外に飛び出し亡くなった愛猫 今は受け入れられるが、毎日泣いていた
物心がついた頃から家に猫がいた私にとって、猫は家族と同じでした。
外に遊びに行ったまま、1日でも戻ってこない猫がいれば、奈落の底に突き落とされたような感覚で、心配で何も手がつかないほどでした。
家では多くの猫が生まれ、最大で6匹の猫がいた時期もあります。
多くの猫を出産から死まで見送りましたが、一番衝撃が大きかったのは、10年飼っていたシャムのチコの死でした。
チコは道路で車にはねられたのです。
私の一番のお気に入りの猫でした。
私が幼稚園生の時、オスのシャムがいたので、父がつがいのメスの子猫を買ってきました。
それがチコでした。
チコは生涯たくさんの子猫を産み、他所の人にあげたり、家で飼ったりしているうちに、常時4匹の猫を飼うようになっていましたが、私にとってのナンバーワンはいつもチコでした。
チコは私たち家族には従順で人懐っこいのですが、他所の人には警戒心を持って接するとても賢い猫でした。
両親が車で帰ってくると、お迎えに車の前に飛び出してくるほどで、歩いて帰ってくる私を見つけると、屋根の上から「ニャーニャー」と鳴いてお迎えしてくれていました。
授乳中の子猫が居る時は、外部に対して徹底的に警戒して、散歩中の犬に飛びかかる、勇敢な母猫でした。
そんなチコが、ある日家の近くの道路を横断中に跳ねられて、あっけなくこの世を去りました。
私が中学生の時のことでした。
ずっと一緒に育ったチコが「いなくなった」現実に、涙が止まらず、毎日涙で枕を濡らし、腫れぼったい目で登校していました。
勉強など手につきません。
頭の中はチコでいっぱいです。
2週間ほどそんな日が続いたでしょうか。
徐々に「チコがいない事に慣れ」てきて、いつしか涙を流さなくなりました。
猫を飼うことは、とても楽しく、まるで兄弟姉妹のような感覚です。
性格が良く、賢い猫ならなおさら愛おしいものです。
愛する家族がある日突然いなれば、誰しも闇の世界に入ったような感覚になるのでは無いでしょうか。
心の傷が癒えるまでは異なる時間軸に生きてるような感じです。
「もう一回チコに会いたい」
最後に見たチコの姿を思い出します。
「あの時、窓を開けて外に行かせてゴメンね」
と謝りたい。
チコ以外にも、多くの猫を飼い、見送ってきましたが、別れはいつも辛いものです。
とはいえ、あまりにも悲しむと自分自身が苦しくて、日常生活に支障が出てしまうので、感情をコントロールする術を身につけました。
悲しいのは事実ですが、日中は考えないようにするなどの工夫で乗り越えるようにしています。
猫がいなくなっても、自分の日常は続きますし、続けなければいけません。
私たち人間も、いつかは死ぬのだし、運命は各々違います。
それを受け入れてある意味割り切るようにすると、自分自身がとても楽になります。
今でも時々猫を飼うことがあります。
引っ越した飼い主に置いてけぼりにされた猫や、道で拾った迷子の子猫などです。
残念ながら、不慮の事故や高齢であまり長く続かず、その度に悲しい思いをしていますが、チコの時のように悲しみにくれる事はありません。
年をとったせいもあるだろうし、自分の子供の方が優先順位が高いせいもあるでしょう。
猫が私の気持ちに占める比重が、子供の頃よりも低いことは事実です。
でも、悲しくて、いつでもどこでも涙が出てしまう気持ちは、痛いほどわかります。
自分がそうでしたから。
悲しみが薄れるのに、どれほどの時間がかかるかは、人それぞれでしょう。
その人の状況にもよりますが、いつまでも泣いている事が悪いとは思えません。
例えば、20年間ペットと暮らす独居老人だったら、心の拠り所をなくすかもしれません。
兄弟同然で育ったペットが死んだら、体の一部をもぎ取られるような気持ちになるでしょう。
流す涙の数が多いほど、その猫を愛している証拠なのですから。