犬がなくなってペットロスになった体験談

目次

愛犬を亡くした悲しみは「他犬」が救ってくれました

 3年前に愛犬が亡くなりました。

生後2カ月で我が家にやって来て、19年間も一緒にいた文字通りの「家族」です。

人間にすれば100歳ですから大往生と言えると思いますし、お陰様で大きな病気をした事もなく、安らかな最期ではありました。

 私には兄弟姉妹がおらず、一人っ子ですからメスの愛犬は唯一の姉妹にような存在でした。

旅行に行く時も、友人に家に行く時も、いつも一緒で、雑種でしたが大人しく頭も良かったので、誰からも好かれましたし、人間の事が好き、と言うより殆ど自分の事を人間と思っていたような節もあります。

 亡くなる4カ月前位から、みりみる体力が衰えて行き、「散歩に行くよ」と言っても嬉しそうに尻尾は振るのですが、ヨロヨロとしか歩けず、抱っこして外に連れ出していました。

 いよいよ食事もできなくなり、獣医さんのところに連れて行きましたが、老衰に逆らう事はできず、3日後に息を引き取りました。

看取ったのは唯一の家族である私一人です。

 人間の身勝手な考え方を知ったのは、愛犬が亡くなった時でした。

職場に「3日間で良いにで休ませてほしい」とお願いしましたが、「家族の喪ではないでしょ」と言われました。

それまでは「可愛いですね」「本当に家族ですよね」と言ってくれていた人達も、それとこれは別と言った対応で寂しさが倍増でした。

 1週間経っても、2週間経っても、思い出すと涙が止まらず、仕事中でも一度、頭に浮かんでしまったら最後、号泣寸前で、どうにか持ち堪える日々だったのですが、私は、思い切って違う犬たちと触れ合う事を実践して心が晴れるようになりました。

 休みの日は、ちかくのドッグランに行き、仕事帰りはドッグカフェに立ち寄って。

自分の愛犬ではなくても多くの犬たちと触れ合う事で少しづつ癒されて行きました。

 全く違う犬であればこそ、別の形で人間に愛情をくれて慰めてくれるものです。

 「早く元気になってね」と言ってくれているようで、見ず知らずの赤の「他人?」いえ「他犬」で、愛犬ロスを乗り越えられたと思います。

17年経っても、まだ夢を見ます

もう、17年前の話です。

小学校の頃から、13年間飼っていたマルチーズ。

大事な家族でした。

もう、よぼよぼのおじいちゃんで、目も白内障で真っ白。

いつも寝てばかり。

歯もぬけて、ご飯もあまり食べられず、呼んでもあまり来なくなったので、見かけると悲しい気持ちになりました。

母はお仕事、私は大学で、家をあけることが多くなりました。

それでも、家に変えると、苦しいだろう身体で、玄関口までやってきてくれる、優しい子でした。

ある日、冷たくなっていました。

頭がおかしくなりそうでした。

私にとって、彼は紛れもなく、家族であり、弟だったのです。

吐いて、眠れない日が続きました。

お恥ずかしい話ですが、たえられなくなって、逃げ道を探し、喫煙をはじめるようになりました。

少し、自尊心が強くて、小さい体のくせに、怒ると喧嘩してきて。

でも、私が調子が悪いときはずっとなめて看病してくれていて、朝起こしに来てくれるような、そんな賢い子でした。

それがある日、いなくなったのです。

三ヶ月くらい、まともな精神状態ではなかったと思います。

しかし、他人にとっては、所詮他人の犬なんですよね。

自分の家族以外にはみんな大したことがないような対応を取られ。

唯一、心配してくれた友人の母親には今でも感謝しています。

もう、なくなって17年たちます。

ですが、一昨日、彼の夢を見ました。

一昨日だけではありません、一年のうちに、いまだに何度も何度も彼が夢に出るのです。

話しかけてくることもあります。

勝手な思いですが、今でも見守ってくれるのかなと、都合よく思っています。

今も、この文章をうちはじめて、涙がとまりません。

私の心に、ずっと彼「コロ」は、いてくれるのですね。

天国で、少しでも幸せになってほしいと、心から願っています。

足を悪くしてしまった愛犬

私が小学生の頃、愛犬が足を悪くして動き回ることができない状態で生活しながら死んでしまいました。

子供によくありがちで、私も最初の頃はよく散歩につれていったのですが、散歩の頻度も減ってしまっていた中、愛犬が足を悪くしてしまい歩けなくなってしまいました。

子供だった私は、犬と散歩するよりも友達と遊ぶ方がいいと思ってしまい友達との遊びを優先させてしまっていました。

私の親も自営業だったとはいえ両働きで、犬の世話あまりできている家ではありませんでした。

愛犬は足を悪くしてからは、ほとんど動き回ることができなくなってしまい、下半身を車いすのようなものに乗せてどうにか動くことはできても家の敷地の中だけで、とってもとっても辛かったのではないかと思ってしまいます。

そんな生活の中、愛犬は死んでしまいました。

両親の話では、歩けなかったことで体の機能が悪くなってしまい、死んでしまったと聞かされました。

私が小学校へ行っている間に死んでしまいました。

愛犬を看取ってあげることができませんでした。

またその時、足を悪くしたのも、何か犬にとって良くないものを食べさせてしまったのかもしれないと聞きました。

私は今でも思い出すと、もっと一緒に散歩すればよかった犬と遊んであげればよかったとと時々思い出し、後悔してしまいます。

当時の私は犬に対する知識も思いやりも全然足りなかったと思ってしまいます。

もっとちゃんと世話をすれば、もっと長生きしてくれたのではないかと思ってしまいます。

愛犬と暮らした8年間と辛すぎた突然の別れ

出会いは私が小学生の時でした。

母親に連れて行ってもらったペットショップで一目ぼれしたのがミニチュアダックスフント。

犬が大好きだった私はすぐに「欲しい!」と言いましたが、家族が犬をあまり好きではなかったことから反対されました。

3か月間、毎日家族に頼み込み何度もの家族会議の末、やっとのことで犬を飼ってもいいとお許しをもらいました。

数日後再びペットショップへ行き、ついに一番元気なミニチュアダックスフントを買ってもらいました。

帰り道、自分の腕の中にいる子犬とこれから一緒に暮らすなんて信じられない気持ちと幸せな気持ちでいっぱいだったことは今でも鮮明に覚えています。

見た目がチョコレート色だったことから「チョコ」と名付け可愛がりました。

でもチョコと一緒に暮らすと、散歩やエサやり、排せつの処理やケージの掃除など、お世話することがたくさん。

それでも大好きなこの子だから大変でもがんばれました。

家族もだんだんとチョコが好きになってきているのを子供ながらに感じていました。

春にはみんなでお花見に行ったり、夏には水浴びをさせに川に行ったり。

どんなことをさせたら喜んでくれるかな?と家族で計画するのも楽しみの一つでした。

そんな生活が8年続いたある日、高校生になった私が学校から自宅に帰宅したときでした。

母親に話があると言われリビングに行くとチョコがきれいに広げられたタオルの上で横たわっていました。

明らかに異様な雰囲気を感じ取った私は一瞬でチョコがもう動かないことを理解しました。

母親が震える声で車にひかれたことを伝えてくれました。

突然のことで言葉も出ませんでした。

冷たくなった体に触れ、涙が止まりませんでした。

昨日まで元気に遊んでいたのにどうしてこんなことになってしまったの?もう一緒に散歩することはできないの?明日から顔も見られないの?チョコがこの世界からいなくなるの・・・?いろんな感情がぐちゃぐちゃになって泣くことしかできませんでした。

これが夢だったらいいのにと何度思ったことか。

つらいお別れをして数日間は何も食べられない状態でした。

テレビを見てもどうしてこんなにみんな楽しそうなんだろうとボーっと考えていたように思います。

日常からチョコがいなくなったことでまさに抜け殻状態でした。

ほかの犬をみるとどうしてもつらい気持ちが増すのでテレビなどでペット特集などをするとすぐにチャンネルを変えていました。

数か月がたちだんだんつらい気持ちを乗り越えられるようになりました。

特にこれをしたから辛くなくなったというのはなく時間が癒してくれました。

これを書いている今でも思い出すと涙が出るので、一生チョコをなくした辛さは心のどこかにあるのだと思います。

でもチョコと暮らした8年間は宝物で幸せだったことに変わりはありません。

その日々を胸にこれからも生き続けたいと思います。

愛犬の死が、私に教えてくれたこと

今から10年ほど前、私は22歳の冬に愛犬を亡くす経験をしています。

トラくんという柴犬で、亡くなったときはおよそ15才でした。

トラくんと出会ったのは、保健所で里親募集のイベントに参加をしたときのことです。

まだ1才程度にも関わらず元の飼い主から捨てられ、それでも人懐っこいとても可愛い仔だったのを覚えています。

その健気さに胸を打たれ、当時小学校低学年だった私は必死に親に頼みました。

必ず最期まで面倒を看るからと、何度も約束したのも今では懐かしいです。

トラくんとは、本当に色々なところへ行きました。

家族旅行にも欠かさず連れて行きましたし、私の部活動の応援にも来てくれたことがあります。

実は私は学校での人間関係が上手くいっておらず、いじめを受けていた時期も何年かありました。

しかし帰宅するとトラくんがいる、その姿に何度癒やされたか分かりません。

沢山の思い出や感謝、亡くなるときにはそれらが一気に溢れてきた記憶があります。

様子がおかしくなったのは、亡くなるほんの2日前くらいからでした。

出会いからずっと室内で飼っていたのですが、あるときから突然家に入るのを拒むようになったのです。

何か家族を避けているような、変な感覚がしました。

そしてその変化からすぐのこと、トラくんは私が朝起きると玄関のところで横たわり動かなくなっていました。

息はしているのですが、全く家族の声にも反応をしません。

慌てて病院へ連れて行くと、もう衰弱していてあまり持たないだろうと言われました。

このときの困惑と悲しさは、今振り返っても苦しくて涙が出てきます。

昨日まで元気だったのにどうして、もしかしてずっと無理をしていたのか、そういった思考を繰り返しては何とか奇跡が起きないか願っていました。

とはいえ推定で15才、心のどこかでは理解していたのです。

寧ろよくここまで元気でいてくれた、私たち家族を笑顔にしてくれたと、諦めではないのですがありがとうという気持ちの方が大きかったかもしれません。

亡くなる直前には、大きな遠吠えを2回して何かを伝えようとしていました。

実は他の愛犬家の方から、犬は死ぬときに遠吠えをするよと以前に言われていたので、これがお別れの挨拶なのかなと感じたのです。

そうして翌日、トラくんは私が大学から帰宅すると亡くなっていました。

最期は母と妹に見守られながら、ゆっくりと呼吸が止まったそうです。

最期に立ち会えなかったこと、それはとても悲しかったです。

しかし安らかそうだったと聞いて、少しだけ良かったとも思いました。

うちに来て幸せだったのかな、それは現在でも思い返してしまいます。

トラくんが亡くなってからは、何か大きな心の支えを失ったようでした。

夢にも1週間ほど続けてトラくんが現れ、一緒に遊ぼうとすると遠くへ行くのです。

また、私は当時就職活動を行っていました。

愛犬を亡くして辛いなどというのは個人の事情でしかなく、就職試験の期限は待ってはくれません。

自分はしっかり社会人になれるのか、その不安も大きく圧し掛かってくるようになりました。

こんなときにトラくんがいてくれたらと、何度も写真を見ては思ったものです。

突然迫られた別れへの覚悟、そして別れ、気持ちの整理など到底つくはずもありませんでした。

これがペットロスなのかと、痛いほどに実感したように思います。

愛犬の他界から3ヶ月ほどが経った頃、忙しさも手伝ってようやく前を向けるようになりました。

こうなって初めて気が付いたのが、時間が経つことの重みです。

悲しみが癒えることは叶わなくても、上手に向き合って過ごせるようになった自分には驚きました。

時間の解決とは、きっとこういうことを言うのでしょうね。

あれからもう10年、すっかり私も良いおじさんになろうとしています。

ペットは以来1回も飼ってはおらず、今後もきっと飼うことはありません。

与えてくれるものの大きさの分だけ、失ったときの悲しみも大きいです。

トラくんは自身の命を通じて、私に大切なことを教えてくれました。

現在ペットロスで苦しんでいる皆さん、今は悲しくても必ず前を向ける日はやって来ます。

現在ペットを飼っている皆さん、いずれ必ず別れの日はやって来ます。

常に少し先の未来を想像しながら、後悔のない時間を過ごしてください。

トラくんは、今も天国で幸せに過ごせているでしょうか。

私が頑張ればきっと天国に届くと信じて、これからも一生懸命に生きていきたいです。

海に流されそうになった子犬の命をお預かりいたしました!

今からちょうど8年前の初夏でした。

柴犬のタロオスが亡くなったのは。

少し赤茶色でちょっと間抜けな家族の一員でした。

そこが超絶可愛かったんですけど。

寿命としては10数年生きたので長生きな方でしたが、その分家族として過ごしていた時間が長かったので亡くなった時の悲しみは相当深いものがありました。

今これを書きながらその頃のことが思い出されてしまい、正直胸が熱くなって涙が出てきそうになります。

さて、私がタロと出会った経緯は、こうです。

私の弟が幼い頃に友人から引き取ってきました。

じつはタロはたくさん生まれた中の一匹だったので、元の飼い主が多すぎて育てきれないとのこと、そのまま海に流されてバイバイしてしまう運命にあったのでした。

(非情な気もしますが)

丁度そんなときに元の飼い主さんが子犬を要らないか?と声をかけてくれたのがきっかけで我が家に来ることになったのでした。

そう、まだ目もあかないうちに段ボールに入れられて海にそのまま葬られそうになったんですよ。

たしかに、飼い主さんの立場になれば育てきれないし、責任を持てないならしょうがない面もあるなと同情する面もありますが。

その話を聞いたうちの弟は早速、何匹かいた子犬の中から一匹を選びタロとなずけました。

選んだ理由は単純だったそうです、尻尾の尾っぽの一部がタロだけ白かったそうです。

例えるなら書道の筆先という感じですかね。

この世にある命には必ず死があります。

死の瞬間に立ち会ったのは、私と父と母の3人でした。

実は、タロの具合が悪くなる前にちょっと3人で旅行をしようという計画が持ち上がっていました。

なぜそれが中止になったかというと、
母が「タロが具合悪そうで、万が一死んだら嫌だから、旅行はいつでも行けるから今回は家におろうや」といったからでした。

そんな母の直感はズバリ的中!数日中に急激に具合が悪くなってしまいました。

私たちは母の言ったとおりにしていたので後悔せずに済みました。

でも、最後の息を引き取るその時まで一緒にお別れができたのは本当に幸せでした。

タロをひとりぼっちで死なせなくて本当に良かったと心から思います。

タロありがとうね。

そしてさよなら。

愛犬の介護と私の後悔

二年ほど前に17年以上一緒に過ごしてきたミニチュアダックスフンドのジュリアが亡くなりました。

あと一か月も生きていれば、18歳の誕生日を迎えることができたのに・・・。

女の子でありながらも気が強い子でした。

『忠誠心がある犬』というよりはあたしについて来いと言わんばかりの気性でお留守番にも手こずり、不満も態度で示すような可愛げのない子でした。

若いころには出産も経験し、もし人間ならば、結構肝のすわった強い女だったんじゃないのかな、なんて思ったりもします。

私もジュリアも、あまりベタベタすることは好まず、もしかしたら猫なの?と思うほどあっさりした関係だったけれど、毎日を当たり前のように過ごしていました。

歳をとってくると、マニュアルでもあるみたいに寝てばかりいるようになり、節分の豆にも興味が無くなり、隠れて残飯を漁ることもしなくなりました。

更には、歩いてもつまずき、ご飯を食べたかも忘れ、狭い隙間に体を押し込め、自力で脱出できなくなりました。

皮肉な事に、老後になってからジュリアと私の心が通じ合うような関係になっていくのがはっきりと感じ取れました。

そういう経過を経て介護になり、一番大変だったのはトイレです。

一晩トイレを我慢できず一緒に寝ている布団に漏らしてしまうので、私の就寝前に外へ行き用を足してから寝ていましたが、毎日のことでイライラすることもありました。

楽しく話しかけながらの日ももちろんありますが、無言で事務的に用だけを済ませていたことがどうしても私の中でクローズアップされてしまいます。

面倒だと思いながらの私の行動が今でも私の大きな後悔となっています。

やれることはやったような気もするし、そこには確かに愛情もありました。

でも私はもっと優しさを持って、もっと何かができたのではないかと考えてしまうのです。

誰に話をしてもどんな風に慰めてもらっても自分の問題だとわかっています。

最後は目も衰えて見えてはいなかっただろうけど、夜空を見上げると、一緒に見た星空を思い出します。

ポロとの思い出 出会いから別れ

私は、中学生の時に、塾から帰って来るとシーズー犬のポロが居ました。

まだヨチヨチ歩きで赤ちゃんでした。

ポロは人なつこくて、寂しがり屋、無駄吠えもしませんでした。

また、防衛本能が低く、他の犬にも直ぐに近寄って行く割には、実はビビリで、虫などは怖がっていました。

また、プライドが高いのも見た目とのギャップが可愛かったです。

そんなポロですが、11歳の時から心臓を悪くします。

一度美容院兼お医者さんにカットして貰った際に、心臓に擬音がすると言われたのですが、それが始まりでした。

シーズーは心臓や耳の疾患が多い様です。

ポロが亡くなるまで、何度か発作で危ない時がありました。

苦しそうで、本当に辛かったです。

また心臓の発作は所構わず起きます。

いつそのまま亡くなってもおかしくない状況が2年近く続いていました。

発作が起きる度に、ポロは、食べ物を食べなくなります。

単純に食欲が無いというより、食べ物により発作が起きている、もしくは食べ物を口にするのが、怖くなっているのです。

ポロは元々は大食漢で大きかったのですが、痩せて行きました。

3日、4日と食べない日が続きました。

ポロからしたら、食べ物を口にして発作が起きるなら、食べずに、発作が起きず、一日でも生き延びたという気持ちが強かったのでしょう。

そんな時は、鼻にアイスを塗ってあげます。

すると、食欲の本能に火がつき、食べ物を口にします。

こんな日が続いていましたが、ある朝ポロは、机の下で隠れる様に亡くなっていました。

亡くなってから17年経ちますが、愛犬家だった実家は、ポロへの気持ちが強く、それ以来ペットは、いません。

しかし、今でも毎年思い出します。

辛かったですが、思い返すと楽しい事の方がずっと多かったです。

ポロに出会えてよかったです。

ドライブが好きだったゴン

7年前の春、13年一緒に過ごしてきたマルチーズのゴンが天国に旅立ちました。

ゴンとの出会いは学生の頃、下宿先の近くのペットショップ。

いつかは犬を飼いたいな、でもアパートだし無理だよな、と思いながら見ていたところ、店員さんの「抱っこしてみますか」の声で抱っこさせてもらったのがゴンでした。

初めて触る子犬の感触。

小さな命のはかなさ、温かさに触れて、もう離れることができなくなっていました。

貧乏学生には思い切った値段でしたが、夏休みの旅行に行こうと貯めていたお金でゴンをアパートに迎え入れました。

大家さんには内緒だったのですが、今思えばきっとばれていたんでしょうね。

ゴンが来てから生活は一変しました。

大学に行っている間も留守番をしているゴンのことが頭から離れず、講義と講義のちょっとした間にも様子を見に帰る毎日。

友人から付き合いが悪くなったと苦笑混じりに言われても、初めての子犬のお世話に必死でした。

大学を卒業し上京。

東京の外れでペット可のアパートを借りました。

休日には公園やドッグランで思い切り走らせたり、長期休暇の際はゴンと一緒に実家の新潟までドライブ。

車に乗ることが好きなゴンは、助手席のドアを開けると自分から飛び乗り、目的地までいつもおとなしくしてくれていました。

10歳の頃、すっかりおじいちゃん犬になり動きも少なくなったゴンに異変が見られました。

食事をあまりとらなくなり、食べても吐いてしまうことが続きました。

呼吸も苦しそうにゼイゼイとすることがあったのでかかりつけの獣医さんに見てもらったところ、心臓に異常が見つかりました。

先生曰く、今すぐ危険というわけではないものの激しい運動は禁止。

ゴンの好きなドッグランやドライブもだめとのことでした。

それからはほぼ家の中だけで過ごす穏やかな毎日でしたが、それもゆったりとした心地いい時間でした。

その日は突然やってきました。

診断から3年後の朝、私が起きたらゴンは冷たくなっていました。

目の前が真っ暗になり気を失ってしまうのではないかと思いました。

そこからの記憶はあまりありません。

病院に連絡し死亡の診断を受け、犬のお寺の連絡先を教えてもらい、火葬して頂いたことも全て夢の中の出来事のようでした。

ただどうしようもない現実、ゴンがいないという現実だけがはっきり突きつけられました。

ゴンが亡くなって以降、他の犬を一切見ることができなくなりました。

テレビのペット番組はすぐチャンネルを変え、散歩している犬からはできるだけ離れるようにしました。

しかし、ゴンの死から3年経ったある日。

突然何の前触れもなく、ゴンの死を受け入れることができました。

あまりに突然のことで自分がびっくりしました。

時間が解決してくれる、とはよく言われることですが、私にとってゴンの死を受け止めるには3年という時間が必要だったのでしょう。

ゴンの命日には毎年お墓参りに行っています。

お墓に一緒に収めたお気にいりのクッションで、ゴンは今日も楽しくどこかをドライブしていることでしょう。

辛いおもいから、逃げなくても良い

中学生の時に、友達が捨て犬を拾ったのですが、既に犬を飼っていたので親から飼えないと言われたようで、飼い主を探していました。

私は両親に相談をしたところ、父が犬が嫌いだったので予想通りNGが出ましたが、ずっと粘り、やっとOKが出ました。

私が散歩や餌やりをやることと、外で飼うことが条件でした。

父は飼ってからも犬嫌いは変わりませんでした。

私が熱があり母も忙しい時には、誰も散歩も餌やりもできません。

さすがにそんな時には私に変わって餌やりやぎこちない散歩をしてくれてはいました。

しかし、見ていると明らかに義務でやっているような感じで、終わったら逃げるように家の中に入ってしまいました。

そのうち、飼っていた犬は血便をするようになり、食欲も落ちていきました。

たまたま父の親友が獣医をやっていたので、その人に診てもらったところ、ガンを患っているとのことでした。

ガンはかなり進んでいるとのことで、早めに手術をしてもらうことになりました。

まだ飼って3年くらいでしたし、進行しているとはいえ、大丈夫だろう助かると思っていました。

しかし手術の2日前に、犬小屋で亡くなってしまったのです。

それを見つけたのは私ではなく、父でした。

その後、家族で犬にお別れをし、家の庭に埋めてあげることにしました。

その時に、みんな泣きましたが、一番泣いたのは父親でした。

自分の親の葬式でも泣くことはなかった父なので驚きました。

その後、私も母も「ペットとの死は辛いから、もう犬はかえないね」という話をしましたが、父からも「辛いから、もう飼わないでくれ」と強く懇願されていました。

それから数年、父はなんと、自ら知り合いの家で産まれた犬をもらってきたのです。

私も母も、もう辛いおもいをしたくないから、飼いたくないと大反対しましたが、押しきられて飼うことになりました。

それから10年以上たち、その犬は老衰で亡くなりました。

その時も辛くて、もう飼いたくないと思いました。

しかし、辛い辛いではなく、今まで過ごしてきた時間の大切さや、大事な思い出を大切にしてあげることが大事なのではないかと思いました。

辛さから逃げる必要はなく、辛い自分を認めてあげたら良いのかなと思います。

今、自分の都合でペットを捨てる人が多い中、最後まで一緒に過ごしてあげたこと自体、飼っていた犬は嬉しかっただろうと思いました。

幼い私に色々なこと教えてくれた愛犬マリとの悲しい別れ

今でも鮮明にマリとの記憶は、私の心の中に残っています。

マリは、真っ白いフサフサの毛をしたスピッツで、私が物心ついた頃には、いつも傍らにいました。

マリは、メスのおとなしい性格の犬で、父親が独身の頃からの相棒で、そのまま我が家のメンバーとして一緒に生活していました。

マリの小屋は、我が家の縁側のすぐそばの庭の中にありました。

田舎で育った私は、幼い頃から、マリと父親と一緒によく散歩に出かけました。

時々姉も同行し、自然に囲まれ環境で私は男の子の様に、マリと野原を駆け巡り、雑木林で遊び、小川をジャンプで飛び越えたりしながらマリとの生活を楽しんでいました。

幼い私をマリは、いつも見守ってくれて、危ない道や小川があると、私のことをいつも立ち止まって、見ていました。

インドア派の母親に帰宅して、マリのそんな様子を話すと、マリは自分より私が弱いから心配で見守ってくれているんだと母親は言っていました。

ほとんど吠えることがないマリが、決まって吠える時は、雑木林で蛇を見つけた時や、見知らぬ人が家を訪れた時でした。

マリにとって見知らぬ人でも、私たち家族がその人と、親しそうに話していると決して吠えることはありませんでした。

私は、そんな賢くて優しいマリが大好きでした。

私が7歳の頃、マリの体調に異変が出てきました。

元気だったマリは、好きだった散歩へ行くことさえ嫌がり、尻込みするようになりました。

そしてついに、食事の時でさえ、外へ出て来なくなってしまいました。

寒いのか、時々体が小刻みに震えていました。

明らかに体調が悪そうでしたが、動物病院もほとんどない時代でしたから、どうすることもできませんでした。

私たちは、ただマリを見守る事しかできませんでした。

いつも外で生活していたマリを、家の中で飼うことにしました。

それでも、マリは、やっぱり自分の家のほうが良かったのか、フラフラの体でも、外にある自分の小屋へとすぐに戻ってしまいます。

家族が心配していたことが起こってしまいました。

ある朝、父親がマリの様子を見に行ったら、すでにマリの体は冷たく、マリは自分の小屋で、私たちの目を避けるように、亡くなっていました。

私は、悲しすぎて朝から晩まで泣きました。

その日は日曜日でした。

涙がこんなにも出るものだと初めて知りました。

世の中にこんなに悲しいことがあるのだと、7歳の私は、気づかされました。

その時に、生きていてもいつか、死というものが訪れるのだと初めて感じ、今でも幼い頃に、悲しくて泣いていたその光景が脳裏に浮かんできます。

マリとの別れから40年以上が過ぎますが、マリを回想しながら、こうして文章を書いているだけで涙が出てきます。

もう一度マリに会いたくなりました。

フィラリア病に侵されていても生き続けた犬

中学2年生の夏でした。

休日、朝起きると玄関で飼い犬のももが倒れていました。

私は天国に行ってしまったと確認していないのに見た瞬間に悟りました。

飼い犬のももは私が生まれる前に祖母のところで飼っていた犬から生まれた子犬でした。

うちで引き取って育てていて子どものころからの友達のように又はもうひとりの親のように、ももは家族でした。

庭で飼っていたので居間の窓を開けるとももが顔を出して窓のふちに私が座ると足をペロペロ舐めてきたりして、すごくかわいかったです。

いつも学校から帰ってきたらももが吠えて出迎えてくれて、私だとわかるとしっぽを振って駆け寄ってきておかえりなさい。

と出迎えてくれるようでした。

でも、もうその夏から学校から帰ってきた私を出迎えてくれるももはいなくなりました。

面影を感じながら、寂しくガランとした庭を眺めてはもものことを思い出す日々が続きました。

今にも吠えて近くによってきているような感覚になります。

ももの様子がおかしくなったのはその年の1月頃でした。

散歩をしていると急にももの足がカクっとなり、すぐに持ち直しましたが、歩きにくそうにしていました。

ちょっと躓いたのかなと思っていると少し歩くとまた、カクっとなったので不思議に思い病院に親と一緒に連れていきました。

獣医さんに診てもらうとフィラリア病だと言われました。

蚊やダニノミに刺された犬に血液から寄生虫が侵入する病気です。

その寄生虫が心臓にたくさんまとわり付いていて、獣医からはもう死んでいてもおかしくないと言われ、ショックを受けました。

それから週に1回の点滴をしながら、自宅で療養していました。

次第にももは歩けなくなり、そのストレスから夜中に吠え続けることがしばしばありました。

そして夏に天国へ旅立ちました。

もちろん覚悟はしていましたが、家族全員悲しみにくれ、その場から動こうとはしませんでした。

もう少し早く病院に連れて行ったり、予防注射をしたりしておけばよかったと後悔しております。

ももにはよく頑張ったね。

ありがとうと声をかけて埋葬しました。

5年経った今でも写真に手を合わせています

5年前の3月愛犬の「ぷー」を亡くしました。

ぷーは嫁が連れて来た犬で、結婚する前から遊んでいました。

小さい頃から知っていたので家族同然で、自分にも馴染んでいましたし、ぷーの世話は自分が担当していました。

5年前の3月仕事中、職場に嫁から電話があり、突然ぷーが死んだと聞かされました。

一瞬何が何だかわからなく、頭の中が真っ白になったのを覚えています。

職場のスタッフにお願いして早退させてもらい家に直行しました。

そこには箱に横たわったぷーが眠っていました。

人前で泣いたのは何年振りかわかりません。

嫁から聞かされた話ですが、獣医さんいわくお腹に腫瘍があったらしく、病院に着いた時は手遅れだったらしいです。

自分はその日仕事に行く時、家に誰もいなく、ぷーがイタズラしないように洗面所のなかに閉じ込めて家を出ました。

少し嫌そうな顔で見送ってくれましたが、
それがぷーとの最後になるなんて思いもしなかったです。

その当時まだ娘も小さかったのであまり記憶がないらしく、たまに「ぷーどこ行ったの?」、「ぷーはもう帰って来ないような気がする」などと言われるとものすごく辛いです。

もういないぷーを今でも家族として娘が認識してくれている事は大変嬉しいですが、同時にぷーがいない寂しさを痛感します。

思い返せば、面倒くさくて散歩に行くのをサボってしまったり、トイレに連れて行くのを渋ったり、もっと遊んであげれば良かったなど、後悔する事が多々あります。

葬式の時、ぷーの小さい時の写真を見て、それまでの思い出が走馬灯の様に蘇って娘の前なのにも関わらず泣いた事を覚えてます。

家族を失うと悲しみが消える事は無いと思いますが、それでも写真に手を合わせてその日の報告をするとぷーが身近に感じます。

突然の愛犬の死亡連絡に勤務中なのに号泣してしまい

幼犬から家に来て、10歳までずっと一緒だった愛犬の突然の死亡連絡が来たのは仕事中でした。

社会人1年目、東京へ上京して仕事をしていた私へ、日中なのに母から連絡が入りました。

なんだろう?と思い電話をとると、そこには泣いている母が・・・

どうしたの?何があったの?と言ってもごめんなさい、ごめんなさいと謝ってばかりで、一向に理由を言ってくれる気配もなく、仕事中の私はまた夜に掛けなおすと伝えて切ろうとしたら、愛犬が亡くなったとポツリと言って切られてしまいました。

それだけ聞いた私は、勤務中なのに号泣してしまい暫く席に戻れませんでした。

残業をしない様に必死で終わらせ、母へ連絡をしてやっと聞き出せた内容は、交通事故死でした。

元々とってもやんちゃで、たまに脱走をしてしまう愛犬でした。

それでも、逃げ出してもその日のうちに帰ってくるので、母も見つけに行かなかったそうです。

事故にあう2日前に脱走して、珍しく帰って来なかったそうです。

次の日にも帰ってこなくて、心配した母が探しに行き、近所の人に見かけた情報を聞いたりして探していたら、遠くでブレーキの音が
聞こえたそうです。

あんなに急に止まって、危ないな。

そう思って、その付近まできた時に何かが倒れているのに気付いたそうです。

まさか・・・動物が引かれた!?と内心思った母は引き返そうと
思ったそうです。

でも、なんだか行かなくてはいけない衝動にかられたそうです。

近づいたら・・・そこに横たわっていたのは愛犬でした。

母は早く探しに行かなかった事を今でも後悔しています。

いつもの事・・・そう思い込むのもどんな理由でも止めようとも
思ったそうです。

私もそれ以来いつもの事、どうせ等決めつける事をしないように
心がけています。

まだ生きれた命、決めつけなければ寿命を全う出来たと思うと
いつまでも心が痛みます。

そう母が話すたびに、私もとても哀しくなります。

帰省するまでがんばって生きていてくれた愛犬との最高の10年間の思い出

高校生になってすぐ友達の近所に子犬が産まれ欲しい人を探しているとのことで、親に許可をもらい、茶色の柴犬オスを貰いました。

一度、小学生のころまでうちには犬がいたので買い方や、小屋などはありましたが、新しい家族が出来てみんな喜んでいました、子犬のころは本当に可愛いですし、みんなで取り合いでした。

段々と、成長し大人になり賢くなり、もう家族の一員でアイドルでした

ちょうど日韓のワールドカップの前だったので、サッカー少年だった自分は、ベッカムとなづけました。

最初は全く覚えてもらえない名前も、ワールドカップでベッカムブームが来ると、みんなにすぐ覚えてもらえました。

一緒に散歩したり、遊んだり毎日の癒しでした。

大学までは実家から通っていたので毎日の見送りはしてくれました。

大学を卒業すると、一人暮らしを始め、実家から離れるのでベッカムとはお別れになりました、この時は本当に寂しかったです。

月に一度は帰るように心掛けて、帰るたびに沢山遊んであげましたが、だんだん、自分が帰るのがわかるとなかなか、離れず帰してもらえませんでした。

だんだん、ベッカムも年を取り、老犬になってきていました。

昔のような元気はなく、落ち着いているというか、ゆっくりな行動になっていました。

調子もだんだん悪くなっていてでも会えば元気にしっぽを振って寄ってきてくれます。

10歳になったくらいには、もう散歩もいけないくらい弱っていて、自分が実家に帰るときまでは、頑張って生きてくれましたが、みんなで夕ご飯を食べた後、外に飛び出して、そのまま舌を出してなくなっていました。

急にだったので信じられなかったですが、自分が帰ってくる日まで一生懸命生きてくれて、最後に遊べて家族と一緒にご飯を食べてから旅立ちました。

本当に悲しかったです。

いつかこの日が来るというのはわかってはいましたが、現実は認められません。

それ以来、ペットは飼っていません。

一緒にいる時間は最高のパートナーですが、別れは辛すぎます。

大切な命ですので、また次に飼うときは最高の愛情を与えたいです。

愛犬と過ごした3年間はかけがえのない思い出 10年経っても後悔や悲しみが

小学校1年生の時、母親の再婚で引っ越した時のことです。

引っ越し先で初めてゴールデンレトリバーの「タロー」に出会いました。

今までマンション住まいでペットとの生活に縁がなかったこともあり、これからのタローとの生活に胸をときめかせていたのを覚えています。

それからは学校終わりに散歩に連れて行ったりもしました。

 毎年夏休みには母方の実家に数日間行くことになっていたので、小学校4年のその夏もいつものように数日間家を空けました(父と父方の祖母は家に残っていました)。

楽しい時を過ごし、家に帰ると父がどことなく悲しそうな表情でこちらを見てきました
 「タローが今朝死んだ」
 私は父が何を言っているのかわかりませんでした。

始めて会ってからまだ3年しかたっていません。

これからもっと仲を深めていきたいと思っていたのに。

最後の方は散歩もめんどくさがって散歩も毎日連れて行ってあげていません。

タローのことをいろいろ考えているといろいろなことが頭に浮かんできます。

そういえばタローが何歳なのかもわかっていません。

私はタローのことをわかっているつもりで何もわかっていませんでした。

今、思い返しても胸が締め付けられる思いがします。

しかし、私以上に長い時を過ごしてきた父の悲しみに比べたら、まだまマシだったかもしれません。

 ペットの死は確かにつらいです。

十年以上たった今でも思い返しても後悔や悲しみが出てきます。

しかし、命の大切さを学び、優しさを知るといった体験ができるのも事実です。

ペットとの生活は楽しいです。

タローと過ごした約3年は僕のかけがえのない思い出としていつまでも残り続けるでしょう。

愛犬が亡くなって1年後夫の説得で納骨したがいまではよかったと思う

うちにやって来た子・・茶色と白の毛のコントラストがはっきりしたシーズー犬でした。

「アトム」と名ずけました。

産まれて40日・・共働きでしたので、日中一人にさせておくのが心配で、仕事が終わるとタクシーで帰っていました。

(笑)

アトムが来てすぐ、私は長男を妊娠していることがわかりました。

アトムが連れて来てくれたのかな・・5年できなかったのに。

産まれて来た長男の横には、いつもアトムがいました。

たまに、息子に「俺が兄貴だぜ!」と言わんばかりに、おしっこをかけられたこともありました。

長男と一緒に育って来たアトム。

食いしん坊で、目を離したすきに息子のメロンパンを全部(5個)食べちゃって、知らん顔。

みんなの食べているものも「僕にもちょうだい・・」と、瞳をウルウルさせる・・。

その瞳が可愛いくて、可愛くて・・。

大人になったアトムは、まさに我が家の「ご長男」様。

いつの間にか、弟は2人に・・。

その頃から、たまに痙攣をして苦しむことが多くなって来ました。

病院では、少し心臓が弱っているかな・・とのこと。

まさか、そんなに早くお別れが近かったなんて思っていませんでした。

11月の初め・・「しまった!寝坊した!」と寝室のドアを開けてリビングに飛び出しました。

いつになく寒い朝・・。

床に横たわるアトムをひょいと飛び越えました。

「あれ?」

朝、リビングに出ると自分の寝床から飛び出して「ママ」ってくるのに今日は・・。

冷たい床に横たわり、動かない・・。

「アトム」「アトム」と、二回呼んでみました。

が、その体はピクリとも動かず、目は空を見つめています。

一瞬、「ぬいぐるみ?」と、思うくらい不自然な光景。

私は、足元から何かが這い上がってくる感触を覚えました。

そこから動けず夫を呼びました。

横たわっているアトムのそばによることができないのです。

「死んでるんでないか?」夫は冷静に一言・・。

気が動転していてその後のことがあまり思い出せないのですが・・。

病院に電話をした時、先生が「もう死後硬直してるんだよね?助けられないわ・・」と、言われたことだけ鮮明に覚えています。

心臓発作のようでした。

多分、苦しくて吐いて、私たちの寝室の前まできて、生き絶えた感じでした。

ごめんね、苦しかったのに一緒にいてあげれなかった、ママを探した?ママ、このドア開けて!って、思った?こんな形でのお別れしかできなかったの?と、私は悲しくて仕方がありませんでした。

その日は、仕事をどうしても休めず出勤しました。

バスタオルにくるんでおいて来たアトムが、帰ったら生き返っているんじゃないか、「ママ、脅かしてごめんね」と、飛びついてくるんじゃないかと帰りましたが、そんなことはなかったんですね・・。

半分開いた目は、何度閉じようとしても閉じませんでした。

翌日、動物霊苑で火葬してもらい小さくなったアトムをうちに連れて帰りました。

何日も眠れない日が続き、何も手につかなくなりしばらくは、義理の母が家事をしに来てくれていました。

1年後、夫の説得もあり泣く泣く納骨をしましたがいまでは納骨してよかった・・と、思います。

けじめがついた感じがして、少しづつアトムとの日々も振り返ることができるようになりました。

来年春、アトムが亡くなった時2歳だった下の息子が、家を出ます。

そろそろいいかな・・アトムの次の子を迎えるのには。

そんなことも思えるこの頃になりました。

アトム、そちらでは幸せに暮らしてる?

そろそろ、ママのお話相手に誰か迎えようと思うんだ・・
いいよね?
「うん、そうだね」と、言ってね。

遠距離恋愛の彼女に振られた日に愛犬も亡くなった 大事な物は失ってから気付く

小学生4年生の時に飼い始めたペットの犬が死んだときは今までで一番悲しい出来事でした。

その犬を飼うまでに、雨の日に子犬が紛れ込んできたこともあり、その時に飼うことを親から許して貰えなかったりと悔しい出来事があったりと犬を飼いたくて仕方がなかったです。

待望のその犬は、親戚から譲ってもらった犬で、白と茶色の混ざった柴犬みたいな感じの雑種で、耳のところが茶色でパンダみたいな感じだったので、パンダという名前にしようと姉が提案しましたが、最終的にアニメからとってペスという名前になりました。

飼い始めてからは一緒に遊ぶのが楽しくて、毎日遊んだり、一緒に昼寝をしたりと、いつも一緒に過ごしていましたが、大学受験などで忙しくなったり、彼女が出来て夢中になったりと、だんだん相手をすることが少なくなりました。

そして、22才の時に朝起きたら死んでいました。

前の晩の夜中に吠えたり、鳴いたりということがなく、夜中は気気づかなかったですが、苦しんだような顔をして死んでいたので、一人で苦しんでいたと思います。

少し前から苦しそうな咳っぽいことをしていたので、喉が悪かったと思います。

散歩の時に、ものすごく引っ張っていたので、それが原因だと思います。

その後動物霊園に行き火葬してもらいました。

いなくなってから、大事さに気付くということはよく聞きますが、本当のことだと思いました。

生きていた時は、他のことに忙しくて、興味があまりもてなくなり、相手をすることが少なくなっていたので、もっと一緒に遊んだり散歩したりすれば良かったと後悔しました。

同じ日に遠距離恋愛をしていた彼女から振られるということもありました。

原因は忙しくて相手をできていなかったことだと思います。

大事なものを二つ同時に失って、やる気も気力もなくなり、とても悲しかったです。

それからは同じような過ちをしないように、ペットを飼うのをためらっています。

帰省を待っていたかのような愛犬の死 12年経っても涙ぐむ

 高校生のころ、母親が外で空き地から子犬を拾ってきた。

空き地で段ボールから出たり入ってりしていたようです。

可哀そうで連れてきたとのことでした。

うっしーと名前をつけ、家で飼うことになりました。

うっしーは目がクリっとして、可愛い雌の犬でした。

何となく、日々の生活がつまらなく、イライラすることが多かった僕は、うっしーに癒されるようになっていきました。

姉が二人いましたが、何となく妹ができたみたいで、可愛がりました。

 5人家族でしたが、うっしーは愛嬌があり、皆に可愛がられ、家族の一員となっていきました。

うっしーは朝方3時や5時に僕を起こし、散歩に連れていけとよくせがみました。

僕は眠いながらもうっしーに頼まれては、連れて行かないわけにいかず、ぼんやりと朝方の散歩をしていました。

手はかかりましたが、それがまた愛おしく思いました。

 僕は、大学進学の関係で、地元を離れ、別の地で生活していました。

実家に帰るときはいつもうっしーに会えるのを楽しみにしていました。

 離れていて暫くぶりに会ううっしーは、次第に年をとったと思わせるようになっていきました。

 大学が忙しく、しばらくうっしーに合わない日が続きました。

 国家試験の勉強のため、実家に戻ったとき、うっしーは尻尾を振って近づいてきました。

僕は何となく、違和感を覚えました。

生気がなく、よろよろしている感じがして心配になりました。

呼吸も荒い感じがしていました。

帰省して直ぐに散歩に連れて行きましたが、呼吸が荒く、直ぐに家に戻らせようとしました。

家に戻ろうとしたとき、なんとなく寂しい表情を浮かべていました。

 その日の夕方から更に呼吸状態が悪くなり、横たわっているうっしーを見て、母親と二人で動物病院に連れて行きました。

うっしーはそのまま他界しました。

 自分も悲しみでいっぱいでしたが、家族を失った母親の狼狽ぶりが凄く、自分はしっかりしなければと思いました。

 あと一日自分の帰省が遅ければ、うっしーの最後にも立ち会えなかったと思うと、うっしーは僕を待っていたんだなと思いました。

 あれから12年くらい経ちますが、未だにうっしーのことを思い出し、涙ぐむことがあります。

 自分の心を成長させてくれ、家族を繋げてくれたうっしーに感謝しています。

 

連休に心臓の発作を起こした愛犬 それいらいGWがキライになった

去年の春に、愛犬のビーグルを亡くしました。

その年の4月には「太っている以外は悪いところもない。

長生きしますよ」といわれた16歳、もうとっくに高齢犬でしたがすぐに別れることになるとは思っていませんでした。

6歳でやってきた譲渡犬で、名前はアリスとつけました。

ビーグル特有のコントラストの強い先の白い尾は、イングランドでウサギ狩りをやっていた先祖からのトレードマークだったので、不思議のアリスを連想し、そんな名前を選びました。

一度動物管理センターまで入った経験があるため、本当になつくまでおよそ1年はかかりました。

でも仲良しになってからは、一緒に散歩し、よく食べ、キッチンでいたずらし、私のベッドで文字通り大の字になって寝息をたてて寝ました。

14歳になった頃、頚椎ヘルニア、関節炎と、シニアらしく衰えはありましたが、耳をパタパタさせてはしゃぐさまは子犬そのもので可愛かったです。

最後の年、外耳炎を起こして病院通いをしたら、もう病院は嫌だと車に乗ろうとしなくなりました。

それでも何とか治療を終え、ワクチンも済んだゴールデンウィークに、異変が起きました。

多少、食べ過ぎて吐くということはたまにあるので、初めはそんなに深刻に思わず、好きな缶詰やチキンを買い与えて、これを喜んで食べるので心配しませんでした。

けれども、連休に入るなり食欲がダウンしました。

私が仕事から帰り、アリス、ただいまーと声をかけると、いつものように転がってべったりくっついて甘えました。

でも散歩に行く元気もなく、水を飲んでは吐いてしまうのです。

連休中でかかりつけの病院は休診ですが、明日は月曜だから朝一番に連れて行く、嫌がるだろうけどやむをえない、ということになりました。

そうして間に合いませんでした。

朝方、けふっと咳き込んだのが最後でした。

後日、ドクターに聞いたところでは、これは心臓の弁が急に異常を起こしたのでしょうとのことでした。

翌日病院から花が届き、これを見たときにアリスを亡くしたことが急にリアルに迫ってきて、雨が降って濡れてもどうでもいいという感じになり、地下鉄に乗ろうとして吐きそうになりました。

アリスにかまう時間が減ったのに部屋も庭も散らかり放題で暗くなりました。

その庭に、なぜか見たこともない猫がいれかわり立ちかわり訪れるようになり、アリスが様子を見るようにいいつけたに違いない、とふと考えるようになって、少しずつ気分が落ち着いていきました。

アリスは人間で言えば93歳の大往生です。

けれどもその悲しみは乗り越えることはできないし、無理に乗り越えなくてよいと思います。

ゴールデンウィークは今も大嫌いです。

ただ、一緒に過ごした時間を微笑とともに、あるいは涙とともに思い出すとき、硬くなった心がほどけていくのは感じます。

愛犬と最期に一緒に居られなかったことを夢に見るほど後悔

5年前に我が家の愛犬が亡くなりました。

ハナという名前の女の子で、シーズーの血が入った白くてふわふわして可愛い犬でした。

彼女の具合が悪くなったのは丁度わたしが大学に入学したころからでした。

彼女はまだ10歳でした。

ハナがなんだか食欲がないとは聞いていたのですが、わたしは入学と同時に一人暮らしを始めており毎日が忙しかったのでそれほど心配していませんでした。

あまりに調子が悪そうなので病院に連れて行くつもりだと親から聞いた時もわたしは特に心配せず、自分から連絡することはありませんでした。

次に母親から電話がかかってきたとき、彼女は泣いていました。

ハナは癌にかかっているというのです。

詳しく検査をしなければ良性か悪性かは分からないものの、癌という病名はわたしたちに大きなショックを与えました。

癌は悪性でした。

そこからはハナが死んでしまうまであっという間でした。

癌はすぐに彼女を蝕んでいきました。

癌が分かってから半年もしないうちに彼女は死んでしまいました。

わたしは8月の夏休みに実家に帰り、ハナとたくさん触れ合いました。

彼女はとても元気そうで、両親も「あなたが帰ってきたからハナも元気になったみたいだ」と喜びました。

わたしもその光景を楽観的に受け入れ、二週間程度で大学に戻りました。

ハナが死んだのはわたしが戻った一週間後でした。

もうしばらく実家に滞在しておけばよかったと今でも後悔しています。

しかもどうしても大学でしなければいけない用事があったため、彼女の葬儀に参加することも出来ませんでした。

今でも夢に見るほど後悔しています。

大事な家族の最期の瞬間に立ち会えなかったというこの記憶はわたしの中から一生消えることが無いのだと思います。

一緒に成長してきて、安らかに眠るようになくなった愛犬

もう、 7年以上前のことです。

僕が生まれるよりも前からベスという犬がいました。

ベスは20年以上の生涯を過ごし、老衰でなくなりました。

ある朝いつものようにベスに「行ってきます」と挨拶をして家を出ました。

その時は、いつものように元気にしっぽを振って見送ってくれました。

そして、夕方いつものように帰って来るともうベスは、なくなっていました。

とても穏やかな顔でまるで眠っているようでした。

そして、次の日に火葬してもらいに行きました。

その時、涙が出そうでしたがぐっとこらえて、ベスを見送りました。

しかし、家に帰っていていつもベスごいた場所を見て、我慢できずに泣いてしまいました。

自分より年上で先に生きていましたが、一緒に成長してきて、家族の中でも一番仲良かったので、遊んだり、ご飯あげたり、散歩したりいろんな思い出がよみがえってきて、号泣してしまいました。

最後、死に目に合えなかったことを今でも後悔しています。

しかし、苦しまずに亡くなっていたらしいので、良かったかなとは思っています。

いつも、ベスがいた場所を見ると思い出して今でも泣きそうになります。

家族が亡くなるというのはとてもとても悲しいことなので、我慢しないで思いっきり泣く方が良いと思います。

亡くなっても、楽しかった思い出はなくならないので、今は悲しいという気持ちよりも、楽しかった思い出の方が思い出されて、ベスの分ももっと成長していけるようになりたいと思っています。

もし、またベスと会うことができるなら、大きくなった自分を見せて驚かせたいです。

今はまだ飼うつもりはありませんが、将来、犬を飼うときがあったら、また新しい犬とも一緒に成長していけるように、仲良く過ごしていきたいです。

はじめての犬との幸せな暮らしと悲痛な別れ いろいろ考え後悔

今年の5月のことでした。

パピヨンの男の子のももが天国に旅立ちました。

11歳でした。

ももは、私と主人が結婚する前に同棲を始めたころにやってきました。

とてもやんちゃでですが賢くて、人が大好きでした。

私は動物を飼うという経験がなく、仕事もしていて始めは

(絶対、大変だよ…)

と気乗りしてなかったのをよく覚えています。

主人はそんな中、ブリーダー様からももを譲り受けてきました。

仕事から帰宅した私を白と黒のツートンカラーの元気な子犬がぶんぶんとしっぽを振りながら迎えてくれたのを昨日のことのように思い出します。

可愛い!!絶対に大切にすると一目で気乗りしない気持ちが吹っ飛んでいきました。

それから、一緒の生活が始まりました。

しつけもブリーダー様がしっかりされており、もともとパピヨンは賢い犬種のため、そこまで苦労はなかったです。

何をするにも一緒で、私が主人と結婚する前に一度、精神的な病にかかってしまったときもずっと寄り添ってくれていました。

主人が長期出張のときも、ももがいたから、寂しさも軽く済んだのだと思います。

それから、結婚をし、家を2度引っ越し、子どもが生まれましたが、大きな人生の節目にも、ずっとももは一緒にいました。

やんちゃな盛りを超えてくると、やはり足腰が弱くなってきて、ぎっくり腰になったり、身体が弱々しくなってきていたので、気をつけないといけないと思った矢先でした。

その日も、夕方仕事から帰宅し、ゲージから出して、いつものように過ごし、私たちは寝室へ、ももはゲージで寝ていました。

夜中、私はふと用事を思い出し、目が覚め、用事をすまし、いつものごとく、ゲージに寝てるももがこっちを見ているのに気づき、

おやすみ

と声をかけて寝室へ戻りました。

すると

キャン!!キャン!!キャン!!

と痛い!!と言ったような変な鳴き声がしたので、慌ててゲージに様子を見に行きました。

そこには倒れたももがいました。

いくら呼びかけても、目をさましません。

突然死でした。

次の日、仕事を休んで葬儀屋さんへ。

これでもかと言うくらい、泣きました。

幼稚園に娘を迎えに行って、担任の先生と話をしながら、また泣いて。

今でも思い出すと泣けてきます。

どうしたらよかったのか、持病もなく前日まで元気だったのにとわけがわからない心境になりました。

後悔したのは、新居に引っ越してきたときに少しゲージが小さくストレスをかけてしまったのかな…あのときの狂犬病の注射がダメだったのかな…といろいろ考えて後悔しました。

それから、ゲージもずっとしまえなかったのですが、主人がパピヨン、また飼おうかと言い、今新しくパピヨンを迎えいれています。

もものときにしてやれなかったことをしてやろうと心に決めて、毎日過ごしています。

散歩が大好きなペットの犬が、散歩途中で倒れて手術中に息絶えた

数年前、ペットの犬が死んでしましました。

父が車を運転中、道に飛び出してきた子犬を持ち帰って、飼うことになった犬です。

ビーグル犬が少し混ざった感じの雑種で、耳が垂れていてとてもかわいい犬でした。

好きなアニメに出てきた犬の名前を付けて可愛がっていました。

すでに飼っていた雄の柴犬との間に子供を3匹もうけてくれました。

その3匹もすべて飼うことになったので合計5匹でした。

毎日、朝と夕方に家族5人で1匹ずつすべての犬を散歩させるのが日課でした。

その子を飼い始めて6年がたったころ、朝散歩させようとすると、少し元気がない様子でした。

でもすぐに普通に散歩を楽しみました。

その日、私は仕事で夕方の散歩には参加できずに、夜の10頃に帰宅しました。

するとなんとリビングにすでに冷たく硬くなったその子の姿があったのです。

あまりにも突然のことですぐに状況を把握することができませんでした。

家族に事情を聴くと、その日の夕方散歩中に動けなくなったということでした。

すぐに近所の動物病院に連れていって見てもらうと、末期のフィラリアということでした。

すぐにその場で手術に踏み切ったのですが、その途中で息絶えたとのことでした。

朝、少し元気がなかったのもその病気のためだったのかと思うと、それでも頑張ってつらいのに家族一緒に散歩に出かけてくれたその子のことを思うと、すごくいたたまれない気持ちになりました。

夕方の散歩のときは朝以上に辛そうだったようですが、それでも散歩に参加したそうです。

私は散歩の途中で苦しそうに動けなくなるその子を見ていないですが、実際にそれを目撃していた家族の悲しみはもっと大きいはずです。

その日は家族で思いっきり泣いたり、その子との思いでを語り合ったりして過ごしました。

13歳で、老衰で亡くなった愛犬への想い ペット用品からも目をそらした私を回復に導いたのは虹の橋だった

昨年、14年もの時間を一緒過ごした愛犬が旅立ってしまいました。

老衰でした。

生後半年くらいで我が家にやってきた愛犬。

コーギーのメスでした。

太くて短い足。

ぷりぷりで、食パンみたいなおしり。

真っ黒で、クリクリな目。

全てが愛おしくて、本当に本当に大好きでした。

亡くなる半年前くらいから、老いは感じていました。

散歩も喜ばないし、1日中寝てばかり。

居間で寝転がる愛犬の姿を眺めながら、「どうか、1日でも長生きしてくれます様に…」
といつも願っていました。

老いていく愛犬の姿を見て、愛しさと同時に切なさも感じながら過ごす日々が続きました。

愛犬が亡くなる前日、仕事の最中に母からメールがとどきました。

具合が良くないみたいだ、と。

病院へ行き点滴をしてもらってきたけれど、とても苦しそうだ、と。

ついに、恐れていた出来事が起きてしまった…。

張り裂けそうな心を必死に抑えながら仕事をこなし、すぐに帰宅しました。

座布団の上に横たわり、苦しそうになんとか呼吸をしている愛犬の姿を見た瞬間に、涙がポロポロと零れ落ちてしまいました。

がんばれ、がんばれ…。

頭を撫でながら、一晩中愛犬に寄り添っていました。

うたた寝してしまい、ハッとして朝方目を覚ますと、愛犬は眠る様に息を引き取っていました。

つい何時間前まで生きていたのに…。

どうして、ひっそりと旅立ってしまったの…。

動かなくなった愛犬を抱きしめながら、今まで経験した事がないくらいに嗚咽をしながらただただ泣き続けました。

家族皆で愛犬を見送り、自宅に帰宅。

暗く、ガランとした我が家。

オモチャやゲージ、首輪、リード…。

愛犬が残していった品々が目に入るだけで、耐えきれない悲しみが襲ってきました。

当たり前にいた愛犬が、もういない。

二度と会えない。

その現実は、言葉では表し様がないほどに辛いものでした。

愛犬が亡くなってからしばらくは、精神的にとても脆い状態が続きました。

空を見上げただけで涙が溢れてきたり、仕事にも身が入らず、一日中ボーっとやり過ごしたり。

買い物先でペット用品が目に入ってきただけで、いたたまれない気持ちになり目を逸らしたり。

どうしても愛犬の死を受け入れられず、現実から目を逸らして生きようとしていました。

そんな私の姿を見続け、見兼ねた姉からある日一通のメールが届きました。

URLが貼り付けられていたので開いてみると、「虹の橋」というサイトに繋がりました。

そのサイトに書かれていた文章を読み終えた瞬間、心がスーッと楽になっていくのを感じました。

そこには、全ての悲しみを救ってくれる暖かく優しい言葉の数々が書かれていました。

愛犬は、虹の橋を渡ったんだ。

悲しい別れじゃなく、また必ず会えるんだ。

そう思えた瞬間に、考えない様にしていた愛犬の姿が目に浮かび、とっても幸せな感情を取り戻す事ができたのです。

愛する事の幸せ、暖かさを教えてくれた愛犬。

命の儚さを教えてくれた愛犬。

愛おしい、愛おしい愛犬。

出会えた事への感謝で胸がいっぱいになり、空へ向かって「ありがとう」と伝えました。

その日から、私は愛犬の死を悲しんだ涙は一回も流していません。

今でも毎日愛犬の事を考えるけれど、そこにはいつも笑顔の愛犬がいます。

廃業した父親の心を支えた愛犬の死 本物の家族だったと実感

親の努力を知らずに、自分は裕福でもなく、貧乏でもない、何の不自由もない高校生であった1999年。

父と母と姉と自分のごく普通の4人家族。

父は自宅を工場にして、業務委託を受けて仕事を行っており、母は当時の国家公務員で共働きであった。

日本の経済は平成3年にバブル崩壊してから、平成不況の真っ只中。

今でこそ、私自身が社会人で働いているからこそ分かるが、日本経済に何の興味も関心もなかった高校生には、この時代の大変さはわからないであろう。

その日本経済のあおりを我が家はもろに受けた。

威厳と自信に満ちた父が廃業したのだ。

仕事に追われ、朝から夜まで働いていた父が仕事がなく、これまで母親が行っていた洗濯や洗い物などの家事を行っている日々。

「なぜ父が働かないのだ?」と日本経済に何の興味もない高校生の思春期の時期に、無責任にも怒りを覚えていた。

そんなある日。

父の様子を気遣って、姉が友達から白毛と茶毛が混ざった生まれたばかりの雑種犬をもらいうけてきた。

当時飲料水のQuuが流行っていたことや、よく「食う」ことからクーちゃんと名付けた。

もともとペットを飼うことに反対派であった母も、このときばかりは認めた。

クーちゃんの世話は父が行った。

散歩もエサやりも、シーツ替えもすべて。

外は寒いため、父の判断で、部屋の中で飼うことにした。

これが今でもよかったと思う。

ご飯のときは一緒に食卓を囲み、私がご飯を食べようとすると、クーちゃんに横取りされたこともある。

これが楽しくて、毎食一緒に食事をすることにした。

クーちゃんが来てくれたおかげで、我が家には父の廃業による暗いイメージから、楽しく笑いのある日々が続いた。

そのおかげか、父も定職に就くことができた。

父は単身赴任となったため、その後は母と私が世話をした。

たまに父が帰ると本当に喜び、家族の中で1番好きなんだとすぐにわかる。

そんなクーちゃんも、老いには勝てない。

食欲もなくし、歩くとぜぇぜぇしている。

辛そうな様子はすぐにわかった。

動物病院に連れて行くと、もう時間の問題だと言われた。

私が大学の友達と旅行中に姉からメールが入る。

「クーちゃんが亡くなったよ」と。

「死んだ」という言葉ではなく、「亡くなった」という姉の言葉からも家族全員がクーちゃんのことを「家族」だと感じていたのだと思う。

そのメールを見て私は号泣したが、それを理解しない者もいるものだ。

え?ペットが死んだんだよね? 違う。

ペットじゃない。

いつかは死ぬから仕方がないよね。

 違う。

そんな問題じゃない。

立ち会えなかったことの後悔や、これまでの感謝のこと、どれだけ楽しく生活ができたか、どんなに笑いのある日々だったか、最後に一言言いたかった。

ありがとうクーちゃん。

姉からのメールの翌日。

家に帰ると、冷たくなったクーちゃんがいた。

私が帰るまで埋葬するのは待っていたらしい。

家族全員で祖父と祖母が眠る墓地の近くに、クーちゃんを埋葬した。

今でもクーちゃんが我が家を見守ってくれる気がする。

ありがとうクーちゃん。

この絆は、正直分からない人がどう感じようがどうでもいいと思うようにした。

誰が何と言おうと間違いなく、私たちの「家族」だったのだから。

このときは父も少し泣いているように見えた。

誰よりも感謝していたのは、父だったのかもしれない。

心臓病で愛犬が天国に旅立ちました 一生懸命看病して来たはずなのに後悔ばかり 天国での幸せを毎日願っています

約1年半前に愛犬が天国に行きました。

トイプードルで13歳でした。

11歳になる頃に心臓病になり、通院と
投薬をしていたのですが、症状が悪い時は入院もしました。

心臓病の為、塩分を控えるなどの食事制限があったり、激しい運動(長時間の散歩等)を控える必要があり、大好きな
おやつはあげられない。

散歩も思うように行けなくなりました。

散歩に行った時、呼吸困難になり失神してしまってからは特に控えるように。

自宅には小さい酸素ボンベや酸素室を用意しました。

呼吸が苦しそうな時に
口や鼻のあたりに酸素をあててあげると、貪るように酸素を欲しがる場面もありました。

日に日に体は痩せていき、皮膚も痒みが出るのか、かきむしったりして、毛も抜けるようになって行きました。

好きなものが食べられない、いつもの自分の体調が違う等のストレスがあったかも知れません。

闘病をしながらも、体の調子が良い時もありました。

ウキウキした歩き方をしたり、遊んだり

だけど次の日にはまた元気がなくなったり。

愛犬が亡くなった日は、愛犬は朝から
専用の座布団の上で寝ていました。

いつもの光景で、だけどその近くに
便(健康的な形)があって、綺麗好きの
愛犬の為、どうして自分の寝ている側で便をしたのだろうとその時は思っていました。

その日は仕事の疲れがたまっていて、
珍しく私はお昼寝をしてしまったのです。

一時間ほどして目を覚ますと、座布団で寝ていたはずの愛犬が私の顔の横で
丸くなってスヤスヤと寝ていました。

今思うと、何か伝えたかったのでしょうか。

ハッと目を覚まし、愛犬の様子を見てから軽く撫でました。

その後家事をしてから愛犬のいる部屋に行くと、愛犬は立ち上がろうとしたんです。

しかし、体がフラフラとして後ろ足が立たず歯を食いしばっている状況でした。

呼吸は苦しそうではありませんでしたが今にも意識を失いそうで、やっと目をあけているような感じでした。

病院に連れていこう、それまでに私は気が動転してしまい、応急処置として正しいかは分からなかったけれど、私は砂糖水を口にスポイトで含ませました。

砂糖水を口に入れると、ふと目を開けてかろうじて意識が戻るような状況でした。

病院に行っても愛犬はぐったりとしたままでした。

そちらで愛犬は意識がないような状態で便をしました。

先生は亡くなる前の症状等ではない、注射をして家で数日休ませれば治ると言いましたが、私はそんなことはないような気がしました。

かなしいけれど、なんとなく寿命が来たのではないか・・と感じました。

だけど、先生が治ると言うならばそれを信じたかったのです。

小さな病院で緊急手術をするでもありません。

だけど、もっと違う判断で救う方法はないのかとしばらく獣医さんに対しての怒りもありました。

神様ではないと分かっていても。

家に帰り、いつも寝ている毛布の上に
寝かせてあげました。

私がいると力を振り絞って起き上がろうとします。

でもフラフラして視点は合わず。

「寝ていないとだめだよ」

そして、パタンと座り込みいつも寝ているような姿勢に。

その時に亡くなったのです。

悲しみは底知れず。

もっともっとしてあげられることがあったんではないか
もっと早く私が気がつけば・・・

一生懸命看病して来たはずなのに

後悔ばかり。

ごめんね、ごめんね、ごめんね、毎日自分を責めました。

毎日毎日泣いて。

仏壇の前で愛犬に語りかけて、綺麗なお花やお水、制限されていた大好きなおやつをお供えしたり、今日あった話をしたり、愛犬の良い所や思い出話を話したり。

愛犬家の人に話すと「その子は一生懸命生きた。

十分がんばった。

またいつか天国で会えると思ったら嬉しいじゃないですか」

と言葉を頂き、心が救われました。

ありがとう、いっぱいいっぱいありがとうと伝えて、天国での幸せを毎日願っています。

今でも愛犬を忘れる日はありません。

妻の退院を友にまった愛犬の死 ベッドもエサのストックも片づける気にはなれない

結婚して一緒に住むようになった妻が連れて来た犬、それがポチとの出会いでした。

はじめは私を警戒していたものの、一ヶ月も一緒に暮らせば、私の手からエサを食べてくれたり、私がうたた寝をしていると知らぬ間に横に寄り添って寝ていたりするくらいに私にも懐いてくれました。

そうしたころ、妻が鬱で入院することになり家には私とポチだけの日々となりました。

妻のいない寂しさも、ポチに、妻が帰ってくるまで一人と一匹で頑張るぞ、などと声をかけて寂しさをまぎらわせることができました。

ポチも妻のいないことが寂しかったのか、より私に懐こい態度となりました。

そんなポチも、昨年の12月に死にました。

その半年ほど前に立ち上がれない、という症状ため病院に連れていったら前庭疾患とのこと。

もう老犬なので仕方がないとも言われました。

フラフラと足取りも危ないので散歩にも連れてゆけず、なんとなく弱ってゆくのを見守る日々でした。

そうしてついに、まったく立ち上がれない状態になり、ご飯も食べなくなり、なにか夢を見ているように虚ろな目でヒャンヒャンと鳴きはじめて、12時間ほど。

声がしなくなったのでポチを見にいったら、死んでいました。

ご飯が食べれなくなったら、もうそろそろだ、と覚悟はしていましたが、目の前に動かくなった体をみると、こちらも放心状態で動けなくなってしまいました。

まだ温かい体を抱きしめ、楽しい一生だったか? 死んだってずっと友達だぞ、など声をかけてやりました。

ぼろぼろと出る涙は止まりませんでした。

妻の入院など、辛い日々を共に支え合ってきた親友の死です。

どうすれば良かったのか、いま考えてもわかりません。

ポチが倒れてからネットで調べて、餌も高タンパクな栄養価の高い、高価な物を与えていました。

反省としては散歩かもしれません。

ポチが歩けなくなってからは、ずっと宅内に閉じ込めていた状態でした。

歩けないなら、カートにでも乗せて外を歩き、外の景色を見せてやるべきだったのかもしれません。

そして最後、死の瞬間に傍にいてやれなかったことが心残りです。

ポチが死んでから一週間、こちらの食欲もなくなりました。

ポチの足音の幻聴も聞こえました。

こうして思い出す機会があると、胸が張り裂けそうにまだ痛みます。

そろそろポチが死んで一年になりますが、ポチのベッドもエサのストックも片づける気にはなれなくて。

ポチが帰ってくることを期待しているわけではありませんが、なんとなく…。

片づけてしまうとポチのことを忘れてしまいそうな、忘れられた時に片付けに手をつけられるのか、そんな感じです。

16年生きた愛犬の死 3年経っても悲しむ気持ちは消えない

私のペットは3年前に亡くなりました。

16年一生懸命息抜きました。

犬種はミックスで、ビーグルと柴犬のミックスなので、足長のビーグルちゃんでした。

名前はライムと言います。

ライムは私の家で初めてのペットだったので、家族も大変可愛がっていました。

私が7歳の時にやってきたので、兄弟のように一緒に遊んだりと成長していきました。

大変やんちゃな性格で、よく家族を困らせていました。

10歳を過ぎてからは落ち着いてきたライムですが、やはり散歩や来客が来た時はかなり吠えまくりっていました。

15歳になり、かなりおばあちゃん犬になりました。

大好きな散歩とご飯以外は寝て過ごすことが多くなってきました。

この頃には私も大学生となり県外の大学に進学していたので、ライムと過ごす時間もかなり少なくなっていました。

そんな中ライムも16歳になりました。

私がバイトを終えて実家に久々に帰省すると、弱りきった足でゆっくりと出てライムは迎えてくれました。

そして、お正月も終わり私がまた県外に行く日がきました。

行く前にライムに挨拶をしに行くと、滅多に吠えることもないライムが「ワンワン!」と二度と吠えてくれました。

私は一度ライムの頭を撫でて、後ろを振り向かず実際を後にしました。

振り返らなかったのはまだ会えるから大丈夫!という気持ちがあったからです。

しかし、その3日後に母からライムが亡くなったよと電話がありました。

私は衝撃でした。

理解が出来ず、なんで?という思いが込み上げてきました。

もっと一緒に居たあげたらよかったと強く思いました。

家族も同じ気持ちだったようで、ライムが亡くなった後はビーグルを見にペットショップを回る日々でした。

しかし、このままではライムの供養にもならないと思い、私たち家族は前を向いて生活をしていこうと話し合いましたが、中々ライムを悲しむ気持ちは消えないものです。

犬嫌い克服のパートナーの死 もっと一緒に散歩すればよかったと後悔

高校1年の秋、10年間共に過ごしてきた愛犬のロンが亡くなりました。

ロンは私が小学1年生の時に我が家にやってきました。

なぜ犬を飼うことになったかというと…私の動物嫌いを克服するため。

ご近所さんに犬を飼っている家が多く、時間帯によっては放されている犬も多くいました。

そんな犬と遭遇した私はものすごい勢いで逃げ出してしまっていたのです。

それを見た両親は私が登下校中に犬と出会ってしまったら道路に飛び出すのではないかと本当に心配して犬を飼うことを決めたのでした。

最初はロンを入れるために持ってきた箱に私が入って泣いていたり、ロンが室内で放されていると机など高いところから降りることができなくなっていました。

苦手な犬が突然家にやってきてすぐに克服できるわけもなく、家族の中で私だけがロンに触れないという状況が続きました。

でも両親のサポートもあり、少しずつ触ってみたりおやつをあげてみたりと距離を縮める努力をし始めました。

そして約1年の時を経て、私は犬への苦手意識を克服することができました。

ロンがいなかったら私はいまだに犬嫌いだったと思います。

ロンは身体が小さくて大人しくちょっとビビりでしたが、とても綺麗な目をしていて後ずさりしながらも知らない人を見たら吠えてペットとしても番犬としても魅力あふれる犬でした。

体はあまり強くなかったけれど散歩も大好きで、私の父の相棒としてよく散歩に行っていました。

家族みんなに愛されて、共に生きてきたロン。

でも別れはやはり訪れました。

学校から帰ってきて動かなくなったロンを見た時、言葉を失いました。

別れとはこんなにあっけないものなのかと絶望しました。

出会いがあれば別れがあるなんて言葉ではとても受け入れられないくらいの悲しみが私たちの中でいっぱいになりました。

もっと一緒に散歩すればよかった、もっとたくさん撫でてあげればよかった、後悔してもロンは戻ってこないと分かっていてもつい考えてしまいます。

でもロンは本当にたくさんの思い出を私たちに残してくれました。

これからもロンのことを忘れず、私たち家族は生きていきます。

ヘルニアを発症し診察台でなくなった愛犬 しつけをもっとしておけば防げたのではないかと後悔

私の家にペットの犬、ミニチュアダックスフンドがきたのは、私が20歳のときでした。

私の家族は父、母、兄、私の4人です。

私が20歳の時、母がガンで亡くなりました。

その時のショックとそれからの生活の過酷さは今でも忘れません。

男ばかりの家で家事ができる者はいませんでした。

家の中はめちゃくちゃでした。

そんな生活のこともあり、祖母が家に定期的に手伝いによく来てくれるようになりました。

祖母も高齢でしたし、家も近所というわけではありませんでした。

父、兄共に仕事、私は大学生で家には祖母だけの時間が多くなり、父がそんな祖母のボケ防止として、犬を飼うことにしました。

初めて家にきた犬の名前は桃太朗。

生まれてまだ間もないミニチュアダックスフンドでした。

両手に収まるとても小さな子犬で、ゲート内でプルプルと震えていたのを今でもよく覚えています。

そんな桃太朗もすくすくと大きくなりましたが、男家族プラス祖母ということもあり、しつけは全くできていませんでした。

家のいたるところで、オシッコやウンチ、壁紙を破る、物を壊す等とても手のやく子でした。

その分、世話をした時間も多かったと思います。

そんな桃太朗でしたが、ある時、大好きな散歩を嫌がる時がありました。

いつもであれば、猛ダッシュで走っていくのに…

原因はヘルニアでした。

ミニチュアダックスフンドはよくなる病気ということでしたが、何気なく持ち上げたり、段差を登らせたりしていることも原因ということでした。

手術をして一時治りましたが、また、再発。

どんどん元気が無くなっていきました。

元気が無くなっていく桃太朗をみて、とてもつらい日々でした。

最後は診察台の上で静かに力尽きました。

桃太朗は母が亡くなってからきて、すぐにきましたし、母の生まれかわりみたいなものでした。

桃太朗がいなくなって、家の中はとても綺麗で、掃除も楽になりました。

しかし、その分寂しさは倍増です。

しつけをもっとしっかりしてれば、ヘルニアにはなっていなかったのか等後悔することもあります。

今でも元気な桃太朗の姿が頭の中から消えません。

13歳で亡くなった愛犬 彼は私の家に来て幸せだったのだろうか?

中学生の頃から飼っていた愛犬のアンディーが13歳で亡くなりました。

アンディーは外飼いの雑種犬です。

13歳になってから歩くとふらついたり、粗相をするようになったので心配はしていました。

そろそろ室内で介護が必要だとも考えていました。

しかしその日は突然訪れたのです。

亡くなる前の日、アンディーはほとんどご飯も食べず、お気に入りの縁の下でじっとしていました。

夜に、私と母が心配しておやつをあげようとしてもやはり食べません。

具合が悪いのか、心配しながらも「また明日ね」と言ってその日は眠りました。

明日、病院に予約して様子を見てもらおうと家族と相談もしていました。

そして次の日。

縁の下を覗くと、アンディーは動かなくなっていました。

苦しんだ様子もなかったので、老衰だったのだと思います。

その日はちょうど、家族全員が休みで家にいる日でした。

アンディーはお気に入りだった毛布に包まれ、敷地内に埋められました。

家族みんなに看取ってもらえたのは、彼にとって幸せなことだったと思います。

私はアンディーが亡くなったにもかかわらず、その時は悲しい気持ちが湧いてきませんでした。

恐らく、死を受け入れられていなかったのだと思います。

しかし1ヶ月くらい経った頃、夢にアンディーが出てきました。

そして私の手を噛んだのです。

私はその夢を見て初めて大泣きしました。

アンディーはマイペースでとても温厚な犬でした。

でももしかしたら、本当は不甲斐ない飼い主に腹を立てていたのではないか、と。

後悔することもどんどん出てきました。

もっと早く室内飼いにしてあげればよかった、もっと沢山撫でて、褒めて、遊んであげれば良かった、と。

この家に来て後悔したかもしれない。

私達に貰われずにほかの家に引き取られれば、もっと幸せになれたかもしれないのに、と。

今は気持ちが落ち着いています。

玄関に写真を飾り、「行ってきます」「ただいま」と毎日挨拶しています。

でもふいに思い出して、後悔して、大泣きすることがあります。

何年経っても後悔しています。

きっと一生そうなのでしょう。

悲しみを埋めるために新しく家族を迎えるという選択肢もあると思います。

しかし私は、恐らくもう動物を飼うことはないと思います。

アンディーを幸せにしてあげられなかった、私には動物を飼う資格がない、幸せにしてあげられないと思っているからです。

もしまたアンディーに会えたなら、
全力で抱きしめてただひたすらに謝りたい。

そう思うばかりです。

一人暮らしをはじめいつかつれてこようと思っていた愛犬の死 想像以上に辛いものだった

小さい頃から動物を飼ってきたので、ペットが死んでしまう経験もたくさん経験してきました。

もちろんそのたびに、悲しい思いをすることになるのですが、一緒にいた時間、一緒に過ごさなければ感じることがなかった思いもたくさん経験することができました。

そんなたくさんペットの死を経験してきた私にとって一生忘れることのできない愛犬との別れがあります。

その愛犬が我が家に来たのは、私が中学校1年生の時です。

当時非常に人気の高かったダックスフンドの男の子、ロンでした。

小型の室内を家で飼うのは、はじめてだったのでロンが家に来た時は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

寝る時も、ご飯を食べる時も、散歩の時も、ずっと一緒に過ごす事が日課になっていました。

それから数年後私は社会人となり、家を出て行くことになってしまいました。

その時ロンを連れてくことができたらよかったのですが、社会人1年目の私にとってペットを連れて一人暮らしする事は、ハードルが非常に高く感じ、実家に置いてくるという選択肢をとってしまったのです。

いつか迎えに行こう…当初はそのように考えていました。

しかし結果的にロンがなくなるまで連れてきてあげる事は出来ませんでした。

ロンが死んでしまった。

ある朝母から電話かかってきて、ロンが死んでしまったことを聞かされました。

衰弱して眠るように亡くなったとのことです。

その話を聞いた瞬間に、まだロンが小さかった頃、わんぱくで悪さばかりしていた頃の思い出がたくさん出てきて涙が流れてきました。

動物を飼うということは、死ぬまで面倒みるという事です。

それはロンを飼う位前から知っていましたが、一緒にいる時間が長いペットとの別れは、私が想像してたよりもずっとずっと辛いものでした。

足を怪我して寝てばかりいるようになった愛犬を不憫だからという理由で家族の意見を聞かずに保健所に連れて行った祖父を憎んだ

私がまだ子供の頃、私の祖父がもらってきた雑種犬がいました。

メスなのに、性別を見間違えてオスの名前を付けられていました。

とても優しくて元気な犬でしたが、ある時、祖父がその犬の後ろ足をフォークリフトで轢いてしまいました。

わざとではありません。

祖父は犬を動物病院に連れていきましたが、もう後ろ足は治る見込みがないといわれてしまいました。

犬が家に帰ってきてから、みるみるうちに元気がなくなり、ほとんど寝てばかりいました。

でも、私や弟が近寄ると小屋から出てきてくれます。

幼い私は毎日その犬の足をマッサージしてあげました。

すると、一瞬ですが、痛みを忘れたかのように立ち上がるのです。

それを見た私は嬉しくなって、いつかよくなると信じ、足をさすり続けました。

ある日、帰るとその犬がいなくなっていました。

どうしたのか私の父親に聞くと、病院に入院して手術する、しばらくいないとのことでした。

私はその言葉を信じて待っていました。

でも、事実はそれとは異なりました。

足が悪くなり、動けなくなった犬が憐れだ、見ていられない、ということで、それならいっそのこと天国へ送ったほうがいいと祖父は考えました。

祖父は家族の意見は聞かず、独断で保健所に連れていってしまったのです。

私は何度も犬のことを聞きましたが、父は歯切れ悪そうにもう少しで帰って来るというばかりでした。

ある日、とうとう父が事実を打ち明けると私は悲しみのあまり怒り狂いました。

自分勝手な理由で、可愛がっていた犬を天国へ送った祖父を憎みました。

私の家では、朝ご飯を食べる前に必ず仏壇に手を合わせる習慣があったのですが、私はそのたびに亡くなった家族のことと一緒に、その犬のために祈りました。

何度も「助けられなくて、ごめんね」と謝りました。

でも、私の心は傷ついたままでした。

今でも保健所に送られる数々の犬や猫たちの話を聞くと心が痛みます。

いつか、私が犬や猫をその場から救うことができたなら、出来る限りのことをして幸せな生活を送らせてあげたいです。

私が以前の犬にできなかったことをしてあげることで、幼少期のいやな思い出を昇華し、せめてものその犬の供養となるように願っています。

青春時代を過ごした愛犬との別れ 一日中頭から離れずに、仕事に打ち込めなかった日々

今から6年前、愛犬だったゴールデンレトリバーのラビを亡くしました。

死因は寿命によるものです。

無くなる前の数日、ラビの体調はとても悪そうだったので、覚悟はしていました。

しかし、実際に亡くなると寂しいものです。

ラビとは、私が中学生の頃に知り合いました。

両親が動物愛護団体に所属する知り合いから引き受けたことがきっかけです。

初めは恐くて触ることもできなかった私ですが、エサをあげるうちに徐々に懐き始め、いつしかラビは私にとってとても大切な家族になっていました。

一緒に散歩をしたり、サッカーをしたり、旅行に行ったこともあります。

短い間ではありましたが、ラビと私には強い絆のようなものを感じていました。

一度ラビは病気で倒れたことがあったのですが、そのときは心配でたまりませんでした。

一睡もできなかった日もありました。

しかし、あのときよりは私は大人になったので、ラビが亡くなっても受け入れられると思っていました。

ただ、現実はまったく違いました。

心の中にぽっかりと穴ができてしまったようでした。

一日中ラビのことが頭から離れずに、仕事に打ち込めなかった日々もありました。

もういっそのこと、ラビと同じところに行きたいと思ったこともありました。

しかし、ラビは私の心の中に生き続けています。

ラビが見られなかった景色を、代わりに私が見てあげなければいけません。

ペットを亡くすのは想像以上に辛いものです。

人によっては悲しみを乗り越えるのが困難になるかもしれません。

ただ、生き物である以上、必ず別れのときはやってきます。

そんなときに後悔しないよう、ペットと過ごせる時間を精一杯生きることが何より大切だと強く思いました。

年を越せないと言われていた愛犬 ひな祭りを迎えて旅立ち 早く楽にさせてあげたほうがよかったかもと思う

2014年3月3日午前1時頃…
ひな祭りを迎えてから、あの子は旅立ってしまいました。

あの子の名前は ”モカ” ミニチュアシュナイザーの女の子です。

2001年8月9日生まれのモカは、2001年12月19日に我が家の家族になりました。

家内と二人でペットショップへ行きモカと出会い、連れて帰って来ました。

当時、登校拒否気味だった娘の為に良い刺激になればと思ってのことでした。

モカは、小さい頃から子宮関係が弱かったのですが
5歳の時に子宮蓄膿という病気になってしまい、子宮摘出の大手術をしました。

家内と二人で病院へ連れて行き緊急手術になったのですが
既にモカはショック状態になっていて
最悪の場合も考えて心の準備をしておいて下さいと獣医さんから言われ涙しました。

手術は無事終わり
その後、元気を取り戻して走り回れるようになりました。

一度は覚悟したモカとのお別れでしたので、これからはいっぱい思い出を作ろうと
どこへ行くのも一緒でした。

そのせいか、退院してからのモカは少しわがままになってしまいました。

^^;)

2013年の10月でした。

モカの元気がなくなり餌もあまり食べられないようになり病院へ連れて行きました。

獣医さんからは「腎臓が弱っていてかなり悪い状態です。

年は越せないでしょう」
「入院させても良いですが、最後は家族のそばにいさせてあげた方がこの子は喜ぶかもしれませんよ」
と言われました。

獣医さんから点滴の仕方を教わり自宅に介護することにしました。

毎朝晩点滴をしてあげていた時、モカの舌の先が1センチほど無くなっているのに気が付きました。

腐って取れてしまったようです。

慌てて病院へ連れて行きましたが、逆にこれが良かったようで少し元気を取り戻しました。

そして…
年を越せないと言われていたモカでしたが
翌年のひな祭りまで私達と過ごしてくれました。

獣医さんもびっくりしていました。

あの時私は、一日でも長く一緒にいたいと思っていたので
「モカ頑張ったね、有難う」と声を掛けましたが
今思うと舌が腐って落ちてしまうなんて、すごく痛かったんだろうな…
早く楽にさせてあげれば良かったのかな…
とも思うようになりました。

モカが亡くなったばかりの頃は、人前でも散歩中のシュナを見かけると涙が出てきてしまって…
もうすぐ5年経ちますのでさすがにそれはありませんが
今現在も次の子を迎え入れるという気持ちにはなれません。

16歳でガンで亡くなった愛犬 テレビで動物番組を見ただけで泣いてしまう

2年前の冬、高校生の頃からともに生活した愛犬ジョニーが亡くなりました。

16歳でした。

高校生の頃、友達の飼い犬が子供を産み、貰い手がいなくて困っていたところ、子供のうちの一匹をうちで飼うことになりました。

その時はただただ可愛くて一緒に居たいという気持ちが強く、「別れの時の辛さ」のことなんて一切考えていませんでした。

いつも一緒にいるのが当たり前な感じでした。

ジョニーが15歳の頃急によろけるようになったり、動きが非常に鈍くなり、おかしいと思って病院へ連れて行きました。

そこでガンであることが発覚したのですが、歳が歳なだけに手術はかえって危険だということで、手術せずお薬を飲むことに。

その1年後のある日、穏やかな顔で息を引き取りました。

一緒に過ごせる時間は残りわずかなのに、私は仕事が忙しくて遊んであげられなかったことを非常に後悔しています。

その日も仕事だったのですが、さすがに仕事できるような状態ではなかったので、「熱が出て仕事に行けない」と上司に嘘をついて休みました。

火葬場で
「このワンちゃんは大分長生きしたよ、頑張った」
と言われました。

確かに長生きした方かと思いますが、でももっと一緒に居たかったです。

宅配便の方が来ると必ず鳴いていた、非常に警戒心の強い犬でした。

ジョニーが亡くなってから、なんだか静かになってしまいました。

あれから1年は寂しさと後悔で泣いてばかりで、泣いてばかりいました。

テレビで動物番組を見ただけで泣いたり、他の家のペットも見れませんでした。

でも今は泣かなくなったし、動物番組を見ても動じなくなったし、時がたてば徐々に辛さが和らぐのかなと思います。

ジョニーの動画がスマホにたくさん撮ってあるのですが、亡くなって2年経った今も見れません。

きっとこれも時が経てば見れるようになるのかなと思っています。

ジョニーが亡くなったショックを今も少し引きずっているので、もうペットを飼うことはないと思います。

家族のトラブルを緩和してくれていたうちの愛犬が老衰で亡くなりました

今年の春、うちの子が亡くなりました。

老衰でした。

だんだん足腰が弱くなり、しだいに耳が聴こえなくなり、目も視えなくなってきました。

うちの子は、生後60日で我が家にやってきました。

犬を飼うのは初めてでした。

とても活発な子で、物覚えも早い子でした。

食欲も旺盛でした。

身体が丈夫で、年をとるまでずっと健康だったので、手があまりかかりませんでした。

うちに来たばかりの頃は、全く吠えなかったので、吠え方が分からないのかと思っていました。

おもちゃを鳴らすと遠吠えをするのが面白く、つい何度も遠吠えをさせて遊んでいたら、要求がすぐに通らないときは吠える子になってしまいました。

人間がやったら許せないような悪いことも失敗も、あの子だったら全部許せました。

うちの家族は仲が悪く、常に言い争いをしているか、お互い関わらないように過ごしているか、のどちらかでした。

しかし、あの子が来てくれたことで、それぞれの意識があの子に向かい、家族間トラブルが減りました。

何かあっても、各々があの子に相談にいくか、一緒に遊んでもらうか、八つ当たりしているかでした。

私は、あの子を抱いていると、過度のストレスで強張っていた身体の力が自然に抜けました。

そして、あの子のあたたかい体温を感じていると、ほっとしたのか涙が頬をつたって流れ落ちていました。

そんなあの子は、もういません。

家の中を見渡しても、どこにもいません。

それでも、何をしていても、ついつい目線は下の方をさまよってしまいます。

まだ、身体の感覚は、あの子がいたときのままです。

家のどこにいても、ここであの子はこんなことをしていたな、とあの子の姿が思い出されます。

あの子が亡くなった喪失感は大きく、時々勝手に涙がこぼれてコントロールが効かなくなります。

それでも、絶対に忘れたくない大切な記憶です。

今は、時間とともにあの子の記憶が薄れていくのが、とても怖いです。

忘れたくない。

手放したくない記憶です。

あの子が、今度生まれ変わるときは、人間に生まれかわり、好きなものを好きなだけ食べ、行きたい所に自由に行き、自分の思うまま自由に生きて幸せになって欲しいと思います。

10歳で亡くなった愛犬 星を見るたびに思い出す

私がそのワンちゃんとあったのは、父親が同じ職場の佐藤さんという人のワンちゃんがたくさん生んだので、引き取って欲しいという時でした。

その時、前のワンちゃんがなくなったばかりだったので、ちょっと運命的なことを感じていたんですね。

そのわんちゃんは、チワワです。

佐藤さんから頂いたのでさとと名づけました。

そのさとを引取りに行く時に星がとても綺麗だったのです。

そしてまた可愛いワンちゃんをかえると思って、ワクワクしていました。

我が家に来て、ミルクをのましたりして本当に大丈夫なのかと心配したのです。

その結果、無事元気になりとてもすくすく育ってくれました。

しかしやっぱり別れが来るんですね。

そのさととも、その時がやってきました。

それはさとが10歳の時です。

病院に連れて行った時に、これが限界なのでよく生きた方と言うこと。

その時、もっと一緒にいたいと泣きながらさとを抱っこしていた。

しかしやっぱりさとは、その3日後になくなってしまいました。

ずっと一緒にいられることはないと思っていたものの、赤ちゃんの時からずっとかっていたので、その愛情もひとしおです。

どうしてこんなに早くなくなったの?
そんな悲しみが押し寄せてきました。

小さく可愛い目で、よく私を見つめていました。

私が仕事から帰って来ると、足元に来て抱っこを迫ります。

その光景を忘れることができません。

天国で元気でいるのかな?星を見るたびに、どうしているのかと思ったりしています。

家族同然として一緒に暮らしてきた愛犬の突然の死に数週間寝込んだ

3年前すごくかわいがって、家族同然として暮らしていたランが突然の死を
迎えた。

死因は心臓発作っだった、わずか寿命8年でランの人生は幕を閉じた。

出会いはペットショップにたまたま入った時、目が合って、そのかわいくて無垢な表情に一目ぼれ
したのがきっかけであった。

その時はまだ小学生で飼うにしても親を説得しなければいけなかったが一週間くらい
かけて親を説得し、またペットショプにいったのを今でも鮮明に覚えている。

ランが初めてうちに来たときは母親がいつも座っているクッションにおしっこをして、
母親が困り果てていたのが懐かしく思う。

ランは賢い犬だったので、おしっこのしつけをしたらすぐに覚えたし、お座りや
ちんちんなどの芸も1カ月くらいで覚えたので我が愛犬はとても賢い犬だと
思った。

旅行に行くときにも、もちろんランが第一優先だったのでペットが泊まれる旅館を
探してランが生きている間はペット可の旅館にしか宿泊しなかったほどだ。

ランは散歩がとても大好きだったので毎日1時間くらいはしていた、
時折、顔を見て様子をうかがうようにしながら歩いているランは
とても愛くるしく散歩中にも関わらず抱きしめていたのを
今でも覚えている。

幸せな毎日が続いていたが8年目にして突然
最悪の日が訪れた、
ランはとても元気で毎日のようにはしゃぎまわっていたが
その日も同じようにランは元気であったが、
お散歩に行こうと合図した瞬間いきなりランが
倒れだした、慌てて病院に連れて行ったが
先生に診てもらう時にはすでに息をしていなかった、
突然の死に感情がついていけなく
数週間、寝込んだのを今でも鮮明に覚えている。

今でもランは天国で幸せに暮らしているのかなど
を考えると、涙が出てくる。

「そばで見守っていてね」愛犬の死に泣いた後は心配しないように笑っていようと決意

私の記憶の中のチャッピーは、私が生まれてからずっと一緒だという記憶しかありません。

両親にチャッピーのことを尋ねると、チャッピーは両親が山へドライブに出かけた時に拾ったと教えてもらいました。

私はまだ母のお腹の中でした。

山の中でドライブ中、狐でも飛び出してきたかと思い、車をとめたところちょこんと座っていたのがチャッピーです。

ふさふさの毛でクリーム色の可愛い顔をしたポメラニアンでした。

母親は幼いころに野良犬に追い掛け回された経験があり、それ以来犬が苦手です。

そんな母が、「この子は家に連れて帰ろう。

このままだと、いずれ死んでしまう」とチャッピーのあまりの可愛さに言い出したほどでした。

車に乗せるときも、恐る恐るの母。

父はそんな母をみて笑っていたそうです。

そして私が誕生します。

赤ちゃんの私は、チャッピーの毛を引っ張って遊ぶのが大好きだったみたいです。

チャッピーからしてみれば痛くてたまらないはずなのに、「ガブッ」っと私の手を噛んだフリをしてくれるとてもやさしい犬でした。

一緒に育ってきました。

どこ行くにも一緒で寝るときも、私はチャッピーと一緒にお布団に入りたいのですが、犬のチャッピーからしてみたら暑くてたまりません。

お布団からでていってしまいます。

それがとても寂しくて…
そう思っていたら、私の足元でくるまって寝てくれたんです。

子供心にその優しさにとても心暖かくなりました。

小学校に上がるくらいの時です。

チャッピーの体調がわるくなったのは。

それ以前から兆候はあったそうです。

母の話ですと。

そこから段々チャッピーは弱くなっていきました。

病院からだされたお薬を母が潰して、チャッピーが少しでも食べやすいようにと餌に混ぜたりしていました。

その時のことは実はあまり良く覚えていません。

ただ、私が帰ってきたら両親がチャッピーを病院に連れて行って帰ってきた後でした。

白い箱に横になって目をつむっていました。

もう全く動かないんです。

置物みたいに。

犬の形をした人形のようで。

だからなおさら小学生の私には実感がなくて、その時その瞬間は悲しくなかったのを覚えています。

ただ、状況が呑み込めていなかっただけです。

そのあと、火葬場にいってようやくもう二度と会うことができないんだと、やっと実感しました。

家に帰ってから、チャッピーのいない空間に自分の身を置いて初めて実感しました。

そこからはずっと泣きどおしです。

でもいつまで泣いてもどれだけ泣いてもチャッピーは帰ってこないというのはわかっていました。

だから、いいだけ泣いた後はチャッピーが心配しないように笑っていようと決意しました。

私の喜怒哀楽のある豊かな人生をチャッピーに見てもらって楽しんでもらおうと。

その方がきっとチャッピーも喜びます。

それからは見えないけど、近くにいる、見えないけどチャッピーはみていてくれる。

そう思うようにして今を生きています。

一緒に寝るまでになった愛犬の老衰 はじめて同等の存在だとわかる 贅沢をさせてあげたかったと後悔

愛犬コロとの出逢いは私の母親が職場の人から譲り受けたのが始まりでした。

捨て犬だったらしく最初は全然懐いてくれませんでした。

家族が諦めたさなか、元々動物が好きな私はそれでも世話をし続けどんな時も離れませんでした。

時がたち、コロとの距離はもう一緒に布団で寝るくらい縮まっていました。

汚い人間よりずっと純粋で温かくてずっとこのまま続けばいいななんて思ってました。

しかし、やはり時間には逆らえませんでした。

残酷にも買い物から帰って来たとき
コタツでコロは冷たくなってました。

老衰でした。

目の前が真っ暗になり、何もわかりませんでした。

人生唯一の安らぐ場所が失われた瞬間でした。

その時、もうコロは私のなかではペットの枠とかではなく同等の存在であったことに気づきました。

いや、思い知らされたと言うべきでしょうか。

今でもこうして思いだすと食欲不振に陥ります。

しかし、こうして文章にする事で不思議と昔よりは整理がつくようになったかなと思うときがあります。

ただひとつやはり後悔はあります。

捨てられていた時を忘れるくらいもっと贅沢させてあげたかったとか
私といて幸せだったのかなとかの数々。

動物と一緒に暮らしていた方ならみんなあると思います。

今ここに同じ悲しみにくれているのであれば言いたい。

絶対辛いからと言って忘れないで
ずっとその後悔を引きずって歩んで行ってほしい
あなたの悲しいという思いがその子がいたという証になるのですから。

夢にでてきてくれた亡くなった愛犬 私たちを心配して ペットの方が大人かもしれません

「心の中で生きるモモ」

出会ったきっかけは、9年程前に母の知り合いが離婚をすることになり、「飼えなくなるからもらってくれないか」と言われたことがきっかけでした。

うちはもともと猫を飼っていて、動物が好きな家族。

犬もいつか飼いたいなと話していたので、快く引き受けることになりました。

ある日、仕事から帰ると、リビングの方からテ千テチと足音(爪の音)を立てて、真ん丸の目を潤わせながら、興味津々に私を出迎えてくれました。

可愛いなと思い、触ろうとすると、またバーっとリビングへダッシュしていき、「あれ、こっちこないの?」と言っているかのように、こっちを見てきます。

元気で、愛くるしい可愛いマルチーズのモモでした。

なんだか、思い出すだけで泣けてきました。

もともと病気がちなモモ。

具合が悪くなると、いつも元気なモモはぱったりと来なくなり、モモが具合が悪いときは家族内もなんだか暗くなります。

うちのムードメーカー的存在です。

でも病気は数えられないくらいあり、実際に亡くなった原因はよくわからない。

年齢的にももおばあちゃんワンちゃんでした。

モモがなくなる数週間前、
咳をよくするようになり、肺炎のようなゼーゼーする症状が出るようになった。

呼吸が辛そう。

病院に連れていっても、少し治まるだけで、だんだん食欲もなくなり、寝ていることが多くなった。

いつも通り病院に連れていき、医者から「落ち着いてきたから大丈夫」と言われ、いったん家に帰ったとき、すぐに病院から電話が来て、「急変した」と。

病院に到着したころ、モモは舌をだらんと出し、苦しそうにしていて、医者が対応してくれていましたが、モモはそのまま亡くなってしまいました。

しばらく、私は部屋に閉じこもり、何度も泣いていました。

母は声を大にして何度も泣いていました。

そのたびに、猫が察知してわかっているのか、慰めに私たちのところににゃーにゃーと言いながら来てくれます。

一番懐かれていた母は、葬儀終わってからも泣いてばかりで、一週間会社を休んで、思い出しては泣きの繰り返し。

「自分の親が死んだ時よりも泣いてるかも」と言っていました。

いつもいたモモ。

いないことが慣れない。

気のせいかもしれないけど亡くなったモモを撫でていると、
モモがよく嬉しいときに鼻をならすのですが、それがあったような感じがしたり、
夜中の2時にリビングから「ワン!」と鳴き声がすることが何日かありました。

なんとなくモモの匂いが廊下でしたり、夢に出てきたり。

モモが近くにいるような感じがして、
それを感じると嬉しくて、まだこのおうちにいるんだなって。

一か月くらいは心にぽっかり穴が開いた状況で、
家族みんなモモを思い出すと泣いてばかり。

モモの匂いがするものや、使っていたものは4ヶ月経った今もそのままです。

悲しんでばかりで泣いてばかりの日々でしたが、
このままでは良くないなと思い、私は切り替えていましたが
母はまさにペットロスの状態。

その頃、モモが夢に出てきて、
話せないはずのモモが言葉を話しており、
「モモはいつでも一緒にいるよ」
「ママのことよろしくね」と話してくるという夢を見ました。

その日から、
「悲しんでばかりでは、モモも安心して成仏できないよね」
「モモは死んだけど、心の中に生きてる」
という言葉を私は家族に毎日のように呼びかけ、
今は泣く日々から卒業しました。

あぁ、、また泣けてきました。

モモの愛情を感じます。

今でもたまに気配を感じます。

心配だからたまに見に来てくれてるのでしょうか。

だめですよね、、、
モモの方が私たちより大人かもしれません。

モモに心配をさせないためにも、私は今この人生を大切に生きようと思います。

まだたまにモモが恋しくて泣いちゃうけど(笑)

ありがとう。

大好きだよ、

想像妊娠した愛犬 不妊手術をしたところ歩けなくなりその後衰弱死 後悔と怒りの感情が入り混じる

私が小学生4年生の時、友だちと習い事の帰りに公園に立ち寄ったら段ボールの中に黒い子犬が三匹捨てられていました。

ちょうど3人いたので一人一匹ずつ持ち帰り親に飼うことを許可をとりました。

最初は反対されましたが、このまままたあそこに戻したら死んでしまうと思い泣きながら頼んだらやっと許してもらえました。

黒いメス犬だったので名前をクロと名付けました。

飼い始めた当初は母親を恋しがってかずっと寂しそうな声で鳴いていました。

学校が終わるとすぐ帰ってクロのそばにずっといるようにしました。

クロは臆病でしたがお利口でお手や待てを簡単に覚えてくれました。

外で飼っていたので番犬にもなりました。

ある日、クロのお腹が大きくなっていることに気がつき、おっぱいをおしたらミルクが出ました。

妊娠してしまった!?っと思い犬はこれ以上飼えなかったので急いで病院で診てもらったところ想像妊娠と言われました。

ビックリしましたが妊娠していないことに安心しました。

そのまま不妊手術の予約をとってクロの手術をしてもらいました。

…がクロの不妊手術が終わり家に連れてきたら後ろ足が歩けなくなっていたのですぐに手術をした病院にその事を言いに行きました。

医者はそんなことは絶対にない、手術のせいではないと。

クロが頑張って歩こうとしても歩けず何回も倒れてしまうのを見て心が苦しくなりました。

そのまま徐々に衰弱していって看病のかいなく亡くなりました。

しばらくは落ち込んで学校でも泣いてしまったり立ち直れませんでした。

なんで不妊手術をしてしまったのだろうという後悔、病院をあそこにしてしまったのだろうと怒りさえありました。

今自分の子供が犬を飼いたいと言っていますがあの悲しみを我が子に体験させたくはありません。

でも子供が拾ってきたら自分も犬が好きなので飼ってしまうかもです。

愛犬の死でわかったのは、いつまでも心の中にいるということをみんなで共有できることが大切ということ

私の飼っていたのは茶色の柴犬でした。

飼い始めたころはまだ3歳でよく覚えていませんが、兄が飼いたいといい、いつの間にか兄がしていた散歩を小学生の高学年になった頃、私が一人でするようになっていました。

本当は犬に人間と同じものを食べさせるのは良くないんだなと、幼心ではわかっていましたが散歩に行くとコンビニにつないでお小遣いで唐揚げを買い一緒に食べていました。

おいしそうに食べるのでなおさら毎回のように行き、食べさせていました。

普段は外で飼っていましたが、冬や雨に日は家の玄関に入れて横で布団を敷き一緒に寝ていました。

それくらい大好きでした。

犬がだんだん弱り始めてきたのは私が中学2年生の時のことで、一気に弱ってしまいました。

一度は回復したもののまた歩けなくなってしまい家の中で飼っていました。

ある日テスト期間だった私は、部活もなく早く帰ってきていつも通り丸まっている姿をを確認するとそのまま2階へ上がっていきました。

しばらくして母が帰ってきて、死んでいると知らされました。

この時私がなくなる前最後の人だったんだと思い、なんで撫でて一言声をかけてあげられなかったんだと今でも後悔しています。

最後ひとりで逝かせてしまったんだなと、どんな気持ちだったのかなどはわかりませんがさみしい気持ちでだったかもしれないと思うととても苦しくなります。

今でも思い出すと涙が止まらなくなります。

それでも今、亡くなってから8年たっても命日は忘れず家族みんなで思い出話をしています。

いつまでたっても我が家の三男坊だったことは変わりません。

亡くなったときは本当に悲しいですが、ペットは私たち人間よりも寿命が短いのがほとんどです。

思い出がたくさんある分立ち直るのに時間はかかりますが、いつかいい思い出になり、何年経っても話に出てきてみんなの心の中にいるペット達はきっと、また幸せに生まれ変わってこれるのではないかと思います。

早く気づいてあげたかった さよならも言えなかったペットとの別れ

小学校低学年の時、捨て犬を拾ってきて、家で飼いはじめました。

雑種だっようですが、ゴールデンレトリバーが少しはいっているのかな、という容姿で、目がクリクリしていて、とてもかわいい子でした。

大好きだった映画から、トトロと名付けました。

捨て犬だったからか、最初は警戒していて、なかなかエサを食べてくれませんでした。

車に乗せると、捨てられたときのことを思い出すのか、クウーンクウーンと悲しそうに鳴いてました。

まだ小さいのに、すごくつらい経験をして、それが忘れられないんだなと感じ、私も悲しくなって泣きました。

初めて買うペットなので、大切に育てました。

トトロはどんどん大きくなって、エサをたくさん食べて、犬小屋もどんどん大きくしなければいけないほどでした。

1年たつ頃にはすっかり慣れて、家族の一員として元気すぎるぐらいに毎日遊んでいました。

ある朝起きると、トトロがぐったりとしていました。

エサをあげても、すべてはいてしまい、とても苦しそうで歩けないほどでした。

また、クウーンクウーンとないていて、わたしは心配で泣いてしまいました。

トトロが心配でしたが、わたしは小学校にいかなければならず、心配でしたが、お母さんが病院に連れていくとやくそくしてくれたので、家をでました。

それがトトロをみた最後でした。

小学校から帰ってくると、犬小屋は空っぽで、トトロはどこにもいませんでした。

お母さんにきくと、病院につれていったが、手遅れで、帰りに火葬してもらってきたということでした。

死因は、トトロが近くの工場のネズミを駆除するエサを食べたことでした。

どうして、もっと早く気づいてあげられなかったんだろうと今でも後悔しています。

ペットはかわいいと思いますが、あれ以来、お別れをするのがこわくて、ペットを飼うことができません。

愛犬の安楽死を選んだ自分の選択に、15年経った今も胸がいたい

愛犬のシベリアンハスキー、ランを14年飼っていました。

最期を看取ってから15年がたちます。

生後3ヶ月で家にやって来た時は、スリッパよりも小さく、庭を掘り返したりリモコンを破壊したりやんちゃばかりしていました。

14歳のおばあちゃんになった頃、近所に住む姉夫婦に子供が産まれました。

きっと家族皆の注意がそちらに向けられていたのでしょう。

寝ている時間が長くなったのも、単に年をとったせいだと思っていました。

焼きもちをやいてるのかもしれないね、と家族で笑っていた事を思い出します。

愚かでした。

その後急激に食欲が落ちました。

自力で立ち上がる事さえできなくなるまでは信じられないスピードでした。

急いで獣医にみせた時に言われた言葉は「もって明日か明後日でしょう」

なぜもっと早く気づいてあげられなかったのか、なぜすぐ獣医に連れて来なかったのかと自分を責めました。

「このままではとても苦しいし痛いと思いますが、どうされますか」

朦朧としながら苦しんだ体を強張らせているあの子を前に、私がとった手段は安楽死でした。

死ぬ瞬間までの数日間、こんなに苦しい思いをし続けるこの子を救う方法はそれしかないと思ったからです。

家族皆に見守られながら、薬が体に入った直後、全身の強張りがふっと和らいだ瞬間を今でも覚えています。

私は最期まであの子を見守る事から逃げた。

自分が辛いからあの子を死なせた!そんな思いでいっぱいになり、申し訳なさ、自分勝手さにつぶされそうでした。

何度も何度も謝りました。

正直15年たった今でも胸が痛いです。

けれども時間とともに、あの子が嬉しそうだったことや、一緒にあそんではしゃいだ事を思い出せるようになってきました。

今は後悔もありますが、感謝の気持ちが大きいです。

写真を見るたび、ビロードみたいな耳の柔らかさやふかふかのお腹のさわり心地を思い出し、ありがとね、と話しかけています。

ガンで1年後に亡くなった愛犬の死から命の尊さを知った

私は現在、大学4年生です。

小学6年生の冬まで、愛犬と楽しい日々を過ごしておりました。

その時点で愛犬は13歳で、犬の年齢からしたら高齢ではありますが、癌が見つかるまでは比較的元気に過ごしておりました。

癌が発覚してから約1年、あっという間に時は流れ、愛犬は家族全員に看取られながら天国へ旅立ちました。

癌ではあったものの、愛犬はとても強い子でした。

苦しむ様子はあまり見せず、最後は眠るように旅立って行ったのを今でも覚えております。

その時の愛犬が、私にとっての初めてのペットであり、その愛犬を沢山可愛がっていたこと相まって、命の大切さ、儚さを知りました。

これは、自分自身の手でペットを育てていなければ知り得ないことであると私は思っております。

やはり、命でありますので、人間のみならず、どの生き物にも必ず死という現実が待ち受けています。

しかし、これを乗り越えることで、命の重み、儚さ、悲しみ、全てを体験し、理解することで、新しい自分になれると私は思っております。

現在、私は自分でお金を出し、新しいペットのウサギを育てております。

朝起きて、頭を撫でて抱っこをし、ご飯をあげて、小屋の掃除をし、一緒に遊び、夜も共に寝るというサイクルが出来上がり、ペットとの生活が私自身の生活の一部となっております。

余談ではありますが、私のスマートフォンの写真一覧がペットの写真で埋まるほどです。

やはり、自分のペットはとても可愛いものです。

愛でることで、その可愛さは増すでしょう。

しかし、先程も述べました通り、どの生き物にも必ず死が待ち受けております。

これを乗り越えることで、命の儚さ、そして命の重みを知ることが出来るはずです。

これは、人生にとって必要不可欠なことであると私は自負しております。

愛犬から死とはどんなことか学びました

高校2年生の時、私が生まれてからずっと一緒にいた家族同様に思っていた愛犬が亡くなりました。

その愛犬の名前は「アブー」と言います。

私の母が父と出会って間もないころ、大きな台風が来る前日に、たまたま通りかかった川の近くでしわくちゃな子犬を見つけたのです。

そして彼(父)の家へ持って帰った事がアブーとの出会いになりました。

それから間もなく、母と父は結婚し私が生まれました。

なので、アブーは私より年上で家族のことをよく知っている一匹です。

生まれたときから、ずっと一緒にいるのが当たり前で毎日顔をみて「アブー行ってきます。

ただいま」を言っていました。

一緒に散歩にも出かけたし雷が怖いときにはそばにいたし、大切な存在でした。

それから時が過ぎ、家の建て替えをしたのです。

もう砂壁でかなり古かったのでしょうがないことですが、その間近くのアパートに住みました。

そこには犬を連れて行ってはダメだったので、一年ほどアブーと離れて暮らしました。

それから、新築に戻りアブーと一緒にまた暮らしましたが、前よりリードが短くなっており、なんだか慣れない様子でした。

今覚えばその時あたりからアブーに異変がおこりました。

離れ離れだった悲しいというストレスとなれない場所での住むことから、アブーが自分の家を噛んでいました。

そしてその危ない状態の場所に体を擦り付けて血が出ていたのです。

びっくりして病院へ連れて行きましたが、だんだん弱ってきて最後は玄関で眠るように息を取りました。

涙を流していました。

すごくショックで、でも痛そうだったのでやっと楽になったねと思いました。

最後は固い見たいを撫ででお墓に埋葬しています。

亡くなるという意味を初めて知った瞬間になりました。

フィラリアで亡くした愛犬 顕微鏡でみたフィラリアがいまも少しトラウマに

物心ついた頃から家で飼っていた愛犬は私が中学生の頃に亡くなりました。

名前はシロ。

その名の通り白い犬でした。

飼い始めたきっかけというのは兄が友達の家のハムスターをいじめたという一件があり、動物に優しくするという心を育てなければということで、親が動物を飼おうと決心したのでした。

近所の家で生まれた犬を譲っていただき飼い始めました。

私が物心ついたときにはすでに家族の一員でした。

大きさは中型犬といったところでしょうか。

紀州犬のようなりりしい顔つきの白くてきれいな犬でした。

頭がよく、気位の高い一面があり、粗末なエサは口にしない、人をよく覚え、お客さんでも好き嫌いが激しく、何度家に来る人でも吠える人には吠える、ときには噛みついて大事になったこともありました。

外飼いで、最後はフィラリアが原因で亡くなりました。

今時室内犬も多く、フィラリアの予防薬をきちんと服用させている人が多いと思いますが、当時は親もおおざっぱで、気にしたこともなかったのです。

シロが10歳くらいのころ突然ぐったりとしはじめ、食欲がなく、様子がおかしかったため、動物病院に連れて行きました。

動物病院で採血をされ、獣医師が顕微鏡で確認し、フィラリアだと診断されました。

その当時私は小学生だったのですが、獣医師が顕微鏡をのぞくよう促しました。

覗いてみると真っ赤な血の色を背景に白く細長い糸のような虫がうようよといました。

これがシロの血管の中でうようよしているのかと想像するとぞっとしました。

今でも若干のトラウマになっています。

動物病院で処方された薬を飲ませるとぐったりとしていた様子はすっかり良くなって元気になりました。

しかし半年ほどして再び症状が再燃。

また動物病院で同じ薬を処方されて服用させるとよくなる。

こういったことを何度か繰り返すうちに13歳でシロは亡くなりました。

だんだん衰弱して亡くなった愛犬 あんなに苦しそうな姿をみるのはもうこりごりです

私はまだ小さい頃に家で犬を飼っていた経験があります。

私がまだ小学生の頃の話です。

私には弟がいるのですが、その弟と近くの公園で遊んでいる時に、近所のおばちゃんが沢山の犬を連れて散歩していました。

それで、そのうちに顔見知りになり、一匹貰うことになったのです。

それからは、弟と私とで大事に育てることにしました。

勿論、家の両親も色々協力してくれました。

犬の餌を用意してくれたり、または散歩に連れてってくれたりと本当にありがたかったです。

私と弟も勿論、交代で散歩に連れてったりしていました。

そして、段々と月日が流れていって、犬も歳をとっていきました。

犬の寿命は人間に比べたら全然短いですので、それを初めて経験した時は本当に辛かったです。

誰しもが経験あると思うのですが、生き物が弱っていくところは、とても本当に辛くまた悲しいものです。

ですので、私はそのペットの犬が段々弱っていくところが本当に辛かったので、そのペットが亡くなって以降は一切生き物を飼いたいと思わなくなり、今、現在も何も飼っていません。

勿論、ペットは可愛いとは思いますが、そんな悲しい思いをするぐらいなら、もう二度とペットを飼いたいとは思いません。

その私が飼っていたペットの犬は、段々衰弱していき、そして、毎日くんくんと辛そうに泣いていました。

その時の様子は今でもよく覚えています。

ですので、あの時の辛い日々を今でも鮮明に覚えているので、ペットは本当にもうこりごりです。

不思議と逆に亡くなってしまってからの方がまだ私は少し気持ちが楽になりました。

むしろ、苦しんでいる時の方が本当に辛かったです。

愛犬の早すぎる死に世界が白黒になった 与えてくれた愛情を刻み生きていきたい

我が家は、父が愛犬家で私が生まれたる前から犬がいないことはありませんでした。

なので、私も物心ついた時から犬がいるという生活は当たり前でしたし、犬が怖いということは全くありませんでした。

しかし、父が飼う犬は大型犬のアフガンハウンドやボクサーという犬種で室外犬でした。

そのため、反動で小型犬で室内に飼うということを高校生の頃までずっと夢みてました。

大学生になり、あるペットショップで可愛い赤ちゃんのミニチュアダックスフンドを見ました。

運命だと思い、バイトをして親には内緒でそのミニチュアダックスフンドを購入するお金を貯めて念願の室内犬を飼いました。

潔癖症の母ですが元々愛犬家なので飼ってきてしまったなら、とミニチュアダックスフンドのポッケと私の時間が始まりました。

まだ、1ヶ月半の赤ちゃんだったので、寝るときはゲージに入れてと思ってましたが深夜にずっと寂しくてクーンクーンと鳴くので私の布団で隣に寝かせてあげると落ち着いて寝ていたことを今でも覚えていています。

以来、ポッケはお布団で私の隣に寝ることが日課になりました。

大学生なので、バイトやゼミ、サークルや飲み、デートの度に家に帰るのがとても遅くなることがありましたが、ポッケは私の足音を聞くとすぐに玄関まで出てきてるおかえりなさいの「ワンワン!」と迎えてくれます。

そんなポッケとの生活がずっと続くと思ってました。

しかし、私が社会人になり忙しい日々を送っていて、中々ポッケとの遊ぶことも少なくなってきたと思っていました。

ポッケの食欲が徐々に減り、心臓の病気で余命わずかということをお医者さんから言われました。

ショックでした。

まだまだ寿命じゃないのに。

毎日、ごはんの量は減っていきますが、いつもと変わらず仕事から帰るとどんなに遅い時間でも出迎えてくれました。

そして、3ヶ月後、歩くのも困難な状況でしたが、ポッケは仕事帰りの私をきちんと玄関まて迎えてくれて、そして、そのまま膝に抱っこされると安心したかのように眠って天国へ行きました。

当たり前のようにいてくれた存在がいなくなってしまったことにショックで仕事から、帰るたびに泣いていました。

帰ってもそこに迎えてくれるポッケがいなくて、世界が色がなくなり、白黒に見えました。

布団に入っても温かいぬくもりがいないことが信じられませんでした。

今でも書いていると涙が出そうになります。

しかし、ポッケが与えてくれた思い出と共に悲しさを胸に忘れずに与えてくれた愛情を刻み生きていくと思うと強くなれた気がしました。

5歳で亡くなった愛犬はどこが悪かったのか?早く病院に連れて行けばよかったと後悔

私がペットのごんと出会ったのは、父親が連れて来てくれた時からでした。

私が犬が大好きなので、ユジンの家で生まれたワンちゃんを連れて来てくれたのです。

その後は、私とずっといる形になりました。

学校から帰ってきてもずっと一緒です。

尻尾を振ってくれるので、その姿が愛らしいです。

しかしゴンが5歳の時に、急に元気がなくなりなくなってしまいました。

あっと言う間だったので、どうしてなくなったのかわかりません。

そのことについて、とても後悔をしています。

何かサインがあったのではないかと思うのです。

そのサインについて全く気付かなかったのです。

その後は、学校から帰ってきて、ゴンがいないのでとても寂しいです。

いつもいるはずのワンちゃんがいないのです。

その寂しさはなにもする気持ちが起きませんでした。

母親が心配して色々なところに連れて行ってくれたりしたのですが、やっぱりごんと一緒がよかったです。

そして食事もあまりできなくなり、大好きだったお菓子も食べたくありませんでした。

どうしてもごんと過ごした思い出が蘇ってきて、そのことばかり考えていたからです。

そして私が元気になったのは、ごんの小さい時にそっくりなワンちゃんを連れて来てくれた時からです。

そのワンちゃんをみた時はごんのうまれかわりと思うことができのです。

毎日散歩をするうちに、少しづつそのワンちゃんとの生活をする中で、寂しさも少なくなっていきました。

ゴンちゃん、天国で楽しく散歩してね!ごんの生まれ変わりをありがとう!

おとなしく人懐っこい愛犬の死 思い出すと今も涙がこぼれる

私は鹿児島県与論島の出身で、2013年に7年ぶりに与論島に帰省しました。

そしたら亡き姉が飼っていた愛犬ジョンがいました。

この犬は亡き姉が寂しいあまりに親に「ペットが欲しい」と言い出して、近所のおばさんから子犬をもらったのが始まりです。

この愛犬はジョンという名前ですが、とても人懐こい性格です。

そして噛み付くこともせず人が来ても吠えることはありませんでした。

僕も与論島に引っ越してきてからはとても可愛がっていて散歩に行ったり、餌を与えたりしてとても可愛がっていました。

また姪っ子もとても可愛がっていて、姪っ子は東京に住んでいるのですが、与論島に遊びに来たときはジョンと遊んでいていました。

このジョンはとても賢く離し飼いしても家にちゃんと戻ってきます。

頭が良くて「お手!」と言っても手を差し出します。

大した躾をしていないのになぜか躾がちゃんとなっています。

しかしそんなジョンも2015年に病気が発覚しました。

与論島の獣医さんに診てもらった結果、体の中にギョウ虫がいると言われ、注射や薬をもらって治療していましたが、病気が発覚してから3ヶ月後に他界しました。

最期は眠るように旅立って行きました。

その時のことを思い出すととても悲しい気持ちになります。

家族を失った気持ちで苦しくなります。

ジョンとの想い出はいっぱいあります。

父、母、私の3人で可愛がっていて、家族同然の扱いをしていたのでそのジョンがいなくなるととても辛い気持ちでした。

思い出すと今でも涙が出てきます。

母が亡くなって一人になった父を支えてくれた愛猫 実家に会いにいく前になくなり後悔 泣いてばかりいた

私が20歳の頃、友人と訪れたコンビニエンスストアで子猫を拾いました。

真っ白な体にブルーの瞳のとてもきれいな猫でした。

捨て猫や野良猫を見たことはそれまでもありましたが、なぜかその子だけは離れることができず、思わず友人の車に乗せてもらい連れて帰ったのを覚えています。

もともと飼い猫だったのか、トイレや食事の躾もすでにされていて、食卓の上のものに手を出したりするようなことも無く、とても賢い子でした。

性格もおとなしくて、走り回ったりじゃれたりといった猫らしい行動があまり無く、いつも家族の誰かにぴったりと寄り添って寝ていました。

私は当時実家暮らしでしたので、父も母も非常にかわいがっており、いつも家族の中心にその子がいました。

ある年私の母親が病気で亡くなり、実家には父と私と猫だけになりました。

毎日母と寝ていた猫は、とても寂しそうに見えました。

父はもう定年退職して家に毎日おりましたが、母親がいなくなった寂しさをその子がずいぶん紛らわせてくれていたと思います。

数年後、私が実家を出ることになり、その子は置いていくしかありませんでしたが、父を一人で残して行くより安心できました。

きっと父の話し相手になってくれていたと思います。

それからは私もたまにしか実家に帰ることができず、猫と触れ合う時間がだんだん減っていきました。

猫が14歳になった頃、父から「だんだん弱ってきている」と連絡があり、最後に実家に会いに行く前に亡くなってしまいました。

猫にしては14歳は長生きで、病気もせず大往生でしたが、それだけに一緒過ごした時間が長く、いなくなってしまった後はとても辛かったです。

家の中の何を見ても思い出し、しばらくは何も手にかず泣いてばかりいました。

もっと会いに行けばよかった。

と何度も思いましたし、写真などがあまり残っておらず、小さい頃からもっと記録を残せばよかったとも思いました。

なにより一人になってしまった父はとにかく寂しそうで、あまりに辛いのでもう生き物を飼うのはいやだと言っていました。

一緒にいられる時間は限られているものです。

わかっていたつもりでいましたが、失って改めて思い知らされることばかりでした。

長い間、父親といてくれてありがとうと伝えたいです。

亡くなってから15年経つのに新しい仔は迎えれない 19年生きてくれた愛犬に今も感謝し続けている

もう15年近く前のことになりますが、実家にいた愛犬ロッキーが亡くなりました。

白内障と心臓病を患って、晩年はいろいろと不自由な生活を送っていましたが、19年という長い間、私たちと共に過ごしてくれました。

ロッキーは、父の知人から譲り受けた犬です。

その年祖父が亡くなり、みんなが寂しい思いをしている中、ロッキーはうちに来てくれました。

目をクリクリ動かしながら、黒い体で弾丸のように家中を走り回り、誰も追いつけませんでした。

家族に愛嬌を振りまき、すり寄ってきては、よく膝の上に顎を乗せて昼寝していました。

散歩に連れて行くと、最初は張り切ってズンズン進んで行くのに、途中で疲れたとでも言うように、コロンとひっくり返って抱っこをせがみました。

こんな、家族にとってはかわいくて仕方ない、アイドル的な存在のロッキーでしたが、15歳を越えたあたりから、急に具合が悪くなり始めました。

最後の1~2年は、ベッド代わりのバスケットの中で、一日のほとんどを過ごすようになりました。

亡くなる前日、獣医さんから「もう、いつ逝ってもおかしくない状態だから」と言われたそうです。

母は、枕元にロッキーのバスケットを運んできて、一緒に寝ました。

明け方にロッキーは、ひどく辛そうに鳴いて、そのあとすぐに亡くなったということです。

その時私は、社会人になり実家を出ていました。

実家にはたまに帰っていましたが、ロッキーの世話をなかなかできずにいました。

最後までしっかりそばにいてやれなかったことを、今でも後悔しています。

ロッキーが亡くなって半年ほどは、胸にポッカリ穴が開いたようで寂しく、とても心細い気持ちでいっぱいでした。

小さい頃からの、一緒に過ごしたロッキーとの出来事を思い出し、「あの時、ロッキーはきっと楽しかったはずだ、幸せだったはずだ」と考えることで、何とか心を落ち着かせ、日々を過ごしました。

そして、19年も生きてくれてありがとうと、天国のロッキーに語り掛けました。

今でも、感謝し続けています。

ロッキーの存在が大き過ぎて、新しく犬を飼うということを、未だに考えられないです。

でもいつか、そういう時が来たら、ロッキーに注いだのと同じぐらいの愛情をもって、迎えたいと思っています。

10歳でガンで別れた愛犬 それから8年かけて気持ちが整理でき、ようやく新しい仔をむかえることができた

ヨークシャテリアの女の子の可愛くて可愛くて仕方なかった『もなか』と出会ったのは、忘れもしない、私が高校一年生の8月16日でした。

もう20年も前の事になります。

昔は犬に追いかけられた経験があり、犬嫌いだったのですが、従兄弟の家で飼い始めた仔犬の『サラ』と出会って犬が大好きになり、私も犬が欲しいと兄と共に両親に何年も頼み続けていました。

両親には愛犬を亡くした経験があり、生き物との出会いがあれば別れも来るけど乗り越えられるのか、ただ可愛がるだけではダメ、ちゃんと世話をすると言う約束を何度も何度もした事を覚えています。

そして、とうとう愛犬のもなかは家にやって来てくれました。

赤ちゃんの時は片手に乗るくらい小さくて、お腹はポンポコリンで、まさに食べてしまいたい程可愛かったです。

当時兄は思春期?反抗期?で食事の時以外は部屋にこもっていましたが、もなかのお陰で兄が家族団欒の中に戻ってきてくれました。

それから10年がたった頃、突然もなかのお腹の左下に灰色っぽいしこりが出来ました。

すぐに病院に連れていくと、良くない出来物で手術をすることになりました。

手術から10日も経たずに、突然もなかは亡くなりました。

最後は肺に水がたまり息が上手く出来ず、舌が紫色になり…本当に見ているのも可哀想でした。

その時の事は今でも思い出すだけで涙がでます。

乳腺腫ガン…避妊手術をしていたら、なる可能性が低くなるガンです。

もなかを迎えた頃は去勢避妊手術のメリットの知識をまったく持っていませんでした。

手術をしなかったことを今でも後悔しています。

もなかが居なくなってしまって、我が家全員の心にポッカリと穴が開きました。

親戚の家の犬、外ですれ違う犬…どんな犬種の子も見るだけで涙が出ました。

特に母が我が子を失った様に悲しみ、食事も取れず、弱ってしまっていたので、励まししていたためか、私は悲しいながらも前向きでいられました。

この悲しみは時間しか解決出来ないと思います。

家族で励ましあっているうちに心が落ち着いて来ました。

共に涙を流したり、思い出を語る家に心の整理もできました。

もなかとの別れから8年後、今の愛犬を迎えました。

もなかにしてあげられなかった事はすべてやってあげようと思っています。

当然去勢手術は出来る月齢に行いました。

この子は違う名前なのに、『もなかっ』と呼ぶと反応します。

きっと生まれ変わって帰ってきてくれたんろうと都合の良いことを思っています。

愛犬が車にひかれるきっかけを私が作ってしまった 悔やんでも悔やみきれない

私が中学校2年生の時、飼っていた犬のサリーが車にひかれて死んでしまいました。

サリーはまだ10か月の赤ちゃんでした。

サリーは私が小学校4年生の時に公園で拾ってきたクロの子供でした。

クロが妊娠し、お腹が大きくなっていく姿を側ですっと見てきました。

サリーが無事に産まれた時、私は嬉しくて仕方ありませんでした。

手のひらに乗るサイズのサリーが無事に育っていくのか心配で夜中に何度も様子を見に行ったりしていました。

無事に成長し、外に行けるようになってからは毎日散歩に行き、夜は一緒に寝ていました。

サリーは外が大好きだったので庭にドッグランを作り、その中に昼間に過ごせる犬小屋も用意しました。

ある日、知人に不幸事があり留守番をさせて家族で出掛けることになりました。

夕方には帰れるとの事だったので、部屋の中ではなく庭の犬小屋に入れ、ドッグランに鍵をかけて待っていてもらう事にしました。

しかし、突然の不幸事に焦っていたのか、鍵がきちんと閉められていなかったようです。

お葬式から帰ってくると、家の前に車で引かれた状態で倒れているサリーの姿がありました。

ドッグランの鍵を最後に締めたのは私です。

サリーを殺してしまったのは私だと思い、ショックで何も出来ない状況になりました。

私が学校に行ったりご飯を食べたり、普通に生活をすることがとても罪であるようにも感じました。

どうして鍵を閉めなかったのか、室内で留守番させなかったのか、悔やんでも悔やみきれませんでした。

また、母犬であるクロから子供を奪ってしまったことも申し訳なくて仕方ありませんでした。

結局、しばらくは学校にも行くことができませんでした。

学校に行き始めてからも、何をするにもやる気が出ませんでした。

そんな私を助けてくれたのはサリーの母犬のクロです。

サリーがいなくなってから、夜に私のベッドに来て一緒に寝てくれるようになったのです。

大丈夫だよ、責めないでと言ってくれているような姿にとても救われました。

私のせいでサリーが亡くなってしまったという事実は今でも胸に後悔として深く残っています。

中学2年生であった私も今では結婚し、2児の母です。

そして昨年、犬を飼い始めました。

ずっと私が犬を飼って良いのか不安でしたが、子供の希望もあり我が家の家族として迎え入れました。

やはり、犬と過ごす毎日は幸せです。

サリーの分も愛犬を幸せにして、今度こそ何があっても守り抜きたいと思っています。

一周忌を迎え法要を済ませ愛犬 次の仔を迎えていいかな?許してくれるかなと家族と相談しています

昨年の10月、14歳で突然この世を去ったトイプードルのキャンディー

私が小学校4年生の時に家にきてくれました。

迎え入れた日はとても晴れていて印象的だったことを今でもよく覚えています。

初めて会った時、他の兄妹よりも一回り以上小さいフワフワのわたあめのようなとても可愛い子でした。

身体が弱かったため亡くなるまでに何度も病気をしたりしていましたが

その度に乗り越えてきた子だったので今回もきっと乗り越えてくれるだろうと思っていました。

たまたま、定期検診に連れて行った時に病院で発作を起こしそのまま入院、回復することなく亡くなってしまい

何の前触れもなかったため、私も家族もかなりショックが大きかったです。

亡くなった日も、とても晴れていてキャンディーが家に来た日とよく似ていました。

また奇しくも、月は違いますが生まれた日と亡くなった日が同じということになんとも言えない気持ちになりました。

ただ、家族でしっかり看取ることができ病院の先生方にも綺麗に可愛くしてもらい

キャンディーも安らかな顔をしていたことだけは救いでした。

先月、一周忌を迎え法要を済ませましたがこの一年は早かったような長かったような複雑な気持ちです。

亡くなってからの1ヶ月は受け入れられなくて何度も泣いていましたが、今考えると無理して我慢することはなく

無理して我慢してもただ苦しいだけなので家族で愛犬の思い出話をしながらゆっくり辛い気持ちを癒していけばいいのかなと思います。

やはり、愛犬の存在は大きく家族で次の子をそろそろ迎えてもいいんじゃないかという風に考えています。

キャンディーはいいよって言ってくれるかな~?なんて家族で話しています。

脱走し電車にひかれ亡くなった愛犬 もっと注意していればと後悔ばかり

私が昔から動物が大好きでした。

小学生の頃に、両親におねだりして犬を買ってもらいました。

いつも顔をペロペロと舐めてくれるのでペロと名前をつけました。

毎日学校が終わるとペロに会いたくて走って帰りました。

ペロはいつも尻尾をブンブン振ってすごく喜んで出迎えてくれていました。

学校で嫌なことがあったりするといつもペロに愚痴っていました。

ペロはいつも黙って聞いてそして私の顔ペロっと舐めて慰めてくれているかのようでした。

私はそんな優しいペロが大好きでした。

それから14年が経ちました。

私は社会人になり、彼氏ができたり仕事をしたりと日々忙しくなりました。

家に帰る日が遅くなったりする日もありなかなかペロと触れ合うことも少なくなってきていました。

でも外出する時は行ってきます、帰ったらただいまの挨拶は必ずしていました。

そんな中、ペロとの別れは突然やってきました。

朝方掃除をしている祖母が少し玄関のドアを開けた隙にペロは脱走してしまいました。

家族で探しましたが見つからず夕方になり、家のすぐそばを通っている電車が警笛を鳴らしました。

それはとてもとても大きな音でした。

嫌な予感がしました。

おじいちゃんはすぐに線路の方を見に行きました。

ペロは電車にひかれて亡くなっていました。

あの警笛の音はペロに対しての音だったのです。

でもペロは歳をとって耳が全く聞こえ無くなっていました。

おじいちゃんは農作業で使う一輪車にペロ乗せて家まで運びました。

私には見ない方がいいと言いました。

本当に突然ペロはいなくなってしまいました。

仕事に行く時帰ってきたときついペロを探して声をかけようとしてしまいます。

でももういないのです。

犬の寿命は15歳だと言われています。

14歳のペロともうと一緒にいるべきでした。

犬は話さないしいつも元気で変わらず可愛いけれど、確実に歳はとっていたんですよね。

もっと注意をしていればこんな事故にならなかったかもしれない。

社会人になって自分のことで精一杯になって、でもペロはいつも私のことを待っていてくれたのに…その後毎日泣じゃくりました。

後悔ばかりでした。

後悔してもペロはいない、でとずっと忘れないようにと写真を飾っていつも話しかけることにしました。

ペロが寂しくないように。

その後何年かして両親が犬を飼いました。

その犬も今15歳になります。

過去の教訓を生かしてじゃないですけど、大切に育てています。

愛犬の死にもっと可愛がらなかったのかと後悔 いつかは死ぬということを考えさせられた

2015年の夏頃
私が21歳の時愛犬、チビが亡くなった

自分が小学校1年生の時に家にやってきた、ミニチュアダックスのちび
生まれたての小さな体で家族みんなで
可愛がっていた

14歳という高齢だったのもあり
ずっと今年が最後かなと3年ほど言っていて、覚悟は出来ていたつもりだったけど、亡くなってしまうととても辛い

なかなか躾けがうまくいかず
すぐに吠えたり、時には?みつこうとしたりとヤンチャな子だった

それでも辛い時にはいつもそばにいてくれて、癒しをくれていた

小学生の時は散歩にも沢山いったり
公園で一緒に遊んだりしていたが
中学高校と大きくなるにつれて
外に一緒に遊びに行くこともなくなっていった

晩年はだんだん元気がなくなっていた

前までは家の中を走り回って
タオルやぬいぐるみで遊んでいたけど
いつからかそれもしなくなった

そうやって弱ってるのが
目に見えてても

毎日チビが家にいるので

心のどこかで
「まだ大丈夫でしょ」
と思っている自分がいた

ある時家に帰ると
いつものように寝ているチビがいた

しかし、すぐに様子がおかしいことに気づく。

息もあらく、とても苦しそうに
「ぜぇー、ぜぇー」と
息を漏らしている

ちょうど家族全員がそろっていて
家族に見守られながら
息を引き取った。

当時は身近な人が死ぬ経験などしたことがなかった

私にとって生まれて初めての
「死」という経験

なんでもっと可愛がって
やらなかったのか
なんでもっと散歩に連れて
行ってやらなかったのか

そう、後悔する毎日でした

生きてる限りいつかは死ぬ

こんな当たり前なことを
考えさせられる出来事でした

毎日顔をあわせていても
お互いいつ死ぬかはわからない

しっかり前を向いて
「今」を懸命に生きようと思ってます

チビは今、実家の庭で眠っています。

家族のことを見守ってくれているのかなと思います。

国際電話で知った愛犬の死 一時帰国し庭の片隅の愛犬の白い毛取った瞬間 涙が溢れてきて

初めてテツに会ったのは、私が高校1年生の時でした。

友人の家に遊びに行ったときに、「子犬が産まれたんだ。

1匹、もらってくれる?」と言われました。

私は家族に相談して、後日、母と一緒に友人宅を再び訪れ、もらいに行くことにしました。

茶色の子が3匹、白い子が1匹。

私たちは迷わず、白い子を抱き上げました。

名前は父が「テツだ」と言い、即決。

初めは手のひらに乗るほどの小ささで、家の中で飼っていたのですが、ある程度大きくなってからは、田舎で庭が広いため、外飼い犬となりました。

犬小屋は父の手作りです。

夏用に日の当たらない家の裏に一軒、冬用に日当たりの良い庭に一軒。

テツは庭中を自由に動ける鎖をつけてもらって、あちこち掘ったり、収穫したサツマイモを食べてしまったり、蝶々を追いかけたり、庭での生活を楽しんでいるようでした。

私は大学進学する為、実家を離れました。

その後、就職、結婚と続き、もう、実家に帰るのは月に数回となりました。

実家に帰るとテツの散歩をしたり、餌をあげたり、その時だけは私がお世話をしました。

そうして、娘が生まれ、散歩はテツと私と娘の3人で行くようになりました。

テツはまだ小さかった娘をよく追いかけたり、吠えて、父に怒られていました。

そんな元気だったテツですが、次第に足腰が弱くなってきました。

犬小屋に入る段差も、昇るのがやっとです。

ですが、獣医さんから少しでも散歩したり、動けるうちは動かすよう言われていたので、少しだけの散歩は続けていました。

娘が幼稚園生になるころには、テツはのろのろ歩きで、娘がリードを持っても大丈夫なほどでした。

この頃、家族で海外移住が決まり、私たちは海外へ。

毎週、実家の両親とインターネット通話をして、テツの様子も聞いていました。

高齢犬の為、相変わらず弱い足腰ですが、内臓等に特に病気はないとの事。

そしてある、冬の日。

国際電話でテツが亡くなったことを知りました。

17歳でした。

あまりにも遠く離れていて、最後の日に駆け付けられなかった事が悔やまれてなりません。

テツとの日々は、宝物、そのものでした。

私の青春時代の写真にも、主人と結婚してからの写真にも、娘の幼い頃の写真にも、沢山のテツが写っています。

夏が来て、私たちは日本に一時帰国しました。

テツは実家の畑の片隅にお墓を作ってもらって、そこで眠っていました。

不思議なことに、テツの上にだけ、沢山の花が咲いているのです。

野生の花ですが、とても美しかったです。

テツの毛の色のような、白い花でした。

そして、テツのいた犬小屋。

テツの白い毛が隅っこに残っていて、それを手に取った瞬間、涙が止まりませんでした。

いつもいた場所にテツがいない。

そこだけぽっかりと穴が開いて、そこだけ時間が止まったままで、不思議な気持ちでした。

その場所に立っていると、テツとの思い出が次々と蘇ってきます。

テツがそこにいるような気がして、優しい気持ちになれます。

そして今、テツ2号として、実家にはテツと同じ名前の、同じ毛色の子犬がいます。

テツの小屋に住んで、テツのお皿で餌を食べています。

子犬のテツの横に、テツが一緒にいる気がして、私はそれが嬉しいのです。

テツ、今は天国とここを行き来していると思います。

子犬テツとの新しい生活は楽しいですか。

テツ、私たちに幸せで楽しい時間をどうもありがとう。

登校拒否にならずにすんだのは愛犬と担任の先生の気づかい 20年経っても忘れることができない

中学生の時、14年間一緒に暮らしていた愛犬が老衰によって長くないと言われました。

当時、私はクラスメイトとうまくいかずに学校へ行きたくないと思っていたのですが、愛犬がいるお陰で頑張ろうという気持ちになり、何とか通っていたのですが、愛犬がもう余命幾ばくもないという時、学校へいくことがバカらしくなり、何も食べずにどんどんと元気がなくなっていく姿を近くで何もできずに見ていることしかできず、苦しそうな愛犬の背中をさすってあげていました。

学校へ行かずに愛犬のそばに4日ほどいると、とうとう息を引き取ってしまいました。

辛いときいつもそばにいてくれた愛犬がいなくなったという喪失感で自分は生きている意味がなくなったと感じました。

これまで、嫌なことがあったとしても、いつも慰めてくれた愛犬がいたから頑張れたのに、もう自分のことを慰めてくれる愛犬はいません。

学校へ行くことも出来ず、家にいても愛犬のことを考えて泣いてばかりで、夢にまで愛犬が出てくる始末です。

二週間ほど学校へ行かないと、学校の先生が訪問するようになったりと、慌ただしくなっていきました。

愛犬が亡くなったことでやる気を失ったということを、誰にも受け入れてもらえないと思っていたのですが、担任の先生にそのことを話すと、元気になるまで休んでもいいと言われました。

しかし、一人でいると寂しいだろうからと、毎日学校のあとに家に来てくれました。

おかけで、何とか登校拒否にはならずに済みました。

愛犬が亡くなったことはあれから20年以上経っても忘れることはできません。

しかし、そばにいることは理解しています。

今でも夢で会っては泣いてしまうこともありますが、愛犬と過ごした日々は忘れることはできない一時だったと思っています。

愛犬の死後半年は気が張っていたが、納骨した瞬間フラッシュバックで涙が溢れその後うつ状態に 今は前向きになりつつ

18年前、動物管理センターの里親会に薄茶色で大きな耳が垂れている上目遣いの小さな雑種犬が檻の隅で震えていました。

先日亡くなった母はその子が気になって仕方なかったので我が家に連れてきたのがポンとの生活の始まりでした。

近くに人が居ると、お尻を誰かの足の上に乗せピタリと身体を寄せてくる甘え上手な男の子でした。

犬は切らさずに、ずっと飼っていた我が家でしたが、こんなにも性格の良い子は初めてでした。

とっても優しくて飼い主の言うことをきちんと守る頭のいい子でもありました。

食べるのが大好きでごはんやおやつだけでは飽き足らず、高齢になった時には毎日の散歩に出かけると落ちているゴミなども口にしてしまうほどでした。

去年の秋に、ポンを連れてきた母が病気で他界すると父も次第に元気を無くし、ポンにも元気が無くなって来てしまいました。

父が緊急入院することになったので私も忙しくポンを自宅で預かる訳には行かなかったのでペットホテルに一時預かりでお願いしました。

預けて1ヶ月後ほどした時にてんかん発作を発症し引きつけを起こすようになり3度ほど続いたある日そのまま亡くなったとホテルから連絡がありました。

引きつけを起こしたので可愛いはずの顔は少し強ばっていましたが18年も良く生きていてくれたと感謝でいっぱいになりました。

母の死に父の入院、自分の家族の生活がありますから落ち込んではいられない、としばらくは気が張っていましたが
納骨出来なくて半年間ずっと家に置いていたポンの遺骨を庭に埋めようとした時に、突然フラッシュバックしたように涙が溢れ止まらなくなりました。

いつも元気にしていた私が号泣してる??と子供たちは絶句で、かなりビックリしていたようでした。

1度溢れ出した悲しみは止まらず、食事を摂る量も減り、前向きに考えられなくなってしまいうつ状態になっていたのだと思います。

今は子供たちの笑顔で少しずつ前向きになってきました。

大切なペットを亡くして前向きになれない今があっても、一歩一歩進んでいけば必ず未来はあります。

天国に行ったうちのポンはきっと絶対に笑っている私を見たいと思っているので少しずつ元気を出していきたいと思っています。

避妊の手術が原因?余命宣告されてから一ヶ月、私たちと一緒に懸命に生きた愛犬

6年前の10月にシーズーの愛犬モモが8歳の若さで天国に逝きました。

年末から少量の頻尿頻便で、最初は膀胱炎だろうと医師から診断され、色々薬を試したものの、回復は見られずでした。

2012年春に3Dレントゲンとってみたら、膀胱付近に結構大きな腫瘍か腫瘤がありました。

病院からは良性の腫瘍なら取れるかもしれないと5月に手術したら、腫瘤だったので、周りの臓器に癒着してしまっている状態で全て取れませんでした。

組織分析をしてみたら、良性だったので、ステロイド投与して様子みましょうと。

この腫瘤もモモちゃんが避妊の手術した際に細胞レベルで入ってしまったものかもしれなくて、年月をかけて、ここまで大きくなってしまったみたいです。

やはり手術で取れないものなので、よくはならないとは前々から言われていました。

排泄するのは腫瘤があり、出にくいのでいきみ続け、とても辛そうでした。

モモは段々痩せていき4キロまで減り、状態は良くならなくて、9月には食べられなくなり、透明な尿が出て、いわゆる尿毒症の症状です。

病院へいったら余命一週間と宣告されました。

宣告されたとき、顔もしっかりしているし、元気そうで何も信じられなくて、家族皆で泣き続けました。

避妊の手術、しなければよかったのだろうかと、後悔が何度も頭をよぎりました。

でも、この宣告からまた大好きな桃や梨やりんごを食べて、尿も黄色くなって元気になったものの、食べられなくなることもあったり、波はありましたが、大好きなお家で一ヶ月過ごすことができました。

私は11月に結婚を控えていたので、死に際は新居に居り、母からの深夜の連絡で知り、新居と実家が近かったので、泣く泣く向かいました。

モモはまだ温かかった。

いつもの様に眠っているようでむくっと起きるのではないかなぁと不思議な感覚でした。

母によると、母は風呂に入って、湯船に入っているとき、モモが「ワン!」っと、鳴き、どうしたのだろうと急いで風呂を出たら息を引き取っていたようです。

きっと最期の力を振り絞って、「ママ、ありがとう」と、伝えたかったのでしょう。

最期まで頑張った、モモちゃん…今思い返しても涙が止まりません。

8年間、私の人生も大学受験、大学生活、社会人で就職して、結婚とどのライフステージでもいつもしっぽを振って喜んで玄関で迎えてくれたモモちゃん…。

ありがとう。

最期の1年、一緒に過ごした2代目シーズーの元気いっぱいのリリーは今7歳、モモと同じぐらいの年齢になりました。

天国からも元気で、私たち家族を見守っていてくださいね。

僕の味方だった愛犬の死 泣かずに幸せに過ごすことが、愛犬も望んでいるのかなと思う

僕が小学生の頃愛犬の「れん」がこの世を去りました。

れんは僕が生まれる少し前に我が家の家族として祖母が連れてきた雑種の犬です。

れんという名前は男の子っぽいですがれんは女の子です。

れんは僕をいつも学校から帰ってくると尻尾をふって出迎えてくれました。

どんなつらいことがあってもれんだけは僕の味方な気がしてそれだけで毎日頑張れました。

ある朝起きるとれんは死んでしまっていました。

そのときは親に言われるがまま段ボールの中に眠るように亡くなっていたれんに線香をあげて学校に行きました。

そのときはあまりのことに涙も出ませんでしたが、帰ってきていざれんがいない日常になったことに涙がともりませんでした。

後から両親に聞くと夜中に最後の遠吠えが聞こえたと聞き、ますます涙が止まりませんでした。

れんが亡くなって改めてその大きな存在に気づきました。

「れんにどれだけ支えられてきただろう」「僕はれんに何かしてやれただろうか」「れんはうちに来て幸せだっただろうか」そんな気持ちが小学生ながら頭をぐるぐるしていたのを今でも覚えています。

当時は親がいないときはれんのことばかり考えて部屋で一人泣いていました。

「くよくよしててもうれしくないよ」そんなことをれんが言っている気がして今は安定しています。

今は猫を一匹飼っています。

雑種で色もれんと同じ茶色の捨て猫でした。

この子がなんとなくれんの生まれ変わりな気がしていま幸せに暮らしています。

今でもこうして過去を振り返ると涙が出そうになりますが泣かずに幸せに過ごすことが、れんも望んでいるのかなと思っています。

老衰で亡くなった愛犬 また飼いたいなと思うもあの冷たくなった愛犬のことを思うと切なくてちょっと怖い

こんにちは!
32歳の主婦です。

私には14歳の頃から飼っていた「ロロ」という犬がいました。

ロロは知り合いの家に産まれた雑種犬。

黒柴のような外見です。

知り合いの家に子犬が数匹生まれたというので、その中から選ばれたのがロロでした。

両手に乗るほどの小さかったロロ。

はじめは怖がりで家族から離れられなくて、いつも誰かの後ろをついて回っていました。

気が付けばあっという間に大きくなって、元気いっぱい。

玄関先で飼ってましたが、誰かが帰ってくると大興奮してしっぽを振り、飛びついて、甘えてきました。

散歩が大好きで、リードを見せるとぴょんぴょん飛び跳ねて、大喜び。

時々脱走する困った子でしたが、みんなに愛されていました。

大きな病気もせず、過ごしてきましたが、ロロの体調が崩れ始めたのはロロが11歳を過ぎた頃でした。

ご飯を残すことが多くなったことや、なんだか元気がないことが多くなりました。

散歩に行こうとしてもあまり喜ばず…

父が心配し病院に連れて行くと、もう10歳も過ぎ、少しずつ年をとってきているからだろうとのこと。

そのあたりから少しずつチロは元気がなくなってきました。

散歩に連れて行ってもノロノロ。

初めは喜んで行くのですが、すぐに帰りたがります。

途中でパタリと足が止まってしまうのです。

誰かが家に帰ってきても犬小屋から出てこなくなりました。

定期的に病院に連れていきましたが、大きな病気もなく…
少しずつ、少しずつロロは年老いていったのです。

12歳になった頃には外犬だったロロですが、家の中で過ごすようになりました。

ほとんど動かす、ご飯もあまり食べなくなり、病院の先生も
「もう老衰と思って、いつ亡くなるかわからないから覚悟しておいてね」とのことでした。

私達も覚悟をしていました。

なるべくロロのそばにいたくて、家族みんなロロのいる居間に集まるようになりました。

そしてある日のこと、私が外出中のことでした。

ロロは突然痙攣をし、そのまま静かに亡くなってしまいました。

その時たまたま父と母がそばにいて、「ロロ!」と呼びかけたそうなのですが…。

私は帰宅し、冷たくなってしまったロロに会い、本当にショックでした。

当たり前のようにいた愛犬。

帰るたびに出迎えてくれたロロはもうなくなったんだと本当に悲しかったです。

しばらく引きずってしまいました。

 愛犬ロスという言葉がありますが、本当に自分がなるなんて。

  

職場でもロロの話をすると泣いてしまったり、ふとした時に思い出して本当に辛かったです。

少しずつ時が流れて、あれから数年がたちました。

いつか犬をまた飼いたいなという思いもありますが、
あの冷たくなったロロのことを思うと切なくてちょっと怖いですね。

 

あとは、一番辛いのは辛そうな愛犬を見守ることしかできなかったことです。

言葉を話せないけど、辛いってことが伝わるんです。

それが本当に切なくて。

何もできなくてごめんね。

辛いよね、って撫でることが精一杯でした。

でも楽しかったロロとの日々は本当に宝物です。

いくつになっても、ロロのことは私は忘れません。

 

海外移住で死に目に会えなかった愛犬 運命的な出会いでそっくりな犬を引き取ることに

ちょうど2年前の冬、実家から三代目になる愛犬ピピが高齢のため亡くなったとメッセージを受け取りました。

大学進学と同時に、近所で飼えなくなった人から譲ってもらったことが私が家に迎えるきっかけでした。

当時、すでに同種の犬を2匹飼っていたので、専業主婦の母親と相談し、引き取ることになったのです。

しかし、前の飼い主の飼育の仕方がその犬種にあっていなかったようで、室内で飼い始めた当時は散歩やトイレのしつけなど、丁寧にケアしなければなりませんでした。

その甲斐あって、数年後には他の犬とも仲良くし、体調も良好になっていきました。

大学卒業後、東京で一人暮らしをすることになったので、実家に帰郷する度に散歩や手入れをするのが、何よりの楽しみでした。

忙しいながらも、定期的に会うことで犬も私のことを覚えてくれていることを実感できました。

数年後、結婚を機に海外に移住することになってしまい、最後にピピにあってから4年が過ぎてしまいました。

両親からはいつも元気にしていると聞かされていたので、安心していましたが、内心は実際に撫でて確かめたい気持ちがありました。

秋頃から中々、外にでたがらなくなり、家で寝ていることが多かったそうです。

亡くなった日は日本でも記録的な寒波が予報されており、寒さの苦手な高齢の室内犬にはこたえたのかもしれません。

残念ながら、遠方に住んでいたため、死に目に会えなかったことを今でも後悔しています。

実家に帰る度に居たはずのピピはもう居ません。

もしかすると、ずっと私を待っていたのかもしれないと思うこともありました。

とても温厚で甘えん坊だった末っ子のような存在だったので、両親は辛さのあまり今後は犬を飼わないと決めたそうです。

同種の犬種を見かけると話しかけたくなってしまう衝動が、何度かありました。

今年に入り、今住んでいる地域で里犬の問題がニュースで報じられていたので、興味本位でシェルターやブリーダーに見学しにきました。

運命的な出会いは犬とでもあるのでしょうか。

ピピにそっくりの犬種に出会い、独断で引き取りを申し込んでしまいました。

そして、晴れて今年の夏から久しぶりに犬との生活が始まりました。

ピピの時と同じくしつけには手を焼きますが、人見知りせず活発な我犬をビビと名付けました。

ガンがみつかり旅行の直前に亡くなった愛犬 旅行にいかなければよかったんじゃないかと後悔

小学1年生の時、愛犬のバーディーは私の家に来ました。

クリスマスにやってきたバーディーは、私にとって最高のクリスマスプレゼントでした。

とっても頭がよく、スポーツ万能で人の感情をとても読み取ってくれる甘えん坊な子で
どこへ行くにも一緒でした。

私とバーディーは一緒に成長しました。

私が大学生の時、バーディーに癌が見つかりました。

癌が分かったのは夏で、目の上にポコッと小さなできものが出来ていたので
私は外に出て蚊に刺されたのだろうと思い、掻いてあげようとしたところ
いつもだったら気持ちよさそうにするのに、その時は痛そうにかばうような仕草をし
不思議に思ったのが癌発見のきっかけでした。

脳に癌があるとのことで、摘出するのは難しいとのことでした。

私は、急な出来事にとても悲しくなり何日も泣き続けました。

残された時間を大切に過ごそうと努めましたが、だんだんと元気がなくなっていく
バーディーを見るのはとてもつらいことでした。

バーディーが亡くなった日、私は前々から大学の友達と旅行の予約をしていました。

旅行へ行こうとした直前バーディーは亡くなりました。

「最後まで良い子だったね。

みんなが揃っているときを選んで亡くなったんだね」
と母親は言い、私は正直言うと全然旅行に行く気になれず
ドタキャンにはなってしまうけど、断ろうかと考えました。

しかし母親は、「予約していたんだから旅行に行っておいで」と私に言い
私は旅行に行くことを決めました。

旅行中も涙をこらえるのが大変だったのを覚えています。

今になっては、旅行に行かなくてもよかったんじゃないか
とか、癌で痛くて鳴き声を上げてるときにもっと寄り添ってあげたかった
とか、後悔はたくさんあります。

亡くなった後は、喪失感でいっぱいでした。

帰宅したとき迎えてくれる気がする
バーディーがよくいた下駄箱の下から出てくる気がする
など、まだバーディーがいる気がして、亡くなったのを信じたくなくて苦しかったです。

時間が経つにつれ、苦しさはだんだんと癒えてきましたが
三十路手前になった今でも
実家に帰るとバーディーが出迎えてくれるような気がするときや
夢に出てくることが未だにあります。

それだけ私にとっては大切な存在でした。

バーディーにはとても感謝しています。

愛犬を失った小学生の私に「あなたと一緒にすごせてしあわせだったよ」といってあげたい

待望の仔犬の誕生でした。

真っ黒で太い脚、垂れた耳、フサフサとした尻尾。

コロコロと走り転げる仔犬は、小学4年生の私にはまさに宝物でした。

真っ黒でがっしりしたこの仔犬に、見た目のままにつけた名前は「くまごろう」でした。

思い返してみると、知り合いから譲り受けたこのくまごろう。

雑種でしたが、体格がよく足も速く、なかなかお利口で何より私になついてくれました。

つやつやした黒くて長い毛並みはとても美しく、何度も何度もかわいい背中やおなかを撫でてやりました。

くまごろうがきてからの私は、学校が終わると一直線に帰宅し、くまごろうと散歩へ。

散歩というより一番の仲良しと遊びに行くような、ウキウキした気持ちでした。

ただ一緒にいて、草をかんだり自分の尻尾を追いかけるくまごろうを見ているだけで幸せでした。

そんなある日。

学校から帰るとくまごろうがいません。

ぶかぶかだった首輪が落ちています。

「どこかに行っちゃってるな。

でもすぐ帰ってくるよね」
そう信じて、家の近所を探し始めましたが見つかりません。

不安に思い始めたころ、妹がむこうから駆けてきました。

「おねえちゃん、くまごろうが道路でしんどる!」

頭が真っ白になりました。

そのあと、ひかれたくまごろうを一輪車に乗せて、裏山に葬りました。

抱きかかえたときに、くまごろうの血が道路にながれました。

ショックでした。

こんなひどいことになってしまって。

痛かったんだろうなって、ごめんねごめんね、なんで、なんで、と泣きました。

首輪が緩いのは、わかっていたのに。

まだくまごろうは小さくて、自動車があぶないってよくわかってなかったのに。

かわいかったのに、かわいかったのに。

私は自分を責めて、父や母にもうまく伝えられませんでした。

妹はまだ小さかったのか、わりとあっけらかんとしていたようでした。

今もこれを書きながら涙があふれて止まりません。

小学生高学年でも、うまく気持ちを表現できなかったのだなと今わかります。

この悲しみを誰かにわかってもらっていたら、と思います。

小学生の私にやれることはすべてやった。

不運ではあるけれど、決して自分を責めつづけることではありません。

小学生の私に言ってあげたい。

「くまごろうもきっと、あなたと一緒にすごせてしあわせだったよ」って。

同じ悲しみを持つあなたのそばに、だれかがいてくれることを願ってやみません。

 
楽しい時間をくれた、くまごろうへの感謝をこめて。

最後までちゃんと生きられた愛犬は幸せだったのかもしれないと考えペットロスを乗り越えられた

私が23歳の時、実家で買っていた愛犬が死んでしまいました。

愛犬は、私が小学校1年生の時にどうしても飼いたいと両親にお願いして、新聞広告の子犬を譲りますと言う欄に書かれていた雑種のオス犬でした。

私は愛犬が家にやって来たことがうれしくて毎日散歩に行ったりお世話をしていました。

愛犬はやんちゃで活発ですが、とても人懐っこくてよくお散歩中他の人やお散歩中のワンちゃんに寄って行ってしまう子でした。

また、食べることも大好きで、なかなか待てを覚えてくれなくて、当時小学生の私は本当にしつけに苦労しました。

実家にいたときはそんな感じで愛犬と共に生活をしていたのですが、私は就職を機に実家を離れることになりました。

離れると言っても隣の市だったので、実家にはたまに帰って、愛犬と遊んだりお散歩に行ったりしていました。

そして私が22歳になった頃、実家に遊びに行くと私の母が最近愛犬の体調が良くないと言う話をしてくれました。

悪い病気ではないようでしたが、加齢によるものだろうと病院では言われたそうです。

以前よりも、寝ていることが多くなっていましたし、お散歩も疲れやすくなったように見えました。

そうしてだんだんと加齢とともに弱ってきた愛犬は、私が23歳の時に静かに死んでしまいました。

私はその時実家にはいませんでしたが、母からの電話があって号泣してしまいました。

そしてその週末に実家に行き、色々と話を聞きました。

愛犬は、亡くなった日の朝に一度起きたけれど、ご飯もまったく食べずにまた寝てしまって、どうやらそのまま静かに亡くなったようでした。

家族は最初寝ていると思ったと言っていました。

話を聞くと余計に愛犬との思い出が思い出されて、私はまた泣いてしまいました。

そして、家を出てからあまり遊んであげられなくなったことをとても後悔しました。

愛犬がいなくなってしまってから、私もしばらくは食欲もなくボーっと過ごす日がありました。

一人が寂しくて頻繁に実家に帰ってくるようにもなりましたが、そんな私を見て母が一言「愛犬は苦しんでなかったようだし、寿命を全うして幸せだったんだよ」と言ったのです。

その言葉を聞いて私は、確かにそうだと感じ、最後までちゃんと生きられた愛犬は幸せだったのかもしれないと考えられるようになりました。

そして、そう考えられるようになると私の心も整理がついて落ち着きを取り戻し始めました。

今はもうあれから10年近く経ち、愛犬と別れた悲しみは乗り越えています。

ですが、今も一家に行ったら忘れずに愛犬の写真に手を合わせています。

愛犬には、楽しい日々をありがとうと思っています。

大切な家族であるペットを失うことはとっても辛いことです。

でも、ペットは人間よりも早く死んでしまいます。

とても悲しいことですが、そのペットはきっと家族に愛されて寿命を全うしたのだからきっと幸せだったはずです。

そう思うと少しは悲しみも癒されるかなと思います。

愛犬のおかげで不登校が治りました ありがとう もう一度会えるなら公園で走り回って遊びたい

私が愛犬のコロと出会ったのは小学1年生の時でした。

その頃の私は幼いながらも人よりも繊細で、学校に行けていませんでした。

そして学校に行けない自分自身も嫌で、心がとても疲れてしまっていました。

そんな時に、両親が動物好きの私を元気付けようと買ってくれたのが、愛犬のコロでした。

コロとはいっぱい遊びました。

色々な公園に行ったり、小型犬なので自転車の前かごに乗せて色々な景色を見たりしました。

そうしているうちに私は、自分が必要とされる喜びを知り、性格も明るくなりました。

そしてしばらくすると学校に行けるくらいに回復することができました。

そんなコロも私が大学生になったころには老犬で、少しずつ目が見えなくなる、歩き方がよろよろするなどの症状が出てきました。

もう先はそんなに長くないとわかっていましたが、それでも死んでしまうなんて想像できませんでした。

症状が急変したのは私が大学3年生、コロが14歳の時でした。

急に鼻血を出し立てなくなってしまい、病院に行きましたが、寿命でもうあと数日の命だと言われました。

それから3日後に息を引き取りました。

静かに目を閉じるその瞬間に立ち会えてよかったと今も思っています。

亡くなる瞬間は(仕方ない。

生き物はみんな死ぬんだから。

)と言い聞かせて涙を堪えましたが、その後急に涙が溢れてきました。

お互いが子供の頃に一緒に遊んだ日々、コロのおかげで学校に行けるようになったこと、一緒にソファで寝たことなどを思い出すと、涙が止まりませんでした。

それから1ヶ月くらいは、コロがまだ家にいるような感覚が続き、とても不思議でした。

もしかしたら、本当にまだ家にいてくれていたのかもしれません。

もう一度コロに出会えるなら、小さい時のように、一緒に公園を走り回って遊びたいです。

長引くペットロスー愛犬の死から3年経っても抜けられません

生後50日でもらってきた雑種犬、マサムネ。

ちょうど私が結婚し、実家を離れ、少し遠い場所へと引っ越したのと同時期だったので、私の嫁入り道具はマサムネだけでした。

それから、私たち夫婦とマサムネはずっと一緒に暮らしてきました。

自営で小さな店をやっているので、看板犬として、お客様にもかわいがってもらいました。

16年10カ月たったある日、朝いつものように起きることができず、すぐ病院に向かいましたが、その途中に私の腕の中で息を引き取りました。

加齢による弱さはありましたが、前の晩までとても元気で、病院でもとくに病気はみつからず、老衰でしょうと言われました。

寿命をまっとうし、最後をみとることができたのですから、とてもいいお別れだったと思うべきなのはわかっていますが、それでも悲しく、立ち直れず、苦しいペットロスが続きました。

雪の地域に住んでおり、1月に亡くなりましたので、前の日の散歩の足跡が残っていて、それを見ては泣き、
また雪が降ってその足跡が消えてしまっては泣き、
そんな毎日でした。

それから3年が経ちますが、いまだに、散歩している他のおうちの犬を見ると、マサムネを思い出して涙が出そうになります。

自分が死んだら、先に死んだ飼っていたペットが走って迎えに来てくれるんだよ、という話を聞けば、今すぐ死んでマサムネに会いたい、と思ったこともあります。

世の中には、かわいい犬の動画などがたくさんあがっていますが、いまだにそれらを観ることができません。

もちろん、新しく次の犬を飼うこともできずにいます。

愛犬が亡くなったことの悲しみ 犬を飼っている友人に話を聞いてもらって少し楽になった 供養することで自分の気持ちに整理をつけることができた

私が、五歳くらいのときに姉が黒い犬を一匹拾ってきて、買うことになりました。

もう一匹は、家族でペットショップに行って、柴犬とマルチーズの子供を買うことになりました。

黒い方をカリー、もう一匹をポピーと名付けました。

私は二人兄弟でしたが、この二匹も一緒に、二匹と二人で育ったようなものでした。

ポピーは雨や雷が苦手でとても弱虫なオスの犬でした。

雷がなると、小屋に戻り、でもご飯が食べたいから出てきて、その繰り返しをしたり、小屋が濡れると嫌がって中に入らず遠吠えをする。

そんな、人間のような可愛らしい犬でした。

カリーはすらっとしていて、賢そうな犬でした。

幼い頃、よく姉と一緒にカリーとポピーの散歩に行くと、私一人の力ではとても散歩させる事ができずに、よくポピーやカリーに引っ張られていたのをよく覚えています。

子犬を産まないように手術をしていたので、子犬は産まれませんでしたが、それでも、あの二匹と過ごした時間はかけがえのないものでした。

私が高校3年のとき、カリーがなくなり、大学進学で県外にいってるとき、ポピーがなくなりました。

カリーは朝起きると冷たくなっていて、ポピーの最後の時間にはほぼ一緒に過ごす事はできませんでした。

カリーは最後まで比較的元気でしたが、ポピーは、少しボケのようなものが入っており、私が最後に見たときには、あまり歩けなくなっていました。

私は、カリーがなくなったときは、高校生で、なくなった日にその姿を目にしました。

その日は苦しく、学校に行くのが辛く涙が零れ落ちそうなのを必死に我慢していたのを覚えています。

その日は授業もあまり頭に入ってこず、かなり落ち込みました。

しかし、犬をかっている友人にその話をしたことで、心が楽になったのを覚えています。

しばらくはかなり落ち込みましたが供養し、手を合わせることで自分の気持ちに整理をつけることができました。

私はポピーとカリーに出会えて幸せでした。

二匹にたくさんの思い出を作らせてもらいました。

フィラリアで亡くなった愛犬 今は愛玩動物飼養管理士の資格を取得し、猫を飼っている 最大限のことをしてあげたい

もう亡くなって大分経ちますが当時MIXの中型犬を飼っていました。

小学生1年生の頃に親が親戚から譲り受けた子で自分が率先して散歩やごはんをあげていたからか家族の中で一番自分に懐いていたので弟(オスだったので)のような存在でした。

田舎で周囲も外でわんちゃんを飼っているのが当たり前の時代で、家族以外には懐かず、お客さんが来ると吠えて知らせてくれるので番犬として非常に優秀でしたね。

詳しくは覚えていませんが3歳になった頃にその子が病気になり、水も自発的に飲んでくれなかったので家族で交互に水を与えたところ唯一、自分の手から水をなめてくれたのが非常に嬉しかった記憶があります。

それ以降は段々と元気になり、また一緒に遊んだり散歩に連れて行ったりしていました。

ただ10歳を過ぎた頃から老化が目立つようになり、散歩に行ってちょっと走っただけでぜいぜいと息切れをすることが続きました。

それから少し経った頃に突然、痙攣を起こして倒れて失禁してしまったのです。

親が動物病院に連れて行ったところフィラリアと診断されました。

外で飼っていたことと当時は今のようにフィラリアに対しての意識が薄かったので、狂犬病のワクチン以外は接種してなかったと思います。

その子の年齢から薬での駆除はおろか手術も手遅れの状態だったようです。

今のようにセカンドオピニオンなどが出来ればもう少し生きてくれたかもしれません。

田舎だったせいか動物病院は限られており、そこでの診察結果を受け入れるしかありませんでした。

最後は自分で起き上がることもできずつらそうな息をしてましたが、最後の最後に自分の手をなめてくれました。

もっと何かしてあげられたんじゃないかと思うことも多々ありました。

亡くなって当日は食事が喉を通らず1か月近く落ち込んでましたが一緒に悲しんでくれる家族もおり猫を飼っていたこともあって愛犬が無くなった悲しみを乗り越えることができました。

ただ今でも思い出すと目頭が熱くなります。

犬がメインの映画などは涙が止まらなくなるので基本的に映画館で観ることはありません。

当時は自分もまだ子供で犬を飼うことに対しての知識もなかったので親の考えを受け入れるしかありませんでしたが、今は愛玩動物飼養管理士の資格を得て動物を飼育することに対して真摯に向き合っています。

今は猫を飼っていますが自分で出来る最大限のことをしてあげるつもりです。

家族のような存在が亡くなったら悲しいのも涙が止まらないのも当たり前なんです。

気持ちが落ち着くまで悲しみに浸っていていいけれど自分を大切にしてください。

家にひきこもっているとその子のことしか考えられなくなるので外に出てお日様の光を浴びてくださいね。

きっと動物を大切に飼ったことのある人なら誰でも通る道だと思います。

自分が面倒見るからと飼った愛犬が腎不全で他界 日々の世話はすべて母任せだったことを後悔

高校2年生の頃、愛犬リンが15歳で他界しました。

リンはもともと叔母の家で飼われており9歳の頃、我が家にやってきました。

私は小さい頃から犬が大好きでしたが当時はアパート住まいのため犬が飼えず、叔母の家でリンと遊ぶのがそれはそれは楽しみでした。

リンは雑種の中型犬で、とても人なっこい子で近所でも人気者でした。

ですからリンと散歩に行くと、あちらこちらから、
「リンちゃんおはよう!」
「リンちゃん今日も可愛いね」
とこえがかかり、連れている私まで誇らしい気分になったのを覚えています。

そんなリンですから、叔母家族が転勤のためマンション住まいになると聞いた時はすぐに母親に、
「リンちゃんを家で飼いたい!」
とねだりました。

ちょうど一軒家に引っ越したばかりで犬を飼いたいねと話していた時期でしたが、母親はいい顔をせず、
「リンはもう9歳で高齢よ。

犬を飼うのなら子犬からがいいんじゃない?」
と言いましたが、私には理解できませんでした。

だって、リンは9歳で私とあまり年齢が変わらないし、こんなに元気だし。

小学生の私にとって、9歳は高齢のイメージはありませんでした。

けれど我が家にやってきてリンは年々体力も落ちて寝ている時間が増え。

逆に私は中学生になり部活や友達との遊びに忙しくてあまり家にはいませんでし。

あれだけ、
「私が全部面倒みるから!散歩も毎日する??」
といって引き取ったリンですが、私がお世話するのは休日の散歩やご飯位で、日々のお世話は全て母親がしていました。

そして、高校生の頃にリンは腎不全を患い5ヶ月で他界。

その時は学校も行けず、ご飯も食べれず泣き続けましたが今思い出しても後悔しかありません。

あんなに大好きだったのに、ごめんなさい。

もっと遊べば良かったの。

もっと散歩に行けば良かったの。

リンちゃんごめんなさい。

こんな飼い主でごめんなさい。

我が家にきてからの6年間、リンは幸せだったのでしょうか。

今でも答えは出ないままです。

イノシシ除けの毒団子を食べて亡くなった愛犬 すぐに気が付けばよかったと後悔 新しい仔をむかえ気持ちも安定してきた

4年前の梅雨時期、私が社会人1年目に私たちの家族の一員となって生活していた愛犬のビールが散歩中にイノシシ除けの毒団子を食べて亡くなりました。

私が社会人1年目で仕事の事ですごく悩んでいました。

相談する相手がおらず、1人ですごく孤独感を感じていました。

そんな中、ペットを飼って少しでも気持ちが癒され楽になればと思い、近くのペットショップへ行き、一目見てこの子だと思い、飼い始めたのが豆柴のビールでした。

父や母からも歓迎ムードで迎えられ、子供のように可愛がられながら、成長していきました。

家族の一員となって、3年目の6月の出来事です。

私はその日が仕事が休みで、朝御飯を食べ、ビールと一緒に散歩に出かけました。

散歩コースは近所の裏山を頂上まで登って帰ってくるコース。

だいたい40分コースです。

その日は雨が降っており、傘をさして、ビールはポンチョを着ての散歩です。

裏山を登り始めて少し経った時、ビールが急に口から泡を吹いて倒れたのです。

呼びかけても、身体を叩いてもピクリともしません。

私はすぐに親に電話して助けを求めました。

そして、家に連れ帰りすぐに病院へ直行。

しかし、時すでに遅くビールは天国へといきました。

私はショックで何も手がつかなくなりました。

仕事へいってもやる気がなく、ミスばっかりして上司から怒られ、友人と遊びに行った時も楽しめず、笑うことができず、その内友人からの誘いもなくなりました。

私は毎日毎日後悔ばかりしていました。

あの時、ビールが毒団子を口にした事に気づきすぐ吐かせていればと、、、。

そんなことばかり考えて1年が過ぎました。

私はこのまま一生つらい気持ちのまま過ごして人生を終えるのかと。

そんななか1つの転機がありました。

親が私に立ち直るキッカケとして、新しい家族の一員を見つけてきてくれたのです。

それは、チワワで名前は元気です。

最初はまたビールと同じことが起きたら、耐えれないという気持ちから可愛がることができませんでした。

しかし、私の前で見せる仕草や行動がものすごくかわいいのです。

そんな元気を見てるうちに自然と私が笑っていることに気づきました。

今では気持ちも安定して、元気とともに楽しく生活しております。

決して、ビールのことを忘れた訳ではありません。

ビールはいつも天国から私を見てくれていますし、ビールいてくれたからこそ、今の私があると思ってます。

ビールありがとう。

寝たきりで老衰に近い状態でなくなった愛犬 毎日涙がでて何もする気がおきず辛かった

「いつ帰ってくるの?」と母から電話があり海外から帰国した時はチビは寝たきりの状態でした。

マルチーズの雑種のチビは18歳まで長生きできたものの、腫瘍もありほぼ老衰に近い状態でしたが、私が帰るまで母が毎日点滴を打ちに獣医さんまで連れて行って私の帰りを待っていました。

耳も聞こえず、目もほとんど見えず茶色の毛も大部分白くなって大好きな鳥のササミも食べられずただ横になって時々手足を動かすだけでした。

粗相をしてもいいように古いシーツを引いて時々水を口元に近づけて飲ませてあげるのが精一杯のことでした。

ずっと犬を飼いたい!と小さい頃から願っていたことが叶ったのが私が小学校の高学年頃でした。

動物が大好きでテレビも動物に関する番組を見るのがいつも楽しみにしていた子供時代。

願いがかなってチビが我が家に。

まだ産まれて3ヶ月くらいの小さな子犬は本当にぬいぐるみのようでした。

自転車のカゴに乗せてミルクを買いに行ったり、ただひたすら歩いて散歩したり。

絨毯に粗相を何度もしたり、鳴き声で叱られたり。

初めてのことだらけで失敗続きでした。

でも子犬のお世話と介護とは大違い。

チビは段々衰弱して水も飲まなくなり、体温が低くなり、獣医さんももう点滴は必要ないと言われて自宅で介護して数日経った夜中でした。

体が痛いのか時々「キャン!」と悲鳴をあげました。

あまりに痛そうなので翌日痛み止めを獣医さんに相談しようと思っていましたが、翌朝冷たくなり天国へと旅立ちました。

たかがペットと言われる方もいますが、ペットも家族の一員です。

失った人しか分からない悲しみはとても深いと思います。

私も毎日ただただ涙が出て来て何もする気が起きず、時間がかかりました。

ただチビとの思い出は忘れることなく、いつまでも心に残っています。

お葬式もしたのに愛犬の死を受け入れれなかった高校生の私 大人になり生まれ変わりとも思える仔をお迎えした 私の相棒でいてくれてありがとう

小学校2年生の時、我が家にゴールデンレトリバーの子犬がやってきました。

子供の私には難しい事は分からなかったけれど
血統証付きのこの子は当時人気の犬種で高値だけれど、ブリーダーが舌に痣のあるこの子は買い手がつかないと言い連れてきた。

動物好きの両親は当時、猫も飼っていたけれどラッキーと名付け家族として受け入れました。

田舎暮らしで、山の中を冒険する相棒を得た私は、よくラッキーと散歩をしたり夏は川遊び、冬は雪遊びとたくさんの時間を過ごしました。

反抗期も思春期も泣きたいときは全部、ラッキーにしがみついて吐き出して。

中学に入り部活の忙しくなった私は、あまりラッキーとの時間を過ごさなくなり、年老いて行く姿に気付いてやれなくて
部活引退後、久しぶりにラッキーと散歩した時

少し走ってすぐに上がった息、ゴールドの毛並みが白く色抜けしている姿、優しいままなのに弱々しくなった瞳。

一緒の時間がもう少ないのだと感じました。

高校に入り、帰宅後の時間はラッキーと過ごすときめて一緒に寝るようになりました。

高校2年生になった頃には2階にある私の部屋まで来れなくなったラッキーを抱きかかえてベットに運び、ペットシーツを引いて夜でもおトイレできるようにするのが日課になり
休みの日はほとんどの時間を部屋で過ごしました。

寒くて底冷えのする冬。

夜明けに布団が冷たくて、ラッキーの匂いがしなくて、いつもは私のお腹に顎を乗せて眠るのに
心地い重みも感じなくて不安で目が覚めました。

ベットの下にラッキーがいて、苦しそうに息をしていて、混乱した私は母を起こし、ラッキーのそばで大泣きしました。

痙攣もはじまり、苦しそうな姿に耐えきれずたくさん名前を呼び
ましたが硬直もはじまり冷たくなる体に『私も連れて行って』とすがりつきました。

何日もベットにラッキーの温もりを探し、起きれば鼻先を寄せてくれるのをまつ自分がいました。

お葬式もしたのに受け入れれない現実に食事もできなくなりました。

それでも、今私は大人になりラッキーの目によく似た犬を迎えました。

もしかして生まれ変わりかもしれないと信じたくなるほど
優しいラッキーに良く似た子です。

側溝に落ちて亡くなった愛犬 私の帰りを待っててくれたんだね 10年経っても思い出す

私が20代後半だった頃、ミニチュアダックスを事故で亡くしましたときの話です。

当時、彼女と同棲生活をしていて、犬好きな彼女のためにミニチュアダックスを飼い始めました。

しかし、私も彼女も共に働いていたので、日中は部屋の中でお留守番状態でした。

出かける時のあの悲しそうな顔を見るとほんとに申し訳ない気持ちが常にありました。

そんなある日、たまたま通りかかったペットショップでミニチュアダックスが格安で販売されていたのを見つけました。

しっぽが少し曲がっていることと、生後1年近く経ってしまったことで特売されていたのです。

その子を見た瞬間に「この子を飼おう」と思いました。

偶然にも彼女も同じ考えでした。

2人いれば留守番の時も少しは寂しさもまぎれるだろうという思いでした。

そんなわけで、今度は4人での生活が始まりました。

2匹目の子はある意味お馬鹿ででしたが、その分可愛かったです。

2人でじゃれてる姿を見ていると、とても可愛らしく飼ってよかったとほんとに思いました。

しかし、そんな幸せな生活は長く続きませんでした。

私も彼女も地方からの上京組で、GWの連休はそれぞれ実家に帰省したのですが、その時に問題がおこりました。

まず、車で彼女の実家に向かい、彼女と犬2匹を下ろして、私はそのまま自分の実家へ帰省しました。

すると、彼女の家を出てから1時間ほど経った頃、彼女から電話がきました。

涙声で「〇〇〇(2匹目の名前)がいなくなっちゃった…」と。

その子は彼女に実家に行くのは初めてで、知らない所に連れてこられたとでも思ったんでしょうか。

玄関に入り家の中に犬を2匹放した瞬間、2匹目の子が玄関へ走っていき、そのまま外に飛び出してしまったとのことでした。

彼女の家族や親戚も総出で探したのですが、一向に見つからなかったようです。

彼女の実家は田畑が目の前に広がる田舎だったので、どっかに隠れているのでは?と思っていましたが、10人近くの人出で探してくれましたが、結局夜になっても見つかりませんでした。

そして翌日も朝からみんなで必死に捜索しましたが、結局見つからず。

私もさすがに心配になり、予定よりも1日早め実家を出て彼女の実家まで向かいました。

彼女の実家に着いたときも、みんなで捜索している最中でした。

私もすぐに捜索に参加したのですが、なんと彼女の実家から50mほどしか離れていない田んぼの側溝に横たわっている姿を発見しました。

私が着いてからわずか10分ほどの出来事です。

私はすぐさま深さ1mほどの側溝の中に入り、その子を抱き寄せました。

とても冷たく、硬くなっていました。

わずか2年の生涯でした。

彼女や彼女の両親たちも、その場所は何度も探したのになぜ?と不思議がっていましたが、きっと私の帰りを待っていてくれたんだと私は思いました。

ただ、亡くなってしまったショックと、見つかってくれた安堵感、様々な感情が入り乱れ、しばらくは彼女と共に呆然としていました。

彼女は自分のことを責めましたし、私はあの電話をもらった瞬間に戻ってきていればもしかしたら助かったかも、、、と考え込んでしまいました。

私たちが落ち込みすぎていた為、彼女の両親が火葬場の手配等滞りなくしていただき、無事あの世へ送り出すことができました。

もちろん大切な家族の一員を亡くしてしまったことのショックはしばらくは続きました。

家に戻ってからも数日は彼女と共にろくに食事もできず、ただただ悲しんでいました。

しかし、GW休暇が終わるころ、このままではだめだと奮い立たせ、悲しいのは当たり前ですが、少しでも前を向かなければあの子があの世で悲しがると思うようにしました。

彼女共話し合い、悲しい事実は受け止め、その分もう1匹の愛犬を大切にすることを心に決めました。

そして、彼女共仲良く過ごしていくと誓いました。

結局、時間がある程度の悲しさを緩和してくれましたが、10年以上経った今でもふとした時に、あの子を抱き寄せたときの冷たい、硬い感触が蘇ってきます。

きっと、この思いは消えることがないでしょうが、亡くなったあの子のためにも一生大切な思い出として心に受け止めたいと思っています。

記憶の中からも忘れられてしまったらあの子にも申し訳ないし…

今でも思い出すと、ごめんね、という思いと、待っててくれてありがとう、という感謝の気持ちが蘇ります。

愛犬ナナが亡くなってわかりました ナナも私達の家族だったんです

それまで12年も一緒に暮らしていた愛犬(コーギー)のナナがガンで亡くなりました。

ナナは私達夫婦の間に生まれた息子よりも先に我が家にやって来てくれた愛犬です。

今にして思えばナナは我が家の家族同然の存在でした。

でも、その事に気付いたのは最近の事なんです。

ナナは本当に我が家にやって来て、幸せだったのでしょうか。

私達夫婦の間にはしばらく子どもが産まれませんでした。

どんなに不妊治療に頑張っても子どもを授かる事は出来なかったのです。

もう、子どもを授かるのは無理。

私達夫婦はそう結論を出しました。

でも、二人だけの生活はどこか寂しいもの。

そんな寂しさを紛らわす為に私達夫婦はコーギーの仔犬を家族に迎える事にしたのです。

我が家にやって来てくれたコーギーにはナナと名付けました。

それこそナナは本当の私達夫婦の子どものよう。

私達夫婦は本当にナナを自分の子どものように可愛がり、そして育てて行きました。

ナナが我が家に来て3年経ちました。

その時、私達夫婦には思いもよらない事が起こったのです。

何と、諦めていた子どもが私達夫婦の間に出来ました。

それは本当に夢のような出来事だったのです。

無事、生まれてきた長男は私にも家内にもまさに天使のように思えたものです。

初めて授かった子どもです。

とにかくかわいのです。

私と家内は育児の大変さに追われながらも、子どもが授かった喜びを噛み締めていました。

もちろん、ナナの事も忘れてはいません。

ナナは長男にとって兄弟のような存在だと思っていましたから。

けれども、私達夫婦は長男相手にする時間に追われて、ナナの世話は疎かになってしまっていたのです。

そんな生活がしばらく続きました。

気がつくとナナはとても病気がちになってしまっていたのです。

病院に連れて行くとナナはガンにかかっている事がわかりました。

私達夫婦は本当に驚きました。

獣医さんの話によると、運動不足なども原因のひとつと言われたのです。

確かに長男が生まれてからは忙しさのあまり、恒常的にナナを散歩に連れて行かなくなってしまっていました。

ガンと診断されてナナはあっという間に私達の元を旅立って行きました。

本当にあっという間だったのです。

その時、改めて私と家内はナナは間違いなく私達家族の一員だったと思い知ったのです。

ナナがいなくなって、この上なく心にぽっかりと穴が開いてしまいました。

何か、私達夫婦には子どもは生まれないんだと諦めた時の感覚と同じ気持ちです。

ナナが私達家族の元を旅立ってもう3年になります。

今でもナナがいない生活に私も家内も慣れる事はありません。

ナナは私達夫婦の元に来て幸せだったのでしょうか?

その答えは到底、私も家内も自分では見つける事は出来ません。

ですから、ナナの代わりに新しい犬を我が家に迎え入れる気持ちにもなれないのです。

多分、ナナの代わりの新しい家族を迎え入れるにはもう少し時間がかかるのでしょう。

その為には私と家内がきちんと新しいペットを飼う事が出来る人間に生まれ変わらなければなりません。

この苦しみってなかなか、人には理解して貰えない事も事実です。

その事も私が苦しい思いをする理由の一つになってます。

ペットでしょ?気にする事ないんじゃない?

こう言われるたびに私は心の中でペットは家族なんだよと叫んでいるのです。

我が家の崩壊の危機を救ってくれた優しい愛犬 医療の発達に間に合わなかった病気で亡くなる

私と愛犬モモとの出会いは、私が 小学校5年生の頃でした。

その頃私の家族は、母の夜遊びが原因で、家族バラバラになりかけていました。

それを見かねた父親が、家族全員連れて出かけた先がペットショップでした。

そこで母の心を射止めたのが、モモでした。

母以外の家族は、別の犬で意見合致になりそうでした。

しかしモモは母に穴が開くのでは、と思うくらい見つめていました。

母がその目線に負けて、モモに決めました。

モモが来てから我が家はすっかり変わりました。

モモは生まれてすぐに家に来ました。

それから5年程経ったある日、、、モモが急に歩けなくなりました。

初めはヘルニアか何かで腰が痛いのだろうと、全員が思っていました。

しかしながら2日経っても、モモは歩こうとはするのですが、足が言う事を効かない、足を引きずって一生懸命歩く様になりました。

見兼ねて病院に連れて行ったのですが、ただのヘルニアでは無いと宣告されました。

そして近くの大きな動物病院を紹介されました。

その病院に行った1日目に、もう助からないと宣告されました。

椎間板ヘルニアという病気で、ウイルスが椎間板に沿って登っていき、最後は脳を犯す、といった病気でした。

それから通院する度に、これより下はもう神経が通っていないと現状を確認するのみでした。

頭の方に登ってからは、言えっでゆっくりしてあげてください、と言われました。

診断されてからたった1週間の命でした。

日に日に弱って行くモモを見るのは、本当に苦しかったです。

モモとの別れが強く印象に残っています。

私は当時塾に通っていたのですが、とうとうだと言う時に親が塾に電話をかけてきてくれて、走って家に帰りました。

モモは私をペロッと一度舐めて、すぐに亡くなりました。

私の帰りを待って亡くなりました。

待っていてくれて嬉しかった反面、辛くなかったか、今も考えてしまいます。

モモは本当に頭の良い子でした。

まだ小学生だった私は、モモの散歩が面倒くさくて、サボった事も何度もありました。

しかし私が家で泣いていると、モモは必ず寄ってきて、私の涙を舐めてくれました。

こんな愛犬に出会えて良かったです。

4歳でガンでなくなった愛犬 同僚に悲しみを伝えても理解できないことに寂しさを感じた ワンちゃんとの楽しい時間を忘れることはない

私がそのワンチャンと出会ったのは、12歳の誕生日の時に父親がプレゼントをしてくれたパグです。

以前から、パグのことをとても欲しいということをたびたび話をしていたので、そのことを覚えてくれていてプレゼントをしてくれたのです。

とてもクリクリとした目が愛らしく、たまらなく可愛いワンちゃんでした。

そのワンちゃんとも、12年ぐらい一緒に過ごすことができると楽しみにしていました。

ところが、4歳になった時にガンが見つかってしまったのです。

お腹のあたりにあるがんのために、あっという間になくなってしまいました。

その時は、まさかなくなることはないだろうと思っていたんですね。

ところが、それが見つかって数ヶ月でなくなってしまったのです。

心の準備もできていないまま、可愛いワンちゃんを失うことになりました。

その悲しみは、家族も同じです。

家族全員が食事も取れないほど落ち込み、苦しみました。

特に可愛がっていた私は、仕事をしたくない、仕事をしていてもやる気ないなどが続いたのです。

そのことを同僚に話すのですが、ワンちゃんをかったことがない人は、その悲しみについて理解してもらうことができないのです。

そんなに悲しいことなのかという感じです。

そんな時、別の職場の人に話をした時にその人も同じようにペットをなくした経験があり、とても理解してくれたのです。

話をしていて、ワンちゃんのことを忘れることはできないけれど気持ちが少し楽になったことを覚えています。

ワンチャン、短い時間だったけど一緒にいてくれてありがとう。

小学生の頃から17年間一緒だった愛犬が大往生で天国へ 仕事中に頭がいっぱいになり泣いてしまった

私が小学生だったころ、私がどうしても欲しいとわがままを言って飼うことになったミニチュアダックスフンドのリッキーちゃん。

現在私は30歳で、今年の6月にリッキーちゃんが天国へ行きました。

17歳でしたがあと1ヶ月生きれば誕生日でした。

普通のミニチュアダックスよりも一回り小さく、小柄で他の子より長生きできるかなと心配になりましたが、大きな病気もせず長生きしてくれました。

天国にいく最後の2年くらいはちょっとボケがはじまったかな?という感じでぼーっとしており一日中寝ているようになりました。

それでも私が会社から帰ってリッキーに会うとしっぽを振って「会いたかったー!」と喜んでくれたのを思い出します。

小柄なので年をとっても見た目は昔とそんなに変わらず可愛く、リンゴが大好きで私がリンゴ食べていると「シャリッ」とした音で反応して必ず目を光らせて私のところに来てくれました。

小さい頃からずっと一緒だった愛犬が病気もせず元気に長生きしてくれたのは本当に良かったです。

しかし年をとっていくと食欲もなくなり段々痩せていきました。

そして常に震えるようになり、部屋でも服を着させたり、暖かいマットや毛布を用意したりと寒さ対策も行いました。

寝ているときに「キュンキュン」と鳴くようになり、年をとってからはいつ死んでしまうのかと不安でした。

最後は夜中に小声で鳴きながら息を引取りました。

ずっと一緒に暮らしてきた愛犬が死んでしまうのは受け入れがたく、死んだ後もまだ寝ているかのように感じて信じられませんでした。

心の中に穴がすっぽり開いたというのはこういうときなんだなと思いました。

心に穴が開いて頭も真っ白なはずなのに、リッキーちゃんが小さい頃の記憶や思い出が走馬灯のように頭の中に出てきます。

次の日仕事は休めず行きました。

しかし一日中リッキーちゃんのことで頭がいっぱいで仕事になりませんでした。

仕事中に思い出して泣いてしまいました。

亡くなった週に火葬をし、葬儀もお願いしてひと段落した後に、「本当に死んじゃったんだなあ」と実感がわきました。

立ち直りとはちがって一区切りというような感じでしたね。

亡くなって1ヶ月は思い悩んだり夢にリッキーちゃんがでてきたりなどして悲しかったですが、子供に「リッキーちゃん、今頃おばあちゃんと天国で何してるかなあ」の一言で、
そうだ、リッキーちゃんは死んじゃったけど、天国で元気に走り回っているかもしれない。

と考えるようになってからは気持ちが楽になりました。

リッキーちゃんも天国にいったからといって一人じゃないんだ、寂しくないんだと思うと、きっと今頃天国で私たちのことを見守ってくれてるに違いないと思います。

だから私も元気にならないと!と思い、心の中にはリッキーちゃんがずっといてくれているので頑張ることできています。

2年というはやすぎる愛犬との別れ 別の飼い主ならと…勤務中にトイレで一時間泣いた

2年前の春、20歳の社会人になったばかり頃から2年間一緒に過ごしていたトイプードルの春が風邪をこじらせて亡くなりました

春は、社会人で独り暮らしを始めて半年の頃、当時私の唯一の趣味がペットショップ通いで
たまたま、ペットショップで春をみかてまるでその時は運命を感じ即決で購入しました。

春とは運命を感じていたし
人間よりも体は丈夫では無いことも知っていましたが
こんなに早く別れが来るとは考えていませんでした

どんなに長生きしても、私より
長生き出来ないことも理解していました。

当時は1月でとても寒く
私の家の暖房器具と言えば
こたつと、電気ストーブという
小型犬には寒い環境の家で
春の風邪に気付いたのも
くしゃみと咳が止まらなくなる程の状態で

動物病院のお医者さんは
風邪にしては気付くのが遅かったですねと言われる程でした。

亡くなるまで間
社会人で1人暮らしの生活なので
親にしばらく看病をしてもらっていたのですが

私が仕事の残業で
遅く帰宅した日に亡くなりました。

私が春を飼わなかったら
別の飼い主なら
もっと早く病院に行けただろうし
風邪で亡くなるはずもなかったと
毎日泣いては
会社に行き
勤務中にトイレで一時間泣くほど
辛い日々をおくっていました

会社の人には相談出来ず
日々仕事でのケアレスミスと
顔色の悪さを心配なされては

泣いてでも仕事に行かないと
春のことばかり思い出して
辛いので、仕事も休まず
行いました

それから3ヶ月程経ち
少し冷静に気持ちも落ち着いたので
有給を使い
家族に会いに行きました

親に会って
やつれた顔を心配されながらも
春の亡くなる前の話を聞きました

急変してからは
とても早く亡くなったとだけ
話してくれました

家族なりに
まだ、立ち直りきれてない
私に対する配慮にも
悲しくなり
また、春を思い出し
一晩中泣き続けました

亡くなってからは
唯一の趣味のペットショップ通は
まだ行けていないですが

そのうち行きたいと考えています

多分その時は
トイプードルを飼うと
春と被ってしまうので

柴犬やマルチーズにしようかと
思っています

おじいちゃんの一命を取り留めたのは愛犬のお陰?おじいちゃんと愛犬コロの絆

10年以上も前に飼っていた、オスの柴犬(コロ)が亡くなりました。

コロは、大工の棟梁だった祖父が、現役時代に知り合いから突如もらってきた大き目な子犬でした。

建築会社を営んでいた時代に、家から見える位置の母屋の隣に工場があり、その工場の入り口に番犬として祖父の作った犬小屋で飼われていました。

家の方に連れてくることも考えていましたが、当時はもう1匹メスの柴犬(マリ)という先輩犬がいたため、
廃業し、工場をほとんど使用しなくなってからも、コロの居場所は工場の入り口でした。

祖父は毎日、コロと遊び、工場の入り口で語り合っているように見えました。

そんな祖父も、タバコ好きがたたってしまったのか、引退後に肺がんを患ってしまい、自宅と病院を出たり入ったりしていました。

そして、なぜか同じ時期にコロにもガンが見つかり、コブのような塊が出来てきました。

闘病の末、祖父は自宅での療養にはいり、ガンの進行はあったものの、現役時代に鍛えていたこともあり多少は動けていました。

コロの手術でガンを切除し、いつもの場所でのんびり過ごしていました。

そんな日々が過ぎる中、残暑の厳しい9月のことでした。

祖父の容態が急変し、救急車が自宅を出発したとき、コロも容態が急変しました。

呼吸が苦しいのか、ゼイゼイと目を見開き横たわって体は痙攣をおこしていました。

その時、たまたま工場を借りに来ていたお弟子の大工さんが、その様子に気付き知らせてくれたのですが、私も祖父が運ばれた上に目の前で愛犬が苦しみだしたことで、コロを抱きしめながら大泣きするしかありませんでした。

その後、コロはそのまま息を引き取りました。

そして、祖父は一命を取り留めました。

コロが、ガンを再発していて亡くなったのか、別の原因だったのかは今でも分かりません。

分かりませんが、1つだけ今でも悔やんでいることがあります。

それは、コロの水入れに水がなかったこと…。

工場は目と鼻の先にありましたが、水があるかどうかまでは見えなかったので、私たち家族も気にしていつも多めに入れたり、見たりしていたのですが、暑さで飲み切っていたのか、遊んでいるときにかやしていたのかどうかはわかりませんが、私はそれが原因かもと今でもずっと悔やんでいます。

でも、当時祖父が一命をとりとめたのは、コロがおじいちゃんの代わりに悪いものをもっていったんだよ。

と祖母がずっと話していました。

そして祖父も、息子夫婦である父と母、妻である祖母に見守られながら自宅のベットで最後に言葉を交わして亡くなったそうです(孫である私と妹は、当時県外の学校に出ており帰れません死に目に会えませんでした)

コロは、おじいちゃんが育てていたみかん山の自宅と工場が良く見える位置に、お弟子さんが作った棺桶に入れて埋めてくれました。

そして祖父も、自宅と工場を見下ろしみかん山が少し見える位置にあるお墓に眠っています。

祖父とコロがあちらで語り合っていることを、私は自宅から見上げる位置にいる1人と1匹をみながら
願っています。

15年友に過ごした愛犬がフィラリアでなくなる 家族全員が放心状態になるも、時間とともに悲しみが一緒に過ごせた感謝に変わる

もう10年前になりますが、15年間家族の大切な一員として暮らしていた愛犬の柴犬ムサシをフィラリアで亡くしました。

ムサシは生後3か月の頃に信頼するブリーダーさんの元から我が家にやってきました。

仔犬の頃は絶対に家族よりも先を歩かない慎重な子でしたが、成長と共にどんどん逞しくなり、玄関横の屋外で飼っていたのですが、見知らぬ人が来ると低い声で一声吠える頼もしい番犬になりました。

家族が帰宅すると、ちぎれんばかりに尻尾を振り、その姿を見ると一日の疲れが一気に吹き飛ぶような気持ちになりました。

そんな可愛いムサシに異変が表れたのはちょうど14歳になった頃です。

小さな咳をするようになったのが気になり動物病院に連れて行き、フィラリアが寄生してしまっていることが発覚しました。

とはいえ咳をする以外は元気で通常どおりの様子だったので投薬をしながら様子をみようという話になりました。

ところが比較的高齢だったこともあり症状はどんどん悪化し、病気発覚から半年経つと大好きだった散歩も億劫がるようになりうずくまって静かにしていることが増えました。

なんとかしてやりたい気持ちがはやるばかりでしたが、かかりつけの病院での投薬を続けるのみでどんどん弱って行き、最期は日中のほとんどを寝て過ごすようになりました。

それでも亡くなる直前は、家長である父が「がんばれよ」と声をかけたのを受け、弱弱しく立ち上がり、一声「ワン!」と、元気だった頃のように吠えて応え、そのまま生涯を終えました。

ムサシを亡くし、家族全員、泣いた姿を見たことがない父まで号泣し、みんなでムサシを抱えて庭にお墓を作って埋葬しました。

しばらくはみんな放心状態のようになり、口を開けば「違う病院にみてもらえばまた違っていたかもしれない」「そもそも予防が徹底できていなかったのがよくなかった」と後悔ばかりが口をつき、なかなか前を向けない状態が続きました。

それでも時の経過は人の心を慰めます。

半年、1年と経つごとに、ムサシとの楽しい想い出を振りかえられるようになり、家族の会話も後悔や悲しみよりも、ムサシとの楽しいエピソードが増えてきました。

亡くなってからも毎年命日にはムサシを偲び、10年経った今ではムサシへの感謝の想いでいっぱいです。

ムサシを亡くしたことは本当に悲しかったけれど、ムサシを家族として受け入れて本当によかった。

家族全員が同じ想いをもっている昨今です。

16年間嫁いだ私の心の支えになってくれた愛犬 老衰に心が沈む 新しい仔を迎える提案を受けつけ、前向きに考えれるように

遠方へ嫁いだ私。

周りには慣れ親しんだ友達も親戚もいません。

とても不安な状態でした。

そんな私の様子を見て、義母が知り合いがいないのは寂しいだろうという心遣いからプレゼントしてくれたのが、愛犬のプニでした。

コロコロとして可愛いプニは、私の心の支えとなってくれました。

子犬の頃は、とにかくちょこまかと動き回り、いたずらばかりしていたヤンチャ坊主でした。

散歩中も、女好きのプニは、とにかく女性を見かければところ構わず追っかけまわします。

何かと手を焼くプニ。

そんなプニが大好きでした。

プニは私の寂しさを吹き飛ばしてくれる大事な存在となりました。

そして時は流れ、16年もの間、プニは私の傍に居続けてくれました。

しかしいつかは訪れる老衰。

プニにもその時がやってきました。

目が見えにくくなり、鼻もあまりきかない様子でした。

ただ、若い頃に比べれば足腰も弱くなったとは言え、
年を取ってもまだ、散歩にはでかけられたのはプニにとっても幸せな事でした。

しかし、命の火は徐々に消えつつありました。

プニの動く力が衰えていくのが目に見えてわかるようになりました。

そしてある日の夕方、仕事から帰ってきた時、プニが冷たくなっていました。

そのプニの姿を発見した時、その場で泣き崩れました。

いつかこの日が来るとは薄々感じてはいましたが、
もう少し生きていてくれる、大丈夫と思いながら、仕事へでかけていきました。

こんなことなら、仕事を休んで、プニの最後を看取ってやりたかった。

後悔の気持ちでいっぱいになりました。

プニがいなくなって、どっと寂しさが襲ってきました。

数か月が経ってもなお、心が沈んだままでいました。

そんな時、主人が新しい子犬を迎えようという提案をしてくれました。

プニも私がいつまでも落ち込んでいるよりも、明るく過ごす方が喜んでくれるに違いない。

そう思い、主人の提案を受け入れることにしました。

近々、新しい子犬がやってくる予定です。

今は、プニありがとうという感謝の気持ちを持ちつつ、
前向きな考えを持てるようになりました。

兄の押し付けで世話をしていた子犬が突然の行方不明に ブラシに残された茶色い巻き毛に後悔と涙がこぼれる

子供の頃私は動物が好きではありませんでした。

それは記憶には無い話なのですが、物心がつく前に近所の犬に噛まれたことがあるという恐怖体験が尾を引いているのかもしれません。

そんな私は打って変わって兄は活発で生き物全体が大好きというのですから、同じ環境でも人間は持っている資質が違い過ぎるということになるのでしょう。

現在は違いますが、以前我が家は借家の一軒家に住んでいましたから、ペット禁止が罷り通る今のぎすぎすした世相とは違って大らかなように子供心にも感じていました。

我が家は豊かではなく、家の中の物があれこれと消えだすと何らかの異変が起こっていることに直結するということです。

それを敏感に感じ取った母がやんわりと兄を問い質しました。

その疑惑の目が私に向けられることが無かったのは、やはり普段からの親の視線と言えるでしょうね。

案の定兄は隠し事をしていました。

近所の同学年の友人達と犬をこっそりと隠して飼っているというのです。

兄はこのグル―プのリーダー格であり、お互いに仲が良かったので親に隠れて何かを共同でしでかすという、反抗期の共通した思いがあったのかもしれません。

私もその一団の片隅に置かせてもらうこともありましたが、就学前の数年の年齢差はとても大きく、ついて行くのに精一杯といったありさまでしたから、悪事とも義挙とも言いかねるこの秘め事に私が加担出来なかったのはある意味当然でした。

当事者達の親も加わっての相談が成された結果、我が家で子犬を引き取ることとなりました。

もう誰憚ることなく堂々と犬が飼えることがよほど嬉しかったらしく、兄は実に意気揚々としていました。

対する私は遠からず課される重い責任を押し付けられる予感で頭は一杯でした。

兄は熱しやすく冷めやすい性格でしたので、この新しい生きたおもちゃに飽きるとその後始末をやらされるであろうことは明白でしたから。

この外れて欲しい予感はすぐに現実となりました。

友達連中が犬と一緒に遊んでいる時は主人面するものの彼らが家に帰ると面倒の一切合財を私がやらされることになったのです。

嫌で仕方がありませんでしたが理不尽なげんこつを食らわされるか犬の世話かの二択ではほかの選択肢があろうはずは無いのです。

幸いその子はとても人懐っこい賢い犬でしたから、世話がおろそかになりがちでも私の後を追って歩く日常でした。

まだ私の犬嫌いは克服されていませんでしたので、特にかわいいとも思えずに遠巻きにして世話を細々と続けていたのです。

しかし来た時も突然なら姿を消したのも何の前触れもありませんでした。

その子犬は卒然と行方が分からなくなり、二度と帰って来ることは無かったのです。

この時ばかりは私も兄もその仲間達も真剣に周囲を探し回りましたが、何の手がかりも?めないまま日が過ぎて行ったのです。

それでもいつ帰って来てもいいようにとしばらくの間は餌も寝床もきれいに整えて待っていました。

あれだけブラシをするのが嫌だったのにいざ姿が消えてしまうと後悔だけが残りました。

もっと優しくしてあげるべきだったと。

ブラシに残った茶色の毛が、あの子が生きていた証だったと分かった時には涙がこぼれ落ちて来ました。

子供の間の噂話も時には真実が含まれていて、どこかの犬が車にはね殺されたという事実を知らされるころには、それがうちの子だったということは疑いようのないことだと確信しました。

そのチビと名付けられた子犬はこの世に一枚の写真を残すことなく私達の前から消え去りました。

死を確認したわけではありませんが、あらゆることから考えてももう生きてはいないことがわかるとやはり悲しくてしがたがありませんでした。

主の居なくなった粗末な箱と散歩用のひもを見つめるたびに自分の心の狭さを痛感させられましたよ。

ごめんな、チビ。

再び犬が飼えるようになったのなら、心の中のあの子によく似た子犬を選んで今度は思いっきり幸せにしてあげたい。

それが私の贖罪ですから。

子供のころから一緒に育った愛犬 留学していて最期を看取れなかったことに後悔 伝えてほしかったという気持ちがいまもある

今年の4月に飼っていたヨークシャテリアのテンが15年の生涯を終えました。

実は私は2017年1月からカナダに留学しており、その間、実家で両親が面倒を見ていました。

出国する際、すでにもう老犬だったテンは時々喘息のような発作を起こしたり、体調がよくなかったです。

耳もあまり聞こえなかったようで名前を呼んでも何度か呼び掛けてやっと反応があって、近寄ってくるといった感じでした。

ただ、私は日本にいなかったので、両親からテンが元気にしているという内容を聞いて安心していました。

ところが、私がビザや自身の体調不良などを原因としてカナダから9月に帰国して初めて、テンはすでに亡くなっていたことを知りました。

両親は体調の悪い私を思っての事だったというのですが、テンが亡くなったことを伏せていました。

私は自身の体調不良と、テンがすでに亡くなったことを後から知ってなんだか何重にも悲しい気持ちになりました。

ずっといたあの子はもういない、という喪失感は想像以上のものでした。

実家に帰って、部屋と部屋の間の扉を必要がないのに閉じている自分に気がつきました。

実はその習慣はテンが入ってはいけない部屋に入らないようにするようにしていたものでした。

居なくなった今は閉じる必要のない扉

10年以上続けていた習慣は数年ぶりに帰宅した自分の身に沁みついているんだなと改めて思いました。

テンちゃんと呼びかけると弱弱しい姿でとてとてと近づいてきた思い出が今もふと思い出します。

亡くなった時点で、私は帰国することが出来ませんでした。

しかし、あの時、両親にはせめて、伝えて欲しかったという思いが正直今でもあります。

愛犬がなくなり4歳児ながらに感じた喪失感 大人になった今でも新しい仔はむかえていない

私がこの世に生まれた時、すでに10歳だった犬がいました。

ピーちゃんと呼んでいました。

マルチーズとプードルのミックス犬であり、ふわふわしていてとても触り心地が良いのが、ピーちゃんに関しての1番古い思い出です。

ピーちゃんと過ごした記憶は、正直長くあるわけではありません。

私が4歳の時、つまりピーちゃんは14歳の時になくなりました。

私の記憶は幼稚園に通いだした3歳ごろからなので、一年半分程度しか思い出を遡ることができません。

それでも、ピーちゃんの死が私の人生において、初めて生き物の生死を感じさせたことに変わりはありません。

覚えています。

最初に気にしだしたのは祖父でした。

明らかにピーちゃんに喧嘩がありませんでした。

病院に行くと言って帰って来た後、もうちょっとの間しか一緒にいれないかもねぇと言われました。

子どもだった私には理由がわかりませんでしたが、今思えば老衰だったんだと思います。

2週間だったそうです。

そこから一緒にいれたのは。

期間は私は覚えていませんでした。

でも幼稚園から帰ってくるとずっと一緒にいた気がします。

あまり弱っていた印象はありません。

しばらくして私が幼稚園に行っている間にピーちゃんが亡くなったと聞いた時も、あまり実感はありませんでした。

家でピーちゃんに会った時、ものすごく不思議な気持ちになりました。

さっきまで動いていたのに動かない。

これが死ぬってことなのか。

お母さんや他の家族が泣いている中、初めて経験する生き物の死に、ただ戸惑っていました。

大人になった今まで、私の家で新しい子はむかえていません。

生まれた時からそばにいたピーちゃん。

4歳だった私は寂しいとか悲しいなどと感じる前にただ喪失感を感じていました。

その時はわからなかったけど、私は本当にあの子が好きだったんでしょう。

ありがとね、ピーちゃん

謎の突然死をしてしまった常習脱走犯だった愛犬 思い出すときはいつも笑顔になる

わたしが高校生の時、自宅に帰ると、母からクリが死んだよ。

と言われました。

昨日まで元気で病気でもなかったのに何を言っているんだ?という感じで、庭に出てみると、クリがいない・・。

何かの上にシーツがかけられていました。

わたしは、シーツの下にはクリがいる・・と思いましたが、怖くてめくれません。

そもそもどうして死んだのかも聞いていません。

少しだけ隙間から覗くと、クリの口が見えました。

一目でもうこの世にいない事がわかるほど、ピクリともしないし息もしていない。

結局わたしはそれ以上見れませんでした。

母にどうして死んだの?と聞いても教えてくれません。

家族はみんな黙ったままで誰も何も言いません。

異様な雰囲気のまま、その日を過ごしました。

悲しさよりも、わけがわからず、まだ死んだ事を受け入れらてもいなかったので、考えないようにして寝ました。

数日後、母から実はね、弟がクリをお風呂に入れてあげるんだーって一人でお風呂に入れたみたいなの。

そしたらクリが動かなくなっちゃったんだって・・と。

お風呂に入れた事でどうして死んでしまったのかは今だに分かりません。

大型犬なので溺れるとも思えません。

そもそもクリは頭の良い犬です。

力もあるので、何かあれば自分で脱走するでしょう。

そう、クリは常習脱走犯です。

でも、脱走しても必ずわたしが見失わない距離感を保ったまま逃げます。

何度もクリは止まって振り向いてわたしが近づくと逃げるという感じで、完全にわたしをオモチャにしていました。

弟は当時小学生になったばかり。

弟がクリを死なせるなど考えられません。

可愛がってあげてるつもりが死なせてしまったので、家族も表立って悲しむ事ができず、皆沈黙していたのでした。

弟もお風呂に入れただけなのにどうして・・という風に動揺していました。

私も弟の手前、あまり悲しむ様子を見せないように、クリは天国に行ったんだね、最後にお風呂に入れて気持ちよかっただろうね。

と弟に言いましたが、今でもちゃんと笑えていたか分かりません。

今でも最後に顔を見てあげなかったこと、なでてあげなかったことを後悔しています。

そして今だに話題に出しにくい事がとても悲しいです。

でもみんな今でも愛しています。

別れは悲しいけど、クリを思い出すときはいつだって笑顔になるわたしと家族です。

リウマチが発症、その後安らかになくなった公民館で拾ったかわいい豆柴雑種 10年後やっと犬小屋を壊せた

学生の時に近所の公民館にダンボールで子犬が2匹捨てられており、近所の同級生のおばさまから両方は無理なので1匹ずつ飼わないか?と、提案されて片方をもらうことにしました。

柴犬とコーギーのハーフなのか、外様な雰囲気もあるがスタイルは完全に豆柴。

前の犬がなくなってから飼うこともなかったですが今回はと思い引き取りました。

数年間は普通の雑種の豆柴として元気に過ごしていましたが、10年経過した時に、あまりにも歩けなくなっていることにおかしいなと思い、獣医に行きました。

すると、人間でいうリウマチのような状態になっており、普通に歩くこと、座ることがとても痛くて難しい難病であることがわかりました。

家族全員でとても悲しみ、また、難病であるので医療費もかなり高額になり、ペット保険なども知らなかったので、家計も苦しくなりました。

一度は持ち返したのですが、やはり数年後、後ろ足が動かなくなり、毎日オムツをつけての生活が始まりました。

痛そうに鳴く声は未だに耳に残り、何もできずに家族全員でとても悲しい時期でした。

しかし、医者にてついに痛み止めが効いてきたのか、最後には普通に庭で日向ぼっこをして、晴れた天気の良い日に安らかに亡くなりました。

近所でも評判の吠えない優しい犬、誰にでもニコニコし頭を撫でさせてくれる犬だったので、犬小屋を取り壊すことも悲しく、できないまま、10年そのままで過ごしていました。

たまに夢に出てきてくれて一緒に散歩していますが、あの世に行ってもずっと待っててくれるということなのかなと思え、やっと今年犬小屋を壊しました。

気持ちが通じていれば魂は永遠に死んでいないのだと思います

最後に家族旅行をしてから旅立った愛犬 もう犬は飼うことはできないというほどの充実感をくれた

中学校入学から犬を飼うことになりました。

チワワの女の子です。

チワワなので、子犬の中でもとびっきり小さくて、片手の手のひらにおさまるくらいの女の子です。

当時はチワワブームで、たくさんのチワワがペットショップに並んでいましたが、この子を抱っこして顔を近づけると、私の鼻先をペロリと一舐めしました。

まるで「これからよろしくね」と言っているようなそんな気がしてこの子にしたのです。

犬を飼い始めてから我が家の雰囲気は変わり、もともと仲の良い家族でしたがみんなで散歩に行ったり、今日の犬の成長を語ったりと、より家族同士の絆を強めてくれました。

それから17年後、すっかり年をとったチワワ。

犬種的にもともと足腰の強くない犬ですが、自力ではすっかり立てなくなり
ご飯も無理にでもあげないとなかなか食べてくれなくなるくらいに老いてしまいました。

大人になって私も含め兄弟は独立し、実家を離れてからは仕事の都合でなかなか家族で集まれなくなっていましたが、両親の還暦お祝いにと、数年ぶりに家族みんなで旅行をしました。

もちろん犬も一緒です。

すっかり弱った犬をつれての旅行なのでゆっくりとしたスローペースの旅行でした。

みんな久しぶりの家族揃っての時間を楽しくすごしました。

それから1週間後、犬は死にました。

まるで、最後にもう一度家族みんなで過ごしたくて旅行しようと家族を集めてくれたかのようで、それに満足したように旅行の後に死んでしまいました。

最後まで家族から愛情を注がれ続け、犬と一緒に家族みんなが成長し、絆を深めてくれた犬。

亡くなるつらさが苦しすぎて、もう犬を飼うことはできないと思うくらいに充実した時間をくれました。

けれど、死んだ時の犬の表情はほほえんでいて、きっと幸せな人生だったなと感じてくれていたのだろうなと思います。

ヘルニアになって亡くなった愛犬 今でも会社のトイレで泣いてしまう もう少し思い出に浸っていたい

10年飼っていた家族同然のペット、シーズーの小夏が亡くなったのは今年の3月。

ペットを飼っていた人、今飼っている人はペットを失くす事がどれだけ辛くて苦しいか、わかると思います。

去年の11月、気づいたら小夏はヘルニアを発症していました。

それまでは元気にお散歩に行ったり走り回っていたのに、急にびっこをひきだしました。

これまでそんな事は無かったので、妻も私も驚き、でもすぐ治るだろうくらいに考えていました。

ですが、人間と違い犬のヘルニアは命に関わると医師から聞き、もうあまり長くない可能性があると言われた時、視界が真っ暗になり何も考える事が出来ませんでした。

ペットは人間よりも先に亡くなるのは理解していたつもりですが、あまりにも唐突すぎて、頭が回りません。

あまりにショックな事が起きると人はこうなるんだな、と感じたのを覚えています。

なんとかならないかと色んな事を試し実践しましたが日に日に小夏は元気が無くなり、最後は歩けなくなりました。

そして今年の3月、眠るように小夏は息を引き取りました。

亡くなってから半年以上が経ちますが、思い出してしまうとダメですね。

仕事が手につかず会社のトイレでたまに泣いてしまいます。

10年前、初めて我が家にきた小夏は小さいながらも元気一杯で、可愛くてたまりませんでした。

私共が小夏を迎え入れるまで、それまで小夏はペットショップで売られていましたが、買い手がつかず売れ残っていました。

妻と、吠えなくて小さな犬が欲しいねと常に話しており、小夏と出会えたのは一つの運命だったのだと思います。

初めて小夏に触れた時の事は今でも忘れる事は出来ません。

小さくて柔らかくて温かくて、それでいて触っても吠えず、もう私も妻も一瞬でこの子を飼いたいと思いました。

小夏は天国に行ってしまいましたが、街中でシーズーを見ると思わず近寄り、飼い主さんの許可を得て触らせてもらっています。

忘れる為には新しい犬を飼うのが良いと聞きますが、もうしばらくは小夏との思い出に浸っていようと思います。

徐々に弱っていった亡くなった愛犬 大人になった今もショックから飼うことができないでいる

小学生の頃に、飼っていたシェットランドシープドックが亡くなりました。

7年くらい飼っていて、家族同然に可愛がっていたのでとてもショックを受けました。

亡くなる前は、徐々に弱っていく姿を見ることは子供心にとても辛かったことを覚えています。

小さい頃に家にやってきて、犬種の割には少し小太りだったのに、亡くなる前は徐々に痩せていき、
子供から見ても具合が悪いことが分かりました。

近くに、祖父母が住んでおり犬が弱っていることは知っていましたが、昔の人だったので
動物病院にかかったり、亡くなった後に火葬するというような習慣が無かったのか
「庭に埋めなさい」と言う衝撃的な事を言われたことをよく覚えています。

結局は、動物病院にかかって、動物病院で息を引き取り、火葬をして貰いました。

その頃はまだ自分も子供だったので、散歩が嫌だったり、少し吠えたりして怒ったりしましたが、
今になれば、もう少し可愛がってあげればよかったなぁと後悔をしています。

動物は具合が悪くても喋れませんし、どこが辛いかも言うことが出来ません。

子供なりに亡くなったことが辛く、あれ以来、動物を飼ったことはありません。

今では、自分も大人になり、子供たちが「犬を飼いたい」と言うことがありますが、
亡くなった時のショックが辛かったことから、動物を飼う気にはなりません。

家族同然で可愛がったペットが亡くなることはとてもつらい事です。

元気なうちに、精一杯可愛がってあげてください、と動物を飼う全ての人に伝えたいと思います。

家の前でうずくまっていた愛犬 ガンの手術に成功したはずが突然の危篤状態で翌日息を引き取る 悲しみが一気に押しよせる

うちの愛犬のミニチュアダックスフンドの「チャコ」が、今年と10月に亡くなりました。

出会いは10年ほど前でした。

ある日、うちの家の玄関の軒下で、うずくまっていました。

そこで、警察に連れて行きましたが、飼い主は見つかりませんでした。

半年が過ぎ、うちで引き取ることになりました。

野良犬とは思えず、誰かが、捨てて捨て犬となっていたのだと家族、全員が思っていました。

年齢もわかりませんでした。

もちろん、名前もわかりまえせんでした。

そこで、名前をつけることとなり、毛並みが茶色だったため、「チャコ」と名付けました。

「チャコ」は、捨て犬とは思えないほど、人懐っこい犬でした。

基本的には、祖母以外は、働きに出ているため、祖母といっしょに平日はすごし、家に帰ってくると、「くーん、くーん」ないて、おねだりしてくる犬でした。

「チャコ」は、犬用のドッグフードを食べず、人間が食べているのを見て、食事を欲しがりました。

しかし、体には悪いようで、アレルギーがでて、とてもかゆがりました。

それでも、人間が食べるものを「くーん、くーん」と、ないてほしがりました。

しかし、だんだん目が悪くなり、目ではだれか判断できずようになり、匂いで誰かを判断するようになりました。

それでも、人懐っこく、来客をもてなし、みんなから、褒められるような犬でした。

しかし、今年に入りお腹にしこりができはじめて、一か所のみならず、複数か所できたため、動物病院に連れて行くと、癌だといわれ、手術しないといけないといわれました。

しかし、老犬だったため、麻酔ができるかをまず、調べられました。

そこで、麻酔に耐えられると、獣医にいわれ、癌の手術をしました。

手術は成功して、入院してから、帰れると獣医にいわれ、帰って安堵していたら夕方動物病院から、電話がかかり、「チャコ」が、危篤状態になり、自然呼吸が出来なくなったと言われました。

そして翌日、息を引きとりました。

火葬して、骨となりました。

むなしさや悲しみなど、いっぺんにおそってきました。

それでも、受け入れないといけないと、思いました。

生あるものは、死も直結するということを身にしみました。

亡くなってからも夢にでてくる心臓病で亡くなった愛犬 後悔もあるも楽しい思いでも多い

5年前に愛犬を心臓の病気で亡くしました。

まだ8歳で、平均寿命より早く旅立ってしまいました。

愛犬と出会ったのはホームセンターの中にあるペットショップで、元気に暴れてる姿に惹かれました。

店員さんにケージから出してもらって、抱っこさせてもらったときに私の顔を激しく舐めてきました。

「もうこの子しかいない!」とビビッと来て、我が家に迎え入れました。

愛犬の犬種図鑑を見ると”おとなしくあまり吠えない”と書いてあったんですが、うちの子はよく吠えて元気に動き回る活発な女の子でした。

寝るときも一緒に寝ていて、寒い夜は布団に入りたくて教えていないのに、寝てる私の肩をトントンとして、『入れて!』と催促するくらい人間味溢れる犬でした。

そんな愛犬は亡くなる数年前から咳をするようになり、体調が急に悪くなったのは6月で、上旬に病院に連れて行き、もう残り少ない事を宣告されて、2週間後くらいに旅立ちました。

いつも一緒にいて娘のようでもあり、妹のようでもあり、友達のようでもあった愛犬がいなくなって、命日を迎えるまでの1年間ずっと寂しかったです。

亡くなって数日は食欲もなく、泣いてばかりいました。

そんな私を心配してか、愛犬の魂が家の中で不思議な現象を多々起こしていて、愛犬が近くにいることを感じられました。

「もっと早く病院に行っていれば」「ああしておけばよかった」など5年経った現在でも後悔することが多いですが、楽しい思い出もたくさんあり、たまに夢にも出てきてくれます。

命が亡くなるのはとても辛くて悲しいですが、寂しさを埋めるのは同じ生き物でしか埋められません。

街で愛犬と同じ犬種を見ると「キャー!かわいいー!」ってなるので、そろそろまた同じ犬種の子を迎え入れようかなと考えています。

老衰で亡くなった愛犬 今もいるのではないかと振り返る 人生に満足していたのか?いつもそんなことを考えています

私が18歳のころ、飼っていたコロちゃんが亡くなりました。

コロちゃんは天真爛漫の柴犬でした。

最初コロちゃんと出会ったのは、私が幼稚園のとき。

私のおじに当たる人の友達が柴犬を飼っていて、その子どもを育てられる人を探していたんです。

それで会ったのが最初です。

コロちゃんが亡くなった原因は老衰でした。

老衰だから仕方がない、と分かってはいるのに、とても悲しかったです。

私だけではなく、家族もショックを受けていました。

最初は食べる量が減って、病院へ連れていくと、「歳だから」と言われました。

コロちゃんはよく脱走していたのですが、(夜中に脱走して、朝に帰ってくる)、もうその頃は、そういう事もしなくなって、いつもご飯を食べた後は庭をうろうろするくらいになっていました。

散歩に一緒に行っても、私が走ろう!と言っても、全然走らないようになって、たまらず抱きしめた事がありました。

コロちゃんは外で飼っていたのですが、私たちが車を庭に止めると、いつも家の影からひょこっと出てきて、すごく喜ぶんです。

それで車から降りて近づくと、スリスリと寄ってきて「なぜて、なぜて」って言ってきていました。

逆に知らない人が近づくと、「ヴゥオウゥゥウ」みたいな、どこから声だしてるの?みたいな声だしてましたね。


だから、今はもうコロちゃんはいないって分かっているのに、毎回車を止める時に、後ろを振り返ってコロちゃんを見つけようとしてしまうんです。

コロちゃんの人生は楽しかったのかな?
後悔のない人生を生きれただろうか?
私はコロちゃんにできることすべてしてあげられたのだろうか?
いつもそんな事を考えています。

あなたとの沢山の思い出忘れません。

またいつか会おうね。

飼い始めて10年後腎不全で亡くなった愛犬 早く気づけばよかったと後悔

知り合いのワンちゃんに赤ちゃんが産まれて飼い主を探しているという事だったので
犬が欲しかった私は譲り受けることになりました。

初めてペットを飼うので、家とかエサとか知らないことが多くて友達に沢山聞いて用意しました。

本当に赤ちゃん犬は可愛くて毎日遊ぶのが楽しみでした。

しかし飼い始めて10年目、よく食べていたエサを食べなくなり食欲が全くなくなってしまいました。

だいぶおばあちゃんだし年齢によるものかなと思っていました。

様子を見てエサを変えたりしていたのですが、それでも食べてくれなくて病院に連れていきました。

病院で検査すると腎不全である事が分かりました。

もっと早く気が付けば良かったととても後悔しました。

夏の疲れかもしれないと思って、食欲がないときも様子をみてしまっていたので本当に後悔しました。

それからだんだんと衰弱してしまい結局亡くなってしまいました。

最後は痛そうな顔とかしていなくて
安らかな感じでした。

10年間病気しないで元気でいてくれていたので、体調が悪くなってしまって突然の他界には本当に涙が止まらなかったです。

今会うことができるとしたら、ありがとうと伝えたいです。

本当に毎日の生活に笑顔を届けてくれましたし、辛い時も見て癒されることが沢山ありました。

一緒にいた時間は宝物と感じています。

今からワンちゃんを飼おうと思っている人は、ワンちゃんの急な変化にはすぐに対応してあげてください。

後悔しないためにも定期的に病院に連れて行ってあげたいですね。

引っ込み思案だった私に友達ができたきっかけを作ってくれた愛犬の老衰 授業を受けても涙があふれていた

私が柴犬と出会ったのは、私が小学1年生の時でしたその時、小学生になったばかりの時でちょっと不安だったのです。

そんな私を見て、父親がかってくれたのが柴犬のしばです。

しばはそれから私と遊ぶ時に、だいたい一緒にいました。

しばと一緒にいることにより、友達も出来て学校が楽しくなったのです。

引っ込み思案の私がそんな風にできたのは、しばのおかげです。

その後は、歳月が流れしばも老犬となってしまいました。

8歳ぐらいになったときは、歩くことができませんでした。

首をあげることしかできなかったのに、私が学校から帰って来ると必ず吠えてくれのです。

体力がないのに、それでも必死に私のことを思ってくれていたのです。

その時は、しばの愛おしさを尚更感じた事でした。

一緒に少しでもいたいと思ったのです。

ほとんど動けなくなった時に、部屋の中で一緒に寝ることにしました。

もうすぐなくなってしまうのかと思って、その時はちょっとしたことでも気になり、ほとんど寝ることができませんでした。

少しうとうとして起きた時に、しばが動かなくなっていたのです。

そのそばで母親が泣いていました。

しばがなくなってからは、学校に行きたくないと思うほどの喪失感がありました。

それはいっても、泣いてしまうのです。

授業を受けていても、聞くことができずに自然と涙が出ていました。

今は、別のワンちゃんをかっています。

しかししばのことを忘れる日はありません。

やっぱり家族なので、いつも思い出しています。

ダイアナさんの亡くなった日に亡くなった愛犬 映像をみるたびに愛犬のことを思い出す

実家で飼っていた犬から生まれたミニが生まれたのは、私が高校1年生くらいの頃でした。

生まれた4匹のうちの1匹でしたが、生まれたときからすごくかわいくて
いつも学校から帰ってから、抱っこして撫でて上げると、
すやすやと私のひざの上で眠っていました。

そのミニが亡くなったと聞いたのは、私が社会人になって3~4年したころでしょうか。

いつもすきをみては、ほかの犬たちと玄関から飛び出していき、私たちは犬たちを
探しに行っていたのですが、この時も、また、玄関から飛び出していき、
探しに行くと、家の近くの道路で、耳から血を出し倒れていたそうです。

そばには、近所に住む方がたっていてくれたそうです。

私は、実家から離れたところで一人暮らしをしていたので、電話で父からその話を聞いて
とてもショックでした。

夕方になっても、電気もつけないで、ぼーっとしていた覚えがあります
また、その電話が来るまえに、カップラーメンにお湯を入れてまっていたのですが、
その電話がきて、ショックで食事どころではなく、ぼーとしていたので、
気づいたころには、ラーメンはカップからあふれてふやけていました。

その日は、ちょうどダイアナさんが交通事故でなくなった日でした。

ダイアナさんの亡くなった日には、テレビでダイアナさんの映像が流れますが、
そのたびに、私も、ミニが亡くなったのを思い出します。

もっと、かわいがってあげればよかった、と今でも後悔しています。

今は私も結婚して、チワワを1匹飼っていますが、生きている間中、
かわいがってあげなければと、今回の作文をきっかけに、強く思っています。

そうすれば、犬が亡くなった時も、後悔せずにすむのかと。

土佐犬に噛みつかれ衰弱ししばらくしてなくなった愛犬 できることなら、もう一度会いたい

私が物心つく頃から、我が家では犬を飼っていました。

彼女は息子を産み、そして病気で亡くなりました。

息子である彼は、ずっと一緒に生活してきた、言わば、姉弟のような存在でした。

彼の小屋で寝入ってしまい、親からすごく心配されたこともあります。

それぐらい家族でした。

近所に住んでいて、土佐犬を飼っている人がいます。

まだ子供だった私は土佐犬は大きく、顔も怖く、いつも無条件におびえていました。

私が中学生のとき、いつものように私の家の近くを散歩してきた土佐犬とその飼い主。

力が強いのか、いつも軽トラで引っ張って散歩をしていたのですが、ある日、ふとした瞬間に、私の家のそばで土佐犬が離れてしまったのです。

すると、私の家の犬に襲い掛かってきたのです。

当然、体の大きさも違う彼は、首をかまれてしまいました。

私たち家族が気づいたのはかまれてしまった後。

父はすごく怒り、土佐犬の飼い主に文句を言いましたが、平謝り。

これが飼い主の対応かと、その時のことは今でもよく覚えています。

かまれた彼は、弱ってしまいました。

しばらくガレージの中で療養させていました。

私も学校へ行く前、帰ってきた後、逐一様子を見に行って声をかけていました。

徐々に体力も回復してきて、ガレージの中で動けるようになってきた彼を、父はすこしだけ外に出してあげました。

外に出しても必ず戻ってくるので、安心して離したのですが、その日はなぜか違いました。

家の前の森へ入っていく直前、彼は一度父のほうを見て入っていったそうです。

そして、その後彼が戻ってくることはありませんでした。

彼は自分の死を悟っていたのでしょうか、最後に父のほうを見たのは「ありがとう、ごめんなさい」と言っていたのだろうと父は言っていました。

今でも彼のことを忘れたことはありません。

できることなら、もう一度会いたい、生きて帰ってきてほしいと願わずにはいられません。

出会いから15年首輪を引きちぎって逃げ出した愛犬 3日後用水路で変わり果てた姿に。 首輪を新しくしなかったことに後悔

寒い寒い曇り空の冬の日でした。

小学校からの帰り道、畑の真ん中でプルプルと震えている子犬がいました。

つぶらな黒い瞳と人懐っこい口元、頼りなく震えるその小さな生き物をこのままにしておけないと思い、両手に抱えて家に連れて帰りました。

家は一軒家でしたが、ペットを飼うことに良い顔をしなかった両親に、「自分でちゃんと世話をするから」と頼み込んで、なんとかその小さな生き物を家に迎え入れることができました。

出したごはんをなんでもモリモリ食べて、お皿まできれいに舐めるので、「ペロ」と名付けてかわいがりました。

ペロが亡くなったのは、出会いから15年目のことでした。

ペロは外飼いにしていたのですが、年季が入ってゆるくなった首輪を引きちぎって、逃げ出したのです。

今までこんなことはありませんでした。

ペロがいないことに気づいて、必死になって探しました。

ペロがいなくなって3日後、家から100メートル離れた用水の側で、冷たくなっている姿を見つけました。

泣きました。

そして自分を責めました。

どうして首輪をもっとちゃんと確認しておかなかったのだろうか。

家が汚れるからと外飼いにせず、家の中に入れていてあげれば、こんなことにはならなかったのじゃないか。

ペロはもっと、自由になりたかったのだろうか。

うちでの暮らしは、楽しかったのだろうか。

ペロが亡くなっているのを見つけたのも、寒い寒い曇り空の冬の日でした。

私は底冷えする冬の曇り空の日には、ペロと出会った日の事・ペロが冷たくなっているのを見つけた日のことを、どうしても思い出してしまいます。

あれから8年経ったのですが、今もまだ大切なものを失うことが怖くて、ペットを飼うことが出来ません。

母に大反対された2代目の愛犬 病院の寸前から鼓動のない暖かいカラダを抱きかかえはこぶ母の後ろ姿に瞼があつくなった

昨年の夏、我が家で家族の一員として14年一緒に連れ添った愛犬のゴールデンレトリバーのパルが亡くなりました。

パルは我が家にとっての2代目のゴールデンレトリバーでした。

パルの前のゴールデンレトリバーは10歳ときに原因不明の発作で突然亡くなりました。

そのときの母親のショックは非常に大きく、毎晩泣いて涙が止まらない日々が続きました。

我々家族はそんな母の様子をみて話し合い、次のゴールデンレトリバーの仔犬を家族として迎え入れることにしました。

当初母は、パルを飼うことに大反対しました。

死んだばかりの前の子が怒る、と言って、いらない、いらない、とくり返しました。

我々家族は迷いましたが、毎晩泣く母に荒治療としてパルを連れてきたのでした。

そうしてパルを迎え入れたものですから母のパルへの愛は前に死んだ子の分の気持ちも含めさらに強いものとなりました。

ときには、甘やかしすぎで我々が叱るシーンもあるくらいパルを溺愛していました。

食べ物や運動などの健康に気を使い、少しでもおかしいことがあると病院に連れて行きました。

犬たちと触れ合わせるために頻繁にドッグランに行き、近所の犬と散歩をしました。

パルのおかげで母はとても明るく健康になりました。

パルは元気で愛想のいい子でした。

母が相当甘やかしていましたから、いたずらもたくさんしました。

そのたびにパルはみんなに叱られ、母の後ろに隠れました。

母がパルをかばって、また次回は同じように叱られるということをコントみたいなことを繰り返していました。

そんな日々を繰り返し、パルも母も一緒に年を取っていきました。

気づけばパルは14歳、母は70歳になりました。

母の口癖はいつのまにか、「パルちゃんがママの最期のワンちゃんだもんね」という言葉になっていました。

確かに年齢的に、もう一度元気な仔犬のゴールデンレトリバーを飼うことは体力的にも難しいのは我々も感じていました。

ある日、パルが高齢になり、少しずつ歩けなくなってきた頃、私は「パルがもし死んじゃったら、小型犬でも飼えば?」と言いました。

パルには生きていてほしいけれど、その後のことも少しは母の頭の片隅に考えていてほしかったからです。

しかし、母は「そういうのは考えたくない」と言って寝転んでいるパルを撫でるだけでした。

15年前に前の子が死んだ日を思い出して、私はそれ以上何も言わずに話を終えました。

パルが亡くなったのは冬の晴れた日の夕方でした。

「パルが家で立てなくなった」と母から電話がありました。

「病院に連れていってほしいの」。

私は仕事を少し早く切り上げ、母の家に車で向かいました。

途中「パルが歩いて行けるって言ってるから病院に一緒に行くわ、直接病院に来て」と電話がありました。

病院は100m程度の距離にあったので、ひとまずほっとして私は病院に向かいました。

しかし、病院に着いてもパルはいませんでした。

私が母の携帯に電話すると、「途中でやっぱりしゃがみこんじゃって」ということだったので、私は迎えに行きました。

途中の道の脇で尻尾を振るパルと母がいました。

「パルが歩けるっていうから、ここまで来たけど動けなくなって」
母が笑いながら言いました。

パルは嬉しそうに尻尾を振って笑っていました。

「抱えてあげて」
母がいい、パルの頭を撫でました。

パルは嬉しそうに目を細めました。

「急いでいかなきゃ」といって母は歩き出しました。

私はパルを抱えようとしましたが、うまく抱えることができませんでした。

パルがふにゃふにゃで、抱えられないのです。

そのとき、私はパルが亡くなったことを知りました。

私は何か母に言おうとしましたが、母は病院に行かなきゃと急いで歩いていました。

私はなんとかパルを抱きかかえ、母の後ろを追いかけました。

パルの体はまだ温かかったですが、もう鼓動が感じられませんでした。

急いで歩こうとしている母の後ろ姿をみながら、私は瞼が熱くなりました。

なんて言っていいのか私は分かりませんでした。

病院に着くと母がドアを開けて、早く早くと手招きしていました。

私は何も言えず、そのまま病院に連れていき、お医者さんにパルを渡しました。

母はずっともう亡くなっているパルに「大丈夫よ」「ほら、お医者さんよ」と声をかけていました。

お医者さんもある程度状況を察し、ひとまず、奥に連れていきます、とパルを連れて行きました。

母と二人で待っている間に、私は「パル、死んだかも」と母に告げました。

母は「うん」とつぶやきました。

きっと母はパルが亡くなるのを知っていて、覚悟していたんだな、と私はおもいました。

パルがそうして亡くなった後、母は我々がおもっていたほど落ち込みませんでした。

本当は心の中では落ち込んでいるのでしょうが、母なりに長い時間をかけて準備をしていたんだとおもいます。

だから、パルが亡くなった時も、その後もそれまでと変わらない生活を送りました。

パルがいなくなって、運動不足になるのを心配していましたが、定期的に散歩に行き、昔のパルの友達の犬たちと触れ合っているようです。

母はパルを本当の最期のワンちゃんとして、思い出のなかで今も一緒にいるんだな、とおもいます。

去年老衰でなくなった愛犬 火葬をする瞬間悲しくなりみることができなかった 抑うつになったが今は戻ってきた

去年のお正月に愛犬のミニチュアダックスのチョコが老衰でなくなりました。

彼との出会いは私が幼稚園のころ姉がペットが欲しいと言っていたので家族でペットショップに出向きました。

しかし私はそこでたくさんの犬が興奮して私に向かってくるのを見て怖がりお店の前でずっと泣いていました。

そのような私を気にかけてくれた男性店員さんが一匹の小さなミニチュアダックス連れてきて犬はこんなにもかわいい存在なんだと説明してくれました怖くなくてそれこそ愛犬になるチョコだったのです。

15年ほど可愛がっていたチョコもなくなる前の年末ころ急に足腰が弱っていき何もないないところで扱けたり、後ろ足が立たないためお尻を地面につけていたため摩擦でこすれて痛々しくなっていました。

それからはもう寝たきりになりつらそうな呼吸をしていました。

正月にはいって私は心配でしたが大学生だった私は課題に取り組もうとしていたとき母親が涙にあふれた顔で死んだということを告げられました。

死んだと聞いたとき頭の中が混乱しなんだかよくわからない状態でした。

そして空っぽになったチョコの体を見たとき目の前に彼はいますが私の知ってるチョコではありませんでした。

まだそのころは実感していませんでした葬式を行い火葬をする時に急に悲しくなりその瞬間を見ることができませんでした。

死因が老衰だったため大往生だと思いますが、チョコは左ほほに穴が開いていました。

その理由は私が彼に対して歯磨きをほとんどさせてあげなかったことに起因します。

ですからもっときれいな顔のままお見送りしてあげたかったと後悔してます。

さらに大学の課題なんかに集中せずずっと一緒にいてあげればよかったとも思います。

それから抑うつ状態になりなにかやる気が起きないことは続きましたが気持ちはいつも通りに戻ってきました。

ですが家に帰宅した後時にいつもチョコが猛スピード玄関に走ってくることが当たり前だったため今でも「ああ、そうだチョコは死んだんだ」と思う時があります。

決して忘れることはできませんとおもいますが仕事や趣味に時間を費やせば気持ちは落ち着いてくると思いますし、たまに思い出してあげて悲しい気持ちになるかもしれませんがそのことによって愛犬が喜ぶのだとポジティブな気持ちを持っていければよいと思います。

チョコと話せることができるなら私は彼が私にやられてうれしかったこと嫌だったこと10個くらい聞きたい。

そしてチョコからありがとう言われたいし私は彼にごめんなさいと言いたい。

父が長期入院になり寂しそうにしていた愛犬 父が他界し8年後 愛犬も老衰 天国で再会できればいいなと…

ペットは家族と一緒。

いつも一緒に生活してました。

私が高卒で会社に就職が決まり、一段落した頃に、妹が結婚しました。

父親は大反対でしたが、何度も挨拶に来て父親を説得した結果です。

その後、妹がいなくなり、しょんぼりしていた父親を見て、ペットを買ってあげようと思いつきました。

大型犬より中型犬の方がいいな、と思いブリーダーから直接買いました。

犬種はシェットランドシープドック(通称シェルティ)にしました。

まだ産まれて1ケ月程しか経ってないイヌです。

早速家に持ち帰ってプレゼントすると父親と母親も一緒に喜んでくれました。

名前は父親が”ジャック”と名づけました。

妹が結婚し3人家族から、ジャックを入れてまた4人家族に戻ったんです。

父親は溺愛し、何度も何度もチュウをしてあやしておりました。

それから順調に育ち二年がたつと、家は二階建てなんですが、朝僕が起きる頃になると、母親が私を起こしに行ってきてと言うと、ダッシュして二階に上がってきて私の顔をペロペロ舐めて起こしにきました。

お散歩も毎日行っていました。

餌は普通のドックフードです。

特別なものは与えてなかったです。

警戒心が強いイヌなので、近くで物音がすると、すぐ吠えます。

ある日、父親が朝から晩酌をしてかなり酔っ払ってからジャックと一緒に散歩に出掛けたのですが、公園で焼酎を飲みそのまま公園で寝て、リードを離しジャックが逃げてしまいました。

家族総出でさがしましたが、ジャックは見つからず…諦めかけていたその日の晩、ジャックはなんと自力で家に帰って来たんです。

嬉しくて泣きそうになりました。

その数年後、父親が病気になり長期入院しました。

父のいない家にジャックはお留守番。

私と母親が家に帰って来てもなんだか物足りなさそうな感じでした。

ご主人様はやっぱり父親だったんですね。

その後父は癌で苦しんだ末に他界しました。

この先、父親はずっとジャックに会うことは叶いませんでした。

ジャックは母親と私で面倒を見てました。

そして8年が経ち、ジャックも衰弱しきっていき、先日他界しました。

悲しい思いも沢山味わいましたが、天国で父と再開できたかな、二人で仲良くしてればいいなーと私と母親は思っています。

愛情を注ぎすぎていてペットロスになるんじゃないかと不安だった母 愛犬の死にさいして、してあげれることはしたと意外と元気だった

愛犬Bちゃんと出会ったのは私が中学生の頃でした。

当時保健所に連れて行かれそうになってたのを引き取ったのが私とBちゃんとの出会いです。

Bちゃんは当時6歳くらいで、とても人懐こくすぐに私とも仲良くなりそこから私が結婚して家を出るまでずっと姉妹のように共に過ごしてきました。

私が結婚し、家を出て間もなくガンになり何度か手術・入退院を繰り返しました。

その度にもう長くはないと言われ続け、それでも数年生き16歳の誕生日を迎える数ヶ月前に亡くなりました。

その時にとても不思議なことがおこりました。

それは、亡くなる前々日くらいに私がBちゃんの夢を見て何故か怖くなり夫に頼み、次の日に実家に帰りました。

私と夫が実家に着き数時間した頃、ほとんど自力で立つことが困難だったはずのBちゃんがいきなり立ち、普段あまり近寄らない夫の方に行き、そして母の方に戻ろうとした瞬間息が荒くなりほどなくして亡くなりました。

とても悲しかったし、こんなにも間近で生物の死を見るのが初めてで軽くパニックになりましたが、それと同時に看とれたことと最後に挨拶をしてくれたのかなと思うと悲しみと共に今までありがとうという気持ちが溢れ、大人になりあまり泣くことがなかった私ですが大泣きしました。

ペットの死はかなり精神的に辛いですし、受け止め難いです。

今でも実家に帰ると玄関に迎えに来てくれてたBちゃんを思い出し、悲しくなります。

ですが、今回驚いたことがあります。

私はBちゃんが亡くなったら母がどうなるかとても心配でした。

なぜなら、母はBちゃんをとても可愛がり娘のように育ててきて、なによりもBちゃんを優先するような人でした。

そんな母だからきっと精神的にすごく病むだろうなと思っていたのです。

ですが、母は泣きはしたものの思ってたよりもBちゃんを引きずってなく元気でした。

そのことを母に聞くと母は、自分はBちゃんにしてあげられることを全てしたから後悔はないと言っていました。

それを聞きとても納得しました。

自己満足でも自分がBちゃんにしてやれる最大限のことを尽くしたのだからきっとBちゃんも幸せだったと思います。

私も娘がいますが、ペットは色々な事を学ばせてくれるので、やはりもう一度飼いたいなと思っています。

Bちゃんみたいな子にまた出会いたいです。

愛犬のガンによる死 火葬のあとに骨となった愛犬をみるのは心が痛んだ 今も生きている気がする

半年前、愛犬のベルが亡くなりました。

原因は悪性のガンでした。

ベルはよく私の部屋にある脚付きのベッドに元気に飛び乗ってきましたが、亡くなる数ヶ月ほど前から足腰が弱ってきていたのか、上手くジャンプできなくなっていました。

老いが進んでるなあとは思っていましたが、その程度でした。

犬は弱ってからが早いとよく聞きますが、まさにその通りで、気づいた頃には歩くのもままならなくなり、ある夜、息を引き取りました。

まだ20代の私にとって、初めて身近に死を感じた体験でした。

不思議なことに、愛犬が亡くなった悲しみよりも先に、いつか私自身に訪れるであろう死の恐怖を感じました。

私もいつか目の前で固くなったベルのように冷たく、動かなくなってしまうのだと思うととても恐ろしかったのです。

その夜は全く眠れませんでした。

愛犬を亡くした悲しみが私を襲ったのは、数日後に行われた火葬の後でした。

やはりベルが骨となった姿を見るのは本当に心が痛みました。

あの元気に吠えるベルはもういないと思うと自然と涙が溢れました。

一緒に過ごした大切な時間、たくさんの思い出が走馬灯のように頭を過りました。

思えば、私の学生時代はずっとベルと一緒でした。

私が中学生だった頃、家の近くのドッグランでかけっこした記憶は今も鮮明に残っています。

今もベルは生きてるんじゃないかと、そう思うときもあります。

ベルはイスに前足をかけてテーブルの上に食べ物がないか探そうとするので、食事のとき以外はイスをテーブルから離していたのですが、いまだにそのクセが抜けません。

それほどベルは私の生活の一部になっていました。

私はベルの一生になにか喜びをもたらすことができたでしょうか。

ベルが私に与えてくれたもの、教えてくれたことの大きさを考えると、もっとお返しできることがあったのではないかと思ってしまいますが、もうそれは叶いません。

けれども、感謝し続けることはできます。

今も私の部屋には元気だった頃のベルの写真が飾ってあります。

それを見るたびに今の環境や私を支えてくれている人たちに感謝しなきゃなと、また気持ちを改めさせてくれます。

8年前の愛犬の老衰 もっと可愛がってあげたらよかったと後悔

8年前の春の日、我が家の愛犬マルが亡くなりました。

老衰でした。

マルと初めて会った日のことは、ずいぶん前のことなのによく覚えています。

いつもと同じように家に帰ると、元気な見知らぬ犬が玄関先で出迎えてくれて驚きました。

犬を飼う計画などそれまでなかったのに、知り合いの家で飼い主のいない犬として保護されていたマルに家族が一目惚れして、家に連れて帰ったそうです。

その日から、マルは我が家の大切な一員になりました。

迷い犬として生活していた時期もあったはずですが、マルはとても素直で人懐こい性格でした。

マルと一緒にすごした年月は約7年。

長くはないですが、とても濃い思い出がつまっています。

迷い犬だったので正確な年齢は分かりませんが、うちに来た時点で推定6歳から7歳。

亡くなったのは推定14歳ということになります。

マルは人生の後半を我が家で過ごし、天に旅立っていきました。

マルが亡くなった日、私は家にいませんでした。

寒い寒い冬の間、段々と体力が落ちていくのが目に見えて分かり、獣医さんにも長くはないことを告げられていました。

犬の寿命としては短すぎることもなく、いつか人間よりも先に死んでしまうのは分かっていたのですが、帰宅してマルが死んだことを告げられた時の、身体に穴が開いたような感覚は忘れられません。

マルが旅立ってから思うのは、マルと過ごせたことへの感謝、そして「もっと可愛がってあげればよかった」という後悔の思いです。

生きていた時は一生懸命可愛がったつもりでしたが、亡くなってから「もっと散歩に行ってあげればよかった」「あのときマルが私を呼んでいたのに、何故すぐ答えてあげなかったのか」「マルのことが大好きなことをもっと伝えたかった」など、今も思います。

でも、マルを撫でていたときの幸せな手触りやマルの優しい眼もはっきりと覚えています。

マルはきっと我が家で過ごせて、幸せだったんだろうと思うのが慰めです。

マルと出会えてよかったし、思い出や絆を通じて私たちの中に生きているのだと感じます。

今、大切なペットを亡くして悲しい人や後悔の思いがある人も、心の中にいつも大切な仔が生きていると思います。

愛犬のフィラリアでの死 20年経っても悲しみは癒えない いつかまた会えると信じている

20年前に愛犬の柴犬を9歳で亡くしました。

飼うきっかけは、当時デパートの屋上にあったペットショップで買いました。

従姉妹の家で飼っていた柴犬がその少し前に亡くなり、同じ名前を付けました。

父の実家で昔飼っていた犬にも付けていた名前でもあったのですが、後々従姉妹の母である叔母に嫌味を言われました。

死因はフィラリアでした。

小学生の時に初めて飼った犬で、飼い方を知らない飼い主でした。

人を噛む犬になってしまったので、病院もろくに連れて行ってあげられませんでした。

病気になって弱っていったときには、変わってあげたいと毎日寝るときにお祈りしていました。

私の膝の上でお漏らししたこともありましたが、私に心を許してくれていると逆に少し嬉しくなったりもしました。

ただやはり精神状態もかなり辛く、学校に遅刻してしまったときには担任の先生に怒られ過呼吸を起こして一日保健室で過ごしたこともありました。

保健室の先生と元担任の先生に慰められたことを覚えています。

10歳も生きさせてあげられなかったのが本当に悔やまれて、今だに心苦しいです。

その次に飼った愛犬も16歳で一昨年にこの世を去りましたが、天国で一緒に仲良く遊んでいると思っています。

同じ合同墓地に埋葬されているので、たまにお墓参りに行きます。

安らかに眠ってくれていることをお祈りし、ごめんねという想いとありがとうを伝えます。

20年経っても悲しみは癒えません。

いつかまた会えると信じています。

元気だった頃は散歩をサボってしまったこともあったので、もし会えたらたくさん散歩に連れて行ってあげたいです。

今も柴犬が一番好きな犬です。

柴犬まるちゃんが人気になって嬉しいです。

うちの愛犬の代わりはいませんが、重ねながら見て癒されています。

左足のふくらはぎに噛まれた痕が残っていますが、それも大切な思い出の一つで、愛犬の生きた証しです。

子供がわりだった愛犬の死 老いに気がつかない振りをしていたのか 身がよじれるような苦しみもきっと幸せに変換できる

不妊治療が功を奏せず、ひどく落ち込んでいたとき、夫が前から欲しがっていたウェルシュコーギーを迎えようと言ってくれました。

ブリーダーさんの元へ通うこと半年。

やんちゃなルーを一目見てこの子と決めました。

散歩が嫌い、家族以外にはシャイ、食いしん坊、可愛くて可愛くて、私には我が子でした。

夫婦喧嘩をすると必ずルーが割って入り、夫に向かって唸りママを庇ってくれました。

夢の中で、ルーが車に轢かれ後脚を失ったとき、ママの足をルーにくっつけてあげるから大丈夫、と本気で思い泣きました。

子供を産めなかった引け目を忘れるほど愛して共に暮らし、ときに一家3人それぞれ怪我や病と闘い、瞬く間に15年が経ちました。

もともとルーは運動が嫌いだったこともあり、その衰えや老化に、私は気づきませんでした。

見ないふりをしていたのでしょう。

だって耐えられなかったから。

他人には犬でも、ママには我が子なのです。

子供が親より先に死んでしまうなんて、あってはならない、そんな無茶苦茶なことを信じていました。

理屈では犬の寿命をわかっていたし、自分たち夫婦がルーより先に死んでしまうほうが不幸なのだとも。

大嫌いな梅雨の直前、ルーは旅立ちました。

およそ一年かけて、少しずつ弱り悪くなって、ママに心の準備をさせてくれました。

死の半年前からは、あんなに好きだったママのポトフもワンコ用ケーキも残すようになりました。

ぽっちゃり愛らしい体を抱くと、残酷に骨を触れました。

そして嫌がっていたオムツを受け入れてくれました。

私の悲壮な顔を見たくなかったのかな。

最期まで無理をさせてしまいました。

最後のときが近づいたころ、気が狂いそうでした。

ママの心臓も腎臓も肺も全部あげるから死なないで、置いていかないで、一緒に連れて行ってと、無理な願いを言いました。

ルーは心臓と呼吸が弱っていく中、私の呼びかけに視線で応えてくれました。

酷いママです。

苦しむ我が子に最期まで無理をさせました。

私の方が、身がよじれる辛さでした。

我が子が死と直面しているのに、何故あんなくだらない職場へ行かねばならないのだ?
何故職場の連中はこんなにも重大で貴重な時間だと理解しないのだ?
何故夫は飯を食えるのだ?眠れるのだ?
ルーの死の1週間前から、私は理不尽この上ない怒りを周りにぶちまけていました。

自宅での注射や投薬など、時間も手間もお金も考えずできうる限りの手を尽くしました。

それはとても恵まれていたのに、当時は気づけませんでした。

そしてルーは私の異常な注ぎ込みを拒否しました。

あのやんちゃ坊主が、とても静かに、顔を背けたり甘噛みしとりして、私が施す薬剤を受け入れませんでした。

薬を飲み込まず、注射は逆流し、流動食を吐き出しました。

最後の夜、目が見えなくなっていても、トイレに行こうして転ぶ姿は痛ましく、それ以上に愛しく思いました。

うなされるような息遣いのなか、呼びかけるとわずかに声を出し、目を開けました。

徐々に呼吸の間隔が開き、最後の最後に激しく痙攣して、それきりでした。

劇的なことは何もなく、ルーはただ死にました。

私はぼんやり見ていました。

朝が来て夫が私たちを見つけたとき、ルーはぞっとするほど硬く冷たくなっていました。

どうして涙が出ないのか、自分に腹が立ち、恥じました。

後は機械的に、動物病院へルーを運び綺麗にしてもらい、動物葬儀の業者を呼びました。

死後12時間で、我が家からルーは消えました。

おもちゃ、毛布、ケージ、リード、フード、もう使い道のないものがたくさんあって、やっと泣けました。

今思えば、私は生きがいを失う自分が可愛そうだったのです。

我が子なんて口先だけで、何者でもなくなってしまうのが怖かったのです。

なにもかもひっくるめて泣きました。

一晩中夫に八つ当たりして、翌日は出勤しました。

ルーが恥ずかしいと思うようなママであってはならない、その意地はルーのためか自分のためか、今もわかりません。

同じ悲しみに苦しんでいられる方、泣きたいだけ泣いてください。

残酷ですが、ペットの死後1週間しか、泣くのは許されません。

他人には単なる犬猫なのです。

思い切り泣いたら、たくさんの幸せな時間を思い出して、話してください。

それが何よりの供養だとお寺で聞きました。

私たち夫婦の心からルーが消えることはありません。

あの子が好きな薩摩芋は一緒に食べていますし、旅先へも連れて行きます。

奇妙なことがあると、ルーの自己主張だと笑っています。

死は受け入れて乗り越えるしかないです。

簡単ではなく苦痛に満ちたときを味わいますが、必ず幸せに変換できます。

死別の悲しみより、出会えた喜びの方が大きいのです。

焦って別の子で穴埋めだけはしないでください。

いつも心は一緒、慰めとは思いますが、ご自身の最期まで一緒にいてください。

老衰でなくなった愛猫 もう一度あえるなら、背中をなぜてあげたい

猫のミルクとの出会いは私が小学5年生の時でした。

家の前に迷いこんできたミルクはまだ子猫ですごく可愛かったので、親に「どうしても飼いたい」と頼みこんだことを今も憶えています。

そんなミルクが亡くなったのは、それから17年後のことでした。

猫として長く生きてくれたと思います。

ミルクが亡くなるまで、何の兆候もなくある日突然朝になると冷たくなっていました。

昨日まで普通に生活していたのに、急な別れ。

思いもしなかった出来事に動揺してしまいました。

かかりつけの獣医さんによると「老猫の突然死は決して珍しいことではなく老衰だと捉えて下さい」とのことでしたが、どうしても自分の中で整理がつかなかったです。

夜、布団の中に潜りこんできたミルクが居ない現実に毎晩泣きはらしました。

会社へは今まで通り行きましたが、帰って来るとミルクの姿が見えないのでやはり精神的に落ち込みました。

家族の中で私が一番ミルクを可愛がっていたので、この気持ちを共有出来る人がいなくて辛かったです。

それから1年経過した頃に「またペットを飼いたいな」と思うようになったのですが、どうしてもミルクのことを思いだしてしまい「あんなに愛情はかけられないのではないか」と考えるようになって思いとどまりました。

そんな私の今の楽しみはミルクの写真を見ることです。

写真を見ていると、悲しい気持ちよりもあの時の楽しかった記憶が蘇って元気が出てくるんです。

そして叶わない夢ですが、今ミルクに会えるとしたらもう一度背中を撫でてあげたいですね。

うつ病になった私をささえてくれた愛犬 その後娘をさずかる しぐさが愛犬に似ており、もしかして生まれ変わりなのか

3年前の6月に18歳になる目前に愛犬のコロンは旅に出ました。

小さい頃から犬が好きで近所の仔をよく散歩させてもらっていました。

それをみかねて母が父に説得をして小学校6年生の時に父の仕事のお客様でペットショップをしている方がいたので、そのお客様のお店から実家が近いこともありそちらでコロンと出会いました。

たまたま、母とどの仔にしようかお店に行った前の日にトイプードルが産まれたと言われて見せてもらいました。

まだ片手の手の平にすっぽり入るくらいの大きさでした。

少し小さい仔を最初に持たせてもらいました。

その仔がコロンでした。

まだ目も開いていないのに母犬を探しているような素振りをしていて一目惚れしてしまい即決で決めました。

まだ産まれたばかりだったのもあり、直ぐには連れて帰れないので3週間後に引き渡しになりました。

待ちきれない私は毎日学校が終わると直ぐにペットショップに行き店内の門にしゃがんで1時間ほど抱っこさせてもらっていました。

そのときのことは今でも鮮明に覚えています。

毎日行っているのに毎日成長が感じられました。

やっと3週間がたちコロンが我が家の家族に仲間入りしました。

しかし父との約束で、
人が食べるものは絶対にあげない。

散歩はサボらず毎日行く。

人と同じ布団に入れるな。

でした。

でも、どうしても毎日一緒に寝たかったので土下座をしたのですが許してもらえませんでした。

でも、ゲージは寝室に置いてもいいとのことでその頃祖母の部屋で祖母と2人で寝ていたので昼間は居間にいて寝るときは祖母の部屋へ運んでいました。

そのうちにコロンも聞き分けが良くなり、決まったぬいぐるみか私の服以外はなめたりかじったりしなくなったので、祖母が夜遅くに父が帰ってくるので帰ってくるまで2人の間にコロンの場所を作り寝ていました。

初めて横に寝てくれたときらたまらなくいつも以上に可愛かったです。

でも、それが半年ほどでたまたま早く帰って来た父が祖母の部屋を開けてしまいバレてしまいました。

まずは私が怒られ、コロンも怒られてしまい祖母が父を説得というか逆に怒っていました。

それからは毎日祖母と私の間にはコロンの場所ができました。

性格はとても大人しかったです。

自分のドッグフードとサラミみたいなお菓子以外は食べたそうにもせず、つまみ食いもしていませんでした。

しかし、どんなに小さい犬でも吠えられると震えて私の後ろに隠れたり抱っこをせがんだりしていて、少し怖がりな仔でした。

高校生になっても散歩の為に一度帰ってからまた仲間と遊んでいました。

あまり散歩ができなくなったのは高校を卒業して就職してからです。

美容師になるために美容室に就職をし、通信制の美容学校に行っていたので、朝早く夜は遅いというか毎日終電ギリギリでした。

それでもコロンとの日課だったその日の出来事をコロンに話すことは忘れなかったです。

しかし、コロンには話せるのですが人に相談できない性格だったのと、今でいうパワハラを職場の人達からされていて、いつの間にかうつ病になっていました。

家族にも職場にも内緒にしていました。

コロンにだけは言えるのになんでほかの人に言えないのかと辛い日々でした。

結局、日課だった今日の出来事を言うのもいつの間にか出来なくなり、職場も辞めてしまいました。

病気は悪化するだけでただ誰ともしゃべられない日々が続きました。

夜中一人で辛くて泣いているといつの間にかコロンが私の横に来て手をなめてくれていました。

そのときが一番安心できて落ち着きました。

コロンが死んだらどうしよう、、、
本当に一人になってしまう、、、
結局、うつ病を家族に伝えても理解してもらえず1人ぼっち
コロンがいなくなったら全くしゃべらない日々が続くのかとふと考えてしまい、それから毎日のようにコロン死なないでね!ってお願いしていました。

しかしコロンは元々心臓が弱かったのもあり13歳くらいになったときから急にお散歩も時間が短くなり目も見えなくなって耳も聞こえなくなってきて、、、と色々と重なってしまい一気におじいちゃんになってしまいました。

オムツも外せなくなり、お散歩も1日10分を2回。

それでも5年ほど頑張っていました。

そして、お別れは突然でした。

その日の夜ご飯のときにコロンはいつもよりみんなに甘えていました。

くっついたり手をなめてきたり。

どうしたのかな?と思いながらいつも通りに寝ようとしたら1:00頃急に発作が始まり目も開かなかったコロンが一度だけ私とハッキリ目が合ってからゆっくり目を瞑ってそのまま旅立ちました。

最後は私の膝の上でした。

朝になるまで下ろすことができず涙も止まらずでした。

本当に一人ぼっちになってしまいました。

コロンがいないなんて考えたくもない。

死にたい。

結局、次の日まで泣きくずれて過呼吸になりながらも自殺行為をしてしまいました。

それでも死ねなかった。

コロンが来たらダメって言っているのかもしれない。

でも、辛い。

家族とはそれから半年は話さなかったです。

わかってもらえるなんて思ってもいなかったし、30近いのに結婚もせず仕事と心療内科の通院以外は外に出ませんでした。

そんな生活が一年くらい続いてたまたまコロンの話をわかってくれた方がいてその人と付き合うことになり、子供を授かりました。

もう、1歳半になる娘ですが家族だけでなく近所のコロンを良く知っている人からも含めみんなに娘の仕草やふとしたときの目がコロンにそっくりと言われます。

そんな娘を守らなくてはいけないので死ぬ気は全くなく、娘にもコロンのことを伝えていこうと思いました。

もしかしたら、娘はコロンからのプレゼントかもしれません。

思い出せは辛くて泣いてしまうときもありますが、娘の為に立ち直りました。

自分が飼いたいといったのに、最後まで世話ができなかった愛犬。

動物は好きだけどもう飼うことはないと思う

私が飼っていた愛犬、ジャックラッセルテリアのベルとの出会いは私が小学5年生の頃。

近所のペットショップに親と遊びに行き、そこで運命的な出会いを果たしてしまいました。

ペットを飼うのは初めてということもあり、親に真剣に飼えるのか、ちゃんと世話はできるのかなど色々と約束もした記憶があります。

親とも約束をし、我が家にベルを迎え入れることができ、初めての子犬との生活、とても可愛くて可愛くてたまりませんでした。

ですが自分も成長し、中学、高校になってくると日々の勉強や授業、高校に入ってからはバイトもしていたのでベルの散歩に行くのも母に任せていたり、構ってあげられない日が多くなりました。

高校を卒業し、専門学校へ進学。

地元からは少し離れたところへの通学もあり、ますますベルとの時間は減っていきました。

専門学校卒業後、就職し、一人暮らしを始めた私は実家にベルを置いていきました。

たまに実家に帰ると、こんな私にでも尻尾をふり、喜んでくれるベル。

ところが社会人3年目、ベルは脂肪細胞種を発症。

この病気でも長く生きてるワンちゃんはたくさんいると獣医さんにも言われましたが…

日に日に衰えていくのがわかり、毎日のように母が写真を送ってくれたりして様子を見るのが嬉しくもあり、とても切なかったです。

病状は日に日に悪化。

足に脂肪腫があったため、出血が止まらなくなり、片足を切断することに。

片足だけになっても散歩をする姿は、すごく見てて辛いものでした。

その反面、ベル自身も頑張ろうとしているんだなと励まされました。

ですがやはり、長くなく…
足を切った約2ヶ月後に他界。

亡くなったと連絡があった日、泣きながら実家へ帰り、埋葬の手続きを済ませ、翌朝火葬をするまでずっと寄り添っていました。

私が飼いたいと言って、迎え入れたのに、自分の都合で実家に置いていってしまったこと、もっといっぱい遊んであげていたらなどたくさん考えました。

同時に私の代わりにベルを最後まで世話してくれた家族には感謝でいっぱいです。

今でも犬や猫、動物は大好きですが、今後はペットを飼うことはないと思います。

また悲しい思いをするのはやはり辛いです。

愛犬の最後にそばにいれなかったことを後悔 せめてからだをさすってあげたかった

私がロビ君と会ったのは19年前。

子供のころから犬が欲しくて、親やおばあちゃんい犬を飼うことをお願いしていたのですが、犬が死んだらかわいそうだから、大人になって世話ができるようになるまでダメだといわれました。

私が大人になり就職し、ちゃんと犬の世話もできるようになったので、親とおばあちゃんにお願いし、犬を飼うことになりました。

地元の広告に出ていた犬で、最近近所で犬が生まれたので、だれか引き取ってくださいとのこと。

私はその広告主の家に行き、おかあちゃんが子供を産んだらダメなので、オスにしなさいという言いつけの元、一番おどおどしていて元気のなさそうなオスのロビ君を引き取ることにしました。

あまり元気がなかったので心配だったのですがすくすく成長し、成犬になりました。

毎日ロビ君の散歩を雪の日も雨の日も、雷の日もいける日は1回行きました。

私も若かったのでダイエットの為ロビ君と毎日会社が終わってから1時間も散歩に出かけました。

悪かったなぁと思うのは自分の都合でロビ君が匂いをかぎたかったりしても、無視して歩いて行ってしまったことです。

自分勝手な飼い主でした。

逃げて行った時何度かすごく怒ったり、たたいたりもしたことがあります。

反省しています。

17歳ごろから医者にガンなのではないかと言われましたが、もう老犬なので治療をするのはやめました。

私は実家を出ていたので、ロビくんの死に目に会えませんでした。

妹がLINEで電話をしてくれた時は、発作が起きてとても苦しそうだったのに、私は遠いところから祈る事しかできませんでした。

ちゃんとロビ君も一緒に連れて行って最後まで面倒を見ないといけなかったのに出来なくて、色々後悔してよく眠れません。

最後苦しかったと思うので、さすってあげたかったです。

大好きだった愛犬の死 親になってカンタンにペットを買うことができない自分がいる

シーズー犬のみみちゃんと出会ったのは私が高校一年生の夏でした。

みみちゃんを飼うきっかけとなったのは、私がどうしても子猫か子犬が欲しいと親にだだをこね、父親が知り合いから子犬が産まれたと、みみちゃんをもらってきてくれたのがきっかけでした。

はじめはとてもかわいくて世話も積極的にしていましたが、だんだん勉強が忙しくなり、世話は結局親にまかせっきりになりました。

大学進学とともに、みみちゃんは実家、私は都会で一人暮らしをすることになり、帰省した時にしかみみちゃんと遊ぶことはなくなりましたが、私が帰宅するとしっぽを振ってとても喜んでくれていました。

大学を卒業して、社会人になりなかなか実家に帰省することがなくなっても、みみちゃんはちゃんと私の事を覚えてくれていました。

しかし、だんだんみみちゃんも年老いてきて、私を出迎える動きも鈍くなってきていたのを覚えています。

とても頭がいい子でした。

私が実家で寝るときはいつも父親と寝ているのに、私の布団にもぐりこんできてくれて、優しく甘えてくれていました。

みみちゃんが19歳になった子頃、難聴になり、白内障になりと老いが一気にきてしまいました。

母親も父親もみみちゃんを泊りがけで留守番させるのが困難になっていました。

そんなある日父親から「母さんから、みみがけいれんしていると電話がかかってきて。

俺が帰ったら静かに息を引き取ったよ」と泣きながら電話がかかってきました。

私が飼いたいといって飼いだしたみみちゃんは、ほとんど私の両親に育ててもらい、両親の愛情を受けてなくなってしまいました。

両親も犬バカといえるほどとてもかわいがっていたので、みみちゃんがなくなった後はとても落ち込んでいました。

犬を飼うということは、やはり命を育てるということで簡単にはいきません。

自分が親になった今、子供がペットを飼いたいと言ったら、簡単にOKを出せない自分がいます。

愛情をたくさんもらう分、ただかわいいだけで飼えないことを考えると、もうしばらくペットは飼えそうにありません。

原因不明の病気で亡くなった愛犬 しゃべることができれば、病院を代えておけばと後悔の日々

出会いがあれば別れはつきもの‥
そんなことわかってはいたけど、その別れの日が突然訪れると受け入れ難いものとして
心がなかなか現実を受け入れてはくれない。

我が家の2代目としてやってきた柴犬のサクラは東京生まれ。

自宅から2時間かけて迎えに行き、今まで一緒に暮らしてきた兄弟たちと別れることがわかってか、小刻みに震えていたのを今でも思い出します。

ようやく我が家にも慣れ、じゃれあって遊ぶ姿に愛おしさを感じていた頃。

甘噛みではなく明らかに手をガブっと本噛みしたのです。

瞬時に叱ったものの私のしつけ方が間違っていたのか以来、手を近づけると噛む癖がついてしまいました。

さすがに“これはマズイな”と思い、ネットで調べ出張トレーニングしてくれる人を探しました。

警戒心と恐怖心の強い柴犬でしたので、月1~月2回ペースの訓練も1年以上続きました。

その甲斐もあり噛み癖は改善し、ようやく穏やかなペットライフが始まりました。

しかし、その数か月後…原因不明の嘔吐が始まったのです。

動物病院へ何度も通院し服薬したけれど治る気配すらなく、ごはんも進まなくなりました。

「どうしたの?」と尋ねたところで苦しそうな表情を見せるだけ。

「ペットが話せれば、その苦痛を取り除いてあげられるのに‥」何度もそう思いました。

日に日に痩せていき元気がなくなっていく姿をみるのが辛くて、でもどうすることもできない無力さに、ただただ見守ることしかできませんでした。

そして別れは突然にやってきました。

朝ごはんも食べず、水も飲まず横たわるサクラ。

私が近寄ると立ち上がろうと力を振り絞り「キュ―――ン」と今まで聞いた事のない悲しげな声を挙げ、息を引き取りました。

「サクラ!!」何度呼び掛けても反応はありませんでした。

その日からというもの私は悲しみと後悔でいっぱいでした。

“あの時、他の病院を受診させればよかった”
“もっと散歩してあげればよかった”
出先で黒柴を見かける度にサクラを思い出し涙したものです。

居なくなってしまった喪失感を埋めることができずにいた頃、近くのブリーダーで黒柴が生まれたことを知り、我が家の3代目として迎えることになりました。

これもきっとサクラが導いてくれた運命だと思っています。

留学中になくなった愛犬 同じ苦しみがわかる友人たちのお陰で癒される

小さい頃から犬が大好きで、物心ついた時からずっと両親に犬を飼って欲しいと頼んでいました。

しかし両親は、私が生まれる前に駆っていた犬の、不慮の事故での死があまりにも辛く、もう二度と犬は飼いたくないと言って、飼う事を許してくれませんでした。

しかし、私が中学二年生になった時、父の友人宅の犬が子供を産み、最後の赤ちゃんの引き取り先を探していて、父が「どうしても飼いたいなら、貰ってきてもいいが、自分でしっかり世話すると約束できるか?」と念を押され、私は「絶対にする!」と同意しました。

それが、私と勇太との出会いでした。

とはいえ、当時私はテニス部で部活に忙しく、朝練と放課後、夕方から夜までは塾という生活でしたから、結局は母がメインで世話をしていましたが、私もできるだけ手伝いました。

勇太は家族みんなに愛され、近所の人達・子供にも凄く可愛がられて育ちました。

家族の一員でした。

それから10年後、私は3年のイギリス留学に行く事になりました。

勇太は私が旅立つ朝、ワンワンと激励してくれてましたが、それが最後の別れとなりました。

あと1年で帰国・・・という時になって、電話で、勇太が亡くなった事を知りました・・・。

ガンで、気がついた時には手遅れだったそうです。

最後の3日間は殆ど食事もとらず、私の車の下に入ったまま出てこなくなり、そのまま亡くなったそうです。

あなたが必死で頼みこんで我が家の一員になった事、分かってたのかもしれないね・・・と母が言いました。

それを聞いて、私は泣きました。

胸が張り裂けそうでした。

食欲も全くありませんでした。

しかし、私がラッキーだったのは、間借りしていた大家さんが大の犬好きでジャーマンシェパードを飼っていたので、私の悲しい気持ちがよく分かるとなぐさめてくれた事、当時付き合っていたボーイフレンドも愛猫を亡くした経験があり、彼もペットを亡くした辛さが分かると言ってくれた事です。

彼らにとっても、犬や猫はただのペット以上の存在で、私の気持ちの共有をしてくれた事で、随分と癒されました。

それから私は結婚し、子供ができ、昔の私のように息子に「犬を飼いたい」と何度もせがまれましたが、未だ、飼っていません。

別れが辛いからです。

昔の両親の気持ちが分かるようになりました。

その息子は今、大学生になり、自分が家庭を持ったら犬を飼いたいと言っています。

そうなったら、その時は、私にも新しい出会いが来るな・・・と思っています。

息子家族の代わりに未来のワンちゃんの面倒を見る日がいつか来るかもしれません。

今はその時を、楽しみにしています。

その時は天国の勇太に、報告したいと思います。

実家を離れて初めて大好きだったとわかった愛犬 弱っていく姿を見るのがつらかった 老衰でなくなり、教訓を得る

去年に愛犬を亡くしました。

今の家に引っ越ししたときに飼い始めて、当時私は小学4年生でした。

とにかく犬を飼ってみたいという気持ちだけで親にねだり、飼ってもらえて毎日離れたくないくらい可愛くて仕方がありませんでした。

ペットショップで初めて見たときに愛犬だけはなんだか気になって仕方が無かったのです。

でも小学4年生の私に犬の世話が大変だということは理解できず、飼って1年もすると毎日行っていた散歩も行かなくなり親が主に世話をするようになっていきました。

友達が来たときには吠えたりすることが嫌で一時期嫌いになってしまいそうなときもありました。

結婚してから実家を出て愛犬とは離れましたが、離れてから初めて愛犬のことは大好きだったんだなということに初めて気がついたのです。

愛犬のいない家でいつも側にいつも寄ってくれていた愛犬がいないのが寂しく、自然と癒されていたんだなぁと思いました。

子供ができたのを機に実家で親と同居することが決まり、再び実家に住むことになりました。

その時には愛犬はすっかり年をとって心臓も弱く、白内障で目があまり見えない状態になっていました。

愛犬が弱っていく姿は見ていて悲しく、たまに目が見えないので手を噛んできたり発作を起こしたりするのも悲しかったです。

最後は老衰で死んでしまったのですが、眠っているのかなと思ったらもう冷たくなっていて死に際がとても静かで切なくなったのを覚えています。

愛犬は大切な家族の一員だったのでとても悲しく、命あるものを飼うということは嬉しいことも悲しいことも全て受け入れなければダメなんだと重大さを感じました。

散歩道で薬でもなめたのか中毒で愛犬が死亡 散歩道をかえていればと後悔の日々

ヨークシャテリアちいが亡くなったのは、8年前の秋の初めでした。

朝晩毎日散歩をしていて、子供達と散歩したり幼稚園送った後に散歩したりといつも一緒でした。

主人が最初に飼っていて、結婚して一緒に住むようになって10年。

私の事も飼い主とわかってくれ、散歩に行く時間になると嬉しそうにそわそわとしていました。

散歩もリードを思いっ切り引っ張ってとにかく我先に前に進んでいく様な元気な子でした。

他の犬とすれ違っても決して吠えず、子供にも優しい子でした。

好奇心旺盛で吠えたり噛んだりなどは有りませんでした。

他の犬がいると寄って行き臭いを嗅ぐ程度でした。

草花にも興味子供達と夕方の散歩をして、水と餌をゲージに入れいつもと変わらぬ日々でした。

所が次の日、起き上がる事もなく顔だけを上にあげるだけで元気がありません。

餌を見ると食べている気配がありませんでした。

散歩に行こうと外に連れ出しましたが、歩いては座り込みといつもとは違う異変に気付きました。

夕方主人が帰ってきて、今朝からの様子を話し主人が様子を見に行くと、力を振り絞って立ち上がりしっぽをふっていました。

次の日は上の子の幼稚園の運動会。

話し合った結果、運動会後も様子がおかしければ病院に連れて行こう。

と言う事になりました。

散歩中気付かぬうちになにか拾い食いしたかもしれない。

そんな中迎えた次の日、もうぐったりとしていて顔だけ動かすだけでした。

午前中の運動会が終わり、家族皆で急いで病院に連れて行き即入院。

様子を確認した先生が「何か中毒症状が出ている。

なにかたべましたか?」と聞かれいつも通りだった。

と答えました。

「植木等のちかくさんぽしましたか?」ときかれいつもの散歩道で、歩道と車道に植木があります。

と答えると「なにか薬をまいていて、舐めたかもしれない」という事になりました。

2~3日がやまで、もし収まったとしても脳に障害が残ります。

といわれ愕然としました。

散歩道を変えていれば…そればかりが頭をよぎりました。

毎日顔を見に行くと立ち上がって帰ろうとする素振り、先生はもう多分わかってません。

と言われたショックは未だに覚えています。

結局2日後の夕方亡くなったと連絡が来て、主人が迎えに行きました。

亡骸はまだ暖かく、私が散歩を…とずっと悔んでいます。

決して泣かない主人が泣きながら、撫でていた後姿は未だ忘れられません。

家族全員で愛情いっぱいでそだてた愛犬 亡くなっても後悔はない でもいつも心の中にいる

港で車から投げ捨てられた仔犬。

私の父がその仔犬を車で拾って連れて来た雑種の犬。

黒いボーダーコリー似の雑種です。

人間不信になり、最初は中々心開かなく抱っこも出来ない位震えて逃げ回り時間がかかりました。

家族で愛情たっぷり育て、家族も愛犬もお互いにいなくてはならない存在となりました。

旅行も買い物もドライブ、車が大好きな愛犬。

助手席は彼だけの定位置で、いつも出掛ける時はずっと一緒でした。

旅先も家族交代で愛犬の様子や散歩の為、車で一緒に仮眠する事も多々ありました。

私の青春時代から成人する間ずっとそ愛犬と成長しました、色々な事教えてくれた愛犬。

ガンと老衰で18年の障害を私の車の中で終えました。

年齢的に衰えながらも、亡くなる前日までは自分の足で散歩して、大好物なフライドチキン丸々一個一緒に食べました。

その翌日、かかりつけのお医者さんに診察、体調が悪かったので先に愛犬を大好きな助手席に乗せ、薬貰う時間まで寝かせました、そして…
そのまま息を引き取りました。

息を引き取った愛犬を私が抱っこして連れて家に戻り、家族は号泣。

しかし、愛犬は幸せそうな顔でした。

家族皆んなで愛情たっぷり育てたので後悔なんて一切まったくありません。

愛犬が亡くなってからもう15年の月日が経ちました、その子からは一切犬を飼っていません。

別れが辛いのもありますけど、私も結婚し子供が出来て環境変わらりました。

本音はあの子以上の愛犬はもう一生出逢えないと思っています。

でも、やはり犬好きな私や家族。

時間が経過したけどいつも心の中に愛犬は居ます。

もう少ししたら犬里親センターに行こうかなと思っています。

たまに我が愛犬と似ているワンちゃん見る時には思わず愛犬の名前を言ってしまう自分がいます。

いつかまたどこかで逢えると信じています、その時は一緒にいつまでどこまでもドライブして、ずっと抱き合ってずっと一緒に布団で寝たいです。

一生私の心の中で生き続けています。

父の49日の3日後息を引き取った愛犬 悲しかったが、愛犬と父がともにいると思うと私もがんばらなくちゃと

父がペットを飼いたいと強く希望して我が家に柴犬を迎えました。

私は犬が苦手で母もそんなに好きではなかったので、初めは大反対しました。

でも父が全部自分でやるからと言って飼う事になりました。

何匹かしば犬が生まれたと知り合いの方にきき、良い言い方で言えば優しそうな、悪く言えば弱そうな犬を選んでおうちに迎えました。

普通は丈夫そうな犬にしますよね笑)それくらい犬が怖かったんです。

でも犬を迎えてしまえばそれはそれは可愛くて、特に我が家では父がとっても可愛がっていました。

うちには女ばかりで父だけが男だったこともあり、オスであるペットを息子のように育てていました。

とくに病気にもならずに10歳くらいになったときに父が病気になりました。

私と母は看病と仕事で疲労困憊ででしたがいつもペットが癒してくれました。

3年看病したのち、父が亡くなりました。

まだ50代だったこともあり、家族は落胆していました。

お葬式の日ペットは凄い泣き喚いていて近所から心配の電話がかかってきたほどでした。

あー犬って分かるんだなと思いました。

父の49日が終わり、3日ほどが立ったとき、朝ペットをみると寝ていました。

ご飯をあげても反応がないのでまだ寝ているのかーと思って起こしてみるとすごく小刻みに震えていました。

風邪とは違う感じで昨日まで歩いていたのに立つこともままならなくて、察しました。

毛布をかけると完全に動かなくなりました。

そうです。

亡くなってしまいました。

この時すでに13歳だったので、大病もせず亡くなるのは不思議なことではないのですが、時期が時期だっただけにびっくりしましたし、父とともにペットも亡くなった我が家、、とても悲しかったです。

でも父もきっと楽しくペットとともにやっていると思うので母と元気に生きていかないとと感じました。

実家で飼っていた愛犬の老衰 もっと一緒に遊んであげればよかったと後悔

私が中学2年生の頃にであったミニチュアダックスフンドの愛犬チャンス。

当時は「妹がペットを飼いたい」と言って我が家に連れてきました。

私自身、ペットに対して特段興味はなかったのですが、一緒に生活をする中で次第に”家族”という思いが生まれてきました。

そんな愛犬が亡くなったのは27歳の頃に結婚し実家を出て行った直後のことでした。

一番愛犬と接していた母からの連絡を受け、その死を知りました。

老衰であるとのことでした。

私が家を出ていった直後ということで「見送ってくれるまで一緒にいてくれてありがとう」という気持ちと「最期に一緒にいられなくてごめんね」という気持ちが入り混じりました。

連絡を受けた瞬間は、何が起きたのか一瞬理解が出来なかったことを今でも覚えています。

キレイな顔と毛並みで、家族と家が好き。

散歩に行っても帰りの方が喜んで歩くような愛犬でした。

ありきたりの言葉しか出てきませんが、もっと一緒に遊んであげればよかったです。

弱ってきていることを知りながら仕事などが忙しいことを理由にかまってあげれていなかったことを後悔しました。

悲しく寂しい気持ちになりつつも、妻が妊娠していることもあり私自身しっかりしなければと気持ちを強く持つように心掛けていましたが、一番可愛がっていた母が憔悴してしまっていることが気掛かりで心配でした。

もし私と同じような状況の人がいましたら、まずは気を強く持ってください。

愛犬に限ったことではありませんが、亡くなった相手はあなたがいつまでもうつむいていることを望んではいないはずです。

一緒に過ごした思い出を大切にして時々思い出してあげてください。

フィラリアでなくなった愛犬 予防薬があったことを知り後悔 知識を身につけることの大事さを痛感

あれは私が小学校1年生だった時。

ある日、遊んで家に戻ってくると、ニコニコ顔のお父さんが私と妹を待っていました。

お父さんは、私たち二人を車庫の方へ呼び寄せ、車のドアを開けました。

そこには、ぴょんぴょんと飛び跳ねる柴犬の姿が!私と妹は、前から犬を飼いたいとお願いしていたのですが、ずっとダメだと言われていたのです。

それがある日突然柴犬がうちに!当時生後2ヶ月の柴犬。

茶色くて小さくて本当に本当に可愛かった。

私が名前をつけました。

当時流行っていたアニメ、名犬ジョリーからとってそのままジョリー。

ジョリーとはずっと一緒に歳を重ねていけると思っていました。

小学1年生だった私が中学1年生になった頃。

ジョリーの体調が悪く、大好きだった散歩にも行きたがらないようになりました。

病院に連れて行くと、フィラリアとの診断。

しかも、もう末期で手の施しようがないとのこと。

目の前が真っ暗になりました。

元気だった頃は、毎日私が学校から帰って来ると、これ以上飛び上がれないというほどぴょんぴょんと高くジャンプして、喜びを表現してくれていたジョリー。

それが最後の方は腹水が溜まり、動けなくなりました。

散歩に連れて行った時に途中で全く動けなくなり、私が泣きながら抱きかかえて家まで戻ったこともあります。

あれは、ちょうど私の家庭訪問の日。

家に戻ると、ジョリーが眠るように死んでいました。

苦しそうではなく、本当に眠っているだけに見える姿。

家庭訪問に来た何も知らない先生は、その姿を見て「よく寝ているね」と言ったぐらいです。

あの日から毎日涙が止まらなくなりました。

少しでもジョリーのことを思い出すと泣けて来てしょうがない。

お風呂の中で何度泣いたか分かりません。

もっと、遊んであげればよかった、もっと散歩に連れて行ってあげればよかった、どうしてフィラリアを予防できなかったんだろう、と毎日毎日後悔ばかり・・・

あれから何年も何十年も経った今でも、まだ次の犬を飼うことはできていません。

犬の中では今でもダントツに柴犬が好き。

また飼いたいなと思うこともありますが、あの別れの辛さを思い出すと飼う勇気は出ません。

あの時小学生だった私。

フィラリアの予防薬があることも知らなかった。

もし知っていたら、もし定期的に予防薬を投与できていたら、もっと長生きしてくれたかもしれない。

そう思うと、本当に辛いです。

今犬を飼っている人には、犬の病気やその予防に対する知識を身につけて欲しいです。

大切な命。

人間よりも短い時間しか生きられないのなら、できるだけそれを延ばしてあげて欲しいです。

浮気症の夫との夫婦生活を支えてくれた愛犬の死 夫の暴言が許せず 離婚をして弔いながら生きていきたい

私とマルチーズのそらが出会ったのは、結婚2年目の時でした。

結婚してすぐに子供を望んでいましたがなかなか授からず、夫の私への関心も薄れたころでした。

「ペットを飼うとますます子供ができなくなるよ」と周囲からは言われましたが、ペットショップで出会った時に運命を感じてしまったのです。

それまで、ペットを飼うことに興味がなかったのに、不思議とそらとは家族になりたいと思いました。

そらという名前は我が家に来た時に良く晴れた空がきれいだったことからつけました。

ペットを飼うのが初めての私にとってはそらとの生活は試行錯誤の連続でした。

でも、本当にかわいかった。

夫との距離がどんどん広がる中、私はそらとの生活にすべてをかけていました。

そんなある日、思いがけず妊娠しました。

出産のための入院中はそらに会えなくてとても心配でした。

退院後は赤ちゃんの世話に追われてそらとの時間が減ることをきにしつつもどうしても赤ちゃん優先の日々に。

それから12年。

子供も小学校6年生になっていました。

夫は、出産後も私に心が戻らず、浮気を繰り返したり借金をしてきたり散々な結婚生活でした。

初めての子育てもたった一人でしなければならずうまくいかなくて泣くこともたくさんありました。

そんな私を支えてくれたのがそらです。

かまってあげられなくなったのに私の愚痴ばかり聞いてくれたそら。

辛い時は、やさしく寄り添ってくれたそら。

12歳でこの世を去ってしまいました。

心臓病で肺に水がたまったことが直接の死因だそうです。

私が愚痴ばかり言っていたからストレスがたまったのかなとか、子供の世話で手いっぱいであまり散歩にいけなかったなとか後悔でいっぱいです。

きちんとお葬式をして納骨をしたいことを夫に伝えると「犬ごときにそんなことすんのか。

お金の無駄だな」と言われました。

その言葉がショックで、それからご飯がのどを通らなくなり、夜も眠れません。

息子が私の代わりに夫に訴えて何とか葬式をあげ納骨することはできましたが、夫の顔を見るたびに震えがきます。

12年間の結婚生活を支えてくれたのは、夫ではなくそらです。

そんなそらのことを貶めた夫の言葉が許せません。

夫と離婚して息子とそらを弔いながら穏やかに生きていきたいと今は願っています。

愛犬の突然の事故死 しつけの後悔 行き場のない感情 受け止めるしかないが辛い

最愛のペットとの別れ、辛いですよね。

私は、正直こんなに辛いとは、思っていませんでした。

侮っていました。

やはり、人は体験したことでないと、想像力に欠けるのだなと、実感しました。

そんな思いをしたのは、つい最近のことです。

10月に入ってすぐのある日、四歳の娘と外に買い物に行って18時すぎごろに帰宅しました。

お風呂に入る前に、あ、忘れてた!と、スマホの電源をいれたときです。

(出掛け先で充電がなくなり電源が入っていませんでした)
すぐにラインが入り、確認しました。

それは実家の母から、17時ごろに入っていたラインでした。

ラッキーひかれちゃった

どうしよう何も考えられない

今相手の運転手と事情聴取うけてる

そんな内容でした。

私は、思わず叫びました。

お風呂から娘の声がします。

「ママ、まだーー?」お風呂に入る直前に見たそのラインで、私はいきなりのパニックになりました。

それからのことは、あまりよく覚えていません。

とにかく、娘がいるのにも関わらず、焦ってしまい
どうしよう、どうしよう、そればかり口にしていました。

ラッキーに出逢ったのは、高校一年生の時です。

私の父は、私が中学生の時に脳梗塞で倒れ、それから在宅で介護をしていました。

その時に見たテレビで、動物の奇跡のようなタイトルの特集がやっていました。

私と母は、これだ!と思いました。

犬か猫を飼って、父の回復を手助けしてくれないかと、そんな期待もこめて、ラッキーを飼い始めることになったのです。

ペットショップに行った父が、車椅子から一番最初に指をさし、最初から最後までずーっと抱っこして離さなかったのが、ラッキーでした。

ミニチュアダックスフントのオスで、当時は8か月でした。

売れ残りなので、安くします!と、ペットショップの人は言いました。

私達は、そんなのが信じられないくらい、一瞬でラッキーの虜になってしまいました。

今思えば、何かの縁で繋がっていたのではと思っています。

そして、ラッキーとの生活が始まりました。

私は、学校から帰るとすぐにラッキーの部屋に行き、躾を教えたり、芸を覚えさせたり、まるで我が子のように可愛がりました。

一緒にお風呂に入り、時には一緒に寝て、ラッキーがいる生活が、当たり前になっていきました。

社会人になり、なかなかラッキーと触れあえる時間もとれないなかで、休みの日には同期とラッキーの散歩をしたり、車でドライブに連れて行ったり、時間がないなかで少しでも触れあえるようにしてきました。

そんなとき、急に私の犬アレルギーが発症しました。

もともと猫のアレルギーは少しあったので、懸念はありましたが、まさかという感じでした。

そしてそれからというもの、可愛いのに触りたいのにたくさん触れ合えなく、ラッキーと距離ができてしまいました。

それでもなんとか、マスクをして触ったりなど、工夫をしながら散歩などには行ってました。

そして、22の時に私が結婚をし家を出ました。

すぐに子供にも恵まれ、たまに実家に帰ると、子供も一緒に今度はラッキーを可愛がりました。

本当に、みんなの癒しであり、愛する家族でした。

そんなラッキーの死を、私はどうしても信じられませんでした。

娘を寝かしつけ、夫が帰ってきてから娘をお願いし、私はすぐに車で実家に向かいました。

玄関をあけると、衣装ケースに入った、綺麗な姿のまま目を閉じているラッキーが、そこにいました。

本当に、寝ているようでした。

ラッキー、起きてよ。

なんで寝てるの?お姉ちゃん、覚えてるでしょ?ねぇ、起きてよ。

また首をかしげて、可愛く鼻を鳴らしてよ。

お腹を見せて、ゴロンとしてみせてよ。

どんなに呼び掛けても、反応しませんでした。

うちの実家の家の前の道路は、前にも何度かご近所の犬が車に跳ねられていました。

一方通行のその狭い道を、時速20キロであり通学路でもあるその道を、ほとんどの車はものすごいスピードで通り過ぎるのです。

母は、膝を悪くしており、ラッキーがリードを強く引っ張って走っていった時に、すぐに追いかけることができなかったそうです。

そしてものすごい音と共に、ラッキーが倒れこんだと。

即死でした。

車が悪いわけではありません。

飛び出したラッキーが、それを躾てこなかった私達が悪いのです。

けれども、20キロでどうしたら即死になるのか、まだ生きられたんじゃないか、そもそもなぜラッキーが、あんなに元気だったのに。

ごちゃごちゃな感情をどこにぶつけていいかも分からず、ただひたすら涙を流し、ラッキーに謝ることしかできませんでした。

守ってあげられなくて、ごめんね。

うちの家に飼われて、幸せだったのかな。

そんなことばかりが、心を埋め尽くしていきました。

翌朝も、起きるなり泣きじゃくって、娘を困らせました。

この文章を書いている今も、涙が溢れそうです。

まだ心の整理なんかできてなく、信じられてないかもしれません。

それくらい、辛いのです。

それでも、朝はやってきます。

目の前には愛する夫と守るべき子供がいます。

それだけが私の原動力であり、辛さを和らげてくれる時間です。

後悔など、数えきれないくらいあります。

ラッキーと一緒に行きたかった場所も、まだまだたくさんありました。

それでも、もうラッキーはいないのです。

それが現実であり、真実です。

それを受け止めて、後悔しないように生きていく努力をすることが、ラッキーへの償いであり、お悔やみになるのかなと、思っています。

きっと、私の父と共に、ラッキーも空から見守ってくれてると信じて、日々前を向いて歩いていきます。

目をはなした隙にでていき車にひかれた愛犬 後悔ばかりが頭をめぐりふと涙がながれる日々

私とペットの出会いは、県外で暮らしている子供がペットを飼うことができなくなったということで、家につれてきたことからでした。

その時、私はそんな犬のことを好きではありませんでした。

ところがそれが不思議なモノですね、一緒にいることにより、とても可愛くなってくるのです。

そして家族と一緒の感覚になり、毎日楽しく暮らしていました。

そのワンちゃんがなくなったのは、ちょっと目を話したすきに家から出ていった事からです。

探したら、すぐ近くの道路で車にひかれていたのです。

その時は、一瞬何がなんだかわかりませんでした。

どうしてこんなことになったのか、自分をとても攻めましたね。

自分が気をつけていたらこんなことにならなかったと。

そしてその時から、1週間ぐらいちょっとしたことで涙を流すようになったのです。

もっと、美味しペットのご飯をあげたかった、一緒にいろいろなところに行きたかったとそのことを悔やんでも悔やみきれませんでした。

そのことは、今でも時々思うことがあります。

ペットは、無邪気なので良い思いしか残っていないのです。

私と一緒に過ごした日々をワンちゃんは幸せだっただろうか、3年しか生きていないことに悲しみが止まりませんでした。

散歩をしていると、とても可愛いと言われることが多く自慢のワンちゃんです。

そのワンちゃんがいなくなるのは、想像していませんでした。

その後は、寂しさを埋めることが出来るのは次のワンちゃんを飼うしかないと思い同じ種類のワンちゃんを飼っています。

そのワンちゃんは、寿命を全うして欲しいと切に願っています。

心臓病でなくなった妹同然だった愛犬 ペットロスになり、結婚し家をでてもいまだに気配を感じる

6年前の夜中、家族の叫び声が飛び交う部屋の中、静かに息を引き取ったマルチーズのマクのことを今でも思い出します。

クマの人形のようにふわふわで可愛かったので名前はマク。

8年一緒に過ごしました。

ある日の熱い日、外から帰るとマクの調子が悪く息をハッハッと喉に何かが詰まるような呼吸を繰り返しました。

元気もないので近所の獣医さんへ連れて行きました。

心臓の弁が硬くなり血液がうまく送れていないのだと言われました。

お腹に水が溜まり呼吸も苦しいのだと酸素ボックスに入れられたり、ニトロという薬を出されたりしました。

その日から急にひっくり返って痙攣を起こすようになりました。

マクは私の妹のような存在でペットという感覚がなく、いなくなるなんてことを考えたこともありませんでした。

辛い日はマクと一緒に寝たり、お風呂に入ったり、お休みの日もマクがいれば暇でつまらないということはありませんでした。

私が落ち込んでいると心配そうに寄ってきてくれたり、そっと体をくっつけて黙って側にいてくれたり、私の心を読んでいるかのような子でした。

家族みんながマクを大好きで、マクも愛情をいっぱい私にくれました。

ある日の夜、マクがいつものように痙攣を起こしてひっくり返りました。

ニトロを慌てて口の中に入れましたがマクの動きが止まりおしっこをもらした時に「あぁもうサヨナラだ」と思いました。

「マク行かないでー!死なないで!やだー!」
家族の怒号叫び声が家中に響き渡りその日は寝ずに仕事に行ったことを思い出します。

病院の先生から、貴方達家族はペットロスになりそうだからきちんと気を引き締めて!悲しんではダメ!と言われてしまうほど家族中落ち込みました。

1年以上、何か自分の一部を失ったような喪失感に襲われました。

6年経ち、今もまだ忘れられず新しい犬を飼う気にもなりません。

あの子だけが家族です。

でもそれでいいと思っています。

泣きたいだけ泣けばいいと思います。

マルチーズを見れば今でも涙が出てきますし、マクの方が美人だなと思ったり、見知らぬ飼い主さんと「うちもマルチーズ飼ってるんですよー」とマクが生きているように話してしまうこともあります。

年数の経過で悲しみは薄れても忘れてしまうことなんて1日もありませんし「死んだ」と受け入れていない自分もいます。

あれから私も結婚をして家を出ていますが今でもたまに新しい家でマクの気配を感じます。

ふわっと足元に触るあの細くて絡まりやい柔らかなマルチーズ特有の毛の感触…玄関でするかすかな声。

あ、また遊びにきてるなーと思って「マク~?おいで~」と話しかけています。

骨肉腫でなくなった愛犬 10年たっても忘れられない 天国に行ったら一緒に遊ぼうね

私が中学2年生のとき、初めて飼った愛犬ゴンが亡くなりました。

ゴンは、母の会社の同僚の家で生まれ、我が家にやってきました。

アラスカンマラミュートというハスキー犬のような大型犬で、力が強く、散歩の時は引っ張られて転んだり、タオルの引っ張り合いで負けたり、私は完全にゴンより下に格付けされてました。

(笑)

よく兄の友達とゴンと私で運動場で走り回って遊んでました。

ある日、ゴンが片足を上げて歩いていることに気づきました。

病院に連れて行くと、走り回って捻挫したところを何回も挫いたことによって骨折してしまったということでした。

手術が必要だったので、手術してもらいました。

普段は外で飼っていたのですが、退院後から家の中でしばらく飼うことにしました。

その後、回復し、普通に走り回っていたのですが、突然フラフラとし、その場にしゃがみ込んで立ち上がれなくなりました。

病院に連れて行くと、骨肉腫と診断されました。

すでに手の施しようがなく、私たちは弱っていくゴンを見守ることしかできませんでした。

寝たままでもご飯は食べれていたのに、徐々に食べれなくなっていきました。

排尿も自分ではできなくなり、寝たきりなので床ずれもでき、とても痛々しく見ているのも辛かったです。

両親は仕事しており、私と兄は中学生と高校生だったので、日中はゴンは1人ぼっちでした。

きっと寂しかっただろうな。

ある時、私がたまたま部活が休みになり、早めに帰宅しました。

いつものようにゴンに呼びかけると反応がありませんでした。

いつもであれば、耳を動かしたり、目で追ったり、調子が良いと尻尾を動かすのに、その時はただ呼吸しているだけでした。

これはまずいと思い、泣きながら両親に電話をかけました。

「ゴンが死んじゃう。

早く帰ってきて!」と。

私はゴンの側を離れませんでした。

徐々にゴンの呼吸がゆっくりになっていき、私はゴンに呼びかけ続けました。

するとゴンが顔を上げたのです。

そして口をあけ、声にならないような声で鳴き、そのまま息を引き取りました。

その日は家族みんなで泣きました。

翌日、両親は仕事へ、私は学校へいきました。

日直だったのですが、涙が止まらず、席から立つことができずにいると、事情を知る友人たちが励ましてくれ、保健室でずっと泣いて過ごしました。

家に帰るとやはり寂しさがこみ上げ、やはり泣いて過ごしました。

日が経つに連れて、徐々に涙は止まり、寂しさだけが残りました。

ゴンが亡くなってからもう10年以上経ちました。

ゴンを看取った日のことは今でも忘れられませんし、まだ泣きそうになります。

でも今は、看取ることができて本当によかった、もしかして帰りを待っててくれたのかな?などと思えている自分がいます。

走り回ることが大好きだったので、天国でたくさん走って遊べてるといいなーと思ってます。

まだ先になるけど、私がそっちに行った時は、たくさん遊ぼうね。

愛犬の死 獣医選びの後悔 謝罪したい気持ちと感謝の気持ち 大好きだよってなぜてあげたい

犬の「 げん」がうちにやってきたのは、私が高校生の頃でした。

弟が『子犬の ロクがやってきた』という童話を読んで、親に「犬が飼いたい」とせがんだのがきっかけです。

と言っても、「だめだめ、犬なんて飼えないよ」と父も母も言っていたのですが。

ある日、父が「ペットショップに行って眺めていたら、こっちを向いてすごく愛嬌を振りまいていたから」と突然、子犬を買ってきました。

やせっぽっちで見た目が良いとはいいづらい子犬。

「たぶん、売れ残ってたんだろうなあ。

安かったし」と父は言いましたが、私も弟も大喜びでした。

「げん」はどんどん大きくなりました。

シェパードのような体型なのに、日本犬のようにふさふさした巻き尻尾でした。

散歩をしていると「お、立派な犬だねえ」と声をかけられて、誇らしい気持ちでした。

大きいけれど気が優しい「げん」が大好きでした。

「げん」の具合が悪くなった時、私はもう社会人でした。

家族の中で、私だけが車の免許を持っていましたが、小さい頃から車に乗るように慣らしていなかったこともあり、近くの動物病院へは母が歩いて連れて行きました。

手術をしたものの、うまくいかず、結局その後、私が職場に行っている間に死んでしまいました。

母が「あそこはヤブ医者だった。

手術室が汚かった」「手術したけど、きっと失敗したんだと思う」と言っていたのを覚えています。

今でも、時々「げん」のことを思い出しますが(あの時、どうしてもっと良い医者を探さなかったんだろう)(車に乗りたがらなくて暴れても、タオルかなにかで巻いて乗せればよかった)(もう大人だったのに、なぜ父や母に遠慮して「げん」にしてやりたいことを言い出せなかったんだろう)(歩いて行くなんてきつかったろう)(私には「げん」を可愛がっていたなんて言う資格がない)と思います。

なぜ、自分ができる精一杯のことをやらなかったのだろうと後悔でいっぱいです。

たくさんの楽しい思い出があるのに「げん」のことを思うとまず一番に思い出すのは、この最後の時のことです。

「げん」に会えたらなんて言おう? 「あの時はごめんね」とまずは謝りたいです。

子供の頃を一緒に過ごしてくれてありがとうねとも言いたいです。

父の気まぐれで家に来た「げん」のおかげで本当にたくさんの楽しい思い出ができました。

ずっと大好きだったよと言って撫でてあげたいです。

産後うつで何年もほったらかしにしていた愛犬 死ぬまぎわの2時間だけなぜかひざの上に。

悪口でもいいから話を聞きたい

わたしには溺愛していたポメラニアンがいました。

モモと言います。

モモと初めて出会った時、「世の中にこんなに可愛い子犬がいるのか」と思った位です。

あまり可愛いので、ドッグショーに出してみたところ、わずか1歳2ヶ月でチャンピオンを完成しました。

散歩で近所を歩く度に、見知らぬ人から「綺麗な犬ですね」と声をかけられ、わたしの自慢の犬でした。

ところが、わたしが結婚し出産した後、産後うつ病に罹ってしまったのです。

我が子も可愛いと思えず、体調の悪さから寝てばかりいました。

当然、モモの事も放ったらかし。

自分がかばってやらなくてはいけない存在は、子どもだけで手一杯だったのです。

そんなわたしを、モモはどう思っていたのか。

そして、出産から3年経った頃、モモは心臓発作を起し倒れてしまいました。

余命わずかと獣医師に宣告されましたが、それでもわたしはモモの面倒を見ようとはしませんでした。

2月の寒い日だったと思います。

本当に久しぶりにモモを抱っこする気になったのです。

自分でも何故だか分かりませんでした。

「モモ、おいで」と声を掛けても、モモは恨みがましそうな目をして、わたしに近寄っては来ませんでした。

わたしは少し強引にモモを引っ張って、自分の膝の上に乗せました。

すると、モモは急に大人しくなり、うつらうつらし始めたのです。

その時、子どもは幼稚園に行っており、家族も全員出かけていて、家の中はわたしとモモの二人きりでした。

モモは幸せそうな寝顔を見せていました。

わたしもつられて、ウトウトしかけた時、突然モモが大きな発作を起したのです。

何が起こったのか理解した時には、もうモモは息をしていませんでした。

何年も見離していたモモを、最後の2時間だけ抱っこしていたのです。

モモはわたしの事をどう思っていたのか、いつか会えたら聞いてみたいです。

悪口でも何でも良いから、聞いてあげたいです。

愛犬を失った悲しみでペットロスに5年たった今は回復 時が解決してくれる 動画や写真はとっておくべきだと

かれこれ20年前、アルバイトから帰ってくるとペペ(ヨーロピアンビーグル)がいた。

母がペットショップでひとめぼれして衝動買いしたらしい。

片手で十分持ち上げられるほどの大きさで異常に可愛いとしか言えなかった。

このことは毎月シャンプーをお願いしていたペットショップの店員さんも同意見で、
「稀に見るイケビーグル」とおっしゃっていた。

それからペペは14年も生きてくれたが死ぬときの体重は20㎏だった。

吠えてねだるともらえないので黙ってこちらを見る戦法に勝てる家族はいなかったので
ペペはいつも食べすぎだったと思う。

死因は急いで食べたときにのどを詰まらせ、
そのときのショックで起きた心臓発作だ。

今では「食いしん坊のペペらしい死に方だ」と笑って言うこともできるものの、
死んでから4か月くらいは、食欲がなく、これまで楽しかったことなにやってもつまらなく、
あぁ、これがペットロスなんだなぁ、としみじみ感たものだ。

死んでひと月くらいは暇ができると動画を見て涙していた。

喫茶店でそれをやった時も涙が止まらなくなりとても恥ずかしかった。

もし私が外でそういう人を見かけたら「ペットロスかな?」
と思ってしまうかもしれない。

親が死んでもそこまで泣けない気もする自分の気持ちから照らして、
外で泣き暮れる人はやはり私にはペットロスの人に見えるだろう。

しかしながら時の力というのは偉大でどんな哀しみも癒してしまうようであり、
死んでから5年ほど経つ現在、ペットロスの気持ちを再現してみようとしても難しい。

もし自分がペットロスの人に何か言ってあげるとしたら
時で哀しみが癒えた自分の経験を話すことくらいだ。

あと、元気な時は実物と遊べればいいや、と、
動画や音声(特に!)を積極的に残さなかったのを
後悔していますいる。

幸い、長めの動画が1つだけ撮ってあったのだが、
その中では一回だけ鼻をスンと鳴らしてくれるだけだった。

なので今はあの鳴き声(散歩連れてけ!)と騒ぐ声ががまた聞きたくて仕方ない。

ワンちゃんは元気な時の姿や声の記録をたくさん残しておくべきですね!

愛犬の悲しい老衰 悲しみ続けることを愛犬は望んでいないと実感 感謝の気持ちが大切だと私は思う

2017年某日、実家で暮らしていた愛犬のキラが無くなりました。

死因は老衰です。

僕が小学2年生の頃に姉が毎朝散歩に連れていくとの約束の元飼う事となりました。

しかし、リードの引っ張り癖やオートバイや中型以上の車に対しての吠え癖やが酷く、姉も飼い始めてから数カ月もしないうちに嫌になってしまったらしく、毎朝どころか散歩に行く事も無くなってしましました。

それは僕も同様で、特に吠え癖は吠えるだけでなく対象に全力で向かって行くので、それを押さえつけるのは本当に大変で嫌な事でした。

それから高校生になるまで、僕は本当に気が向かない限り散歩には行きませんでした。

結局散歩に行くのは父親だけになってしまい、キラは平日は朝から晩まで家に閉じ込められたまま、家でも宅配便やバイクへの吠え癖は酷く、吠える度こっ酷く叱っていたなと思います。

怒りに任せて毎回のように手をあげていました、理不尽で嫌な事も多くしていました。

本当に愚かで酷い事をしてしまったなと感じています。

僕が高校生になる頃にはキラは体力的にも衰え、ようやく散歩のペースが合う事が分かり、そこからは毎日とは言えないものの良く散歩に連れていけたと思います。

吠え癖で暴れても全盛期程の力はなく僕も力がついてきたので、何とか押さえつける事が出来ました(笑)
お気に入りだった場所は電車が通る横の全長500m程の広場で、電車が一番興奮するらしく電車が通る度、電車と一緒に爆走していました。

家でのお気に入りの遊びはかくれんぼでした。

必ずキラが鬼役で僕は至るところに隠れました。

家の中だと、鼻も効かないらしく、なかなか良い勝負を毎回していました。

見つけた時の喜び方は凄かったです(笑)ほんの一部の話ですが本当に良い思い出です。

それから僕は短大に行き、そして社会人となり2年目には実家を離れて暮しました。

その短い期間でキラは何度も体調を崩し病院のお世話になっていました。

死が確実に近づいているなと会う度に感じつつ月日は過ぎ、その最期は突然やって来ました。

休日の朝、朝食を取りながらスマホを確認すると父親からメールが来ていて、何となく察しました。

夜中に亡くなったとの内容でした。

残った朝食は食べる気にはなれず、喉を通らないという感覚を初めて体験したと感じます。

正直実感が湧かないままボケーっとしながら実家へ戻りました。

亡くなったキラと対面した瞬間一気に悲しいという感情が溢れ、涙が止まりませんでした。

こんなに悲しく、こんなに泣いたのは初めてでした。

その日の内に合同葬儀屋への引き渡しがあり、自分の中では落着きを取り戻していたと感じていたものの、待合室では歯を食いしばって涙をこらえていました。

そして、最期のお別れの時、もう駄目でした、家族の前で恥もせず一番泣きました。

翌日の仕事は正直全然力が入らなかったです。

ショックでした。

ですが、2日目以降からは通常通り仕事が出来ました。

これはペットを亡くされた方全てにお伝えしたいのですが。

へこんでいても仕方ないのです。

後悔しても仕方ないのです。

もう過ぎた事なのですから。

きっと亡くなったペットもそんな事を望んでいません。

ありがとうという感謝の気持ちを持つ続ける。

そしてその経験を無駄にしない、次に活かす。

何より、ペットとの思い出を忘れない。

思い続ける。

それでいいじゃないですか。

行方不明になった愛犬 似た犬を見ると20年たってもまだ目で追いかけてしまう

中学校3年の秋、ちょうど高校受験の準備が本格的に始まる頃に、私が物心ついた時から12年間一緒に過ごした愛犬のシロが急にいなくなりました。

我が家は田舎の一軒家で庭が広いこともあり、外で飼っていたのですが、夜以外はシロを鎖でつなぐことはなく自由に過ごさせていました。

人懐っこく、近所の人にも可愛がられる人気者の犬でした。

そんなシロがある日いつものように家の周りを散歩中に急にいなくなったのです。

私達家族はみんなで一生懸命に探しましたが一週間経ってもシロが帰ってくることはなかったのです。

近所の人の心配してくれ、一緒に探してくれましたがやはり見つかりませんでした。

そんな時、家向かいに住む当時100歳近いおじいさんが、
犬も死期が近いといなくことがまれにあるから、きっとシロもそれでいなくなったんだよと教えてくれました。

確かに、シロは人懐っこいお調子者ではありましたが、同時に警戒心が強く、危ないものには近づかないというバランスの良さも持ち合わせている賢い犬でした。

そしてこの田舎の環境では、もし事故等であれば、近所の人が見かけているでしょうし、全く消息が不明というのはとても不思議でした。

シロの亡骸もない状態で、突然の別れとなってしまったことに心の準備が追い付かず、とても悲しかったです。

家族はそのうち、しょうがない、シロはきっとどこかで安らかに眠って自然に帰っていったんだと前向きに考え始めていましたが、私はシロに会いたい想いでどうしても現実と向き合うことができませんでした。

20年近く経った今、あの時生きていたとしても、今は生きているわけがないシロですが、道端で似た犬を見かけると今でも無意識にシロを思い出す日々です。

母の死でひきこもりになった私を救ってくれた愛犬 残してくれたのはがんばる心

私がマルちゃんと出会ったのは、高校1年の秋頃でした。

その年の夏に母親が病気で他界してしまいました。

朝まで元気だった母が、仕事中に倒れそのまま帰ってくる事はありませんでした。

私は母を亡くしたショックで、食事も喉を通らず、学校もずっと休んで部屋に引きこもる日々を送っていました。

結局、私は高校を中退して、親戚の叔母さんに紹介された会社で就職をする事になったのですが、家から出るのも躊躇っていました。

そんな私を心配した父が、ある日、小さい子犬のマルチーズと一緒に家に帰って来ました。

知り合いから、可愛がって欲しいと言われ貰ってきたのでした。

私は、マルチーズのマルちゃんと一緒に時を過ごす事になりました。

マルちゃんは、とてもお利口な子犬でした。

私が寂しい顔をしていると、すぐに膝の上に乗り、ペロペロと舐め始め、くすぐったい私は、笑ってしまうんです。

私が笑うと膝から降りて、私の前でクルクルと回って喜ぶんです。

私は、母を亡くした傷がどんどん和らいでいきました。

マルちゃんに癒されていたお陰で、仕事にもきちんと行くようになり、毎日のマルちゃんの散歩も楽しくて仕方ありませんでした。

マルちゃんは、私が朝の出勤する時間になると、玄関でずっと待っていて、私と一緒に近くの線路脇まで付いて来ると、「ワン」と一声挙げると尻尾を振って、自宅へ帰っていました。

毎朝、毎朝、私を見送ってくれていました。

ある時、私が仕事を終わって帰って来ると、マルちゃんの姿が見えません。

私は父に訪ねると、マルちゃんは私を見送った後、自宅前の道路で車に引かれてしまったのでした。

私には見せたらいけないと思った父がマルちゃんを動物供養して貰える所で火葬して供養して貰ったそうでした。

私は、マルちゃんがいなくなった事で、心の火が消えてしまい、無気力になってしまいました。

私を見送らなければ…。

マルちゃんごめんね…。

そんな思いと後悔で、泣き続けました。

でも、また私が泣いてしまうと、天国に逝ってしまったマルちゃんが心配するのかな?と思い、私は、立ち直らないといけないと奮起する事にしました。

それからは、「お母さん、マルちゃんを可愛がってね。

行って来ます」と毎日仏壇に手を合わせて、出勤しました。

20年前に亡くなった愛犬 18年生きるも後悔はつきず写真を見るのも辛い いまだに新しい仔を迎える気が起きない

28歳の時、10歳の時から18年飼っていた犬が死にました。

茶色の犬で、足先だけ白くまるでタビをはいているようで、「タビ」という名前でした。

一番多感な時期を一緒に過ごし、家族同然だったためしばらく立ち直れませんでした。

街中で似たような犬を見かけるともう涙が止まりませんでした。

今でも写真を見ただけで辛いです。

最後の2年は足腰が弱くなり、散歩紐を見せただけで嫌がって逃げてしまい、一日狭い家の庭で過ごすことが多くなりました。

獣医さんには18年生きたから大往生ですよ、と言われたのですが、もっとあちこち元気なうちに遊びにつれていってあげればよかった、カルシウムを若い時に取らせていれば最後まで元気に歩けたのではないか、と後悔ばかりの日々でした。

雑種で、おとなしい性格で散歩で他の犬がすれ違う時もびくびくしてしまう仔でした。

子どもが大好きで、近所の子に耳やしっぽを引っ張られたり、突然触られてもじっとしている優しい仔でした。

私に辛いことがあった時はなんとなくわかるのか、べたべたとくっついてきてなぐさめてくれました。

私の落ち込みがあまりひどいので「似たような仔が里親ででていたよ」と周囲はすぐ次の犬を飼うように勧めてくれたのですが、飼う気になれずにその後20年ペット無しで過ごしています。

時々、一緒に散歩している夢をみます。

ほとんど吠えない子だったのですが、夢の中でも黙って私の方をみてしっぽを振っています。

死んでも私を守っていてくれるのかなと心強いです。

亡くした直後は辛いですが、どこかでペットとあなたはつながっています。

時々そっと思い出して心の中でペットの名前を呼んであげてください。

小さい頃からずっと一緒だった愛犬 桜の木になっても見守ってくれている 感謝の気持ちしかない

私の実家には以前3匹のシーズーがいました。

1匹目は最初に父親がもらって帰ってきて、1匹(オス)しかいなかったので非常にかわいがりどこに行くのも一緒で常に一緒に布団でおりました。

次に最初にもらってきた犬の嫁さんとして、別のメス犬を連れてっかえって来て、1年後には、子供を5匹生みました。

その5匹の中で一番体が小さく、弱弱しいオス犬だけ残し、ほかの4匹は貰い手がとても大切に育ててくれ、たまに子供同士の交流など行いました。

最初にもらってきた犬は、年齢が14歳まで生きることが出来ました。

たまたま私が仕事で出張中で帰る日に亡くなりました。

そのオス犬とは、小さい時からずっと一緒で、話はできませんが私の愚痴や小言をちゃんと聞いてくれて、時には励ましてくれたり、けがなどをしたときはなめてくれたり、頭が痛い時などは、頭に手を載せてくれたりと、本当に感謝しかありませんでした。

一番一緒に過ごしたオス犬であって外を走りまわるのが大好きな犬で桜の吹雪を見るとずっと追いかけているような元気いっぱいの犬でした。

家に帰ると他の2匹の犬も可愛いのですが、何かぽっかりとあいた感じがして非常にさびしく感じ、食事もとれず泣いていました。

オス犬がとても好きだった、桜の苗を買いに行き、オス犬を埋葬した場所に桜の苗を植えました。

今では桜も大きくなり毎年とてもきれいな桜を咲かせてくれます。

たまに桜の木の模様がそのオス犬に見えることもあり、私は毎日見られているような感じがして、生きている時と同じで私を今でも見守ってくれています。

もう犬は飼わないと心に決めたものの飼うことになった愛犬 病気でなくなり心に穴が開くも、出会えてよかった

ビーグル犬のジョン君と出会ったのは22歳の夏でした。

前年に12年間家族として過ごしたゴールデンレトリーバーが亡くなり、あまりの悲しさに「もう犬は飼わない」と心に決めて過ごしていたそんな時、
たまたま母が「里犬に出されたが出戻りしてきた犬がいるから飼えないか?」と知人から声をかけられたことがきっかけで我が家にやってきました。

放浪していた期間も長かったため、気難しいところもありましたが、少しずつ家族に懐いてくれ、家族の一員として楽しい時間を過ごしていました。

ジョン君が亡くなったのは、それから8年ほど経ってからでした。

亡くなる1年半ほど前に脾臓の病気が見つかり、手術や毎日の薬の服用でそれなりに元気に過ごしていたのですが、高齢も重なり、亡くなる1週間程前になるとなかなか立ち上がることもできず、大好きだった食事さえも喉を通らないというような状態になり、最後は眠るように家族みんなに見守られながら旅立っていきました。

お金や時間がかかったとしてもできるだけの事はしようと、家族で協力して看病、介護してきましたが、やはり亡くなったあとはもっとしてあげられることがあったんじゃないか?と考えることはありました。

ジョン君が亡くなってから家族の胸にぽっかり穴があいてしまった時間もありましたが、時間が経つにつれジョン君の旅立ちを受け入れられるようになり、今では楽しかった思い出として家族で話をすることもあります。

亡くなってしまったことはとても辛いですが、それ以上に「ジョン君と出会えてよかった」と思う気持ちが大きいです。

ジョン君、我が家に来てくれて本当にありがとう。

違う病院に連れて行った直後なくなった愛犬 後悔 縁で新しい仔をお迎えして乗り越えられた

私が初めて飼ったペットは私の誕生日に両親が飼ってくれたシェットランドコリー犬でした。

たしか病気で6年くらいしか生きなかった事を覚えてます。

初めて飼った動物だったので母たちも勝手が分からず長く生かせてあげれなかったことを今でも後悔してます。

名前はリリでリリが病気になり病院通いが続きました。

ある日、とてもグッタリしていたので病院に連れて行ったらしいのですが休みで違う病院に連れて行きました。

その数日後、息を引き取りました。

違う病院を責めるつもりはないですが凄く悔やんでます。

病院が休みなのは仕方がないのでどんな薬を飲んでるのか症状など明確にメモでもすべきだなって思う今思います。

私は幼かったので学校に行かされて帰ってきたらもういませんでした。

最後触った時、とても硬くなっていたのを覚えています。

とてもヤンチャでした。

どちらかというと私が遊んで貰ってたような。

もし、もう一度会えるなら、いつも遊んでくれてありがとうって、長く生かせてあげれなくてごめんねとっ言ってあげたいです。

悲しんでいる人に伝えるとしたら、その子の寿命は決まっていてくる時が来たんです。

あなた自身が悲しんでいては旅立つに旅立てません。

ゆっくり眠ってねって言ってあげれるようになれたらいいですね。

その当時、数ヶ月経ってワンちゃんを飼えなくなってしまったので飼えないですかって話を貰ってまだ、リリへの思いが残ってましたが、リリから早く前に進んでじゃないですがそんな思いかなっと思い飼うことにしました。

あえて自分から飼うことはできませんでしたが話を貰って良かったと思います。

不思議とそのワンちゃんを飼ってから、リリの影を見るようになった気がしてました。

見守りに来てくれたんかなとか寂しくなったんかなとか考えましたね。

そんなこんなで乗り越えたと思います。

愛犬の病死 家族全員が意気消沈・体調不良 1年たってようやく悲しみから開放 幸せだったと思う

15年ほど前に知人から貰い受けたフレンチブルドッグの「トモくん」が去年の11月天国に行きました。

今は家族がやっと悲しみから抜け出しています。

トモくんは内臓にできた腫瘍が原因で亡くなりました。

最後は眠る様に亡くなったので苦しまずに済んだので良かったなと思っています。

なくなった時は家族全員泣いていました。

とても辛く一週間ほどは家族の中で笑顔がほぼ無かった様な気がします。

子供が二人いるのですが、一番下の小学校2年生の次女はその日から食欲があまりなくなってしまいました。

今現在は次女は大丈夫なんですが、トモくんがなくなった時は次女の体調が心配でした。

長女は特に食欲不振になるとかはなかったのですが、やはりトモくんがなくなったあと一週間ぐらいは元気がなかったですね。

妻はその様な悲しい空気を打ち消そうと無理やり笑い話や冗談を言っていましたね。

私も3、4日はなんだか心にポカリと穴があいてしまった様な、食事をしていても美味しく感じない様な気がしていました。

仕事も今ひとつ集中出来なかったです。

トモくんがなくなってもうすぐ一年が経とうとしています。

トモくんの一回忌は何をやろうかと、今考えています。

トモくんは非常に食いしん坊だったので、トモくんのお墓に好物だった鳥のササミをあげようかなと思っています。

愛犬がなくなるととても悲しいです。

この様な経験はしたくないのです。

しかし家族を癒してくれたトモくんはとても幸せだったと思います。

部活や受験で相手できなかった愛犬 肺に水が溜まり亡くなる 本当に幸せだったのか自問

21歳の大学4年次に小学校1年生の6歳から買っている愛犬のフクがなくなりました。

雑種の犬で15年ほど生きた犬になります。

犬が飼いたいと親にねだり保健所で親が子犬をもらってきてくれました。

確か3か月ぐらいだったと思います。

今ではあまり雑種の犬を見なくなりましたが、よくいる茶色くなぜかとても尻尾が短い犬でした。

小学生の頃はよく世話をしていたのですが、自分が大きくなるにつれて部活や受験で忙しくなってきたのを言い訳に散歩は時々連れて行くのですが昔ほど世話をする時間は確実に減っていきました。

そして大学4年になったときにもともと寿命が近づいてるのは分かったのですが、ある日肺に水が溜まって15歳で亡くなってしまいました。

学校にいたのですが親からの連絡ですぐに家に帰りました。

帰ったところもう動かなくなっており何年かぶりに親の前で泣きました。

もうそれからは後悔ばかりです。

自分や姉が望んで飼いだした犬なのに自分の楽しいことを優先してあまり世話をしなかったこと、弱ってきている最後に居れなかったことに対してです。

その後も数日間はうちにもらわれてきて幸せだったのかなぁと思うことが続きました。

今も二人でとった写真は大切にしているし携帯に写真も残しています。

親も落ち込んでいて、もうしばらく犬を飼うのはやめようと思っていたのですが、やはり同じような犬を同じ保健所でもらってきました。

新しい犬は大切に育てるぞと思いながら、前のフクに申し訳ない気持ちになります。

生き物を飼うというのは責任があることなので大切に育てていきたいと持っている。

ファミコンのかわりに買ってもらったおとなしい愛犬の死 早く病院につれていかなかったことを後悔

私が小学校3年生頃はファミコンブームの先駆けで友達は次々と持つようになりましたが、私は買ってもらえませんでした。

その次に買いたかったのはペットでしたが、値段が高いのでダメ元で親にお願いしたところ、意外なことに反対されなくすんなりと買ってもらえました。

その時期は、丁度クリスマスの前の週と記憶に残っていますね。

その後、最寄りのペットショップに行きましたが、仔犬の値段が凄く高いのにはビックリしてしまいました。

その中でも、国産犬は外国産と比べると比較的安く初めての飼育なので、純潔種ではなく雑種を選ぶことにしました。

それを選んだ理由は、柴犬などは茶色系の毛色が多いですが、その雑種は毛色が白色で珍しい感じがしたからです。

購入してから、自宅に戻り大じっくりと観察しましたが、おとなしいイメージでしたね。

初めての散歩デビューは、2か月を過ぎてからでしたが、大人しい性格のせいか、オドオドしながら歩いていたのは記憶に残っています。

また、無駄吠えもしないで、他人が来てもあまり警戒心を見せませんでしたね。

特に尻尾を横に振りながらじゃれ合う姿は愛嬌がありました。

ところが、飼い始めてから8か月のとある日エサを与えようと犬小屋に行ったところ、いつもより元気がなく様子がおかしいのです。

しかも、大好きなエサも殆ど口にしません。

次の日も同じような症状が続いたので、体調が改善しなければ翌日に病院に連れて行くことにしました。

小屋の中でずっとうずくったままで、その時もエサも殆ど口にしませんでした。

次の朝に様子を見に行くと、力尽きて息が絶えていたのです。

その姿を見た時はあまりにもショックで、思わず涙が出てしまいました。

周辺には何度も吐いた跡があったので、もがき苦しんでいたんだろうなと思っています。

もう一日早く病院に連れて行けば、助かっていたかもしれません。

それを思い出すと、なぜその時に病院に連れていなかったのか後悔していますね。

親も仕事が忙しくて、病院に連れて行く時間がなかったと言ってました。

僅か8か月の命でしたので、命の大切さについても犬を飼うことを通して痛感しました。

やはり、家族の一員であったため、ペットを失ったあとしばらくは意気消沈しましたが、生きることについて改めて考えさせられました。

命は有限なので、ペットを飼う時は覚悟を持って後て後悔しないような世話の仕方をしたいですね。

玄関の扉を開けていたせいで亡くなった愛犬 母は責任を感じ謝罪 母を元気にさせようと遺品整理

私が小学生2年の時に近所で子犬が3匹生まれ引き取り手を探していると母が聞きつけ、私を連れてそのお宅に行き3匹の中から1匹を選んで、と言われ、一番小さい栗毛のコロッとした子を選び抱きかかえてもらって来ました。

名前は何にすると言われ、私が気に入った見た目のコロッとした感じからコロと名づけその日から私に弟ができた気分でした、

雑種のコロを私は部屋で一緒に過ごすとばかり思っていましたが、今とは違い、まだ犬小屋の準備もしていなかったので、玄関にダンボール箱を置き、中にモーフを引いた簡易犬小屋を設置してくれた母に対し、何故部屋で一緒いいさせてあげないのか?としつこく聞き、糞尿のしつけもまだな子犬を部屋で飼うなど考えてもいなかった母は、ずーと玄関から離れない私に困ったといいます。

最初の日は結局私は玄関で寝たそうです。

それからが楽しい日々でした、学校に行く時はコロがとちゅうまでお見送りをしてくれ、教えてないのに、道の角をまがるとピタっと止まりわたしが歩いていくのをジーと見送る、学校から帰って来て玄関を開けた途端に外に飛び出して、私の周りを走り回り、私もランドセルを放り投げ、コロと一緒外の一本道をかけっこですが、小さいとは言え、流石に犬ですから私を軽く抜き、遥か彼方に走っていきます、大声でコロと呼ぶと振り返り止まってこちらにこようとするのですが、直進のベクトルが強すぎ必ずコロコロと転びながら体制を変えて私の元に走り返って来ていました。

そんなある日、コロが玄関に居ない、勝手に外に出たらしく探し回りましたが見つからない、心配でしょいが無い中、コロがお家に戻って来た時に誰も居ないとお家に入れないからと母に説得され家に戻るとゴミだらけになったコロが玄関前に座ってました、

直ぐに身体を洗い、家にいるましたが容姿がおかしい、ごはん、と言っても昔ですから、猫まんまですが、だしても口をつけない、しまいにはゲホゲホと咳き込みながら吐き出すしまつ、当時は動物病院など近くにはなく、もらった家に連絡してその家のだんなさんが車を出してくれ病院に、レントゲンを撮ってもらったところ何か金属のようなものを食べたと思われるとの事で、手術だとなりましたが、体力がかなり低下して居たらしく、手術に耐えられずにコロはそのまま家には戻ってきませんでした。

母は悲しむ私を見て、自分が玄関を開けて居たせいだと自分を責め私に謝します。

コロがいない悲しさはありますが、それよりも、母がなきながら私にごめんねと言う姿の方が辛く、早く元気にならなければと思い自分からコロに関しての一切の物を捨て、早く母が笑えるようにと努めました。

時間が経つに連れ、コロがいないことが当たり前になり、事情により家も引っ越すことなり、これが良いきっかけに成りコロは思い出に変わりました。

肺に水がたまり苦しみながらなくなった愛犬 飼うんじゃなかったと後悔もするも出会いに感謝

一人っ子で寂しくしている私に、父が犬を飼ってもいいよと言ってくれた時、本当に嬉しかったです。

小学校3年生の時でした。

マルチーズでとても元気な男の子です。

私は嬉しくて毎日愛犬ブルーと散歩に行き、一緒に寝ました。

弟ができたと思って本当に嬉しかったですね。

学生時代辛い時、苦しい時はブルーを抱きしめると勇気が出てきて明日も頑張ろうって思えました。

ブルーにはたくさんの元気をもらいました。

でも、年を取り最期は肺に水がたまりとても苦しんで亡くなりました。

苦しんでいるブルーを見て、私は眠れずにずっと起きていました。

ブルーの苦しんでいる姿を見て、こんなに辛い思いをする日が来るなら犬なんて飼うんじゃなかったと思いましたが、ブルーが亡くなってから二年経ち、少しずつ辛い気持ちが薄くなってきて、やはりブルーに出会えたことは人生でとても幸せなことだったと思えるようになっています。

ペットを飼ったことのない会社の人達や友人からは、「また他の犬を飼えばいいでしょ」と言われます。

ブルーは家族なんです。

物が壊れたから別の物を買えば良い、ではないんです。

信じられません。

ブルーと違う犬を飼ったとしても、傷は癒えない、楽にはならないと思いました。

ブルーが亡くなって一年ぐらいは外でどの種類の犬でも見ると苦しくなり、目を背けました。

ブルーのことを思い出しては涙が出ました。

でも日にち薬のおかげで気持ちが軽くなってきており、もう少ししたら猫を飼おうかなと思っています。

やはり犬を飼うのは苦しいんです。

でもまたペットとの素敵な日々を過ごしたい、家族のように愛したい、癒されたいという気持ちが大きくなってきています。

新しいペットを飼ったとしても、ブルーのことは絶対に忘れません。

苦しみながらなくなった愛犬 安楽死をえらんだほうがよかったのか自問自答

4年前に愛犬を亡くしました。

もう18歳だったので、亡くなる1年前から認知症のような症状が始まり、最後の方は、ほとんど寝たきりの状態になりました。

寝たきりの状態はかなり長く続きました。

足をバタバタさせたり、夜中に苦しそうに鳴いたりして、こちらもどうしていいかわからず、ただ膝に抱いて撫でてやることしか出来ませんでした。

見ているのもせつなく、あまりにも可哀そうだったので、獣医さんに相談すると、「安楽死」という選択肢もある、というようなことを言われ、とてもショックで傷つきました。

その時は、「まだ生きているのに、飼い主の勝手で死を選ぶなんて」と思い、そんな発言をした獣医さんを恨んだりしました。

結局、安定剤、睡眠薬や痛み止めなどで、なんとか症状を抑えながら、けれど、次第にその薬もあまり効かなくなって、愛犬は苦しみながら、亡くなってしまいました。

愛犬が亡くなった後は、とても悲しくて、仕事や家事も手につかない状態が長く続きました。

他の犬が散歩をしているのを見ると、自然と愛犬を思い出し、涙が出ました。

テレビなどで犬の特集をしていると、愛犬を思い出すので、極力見ないようにしていました。

あれから4年経ちます。

時々、写真を眺めては、愛犬のことを思い出します。

そして、私たちの選択が正しかったのかどうか、自問自答しています。

あの頃は、「安楽死」なんてとても考えられず、獣医さんを恨んだりしました。

けれど、結局、私たちの選択は、愛犬を最期まで苦しませてしまいました。

「本当は、獣医さんが正しかったのではないか?私たちは自分たちのエゴで、愛犬を苦しませたのではないか?」答えはわかりませんが、そんなことを考えると、今でも涙があふれてきます。

腎臓の働きが悪く亡くなった愛犬 人間とおなじものを与えたことに後悔

 今から20年くらい前、母と二人で入った喫茶店の斜め前にペットショップがあり、母も私も「動物でも見て癒やされよう!!」なんて軽い気持ちで入ったその店にチロがいました。

それがチロとの出会い。

 生後4ヶ月のチワワで狭い檻の中から私たちを食い入るように見つめてきた。

「かわいい~」を連発していると、お店の方が「抱きます?」なんていうものだから、ついつい抱いてしまった。

もう本当に可愛くて私はつい勢いで飼ってしまいました。

 それからというもの、寝るのも起きるのも一緒。

ご飯を食べるのも膝の上。

家族中がチロのとりこになりました。

 飛行機に乗って北海道までも旅行した。

 一緒に生活をしていると、やっぱりどうしてもだめなところがあって、チロは人間の食べるものをとても欲しがりました。

そこは、私たち人間がしつけとして、人間の食べるものをあげなければよかったのですが、ついつい与えてしまい、結果チロを太らせることになってしまいました。

 獣医さんにも注意され、何とかダイエットしようとがんばりはしたけれど、成果はそれほど出ませんでした。

 やがて私は嫁にいきました。

アパートは動物禁止でしたので、実家においてでました。

毎日散歩をしに帰ったりもしました。

亡くなるその日まで・・・
 その夜、母親から電話がかかってきて「チロの様子が変だから今から病院に連れて行く、姉ちゃんも来て!!」
 私は着の身着のままで車を運転し、母親が駆けつけている病院へと急ぎました。

しかし駆けつけた時にはすでに亡くなっていました。

 母の話では病院に着く200メートルくらい手前で亡くなっていたそうです。

その日散歩の時チロを抱き上げたとき何となく身体全体がむくんでいるような感触がしました。

腎臓の働きがよくなかったようです。

 やはり人間の食べる、動物にとっての濃い味が、チロの腎臓に負担をかけてしまっていたのだなと後悔してもしきれませんでした。

 実家に帰るとしっぽを振って走って迎えてくれたチロ。

実家の風景はなんら変わらないのにそこにチロの姿が見当たらない・・・
 チロがいないことがどうしても信じられませんでした。

母も父も相当つらがっていました。

今、実家には「なんな」というチワワがいます。

今年で12歳を迎えました。

 チロの教訓をいかし、1日でも長生きしてもらおうと両親も頑張っております。

病気もないのに突然の愛犬との別れ 受け入れれずに反省の毎日 ありがとうと伝えたい

我が家の愛犬でトイプードルのモカとの出会いはショッピングセンターのペットショップでした。

愛くるしくゲージの中で愛嬌を振りまいていた可愛い子犬でした。

長女がモカを見てすぐにこのトイプードル飼ってみたい言い出して、結局、その日のうちに飼うことを決定しました。

お店で可愛い箱に入れられて我が家にやって来た時のことは未だに鮮明に覚えています。

すぐに我が家に慣れて、無邪気に室内を駆け回っていました。

そんなモカが亡くなったのは昨年12月末でした。

特に病気をしていた訳ではなく、前日までは元気に走り回っていたのですが、昼間に突然、ゲージの中で横たわり、苦しみ始めました。

すぐに、近くの動物病院に連れて行きましたが、すでに亡くなっていました。

先生によるとごく稀に突然死で亡くなる飼い犬がいることを知りました。

心臓か脳が原因だと説明を受けましたが、突然の死を受け入れることが出来ませんでした。

 自宅に連れて帰り、家族で手を合わせて成仏をしっかり祈ってあげました。

翌日にはペット葬儀社にお願いして、火葬してもらいペット霊園のお墓に入れてもらいました。

 家族が嬉しい時、悲しい時、いろんな場面を共に過ごしてきました。

会社の人間関係で深く悩んでいた時も、会社から帰ると何もかも分かっているみたいに、ずっと私に寄り添ってくれて慰めてくれました。

そんな優しいモカは家族にとってアイドルでした。

 あまりペットを飼った経験が無い方には気持ちはわからないと思いますが、10年ほど一緒に生活すると家族同然で、私は精神的に参ってしまい会社も2日程休みました。

 今でも脳裏に元気なモカが思い出され、辛い毎日を過ごしています。

「もっと、いろんなことをしてあげたら良かった」と反省の毎日です。

 もし、モカともう一度会えるなら、しっかり抱きしめてあげて、「ありがとう」って伝えたいです。

 

海外生活を支えてくれた愛犬 お別れができず後悔 夢にでてきれくれて生まれ変わりを実感

海外に住んでいたとき、ゴンタという犬を飼っていました。

犬を飼いたくて、現地の動物保護団体で子犬のときに譲ってもらったのです。

柴犬くらいの雑種です。

保護団体に見に行ったとき、市場で出産していたという野良犬の母親と、おっばいにむしゃぶりついている8匹の子犬がいました。

その中で一番おとなしそうな泣き顔の子犬を選び、もらえる大きさになるまで待って、やっと我が家に迎え入れました。

家に向かう車の中で、私の腕の中で不安そうにウフン、ウフンと鳴いていた姿が昨日のことのように思い出されます。

その日から、夫と娘とゴンタとの生活が始まりました。

ゴンタはかしこい犬で、現地では放し飼いが普通なのですが、娘がちょっと近所の友達の家に行くときなど
「ゴンタ、ついて行ってあげて」
と言うと、娘の前に立って一緒に行くのです。

娘を無事に送り届けたらひとりで戻ってきて、門の前でじっと娘の帰りを待っていました。

夕方、家事の合い間に庭先で一休みしているとやってきて隣に座り、私のひざのあたりをはむはむと軽く噛んで労ってくれたり。

海外では、孤独になりがちです。

私はゴンタに日本語で話しかけ、ときにぎゅっと抱きしめたり、一緒に寝転んでその体温を感じることで本当に救われていました。

しかし4年ほど経ったとき、突然の別れがやってきました。

夫にゴンタと留守を任せて、娘と二人で1か月ほど一時帰国したときのことです。

その数日前からゴンタが少しずつ痩せてきて心配だったので、翌日に獣医に行くことを夫に頼んで出発しました。

家を出るとき、ゴンタのおでこと自分のおでこをくっつけて、
「帰ってくるまでに元気になってるんだよ」
と言ったのが、最後でした。

私たちが帰国して3日後、夫がひとりでゴンタを看取ることとなりました。

獣医さんの話では、へビに噛まれたのではないかということで、どうしようもなく、その夜はゴンタがドアの隙間からクウ~ンと夫を呼び、夫が傍に行くと横たわって、そのままゆっくり息をひきとったのだそうです。

1ヵ月後、私たちが戻ってきたときにはゴンタはもう埋葬されていました。

最後を看取ってやれずかわいそうなことをしたという思いがずっとあり、急にいなくなったようで実感もなかなかわかず、道で似た犬をみかけては「ゴンタ!」と声をかけてしまう日々が続きました。

そんなある夜、夢にゴンタが出てきたのです。

私は犬たちがたくさん走り回って遊んでいる広い広い丘の様なところにいて、そこでゴンタを探していました。

丘の真ん中に小さな小屋があり、その中に入ると、ゴンタが横たわっていて、頭の上のほうに白い光があり、そこへ吸い込まれようとしているところでした。

「ゴンタは生まれ変わろうとしているんだ」
と思った私は、ゴンタの体にぎゅっとしがみついて
「ゴンタ!ゴンタ!」
と叫んでいました。

叫びながら目が覚めると、頬がぐっしょりぬれるほど寝ている間に泣いていたことに気付き、こんなことは初めてで自分でもびっくりしたのです。

きっと、その日を境にゴンタは生まれ変わったのだと思います。

最後に抱きしめてやれなかったから、夢の中で抱きしめさせてくれたんだと思います。

生まれ変わったから、いつかまた私たちのところにやってくる。

そんな縁がきっとまたある。

そう思って、次に訪れる縁を待つ気持ちになれました。

最後まで本当にいい子でした。

亡くなった愛犬と夢で会う 楽しいけれど寂しい気持ち 素行が悪いが本当に家族だった

 ペットは家族というと、バカげた発想だと思う人もいるかもしれません。

しかし長年付き添えば、虫でもネズミでも家族としての愛着が湧くものです。

私は11年連れ添ったペットの犬が死んで悲しい思いをしました。

 その犬は父がどこかから貰ってきたゴールデンレトリバーの雑種ということでした。

貰ってきた時、私はまだ5歳で小学校にあがる前でした。

物心がついた極初期段階から私が高校2年生になるまでの間を共に過ごしました。

人生で一番多感な時期、青春と呼んで良い時期を過ごしたので、それだけこの犬には愛着が湧いていました。

私n人生の記憶の前半部分の10年はこの犬との記憶で埋まっています。

 ペットを飼うということに両親が慣れていない状況でしたので、この犬は素行が悪く、人にも物にも噛み付く始末で扱いがとても難しかったです。

まだ子供の私にも容赦なく攻撃してくるし、散歩で紐を持てば、犬の力が強くて私が引っ張られてびっくりして泣かされたこともありました。

しかし犬という生物は知能が高いようで、こちらで悲しんでいるということを読み取ったようで、私が泣けば大人しくすり寄ってきて涙をペロペロとなめることもしていました。

そのような仕草をみれば愛らしいと思わずにはいられませんでした。

 予防注射につれていけば暴れるし、本当に手がかかったけど、私はこの犬の世話をするのが楽しくで仕方ありませんでした。

 最後は老衰してしまい、あれだけ元気だったのに寝たきりになってしまいました。

穏やかに死んでいきました。

私は生物の死後硬直というのを初めて見ました。

温くてやわらかい犬の感じが全くしません。

悲しい上に恐ろしくなりました。

 裏山に埋めた時には泣くのを止められませんでした。

初めて身近なものの死を体験しました。

しばらくは悲しくて学校にいっても元気がでませんでした。

 いまでもたまに夢の中であうことがあります。

楽しい夢だけど起きると寂しくもなります。

 悲しい別れだったけど、良い出会いであり、良い経験だったとおもいます。

1年命が延びるはずが、1ヵ月で天国へいった愛犬 痛い手術は必要だったのか?

もともと、家には1匹2歳のミニチュアシュナウザーのももちゃんがいました。

その子はとてもおてんばで可愛かったのですが、お友達が欲しいのかなと思い、たまたま父の会社で同じ犬種を飼っている方に子犬が産まれるということでメスの子を譲っていただきました。

名前はまつ毛が長くぱっちりとした目がお花のようだったので「ハナ」と名付けました。

初めて我が家に来た時から、ももちゃんとすぐに仲良くなり遊ぶ時も寝るときも歩きだすタイミングも全て一緒なくらい仲良しで我が家は一層明るくなりました。

モモが12歳、ハナが10歳の時です。

ハナは前日、いつものように父のベットで寝ていました。

朝になっていつも軽快にベットから飛び降りるハナがヘェヘェと舌を出して震えていました。

ハナを抱きかかえると触れないぐらい体温が熱く目はうつろでした。

田舎に暮らしているため休日に動物病院はあいてるわけもなく、とりあえず熱さましのまくらの上にのせ
なで続けました。

隣町の病院で応急処置をしてもらい、次の日いつもの病院へ。

レントゲンをとってもらうと「肺がん」

もういつもの動物病院では見れないとのことで大学病院で入院することになりました。

私たちは普段ハナが寝ているときのイビキに癒されていたのですがこのイビキは病気の合図だったそうで全く考えもしませんでした。

いつも元気に走り回っていたので「ぐっすりねている」そう思っていたのです。

大学病院では「うちに来たら安心、手術をすれば1か月の命を1年に延ばします」そう言われました。

1年でも一緒にいれたらそれまでに心の整理をつけて見送ってあげようと思いました。

しかし、
手術後1か月もしないうちにハナはガンが転移し天国へ旅立ちました。

私は仕事を終え、玄関で家族の泣き声が聞こえました。

恐る恐る家に入ると生暖かいハナが横たわっていました。

私が仕事に出てる間に、ハナは息ができなくなり急いで病院に連れていくと「このまま生かしておくのはハナちゃんは辛いはず。

楽にしてあげるほうがこの子の為です」

ハナは母と病院へ行ったときいつもの治療だと思い、診察台で母をじっと見つめていたそうです。

ですが先生が打った注射は安楽死用の注射。

ハナは診察台で横たわりました。

私はその最期に立ち会うことができず家で号泣しました。

次の日午前のみの仕事で午後はハナのお葬式でした。

午前の仕事は全く身に入らず涙で全く仕事が手につかなかったことを覚えています。

あの時、ハナに痛い思いをさせてまで手術を受けさせたことは最善だったのか、
3年経った今でも悩んでいます。

そしてハナが死んで、ももちゃんは一気に老けました。

グレーだった毛色は一気に白くなり寝てばっかりの
生活になりました。

ときどき寝ているのにワンワンと寝言で吠えているのです。

それを見てももちゃんへの心のケアも必要、私たちの寂しさも残ったまま。

気づいたらペットショップへ行き、ハナに似た同じ犬種の子を探していました。

そして我が家に新しい子犬が来ました。

ももちゃんは驚くほど元気になり、私たちも毎日ハナの話題はしつつも新しい子犬ナビちゃんに癒されています。

ナビという名前。

私たち家族は花火をみるのが大好きです。

ハナ
から名前をもらいナビに。

そしてナビという名前にはもう一つ由来が

ナビ=道しるべ

私たち家族、そしてももちゃん
家族全員の道しるべになってね。

そんな意味を込めてナビという名前を付けました。

ハナが死んでから一度もハナを忘れたことはありません。

毎日ハナの話をします。

いつまでも姿は見えないけどももちゃんとナビと家で走り回っている。

そんな感じをしながら家族に笑顔が戻りました。

愛犬の病死 安楽死を選択しなかった事に後悔 しかし時が癒してくれた

7年前に飼っていたハナというダックスフンドの雑種を亡くしました。

元々は、弟が神社の下で拾ってきた犬です。

弟は可愛がっていましたが、結婚したため実家を離れなくてはならず、引き継いで私が面倒を見ることになりました。

私は面倒なので動物を飼うことが好きではありませんでしたが、残されたハナが少し不憫でしぶしぶ私の犬にしました。

毎日の餌やりや散歩は正直面倒でしたが、だんだんハナもわかってきたのか私を見ると嬉しそうに尻尾を振るようになりました。

そんなハナが可愛くなってきて、毎日の散歩も嫌ではなくなってきました。

元々大人しい性格の犬だったので、穏やかな時間が一緒に持てる癒しの犬となっていました。

しかし、数年経った頃から散歩の様子がおかしくなり、病院に行ったところ心臓が悪いと言われました。

呼吸も苦しそうで、見ていて辛かったのですが、ある日獣医さんから安楽死も選択の一つと選択を迫られました。

薬もだましだまし餌に混ぜて飲ませたり、毎日さすったり、暖めてみたりできる事は一生懸命やっていましたから、安楽死は選べず、ハナを最後まで頑張らせてしまいました。

毎朝仕事に行くのが怖くて、仕事が終わると急いで帰りました。

そしていよいよ亡くなる前日、家に帰ると、ハナが私のパジャマに包まれていました。

ハナの様子の変化を見て、私がもう間に合わないと思ったようで、私の匂いの付いたものと咄嗟に考えたらしいです。

本来動物が苦手で触ることすらできない母がパジャマでくるんでいたのを考えたら、本当に最後なんだと泣けてきました。

幸い次の日は日曜日だったので、一日中ハナの側にいれました。

そして私に看取られて逝く事が出来ました。

母は、日曜日まで貴方を待って頑張ったんだよと言いました。

しばらくは、ハナのいつも居た場所を見るたびに悲しかったですが、時間とともに苦しさも和らいでいきました。

時ぐすりって本当だと思います。

無理に忘れようとしても無駄です。

逆に辛い。

毎日の自分の生活を淡々とこなしていく内に少しずつ、和らぎます。

悲しい時はそれで良いと思います。

必ず思い出しても、辛くなくなる時という日が必ずきます。

人間の仕組みはうまく出来ていると本当にその時思いました。

だから、今苦しい人もきっと大丈夫です。

時間が、思い出に変えてくれます。

癌でなくなった愛犬 定期的に病院につれていけばと後悔

愛犬ライアンと出会ったのはもう今から20年以上前の話です。

それでも私の脳裏にはライアンが亡くなる寸前までの様子が鮮明に残っており、時々、夢の中にも今でも出てきます。

私との出会いは、隣人が飼っていたワンコが子犬を産んだからです。

その子犬達が私の実家へ遊びに来るようになったのです。

その中でも特に愛想が良く懐いていたのが、後に我が家の愛犬になるライアンです。

ライアンは癌で亡くなっています。

私がまだ若過ぎたこともあるのですが、病院に連れて行った時には手の施しがなかったのです。

愛犬になってから11年目のことです。

まだ若いと思っていたので、多少体調を崩しても次の日には回復していたことが多く、まさか癌になっているとは考えられなかったのです。

ちょっと食欲が減っていたのと、細身になったことなどで、調子が悪いのが続いていると思い動物病院へ連れて行ったのですが、先ほども話したように遅すぎたのです。

手の施しようがないので、日に日に動けなくなっていきます。

血便も出るし、口から吐くしで、いつ亡くなってもおかしくない状態になっていきます。

ついにその時が来たのが、私が学校から戻ってきた夕方です。

家族に見守れながら静かに息を引き取ったのです。

凄く悲しみが襲ってきたのですが、本当の悲しみは亡くなってから5年以上先です。

亡くなってから5年すると私は後悔をしだします。

どうしてもっと定期的に動物病院へ連れて行かなかったのか、どうして調子が悪そうな時にもっと寄り添ってやれなかったのかなど、私が飼いたいと最初に言い出したので、凄く責任を感じたのです。

他の家族はそれほど悲しみにくれてなかったですが、私は周りの様子を見ると余計に悲しみが溢れてくるのです。

これは今でもです。

私がもっときちんと愛犬の健康管理をしていれば、もっと長生きできたと思うからです。

ペットロスという言葉がありますが、私の場合はそれとは別です。

悲しみよりも後悔ばかりだからです。

亡くなってから5年後から今まで、夢の中でどうして私がきちんとした体調管理をライアンの為にしてやれなかったのかという後悔をしている夢を見るのです。

愛犬ライアンはとても人懐っこい性格で、しかし知らない場所は怖がる臆病者でもあったように思います。

もし、私と同じような悲しみにくれている人がいるならば、いつでも供養できるような環境を作ることです。

私は大人になってからですが、自分でお墓を作り、いつでも愛犬ライアンに感謝の気持ちと懺悔の気持ちを言えるようにしたのです。

それ以来、少し私の気持ちは落ち着いたような気がします。

私にも寿命がありますから、いつの日か天国で愛犬ライアンと会える日を楽しみにしています。

その時には、私の気持ちを面と向かって話したいです。

そして、愛犬のやって欲しかったことをあの世で思う存分にしてあげたいと考えています。

愛犬の死にあっけらかんとした家族 兄の暴言へのいきどおりは消えない

5年前に愛犬コロが亡くなりました。

病気ではありませんでした。

15歳だったので長生きをしてくれたと思っています。

私が中学生の時に兄が友人からのもらってきて飼うことになりました。

兄ははじめのだけ面倒を見ていましたが、半年経つと散歩にも連れて行かず私が面倒を見るようになりました。

天気の良い日は広い公園に行き思いっきり走らせたり、天候の悪い日でもカッパを着させて散歩に行っとりと、いつも一緒にいました。

友人や兄弟とは違った特別な存在でした。

私が悲しんでいると、私の側によってきて顔を摺り寄せてくるコロが可愛くて愛おしくて仕方ありませんでした。

私の気持ちを察してくれる唯一無二の存在でした。

私が大学生になって実家を出るとコロに会えない寂しさからホームシックにもなったほどです。

帰省をすると、コロが私のところに駆け寄ってきてくれて甘えてきました。

私の帰りを待っていてくれたようで、とても嬉しかったです。

就職は地元でしましたので、またコロと一緒に暮らせるようになりました。

しかし、コロがだんだんと弱ってきたのです。

犬の寿命は人間より短く自分より先に亡くなることは分かっていましたが、弱っていくコロが可愛そうで見ていられませんでした。

一緒に散歩に行ったことや、一緒にベットで寝ていたことなどコロとの思い出が走馬灯のように蘇りました。

コロが亡くなってから、しばらくは何も手につかなくなりました。

家族はあっけらかんとしていて私が悲しんでいる様子を見て「犬が死んだぐらいでオーバーだな」と兄からは言われました。

その一言は、5年経った今でも忘れられません。

ペットが死んだくらいで休むな!担任の暴言に傷つく 大事な家族なのに…

 ペットという言葉はあまり使いたくありません。

 本当に家族の一員でした。

 丈(オスの犬)とであったのは、小学校6年生でした。

近所で生まれた子犬を父が引き取ってきたので、我が家で飼うことになりました。

最初は、エサやりや散歩、掃除などが面倒でした。

しかし、遊んであげると尻尾を振りながら近づいてくる姿に愛着が出てきました。

中学生になると毎日のように散歩で、家のすぐそばの河川敷を走りました。

 毎日、一緒にいると本当の家族のようでした。

しかし、高校3年生の夏に丈は交通事故で死んでしまいました。

本当に辛かったです。

家族も全員、悲しみで辛い思いをしていました。

特に、丈をつれてきた父は明らかに脱力し、1週間は大好きなお酒を一口も飲みませんでした。

 私もとても辛く、学校を3日ほど休みたいと思いました。

決してサボりたいという気持ちではなくて、丈の葬儀や埋葬をして弔いたい気持ちでした。

家族も葬儀や埋葬について賛成をしてくれました。

父は、丈との最後のお別れだからということで、会社に有給を申請し、休みを取ってくれました。

私も学校に丈が死んで葬儀をする旨を伝えました。

そうすると学校の担任から驚くことを言われました。

担任の先生はペットが死んだくらいで休むなと高圧的に電話を切りました。

 ペットが死ぬということは、家族がいなくなるのと同じくらい辛い体験です。

ペットを飼ったことのない人は分からないかもしれません。

しかし、その悲しみを想像して、悲しんでいる人をさらに悲しむようなことを言わないことが大切です。

泣き顔は夫にみせず、実家の犬の仏前で夫が泣いてくれたことで気持ちが落ち着いた

実家に私が学生の頃に弟がもらってきた犬が居ました。

結婚で家を出てたまに帰省すると大喜びして甘えてくる子で、私が住まいに戻る時には拗ねてそっぽを向いたりと、私を好きでいてくれる気持ちが伝わってかわいいものでした。

ミックス犬で大きな病気をしたことも無く8歳になったのですが、急に太り始めたのが気になってはいました。

ある朝実家の母からの電話でその子が死んだことを聞かされました。

いつものように早起きの母が庭の草むしりに出ると、いつもはまとわりついてくるのにその時は犬小屋から出てこなかったそうです。

「年寄りになって寝ていたいのかな」と気に留めずに草むしりを始めた母ですが、しばらくして気になるので様子を見に入ったら目を閉じて息をしていなかったのだそうです。

体が弱って命が終わりそうだったのに、母が来る朝まで外の犬小屋で待っていて、顔を見て安心してさよならしたんだと思います。

私はすぐに実家へ向かいました。

ペット霊園の方が、「娘さんが来るなら火葬はしばらく待ちましょう」と言ってくれ、実家の庭で体に保冷材などを当てて寝かされていました。

普通に寝ているようにしか見えずに信じられない気持ちでした。

ペット霊園で火葬してもらい「小さな壺に入っちゃったね」と言い連れて帰りました。

私は住まいに戻ったのですが、気持ちは割り切ったつもりだったのにいきなり涙が出ることが続きました。

犬を飼ったことのない夫には分からないだろうと思い、泣き顔は見られないようにしました。

お風呂で一人声を殺して泣きました。

車を運転中にも急に涙がこぼれることなどもあり、気持ちの不安定な状態がしばらく続きました。

2週間ほどして夫と実家へ行ったときに、仏壇に置かれた小さな骨壺を前に夫が泣いてくれたので、私の気持ちも受け入れてもらえているのだと思い、それを境に落ち着いてきました。

親族や友人ではなくてペットでも大切な存在なのだから、悲しくなるのは当然です。

誰かに気持ちを分かってもらえると気持ちが楽になるのだと思います。

家族だけで看取るのは不安だった・・病院が開いていれば

私たちの愛犬は8年前に熱中症のようなもので亡くなりました。

うちの子は、ペットショップで売れ残っていました。小さくて可愛いくて、母のひとめぼれでした。一度抱っこしてしまったら離れられなくなってしまったのです。

家に来たその日に咳が止まらなくなり次の日ペットショップに連れていくと、心臓の病気があることがわかりました。

ペットショップの人には違う子にしますかと言われましたが、一度うちに来た子を手放すことなんかできませんでした。

そのペットショップはとてもいいところで、咳がなくなるまで病院に通わせてくれ、咳が出なくなるまで面倒を見てくれました。

10年くらいはとても元気に過ごしていました。すごく可愛く楽しくて仕方ありませんでした。

13歳過ぎたころに、突然夜中に具合が悪くなってしまいました。
田舎なので夜中は病院が閉まっていました。
最後は病院に連れて行けず家族で看取りました。

最後の方はとても苦しそうで、見ているほうもどうしてあげたらいいのかわからず、心が苦しかったです。

愛犬がなくなって何年かは、小さな音がするとあの子ががいるんじゃないかとか、夢の中に出てくるとその日は一日寂しい気持ちになったりもしました。

でも何年か経ってくると、楽しい思い出が蘇ってくるようになりました。

最後までああしてやりたかったとか、美味しいものを食べさせてあげたかったとか後悔は尽きません。

またいつかあの子のような子と出会えたらな・・・と思えるようになってきました。

もっと遊んであげたかったです

3週間前に、12年飼っていた犬が亡くなりました。

私は、去年結婚をして実家を出てしまったので、最期を看取ることが出来ませんでした。

私が実家を出るときから、すでに病気がちな犬だったので、長生きが出来るかどうかはわからない状態だったのですが、それでも母親から犬が元気で過ごしているという話を聞いてみて安心をしていました。

私が飼っていた犬は、お腹に石が出来やすい体質で、普通のドッグフードが食べられず、病気の犬でも食べられるドッグフードだけを食べていました。

おやつを食べることも出来ず、数年間、同じドッグフードばかりを食べていたのですが、それでもご飯の時間には、嬉しそうにご飯を食べてくれていました。

また、どんな犬にも仲良くしていける性格で、散歩に行くと犬の友達が沢山居て、楽しそうに挨拶をしていました。

人から見ると元気そうに見えるので、毎日薬を飲んでいたりすることを伝えると驚かれていたのですが、見た目は元気でも、やはし、徐々に体は病気に蝕まれていたみたいです。

ある日、母親から犬のお腹が張っていて、ご飯も食べず元気がないので病院に連れて行くと連絡があり、そこから、病院で処置をしてもらったのですが、その後もご飯が食べられずに1週間ほどで亡くなってしまいました。

ずっと一緒にいた犬で、旅行に行くときも一緒、私が凹んでいるときには抱きしめながら泣いたこともあります。

もっと、近くで一緒に居たかったなと思います。
もう、実家に帰っても会えないと思うと辛すぎます。

亡くなって3週間経つのですが、昔の写真を見たりしながら、いまだに泣いてしまいます。

15年連れ添った家族との別れ

2017年12月 愛犬のマロンが老衰で亡くなりました。
その日のことは今でも鮮明に覚えています。

私が小学2年生のころ、一戸建てに引っ越し、その時に家族と話し合い、ペットを飼うことになりました。
当時、両親から言われたことは、責任をもって世話をするということ。

当時のマロンは生まれたてということもあり、小さく、手のひらに乗るサイズでした。
しかし、犬の成長は思ったよりも早く、2~3年も経てば抱っこをするのもやっとの大きさに成長しました。

飼い始めてからというもの、朝、昼、晩と毎朝3回お散歩に行きました。とても元気なシェットランドシープドックで、元々牧羊犬ということもあり、毎回長時間の散歩をし、マロンが満足するまで帰宅はできませんでした。

中学生のころはそれが少し苦になることもあり、無理やり引っ張って自宅に連れ込んでいました。
今思うと、もう少し付き合ってあげれば良かったと思っています。

マロンが亡くなる1年ほど前から、体力がなくなってきたのか、散歩の時間が短くなり、また、目の色が白くなってきて、モノに当たるということも頻繁に起こるようになってきました。

さらに、おむつを穿かせてあげないと家の中で漏らしてしまうほどになってしまいました。

私がフィリピンに語学留学に行くちょうど一週間前、マロンはなくなりました。

母はマロンが亡くなることが分かっていたのか、マロンが亡くなる一週間前あたりから、「家にいるときはできる限り一緒に居てあげて」と、言いました。

その日、マロンはいつものように眠っていましたが、突然呼吸が荒くなり、息ができなくなり、そのまま息を引き取りました。

その時は、涙が止まらくなったのと同時に、マロンとの思い出が一気に蘇ってきました。

とても悲しく、何度も何度ももっといっぱい遊んであげれば良かった、もっといっぱい散歩に連れて行ってあげれば良かったと後悔しました。

マロンが亡くなってから1年3か月が経ち、帰宅したときは納骨に手を合わせ、話しかけるようにしています。

他にも飼っているペットがいるので、もっと愛情を注いで、後悔がないようにしていきたいと思っています。

愛しのサムよ、16年間、幸せな時間をくれてありがとう

大阪に住む叔母の家の犬が、5匹 赤ちゃんを産みました。
「うちは、5匹も面倒見れないから、1匹飼ってくれないかしら?」と写真付きで手紙が届きました。

犬を飼うことが夢だった私は、両親に「ねぇ、この赤ちゃん犬、可愛い。私がお世話するから、買っていいよね」と、かなりお願いしたことを覚えています。
母は、「私は犬は怖いから、触れない。
だから、あなた達が面倒みなさいよ!」

反対を押しきって、犬を飼うことにしました。
大阪から飛行機で遥々、福岡へ。
飛行場で、ぷるぷる震える赤ちゃん犬を抱っこして、車で我が家へ帰りました。

今日からうちの家族になる、赤ちゃん犬に何と名前をつけようか、みんなで話し合った結果、その年はオリンピックでイーグルサムというキャラクターが人気だったので、その名前にちなんで、【サム】と名付けました。

サムとの生活が始まり、あっという間に成犬となり、私達が大人になって行く過程で、サムもたくましく成長しました。
たまに、兄弟喧嘩のような感じになることもありましたが、翌日には尻尾を振って私達を出迎えてくれる、とても明るく活発な犬でした。

15年の歳月が過ぎたころ、サムがガンにかかり、手術をすることになりました。
主治医は、「術後1年間、命があるかわかりませんから、可愛がってあげてくださいね」と宣告され、私達は精一杯、サムのお世話をしました。

16年目の春、とうとうサムは動けなくなりました。
苦しそうな息をして、もうダメかもと思い、最後に水を与えました。
サムは、私の目をじっと見つめていました。
あんなに犬嫌いだった母が、最後、タオルにくるんで抱っこし、病院に連れて行ったのです。
サムは、病院で、静かに息を引き取りました。

サムの遺骨は、今でも動物霊園で供養しています。
サムが亡くなった後、みんな悲しみに打ちひしがれていました。
サムとの思い出がたくさんありすぎて、私は涙が止まらず、数日間泣きっぱなしで、母は、サムがいてくれたおかげで、辛いことも頑張ることができたし、元気をもらっていた、感謝してると号泣。
私が学校で嫌なことがあり、落ち込んでいたら、サムはそっと私の横に寄り添い、心配そうな目で見てくれたり、
父と母が、夫婦喧嘩をしていたら、「ワン!ワン!」と必死に止めたり、とにかく、賢い犬でした。

あれから十数年経った今でも、時々、家族がサムの話題で盛り上がります。
それほど、私達に大切な何かを教えてくれて、思い出を残してくれた宝物なのです。
サム!私達の家に来てくれて、本当にありがとう!
天から見守っていてね。私達も、サムのことは忘れないよ。

7歳で心臓病で亡くなった愛犬のラブ

ラブは7年前に自宅出産で1番最初に産まれてきたワンちゃんです。

ラブは1番大きく産まれて1番お母さんのオッパイを飲んでスクスクと育ってきた。病気って病気もしないで成長してきたのですが心臓病になったのは亡くなる半年くらい前でした。

ラブは家で存在感もあり誰にでも愛されるワンちゃんでした。体は大きいのにハエが嫌いでハエを見つけると抱っこと寄って来てブルブルと震えてる甘えん坊さんでした。

私がクシャミをすると寝てても寄って来て私の鼻を舐めてくれる優しいワンちゃんでした。

今は他のワンちゃん達は私がクシャミをしても逃げます。そんな時ラブが亡くなった悲しみが込み上げて来ます。

ラブが亡くなったのは去年の6月です。

その時、私の母親が老健に入ってて老健に呼ばれて行ってても心臓病のラブが心配でした。

心臓病も最初は風邪だと思って病院に連れて行き心臓病と分かりました。ウチのラブは咳から始まり咳もゲッホオエって感じでした。

病院では重度の心臓病で生きられて半月から1ヵ月と言われた時はショックで泣けて来ました。

暫くは毎日、病院に連れて行き点滴をしてました。毎日毎日、心配で少しの事で過敏になり病院に電話しては病院に連れて行くって感じの日々でした。

ラブも心臓病で辛いのに私がクシャミをすると心配して鼻を舐めに来てくれて、それでまた悲しくなり涙が出て来ました。

ラブが最後に亡くなる時は母親の老健に午前中に行ってた時に興奮して吠えてたのでしょ。

その日の夜にラブの症状が急変して夜なので病院も、どこもやってません。
なので往診を頼みました。

往診も1時間はかかりますと言われ不安と心配と悲しみの中、往診に来てくれるのを待ってました。

その間ラブを抱っこしてラブがク~ンと二回鳴いて痛かったのでしょ。
背中を擦りながら往診を待って、もう少しで来ると思った時に往診の先生から電話がありラブの症状を聞かれた時にラブは私の胸の中で息を引きってました。
先生にお腹が上下に動いてますか?尿は漏れてませんか?と1つ1つ確認させられてから残念ですが亡くなってます。と言われた時もう少しだったのに。

もう少し早く往診に来てくれてたらと涙が溢れて止まりませんでした。

でも家族は冷静で泣いててもラブは生き返らないよ!あと4匹も居るんだよ!泣いてる暇なんてないよ!と言われてもラブの代わりは居ない。

ラブの火葬も私が1人でやり今だに思い出しては泣けて来ます。

大切な家族が亡くなったのに、なぜ家族は平気で居られるのでしょ。

みんなに支えてもらいながら、悪性リンパ腫と戦い星になった4歳の黒パグ

20代半ばになり、独り暮らしになれてきた頃のこと。

犬を飼いたいと、調べ初めてから間もなく運命の出会いが訪れました。

仔犬は黒パグの男の子。名前をボンと名付けました。

一人暮らしで、お留守番をさせていましたから、仕事が終わるとすぐさま帰り近所の公園にお散歩。

週末にはドッグラン、おしゃれなペットグッズを買ったりしてボンのいる生活を満喫していました。

それは、ボンが4歳のお誕生日を迎えて少し経った頃でした

ボンは排便の度に下痢をするようになりました。

薬を変え、病院を変え、それでも良くならないばかりか食欲までなくなりました。

どうして、こんなに治らないんだろう…
不安ばかりが膨らみました。

藁にもすがる思いで受診した病院で、先生は熱心に話を聞き、診察してくれました。

「もしかしたら、これはお腹の問題だけではないかもしれません」

詳しく検査をした結果。病名は「悪性リンパ腫」でした。

それからは実家に戻り、家族の協力をもらいながら、先生と一つ一つの治療を話し合い病気と戦っていきました。

負担の無いようにといくつかの治療を提案してくださり、私も納得のいく形で進められました。

父も母も、日中勤めている私の分までボンの面倒を見てくれました。

夜中に眠れず起き出して、じっと何かに耐えるようにお座りしていたボン。

彼も小さい体でよく頑張っていました。

けれど、1か月後、ボンは星になりました。

もうダメかな。
そう思って2日も仕事をずる休みして付き添いましたが、これ以上は、と出勤したその日の夕方のことでした。

離れていたけれど、心臓がバクバクして「あ、ボンは星になった」と分かりました。

一緒にいる間は頑張ってくれたんだな、と思いました。

母に小さな仏壇を作ってもらって、ボンは私を待っていました。

先生もわざわざお花を持って来てくれました。

最後までみんなに愛され、支えてもらって、短いけれど幸せな犬生でした。

心残りはなかったけれど、失った哀しみは強く、それから週末にはボンの絵ばかりを描いて過ごしていました。

何枚も何枚も、描きました。

心が癒されるには長い時間がかかりましたが、本当に幸せな宝物のような日々だったとしみじみ思い出します。

ボンが病気になる前に夢を見ました。広くて緑の美しい公園のような場所でした。

ボンもいつもの跳ねるような歩き方でご機嫌にお散歩していました。

何故か鳥居が立っていて不思議な気がしたので覚えていました。

もう何年も経っているけれど、もしかしたら私達は今でも、あの夢の中で、時々お散歩したりしてるのかな、と思ったりします。

それから、熱心に診察してくれた、当時は開業したばかりの先生も、今では皆が名医と信頼する動物病院の院長先生におなりです。

やっぱり、ペットは家族だと思います

これは、私が中学生のころ飼いはじめた犬のお話です。

名前はコウスケと名づけていました。
元々は捨て犬で、私の父がたまたま散歩していた農道で出会ったようで、ひとなつっこくついてくるので、連れて帰ってきたのが、きっかけです。

私の家では、動物と言えば猫しか飼った事がなかったので、コウスケが来た時はうれしくて、うれしくて、何度も犬小屋へ行ってさわっていた記憶があります。

コウスケは、ガンでなくなるまでの10年間、私達家族と一緒に色々な景色を見たと思います。
外で飼っていて繋がれていたけど、行儀もよく番犬としても沢山活躍してくれたのです。

小さい頃は、ペットはペットだと思っていましたが、わたしも大人になりペットも家族なんだなと感じることができたのは、コウスケとの別れがあったからだと思います。

亡くなったのは早朝、夜も家族みんなで、様子を見に行き、最後はみんなに看取られて、天国にいきました。

もう、あのコウスケに会えないと思うと、どうして良いのかわからなくなるぐらい、悲しかったです。
あの鳴き声が聞けないと思うと寂しかったです。
力強くリードを引っ張るコウスケに会いたい。もっと散歩に行けばよかった。
そんな事ばかり考えていました。

ぽっかり空いた家族の穴は、なかなか埋まるものではなかったです。

もうあれから10年が経つのですが、ちょうど1年前、犬をもらってくれないかという、父の知人からの紹介。

私たち家族は、悩みました。
別れる時のあのつらさはもう味わいたくない。
私は反対しました。

ですが、運命的な出会いもあり、また父がもらって来たのです。

その父が、そのあと病気になり、後遺症が残るであろうと言われていたのに、今のワンちゃんのおかげもあり、奇跡的に良くなり、家族全員で、コウスケのように、今のワンちゃんもしっかりと可愛がっています。

一番かわいがっているのは、病気になった父です。
もしかしたら、コウスケが、父を助けてくれたのかもしれません。

コウスケ、ありがとう。

熱中症になって突然逝ってしまったユモ

 私は、現在31歳の男性です。今から10年ほど前、自宅の玄関に一匹の若い雌の柴犬がよく来ていました。犬好きだった私は当時大学生で、なんとかこの犬を飼えないかと思っていましたが、まだ実家で両親と暮らしていたのでそのことは言い出せませんでした。

しかし、父親は私と同じく犬好きだったので、動物嫌いの母親の反対を押し切って自宅で飼えることになりました。私達はその犬をユモと名付けました。

 そして、翌年私は就職し自宅を出る事にしました。その時、一人で心細かろうと父親がユモを差し出し「一緒に二人で暮らしなさい」と言ってくれました。

ユモは、大人しく人に従順な性格でした。その為、私が住み始めたボロアパートの大家さんもペットを部屋に入れる事を黙認してくれたのです。

私は、ユモと過ごす日々が楽しく、ユモが可愛くて仕方ありませんでした。散歩には毎朝欠かさず連れていき、夕食は毎日一緒に食べ、寝る時も同じ布団で眠りました。

 しかし、今から5年前の夏、私が仕事から帰った私は台所で亡くなっているユモを発見しました。私は、昨日までは元気だったのにどうしたのだろうと考えた結果、締め切った部屋の中で熱中症にかかってしまったのだろうと気付きました。

私は、エアコンをつけたまま出掛ければよかったのにと後悔しました。私は、悲しみのあまり2日間会社を仮病を使って休んでしまいました。その事を家族に言うと、酷く怒られました。誰にもこの悲しみを理解されず、私は奈落の底に突き落とされた気分でした。
 今は、ユモと同じ雌の柴犬を飼っています。勿論今まで以上に気を遣っています。

愛犬の死から湧き出る感情 もっと可愛がってあげてたらよかったと

愛犬のさくらは16年間一緒でした

彼女は飼い主が見つからないと保健所に行く事になっていた子で私の父が可哀想だと思い引き取りました
私は当時6歳で一人っ子でした

ですので彼女が家に来たとき私に妹ができたと思いました
さくらは賢い子でどんなに起こっても噛まず知らない人が家に来たら吠えるという番犬もしてくれました

さくらは水が苦手てお風呂に入らされるのをとても嫌がっていました
お風呂にいれるといつも暴れて言うことを聞きませんでした
私が悲しいとき彼女はそばに寄り添ってくれました

まるで私の心がわかるように私の膝に頭をおいて一緒にいてくれました
本当にとても大切な家族でした

ですが半年前癌で倒れ亡くなってしまいました
正直最初は違和感しかありませんでした

犬小屋を見ればいつもいたさくらが何処にもいなくて心にぽっかりと穴が開き
亡くなった事を思い出して涙が出るという毎日の繰り返しでした

夢にも出て来て愛犬一緒に楽しく遊ぶ夢を見た後目が覚めて現実に戻ったとき悲しみと吐き気が同時に襲ってきました
気分転換に外に出ても
飼い主さんが犬を散歩しているところを見て愛犬の事を思いだし心が不安定になることがとても多かったです

生きていた頃はなんにも思わなかったのに亡くなったとき初めてさくらの有り難さや大切さをかんじました

彼女は自分の心の大半をしめていたのだと
もっと遊んであげれば良かったもっと大切にしてあげれば良かった
私といて彼女は良かったのだろうか彼女は幸せだったのだろうか
そんな気持ちがいつも駆け巡ります

仕事中も真剣に取り組まなければいけないのに彼女の事を思いだし心が不安定になることが多く普段ならしないミスもしてしまうことがありました

今は大分落ち着きましたがそれでも時々思い出して涙を流す事があります
新しい子を買えばこのペットロスから解放されるのだろうかと思いました
しかしあの子と別れてから死というものが怖くなりもし別のペットを買ったとしても結局死を見届けなければならないそうなるとまた辛いことになる

そう思うとペットを飼うことができません
まだ私は当時立ち直ってはいませんですが出来るだけ気持ちを変えたいと思い趣味を作ることにしました

軽いランニングですが少しだけ心がすっきりするので私と同じような悩んでいる人はやってみる事をオススメします

いつも一緒

私が結婚を機に、ヨーロッパのとある国に移住したのが15年前。
文化や風習言語、考え方や物事に対する捉え方が全く異なる民族と接していくうちに戸惑いから恐怖に変わり、外出するのが億劫になっていました。

そんな中、心から分かりあえる女友達が欲しいと思っていた矢先、毎日通っていたペットショップの店頭で、あおむけになりながら柵をガジガジ齧っていたイングリッシュコッカースパニエルの女の子を見て、体に衝撃が走りました。

冷静になろうと一度お店の傍を離れるも、どうしても彼女の姿が頭から離れない。
そういえば夕方会議があって帰りが少し遅くなると言っていた主人に電話をかけ、会議が始まる少しの間だけワンコを見に来る時間はないか?と尋ねてみたところ、なんと偶然にも会議がキャンセルになったとのこと。夫婦で速攻彼女をお迎えしたのは言うまでもありません。

彼女との生活の始まりは、ワンコと初めて暮らす我々には悪戦苦闘したものでした。
こちらの国ではドックランのような柵で囲まれたワンコを遊ばせれる場所が街の至る所にあるのですが、

6~7カ月になった頃からか、遊んでいたボールをピットブルや、ドーベルマンといった彼女よりも体の大きい子に奪われても、勇敢に取り返しに行くような気の強いところがあり、何度もヒヤヒヤする場面に遭遇しました。

もちろん他のワンコとの喧嘩もありました。

喧嘩を止めようと、咄嗟に2匹の間に足を突っ込んでしまった私の内ももには、おそらく彼女の牙が当たったのであろう丸い傷がまだ残っています。
そんな血の気の多い若いころはあっという間に過ぎ、

マイペースな中年時代が過ぎ、
昔の彼女はどこへ…と言わんばかりの穏やかなシニアになり。
彼女はすっかり3か国語を理解し、私のかけがえのない人生のパートナーになっていました・・・。

その時が来たのは去年の秋。
春に13歳を迎えてから今まで以上に食事と健康に気を使い、病院を極端に嫌がるので、主治医に定期健診に来てもらっていたのですが、主治医の度重なるミスがあり、慌てて専門医に担ぎ込んだ時にはもう手の施しようのない脳腫瘍でした。

無理な治療を続けても、回復は見込めず、心臓も悪かったのでもう病院から出れないとの事。安楽死意外に彼女を苦しみから守ってあげれる選択が無く、夫婦で泣きながらお空に送ってあげました。

何処へ行くのも彼女といつも一緒でした。
海や山、彼女が大好きな川には、もう行っていないところが無い!っていうくらい色々行きました。

思えば朝市へ行くのも、家具を買いに行くのも、日用品を買いに行くのも、洋服を買いにいくのも、いつも一緒。

物の一つ一つに彼女と一緒に歩いた思い出があり、彼女が傍に居なくなった今、部屋中に彼女の幻影を見て、まだ涙してしまいます。

美しく素晴らしい思い出と、何より真実の愛を教えてくれた彼女に感謝をしていますが、まだ口に出してありがとうとは言えません。
口に出してしまうと、彼女が逝ってしまった事を認めてしまうようで心が張り裂けそうになるのです。

愛犬の死から湧き出る感情 もっと可愛がってあげてたらよかったと

僕とペットとの出会いは、彼女と同居した時に彼女が実家で飼っていた犬でした。
当時は3歳でちっちゃくてかわいいので愛情をもって育てました。

しかし13歳の誕生日の一ヶ月前に亡くなりました。
最後はぐったりしながら僕らの寝ている布団の上で亡くなりました。

動物を飼うのは初めてではないですが、実家で飼っていたためにペットの死を目の当りしたのは初めてでした。正直どうしたらいいかもわからないほど辛く、悲しかったです。

病院に通っていたので、先生が「何かあれば夜中でもいいから電話ください」と仰ってくれていたので、夜中の12時にもかかわらずお電話させていただき、「僕でよければ最後診させてください」と仰ってくださいました。病院まで車で10分くらいの距離なんですが、頭の中は当然整理が付いていませんでした。

夜中にもかかわらず最後診ていただいた先生には感謝しています。本当にみんなにかわいがってもらえた愛犬でした。しかしやはりもっとかわいがってあげればよかった、もっとこうしてあげればよかったと沢山の後悔が沸いてきました。本当にこの子は幸せだったか。そう考える度に涙が溢れてきます。

まだ現在は新しくペットを飼う気になれません。もちろん犬は好きですが、犬が好きというよりも「あの子」が好きだった感情のほうが大きいです。最後僕と彼女で看取れてあげれたのはよかったですが、もっと長生きしてほしかったです。

やはり命なのでいずれはこうなる事は覚悟しなければなりません。今どんなに精一杯いろんなことをやってあげても、亡くなった後には必ず後悔の念が押し寄せてきます。僕も精一杯やったつもりですが、もっと可愛がれたんじゃないかという思いでいっぱいになりました。

ただ、僕らは愛犬がいてくれて間違いなく幸せでした。もう一度会えたならそう言ってあげたいです。

たくさんの人に可愛がられて幸せだっと今は思います。