愛犬との別れを経験して
10代の頃経験したペットロスをお話ししたいと考えます。
その子との出会いは7歳の時でした。
記憶の中にあるのはブリーダーさんのところへ父の運転する車に乗り迎えにいっている所です。
その頃、犬を飼いたかった私はその子を世帯と迎えられる事になりすごく嬉しかったのを実際でも覚えています。
散歩やご飯担当し、幼いながら共にレベルアップしていきました。
ちょくちょくは、仲間との遊びの最中に連れて行ったはいいが舵取りのつなぎ方が悪く脱走されたり。
学校で嫌な事、ハッピーな事があったケースは報告して。
現実に私の一生に大きくかかわってくれました。
脱走した事例、たまたま良い方に見つかって近くまで連れてきてくれました。
あの時の愛犬の顔は可憐にてたまりませんでした。
そのようなメモリーがいろいろの毎日でしたが11年の年月が流れると愛犬も寝てる時がずーっとなったり、身内が帰ってきた音ににぶくなったりしていました。
食欲も以前より落ちてきていたのですが我が家では毎年庭でバーベキューをするのですが庭でおいしそうな匂いがすると愛犬も食べ物を欲してました。
それは毎年の事で、その時はやはり食欲があるケースだからと考え愛犬が好きだったおやつを食べさせながらその時を満喫ました。
けれどもその日を境にご飯を受け付けなくなり愛犬は天国に行きました。
涙が止まらず…信じられませんでした。
実際までありがとうね。
最後にお風呂入りたかったよね。
ごめんね。
自身の悲しい心境と現在までのメモリーを語りかけながら常に硬くなった体をなでました。
次の日業務の父とは別に私は自身で火葬場に連れていき最後の別れをして涙しながら職員の人と共に骨を拾いました。
その後も居宅に帰るたびに犬小屋のほうに目を向け…というか目を向ける事が習性だったんですね。
帰ってきて、嬉しそうにしっぽを振る愛犬に ただいま。
と声をかけるそれが自然でした。
そのがもういない…喪失感というか、暮らしにぽっかり穴があいたような。
そこにいない事が不自然すぎて。
居宅に帰ってきた感じがしないのです。
一層様々な所に連れて行ってあげたかった美味しいものを食べさせてあげたかったシャンプーもしきりにしてあげればよかった写真を一段と撮っておけばよかった人もペットも同じですね。
やりきる事はできない。
そう感じました。
人各々だと考えますが、私は必然的に犬がいない暮らしが自身の生涯ではありえなかったので数年後、新しい愛犬を迎えました。
そこに踏み出すまでは悲しい心情は蓋をしないでとことん愛犬を思い出しました。
悲しみのどんぞこから時が経つにつれ不思議と犬を飼って悔やみしているか考慮したんですそしたら私にとっては犬との暮らしは楽しい事しか考え浮かびませんでしたなのでさらにお別れする日がくるだろう。
でも愛犬にしてあげたかった事があるならばなおさら次の世帯になる子を迎え楽しく笑って人生、前の子にしてあげれなかった事をしてあげようと考えました。
直近で私が飼っている子は室内犬です。
以前飼っていた子は中型犬で室外で飼っていたので、必ずに室内犬!!と決めていました悔やみしてた事を悔いのないように実践しています。
といっても現時点でうちの家屋に預けています。
現在のアパートは企業契約でペット不可なのでわずかの間離れ離れです。
3か月後には持ち家が出来上がります。
早く一緒に住むのがエンジョイです。
ペットロスは思いっきり悲しんでいいと考えます。
蓋をしたら先に進めません。
急ぐこともなくゆっくりゆっくり。
自身の心境に向き合う事で見えてきます。
新しい身内を迎え入れる事はお薦めの前進でした。
大好きなペットとお別れしてもその上すばらしいな毎日が送れますように…。