廃業した父親の心を支えた愛犬の死 本物の家族だったと実感
親の努力を知らずに、自分は裕福でもなく、貧乏でもない、何の不自由もない高校生であった1999年。
父と母と姉と自分のごく普通の4人家族。
父は自宅を工場にして、業務委託を受けて仕事を行っており、母は当時の国家公務員で共働きであった。
日本の経済は平成3年にバブル崩壊してから、平成不況の真っ只中。
今でこそ、私自身が社会人で働いているからこそ分かるが、日本経済に何の興味も関心もなかった高校生には、この時代の大変さはわからないであろう。
その日本経済のあおりを我が家はもろに受けた。
威厳と自信に満ちた父が廃業したのだ。
仕事に追われ、朝から夜まで働いていた父が仕事がなく、これまで母親が行っていた洗濯や洗い物などの家事を行っている日々。
「なぜ父が働かないのだ?」と日本経済に何の興味もない高校生の思春期の時期に、無責任にも怒りを覚えていた。
そんなある日。
父の様子を気遣って、姉が友達から白毛と茶毛が混ざった生まれたばかりの雑種犬をもらいうけてきた。
当時飲料水のQuuが流行っていたことや、よく「食う」ことからクーちゃんと名付けた。
もともとペットを飼うことに反対派であった母も、このときばかりは認めた。
クーちゃんの世話は父が行った。
散歩もエサやりも、シーツ替えもすべて。
外は寒いため、父の判断で、部屋の中で飼うことにした。
これが今でもよかったと思う。
ご飯のときは一緒に食卓を囲み、私がご飯を食べようとすると、クーちゃんに横取りされたこともある。
これが楽しくて、毎食一緒に食事をすることにした。
クーちゃんが来てくれたおかげで、我が家には父の廃業による暗いイメージから、楽しく笑いのある日々が続いた。
そのおかげか、父も定職に就くことができた。
父は単身赴任となったため、その後は母と私が世話をした。
たまに父が帰ると本当に喜び、家族の中で1番好きなんだとすぐにわかる。
そんなクーちゃんも、老いには勝てない。
食欲もなくし、歩くとぜぇぜぇしている。
辛そうな様子はすぐにわかった。
動物病院に連れて行くと、もう時間の問題だと言われた。
私が大学の友達と旅行中に姉からメールが入る。
「クーちゃんが亡くなったよ」と。
「死んだ」という言葉ではなく、「亡くなった」という姉の言葉からも家族全員がクーちゃんのことを「家族」だと感じていたのだと思う。
そのメールを見て私は号泣したが、それを理解しない者もいるものだ。
え?ペットが死んだんだよね? 違う。
ペットじゃない。
いつかは死ぬから仕方がないよね。
違う。
そんな問題じゃない。
立ち会えなかったことの後悔や、これまでの感謝のこと、どれだけ楽しく生活ができたか、どんなに笑いのある日々だったか、最後に一言言いたかった。
ありがとうクーちゃん。
姉からのメールの翌日。
家に帰ると、冷たくなったクーちゃんがいた。
私が帰るまで埋葬するのは待っていたらしい。
家族全員で祖父と祖母が眠る墓地の近くに、クーちゃんを埋葬した。
今でもクーちゃんが我が家を見守ってくれる気がする。
ありがとうクーちゃん。
この絆は、正直分からない人がどう感じようがどうでもいいと思うようにした。
誰が何と言おうと間違いなく、私たちの「家族」だったのだから。
このときは父も少し泣いているように見えた。
誰よりも感謝していたのは、父だったのかもしれない。