40代女性、親友だったあの子と、お別れの儀式
現在、40代後半の女性です。
私が昔、飼っていた猫のお話をします。
子供の頃から、猫が飼いたくて飼いたくて。
「中学生になったらね」と親から言われてきました。
約束の中学生になり、さあ、猫を飼おう!となりました。
田舎だったので、野良猫も多いし、猫を飼っているお宅も多く、ペットショップと言う選択肢はありません。
タイミングよく、お友達の飼い猫が子供を産んで、貰い手を探しているということで、さっそく、会いに出かけました。
雑種ではありましたが、長毛で丸顔の2匹の子猫、一匹は黒、一匹は、薄茶色の可愛い子猫たちでした。
私は、黒猫の虜になりましたが、他の家族は、皆一致して薄茶色の子を気に入りました。
私の約束の猫なのだから、私の気に入った子を!と主張しましたが、これから家族になるんだから、みんなに可愛がられる子の方がいいだろうと、多数決で薄茶色の子猫を貰うことが決まりました。
当初は、それが不満で仕方なく、人懐っこいその子に、ちょっと冷たくしてみたり、子供じみたいじわるをしました。
でも、やっぱり憧れた猫との生活。
気がつけば、べったり。
部活の時間が終わるのも待ちきれず、ダッシュで帰宅。
内向的な私には、人間の友達より、大切な存在。
それからは、ずっと一緒。
その子は、私の最高の友達であり家族になったのです。
中学3年生になったとき、私は、将来就きたい職業のことを考えて、少し遠い高校に進路を決め、寮に入ることになりました。
自分の将来の夢の為とはいえ、家族から離れる…両親と離れる事より、その子と離れることが、一番の心残り。
勉強を終えたら、また一緒に暮らそうね、と約束して、高校生活を始めました。
1年経った頃、寮に住む私に、手紙が届きます。
あの子が亡くなったと。
携帯電話もまだまだ普及していない時代。
人間の家族の危篤なら、学校に電話連絡も出来たでしょうが、私が看取ることなく最後の亡骸を見ることもなく、サヨナラすることになりました。
目の前で、その死を受け止めることが出来たら、もう少し、実感もあったかもしれませんが、私には、それがありません。
最期の様子を家族から聞き、ただ、想像するだけ。
しっかりお別れできていないことが、私を苛みました。
家族は、いつも餌を与えていたという野良猫が、車庫に子猫を産んだので、その子猫たちを、うちの子として飼い始めたと聞きました。
私は腹立たしく思いながら、寮生活を悶々と、逝ってしまった子のことを思いながら暮らしました。
私には、あの子だけ。
高校を卒業し、実家へ戻っての暮らしが始まりました。
新しい猫たちとは距離をとり、あの子のことばかりを思っていました。
すると、母が、「あの子のお墓を作ろうか」「庭木の植え替えをしなければいけないし、庭の片隅に埋めたあの子の亡骸を掘り起こして、あなたの手でちゃんと、お墓を作ってあげよう」と言いました。
私には、あの子の死が、非現実のものだったのです。
庭を掘り起すと、あの子の亡骸の入った箱が出てきました。
箱には名前が書かれており、大切に大切に何重にも布にくるまれたあの子の亡骸。
その時、私だけでなく、家族にとっても、大きな悲しみだったのだと気付き、また、本当に、あの子は逝ってしまったんだと、実感をしました。
お墓を作ると言っても、庭の片隅から、片隅に、庭木の植え替えの邪魔にならない場所に移すだけの作業。
それでも、自分の手で、その作業が出来たことが、私の中で、何かを大きく変えました。
これが、一つの、重要な儀式だったのだと思います。
それからは、新しい猫たちとも、わだかまりなく家族になれた気がします。
今は、親友だったあの子の可愛い姿を、笑顔で思い出すことが出来ます。