愛犬の悲しい老衰 悲しみ続けることを愛犬は望んでいないと実感 感謝の気持ちが大切だと私は思う
2017年某日、実家で暮らしていた愛犬のキラが無くなりました。
死因は老衰です。
僕が小学2年生の頃に姉が毎朝散歩に連れていくとの約束の元飼う事となりました。
しかし、リードの引っ張り癖やオートバイや中型以上の車に対しての吠え癖やが酷く、姉も飼い始めてから数カ月もしないうちに嫌になってしまったらしく、毎朝どころか散歩に行く事も無くなってしましました。
それは僕も同様で、特に吠え癖は吠えるだけでなく対象に全力で向かって行くので、それを押さえつけるのは本当に大変で嫌な事でした。
それから高校生になるまで、僕は本当に気が向かない限り散歩には行きませんでした。
結局散歩に行くのは父親だけになってしまい、キラは平日は朝から晩まで家に閉じ込められたまま、家でも宅配便やバイクへの吠え癖は酷く、吠える度こっ酷く叱っていたなと思います。
怒りに任せて毎回のように手をあげていました、理不尽で嫌な事も多くしていました。
本当に愚かで酷い事をしてしまったなと感じています。
僕が高校生になる頃にはキラは体力的にも衰え、ようやく散歩のペースが合う事が分かり、そこからは毎日とは言えないものの良く散歩に連れていけたと思います。
吠え癖で暴れても全盛期程の力はなく僕も力がついてきたので、何とか押さえつける事が出来ました(笑)
お気に入りだった場所は電車が通る横の全長500m程の広場で、電車が一番興奮するらしく電車が通る度、電車と一緒に爆走していました。
家でのお気に入りの遊びはかくれんぼでした。
必ずキラが鬼役で僕は至るところに隠れました。
家の中だと、鼻も効かないらしく、なかなか良い勝負を毎回していました。
見つけた時の喜び方は凄かったです(笑)ほんの一部の話ですが本当に良い思い出です。
それから僕は短大に行き、そして社会人となり2年目には実家を離れて暮しました。
その短い期間でキラは何度も体調を崩し病院のお世話になっていました。
死が確実に近づいているなと会う度に感じつつ月日は過ぎ、その最期は突然やって来ました。
休日の朝、朝食を取りながらスマホを確認すると父親からメールが来ていて、何となく察しました。
夜中に亡くなったとの内容でした。
残った朝食は食べる気にはなれず、喉を通らないという感覚を初めて体験したと感じます。
正直実感が湧かないままボケーっとしながら実家へ戻りました。
亡くなったキラと対面した瞬間一気に悲しいという感情が溢れ、涙が止まりませんでした。
こんなに悲しく、こんなに泣いたのは初めてでした。
その日の内に合同葬儀屋への引き渡しがあり、自分の中では落着きを取り戻していたと感じていたものの、待合室では歯を食いしばって涙をこらえていました。
そして、最期のお別れの時、もう駄目でした、家族の前で恥もせず一番泣きました。
翌日の仕事は正直全然力が入らなかったです。
ショックでした。
ですが、2日目以降からは通常通り仕事が出来ました。
これはペットを亡くされた方全てにお伝えしたいのですが。
へこんでいても仕方ないのです。
後悔しても仕方ないのです。
もう過ぎた事なのですから。
きっと亡くなったペットもそんな事を望んでいません。
ありがとうという感謝の気持ちを持つ続ける。
そしてその経験を無駄にしない、次に活かす。
何より、ペットとの思い出を忘れない。
思い続ける。
それでいいじゃないですか。