46歳の女性です。動物が大好きで、いつも私のそばにはペットがいます。セキセイインコや文鳥などの小鳥を飼ったこともあるし、ハムスターを飼っていたこともあります。でもその中でも特別な存在なのが犬。今現在も家の中にパートナーのように寄り添ってくれている犬がいますが、今回お話するのは今から30年と少し前に出会った犬の話です。その犬は、私にとって初めての愛犬でした。中学2年生のとき、近所の集会所に捨てられていた雑種の子犬を連れて帰り、そのまま飼うこととなりました。犬はワンワンと吠えるからということで、名前を「ワンタ」と名付けました。とても短絡的な名付け方でしたが、実際にはその子は全く吠えないおとなしい性格の犬で、まるでうさぎのように物静かでした。犬の飼い方の知識がなかった私は、ペットシートの存在も知らず、部屋のすみに新聞紙を敷き「ここでおしっこするんだよ」と教えました。非常に頭の良い犬で、1回でトイレを覚え、その後失敗することはありませんでした。元々犬を飼っている友達から犬のことについて色々教わり、少しずつ犬の習性や犬の飼い方の基礎知識というものを学んでいきました。私が飼い主として初心者でド素人なのに対し、ワンタはそんな飼い主を静かに見守ってくれる賢い賢い犬でした。今思えば、きっと愛犬は「もっとこうしてほしいのに」とか「どうして僕が言いたいことを、この人は理解できないのかなー」と思っていたこともたくさんあったのではないかと思います。また私自身が十代だったこともあり、遊びたい盛りで、犬の世話よりも友達と遊ぶことを優先させていた時期もありました。そんなときは私以外の家族がエサや散歩の面倒を見ていたのですが、きっと本当は「もっと僕のそばにいてよ」って思ってたんだろうと振り返ります。ワンタは賢いだけでなく、体がとても丈夫でした。病気知らずでいつも健康。賢くて健康な犬だったからこそ、犬のことがよくわかっていなかった私のパートナーになれたのだと思います。つまり、飼い主の「欠けている点」「物足りない部分」を埋めることができる犬だったということです。その子は…15年、そばにいてくれました。中学生だった私が30歳近くなり、社会人として働くようになっていくのを長く見ていてくれました。最初の頃、たった1度でトイレの場所を覚えた犬でしたが、最後の2ヶ月ぐらいはトイレの失敗ばかりするようになりました。肝臓が悪い…ということに気づいたときには、時すでに遅しで、老いも手伝ってあっという間に寝たきりになってしまいました。こちらは完璧とは程遠い、物足りない飼い主だったはずなのに、その子は15年間、心から私を愛してくれました。最期のとき、彼は私のことが心配だというような顔をしていました。もちろんお別れは辛かったですけど、こちらから「もうバイバイしようね。大丈夫だよ。そばにいるからね」と別れの言葉をかけました。「バイバイ」の意味をよく知っている彼は、その言葉を聞き、最後に大きく深呼吸をして目を閉じました。後悔がなかったといえばうそになります。けれど、私がどうにかペットロスを乗り越えられたのは、愛犬の一途な思いを裏切らないようにしようという思いがあったからです。どんなときも愛してくれた。どんなときも味方でいてくれた。だから私が私自身のことを責めたり、元気がなくなったりすれば、一番悲しむのは天国に逝った愛犬だと考えるようにしました。完全に乗り越えるまでには時間がかかりましたが、その後、前向きな気持ちでまた犬を飼えるようになりました。年々、初めて犬を飼った頃よりも犬の心がわかるようになりましたし、今では他のおうちで飼われている犬ともすぐにお友達になれます。今があるのは、未熟な私を成長させてくれた初代の愛犬のおかげです。きっと彼は今でも、天国で私のことを見守ってくれていると思います。だから30年経った今でも、彼に恩返しするような気持ちで前向きに生活しています。飼い主が笑顔でいることは、飼い犬にとって一番の喜びですから…。
飼い主初心者を卒業させてくれた初めての愛犬
