13歳の男の子はペットロスを受け入れ癒すため自分でペットを埋めた
はじめまして、高橋と申します。
この話の当時は9~13歳でした。
男性です。
まず、今回お話しするペットは金魚2匹です。
出会った経緯は当然お分かりかと思いますが、子供のころに祭りの金魚すくいです。
その頃は本当に小さく、多分2センチあったかどうかくらいだったと思います。
金魚たちを飼い始めるとすぐ、私は兄弟とともにエサやりで接していくこととなります。
まだ幼かったので、水槽の水を交換するなどのメンテナンスは親がやっていましたが、エサは私たちが担当し続け、旅行へ行く際には数日もつ固形のエサを入れて行ったりと世話を欠かしませんでした。
最終的には、金魚すくいで入手した金魚として考え難い、4年も共に生活することとなるのですが、その過程であれだけ小さかった身体は、逆に金魚かどうか怪しむほど大きくなっていきました。
5センチはゆうに超えているであろうレベルになると、なんだかこのまま何時までも大きくなっていって、ずっと一緒にいられるような感覚さえ当時はあったように思います。
ただ、途中で金魚の匹数を増やした際には共食いを生んでしまい、そこで一度悲しい思いをしましたが、まだ最初の2匹は生きているので深くは傷つきませんでした。
しかし、その2匹も4年が経とうかという頃、同時に病気をしてしまいます。
みるみるうちに弱っていく姿は、今でも鮮明に記憶しています。
当時はインターネットの世界もここまで発展しておらず、親が病気の情報を探るのにも一苦労。
結局、手の打ちようも無いまま2匹は死んでしまいました。
朝起きたら2匹とも横になって浮いていた光景が忘れられません。
私や兄弟、そして親もずっと世話をしてきたので、特別みんな後悔はしていなかったと思います。
ただ、私は産まれてから親戚や近しい人が亡くなる経験をしたことが無いまま、最初に直面した死がこの2匹の金魚だったので、そのショックは相当なものでした。
2匹が死んだ日はずっと落ち込んでいましたが、立ち直るきっかけになったのは夕方、近くの公園へ金魚を埋めに行ったことでしょう。
埋めたり、人間で言えば葬式に行くことは、その死を受け入れて踏ん切りをつけることだと今では思います。
それも自分の手で埋めに行くことで、気持ちは全然そうじゃなくても、受け入れるためのきっかけには間違いなくなります。
また、今ペットロスで苦しんだり、悩んだり、悔やんでいる人は、その気持ちの強さ、ツラさが、ペットに注いできた貴方の愛情と比例していることに自信を持ってください。
「あの時なぜこうしてやれなかったのか?」という想いは、いかに貴方がペットを愛していたか雄弁に語っています。
貴方はペットにとって本当に幸せな飼い主だったでしょう。
胸を張ってください。
だからといって気持ちが晴れることは無いかもしれませんが、少なくともペットの死で自分を責めないでください。