50歳女性 ペットロスは自分ではどうしようもなくただただ時間が癒してくれました
自然いっぱいの田舎で育ち、子供の頃から番犬としての犬の存在が途切れることはありませんでした。
親がもらってきたり、捨て犬に見込まれて飼うことになったりと出会いのいきさつはいろいろでした。
そんな犬との過去の中で、初めて自分の犬としてお金を出して飼った犬がいます。
ダルメシアンのものすごい美犬でした。
その頃の自分は今思えばファッションみたいに犬をとらえ、自分でもダメだろ!と首をかしげるようなおかしな愛犬家だったことを認めないわけにはいきません。
人間の身勝手な思惑に巻き込まれて来たにしてはもったいない、姿も性格も最高の彼女が、生活の中心になったのも当然です。
できることはすべてしてあげたい、犬として最高の幸せをあげたいと思い、オフ会に参加して内気な彼女のダル友になってくれそうなわんちゃんを探したり、川に行って泳ぎを教えたり、海端の公園で何時間も散歩したりと子供を育てるような情熱を傾けました。
でも時には散歩が面倒くさくてトイレだけですませたり、雷に怯えて膝の上に乗ってくる彼女に何時間もつきあえないと突き放したりとずいぶんひどいこともしてしまいました。
それがすべての後悔の根幹にあります。
本当にいつも愛情を注いであげた、と胸を張っていえないから辛いのです。
死別はいつかくる仕方のないことだけど、もっとできるはずだったことをしなかったから、別れてこんなに悲しいんだと思います。
生きている時に一緒にすごせる貴重な時間を、もっともっと大事にするべきだった。
ぴったりくっついて、一秒たりともはなれずにいるべきだった。
そんな思いがいつまでもぐるぐると頭に渦巻き、出口がない暗いトンネルを歩いているようでした。
結局時間がペットロスをいやしてくれ、心の痛みもずいぶんましになりましたがやっぱり痛いです。
これからもたぶん痛いでしょう。
死ぬまでもっていきます。
忘れることができなくていいんだと思っています。
最後に「こうすればよかった」と対策がわかっている後悔をひとつあげます。
16歳で老衰のため彼女が亡くなった時、取り乱してしまい、遺骨を引き取ってくることができませんでした。
まったく知らないところで土にせず、楽しく走り回った庭に埋めてあげればよかったと、迷いなくいえます。
もう自分の犬を飼うことはないけれど、同じ気持ちの方に。