

もちろん、トリ君も例外ではありませんでした。

その日は突然訪れたのです。

いつもは外へ出すと外出する家族の後ろをつけてくるのですがその日は別段そういうことをしなかったので、普段は家中の扉を閉めてから鍵をかけることをつい怠ってしまいました。

それがいけなかった。

私が家に戻るといつも出迎えてくれるトリ君の姿が何処にもなかったのです。

気になって広くもない家の中を探してみると風呂場の浴槽の中に浮かんでいました。

慌てて拾い上げてももう手遅れでした。

私は自分の失策を攻め続けました。

どうしていつものように全ての扉を閉めておかなかったのか。

自分の手で家のドアの鍵をかけるまでにそのことに気付くべきでした。

心の中で何度も詫びましたが、トリ君が動くことは二度とありませんでした。

私は帰って来る家族全員にトリ君が私の過失で命を落としいたことを告げて詫びました。

全員が愛嬌のあった彼の死を悲しみましたよ。

そしてトリ君を死なせた張本人である私の手で彼の亡骸を葬りに行きました。

父がトリ君と出会った場所が当時は大きな団地の森であり、そこへ葬るのが最も相応しいと判断して、太陽が沈んでから人目につかないように注意して移植ごてでトリ君を入れられるだけの穴を掘り、途中で手折った花を上下に乗せて葬りました。

最後の別れとして頬ずりをした瞬間、涙が止まりませんでした。

俺のせいでトリ君が死んでしまった。

その自責の念だけがしばらくの間この身から離れませんでした。

徐々に体力が落ちて死期が迫っていることを悟れるのならその覚悟を前以ってすることも出来るでしょう。

トリ君の死は突然でしたので、全く予想外でした。

トリ君の死を受け入れるまでしばらくの間我が家の空気が重く淀んでいたことを覚えています。

様々な別れの形があるでしょうが、私は自分なりに考えた形で彼を送りました。

そのことについては後悔はありませんが、生命を全うさせてあげられなかったことに胸が今でも痛みます。

トリ君ごめんなさい。

我が家の鳥かごが使われることはもうありません。

突然なくなった大好きだったカナリア 暖かでやわらかいなきがらは一生わすれることができない

子供のころ、ペットのカナリアが亡くなった体験談をお話しします。

レモンカナリアのピーちゃんは、羽の色がその名の通りレモン色で本当にきれいな鳥でした。

正確に言うと、ピーちゃんは兄のペットでした。

私のペットの小鳥は、茶色くてがさつで、あまりかわいいとは思えませんでした。

兄が私の誕生日プレゼントにと買ってきてくれた小鳥です。

見たこともない鳥で、種類を訪ねたら、兄は「ヘキ鳥」だと答えました。

文鳥、十姉妹、セキセイインコと我が家では歴代、数種類の小鳥を飼っていました。

それらと比べると、ヘキ鳥はあきらかに落ち着きがなく、人間が近づくと異常なまでに鳥カゴの中でバタバタと逃げ回ります。

ヘキ鳥のお世話は欠かさず行っていました。

エサや水を清潔なものに取り換え、フンをしたトレイの広告の紙を取り替え、トレイの水洗いも。

しかしながら、お世話をしていても、愛着がわかず、私は次第に兄のカナリアの方に心惹かれていきました。

カナリアのピーちゃんは私が付けた名前です。

兄は名前など付けません。

ピーちゃんはおとなしく、鳴き声も可愛らしかったです。

鳥カゴの端に寄ってきてくれ、懐いてくれるのです。

お顔や瞳も可愛らしく、じっと私を見つめてくれ、時には笑っているようにさえ見えました。

忙しい兄に代わって、ピーちゃんのお世話も私がしていました。

ピーちゃんはある日、突然亡くなりました。

理由はわかりません。

真夜中に息を引き取りました。

ピーちゃんを看取ったのは私だけです。

両親も兄たちも(兄は二人いるのですが、二人とも)ピーちゃんのことは、ほったらかしです。

私は手のひらの中で、横たわって動かないピーちゃんを何度もやさしくなでました。

今、こうして思い出すだけでも涙があふれて止まりません。

ピーちゃんの亡骸は自宅の庭の深い所に埋葬しました。

墓標も私が立てました。

我が家の裏山にはイタチがいて、十姉妹たちが被害を受けたことがあります。

隣家の猫がよくうちの庭に来ていたこともあり、決して掘り返されないように細心の注意を払いました。

突然亡くなったので、病気なのか何なのかわからなかったのですが、お水が汚れていたのかなとかエサにばい菌が入ったのかなとか、もっとこまめにお掃除をすればよかったのかなと子供心に後悔したのを覚えています。

もっともっとお世話をしてあげたかったです。

ピーちゃんが亡くなってからは、朝起きて学校に行くのもおっくうで、また下校してからも「ただいま、ピーちゃん」という楽しみもありません。

ショックを受け、寂しく思っているのは私だけで、両親も兄たちも全く悲しむ気配はありませんでした。

我が家は、お盆などは両親の里に帰省するので、家を留守にするため、犬や猫は飼うのはNGでした。

小鳥や魚はOKで、それも私ではなく、両親や兄が積極的に飼っていたにも関わらず、今にして思えば家族はあまり愛情をかけると言うか、かわいがっている風ではなかったなと思います。

ピーちゃんが亡くなってからは、小鳥を飼っていません。

ちなみにヘキ鳥はピーちゃんが亡くなる前に、お掃除の時に逃げて行ってしまって既にいませんでした。

手のひらの中の、ピーちゃんの軽くてやわらかくて暖かな亡骸は一生忘れることはできません。

ピーちゃんが天国では、鳥カゴの中ではなく、自由に羽ばたいている姿を想像すると少し気持ちが癒されるのです。

庭で見つけた飛ぶことのできない3匹のスズメの子 1月と少しで絶命してしまい、己の無力を思い知る

 私が小学校4年生の時のことです。

 私は自宅の庭の木の下にまだ飛ぶことができない雀の子を供三匹見つけました。

 雛というには大きくなりすぎていて、毛の色もしっかり茶色くなり、羽ばたけば空に飛んで行けそうな気さえしました。

 しかし飛ぶことはかないませんでした。

 成熟する少し手前で巣から落ちてしまったようです。

 庭には猫が侵入し、毎年のように蛇が出ます。

 彼らをエサとする生物ま我が家の庭にはたくさん出入りします。

 放っておけばまず食われると思い、私が保護しました。

 山にいけばミミズをすぐ捕獲できました。

 私はそれを火バサミで切断し、三匹の雀に食べさせました。

 ちゃんと食べてくれるところを見ると何とも嬉しい気持ちになりました。

 学校から返っては雀の世話をする日が続きました。

 その内に2話は一週間も立たずに死んでしまいました。

 やはり自然の中でないと暮らしていくのがむずかしいようです。

 しかし残った1匹は一月経過しても行きていました。

 ゆで卵を粉々にして上げると、喜んで食べていました。

 元気になってこのまま大空に帰ってくれたらどれだけ良いだろうと想っていました。

 
 死の前兆はありませんでした。

 ペットとして飼い始めてから1月と少しが経過したある日、最後の一羽も遂には絶命してしまいました。

 この時私は自分がいかに無力かを思い知りました。

 短い付き合いではありましたが、世話をした喜びと命を失った悲しみの記憶は今でも強く残っています。

 もしまた会えるなら、天国でくらいは大空を駆けている姿がみたいものです。

手術の2日後になくなった大好きだったセキセイインコ 思い出すのはつらいけど楽しかった思い出に感謝

別れはなんだってつらいけど、いきなり此の世から大好きな存在がいなくなってしまうことは
非常に苦しく悲しいものです。

わたしが小学校3年生のとき、セキセイインコをもらってくれる人を探していると母から聞き、
それまでインコなどの鳥類は別に好きでも嫌いでもなかったのですが、
せっかくもらえるなら育ててみようと思い、もらってきてと頼みました。

1匹だとおもったら、なんと5匹も赤ちゃんのセキセイインコがきました。

色もそれぞれ違くて、でも最初は見分けがつかなくて適当に名前を付けていました。

1か月後、寒すぎたのかなんなのかわかりませんが、段ボールで飼っていたセキセイインコが4匹亡くなってしまいました。

そのときもかなりショックだったのですが、でも残った1匹を大切に育てようと思い、毎日大事に育てました。

赤ちゃんから育てるとインコもかなりなついて、指をさしだすと手に乗って、飛んで頭の上に戻ってきてくれたり、すごくかわいらしいです。

わたしが歩くとあとをついてきて、いつのまにか、家族になっていた感じがしました。

2年がたち、かなり成長して小屋も新調したり、巣をつくってあげたり、これからもずっとずっと一緒にいるものだと思っていたのに、
病気になってしてしまい、大手術をしました。

本当に自分もパニックで医者になんて言ったのか覚えていません。

入院2日目に息を引き取りました。

おもいだすとつらいですが、すてきな思い出ばかりを与えてくれた彼に感謝して、
命日にはこれからも過ごした日々を思い出したいと思います。

庭で出会ったインコ 人懐っこく飼う事にケガだと思ってたら病気で半年後別れ セカンドオピニオンつけていればと後悔

私が一匹のインコと出会ったのは、私が高校生の頃です。

自宅の庭にインコが現れるようになったのです。

最初は気にしなかったのですが、ずっと自宅の庭にいるので、扉を開けるとそのまま入ってきたのです。

たぶん、飼われていたインコが逃げたのか、もしくは元の飼い主が飼えなくなり逃がしたのかもしれないです。

とても人間に慣れていたのです。

鳥は飼ったことがなかったので、躊躇しましたが、凄く人懐こいのと、少し怪我をしていたので、家族会議の後でそのインコを飼うことにしたのです。

もちろん、元の飼い主が探している可能性もあるので、しばらくは飼い主探しをしていたのですが、現れなかったので私の自宅で飼うことになります。

飼う前から怪我をしていたインコです。

すぐに動物病院へ連れていったのですが、怪我でなく病院であることが判明します。

詳しい病名は忘れましたが、鳥がよくかかる病気で根本的な治療はなく、悪化すると死に至る可能性があるとは伝えられていたのです。

その不安は、飼い始めてたから半年すると出てきます。

自宅内を飛べていたのが、飛べなくなります。

食事の量も日に日に減っていきます。

鳥が食事をしなくなると危機です。

なんとか食べやすいように工夫をしましたが、どんどん弱体していきます。

ほぼ動けなくなるようになってからは、週に1度は動物病院へ通っていたましたが、獣医からは生き残れる可能性が少なかったのかあまり相手にされず悲しい思いをしたのを覚えています。

半年と半月が経った頃、そのインコは亡くなります。

出来ることはやった気でいましたが、もっと他の動物病院へもセカンドオピニオンで連れていくべきだったと今では後悔しています。

我が家を選んでくれたのかは不明ですが、何か縁があり、我が家で住むことを選んだインコです。

私達家族にすぐに懐いてくれましたし、癒しの存在です。

同じく悲しみにくれている人がいれば、ずっと悲しんでいるのはペットも悲しむと思います。

もう飼うのが苦しいのであれば、ボランティアでも良いので鳥と関われることをすれば気持ちが救われます。

私も今は時間があれば、たまに犬猫以外で保護されたペットのシェルターへ行って支援をしています。

野良猫に襲われなくなった文鳥 自らの不注意に後悔 しばらくは猫嫌いに

小学生の時に、親の知人から、鳥を飼わないか、と言われ、譲り受けました。

文鳥の4匹で、小さくてとても可愛かったです。

最初は突かれたり、なかなか慣れませんでしたが、しばらくすると、手から餌を食べてくれたり、手の平に乗せるとジッとしたままいてくれたり、だんだんとスキンシップ、触れ合いが出来るようになっていきました。

小学生の時に住んでいた家は、周りに野良猫が多く、天気の良い日は、鳥かごを外に出すのも注意をはらっていました。

でもあの日、親も外出していて、私も友人と遊びに出掛けてしまい、外に出したままの鳥かごを忘れてしまっていました。

自宅に帰ると、ベランダに鳥かご落ち、羽がたくさん落ちていました。

何より私が驚愕したのが、4匹の鳥は全部居なくなっていたのですが、2匹の頭部だけ、かごの中にあった事でした。

近くに猫の気配がありました。

わたしはあまりの衝撃とショック、きちんと鳥かごを家の中にいれないで出掛けてしまった事、後悔と申し訳ない気持ちで、しばらく立ち直る事が出来ませんでした。

しばらくは、猫も大嫌いでした。

動物は好きなので、今は猫も可愛く感じ、好きですが、やはり、ペットショップで文鳥を見ると、昔の記憶が呼び起こされ辛くなります。

鳥や犬など、飼いたくなりますが、飼う上で、きちんと責任を持って飼えるかを自問自答し、いい加減な気持ちでは飼えないと思い、躊躇してしまいます。

いつか、きちんと心構えができたら、飼いたいと思っています。

天寿をまっとうしたセキセイインコ 悲しみはなく生きる勇気を残してくれた

私は今までの人生で合計8羽のセキセイインコを飼いました。

きっかけは確か20代前半だったと思います。

母が急に「インコを買いに行こう!」と言いだし、私は「お父さんが怒るんじゃない?」と言いましたが、母はなぜか強気で「お父さんが好きになる子を買ってくればいい」と言うので、ついていきました。

小さな小鳥専門店へ行くと、手乗りに出来る時期の雛は3羽しか残っていませんでした。

赤目種の黄色と白がつがいで1羽ずつ。

ノーマル種で全身が緑に頬毛が綺麗な青をして、黒い縞の入った子が1羽でした。

結果的に3羽全てを購入し、ケージも三つ買って、大荷物になってしまいました。

家に帰ると早速部屋を閉め切って、放鳥タイム。

怖がって出てこないので、自力で出てくるまで待っていました。

真っ白な赤目種の雄は「白ちゃん」
ベルベットのようなきれいな黄色の羽の赤目種の雌は「ぴーちゃん」
ノーマル種の緑の雄は「がおちゃん」と名付けて、早速お世話に忙しい毎日が始まりました。

この中で一番長生きしたのが「白ちゃん」。

姉が溺愛し「白にゃぁ」と呼んでいたので、自分のことを「白にゃぁ」と言うようになっていました。

白は、怖がりなのに一番人間に慣れてくれて、トウモロコシやイチゴやキウイを食べていると寄ってきて、もらいに来ます。

よくしゃべり、よく動き、よく遊びました。

肩に乗せると、私のまつげを毛づくろいしてくれたり、時には一緒に眠ってしまって、私の寝返りで潰しそうになったこともありました。

白ちゃんとぴーちゃんの間に3羽の子供が生まれことで、ぴーちゃんはエネルギーを使い果たしたのか、一足先に旅立ってしまいました。

その時の白の様子が見ていてとても辛かったです。

いつも一緒の木の枝にとまり、仲良く羽繕いをしていたのに、一番下の新聞紙の上で身動きをしなくなったぴーちゃんを何度もつつきながら、どうしたの?とでも言うように、聞いたことのない鳴き声を一日中あげていました。

臆病で寂しがり屋の白は、ぴーちゃんが先に亡くなったことで長くないと家族全員が思っていましたが、セキセイインコの寿命が最長でも10年くらいと言われている中、13年生きて寿命を全うしてくれました。

不思議なもので、インコは人間のように年をとります。

誰よりも曲芸のような動きが得意だった白が、段々と上の木に登れなくなり一番下の新聞紙の上を走って過ごすようになり・・・
眉毛かまつげにあたる部分の毛が長くなっていったり・・・
換羽期に羽が抜けても新しい羽根が生えなくなったり・・・
睡眠時間がどんどん伸びて最後は一日のほとんどを寝て過ごしていました。

私は白が天寿を全うした時、悲しくはありませんでした。

精一杯その命を生きて私たち家族に元気と癒しと笑いを与えてくれました。

私も白のように一生懸命に生ききりたいと思っています。

アニメに夢中でなくしてしまったインコ 同じ季節がやってくると切ない気持ちに 大切な教訓に

小学3,4年生の頃だったと思います。

近所に住んでいた親戚のおじさんから、インコを1羽譲り受けました。

親戚のおじさんは、ペットショップの仲介という珍しい仕事をしていたので、自宅では血統書付の
猫や、小学校にあるような大きな檻にインコやオウムを数羽飼っていたりしていました。

その1羽をもらったと記憶しています。

そのインコは、「ピイ」という名前を付けました。

玄関先の軒裏に金具を親が取りつけてくれて、そこに50センチ四方のかごをぶら下げていました。

かごは朝方に自分で金物にかけて、夕方の暗くなる時間にその金物からおりを外し、屋内にとりいれて
いました。

当時夕方には面白いアニメが30分おきに放映されているという、子供にとってはゴールデンタイムで
あって、アニメの合間や、CMの間に外に出てかごを取り入れるのが日常になっていました。

秋から冬になる頃でした。

いつも通り夕方になるとアニメを観るために、ソファに座り、お菓子を食べながらアニメに集中して
いました。

母親から、「ぴいをそろそろ中に入れてあげて」と言われても、「まだ、早いよ」と返答し、
日が短くなって、すぐ暗くなることは分かっていても、アニメの区切りがつくまでその場から
離れたくありませんでした。

没頭していたアニメが終了し、窓から外をみるともう真っ暗でした。

いけないいけないと思いながら、玄関を出ると、ピイのいるかごの上に1匹の猫がかごの隙間に
手を入れていました。

「こら!」と言った声で猫は逃げていき、私はすぐにかごを下しました。

まさかまさかと、かごをみると、ぴいは、かごの底部に横たわっていました。

「お母さん!お母さん!」と声をかえ、その声に驚いたのか、母親もすぐにかけよってきました。

母親がかごの扉からピイを取り出すと、まだかすかに動いていました。

私は、混乱してしまって、母親に「すぐにお医者さんに連れていって!」と泣きながら叫んだこと
を今でも思い出します。

しかし、ピイはそのうちに動かなくなりました。

それからすぐに父親が仕事から帰ってきました。

泣きわめいている私を見て母親から事情を
聞いたと思います。

ピイを布で巻いて、かごの中に戻した私は父親と一緒にお風呂で話をしました。

その時はまだ泣き続けていて、話ながら涙が止まりませんでした。

大切なピイが襲われたこと、母親から何度も声をかけられたのに、アニメに
夢中でピイを中に入れることを後回しにしてしまったこと、もっとかわいがってやればよかった、
もっと遊んでやればよかった、など頭の中が混乱していました。

だんだん動かなくなるのを目の前で見たことは、衝撃的で今でも忘れることはありません。

秋から冬にかけて、日が沈むのが早くなるころ、ついこの間のように、あの時を思い出し、
とても切なくなります。

今は、教訓として、何にでも責任を持って命を大切にしていかなければならないと思っています。

私にも子供ができ、小学生になりました。

今では嫌いだった猫を子供の要望で飼うことになり、
猫が襲ったからとか思っていた自分を見つめ直し、全部自分の不注意だったんだなと、今の
猫をかわいがっています。

卵詰まりで亡くなったインコ 相棒は泣き叫んで探しまわる、その後新しい仔をお迎え

2017年の8月に、手乗りセキセイインコのメスを5年足らずの若さで、卵詰まりが原因で亡くしたことがあります。

前日には大好きなミカンを私の手から美味しそうに食べて、直前まで自分の名前をしゃべりながら元気に室内を飛び回っていたのにです。

ちょうど運悪く日曜日で病院がお休みだったので、ペットヒーターで室内をあったかくして自ら産んでくれることを願ったのにダメで、翌朝9時には病院に行き、すぐに診てもらって詰まった卵を取り出して縫ってもらったので一安心したのですが、帰り道のバスの中で一声あげて亡くなってしまい、体温が奪われて死後硬直が始まって冷たくなるインコを触り、泣きながらお墓を作って土に埋めた経験があります。

 卵詰まりは時間の経過と共に死亡率が高くなるメス特有の病気で、発症から約18時間程度で病院に行ったのにこの結果です。

排泄期間が奪われるため、腎不全を起こすそうです。

卵詰まりを気にしたインコが嘴でつついてしまうのを止められず、時間の経過と共に食欲不振になって元気がなくなり、翌朝は呼吸が荒いインコの症状の悪化を目前で見たのが今でも頭から離れないです。

平均寿命が8年と言われているだけショックも大きいです。

 残されたもう1羽のインコが数日間、泣き叫んで相棒を探す姿が可哀そうだったので、それから2か月後に新たなインコをお迎えしています。

インコの栄養剤のネクトンSも購入し、できるだけインコが長生きできるようにより配慮しています。

小学生の頃の桜文鳥との日々に関して

小鳥が好きだった僕は小学生の頃、自転車で30~40分ほど走るとそこには郊外のペットショップがあり、桜文鳥のヒナを買いました。しかし、勝手に飼ってしまったことに親は激怒。でもそんな母も父も鬼ではなく、動物は好きな方なので、家族の一員として育てることにしました。名前はハッピーと名付けました。
ハッピー手乗り文鳥なのに指を差し出してもつつくばかり、でも手のひらを見せるとそこに着地し、くるまって眠るのです。
そんな不器用さも愛くるしくて、ハッピーは大人になりました。
すっかり家族の一員として、朝早くにハッピーの鳴き声で起き、カゴを開けると勢いよく家の中を一周飛び回って、肩の上に落ち着く。それはもはや家族にとって習慣化していました。
そんな日々も終わりの日がやってきました。
ハッピーは突然の病気で、獣医にも何度も通いましたがダメでした。
獣医の方も「小さい身体でこの子はよく頑張ったよ」と声をかけてくれました。
僕はハッピーがいなくなった毎日を実感するのにとても時間がかかった。
じわじわとこみ上げてくる悲しみ、それでも自宅でくるまってるわけにもいかず、学校の授業中に突然流れ出す涙。
辛かった。
ペットの話、しかも小鳥のことなど周りの人からしたら然程大したことではない。共有し合える人もいない、静かに悲しみに耐える時間が辛かったです。
しかし、子供の頃のこの経験で学んだことは、より動物たちを大切にしようということです。
僕は今子供もいまして、子供達はペットを飼いたいと言っています。この想いは僕から子供にも引き継いで行こうと思います。

子供が動物アレルギーのため外で飼う事になったてんかんのダック 台風の日に庭の水たまりでなくなっていた 後悔が止まらない

約一年前の台風の日に、ダックは死んでしまいました。
その日はとても大きな台風がきており、風や雨がすさまじく家の中にいても怖いくらいでした。
普段、ダックは家の外で飼っていました。
台風の影響をうけないよう、屋外の大きな倉庫の中に小屋を移し、雨風をしのげるようにしました。
家の中に入れることも考えましたが、動物アレルギーの赤ちゃんがいるためあきらめました。
ダックはてんかんという病気を患っており、時々泡を吹いて倒れることがあります。
薬を飲ませ治療をしていましたが、治る見込みはないと言われていました。
子供が中々できず、辛い思いをして暮らしていた私をダックはいつも癒してくれていました。
子供ができるまでは、家の中で毎日一緒に暮らしていました。
何年もかかりやっと子供を授かったのですが、産まれた子供は動物アレルギーをもっており泣く泣くダックを外で飼い始めました。
今思えば後悔しかありません。
なぜてんかんを持っているダックを外に出してしまったのか。

台風の次の日、庭を見た私は息がとまるほどのショックをうけました。
倉庫の中にいたはずのダックが庭に倒れていたのです。
大きな水たまりの中にダックが沈んでいました。
なぜなぜどうしてこんなことに。
頭の中が真っ白になりダックの所へ走っていきました。
水たまりの中にいたダックは息をしていませんでした。

それからの事はよく覚えていません。
何日も何日もないて暮らしました。
ダックが死んでしまうなんて。
辛くて辛くて死にそうでした。

立ち直れない日が続きましたが、私が辛いときダックがいつも慰めてくれていたことを思い出しました。
私がこんなに泣いていてはダックが安心して天国に行くことができない、心配をかけてしまう。
死んでしまったダックに心配をかけたくない、安心して天国にいってほしいと強く思うようになりました。

大好きな飼い主が悲しんでいる姿はみたくないと思います。
たかがペットと思われるかもしれませんが、ペットを飼っている方からすると、家族が亡くなるのと同じくらい辛いのです。
すぐには立ち直れないと思いますが、大好きなペットは飼い主の幸せを願っていると思います。
笑って暮らすことが、ペットへの一番の供養になるのではないのでしょうか。