ペットの供養をした60人の体験談

目次

35歳女 うさぎ ペット専用納骨堂 悔いはありません

はじめまして、TOMOと申します。

私は、ネザーランドドワーフの男の子と暮らしていました。

出逢いは、学生の時に付き合っていた彼とデートでたまたま寄った、ホームセンターに入っているペットショップです。

いつか動物を飼うなら仔犬がいいなぁと思っていたのですが、その日は、大きく「値下げ」と書かれたポップが目に留まりました。

 それは、2回値下げされて5000円になっているネザーランドドワーフのゲージで、兄弟と思われる2羽が丸くなって眠っていました。

店員さんに話を聞くと、白い2羽にはそれぞれ背中に黒い模様がありそれが原因で、他の真っ白な子達は売れていったのに残ってしまっているとのことでした。

店員さんが「触ってみますか?」とゲージを開けてくれると、1羽は寄ってきたのですがもう1羽は遠目にこちらを眺めているだけで一向に寄ってこない上にしばらくするとまた寝てしまいました。

寄ってこない子の自由さが物珍しかったのと、そっと撫でた時のちらっと私を見た目が可愛くて、その日に家に連れて帰ることを決めました。

 気分が向かないと撫でさせてもくれない気分屋の彼との生活は、気楽で楽しくて、学校から帰るのも就職してからは会社から帰るのも、毎日楽しみで仕方ありませんでした。

 9年と少しがたったある日、夜中にコンビニに行きたくなり「ちょっと行ってくるね」と彼に声をかけて出かけました。

15分ほどして帰ると、ぐったりした彼の姿があり、息がゼエゼエしていました。

私はわけがわからず、背中をさすったり名前を呼んだりしましたが、苦しそうな状態が変わらず、泣きながら夜間診療をしている動物病院を調べ電話をしました。

ところが、うさぎの症状を話すと初めの2件には断られました。

「小動物がそういう状態になった場合、助かる見込みが少ない。

病院へ向かっている間に死んでしまうこともある」と。

私はそれまで、病気は何もしたことがなく、いつまでたっても毛並みが綺麗でかわいい彼の寿命など考えたことがありませんでした。

縋る思いでかけた3件目、受け入れてくれるという病院へタクシーで向かいました。

タクシーの中、毛布に巻いて抱えた彼は、今まで感じたことのない、なんとも言えない「動物の匂い」がしました。

受付で彼を看護師さんに手渡してから、先生に呼ばれるまでの間のことは何も覚えていません。

名前を呼ばれて診療室に入ると、人工呼吸をされている彼がいました。

「一度自発呼吸が戻ったのですが…今はまた人工呼吸が必要な状態です。

人工呼吸を止めてしまうと、もう自分では呼吸は出来ない状態です。

」と言われ、私は貯金は幾らあっただろうか算段しながら「入院には1日幾らかかりますか?何時まで面会できますか?毎日会えますか?」と聞きました。

でも、そういうことではなかったのです。

それは実質的には死亡宣告でした。

「病気もせず9年生きたこの子は幸せだったはずです。

寿命です。

」と言われましたが、あの時コンビニに行かなければと今でも思わずにはいられません。

 翌々日、個別火葬をし、遺骨を持って帰りました。

合同火葬では遺骨は九州のある県の山にまくと聞いたので、自分で弔いたかったので個別火葬を選びました。

その後、遺骨はペット専用の納骨堂に納めました。

 夜間救急病院から個別火葬、納骨まで、迎えた時の何倍もお金はかかりましたが、彼ときちんと時間をかけてお別れできたので、お別れの方法に後悔はありません。

 大事なペットとのお別れは、最後の大切な時間です。

どんな方法を選ばれるにしても、後悔のない方法を選ばれますようにと思います。

40歳男 アメショ♀ ペット葬儀社 対応に感謝

アメショの女の子を飼っていました。

元嫁さんが一人でペットショップに行った際に気に入ったとの事で、後日私も連れていかれ、その後二人共気に入った為お持ち帰りに。

たった6年間という期間でしたが私たち2人と掛けがえのない時間を過ごしました。

ある日、具合が悪そうな状態が少し続いたので動物病院へ。

 「腎不全」という病気で、余命半年と診断されました。

その後半年と少し病院に通いながら闘病生活を送り、静かに息を引き取りました。

亡くなった夜、薄暗い部屋に棺桶を置き「娘」の横でビールを飲みました。

良く言う話ですが、まるで寝ているみたい。

舌が少し出てちょっと間抜けな顔をしていましたが、数日前の「娘」の寝顔とそんなに変りなく見えました。

ペットの供養をしようとしたのは元嫁さんの要望から。

かわいがっていた猫の死への悲しみを受け止め、乗り越える為に、と私も賛成しました。

生前チョコモナカジャンボのモナカ部分が大好物だった「娘」。

最初気づいたのはたまたまでしたが、それ以来アイスを買うときはチョコモナカジャンボを選んで買うようになりました。

ペットの火葬をする時には、好きだった食べ物を一緒に入れてくれる、と言われたので棺に一緒にチョコモナカジャンボを入れて頂けました。

火葬の後、ちゃんと火葬前に食べ物と一緒に並べている写真を撮って見せてくれました。

6年間溺愛した一人目の「娘」は数時間後に小さな骨壺に入って帰ってきました。

「骨になってもかわいいね」と小さく笑って元嫁さんがつぶやいていたのを覚えています。

私たちは既に離婚が決まっており、別の住居を探そうとしている時期でもあったので、友人からは「猫、空気を読んで死んだのかもね・・。

」と言われました。

別れた嫁さんが骨壺を持って引っ越してしまったので、もう「娘」に会う事が出来なくなってしまったのが心残りです。

亡くなって半年以上経ちましたが、今もたまに生前にいっぱい撮った「娘」の写真をパソコンで眺めながら独り晩酌をしています。

34歳女 中学生時代、愛猫をペット霊園にて供養してもらう

34歳、女性です。

現在はペットは飼っていません。

 中学生の時に飼っていた猫の話です。

猫の名前は『わか(若)』で男の子でした。

子猫から飼い始め、拾ってきた猫です。

少し前に兄が拾ってきた猫が亡くなり、寂しい思いをしていました。

 もう猫は飼わないといった雰囲気でしたが、私が世話をするという約束で名前もつけ、家に迎える事になりました。

 まだ、ミルクを飲む子猫だったので、そのお世話をしながら、自分の部屋にトイレを置き、トイレを覚えるようしつけました。

 元気いっぱいの成猫に成長し、2年も経たない頃、血尿が出ていることに気づきました。

数日続いたので、動物病院につれていくことに。

診断は尿路結石のような感じでした。

その違和感から、自分の陰部を噛んでいたようで、そのため血尿が出ているとのことでした。

 市販のエサで、なりやすい猫が多いとのことで、病院で販売されている、医療用というのか、塩分等が管理されたものを推奨されました。

もちろん、一日の摂取する量も決まっています。

 それを食べるようになり、『わか』は満足しないのかエサを催促するのがひどくなり、少しの量を1日何回にも分けて与えていました。

 エサを変更したお陰で、血尿はなくなり、数ヶ月も経たないうちに、いつもの元気な姿に戻っていました。

 しばらく病院のエサを食べ続けたのですが、結構な高額だったので、市販のエサに戻し、量を調節することにしました。

中学生の私はそれが良くない選択だとは深く考える事ができませんでした。

 その後は記憶が曖昧なところがあるのですが、再び体調を悪くした『わか』は亡くなってしまいました。

 大人になってから色々調べると、病気は再発するものだし、もっと自分に出来た事があるんじゃないかと思うと胸が苦しくなってしまいます。

ペット霊園で火葬し、そこでお骨も預かってもらうことにしました。

 ここ数年は減ったのですが、成人してからも、自分のせいで『わか』の寿命を縮めてしまった罪悪感と、何も出来なかった自分、『わか』の苦しむ姿が忘れられず、何と表現していいのかわからない感情がずっと胸にありました。

 そして、見送った自分、ごめんねと後悔している自分に何ができるのか、それは『わか』に伝わることもなく取り返しもつかないんだという気持ちと、どう向き合っていけばいいのかと思う日々です。

26歳女 大好きな愛犬を失いペットロスになり心を落ち着かせるまで

初めて愛犬と出会ったのは私が小学2年生のときでした。

ホワイトテリアという犬種で、両親の友人の友達が子犬がたくさん生まれたということで耳がたっていた子を気に入り連れて行きました。

当時は現在と比べて犬の遊べる場所や食事が一緒にできるところが少なく、室内の小屋で飼っていました。

初めての愛犬で、私の背丈も小さく追いかけられると逃げてばかりいました。

愛犬は黄色のボールが好きで、一緒に散歩に行ったり、夏はバーベキューに行ったりと楽しく過ごしていました。

学生の頃は、遊べる時間が少なく自分中心の時間を過ごしていました。

犬の寿命は短く、犬にとっては飼い主と遊べる時間も限られています。

人は自由に遊びに行くことができますが、犬は自分で遊びに行くことができません。

愛犬は賢く、飼い主が思っている以上に感情を読み取ってくれます。

徹夜で作業をしているときには近くで座って一緒にいてくれたりしました。

一緒に過ごした時間は大切な宝物です。

小さい頃からずっと一緒に過ごしていると、一緒に過ごしているときには気づかないことが過ぎ去ってから後悔に変わります。

16年間一緒に過ごしたのですが、亡くなるとき家族みんながいるときでした。

老衰とのことだったのですが、突然のことで気持ちが追いつきませんでした。

もっとしてあげられることがあったのではないか、こうしてあげたかったなど後悔ばかりでした。

愛犬がもし今も生きていたとしたら、いろんなところに連れて行ってあげたいです。

ペットと一緒に泊まれる旅行やドッグラン、散歩だけでなく愛犬同士のお友達を作ってあげたり楽しいことをたくさんしてあげたいです。

犬用のおやつやジュースなどたくさんあるのでおいしいものを教えてあげたいです。

愛犬を守れるのも楽しい思い出を作ってあげられるのも飼い主だけだと思います。

最期は家族で看取ることができ、ペットを供養、火葬していただけるところに行きました。

今でも愛犬の写真にお供えをして、手をあわせています。

愛犬は大切な家族で、ペットロスになり、今も同じ犬種の犬を見かけると思い出して切なくなり、なかなか立ち直れないままですが、お供えをしたり手を合わせることで心を落ち着かせています。

40歳女性愛犬をペット斎場で供養してもらい気持ちが少し楽に

もう20年くらい前になりますが、13年飼っていた愛犬が病気のため亡くなりました。

子犬の時に父がもらってきた犬だったので朝晩の散歩などもほとんど父が面倒を見ていました。

旅行に行くときも家族と一緒でいろんな場所に連れて行きました。

家の中で飼っていたので食事中、くつろいでいる時、お昼寝している時いつも一緒で愛犬のおかげで笑顔が絶えない楽しい毎日だったように思います。

でも、亡くなる半年くらい前から病気になり治療も難しいようで、最後の方は腹水が溜まったり夜中に何度もトイレに連れて行くよう吠えたり面倒を見ている父も疲れていました。

そんな中ある日の朝方、突然体調が急変して両親が見守る中息を引き取りました。

悲しみでいっぱいでしたが、せめてみんながいる時だったので安心して眠りについたと思います。

もし一人で留守番している時に亡くなっていたらもっと辛かったかもしれません。

その日の夕方、みんなでペット斎場に連れて行きました。

個人で火葬もしてくれますが、母が一人だと寂しいかもしれないからお友達と一緒がいいかもと提案して、合同火葬してもらいました。

いつか天国でまた会おうねと声をかけお別れしました。

父はとてもショックを受けトイレで一人泣いている時もありました。

でも、いつかは別れがくると覚悟していたのでいつまでもクヨクヨしてはいけないとみんなで頑張りました。

そこのペット斎場は毎月一回供養祭を開いてくださいました。

各自ペットの写真をフォトフレームに入れて持参すると、祭壇に写真を飾ってくださるのですが、なんだか子供の授業参観を見に行く気持ちでうちの子はちゃんと見えるところに写真立ててあるかしら、お隣のワンちゃんの写真も可愛いねと話し、いろいろ思い出しながらお経をあげてもらっていました。

そこに集まる人はみんな同じ気持ちの人が集まっていたので少し辛い気持ちが楽になります。

やはりこの辛い気持ちは時間が経つのを待つしかないかもしれません。

もう今は供養祭に行ってあげてませんが、自宅の仏壇にお水をあげ、毎日手を合わせています。

いつも天国から見守っていてくれている気がします。

33歳女性、愛兎を動物寺で供養し、天国に行けたと安心できました

現在33歳主婦です。

うさぎを飼いだしたのは15年前で、結婚した時もうさぎは一緒に住もうと考えていました。

うさぎの名前はあずき。

たまたま行ったペットショップで、一番小さいのに元気よく走る姿に買いたいと思い、親にお願いをしました。

うさぎの餌やりはもちろん、小屋の掃除、夏に暑くなったら涼しい所へ移動させたり、ときには小屋の中だけでは狭いだろうと散歩をさせたりしていました。

とても元気で、何でも食べて、よく寝る子で、でも臆病で、可愛らしい子でした。

わたしに良い人が見つかり、一緒に暮らすようになった時もうさぎは一緒にきましたし、これから彼とわたしとうさぎの2人と1匹の生活が始まるんだと思っていました。

ある日、動物病院で定期検査をした帰り、彼が小屋へうさぎを戻していたのですが、扱いに慣れていないためにうさぎの脚をくじかせてしまいました。

そこから食べることができなくなり、衰弱して、死んでしまいました。

最期はとても苦しそうに悲鳴をあげて、そして亡くなったのですが、わたしの中でとてもつらい瞬間でもありました。

ですが唯一、一緒にいることができたことが良かったと思っています。

苦しい瞬間、辛い瞬間、一人ぼっちにさせないようにすること、それは飼い主にしかできません。

大好きな家族と最期の時間を過ごすことができたこと、それだけがうさぎのあずきも、そしてわたし自身も救われた行動でした。

火葬ではあずきが好きだった人参や遊んでいたものを入れて、焼いてもらいました。

うさぎの骨は軽く、焼いたあとはほとんど残らなかったのですが、わずかなものを骨壷に入れて、供養してもらいました。

火葬してもらう間、供養してもらう間、どうして彼に小屋に入れてもらうことを頼んだのか、自分でしていればもっと長くいれたのではないか、そしてあんなに苦しい思いをさせずにすんだのではないかと後悔していました。

供養が終わっても、空っぽの小屋を見ては落ち込み、一人涙を流していました。

それでも月日が流れると、ずっと落ち込んでいるわけにはいきません。

わたしは納骨堂にお参りをして、いつものように日常の報告をして、少しずつですが前を向いていくことを決めていきました。

もしもペットを亡くして辛い思いをしているのなら、会いに行ってあげてください。

何があったのか、話してあげてください。

きっと、天国に行ってしまったペットも、あなたを支えようとそばにいて、笑っているあなたのそばで安心できますから。

15歳女 ペット供養でやっと別れを受け入れることができた

私が小学生だった頃、一人っ子だった私のことを思い、母がペットを飼ってくれました。

動物嫌いな祖母がいたため、犬や猫などの大きなペットではなく、モルモットという小動物を飼ってくれました。

私は動物が大好きでしたが、祖母が動物嫌いだったため、ペットを飼うことをずっと我慢していました。

しかし、母がモルモットを飼ってくれたおかげで、やっとペットを飼うことができ、とても嬉しかったことを覚えています。

私はモルモットにミーと名付けました。

兄弟姉妹のいない私は、家にいる間はずっとモルモットと一緒です。

一緒にお風呂に入ることもあれば、猫じゃらしのようなもので遊んであげることもありました。

初めの頃は赤ちゃんだったミーもすくすくと成長し、そして私も中学生へとなりました。

モルモットの寿命は大体5~7年程度だと言われているので、中学生だった私はそろそろミーもおばあちゃんになっている頃なんだなと、なんとなく思ってはいました。

そして、別れは突然やってきました。

忘れもしない、私が中学3年生で、ちょうど受験生の大事な時期に入っていた頃でした。

ミーがお尻から血を流し始めたのです。

私は動物病院にミーを連れていき、すぐに処置をしてもらいましたが、体が小さすぎるために何も処置することができないとのことでした。

しばらくしてミーは死にました。

突然の別れに、私は動揺し、死を受け入れられずにいました。

ご飯が喉を通らず、勉強にも集中できず、1週間で3キロ近く痩せました。

ずっと泣いているため、目は腫れて、こんな姿を友人に見せたくないと、学校に行くのを渋りました。

そして1週間が過ぎ、みかねた母が私を連れて、近くのお寺に連れて行ってくれました。

お寺に着くと、住職が私達を向かい入れてくれ、ミーの遺体を前にお経を読んでくれました。

私も手を合わせ、ミーが無事に天国に行けるよう、ひたすら願っていました。

そしてお経を読み終えた後、住職がこんな話をしてくださりました。

「死んだ人は残された人のことが気がかりで仕方がない。

自分が死んだことで周りの人がいつまでも自分の死を悲しんでいると、天国に行きたくても行けずにこの世にとどまってしまうことがある。

」と。

私はそれを聞いてハッとさせられました。

ミーが天国に行けることが今は一番の私の願いであるということを、その住職に教えられた気がしました。

お寺から帰って、ミーの遺体を家の畑の横に埋め、小さなお墓を作りました。

不思議と、気持ちが軽くなり、やっとミーの死を受け入れることができた自分がそこにはいました。

ペットの死が受け入れることができず苦しんでいる人は、自分の気持ちに区切りをつけるためにも、ペット供養をした方がいいかもしれません。

私もペット供養をしたことで、無事、ペットの死を受け入れて日常に戻ることができました。

28歳 女 紹介されたお寺にて供養 寂しくもある意いい経験になった

現在、20代後半です。

主婦をしています。

愛犬の供養を経験したのは18歳くらいの頃だったと思います。

私の家はディズニーアニメのわんわん物語りのモデルの犬種であるアメリカン・コッカースパニエルを飼っていました。

うちにはオスとメスが居ましたが今回はオスの愛犬についてお話しようと思います。

彼は、私が小学1年生頃に我が家に迎えられました。

白い身体に茶色の模様、長い耳に短い尻尾がとても可愛かったです。

性格はやんちゃでしたが、そんなに手が掛かることもなかったのを覚えてます。

強いて言うなら、来客が来るたびに興奮して「お客さんが来た!!」と吠えて教えてくれること。

有難いはずなのに、たまに間違えちゃう事もあったので無駄吠えの躾はもう少しちゃんとすべきだったかな…。

そんな彼は、健康そのもので病気や怪我は若い時にしたことが無く、しばらくして中年になったくらいでしょうか私の祖母が入院した時にショックのあまり食欲不振になってしまったんです。

それからです、徐々にではありますが確実に聴覚や視覚にも影響が出て来たのは。

その頃には、10歳を超えていたのですっかり老犬です。

祖母が退院してきたその日はよほど嬉しかったんでしょう、家の中で一日付いて歩いてました。

しばらくして祖母も元気だしいつもの生活に安心したのか、彼はあるクリスマスの日に家族に見守られて天に昇りました。

老衰です。

苦しむことも無く眠る様にスッと旅立ったのでした。

初めての愛犬を自宅で亡くした悲しみは言葉では言い表せないものがありますが、私たち家族が困ったのは、葬儀や供養の仕方でした。

何もかも初めてなのに加えて、今現在程に愛犬に対するサービスも情報も無かった印象です。

当時我が家には、パソコンもなく情報を探す術は携帯のみ。

そんな時私の母は区役所や動物病院へ電話をしてペットの死後のケアやどんな施設があるのか調べていました。

結果、とある田舎のペット専用の火葬場を紹介してもらい予約を取ったんだと思います。

当日は火葬場の人に車で送迎していただいて、目的地まで…結構立派なところで愛犬専用の個人的なお墓をもってる飼い主さんなんかもいて、愛犬の顔が彫ってある墓石なんかもちらほら…。

我が家は、集合墓地にて供養させて頂きました。

少し前の話なので所々曖昧なところはありますが、当時からペットも人並みにしっかり火葬をし供養してくれてるのなら、今はもっと凄いんだろうな…充実してるんだろうなと振り返ってみて思います。

当時は子供だったということもあり、全て親がやってくれたので供養の仕方などについて後悔すること、アドバイス出来る事などは特にありませんが愛犬の終活は人間同様、徐々にしてもいいかもしれませんね。

30代実家の17歳の猫を神社で供養しました

私は30代の子持ちの女性です。

高校生の時に、父親が会社の倉庫に紛れ込んでしまった子猫を連れて帰って来たのがきっかけで実家で飼っていた猫の話です。

昨年の2月、18歳になる目前で亡くなるまで、いつも当たり前のようにいてくれたかわいいかわいい猫でした。

とても大人しい女の子で、目を合わせると声を出さずに鳴く子でした。

亡くなる1年近く前から胸に出来ていたしこりが大きくなり、中の膿が破裂してしまい病院へ行ったところ、高齢の為手術も難しいとの事でした。

しこりをとってもまた出来て破裂して、を繰り返していく、と。

しこりは膿んでしまい、強烈な臭いを発していました。

私の母は、手作りの服を何着も作り、しこりを舐めたり床に触れてしまわないように着せていました。

元々小さい子でしたが、どんどん痩せていき、抱き上げるとギョッとするくらい軽くなっていきました。

撫でると肋骨が露出していて、毛もツヤがなくカスカスでした。

それでも、目が合えば声を出さずに鳴くのはいつも通りで、手を伸ばせば頭を擦り付けてくる、本当に可愛い子でした。

最期は私の妹に見守られ、息を引き取りました。

早くに仕事から帰宅できた私は、妹と一緒に体を綺麗に拭き、小さな布団を掛け寝かせてあげました。

一番面倒を見てくれていたのは母なので、母の帰宅を待ち、それからどうするか話あいました。

以前知り合いからペット供養をしている神社の話を聞いた事があり、インターネットでそちらを調べ、電話で詳細を聞くことにしました。

電話を掛けると年配の女性が対応してくれました。

まず、お悔やみを言ってくださり、とても優しく、丁寧に教えてくれました。

他を調べることもせず、そちらでお願いをする事に決めました。

供養の当日、車で行くと電話で対応してくれた女性が出てきてくれ、丁寧に案内をしてくれました。

建物はまだ新しく、これまでに供養をしたワンちゃん猫ちゃんの写真や名前の入ったものが数多く置いてありました。

小さなカゴにお花を添えて寝かせていたのですが、それを見て「こんなに綺麗にしてもらえて、とても幸せな猫ちゃんですね」と声を掛けてくれ、救われた気持ちになりました。

妹の子供たちも9歳と5歳ながらその場の雰囲気を感じ、真剣にお別れが出来ました。

神社なので神式でのお葬儀をあげて頂きました。

長年一緒にいた子とのお別れをきちんと出来たと思います。

亡くなった時には、離れたくない、いなくなってほしくない気持ちが大きく悲しさをどうにも出来ませんでしたが、そのお葬儀をしている最中にスッと気持ちが落ち着き、区切りが出来たのかなと思っています。

お葬儀後他の子たちと合同での火葬でしたが、いつ火葬したのかの連絡もあり、最後まで細かい対応をしていただけたなと思います。

お骨は綺麗なお骨箱に入れて頂きました。

子供たちもお別れをした事を受け止めてくれていて、「お参りに行かないの?」と言ってくれます。

そこに行けばいつでもお参りが出来る、と思うと、失った悲しみは当然ありますが、お葬儀をして良かったな、と思います。

実際、亡くなる前まではどうするか家族で悩みました。

ただ火葬して、お骨も持ち帰らない方が後々の事を考えるといいのか、と話していましたが、あんな風に丁寧に供養してもらえ、家族の私たちもしっかりお別れをする事が出来た事に感謝しています。

他のところと比べることもせず決めてしまいましたが、後悔はしていません。

ただ、そこに電話する前にはインターネットで口コミを十分見ておいたのは大事だったかなと思います。

口コミが良かったので決めた、というのはやっぱりあります。

33歳女、愛猫をペット斎場で供養してもらって後悔しか残らなかった事

こんにちは。

今から10年前頃、母がペットショップで愛猫に出会いました。

長毛種のヒマラヤンとラグドールのmixでした。

家に連れて帰り私も会って直ぐに溺愛する様になりました。

私が学生の時は、いつも一緒に居られたのですが仕事をする様になってからは、あまり一緒に居られない日々が続きました。

そうして時が過ぎある日、愛猫の体調の変化に気付いたのです。

急いで病院に連れて行きましたが腎不全を起こしていて、てのほど腰ようがありませんでした。

それが私の誕生日の日でした。

それから2日間、頑張ってくれましたが3日目に、先生から『どうされますか?』と聞かれました。

このまま酸素ボンベを着けていても良くなることはなく苦しむだけだと…。

『もう良くなる事は無いんですか?』と聞き返しました。

しかし良くなる事は無いと言われました。

安楽死しか選択がありませんでした。

どんな形でも良いから生きていて欲しい。

それが私の願いでした。

でも実際、私の願いは愛猫を苦しませてるだけでした。

本当に苦しい中、頑張ってくれました。

体調の変化に気付けなかった自分が許せなくて、悔しくて、悲しくて。

その時の感情は言い表せないものでした。

何故もっと早くに体調の変化に気付いてあげられなかったのか、何故、もっと一緒に居てあげられなかったのか。

後悔しても仕切れません。

私にとって凄く大切な愛猫でした。

本当に大好きで心から愛していました。

動物は繊細な生き物です。

出来るだけ一緒に居て、体調の変化に気付き、いっぱい、いっぱい愛してあげて下さい。

どれだけ愛しても最後は悔いが残ります。

あの時、ああしてれば良かったとか。

こうしてれば何か変わってたか?とか。

でも本気で愛してあげていて体調の変化に気付けたなら、最後の悔いも違ってくる事でしょう。

私は今も悔いだらけで、毎日手を合わせる事しか出来ません。

『ごめんね』と泣き言いながら…。

本当にあの子には申し訳ないと、10年以上経った今でも思っています。

49歳、男性、愛犬ハナちゃんの眠るお墓で供養 少し楽になれたかも

私は49歳、男性、会社員です。

我が家には女の子のコーギー犬がいました。

名前をハナちゃんと言います。

ハナちゃんは14年ほど我が家にいたのですが、残念ながら病気で他界してしまいました。

病状は癌だったのですが、最後の方は、本当に体力的にハナちゃんにはキツかったようで、それはそれは見ていられない状態でした。

ハナちゃんとは町のペットショップで出会いました。

本当は我が家では犬を飼うつもりはなかったのですが、ふと出会ったハナちゃんに一目惚れしてしまったのです。

ペットショップを出る時には私の中ではもうハナちゃんという名前は決まっていたくらいです。

でもその時、実はハナちゃんがメスだったという事に気付かず私はハナちゃんという名前を決めてしまっていました。

もし男の子だったらどうなっていたのだろうと今でも苦笑いしてしまう事があります。

私には一つだけ後悔している事があります。

それは私たち家族はどちらかというと内向的な部分があるので、あまり外には出ないという事がありました。

そんな事もあり、ハナちゃんを十分に外で遊ばせてあげなかった事が今でも悔やまれます。

散歩もそうです。

世間一般的な飼い犬に比べて私はハナちゃんに十分な散歩をさせてあげていませんでした。

その事でハナちゃんにはストレスが溜まるような環境に追いやってしまっていたと思いますし、やがてはハナちゃんの健康を害する事にも繋がってしまったと思います。

これは考えすぎかもしれませんが、もう少し私たち家族がハナちゃんの健康をきちんと考えていればハナちゃんは癌という病気にはならなかったのかもしれません。

ですからハナちゃんが亡くなってからというもの、私たち家族はハナちゃんの命日にはハナちゃんの眠っているお墓で供養をしています。

もちろん1年のうち、ハナちゃんのお墓に訪れる事は何回もあるのですが、この日だけは家族が全員揃ってハナちゃんの供養をするのです。

お坊さんにお経を上げてもらい、お線香をあげている時、私はハナちゃんにきちんと接していなかった事をいつも心の中で謝り続けています。

そして、天国では思いっきり走り回って遊んでねとハナちゃんに話しかけているのです。

そんな供養をしているとハナちゃんは私を許してくれているような気持ちになって、少しだけ気分が楽になります。

63才男猫動物を供養するお寺単独で火葬して遺骨を持ち帰った

現在63歳の男です。

結婚は52歳だったので、一人暮らしは長かった。

彼女(猫)と会ったのは、45歳の時。

会社の事務の女性が、「お墓で猫拾ってきたけど、飼わない?」と言ってきた。

普通に、猫飼わない?と言われたら、当時のアパートは動物を飼ってはいけないところだったので、断っていただろう。

ただ、お墓で・・という言葉が引っ掛かった。

今までたいして立派な生き方をしてこなかったので、今までの謝罪の意味も込めて、飼わなければいけないような気がした。

それで、いいよと返事をしてしまった。

彼女が初めてアパートに来たのは、生まれて2ヶ月程の時だった。

独り住まいが長かったこともあり、部屋の中で、自分の意志とは違う動きをする彼女は、不思議に思えた。

一緒に寝たかったが、圧迫してはいけないと思い、ダンボールで寝床を作った。

2年程経つと、意思疎通ができるようになる。

何を言っているかがわかるようになる。

猫を飼っていいアパートに移ったり、健康診断をしたり、彼女のためにいいと思うことを優先した。

6年程したある日、彼女は、血栓症になり、下半身が動かなくなった。

病院の先生に言われた。

覚悟して下さい・・と。

もうひとつの病院では、今まで手術をして助かった猫はいない・・とまで言われた。

色々と調べ、血栓を溶かす薬を血管投与する方法を選んだ。

1ヶ月程入院をしたが、その時営業の仕事をしていたので、時間をごまかしながら、毎日会いに行った。

その費用も、ボーナスを前借して工面した。

奇跡です・・と先生に言われた。

彼女は右後ろ脚の足首を切断はしたものの、命は取り留めた。

その後3年間、彼女は元気に私と暮らした。

動物を飼ったことのある人は、判るだろう。

動物とはいえ、家族となんら変わらない。

その当時、よく友人に語っていた。

となりの親父が死んでも泣かないが、こいつが死んだら泣くよ・・と。

単独で火葬をして、骨はしばらく転勤ごとに持ち運んだ。

そして、お墓に埋葬した。

彼女には、色々と教えてもらった気がする。

その一番が、奇跡を見せてくれたこと。

奇跡は起こるんじゃない。

起こすんだ・・と思っている根拠は、ここにある。

猫に関わらず、動物を飼おうと思っている人がいるなら、こう伝えたい。

人も動物も変わらない。

生き物に誠実に向き合うこと。

それはきっと、自分を成長させてくれるはずだ。

人と動物では、仏教では格差があるようだが、私には、そうは思えない。

人なんかより、ずっと動物の方が偉く思える時もある。

だから、人も動物も変わらないと考えている。

後悔したこと・・もう20年も経ったから、薄れてきているけど、もっと沢山、何かをしてあげられたかな・・かな。

けど、彼女に会えて、本当によかった。

今も写真に向かって挨拶をしている。

ありがとう・・ってね。

27+男性+動物霊園+悲しいけど少しほっとした

愛知県在住の男性です。

その猫と出会ったのは20年ほど前で実家で暮らしている時で、庭に度々訪れるようになった雌猫を母親がとても気に入り飼うことになりました。

当時母親は知っていたかわかりませんが、その雌猫はお腹に子供を宿しており、二ヶ月ほど経って4匹の子猫を出産しました。

猫の出産を目の当たりにするのは初めてで興奮したのを今でも覚えています。

その猫は何故か私の部屋のクローゼットを出産場所に選んだので、ダンボール箱に毛布を引いて準備してやりました。

出産が近づき不安なのか、甘えるような声をあげて母を呼び、母がしばらく側に付いていてやると落ち着いて大人しくなるというのを1日に何度も繰り返したそうです。

その後10年ほどたったある日、母は急性心不全で他界しました。

猫は母がいなくなった事に気付いていないのか、普段と変わり無い様子でした。

葬儀もひと段落したある日、猫のお腹にしこりがあることに気がつきました。

母親が他界した直後ということもあって家族は自分の事でバタバタとしており、特に気にも留めずに三ヶ月ほどすぎました。

お腹のしこりはどんどん大きくなりピンボール程の大きさになってしまい、慌てて獣医に連れて行きました。

診断結果は乳腺癌でした。

避妊手術をした雌猫がホルモンバランスの崩れから発症することが多い言われ、至急手術を勧められ手術をしました。

当時獣医が言うには乳腺癌は乳腺に点在する腫瘍を刮ぎとるような方法で取り除くらしく、完全に除去することが難しいとのこと。

結局一度の手術で完全に除去できなかったのか、しこりが再発した為、2度目の手術をしましたが、やはり完治はしませんでした。

最初に気づいたときに直ぐに獣医にかかっていれば、完治できたかも知れません。

母親が他界したあと、残された私たちは自分のことで手一杯であまりかまってあげられなかったのが悔やまれます。

私は家族と相談して、家から車で20分くらいの場所にある動物霊苑で火葬することにしました。

費用は確か2万円くらいだったと記憶しています。

火葬した骨は共同墓地に納めるか骨壷にいれて持ち帰るか選択ができたので、私は骨壷に入れ持ち帰ることを選択しました。

いつか母親の墓に一緒に納めてやりたいと思ったからです。

人間と動物を同じ墓に祀る事を変に思う人もいるかもしれませんが、母が可愛がっていた猫なので是非そうしたかったのです。

持ち帰った骨壷は母の仏壇で保管し、49日のときに母の墓に納めました。

今でも猫を飼いたい気持ちはあるのですが、別れる時の悲しみを思うと、なかなか飼えないでいます。

26歳女 愛犬を出張葬儀サービスを利用し供養、気持ちを改めました

私は今、実家を離れ1人で暮らしていますが、実家は犬1匹と猫5匹という、小さな猫カフェのような状態になっています。

今でこそ人間の数よりペットの数の方が多いですが、私が小さい頃は、1匹の犬しかいませんでした。

ポメラニアンの雄で、名前をチャオと言います。

チャオは新聞の片隅に「里親募集!」という記事となって載っていました。

たまたま新聞を見かけた祖母が押し切るような形で飼い主に連絡し、名前もそのままに我が家の家族として迎え入れました。

まだ生後半年ほどだったチャオは元気いっぱいで、初めて対面した時もしっぽを振り回しながら飛びついてきたのを、今でも覚えています。

それから10年ほどしてからでしょうか。

母が新たにポメラニアンを買ってきたのです。

そこから祖母が猫を拾っていき、いつしか我が家にはおじいちゃん犬のチャオと、若いペットたち、という構図になっていきました。

私を含め家族たちは、新しいペットに夢中になり、チャオはお散歩のときにだけ構ってあげるような扱いになってきてしまいました。

だんだんと年をとり、走り回ることもなく、チャオはダイニングテーブルの横のゲージの中が定位置でした。

1番家族が集う所にいながら、まるで空気のような存在になっていってしまったのです。

そんなある日、仕事が終わった私に祖母からLINEが来ました。

「チャオが死んじゃった」と。

私はその時、え?とまるで空気が止まってしまったような感覚でした。

チャオって、何か病気だったっけ?そんな年だったっけ?今朝具合悪そうだったっけ?死んじゃったってどういうこと?と頭の中でぐるぐる考えました。

頭を混乱させたまま家に帰ると、そこにはクッションの上に横たわるチャオがいました。

いつもゲージの中で眠っていたチャオ。

クッションの上でもまだ、今までと変わらず眠っているようでした。

信じられないままそっと触れてみると、もう冷たくなり、動くことはありませんでした。

「ああ、ほんとうに死んでしまったんだ」と、ようやく実感することができました。

後から母も帰ってきて、供養してあげなきゃね、という話をしました。

チャオが我が家では初めてのペットだったので、供養の仕方もわからず、ネットで調べました。

最も多かったのはペット霊園を利用するという方法でした。

しかし、今までずっと一緒にいたチャオを一人ぼっちにさせたくないね、という思いから家族と話し合いをし、出張葬儀サービスを利用し、遺骨は自宅で保管することとしました。

ペット用の火葬設備のついたトラックを用意してもらい、お唱えから火葬、納骨までを全て自宅で行いました。

ただでさえ小さかったチャオは、手のひらに収まるサイズになってしまいました。

その遺骨を、チャオが大好きだった祖父の仏壇の隣に添えてから、誰ともともなく「遺影を用意しないと」と言いました。

家族みんな、一斉にスマホのデータフォルダを見ますが、データフォルダには新しい猫や犬の写真ばかりで、チャオの写真が1枚もありません。

そこで私たちは自分たちの愛情に偏りがあったことに気づきました。

いるのが当たり前すぎて、最期まで平等にチャオを愛してあげられなかったのです。

ガラケーのデータフォルダをあさって、ようやく1枚だけ写真を見つけました。

そこには、原っぱでこちらに向かって走ってくるチャオの姿が映されていました。

その写真を見て、私は涙がこみあげてきました。

一緒にいることがとても楽しかったのに。

小さいころから一緒に成長してきたのに。

もうこちらに向かって走ってくることは永遠にないのです。

私は遺骨に手を合わせて、たくさん「ごめんね」を言いました。

そして、もう二度とこんな思いはしないと誓いました。

今、実家には犬1匹と、5匹の猫がいます。

そこに差はありません。

たまに実家に帰ると、全員の頭を撫でて回ります。

みんなと写真を撮ります。

今ある日常が、当たり前ではないということを、チャオが教えてくれました。

この文章を見ている、ペットを飼っている方がいたら、ぜひ、写真として、記憶だけではなく記録としてもそこにいたということを残してあげてください。

どうか皆さんが、後悔することがありませんように。

未だに、使い手のないゲージが片せない私と家族からの、願いです。

31歳女 弱っていく姿を認められなくて、直視できずごめんね

30代前半の女です。

大好きな猫を4ヶ月足らずの短い期間で亡くしてしまいました。

もっともっと、向き合ってあげられたかな、と後悔しています。

猫とは保護施設で出会いました。

私の一目惚れで大好きになりました。

とても美しく、特徴のある猫で目立つ子でした。

一目見て以来、私はその子のことが気になって仕方が無くなってしまいました。

保護施設なので明日にも他の人のおうちにもらわれていってしまうのではないかと毎日そわそわしていました。

ある日、うちに猫を迎えようと言うことになり、保護施設の方にそのことを伝えにいきました。

その日は緊張とうれしさで足下も心もふわふわしていました。

舞い上がってとてもうれしかったのを覚えています。

おうちにその子が来るのは数日後です。

念のため、保護施設にいる間に動物病院にいって再検査をし結果が出た後の譲渡になります。

そこで突きつけられたのは悲しく受け入れがたい事実でした。

その子は元々猫エイズと呼ばれるキャリアもちの猫でした。

発症していて末期とのことでした。

綿密に言えば伝染性腹膜炎というものが発症していたそうです。

私は以前他の猫を飼っていたことがありますが猫エイズのことはこの子と出会うまでまったくの無知でした。

頼るものは保護施設の方と動物病院の方、インターネットの情報です。

その子がおうちに来るまで、ほんの数日ですがいろいろな情報を集めました。

けれど、集めても集めても私が求める情報は出てきません。

わたしは「完治」ということばを求めて寝る間を惜しんで画面と向かい合っていました。

猫がおうちに来てからもわたしはそのことばを求めて画面ばかり見ていました。

猫は、当時のわたしは見ないように見ないようにしていましたが日々痩せていきました。

私は馬鹿でした。

もっともっと、猫を見ていれば良かった。

こんなにかわいくて大好きなものがうちにきたとたんに痩せ細っていって、死に向かっている。

そんな現実を受け止められなかったのです。

痩せていく猫、元気がなくなる猫がかなしくてスマホで簡単に写真をとれるこの時代に、写真がとてもすくないのです。

もっともっと、撮れば良かった。

わたしは目をそらさずに現実を受け入れて、精一杯生きる子を受け止めるべきでした。

供養は他にもたくさん仲間のいる市営の動物愛護センターにお願いしました。

手元にはお骨は残りません。

他で供養していただきお骨を手元に残すことも考えましたが、それならば生前にもっともっと接するべきだったと思いやめました。

残ったのは少しの携帯画像と私の心の中の思い出と落としていってくれた4本のヒゲです。

少ししか一緒にいられなかったけれど大好きでした。

ヒゲもおいていってくれてありがとう。

大切にします。

大好きなペットさんがいらっしゃる方、もしその大切なペットさんが弱っていくことがあったら、どうかその弱っていく姿もしっかりみてあげてください。

頑張っていきているかけがえのない存在です。

23歳女性飼っていたデグーを霊園で供養してもらい夏の怖さを再認識し

こんにちは、Quonです。

自分は去年の夏飼っていたデグーを自分の不注意で亡くしてしまいましたその時のことを書きたいと思いますその子との出会いは一昨年の秋で、とあるペットショップで元々デグーを飼育してみたいと思っておりそこにいましたそこで出会ったのがその子でした。

一匹だけしかおらず目があってしまい飼うことを即決、そく家に連れて帰りました名前をベーたと名付けましたあまり過度なスキンシップが好きな子ではなかったためベタ慣れにはなりませんでしたがそこそこ仲良くしていました事件があったのは去年の夏のはじめの方まだ連日猛暑に見舞われる少し前でしたその日も仕事で昼まで家をあけることになってたので自分はいつもどおりご飯をあげて水を替えましたでクーラーを入れて保冷剤を中に入れると噛んでしまうためケージの外にくっつけるように設置して暑さ対策をしてから家を出ましただいたい家をあけていたのは3時間か4時間くらいだったと思います。

家に帰ってきたら部屋が思ったより冷えていない。

やばいと思いケージを確認したらベーたの姿が見えないあれっと思い中を探ると干し草を入れるようの小さいバケツの中で息絶え絶えの虫の息状態でぐったりしてました自分は動物看護士をしているのでこれはもうダメだとすぐに悟りましたそのあとすぐに水を与えて涼しい環境にはおきましたが甲斐なく息を引き取りましたなぜこんなことになってしまったかクーラーはつけていきましたが設定温度はそこまで低くしておらず外は自分が思ってる以上に猛暑になってしまい冷却が追いついていませんでしたそのため保冷剤もほぼ役に立たずトドメは水です。

水は給水ボトルを使っていたのですが水を変えた時に中の玉が上に行ったまま降りておらず舐めても水が出ない状態になっていたのですいつもは水が出ることを確認してから家を出るのにその時に限ってギリギリになってしまい確認をしないで家を出てしまいましたまさか出ない状態だとは思わず…こればかりは自分の不注意でいつもやってることなのに怠ったために招いたことでした悔しい限りですその日の夜に箱に詰めて安置し次の日の朝に霊園に連れていき供養してもらいました集団の供養に出したため火葬されるところまでは見守ることができず他の子がはいいてる箱の隣にベーの箱をおきそこでお別れをしましたペットを飼っている人にアドバイスがあるとしたら夏は本当に気をつけてほしいです年々暑くなってるので去年の常識が今年通用しないかもしれませんあと水は何があっても絶対に確認しましょう これでもかってくらいたっぷりと入れてから出かけましょう

49歳男 愛犬をみんなで実家で供養してもらい天国で幸せにいてほしい

私は所帯持ちの中年男子でこれまでペットを飼ってきました(犬、猫、ハムスター、金魚、チンチラ(ねずみみたいな)、ミニウサギなど)。

いずれのペットたちも亡くなったらすべて埋葬してきました。

そのなかでもやはり犬は長い間、一緒に暮らしますし想い入れもあります。

ミニチュアダックスを飼っていてブリーダーに繁殖依頼し親子全部で3匹飼っていました。

子供が2匹、親は1匹です。

一番最初に亡くなったのは意外にも一番元気な子供の犬でした。

腫瘍があり手術をしたのですが手術は成功したのですが容体が急変し亡くなりました。

亡くなると思っていなかったので悲しく寂しい気持ちになったことを忘れません。

冷たくなったラブちゃんを実家の敷地の一角に好きだった小物と一緒に埋葬しました。

それが4年前のことです。

ラブちゃんが10歳の時です。

元気な子でしたので活発に動き回る無邪気なことしか思い出せないです。

そんな子がこんなに早く亡くなるなんてという想いしかありませんでした。

残念で残念でなりませんでした。

手術をしなかったらよかったのではないのかとか手術後、いっときも離れず一緒にいれば急変に気づけたのではないかとか後から思い返すと後悔に近い部分があります。

ラブちゃんがうちにきてくれたことに感謝していますし可愛がっていましたから私たちも幸せでしたがラブちゃんも幸せだったと思います。

3匹のなかで一番先に亡くなった犬だったのですまなかったという気持ちが3匹のなかで一番強いです。

せめて母親犬よりは長生きしてほしかった。

運命なので仕方ないですが。

私の習慣なのですが毎朝、お経をとなえておりますがその際、これまで亡くなっていったペットたちが安らかにとお祈りしております。

ペットたち以外についてもお祈りしていますが。

それが私にできる唯一のことかと思っていますので。

本当に安らかにいてほしいです。

同じような方は数多くいらっしゃると思いますが私と同じように安らかにとお祈りすることをおすすめしたいです。

それが誰でもできる供養だと思いますので。

29歳男性 ハムスターを近所の神社で供養 気分は落ち着きました

こんにちは。

当方は29歳の男性であり、現在は自営業を営む者です。

 このハムスターに出会ったのは、休日にホームセンターへ出かけた時でした。

 ハムスターを販売しているコーナーにて、何故かこのハムスターと目が合い、運命的なものを感じて購入したのです。

 家に帰り「ブーちゃん」と名付けました。

(笑)あまりにも可愛かったので。

 ブーちゃんは、結構元気の良いハムスターであり、気性が荒い性格でした。

ところが、僕が毎日遊んでやったら心を開いてくれて、優しい性格になりました。

 ご飯の時は走ってくる癖、ふてくされると角にいく癖、ご機嫌だと必ず僕の手の上で寝る癖、今でも鮮明に覚えております。

 そんなこんなで4年の歳月が過ぎた時に、ブーちゃんは旅立ってしまいました・・・とても悲しかったですね。

もう家族の一員のようなものでしたから。

 お恥ずかしい話ですが、立ち直れないほどにショックでした。

「でも、このままではいけない!ブーちゃんがかえって悲しんでしまう!せめて供養しよう」という事になりました。

 そこで近所にある神社では、ペット供養もしているとのことでしたので、こちらの神社にお願いをしました。

 そして、神社にてペット供養をして頂き、儀式が終わって家に帰りました。

この時の心情としては、「やっとこれでブーちゃんが天国に行って安らかに眠れる」と思いました。

 ですが反面、供養した事によって「本当にブーちゃんは死んでしまったんだな」と思ってしまったことも事実です。

  後悔している事は、仕事が忙しくてブーちゃんに構ってやれない時や、遊んでやることができないことが多かったです。

 ですので、もっと構ってやって遊んでやれば良かったと非常に後悔をしております。

 最後になりますが、アドバイスとしては本当に大切なペットならば仕事が忙しくても、一日1回でいいです!1分でいいです! そのペットに「触れてあげて」ください。

これによって、愛情を伝える事ができるし、そのペットがもっともっと愛おしくなるでしょう。

 だから大切にして飼おうと思う心が、とても大切だと思います。

 そして、ペットが旅立ってしまったら、お時間のある時でいいと思うので、お寺や神社にてペット供養をしてあげて下さい。

 そのペットを忘れないために・・・ペットが安心して天国へ行けるように。

36才 男 猫 みんなのペット葬儀 対応も良く満足です

私は東海地域に住んでいます。

猫を飼っていました。

名前はマリです。

亡くなったおじいちゃんが命名してくれました。

私とマリの出会いは14才の時で、兄が友達の家で生まれた子猫をもらってきたのがきっかけでした。

親の承諾もなしでもらってきた為、母は最初はちゃんと面倒見れるのかとブツブツ言っていましたが、優しい母だったので結局は飼えることとなりました。

アメリカンショートの混じったミックス猫で全体がグレーの綺麗な毛並みの猫でした。

かなり懐っこい性格の猫でしたが、一番懐いていたのが母でその次が私でした。

冬場になるといつも母か私の布団で寝ていたマリちゃんは本当に私にとって癒しの存在でした。

大人になって20~25才まで離れて暮らしていましたが、母がメールでマリの写真をよく送ってきてくれました。

母は写真を撮るのがあまり上手くなかったので微妙な表情の姿も多いですが、今となっては、いい思い出の写真です。

26才で両親と共に引越しをして、私とマリを入れて4人で暮らすことになりました。

マリは当時12才でとても良い子でしたので、新居の壁やソファなどを爪でいたずらする事がなく、ちゃんとホームセンターで買ってきた爪研ぎを使ってくれていました。

新居は車通りも多い所でしたが、危ないところを分かっているのか、ほとんど遠くへは行かず近場で遊んでいました。

私が30才を過ぎた時マリの年齢は16才、猫の年齢としてはだいぶ高齢になってきた頃、若い頃に比べると毛並みがだいぶ悪くなり歳をとったんだなと感じました。

相変わらず夜になると母か私の部屋にきて布団に入って寝るのが好きなマリでしたが、私が34才の時に母が持病で入退院を何度か繰り返し、35才の6月頃に入院した時にはお医者様から当分はもう家には帰れないとのことを告げられました。

マリも母が居ない家はどこか寂しそうに見えました。

そこからはほぼ毎日私のベッドで一緒に寝るようになりました。

母にお見舞いに行くと『マリは元気?』と聞かれ『食欲もあるし元気だよ』と答えると『マリちゃんはほんと長生きするねぇ。

いつまで生きるのかねぇ』と言い、2人で笑っていた事がありました。

母はその年の12月天国へと旅立ちました。

その後マリの容体が急に悪くなり、目があまり見えないのかフラフラと歩き、壁に頭をぶつけたり、高いところには登れなくなりました。

ほんの1ヶ月でみるみる悪くなり、年が明けて1月末母の後を追うようにマリは天国へと旅立ちました。

享年21歳でした。

猫としては長生きしたと思います。

絶対にしっかりとした供養をしてあげたかったのでネットで調べた所、2万円かからずに葬儀をする事ができました。

プランによっては1万円くらいでもできるそうで、そんなに高い金額ではないと思います。

ペットといえども家族ですので皆さんもペット火葬、葬儀は利用してほしいと私は思っています。

28才女性自宅の庭に埋葬 後悔はなし

私は関西在住の28歳の主婦です。

私は3人兄妹の末っ子で小さなころはいつも兄たちの下っ端扱いを受けていましたので「末っ子はとてもイヤだ。

私にも弟か妹が欲しい」と親に泣きついていたのを覚えています。

そんな折に出会ったのがミニウサギのランでした。

ペットショップの店先にあるゲージの中には何匹もの仔ウサギが入れられていたのですがそのうちの一匹と見つめあったまま離れられなくなったのです。

最終的に親も折れ、うちに小さな仔ウサギが迎えられました。

実家の庭の周囲を囲い、ランのために開放され、父はホームセンターで木材を買ってきてウサギ小屋を作ってくれました。

犬や猫に比べて短命なウサギですが、ランは8歳まで生きました。

ウサギにしては長生きです。

最後の1年はもともと茶色がかっていた毛もすっかり白くなり体つきもほっそりとしていました。

週に一度動物病院で栄養剤とホルモン剤を注射して、細くなった食を取り戻し数日経つとまた食が細くなる…そんなことを繰り返しはいたけれど私や母が声をかけるとゆっくりではありますが近寄ってきて頭を撫でるよう催促してきました。

本当に賢くてかわいいウサギだったのです。

高齢になったランは庭のウサギ小屋を離れ、玄関先に置かれたウサギケージに住んでいました。

うちを訪れる人は皆、ランに挨拶していったものです。

ランはそのケージのすみで静かに眠るように亡くなりました。

雨の日の朝でした。

呼びかけても反応がないので撫でてみるとほんのり温かく、逝って間もないのだと察しがつきました。

ランは実家の庭の片隅に埋葬しました。

まだ元気だったころ自由に駆け回った庭に。

ランが大好きだったブロッコリーやイチゴやバナナ、公園で摘んできたシロツメクサの花なども一緒に埋めました。

本当はちゃんとしたペット火葬をお願いしたほうがよかったんでしょうけれど当時は犬や猫の火葬はあれどウサギに対応しているところが無かったし、家族のそばに居て欲しかったので家族みんなで話し合って庭に埋めました。

ランがこの世を去ってだいぶ経ちますが今でも実家に帰って庭を見ると思い出します。

ランが家庭菜園のキュウリを食べちゃったことや抜け穴を掘って庭から脱走して兄と周辺を探し回ったこと。

ランを庭に埋葬したことに後悔はありませんが、もし今同じ選択をするかと言われたら正直わかりません。

ちゃんと火葬してお骨にして仏壇などに納めるかもしれません。

でもあの時ランを庭に埋めたのは当時私たち家族にできる精一杯の家族葬でした。

41歳男 近くの業者で供養してもらって、気持ちがすっきりしました

私は、41歳の会社員です。

システムエンジニアの仕事をしています。

あれは、5年程前まで買っていた猫の話です。

ヒマラヤンという品種の猫でとても可愛がっていました。

顔に模様があり、タヌキのような顔をしていて、とても愛嬌がありました。

猫は、とってもなついていて、家族の一員のような状態でした。

そんな猫が、5年前になるくらいに、急に衰えていきました。

みるみるうちに、食べ物も食べなくなり、やせ細っていきました。

そうなってから、1週間くらいした朝、猫は亡くなりました。

本当に悲しかったです。

家族がいなくなったような感じでした。

それから、しばらく家族の人も、猫を抱きかかえたままどうしようもできない状態でいました。

今では、猫と一緒に撮った写真がリビングに飾られています。

本当に、良い思い出を作ってもらったなと思っています。

そして、猫をどうしようかという話になりました。

焼いてもらって、庭に植えようということになりました。

そして焼いてもらう前に、供養してもらおうということになりました。

供養は、業者に頼んで、供養をしてもらうことになりました。

自分は、いかなかったのですが、家族の人が猫を連れていきました。

業者の人とお坊さんがしっかりと、供養をしてくれたようです。

その話を聞いて、少しは、気が楽になりました。

やはり、猫という動物ではなく、家族として扱いたいと思ったので、本当に供養することができて良かったと思っています。

そして、供養したおかげで、しっかりと猫もあの世にいけたのではないかと思います。

今、思い出すと、死ぬ直前にバターを上げて、ペロペロと舐めたのを覚えています。

最後の食事になったそのときのことを良く覚えています。

死ぬ直前に、好きなものを食べることができて良かったなと思います。

猫の供養に関しては、調べてみると色々と業者やお寺が出てきました。

自分の場合には、家の近くのところを選びました。

後悔していることは、特にありません。

大切なペットがいるとしたら、亡くなったときには、是非、供養してあげるといいと思います。

40歳女性、焼却場にあるペット火葬場で供養、悲しかった

この春、愛犬を亡くして1年になりました。

1年が過ぎてもいまだに彼の姿を目で追ってしまいます。

そこにはいないとわかっているのに、空っぽの犬小屋や使われなくなったリードを眺めたり、似たような犬のぬいぐるみを探してしまいます。

 愛犬は超大型犬に属するちょっと珍しい犬種でした。

彼がわが家にやってきたのは10年前。

当時、家族にトラブルがあり、家の中の空気はどんよりしていました。

そんなある日、母がペットを飼いたいと。

賛同した家族みんなで犬を飼うことを決め、近所のペットショップに行きました。

犬や猫、鳥、爬虫類。

お店にはさまざまな動物がいましたが、母はじっと大きな柵の中を見つめて、その場で立ち止まっていました。

その柵の中には牛のような配色の犬が4匹、たわむれていました。

子犬なのに小型犬の成犬ぐらいはありました。

大きい体をどすどす音を立てて遊んでいるその犬たちに、母は魅了されてしまったようです。

大型犬を飼うのは夢でした。

正直、体力的にも金銭的にも難しいだろうと考えていたので、まさか実際に飼うことになるとは思いませんでした。

 無邪気に遊んでいたきょうだい犬の中に一匹だけいたオスを、わが家に迎え入れることになりました。

当日、段ボールに入れられた彼は、大きすぎて頭が飛び出していて、来て早々、家族の笑いを誘いました。

それから彼との日々が始まりました。

大型犬はおだやかで優しい犬種が多いと聞きましたが、本当にそうでした。

おおらかでおとなしく、賢い子でした。

無駄吠えをしたり、暴れたりしたことは一度もありませんでした。

わが家は田舎なので珍しい犬種の彼は目立つようで、大きい犬なので人がいない田んぼのあぜ道を散歩しているのに、近くを通りかかった犬好きの見知らぬ人が、わざわざ車を停車させてまで話しかけにきたりすることがよくありました。

そんな様子を、家族みんなで笑いながら話したりしていました。

彼が来て、家の中が明るくなりました。

なかでも母は、彼を溺愛しました。

彼も母を自分のお母さんだとでも言うように振る舞っていました。

 大型犬は寿命が短いと聞いていました。

本当にそうでした。

どれだけ手をかけても、命には限りがあるのだと、家族として彼を迎えて10年になる頃から、急激に弱り始めた彼を見て、実感させられました。

動物病院の先生は愛犬家で、彼をとてもかわいがってくれましたが、診察台で先生にすり寄る彼の大きな身体をなでながら、しっかり覚悟をしておきなさいと言いました。

暑さに弱い犬種だったため、年々高くなる夏の気温を心配してさまざまなアドバイスをくれた先生でも、もう彼を治せないんだな…と思うと絶望感が押し寄せてきました。

 ある日に明け方、キャンキャンと高い声が聞こえたので、彼のもとに行ってみると、彼は息を引き取っていました。

大型犬らしく低く渋い声でいつもは鳴くのに、小型犬のような高い声でした。

覚悟は決めていたけれど、家族全員、大泣きしました。

今でも彼の話をするときは、涙がこぼれてしまいます。

 彼の亡骸をどうするか話し合い、自治体で運営されている廃棄物処理場の一角にあるペット火葬場に亡骸を運びました。

平日の早朝にも関わらず、私たち家族のあとに、小さな箱を持った夫婦が並んでいました。

火葬担当の職員は、彼の亡骸を見て不安そうな表情を浮かべ、大丈夫かな…と言いました。

焼却機へと誘導され、自分たちでやってくださいと言われ、彼の亡骸を穴のような焼却スペースに入れるとき、大きな彼の身体はスペースギリギリで、あちこちに背中や手足がぶつかり、なかば押し込むような形になってしまい、それが余計、家族を悲しませました。

手を合わせると、やっぱり涙があふれて止まりませんでした。

 数日後、彼を溺愛していた母は、ぽつんと言いました。

彼の最期を看取れたこと、介護させてもらえたことは、幸せなのだと。

その時はピンと来なかったけれど、彼と別れて1年が過ぎた今は、母の言う通りだと思います。

世の中には事故や事件といった思わぬ形や望まない不幸な別れがあります。

もしも、わが家のようにペットを病気で亡くしてしまって、深い悲しみに暮れている人がいるのなら、彼らと最期までともにできたことを、幸せに思える日がきっと訪れることを、心の片隅にとどめておいてほしいと思います。

52歳 女性 一人暮らしで初めて飼った豆柴 個別火葬で

自営業の女性。

52歳です。

今現在は犬4匹、猫1匹、うさぎ1羽と暮らしてます。

もともと父親が犬好きで、子供の頃かほぼとぎれず犬が家にいる生活でした。

時代も昭和から平成、そして平成の終わりへと向かう頃の話です。

昔は動物は死期が近づくと、家族の元を去ってひっそり息をひきとると言われ、家から出て行ったまま帰らず・・という犬もいて最期を見てあげられなかった後悔からもう飼うまい・・と思っていても、知り合いに犬が生まれ、貰い手が・・となったら、新しい仔犬が来ていました。

犬が生涯を過ごして亡くなった時、まだペット霊園などなかった頃は遺体を泣く泣く保健所に引き取ってもらい「他のワンコ達と一緒にお空で遊ぶんだよ」と祈って終わっていましたが、近年は、業者による火葬場が増えてきているものの、明らかに我が家のペットではない骨が返ってきた等の問題も多いと報道され、なぜそんな事が起こるの?と不思議でした。

 私も大人になり、一人暮らしで初めて飼った豆柴とはいつも一緒に行動し、本当に家族のようでしたが、その仔は癌に侵され10 歳で亡くなり、その時に「この子の骨を傍に置いておきたい」と心から思い、個別に火葬してくれる業者をネットで探し、親切な謳い文句の業者に「ここだ!」と思って頼んだら、死骸以外はあとの掃除が大変だから置くなと言われ、お骨拾いをしている間に思い出話をしても、全く聞いてくれない。

「え?」と感じ、次の仔からは、お寺が経営する室内で個別に火葬してくれる所でお願いした時にその時の事を話すと、動物を取り扱う業者は必ずしもいい人達ばかりでない。

儲ける事が目的の人もいるのです。

と教えられました。

今現在飼っているペット達は保護した仔たちです。

もし、ペットロスに陥っておられるなら、新しい仔を迎えるというのも一つの選択肢です。

日本には幸せになりたい仔はたくさんいます。

自身でまた新たに飼うという事が難しい場合は、保護犬または猫の一時預かりとか、動物愛護団体を応援する等動物達と関わる方法はたくさんあります。

その仔達の生身の体が亡くなったペットの代わりに癒してくれるでしょう。

そして、お空にいるペットも飼い主さんが悲しみから救われる事を望んでるに違いありません。

18歳男愛犬を家で供養してもらい気持ちが少し晴れた

初めましてhondamamoと申します。

 私がまだ10歳のころ、飼っていた犬の話です。

飼っていた犬は、ミニチュアダックスフンドで名前はピケという名前でした。

私はそのころ小学生で少年野球チームに所属しており、その日も練習で疲れた帰りでした。

家に帰ると私の祖母が泣いていたので話を聞くと「ピケちゃんが死んじゃった」と祖母は言いました。

私は驚いてピケの側に行くとぐったりと倒れていてもう息をしていませんでした。

2週間ほど前に散歩のときもほとんど歩かなく抱っこして帰っていたので動物病院に連れて行ったのですが、先生に「年だから散歩はあまりしなくていい」といわれたため、家の中でずっと寝ている状態でした。

いつかこんな日が来ることは薄々わかってはいたのですが、実際に来てみると涙が止まりませんでした。

 私の父はお経を日頃から上げていたため自宅で供養することになりました。

生きているものには全て寿命がある、これは自然の摂理だから仕方のないことだと思ってはいたけれど悲しくてたまりませんでした。

昨日まで普通にいたピケにはもう二度と会えないのは悲しかったですが、人間が生きていく中で毎日肉や魚、野菜や果物などいろんな命をもらって生きていること、そして、それらに対する感謝の気持ちが高くなったと思います。

人生において身近なものの死は避けては通れないことなので、ピケにはとても感謝しています。

もっと一緒に散歩したり遊んでおけばよかったという後悔は少しありますがピケの死が教えてくれたことを忘れず日々感謝して生きていこうと思いました。

 また、ピケの遺体は自宅の庭に埋め自然に返しました。

そしてそこに花を植えました。

ひまわりの花です。

毎年多くの種をつけてまるで今もピケがすぐそこにいるように思えます。

見ている人がいるのなら1日1日を大切に過ごしその当たり前の日常に感謝していくことをわすれずに、たくさんの思い出を作ってください。

47歳女性飼っていた猫に対して焼き場で供養落ち着きました

母親は猫が大好きな人でしたが子供の頃たくさん飼っていた猫が次々亡くなって悲しい思いをしたということから私が動物を飼ってほしいといっても飼ってくれませんでした。

その後母の知り合いから迷い猫がいるということでヒマラヤンを飼うことになりました。

すでに大人のヒマラヤンでしたがとても大人しく、きれいな猫でした。

うちに来た時長い間迷っていたようで顎の下を怪我していました。

顎の治療をしながら飼うことになりましたがすでに年を取っていたようでした。

半年くらい我が家にいましたがいる間は私がお風呂に入れたり、一緒に寝たりしていました。

大人になって我が家に来たにもかかわらずお風呂に入れることができたのはとても性格がよかったからのような気がします。

結果的に顎の下の怪我から感染症になり入院、通院を繰り返すようになりました。

薬や注射をしても声を出さずにじっと我慢しているような子でした。

入院していた時はお見舞いに行くとふらふらしながら手前まで来てくれました。

あまりよくならないので病院で最後になるのは可愛そうなのて我が家につれて帰りました。

私が学校に行っている間になくなったようで死に目には会えませんでしたが学校から帰宅しても亡骸はまだやわらかく夕方焼き場に連れていく時も体が柔らかかったのです。

普通は死後硬直が始まるのに性根の良い猫はそうならないと信心深い祖母が言っていました。

このような猫は絶対にすぐに生き返りまたあなたと会えることができるんだよという祖母の言葉を繰り返し言ってくれました。

また迷いネコだったのに最後は畳の上で眠ることができたこともよかったね。

とも言ってくれました。

焼き場では普通はお骨は分骨しないということでしたが直接焼き場に足を運んだので分骨してもらい家で供養することができました。

祖母の言葉によって深いペットロスにならずに済んだのかもしれません。

実際一緒に生活していたらお互いこのような言葉をかけあうことは難しいかもしれません。

ペットの死を後悔しそうになったら一緒に生活していない身近な人からのこのような言葉があればその言葉を思い出しペットロスにならずにすむような気がします。

38歳男性 愛犬の供養を寺で行う経験をし、時代を感じる

僕は、この記事作成時点で38歳の無職の独身男性になります。

38歳で無職ですが、過去にはいろいろな仕事を経験してきて今は求職中です。

 そんな社会からなかなか良い待遇を受けられていない私ですが、昔家族で犬を飼っていました。

もうかれこれ10年も前に、我が家の愛犬は16歳と数か月でこの世を去りました。

その我が家の愛犬との出会いはさらにさかのぼること約16年前、1993年頃という20世紀の時代でした。

私は中学生に上がる頃の年齢で、その当時の親の知り合いの人の飼い犬が子犬を産んだ為、そのうちの1匹をもらうという話から我が家の愛犬を飼うことになりました。

 犬種はビーグルです。

スヌーピーのモデルになった犬で、耳がたれ耳で大変活発な子でした。

飼い初め最初の頃は、庭での外飼いを親は考えていたようですが、この犬はなかなかのヤンチャで、外に出すと家の中に入れてくれアピールがすごく、窓をガリガリひっかいたりワンワン吠えたりと抵抗し、結局根負けした親が室内で飼うことに変更しました。

晴れて室内犬となった彼女と、よく犬用のおもちゃを取り合うなどしてドタバタと走り回っていたこともあります。

とても癒し効果のある愛犬でしたが、散歩に毎日連れて行ってやらないといけなかったりと世話をするのはやはり大変な面もありました。

 その後、僕も大学進学と同時に実家を離れ一人暮らしを始める時期があったため、その期間は彼女とも会う機会が減りました。

社会から打ちのめされて実家住まいを再開した時には、彼女も昔の頃と比べだいぶ年を取っていましたが、まだまだ元気でした。

実家住まい再開3年後に彼女は息を引き取ります。

最後は、歩けない状態で見ているのもつらい部分はあったのですが、あまりその苦しむ時間は長く続くことなく亡くなりました。

 もうかなり前の話になるのですが、もう少しちゃんとした何かをしてやれたのかもしれないと思うことは今でもあります。

ただ、犬の年齢として16歳は長生きの部類に入ると思うので、よく長い間生きていてくれたと感謝もあります。

近くにペットを専門に供養する寺がありましたので、そこで火葬してもらいお経みたいなものもあげてもらいました。

この辺については、あくまで形式的なものだったと個人的には思います。

犬が人間社会との結びつきが強くなってきた為のペット供養方法なのだと思います。

 飼っているペットが亡くなってから手厚いことをしてやるのではなく、生きている間に楽しい時間を過ごさせてやることが、ペットに対しても一番大事なことだと思います。

生命があるものはいずれ必ず死を迎えます。

ペットを飼っている方は、ペットが生きている間にペットと楽しむ時間を多く過ごすことが、ペットにとっても嬉しいことなんじゃないかなと思います。

44歳、男 愛犬を近所の寺で供養 今は良い思い出です

もう10年以上前の話になります。

のちに愛犬となるペットとの出会いは仕事の得意先でのことでした。

得意先の方が僕の事を大変気に入ってくださってプライベートな話もよく話をしました。

そのお客様が犬のブリーダーをサイドビジネスでやっていた方でまだ小さな子犬も数匹だけ残っている状態だと聞かされました。

またブリーダーの世界が流行に非常に左右されやすい業種でその方が扱っていた犬種も人気がなくなって売れなくなってきている犬種でした。

高齢になった事と今後は犬の世話も厳しくなってくるという事でもう引退するという話でした。

その時、奥の部屋のドアから顔をのぞかせていたのが後に僕の相棒になる犬でした。

またタイミングよくそのお客様が「この子犬、飼ってくれない?」と言ってきたのでした。

今思えば、運命だったのかなと思います。

それからは僕の家に新しい家族が増えました。

我が家に来てからは本当に色々なところへ一緒に行きました。

近所の散歩に始まり、海へ行ったり、川へ遊びに行ったり。

本当に楽しかった。

出先で嬉しそうに飛び回っている相棒を見ると僕もすごく幸せな気持ちになりました。

ただ、僕はまだ若かったんだと思います。

本当に自分から近いものの『死』という場面に立ち会ったこともなくそんなことも考えたこともなかった。

僕の家へ来てあっという間に10何年が過ぎて相棒はすっかり老犬になっていたのはわかっていました。

たびたび体調が悪いかな?と思う場面も増えていって。

病院に行く回数も増えて行って。

あの日もそんな感じでした。

与えた食事にもあまり口にせずに「また体調が良くないね。

仕事から帰ってきたら病院へ連れて行ってあげるからね。

」と告げて僕はいつものように出ていきました。

仕事先での昼休みの休憩中に近所のペットショップによって「少しいつもと変わったペットフードにしたら少しは食べてくれるかな?」なんて考えてペットフードを買ったのを覚えています。

夕方になる前に妻から電話がかかってきました。

すぐに出ることが出来なくてかけなおすと泣きながら「クッキー(愛犬の名前)、死んじゃった・・」と言われました。

なんかすごくショックで家に帰るまでの記憶はありません。

家に帰ってから体温の無くなった相棒を見たときはずっと涙が止まりませんでした。

ほんとにずっと涙が出ていました。

次の日の朝まで僕の腕で抱っこして今までのように頭をずっと撫でながら話しかけていました。

泣きながら電話帳のページをめくってペット葬儀のページの紙が涙でぐちゃぐちゃになってました。

次の日の夜に火葬と葬儀を近所のペット専門のお寺で行いました。

そこは火葬もしていて所有している火葬場が山中にあり抱っこして向かいました。

最後の別れの言葉は何を話したかはあまり覚えていません。

でも焼かれていった相棒に空に向かって「今までありがとう。

最高だったよ。

」って言って見上げた夜空の星がいつも以上に輝いて見えたのは憶えています。

でもあれからもう3年、今は少しは打たれ強くなりました。

後悔なんかこれっぽっちもありません。

後悔してメソメソしてても亡くなった相棒が悲しむだけでしょうし。

今はちゃんとお寺には2,3か月に一度くらいは会いに行ってます。

そのたびに住職の方にお経を唱えてもらって。

骨壺に入れてあって保管して頂いているんですが行くたびにあの時と同じように撫でてあげて話しかけて。

この時だけは少しだけ泣かせてくださいね。

クッキー、おまえはずっと俺んちの家族だからな。

最後の供養で心と心が繋がった、忘れられない日

もうすぐ50歳を迎える主婦です。

一生、忘れられない出来事があります。

愛犬サリーを亡くして、動物の葬儀屋で葬式後お骨を預けて10年間、私達家族は 供養を欠かしませんでした。

サリーの命日になると、管理の方に必ずお経をあげてもらい、その後 愛犬と過ごした15年間の思い出話に花を咲かせていました。

笑いあり涙ありで、家族一人一人がそれぞれの思いを打ち明けて【偲ぶ会】はいつも温かな雰囲気でした。

この愛犬サリーと縁がなければ、私達は感動することも生活に潤いなど無かったのかもしれません。

そのぐらい、愛情を持って接していたと記憶しています。

供養を続けて10年目、管理者の方から「そろそろ愛犬サリーちゃんを土に帰してあげようと思うのですが、どうでしょう?」と話があり、私達は1日時間をもらい、話し合いました。

人間も動物もいつかは自然に帰し、輪廻転生で新しい命が誕生するというお話を昔、お坊さんの説法で聴いたことを思い出しました。

この話で家族も納得し、いよいよ骨を土に埋めることを決心しました。

当日、私達家族は愛犬サリーが土へ帰される場所へ車で向かいました。

管理者の方が、いつもと違うお経をあげました。

私達はお骨をそれぞれ持ち、泣きながらお経を聴いていました。

すると、不思議なことが起きたのです。

サリーの骨が温かくなり同時に手の平も熱を帯び始めました。

私だけだと思っていたら、家族も「私も、俺も」と言い出し、側にサリーの気配を感じたことは、今でも忘れていません。

むしろ、忘れられない記憶です。

思い返してみると、サリーの死後49日には、母の枕元に現れたとか、今回のような体験も不思議でなりません。

サリーは私達に『ありがとう』とお礼を言いに来てくれたのだと思いました。

そして、最後のお別れの日も『僕はここにいるよ』と言われているような気がしてなりませんでした。

大切に育て、思い出深かっただけに私達はこれからも、サリーとのご縁を一生忘れることはないでしょう。

また、来世 会いたいな。

51歳女性 動物霊園でお経をあげてもらったら気持ちが落ち着いた

私は以前、飼っていたペットが亡くなった時に、動物霊園にそのまま行きました。

すると、そこの管理人さんがお経をあげてくれました。

人間の供養と同じようなやり方でしたが、長年、家族と一緒に暮らしてきたペットだったので、私の中でも気持の整理をつけることができました。

これで無事に天国へ行ってくれるだろうと思いました。

ペット大国となった日本では、人間並みのお葬式を挙げる場合もあります。

私はそこまで大げさにはしたくはなかったのですが、やはり供養だけはきちんとやっておきたいと思いました。

そのあと、彼岸の時期になると、毎回、お墓参りに動物霊園で行きました。

その時は人間と同じようにお線香やろうそくを供えました。

他にも彼岸に亡くなったペットのお墓参りに来ている人達がいました。

生前、ペットが好きだった物をお供えしている人もいました。

ペットは人間ではないので、言葉が通じなくても、やはり家族と同じ存在だったのだということを改めて思いました。

私はしばらくペットロスになりましたが、ペットの供養を行うことで、気持ちが少しずつ落ち着いていったように思います。

そして、改めてペットを飼う時に心構えというか、最後まで面倒を看ることの大切さを知りました。

人間の場合は一般的に子供の方が親よりも長く生きるので、親が子供の面倒を最後まで看るということはあまりないと思います。

しかし、ペットの場合はほとんど先に逝ってしまうので、やはり飼い主が最後まで責任を持って世話をする覚悟が必要だと感じました。

とはいえ、ペットの一生は長く、その間にいろいろなことがあると思います。

どんな場合でもそのつど対処できるように、ある程度将来を見込んで行動していったほうが良いのかもしれません。

現在は一昔前よりも、ペットの高齢化が進んでいます。

その分、ペットは長生きするようになった分、亡くなった後の気持ちの整理の付け方も大切になっていくと思います。

やはり、きちんと供養をして、自分の気持ちの整理をしっかり行っていきたいものです。

36才女愛猫を近くの火葬場で供養、心はぽっかり穴が空いたよう

40代の専業主婦です。

長年飼っていた猫が亡くなったときのことです。

ずっと病弱でした。

年をとってからは、病弱なこともあったのでだんだんと調子も悪くなる一方でした。

病院で点滴などもしていましたが、私がたまたま家にいるときに亡くなりました。

最後看取ることが出来たのは良かったと思っています。

しかし、亡くなったことがすぐきは受け止められませんでした。

亡くなってから、近くの火葬場へ行きました。

動物などの火葬も行われているところがありました。

そこには、たくさんの動物のお墓もありました。

見ると御花や、線香もあげられていました。

とても綺麗なところだったので、少し安心しました。

病院嫌いなのにたくさん病院に連れて行っていました。

しょうがないとは、思っていましたが嫌いな病院に連れて行っていたことに後悔もありました。

病院に幾度に、シャーシャーふいて先生に威嚇していました。

しかし、最後の方は威嚇することもなくおとなしくなっていました。

威嚇もできないぐらいしんどかったんだと思います。

見ているのも辛かったです。

亡くなったときには、これからはゆっくり休んで欲しいと、話しました。

それでも、時々考えてしまいます。

もっと何かできたんじゃないか、やれることがあったのかもと。

何度も考えてしまいますが、何もおもいつきません。

亡くなってすぐの頃は、ぼーとすると言うか何か心に穴が空いたようなそんな感じでした。

習慣的に、ドアの明け閉めの確認をしたり、何処に居るのかとついつい探していました。

長年の習慣はすぐには変わらないものだなと思いました。

少しの間は、目で探していました。

そして、いなくなったんだなと改めて感じると言うのを繰り返していたように思います。

年数がたつに連れてそう言うことが減ってきましたが、思い出したり、考えたりすることはあります。

しかし、後悔と言うよりはこう言う楽しいことが合ったとか、こんなことしていたなどいい思い出になったように思います。

16歳の男の子 くう ペット葬儀場で火葬 思い出で幸せになれる

ダックスの男の子を飼っていましたが、昨年の8月に亡くしました。

名前はくうです。

くうと出会ったのは11年前。

親戚の叔母さんから、知り合いの人が飼えなくなり里親を探しているというので、飼うことにしました。

くうは、5歳でした。

くうは、ちょっとやんちゃで、良く食べる子だったので、家の中がとても賑やかになりました。

やんちゃなのですが、とても寂しがりやで、寝るときは私の布団にの中に潜り込んで朝まですやすや眠りました。

亡くなる2週間ほど前、いつものように朝のご飯をあげようと、くうに呼びかけたのに、くうが起きてきませんでした。

あれ?と思い、そばによると、白い泡のようなものを嘔吐した跡の横で上目使いになって私を見つめてきました。

その日の夕方、獣医さんに診てもらいに行きました。

すると、膵炎でした。

しばらく水も食べ物もあげてはいけませんと言われ、数日間はとても可哀そうでした。

一週間してもくうは良くならず、少しのご飯を口にしては嘔吐してしまい、どんどんやせてしまい、とうとう、食べ物も水も欲しがらなくなっていきました。

獣医さんに通いましたが、処方された薬も飲むことができませんでした。

もうだめかと思ったある日、突然くうが以前のように散歩に行きたいと玄関で催促していました。

私はくうを抱っこして外へつれて行ってやりました。

公園で下ろしてあげると、いつもの元気なくうのようにあちこち臭いをかいだり、楽しそうに歩いていました。

その時は本当に治って良かったと嬉しかったです。

しかし次の朝、くうは一つ遠吠えのような声をだして亡くなってしまいました。

涙が止まりませんでした。

その日の夜はくうと過ごし、次の朝くうの体を洗い、保冷剤と花束を段ボールに詰め、くうを中にそっと寝かしてやりました。

ペット専用の葬儀屋さんへ電話し、すぐに手配をしてもらいました。

きちんとお経やお線香の供養をしてもらい、その日の午後に火葬しました。

くうの毛を少し袋に入れて持ち帰り、後日お墓に埋めてやりました。

火葬される前のくうは眠っているようで、とてもさみしい気持ちになりました。

もう天国でいっぱい大好きなご飯食べて、たくさん遊んでねと言いました。

葬儀場では、他のワンちゃんやネコちゃんが埋葬されていました。

くうにもお友達がたくさんできるといいなと思いました。

くうは、膵炎になるまでとても元気でやんちゃでよく食べる子でした。

歳も16歳には見えませんでした。

幸せな一生を送ってくれたかどうか、くうに訊いてみたらよかったなと思います。

ペットはいつ亡くなてしまうかわかりません。

生きている間に、うんと可愛がって幸せにしてあげないと、亡くなってしまった時に後悔すると思います。

ペットロスになる人もいらっしゃいますが、今、くうの遺影の写真を見ると、良く食べてよく遊んで楽しかった思い出が私を幸せにしてくれます。

11年前私の家に来てくれてありがとう。

48歳男 火葬場で愛犬を供養していただき私の気持ちも落ち着きました

初めてまして、愛犬を亡くして今年で10年になることに驚いている物です。

歳を取るにつれて時が経つのが早く感じます。

亡くなった愛犬との出会いは衝撃的な物でした!出会いは、ペットショップへ新しい家族(9年家族だったマルチーズが亡くなり新しい家族を探しにいきました)を見つけに姉と二人で出かけました。

店に入るとやたらと愛想が良いヨークシャテリアがいたので二人で抱っこしあったりしているうちにもうヨーキーのトリコになりました! 体も小さくネズミのようにピョンピョン跳ねながら「僕をつれて行って!」と言っているみたいでした!僕らはすぐにヨーキーを家族にするべくお店で手続きをし、後日、家につれて帰りました。

僕と姉はもう嬉しくて嬉しくて「お手」や「おすわり」、トイレのしつけを毎日のようにしていました。

父も大変喜んでいたのですが母だけは最初の1ヶ月はヨーキーに馴染めませんでした。

マルチーズが亡くなって3ヶ月しか経っていませんでしたので、まだ母は心の切り替えが出来ないでいました。

しかし時間が経つにつれて母もようやくヨーキーを家族として迎えてくれました!このヨーキーとの思い出は数えられないくらいありました。

家にきてすぐに元気がなくなったので病院へ連れて行くとお腹に虫がいたのですぐに処置していただいたり、右後ろ足の靭帯が切れたのか足を手術したり、歯が前歯上下抜け落ちてしまったりと色々でした。

僕らが家に帰宅すると玄関で出迎えてくれたり、朝、僕らの部屋のドアを前足で「カリカリ」と叩いたりして起こしにきてくれました。

しかし、彼が家族になって16年目にお別れはやってきました。

高齢になり、足腰や目が衰えていたヨーキーが、2階の階段から滑り落ちてしまい全身を強打・・・。

病院で処置をしてもらいそれから毎日ほとんど寝たきりに。

階段から落ちた原因は、2階の階段から落ちないように何も処置をしていなかったのが原因でした・・・。

それから数週間後にヨーキーは亡くなりました。

最後は、彼を木箱に寝かせ、沢山のお花を体の周りに埋め尽くし綺麗にさせていただきました。

葬儀は、市の火葬場で合同葬儀をさせていただきました。

今も時々、お線香やお花をあげに行っています。

ペットの葬儀は、やはり家族ですので行った方が良いかと思います。

37歳男 猫 大阪のペット葬儀業者 ある意味悲しみから脱した

現在、37歳の京都市在住の男です。

3年前の夏に愛猫「ダニエル」が旅立ちました。

ダニエルとの出会いは、それより12年前、同棲中の彼女(後の奥さん)の職場の某老人ホームにて、他の職員さんが餌付けをしてしまい、頻繁に現れるようになった猫に困った、施設の責任者が保健所に連絡をしようとしていたところを、保護したのが始まりでした。

後に2回一緒に引っ越しをし、私たちは結婚し、二人の娘が生まれました。

不思議だったのが、私や、奥さんは何もしていなくても、よく噛まれるのですが、ふたりの娘には、一度も噛みつかなかったことです。

赤ちゃんだった娘に尻尾をギュっと握られて、耐えている姿をよく見ました。

そんな後、決まって私か、奥さんを噛みにきていました。

ダニエルなりに娘の事を妹の様に思ってくれていたのでしょうか?よく娘が泣いていたら傍にきてジッとしていました。

また、人懐っこい猫で、来客があるたび、客の膝に乗ろうとしておりました。

猫好きの友人には非常に人気がありました。

困った事といえば、よく吐く猫でした。

餌は、市販のカリカリ、缶詰、猫のおやつ等をあげていたのですが、どれを食べても、あまりによく吐くので、病院にも連れて行ったのですが、特に問題はみつかりませんでした。

今では、この時にもっとちゃんと調べてもらっておいたら、と悔やまれます。

普段はとても元気で、かつお節の袋を開けた時などは、飛びついてきたので、特に心配はしていませんでした。

ダニエルの最後は重度の糖尿病で、もう手の施しようがないとの事でした。

昨夜まで元気にしていたダニエルが、ある朝急にゼーゼーと苦しそうにしてほとんど動かなくなったのです。

病院に連れていくと、上記の様な事を言われ、家族で覚悟を決めました。

2階の寝室に上がることができないので、1階で皆で寝たり、トイレも行く事が出来ないだろうと、娘二人がトイレシートを引き詰めた箱を作ってくれました。

3日後 ダニエルは旅立ちました。

娘達が作ってくれた箱はそのまま棺となりました。

スマホで検索し、ペット葬儀の業者を見つけ、娘達が小学校に行っている間に業者に引き取りに来てもらいましたが、業者が45分程、遅刻してきました。

仕事も自分の中での感情が悲しみと、怒りで爆発しそうになりました。

こんななら、自分でペット供養のお寺に行くべきだったと、強く思いました。

3年たった今でも、ふと娘のヌイグルミやクッションを蹴ってしまった時に「ダニエルごめん!」と言ってしまいます。

22歳の時に買ってた犬をご先祖さんと同じ敷地の慰霊碑に

47歳女性子供のころにおばあちゃんおうちに柴犬が来た!可愛いから欲しいというとおばあちゃんは犬をくれました!毎朝早くからクンクン泣くので私が朝早くから外へ連れ出し遊んでいました。

15年の月日がたち老犬になってしまった、目も見えず、耳も聞こえずの状態!いつも脱走をしまった、近所を走っているのを見かけると保護していました。

段々歩けなくなってき、ご飯も食べなくなってき、病院へ連れていくも車が嫌いなので車に乗らずなかなか大変でした。

老衰ですね!私は一生懸命ポカリスエットをがーぜにしみこませ飲ませていました。

可愛くて仕方がなかったので毎日お世話しましたが、ついにいきを引き取ってしまいました。

その時感じたことは私は絶対動物を飼わない!そこからがまた大変で、保健所に引き取りに来てもらうのか自分たちで火葬場へ持っていくのか?家族内で揉めましたが私が車運転できたので、箱に入れてお花をいっぱい飾っておばあちゃんと私の一歳に息子と一緒に火葬場まで!火葬場へ自分で運ぶほうが安いのと、おじいちゃんが眠っているお墓の敷地内にある動物の慰霊碑の中にお骨を入れてくれると言うのでお墓に来た時におじいちゃんのお参りが終わってからペットの慰霊碑に行き元気ですか?と声をかけるようになりました。

本当に大好きな犬が死んじゃった!その子は女の子なのに一度も出産経験がなかった!一度くらい女の子だから出産もさせてあげたかったなー!アドバイスとしては生き物だから必ず死んでしまう、その時にどこのお墓がいいか、できればおすすめは近くで手軽に行ける霊園がいいですよね!家はおじいちゃん、私のお母さん、おばあちゃんが眠ってるお墓なので何時でも行って上げれる。

やはり人間も年を取るので近場がいいなと考えています。

後は悲しいから動物は絶対買わない!それをうちの家では実行し、人のおうちの犬や猫をかわいがるようにしています。

しかし、今まさに買いたくなってきてる衝動がある、親子です。

41歳女 愛猫をペット霊園で供養してもらい、前向きになれた

41歳会社員です。

6~7年前の話ですが、長年家族のように暮らした猫を失いました。

猫との出会いはまだ学生の頃、帰宅時に、近くの路上で瀕死の状態の子猫を見つけたことでした。

犬か何かに襲われたのだと思われる咬み傷が首元にあり、必死で声を絞り出すように鳴いていました。

まだ手のひらにおさまるくらい小さな猫でした。

すぐに動物病院へ連れていき、なんとか一命はとりとめましたが、片目の眼球に傷があり、視力が戻るのかどうかはわからないとのことでした。

それでも猫は元気にすくすくと育ち、大人になるころには産まれたばかりの私の長女と同じくらいの大きさになっていました。

以降は大きな病気もせず、私の二人の子供のお兄ちゃんのように、家族同然に暮らしてきました。

出会いから16年経った頃、突然食欲がなくなり、じっと寝ていることが多くなりました。

心配していた矢先、普段は家からでないのですが、ドアをあけた瞬間とびだすように出て行き、縁の下に潜り込んで出てこなくなりました。

「猫は死期が近づくと姿を消す」と誰かに聞いたことがあり、とても不安な気持ちになりました。

大好きな鰹節やキャットフードで気を引き、4~5時間経ちようやく出てきてくれましたが、それからは日に日に弱々しく、食欲もなく、寝ているだけの状態になりました。

病院へ連れて行き、診察結果は老齢による腎不全をおこしており、もう長くはないとのことでした。

もう少し早く健診に連れてきてあげていたら、と後悔しました。

それから数日後、母の膝の上で静かに「ニャー」と一度鳴いたあと、息をひきとりました。

もう何日も鳴き声すらあげなかった最後の声に、出会った日の小さな姿がよみがえり、涙がとまりませんでした。

その日は長女の誕生日の翌日でした。

きっと、誕生日が悲しい思い出にならないように、そして長女を祝ってくれるために、がんばってくれたのだと思います。

翌日、近くで景色の綺麗なペット霊園を探し、供養してもらったあと火葬し、納骨しました。

いつでも会いに来られるように、個別の納骨も考えましたが、寂しがり屋の性格だったため合同納骨を選びました。

常にお参りする人の絶えない場所なので、そちらの方がよいと家族全員の意見で決めました。

家族を亡くすのと同じくらいの喪失感や悲しみですが、どのような形であっても、愛情があればきっと天国で見守ってくれるのだと感じます。

供養という形で愛情を伝えられたことで、そのような前向きな考えも持てたのだと思います。

50歳女性、家族みんなで見送ることができ、良かったです

私は相当な田舎に住んでいます。

この子は最初のペットとして家に来ました。

出会いは田舎ではよくありがちな話なんですが、友達の家で生まれ、引き取り先が見つからず家にやってきた子です。

コリーと何かの雑種だとは言われていたんですが、よくわかりません。

でも毛がモコモコしていてとても可愛い子でした。

人懐こく、ほんとに優しい子でした。

名前は単純ですが真っ黒だったので「くろ」と名付けました。

家に来たばかりの頃、散歩をしていたら熊の子が歩いていると噂になったくらい真っ黒でしたね。

優しいと言えばこんな話がありました。

ある日、家に迷い込んで来た猫の子を母親代わりに大事に育てていましたね。

実は「くろ」はオスだったんですが母親みたいでしたよ。

よっぽどその子が可愛かったのか、私たちにも触らせてくれませんでした(笑)。

外で飼っていたためあまり目も行き届かず、それが今でも後悔していることです。

寂しい思いもさせてしまいました。

だからその子猫が家族みたいだったのかもしれません。

最後も私たちが仕事に行っている間に天国に行ってしまいました。

あの時は突然逝ってしまったように思いましたが、今になって考えてみると、実は具合が悪かったのかもしれないです。

亡くなった後は、家が田舎にあるので畑の一角の人が歩かない所に埋めて、お墓を作りました。

母はお経が読める人だったので、家族でお葬式をあげました。

お花を飾って、おやつを一緒に入れてあげて、みんなで見送りました。

都会とは違う供養の仕方かもしれませんが、そばにお墓があり、気が付いた時にいつでもお墓参りができるので、それだけは良かったと思っています。

今でも、もっといろんなことが出来たんじゃなかったかとか、たくさんの後悔だらけです。

でもその子にしてあげられなかったことが、次に来た子を育てることの教訓になって「くろ」の供養にもなるんじゃないかと思います。

これからも可愛かった「くろ」のことを忘れることはないと思いますが、先に進むことも悪いことではないのかと思います。

当時40代、男、猫を火葬して貰いお寺で供養しました

都内在住持ち家でペルシャ猫を飼っていました。

私と妻と長女(社会人)それに当時は妻の母が一緒に生活をしていました。

私は62歳になります。

4人と猫が一匹で主役はペルシャ猫でした、(ベル)と言います。

特になついていたのは長女でお風呂に入ればドアの前で待ちます。

寝る時も部屋の前で朝まで寝ている事が多く、何処に行ってもくっ付いて離れませんでした。

妻はご飯を挙げたり下の世話をしたりしているので別格に見ていたのかも知れません。

次が私で、呼ぶと近づいて来る程度で妻の母が格付けで言うと最下位だったと思います。

妻と娘が大手スーパーに買い物に行った時にベルとで在った様で一度は返って来て可愛い猫がいた事を話していましたが目と目が合って、連れて行ってと訴えている様な話をしていたのですが、私が仕事から帰ると小さな段ボールの中から小さなお目目が外を見ていました。

一瞬で心を奪われてしまいました。

よちよち歩きで何とも可愛い事、家の中がとても明るくなった気がしました。

平成の最初の頃で13年程一緒にいたと思います。

もういる事が当たり前でベルも居場所が決まっていました。

朝の居場所、昼の居場所、夜の居場所必ずいる場所が在り見ているだけでも癒しになっていました。

歳を取り多少体調を壊す事が増えて来て、何回か病院に行った事も在ります。

最後の方は考えるだけでも可哀そうで見ているのが辛かったです。

けなげに娘の部屋の前で倒れ込んで寝るのですが、段々酷くなって行くのが分かりました。

病名は腎臓病で私が仕事に行くときに玄関まで来て横になってしまいました。

それが私の見た最後です。

仕事から帰るとソファの上にタオルを掛けて冷たくなっていたベルが居ました。

(大泣きしました)

火葬場で火葬しましたが、ちゃんと礼服を着てお骨を拾い骨壺に入れました。

49日まで家に祭壇を作りお供え物やお線香を挙げて供養していました。

離れるのが嫌で1年程家にいたと思います。

お寺の永代供養に入れてもらいお別れをしました.

30代女、葬儀場でペット供養をしてもらって気持ちに整理がつきました

はじめまして。

現在30代の女性です。

高校生の頃、いつも通るペットショップに、なかなかお家が決まらない犬のポメラニアンがいました。

生まれたての頃、兄弟げんかでしっぽの先を骨折して曲がっていたのと、あまり人懐っこい性格ではなかったのが原因だとお店の方から聞きました。

ちょうど両親と一緒にいたので、なぜか全員一致の即決でそのまま一緒にそのポメラニアンは私たちの家族になりました。

それからは一緒に散歩をしたり、ご飯を食べたり、みんなが家族として過ごして、あっという間に明るく元気な、そしてちょっと気が荒いところもある子(!)に成長しました。

成長とともに、お腹やわきの下に大きなこぶが出来たこともありますが、その時にはもう15歳。

手術をする体力もなく、また良性の腫瘍と診断を受け、見守ることしかできませんでした。

それでもご飯はたくさん食べて走り回る、可愛い可愛い子でした。

17歳を過ぎたころ、一気に目の白色が濃くなり、あまり目が見えなくなりました、机の脚に頭をぶつけながらもにおいを頼りにヨタヨタと近くまで来て「お腹なでて~」と甘えてきたのを思い出します。

そのころから、粒状のご飯を色んな所に置いて、ニオイをたどってご飯を食べる、ということを始めました。

目が見えにくくなっても、嗅覚はなるべく衰えないようにしてあげたい、という想いからのことでした。

ご飯の粒を見つけた時には喜んでいるように見え、家族でよく見守っていました。

そのころから、ペットシートにしていたトイレを失敗することがほとんどになり、その掃除が大変になってきました。

特に病気なわけでもないので「そのくらいはやらないと」と思われるかもしれませんが、自営業の我が家では、掃除の最中でも来客もあれば電話もなり・・・。

接客中に失敗したトイレを踏み荒らされることもしばしばで、大変な時期もありました。

気性が荒いところもあるため、なかなかおむつをしようとしても嫌がって噛みつかれる始末。

どうにかおむつのちょうどいいサイズや、漏れ出ないようにひもでフォローする方法も見つけ順調に暮らしていた時、突然眠るように亡くなってしまいました。

老衰だそうです。

あまりに突然で涙も出ず、だんだん冷たくなっていくあの子にみんなで寄り添っていました。

そして母がペット供養をしたいと、ネットで探して供養に行きました。

伺った供養所では、白いふかふかのお布団を用意してくれ、家にお骨と位牌を置いています。

骨になる前に、しっかりとありがとうの気持ちも伝えられましたし、供養する場所に行って見届けることで、亡くなってしまったということを受け止める良いきっかけになったと思います。

私は両親ほど一緒にいる時間は長くなかったですが、マッサージしたり、ブラッシングしたり、心からほっとする時間を過ごせましたし、後悔はありません。

特別なことや物がなくても、なでたり、一緒に遊んだり、そういう日常を、一緒に過ごす時を大切にすることが一番なんじゃないかと思います。

一緒にいてくれてありがとう。

一緒にいさせてくれてありがとう。

いっぱい、楽しかったね。

ありがとう。

ゆっくり休んでね。

35歳女 犬とのお別れは火葬場での集団火葬 みんなで一緒にお空へ!

私は生まれた時から犬の居る生活をずっとしてきました。

今回の子に限ってお話しすると、何もかもが初めての経験でした。

家族と同居ではなく、一人暮らしをしながら飼う事。

今までは昔から日本の家庭によく居る様な雑種の子ばかりでしたが、ペットショップで自分で購入した事。

血統書付きだった事。

小型犬でしたので、大きさも今までと比べて小さかったです。

子犬から飼い始めて、私しか家に居なかったので本当によく懐き、とにかく可愛かったのを覚えています。

生活や外出は犬中心となり、何をするのもどこへ行くのも一緒でした。

途中から、彼氏と同棲を始めて、新しい子も飼ったりして楽しく賑やかな生活も送る事ができました。

(その後彼とは別れてしまいまい、私が飼っていた子は私が、新しい子はその彼が引き取りましたが)最終的には実家に戻り、のんびりゆっくり家族と過ごしました。

ただ、その子がおばあちゃんになってから結婚、出産を経験した為、その子は私の暮らす家ではなく実家(車で5分程)で暮らして居ました。

約17年と長生きをしましたが、最後の最後まで私が中心になってお世話をすると言う事ができなかったのが、今でもとても心残りです。

ただ、実家がほど近かった為、しょっちゅう泊まりに行ったり、パート中は娘を預けたりしていましたので、ほぼ毎日顔は合わせていました。

残念ながら、私がパート中に最期を迎えた為、お見送りをする事ができませんでしたが、ハアハア言う彼女の為に、母がお水を綺麗な物に汲み直している一瞬の間に逝ってしまったそうですが、そこには娘が居て、いい子いい子してくれていたんだそうです。

なので、自分が付き添えなかった事はとても後悔していますが、娘がいてくれて本当に良かったと思っています。

今は、祭壇を作り、個別で火葬をして納骨して骨壺を家に取っておく方も多いようですが、田舎暮らしで昔はわんちゃんが亡くなってしまうと、山に行って土に埋めたりしていましたから、何となく全てを残しておくと言う事に抵抗があり、集団火葬を選びました。

賛否は有るかもしれませんが、お別れありきで、それを覚悟してペットは飼わなくてはいけません。

忘れなければ、どんな供養の仕方でもきっと伝わると思うし、もし新しい子を迎え入れた時も、骨とかもあまり無い方が良いだろうと考えました。

何より、みんなで一緒にお空に行けた方が、楽しいんじゃないかなと思いました。

元気な頃に抜けた歯と、亡くなった後に少しだけ切った毛と、その頃付けていた首輪は取ってありますが、特に祭壇を作る事もせず、棚の片隅にそっとしまってあります。

ペットの供養は、もちろん費用も関係ありますし、みなさんの納得する形でするのが一番良いと思います。

新しい子を迎え入れた今でも、火葬して頂いた火葬場を通る時に、いつも空に向かって名前を呼んでいます。

いつまでも、どの子がナンバーワンなどと、選べないくらいスペシャルな子達ばかりでした!その気持ちが大切なのかな~と思います。

39歳女性 愛猫とペット供養寺で永遠のお別れ 次の命を救いたい

はなちゃん。

忘れたくても忘れられない私の愛猫。

仕事で生き詰まって、毎日追い詰められていた29歳の頃。

このままいまの会社でいいのか、それともスキルアップのために転職したほうがいいのか。

毎日、悶々としていた私に運命の出会いがありました。

仕事が休みの土曜日、マンションでずーっと鳴き続ける猫の声が聞こえます。

その声は悲痛で聞いていて胸が苦しくなるくらい。

まるで「助けて~、誰か」と、言っているようでした。

鳴き声のする階までマンションの階段を下りていくと、猫がいました。

床に伏せっておびえたように鳴き続けています。

引っ越しに連れてもらえなかったようです。

私はその猫を自分の猫にすることにしました。

それがはなちゃんです。

はなちゃんはすぐに私に懐きました。

まるで赤ちゃんのように私に懐いたのです。

当時、独身だった私は完全に母親気分でした。

母になり、守るものができた私には強い気持ちが生まれ、転職をする勇気が湧きました。

結果、転職に成功。

はなちゃんが私の背中を押してくれたんだと思います。

はなちゃんとの愛にあふれた日々はとても幸せでした。

寝るときはいつも一緒。

私の腕に頭を置いていつも寄り添って寝ていました。

モフモフの毛が暖かく、気持ちよかった。

しかし、はなちゃんとの幸せな日々は長くは続きませんでした。

もともと腎臓が悪かったようです。

1週間に1度、点滴をしても失った腎機能は元にはもどることなく、少しずつ、少しずつ、はなちゃんは弱っていきました。

最期は病院のベッドでした。

深夜、病院に呼び出され、心臓マッサージをうけるはなちゃんをただただ、茫然と立ち尽くして祈るような思いで見ていました。

でも無常ながら、心電図は棒一直線になってしまいました。

予期はしていたものの、涙は止まりませんでした。

悲しみに暮れている私にとって、唯一の救いは、荼毘に付したお寺さんでのご住職のお言葉でした。

「愛されて幸せだったと思いますよ。

」そう言っていただき、救われた思いがいたしました。

飼い主さんは皆、「自分のところに来て、この子は本当に幸せだったのか?」と後悔の念を抱くと思います。

もっと、遊んであげられたんじゃないか。

もっとおいしいものをあげればよかったんじゃないか、、、、でも、精一杯の愛情を注ぐだけで十分なのではないでしょうか。

精一杯、愛したと思えれば、お亡くなりになった動物も幸せに旅立てるはずです。

そして、泣いている暇があったら、「ママ。

次の子を助けてあげて」と言っているのではないでしょうか。

私はすぐに保護猫譲渡会に行き、新しい猫を譲ってもらいました。

はなちゃんのことは忘れない。

だからこそ救う命がある。

私はそう思っています。

34歳女2月に犬を亡くし奈良の動物霊園に埋葬してもらいました

初めまして。

私は今年の2月14日に10年飼っていた犬を亡くしました。

その犬との出会いから最期のお別れになるまでの話をしたいと思います。

その犬は私が23歳の時に当時付き合っていた彼とPet博に行って購入した犬です。

私は昔からパグが好きで一度は飼ってみたいと思っていました。

もちろん犬を飼うというのはお金もかかるし犬を飼うつもりでPet博に行った訳ではないのですがとあるブースで生後3ヶ月半のパグが3万円で販売されていました。

店員さんに頼めば抱っこもさせてもらえるので私は抱っこをさせてもらいました。

パグは好きでしたが一度も生のパグを触ったことすらなかったのでその時は可愛さと感激で一杯でした。

値段は3万円とはいえ、やはり犬を飼うという気持ちまではならなかったので犬を返しその場を離れました。

他のブースをウロウロと見ていましたがやはりそのパグがまた見たくなりまたそのブースに行きました。

するとパグを連れた若い夫婦らしい方がそのパグと自分のパグとを見つめ合わせるような事をしていました。

私はもしかするとその若い夫婦がその犬を飼うのではないかと思い、またその場を離れました。

また他のブースを見ていましたがやはりあのパグが気になり戻ってみるとあの夫婦には買われず残っていました。

私はその時に何故だかその犬を飼おうと思ってしまいました。

犬を購入する手続きが終わりその日に連れて帰れるという事だったので、犬の爪切りをしてもらっている間に彼と犬の名前を考えていました。

爪切りも終わり首にはリボンが付けられていました。

犬を箱に入れてもらい私達は家へと帰りました。

帰りの車の中で犬を出し私の膝の上に乗せました。

その当時はまだ3ヶ月半だという事で私の膝の上に収まるぐらいのサイズで。

今でも思い出すと懐かしいものです。

私も彼も実家暮らしだったので普段は私の家で世話をし彼の家に行く時は連れて行くという生活をしていました。

犬にとってはストレスになった生活だっただろうなと後々になり本当に思いましたが…。

犬を飼ってから1年程経った頃私達は別れてしまいました。

彼と別れてからは正式に私が引き取り私の家で飼うことになりました。

犬を飼うことは本当に大変でした。

でも家に帰ればいつも出迎えてくれ、寝る時もいつも一緒で私の大事な大事な家族でした。

しかし長く一緒にいればいるほど犬との別れも近付いて来ているんだなぁ~とある時から思うようにもなりました。

去年の10月に、私は仕事のお昼休憩は自宅に帰るのですがその休憩中に犬が倒れてしまいました。

すぐに意識は戻り、心配でしたが私も仕事に戻りました。

病院に連れて行きたかったですがその日はかかりつけの病院が休診日ということで次の日に病院に連れて行きました。

病院ではレントゲンとエコーなど様々な診察をしてもらったところ、お腹に腫瘍があるという事が判明しました。

手術をするという選択肢もありましたが、正直手術をしても腫瘍が全部取りきれる可能性の方が低いだろうと言われました。

10歳という年齢の事もありますし考えた結果、手術はしないという選択肢を選びました。

それから週の2、3日に1回、点滴を打つとい生活になり金銭的にもかなり大変でしたが通院していました。

年が明けてもそんな生活が続き、犬自体はわりと元気だったのですが2月13日の夜に嘔吐をし始め、しかし体調が悪い時は嘔吐をたまにする犬だったので私と犬はその日は寝ました。

翌日の朝方5時半頃、私は目が覚め犬が気になり名前を呼んだが反応がなく手探りで犬を探すと体が冷たくなっている感じがし慌てて部屋の電気を付けると犬が亡くなっていました。

私は泣き崩れてしまいました。

でも犬が亡くなったという実感がまだなかったせいか私は犬を火葬してくれる所を探し、冬場だったので保冷剤を使えば2、3日持つと言われたが犬の亡骸をそのままにしてあげるのも可哀想だと思いその日のうちに火葬してもらう事にしました。

その日は会社を休み犬との最期の時を過ごしました。

奈良にあるお寺がやっている動物の火葬から埋葬までをしてくれる所に頼み、火葬車だったので家の前で火葬してもらいました。

骨は大体の方は引き取り、後日動物霊園に埋葬したり人間のお墓に入れる方もいらっしゃるみたいですが私の家にはお墓もなくそのまま引き取ってもらい合同で埋葬してもらう事にしました。

犬が亡くなって4ヶ月が経ちましたが、今でも犬と過ごした日々を思い出しては寂しくなったり正直、犬が嘔吐をしている時にその日やっている病院を探し連れて行ってれば犬はまだ生きていたんだろうかと考えてしまいます。

ペットを飼った時点でペットの死を受け入れなければならない責任が伴ってきます。

もっとこうしていればという後悔もついてきます。

私はこの犬を飼って、生き物を飼うという事はどういう事なのかという事とその責任感について学ばされた気がします。

でもペットからもらう愛情や癒しは他には代え難いものです。

この犬と過ごした10年は本当に最高の時間でした。

26歳女性 愛犬をペット専用協会で供養してもらい、心の整理がついた

26歳、会社員の女性です。

一昨年に14年間一緒に暮らした愛犬を亡くしました。

幼いころから動物に囲まれて育ってきました。

愛犬を買うきっかけは、同居していた祖母がかわいがっていた雑種の中型犬が老衰で亡くなってしまい、家の中がガランとしたようで寂しかったからです。

10歳の誕生日に両親に懇願して、ラブラドールの女の子をお迎えしました。

ブリーダーさんからお譲り頂くときは「一番元気な子がいい」と思い活発な子を選びましたが、あまりにも陽気な子で、家族全員手を焼きました。

家具家電はよく破壊され、しっぽでお風呂場のガラスを割ってしまったこともありました。

ようやく落ち着いたと思ったのはたしか8歳になったころです。

最期をなんとなく感じ始めたのは、愛犬が12歳くらいになったころでした。

足腰が弱り、長い距離が歩けなくなりました。

ごはんを食べるときにつかれてしまうのか、座り込んで食べるようになりました。

それでも散歩は好きで、よたよたと近所を歩く姿を見たときに、もっと元気な時に遠くまで一緒に歩けばよかったと後悔をしました。

14歳の誕生日を迎えたころには、部屋のど真ん中に敷いた子供用布団の上で眠っている時間が長くなりました。

目も耳も悪くなり、近づいてもすぐに気づかないことが増えました。

それでも撫でてあげると、若いころと変わらない力強さで尻尾をふる健気さに、家族全員支えられていました。

その日の朝ももうほとんど歩けなくなってしまった足腰で、父に支えられながらなんとか自分の足で外に出ていき、トイレをしました。

真冬でしたが天気のよい、いい朝でした。

家の前で少し匂いを嗅いだりした後に、ゆっくりと家に戻ってきて、いつものリビングの布団の上に横になると、そのまま静かに亡くなりました。

家族全員が一緒にいる日曜日の朝でした。

最期まで家族孝行な子だったね、と言いながら、その日のうちにペットの火葬場を探し連れて行きました。

協会が併設されているところで、簡単でしたが法要もしてもらうことができました。

お骨は雪が解けた春に、庭の一番大きな樹の下に埋めました。

正直大型犬を対応してくれる火葬場を探すのは大変でしたが、丁寧に対応していただけるところに出会えてよかったです。

ラッキーでした。

もし愛犬を亡くしたら、と考えるだけでどうなってしまうか自分でも想像がつきませんでしたが、供養をしっかりとすることで心の整理が早めについたように思います。

いまでも何度も愛犬のことは思い出しますが、そのどれもが楽しい思い出のことばかりです。

41歳男トイプードル、甲府のみんなのペット火葬無事終了ペットロスへ

私が愛犬のトイプードルにであったのは、今から16年前です。

犬は2匹目でどちらもトイプードルです。

ペットショップで購入しました、もともと犬はすきでしたし、トイプードルは中でも、頭もよく、評判がよかったので、以前からきになっていました、16年前というと今ほどペットブームではなかったです。

室内犬も少なかった気がします。

インターネットも今ほど普及してないよな状態でした、私は、早くから、インターネットはつかっていました、犬の情報はよくあつめていました、愛犬はであったときには2歳でした、とてもかわいらしく小さかったです。

10年以上は生きると、ペットショップのかたにいわれました、いつも家でインターネットばかりやっていて、さみしいときもありましたので、私は、トイプードを購入しました、名前はクックと名付けました、なかなか珍しい名前だとおもいます。

当時から動物病院や、インターネット環境もあり、犬の体調不良などには、対応できていました、めだった、病気もなく、クックとは、毎日散歩を1時間ほどしていました、芸をおしえたりするのも楽し思い出です。

携帯に写真ものこっていますし、写真もバックアップしてあります。

楽しい思い出ですから、しかし、芸は頭がいいのでご褒美を上げるとよく覚えました、私が一人でスーパーに買い物にいくときなどは、カゴの中ではしりまわって、オイ、私もつれっててよといっているようでした、そんな姿も愛らしくなりました、しかし、人間と犬では、寿命が違うのが現実です。

12歳になったときから、食欲がどんどんへってきて、愛犬のトイプードルは死にました、私はしばらく、ペットロスに陥りましたが、供養しなくてはと、インターネットで情報をあつめました、土葬と火葬で迷いましたが、衛星的な面で火葬にしました、火葬当日は、犬を棺桶にいれました、この時火葬には、結構いれちゃいけないものが、たくさんありました、スッタフさんに助言をあおぎました、無事火葬をおえましたが、今でも思い出の写真をみて、お酒なんかを飲んで、一緒にすごした、楽しい思い出を思い出しています。

愛犬を失うのは、現実です。

ペットロスになりましたが、他のかたも、気持ちの整理をしておくのがいいと思います。

35歳女性犬をペット火葬場で焼いてもらいその時は悲しかったです

こんにちは。

犬を飼ったことがきっかけで犬好きになった者です。

中学生くらいの子どもの頃、確か犬が欲しいと両親にねだったのかもしれませんが、ある日突然、父親が犬を買ったことがきっかけで飼い始めました。

当時は準備やどう飼えば犬にとっていいのかがわからず、外の出していたら迷子になってしまい近所を探しまわったり色々なことがありました。

なんだかんだと14年もたち、わたしが20代をすぎた頃、メラノーマというガンに犬がなっていたことが発覚し、間も無く逝ってしまいました。

火葬場へ一緒に行き写真立てに小さな写真を持って行って、亡骸ですが、最後のお別れの時、思いのほかボロボロに泣けてきて、今でも色々なことを後悔したり、思い出したりします。

後悔しているのは、もっと犬が寂しくないようにできなかったのかとか、犬の気持ちにそった関わり方ができなかったのか…。

犬と一緒に生活するコツが掴めたのは犬が晩年になってからだったので、もっと早くにできていたら犬ももっと幸せだったんじゃないかな、と今も想っています。

学校や仕事など、どうしようもないことなんだけど日中、犬はいつも切なかったんじゃないかと。

犬が旅立った日は、冬でも日差しがポカポカ入って、心地よく感じる日だったので、あぁ、こんないい日だったのがせめてもの救いだなと感じました。

当たり前ですが、動物を飼うのだったら勢いではなく最後まで看取る覚悟、飼い方の最新の本を読んで勉強し、犬だったら散歩は必ずしてあげられる環境かなど、大事なことが必ずクリアできると思える人だけが飼ってあげて欲しいと思います。

犬が旅立つ前月に、家族でその季節の花を観に行くことができたことがすごく大きな思い出として残っています。

最後に皆であそこに行けてよかったと。

遠くから近づいて行ったら、こちらを見て嬉しそうにしていた犬の情景や景色が今も浮かんできます。

本当はまた機会があったら犬を飼いたいのですが、最後まで幸せな気持ち、形で飼ってあげられるのかが心配でなかなか次というのができないでいます。

最近は災害が多く、そんなアクシデントで離れ離れになって不憫な死に方をさせてしまったら、多分立ち直れないだろうなと思うので…。

35歳男性 ハムスターを近くに神社で 心が軽くなりました

現在35歳の男性です。

8年ほど前に当時付き合っていた彼女(現在の妻)と同棲中にハムスターを飼っていました。

なにげなく訪れたペットショップでみかけ、その時は飼うつもりなど全く無かったにもかかわらず気づいたら飼っていました。

指を入れた時に一匹だけ噛み付いてきたコがいて、そのコに決めました。

ハムスターの寿命はとても短く約2年ほどです。

ただせっかく飼ったのだから他のハムスターよりも幸せにしたいという気持ちが強かったのを覚えています。

今までペットを飼ったことが無かったので、毎日が楽しくすごく新鮮な気持ちでした。

ハムスターは意外ときれい好きなのでゲージを常に清潔に保ってないといけません。

だいたい3~4日程度に一度はゲージの清掃をしていました。

他にもハムスターがかかると危険な病気について学んだり、餌を気をつけたり自分の生活の中にいて当たり前の存在になっていきました。

飼い始めて1年3ヶ月ほど経ったころ彼女から連絡があり、ハムスターの足が折れているかもしれないと言われました。

そのとき彼女は部屋の掃除をしていて誤って足をふんでしまったかもと言いとても後悔していました。

ゲージから降りるときに怪我をしてしまうハムスターもいるらしく原因は定かではないですが、とにかく足に怪我を負っているのは確実でした。

そこからはすぐに病院に連れて行き、命には関わらないですが通院が必要になってしまいました。

その後は更に注意深くハムスターと向き合って1年経ちました。

寿命といわれる2年を超え、だんだんと動きがにぶくなり、日中を寝て過ごすことが多くなりこちらも死を意識するようになってきました。

そして冬のある日の夜中ゲージの中から声を出してきたのですぐに行き、手の上に乗せました。

その瞬間にこのコが亡くなるというのが何故かわかりました。

彼女と二人で声をかけつづけたのですがそのまま手の上で亡くなりました。

悲しくて涙が止まらなかったと同時に感謝の気持ちが溢れてきて不思議な感覚でした。

失ったものはとても自分の中で大きく、このコはうちに来て幸せだったのかな、もっとできることは無かったかなと自問自答しました。

少なくとも私たち2人はこのコに出会えて幸せでした。

私たちの家に来て幸せだったと天国で思ってくれてたらうれしく思います。

30代男性愛犬をペットセレモニーホールさんで供養穏やかな気持ちです

私は現在東京都に住む30代の会社員です。

私が10歳の頃から一緒に過ごしていたラブラドールレトリーバーとの別れについて書きます。

出会いは私が小学5年生の頃、父親が一目惚れして家族に相談もなしに連れて帰ってきた日でした。

私が習い事から帰ってくると、家の中がものすごく騒々しく、何事かと思ったことをよく覚えています。

3か月で貰われてきたので、その子は子犬というには既にすこし大きく、私より小さな、弟、妹は初めは怖がっていました。

それでもかわいいイエローのラブラドールの女の子は我が家の一員となり、当時流行っていた迷犬ロシナンテの災難というドラマからロッシーと名付けられました。

最初は噛まれるのを怖がって長袖の袖口で手を隠して撫でてみたりと今思うとビクビクとした触れ合いだったなと思います。

それでもそれからの約10年間私たちはいつでも、どこに行くにも一緒でした。

小さいころに一緒に散歩に出ると、ロッシーの力の方が強いのでいつも引っ張られて水が大好きな彼女は、池や海、川を見ると理性をなくして突っ込み、一緒にびちょびちょになったこともありました。

彼女が3歳になった頃からは少しロッシーもお姉さんになり、散歩でも妹がちゃんと付いてきているかなど後ろを気にしてあるいてくれていたのをよく覚えています。

そんなロッシーが亡くなったのは彼女が10歳になった頃でした。

少し前から病院に行く機会も増え、薬を飲むことも多くなってきていたので多少覚悟していたとはいえ、まさかロッシーがいなくなる日が来るなんて思ってもみませんでした。

7月7日の夜、彼女は最後に実家で私も含め全員がリビングにいるタイミングで今思えば最後の挨拶だったのでしょう。

一人一人にくっつくようにしてから、一人で奥のベッドのある部屋へ歩いていきました。

そして彼女はそのまま一人亡くなってしまいました。

一緒にいられた時間に後悔はありません。

ただ、もっと健康に気を使ってあげられたら、ケガを予防してあげられたらもう少し一緒にいられたのではないかと思う日はあります。

ペット供養はマンション住まいでしたので、車で来ていただけてその場でしていただける業者の方にお願いしました。

当時大学生だった私は棺にロッシーを入れ、最後の別れをした後茫然自失でした。

いつもそばにいた家族がいなくなり、家庭内の会話も本当に少なくなってしまいました。

それから1年し、今実家にいる新しい家族を迎えるまでの時間は本当につらいものでした。

皆様へアドバイスがあるとすれば、別れを怖がらず、次の家族を迎え入れることで今の悲しみは紛れますし、家族の会話は増えますよということでしょうか。

いつか来る別れを恐れず、今を幸せに一緒に生きることが一番大切だと思います。

38歳女性飼っていた猫をペット葬儀場で供養してもらい良かったと思う

わたしは、猫を20年ほどにわたって、4匹飼っています。

そのうち2匹は、17歳で亡くなりました。

2匹とも、ペットショップで、一目惚れをし、ロシアンブルーといtアメリカンショートヘアーを買いました。

2匹とも、とてもよくなついていて、賢い猫たちでした。

若いうちは、2匹とも、病気もなく、すくすくと育っていきましたが、16歳頃から、どんどん老いていき、2匹とも、リンパ腫という病気にかかってしまいました。

ロシアンブルーの方が、3歳ほど年上だったので、ロシアンブルーが先に亡くなりましたが、ロシアンブルーが死んでしまったときは、本当に、悲しくて悲しくて、とても気分が沈んでしまいました。

前の日の夜まで、息をしていたのに、朝起きたら、静かに、安らかに逝ってしまっていました。

せめて、最後の時くらいは、哲也でも構わないから、ずっと見守っていてあげたかったと思っていたので、朝起きて、死んでしまっていたときには、とてもショックでした。

朝一番にペット葬儀屋さんに連絡して、白い新しいタオルとお花を買いに行って、ねこのベッドに猫をタオルにくるんであげて寝かせて、お花をおいてあげました。

家族と一緒に、ゆっくりお別れをして、ペット葬儀屋さんに預けて、火葬してもらい、ペットの墓地に納骨してもらいました。

二匹目のアメリカンショートヘアーが死んでしまったときは、ロシアンブルーの時に、一回経験しているのもあって、割と、落ち着いていました。

ペット葬儀屋さんの車に乗せてお別れするときは、とても辛くて泣きましたが、今までありがとうと言ってあげられる余裕がありました。

ロシアンブルーの時と同じように、白タオルにくるんで、お花を添えてあげました。

火葬してもらい、ロシアンブルーと同じお墓に入れてもらいました。

アメリカンショートヘアーがなくなってから、1年以上経ちましたが、時折、2匹のお墓参りをし、大好きだったおやつを備えています。

今まだ、2匹家に猫がいるので、亡くなった猫たちのことで、辛くなることはもう、少なくなりましたが、なくなる前に、しっかり看病し看取ってあげられたので、悔いはないです。

後で、悔いが残らないためにも、最後は、しっかり看取ってあげることが大切だと思いました。

26歳 女 お寺で供養 感情は徐々に変化する

初めまして。

神奈川県在住の動物好きです。

私は、実家でわんちゃんと一緒にくらしていたのですが、11歳で亡くなってしまいました。

途中で家をでて一人暮らしをしていたので過ごせた時間が少なく、また、たまに帰ってもそんなにかまってあげられなかったので、少し後悔しています。

出会いは母のお友達の事情でどうしても飼えなくなってしまい、母のところへお話が回ってきました。

ちょうど我が家でもわんちゃんをお迎えしようと検討中だったので、今考えるとちょっとした運命だったのかもしれませんね。

1歳とちょっとでお迎えし、10年程一緒に家族とすごしました。

最後は、病気で亡くなってしまったのですが、その時に供養してくださったお寺さんと住職さんには今も感謝でいっぱいです。

いろいろな供養の仕方について教えてもらったり、最後のベッドを選んだり、家族それぞれで形見を分けたり、そうやって少しずつ最愛のペットの死を受け入れていきました。

その後、ペット用の小さなお仏壇を購入し、可愛らしいお位牌も作ってもらいました。

今も毎日母がお線香とお供えをあげています。

形が見えなくなってしまっても共存する方法はいくらでもあるんだなと感じています。

もちろん、ペットを亡くすということは、本当に辛く絶望的です。

ですが、そうやって大切なことを教えてくれたのだと思うと、悲しんでばかりじゃ本当に無駄な死になってしまうのではないかと怖くなりました。

今はまだ次の子はお迎えせずにいます。

1年半経って、一番溺愛していた母もようやく受け入れることができたようです。

なので、もう少し、触れはしないし、見えない共存を味わおうと思っています。

そうやって、徐々に自分や家族も感情が変わっていきました。

冒頭にも書いたように、もっといろいろしてあげられたのではないかと、もっと早くに病気に気が付いていればとたくさん後悔はありますが、教えてもらったことを教訓に生きていきたいと思っております。

偉そうなことが言えた立場ではありませんが、今大切な家族同然のペットを亡くされて悲しんでいる方のお役に立てれば幸いです。

54歳女愛猫をお寺で火葬し納骨後気持ちが落ち着いた

結婚し子供が二人生まれて借家に引越して数年経ったある日、家の前で猫の鳴き声が聞こえます。

玄関を開けるとキジトラ柄の猫がいて家に入り込んできました。

保育園児だった子供達は人懐っこいその猫をすぐに大好きになり飼い始める事になりました。

それから半年後その猫は子供を6匹産み、5匹は飼手が見つかったので残った子猫と親猫の2匹が残りました。

子猫が自力で生きていける大きさになると母猫は家出して前の家の飼い猫におさまっていました。

子猫にしろと名付けそこから14年一緒に過ごしました。

臆病で優しいしろは、子供達に何をされても怒ったことがなく噛んだり引っかく事もありませんでした。

人が好きでいつも誰かの膝に乗って気持ちよさそうに眠っているのが大好きでした。

子供達が成長し、立て続けに家を離れ一人暮らしを始めてからは私の寂しさをいつもしろが埋めてくれました。

しろも私と同じように子供たちのいない事が寂しかったのかもしれません。

私の帰りを玄関でませんでした待ち寝るのも一緒。

トイレにまで入り込んでくる事もありました。

それから一年ほど経った頃少しづつしろの様子がおかしくなりました。

老化の為歯槽膿漏でカリカリは食べられなくなり、老猫用のえさでも食べた後爪で口をひっかき血まみれになってしまったり、食べてもすぐに吐いてしまう。

吐いてしまうのでいつも空腹でエサをくれと鳴き、与えるまでずっとついてまわり噛み付く事もありました。

あんなに大人しかったしろが凶暴な姿をみせるようになり正直戸惑いました。

病院では肝臓が悪いと診断され肝臓の薬と吐き気を止めを処方され飲ませると嘘のように元気になり復活したと喜んだのもつかの間、三か月後には以前よりも悪化していました。

食欲はなくなり毎日点滴に通うようになりましたがその後元気な姿を見る事はありませんでした。

最期は見たこともない形相で暴れた後息をひきとりました。

臆病なしろは、車に乗る事も病院も苦手なのに嫌がるしろを無理やり病院に連れて行った事を後悔しました。

治療してもこんなに早く逝ってしまうことになるなら可哀そうな目に遭わせるんじゃなかった。

点滴の時も暴れる事もなく怯えて震えている姿が脳裏から離れませんでした。

夏の暑い日の夜だったので発泡スチロールに氷を敷き詰めすのこをおきその上に寝かせ枕元におきしろの手を握って寝ました。

翌朝知り合いのお寺に火葬をお願いしました。

そこは元々普通のお寺でしたが数年前からペットの火葬場を作って供養してくれるようになっていました。

火葬は人の時と同じように和尚さんのお経とともに焼香します。

そして数時間後お骨を拾いに戻り、お骨は家に持ち帰り、毎日線香をあげて過ごしました。

泣いても泣いても涙は枯れません。

しばらくはそんな苦しい日々でした。

お盆に子供達が帰省した時、家族全員でそのお寺のペット専用のお墓に納骨しました。

そしてようやく前に進めるようになりました。

58才女性 愛猫ペット専用の葬儀施設ありがたかった

私は兵庫県に在住の50代の女性です。

5年前に天国に行った愛猫、ランの話を聞いてください。

2人の息子たち(当日22才、19才)の保護猫ちゃんを引き取りたいという強い希望で主人と2人で会を訪ねました。

子猫ちゃんたちが5匹くらいいる中で、一匹のおとなしそうな猫ちゃんに目がいきました。

生後2ヶ月くらい。

それがランとの出会いでした。

生き物を飼うのは初めてのことで家族4人であたふたでした。

少しずつ慣れてきて私たちはそれはそれは幸せな日々を送りました。

ランは?起きてる?ご飯食べた? ウンチした?もう寝た? ヘソ天で寝てるよ~かわいい。

ほら、遊ぼ。

こっちにおいで。

呼んだらくるよ。

自分の名前、わかってるよね。

そっちじゃなくてこっちにおいで、ほら、ボクのほうになついてるよ。

こいつ、自分がこんなにかわいいって自分でわかってるのかな。

かわいい、かわいい。

家族4人は本当に幸せでした。

ランがうちに来て2ヶ月ほど経った頃。

ちょっと元気なくない?お熱あるよね。

獣医さんに診てもらうと、風邪かな、予防接種もしてるので大丈夫ですとのこと。

でも2日経っても様子は変わらずで。

検査の結果、猫特有の白血病でした。

いろいろな病院、治療法を探しました。

かかった医院には車で30分以上かけて、また待ち時間が2時間という時もありました。

漢方薬も試しました。

治ってほしい一心でした。

3時間おきにご飯を食べさせました。

細かくしてお口にもっていきました。

闘病は5ヵ月続きました。

どんな時もランはかわいくて、私たちに優しくて、がんばってくれました。

冬の夜、私の腕のなかで、息子たちの見守るもとで旅立ちました。

ごめんね、ランちゃん。

辛い闘病をさせてしまったことが後悔です。

長い車の時間、点滴、苦い漢方薬。

辛かったでしょうに。

7か月のランとの生活は私たちの一生の宝です。

全ての命を大事にすることを教えてくれました。

今も私たちの心の中でランはいてくれます。

44才女愛犬を動物専用霊園で供養してもらい気持ちが軽くなりました

初めて。

私40代の主婦でございます。

私の運命のワンコちゃんとの出会いは10数年前に母親の会社に近所の人からもらって下さいと頼まれて会社で飼っていたんですがやはり夜など1人で居させるのはかわいそうということになりうちで飼うことになりました。

とても人懐っこい柴犬でおでこのところに白のマークがありみんなに可愛がられてました。

私が体調悪くて寝ていると横で寄り添って寝てくれたりしていました。

散歩は朝と晩に欠かさず行きました。

子供達も協力的で取り合いになるほどでした。

何度か家から逃げ出したこともありましたが1時間ほどすると戻ってきて玄関の前で寝ていました。

そんな楽しい毎日を送っていましたがやはりかわいいワンコちゃんも12年経った頃お腹に腫瘍が見つかりました。

気付いた時には結構大きかったので取り除くこともできただ弱っていくのを見ていくのは本当に辛かったです。

1ヶ月後にワンコちゃんは家族に見守られながら天国へ旅立ちました。

私達は家族として生きてくれていたのだからきちんと見送ろう!ということになりペット供養をしました。

犬でもちゃんと人と同じように流れていき、感動しました。

ちゃんとお別れもでき仏壇に飾っておけるミニサイズの首輪を作り毎日拝めるようにしました。

やっぱりきちんとやれば気持ちもスッキリしてやって良かったなぁと思いました。

こんな形でうちのワンコちゃんはなくなってしまいましたがやはり切除できるくらいの大きさの時に病院に行って気付いてあげられたならもっと長生きできたのかなとつい後悔をしてしまいます。

全然調子も悪くなったり、食欲不振になったりしなかったものですから気づかずに生活してたので何に検診みたいなものをすれば良かったかなぁと思いますがそれはやっぱりなかなかできず残念でなりません。

みなさんのワンコちゃん、ニャンコちゃんは大丈夫でしょうか?私のようにきちんと検診を受けて長生きさせてくださいね。

28歳女 近所のペット専用葬儀場で供養してもらい少し気持ちが楽に

犬が大好きで実家でも家族で1匹の愛犬を飼っており、20代後半で結婚を機に、結婚相手の飼っていた可愛いチワワと生活を送っていた主婦です。

今まで大型犬を実家で飼っていたので、チワワという小型犬に新鮮な気持ちで夫が仕事の際にも自宅で戯れて距離を縮めていきました。

子犬の頃から夫と暮らしていたその子は、家の中では私よりも上の立場といった感じで私を気遣ったり、心配してくれる可愛い先輩でした。

生活を始める前に5年程夫とお付き合いをしていたので、その間も少しですが、その子とも遊んだり、ジャレたりする機会がありました。

そして、結婚してから2年程が経った頃、食べることが大好きだったその子の食欲が少しなくなり始めました。

散歩に行ってオシッコをする機会ももちろんあったのですが、それまで絶対に家のトイレでおもらしをすることのなかったその子がトイレ以外の場所でおもらしをするようになりました。

老犬になっていたこともあり、間に合わないことも出てきたのかなと思い、おむつをしてあげることにしました。

そして、朝になると朝食を作っている私の足元でうろうろしているその子が朝も起きてこなくなりました。

そこで、一度近所の獣医さんに診てもらうことにしました。

1日病院に泊まって検査をしてもらったっところ、膵臓に腫瘍ができているようで、自分で食事をすることが困難になっているとのことでした。

入院して管で食事を補給し、様子を見ていました。

仕事の帰りに毎日病院に足を運び、様子を見ていましたが、舌が壊死してきたり、顔色も悪く、私が会いに行ってもあまり反応をしなくなりました。

入院から5日後、その子は病院のベッドで静かに息を拭き取りました。

短い同居生活でしたが、出会って7年程のその子の死への悲しみを強く感じながら、病院に迎えにいきました。

涙を堪えきれないくらい悲しかったことを覚えています。

実家で飼っていた愛犬が亡くなったときは、火葬場には行ったもののお骨を持ち帰ると愛犬との生活を思い出してしまって辛すぎるという母の気持ちを汲んで、お骨は火葬場に埋葬してもらいました。

その時、一緒に連れて帰ってやれない後悔から、しっかりと供養してあげて、自宅に一緒に帰って仏壇を設けて、ずっと忘れない大切な家族として、生まれてくる子どもたちにも伝えていこうと思いました。

今回のことで私が感じたことは、病院に連れて行って検査をしてもらった時点で、悪化しないように最善を尽くしますと言ってもらったときに、自宅に連れて帰って最後の時間をそばで一緒に過ごしてあげられれば良かったと思いました。

回復の可能性を信じていましたが、もう15歳の老犬だったのでそのことも受け止め、早く判断してあげられたらもっとその子は幸せだったのではないかと後悔しています。

同じように、病気を抱えてしまっている愛犬を飼っている人にお伝えしたいのは、そのとき愛犬に何をしてあげられるのか、何が今幸せなことなのかを早く判断できるかできないかで、少しでも後悔が残らない最後を迎えさせてあげることができると思うので、辛いとは思いますがしっかりと向かい合って少し考えてみてください。

28 女 犬を飼っている人に対して ペット霊園 虚無感と後悔

私は20代の専業主婦です。

結婚前は3匹の小型犬の飼育経験があります。

そのうち2匹とは死別したので、供養も丁重に行いました。

私が死別した愛犬達と出会ったのは、ペットショップです。

それぞれ別のペットショップで出会っています。

2匹とも仔犬の頃に引き取っていたので、しつけがとても大変だった事をよく覚えています。

2匹のうち1匹が亡くなったのは、私が小学1年生の頃でした。

当時、まだ幼かった私は両親に言われるがままに犬の供養を行いました。

なので、特に愛犬のために行動を起こす事はありませんでした。

しかし、もう1匹の愛犬が亡くなった時は高校生になっていたので行動をそれなりに起こす事が出来ました。

季節は秋が深まっていた頃だと思います。

不注意で愛犬を死なせてしまった両親は泣いてばかりで愛犬を弔うための行動を全く起こしていませんでした。

「このままではいけないから、愛犬をきちんと供養してお別れしてあげよう」と家族を説得しました。

愛犬だけのお墓を作ろうという話も出ましたが、ひとりぼっちでは寂しいのではないかと進言し共同墓地への埋葬が決まりました。

愛犬の身体を焼く前に、お別れの時間が設けられました。

両親や弟は、愛犬の亡骸を抱きしめていましたが私は抱きしめる事が出来ずに耳だけを触って終わりました。

今思うと、高校に入ってから愛犬と遊ぶ時間が取れていなかったので最後くらいきちんと抱きしめてあげれば良かったと後悔しています。

その時は、亡骸の冷たさに戸惑いと笑って見送ってあげなければならないという使命感でいっぱいで他の事は考えられなかったです。

全てが終わった後は虚無感だけが残されました。

愛犬の死から10年以上経ちますが、やはり最期のお別れの時を思い出すと自分の事しか考えていなかったと後悔で胸がいっぱいになります。

今後、愛犬との別れを経験する人は大勢いると思います。

もし、その時が来てしまったら悲しくても辛くても愛犬の身体を抱きしめてあげて下さい。

沢山の愛情があった事を忘れさせないために、愛犬との思い出を忘れないためにも必ず抱きしめてあげて下さい。

41歳男性 動物霊園で愛猫の葬儀を行い、気持ち良く送り出せた

13年飼っていた愛猫のニャンが亡くなった2年前、我が家はペット葬儀をしました。

名前が示す通り、当初は飼うつもりはなく、引き取り手が見付かるまでの間、面倒をみるはずでした。

しかし、すぐに家族のハートの鷲掴みしたニャンは足掛け13年間、我が家の一員として、天寿を全うしました。

ネコとはいえ、ずっと一緒に過ごした家族です。

年齢的にも、ある程度の覚悟はしていましたが、家族全員は深い悲しみに暮れました。

そのまま、埋葬するのも可哀想だし、せめてお経の1つでも挙げてやろうと、いつもお世話になっているお寺に供養を頼みました。

しかし、宗派の方針でペットといった動物の供養はできないと断られてしまいました。

しかし、ペットの供養は動物霊園がやっているので、問い合わせてみてはどうかとアドバイスしてくれました。

すぐに私はネットで、近くの動物霊園を調べ、連絡をしてみました。

対応してくれた係りの方は、とても丁寧に落ち込んでいる私たちに寄り添うように対応してくれました。

葬儀の予約を入れ、私たちはニャンを連れて霊園まで出向きました。

ニャンを係りの人に託し、簡単な打合せが終わると、程なくして、葬儀が始まりました。

僧侶による読経が終わり、火葬してもらい、ニャンの遺骨を引き取りました。

葬儀は人間の葬儀と変わらない手順で行われ、家族の一員だったニャンを送り出すにふさわしい内容だったと思います。

費用に関しても、思っていたよりはお手頃でしたし、料金以上に、スタッフの対応が良く、私たちはとても満足することができました。

ペットを飼っていない人からは、「ペットのお葬式をしたの?」と、驚かれます。

客観的に考えれば、少しやり過ぎな気もしますが、長年一緒にいた家族が安らかに眠れるようにを送り出してやりたいという気持ちを表現する方法としては、とても良いものだと思いました。

私たちがお願いした動物霊園は、ペットとしてではなく、あくまでも家族の一員として、対応してくれたので、心置きなく、ニャンとの別れを悲しむことができました。

できればペットとの死別は避けたいものですが、死別の際は是非ともペット葬儀をお薦めしたいと思います。

40代 女性 猫のゆうちゃん お寺で供養 後悔しています

北関東在住の40代主婦です。

シャム猫とペルシャ猫のハーフの「ゆう」との出会いは、お友達が作れない子供の気持ちを楽にしてやりたいと思ったことがきっかけでした。

新聞のお譲りしますのコーナーに出ていたお宅に連絡し、譲っていただきました。

物静かで品が良く、とても頭の良い猫でした。

家族の一員となってから8年ほどたったころ、猫エイズが原因となり、亡くなりました。

延命のための注射を毎週受けていましたが、動物病院の先生の、「これ以上の延命は、ゆうちゃんにとっては苦しいものになるかも知れません。

」というお言葉を聞き、とても悩みました。

延命をやめるということは、死に近づくことになりますので、気持ちはとても苦しかったのですが、ゆうを苦しませては元も子もない…と、延命治療をやめることを決断しました。

最後は、自分の寝ていた場所から力を振り絞って移動し、私の寝ている掛け布団の足元まで移動してきて、そこで息を引き取りました。

大切な家族でした。

何とか少しでも良い供養をしてあげたいと思いました。

火葬は、通常の火葬場で引き受けてくださいました。

ゆうが遊んでいたボールや、包まっていたお包みなどを一緒に入れ、火葬していただいたのですが、煙突から出る煙は、やはり悲しいものでした。

それから遺骨を、ペットを供養してくれるお寺に運び、他のペットなどが供養されている場所に収めていただきました。

後悔しているのは、お寺の方が、他の動物の遺骨が沢山入っている場所に、ゆうの遺骨を流すように入れた時でした。

「こんなに沢山の動物の中に放り込んでしまって、ゆっくり休めるかな…。

」という気持ちが込み上げ、申し訳ない気持ちになりました。

せめて、小さなスペースでも、骨壷と写真立てを飾られるくらいのスペースを持つペット霊園などで供養してあげられればよかった。

小さなツボにいれて遺骨を持ち帰り、写真と一緒に家で供養してもよかったのではないかと、今でも思います。

これからご供養をされる方には、どうか後悔などのないようにしていただきたいと思いました。

53歳、女、メス犬、供養してもらっていない、いつも忘れないでいる事

初めまして。

fuku-nyanと申します。

よろしくお願いします。

そのワンコには21年前に出会いました。

新聞のペット紹介に出ていて、そのお宅の旦那さんと娘さんがとりあげた犬だというので、愛情をたっぷりと与えてもらっている、優しい犬なのではと思い、会いに行きました。

初対面のとき、彼女は縁の下からこちらをじっと見ている、一見臆病な子に見えましたが、他の子のようにすぐにお腹を見せるようでは番犬に向かないと思い、連れて帰る事を決めました。

実は、私の息子は大の犬嫌いで、その為にいじめにあっていました。

でも、自分の犬を飼えば、それが直るのではとの想いが私と夫にあって、一か八かで飼うことにしました。

おかげで彼の犬嫌いは治り、道ゆく散歩している犬を、ニコニコ笑いながら「かわいいねぇ。

」と言うほどに変わりました。

そんなありがたい存在のワンコですが、最期はガンに罹り、げっそり痩せてしまい、「もうお別れは近いな。

」と覚悟せざるを得ない状態になりました。

ペット墓地の情報を友人たちに問い合わせ、「寂しがると可愛そうだから。

」と近場でいい場所はないかと考えていたところ、息子の誕生日にキャンキャン泣いて立てなくなってしまったのです。

病院に連れて行くと、身体中にガンが広がっていて手の施しようがない、安楽死を考えた方がいいでしょう。

」と言われました。

あまりの苦しみようで、泣く泣く安楽死を選んだのです。

病院で柔らかなタオルに包んでもらったワンコは安らかな顔をしていました。

暫くワンコの側から離れなかった息子は、自分の部屋からいつでも見る事ができる庭にお墓を作りたいと訴えてきました。

それを聞いて、何も言わず父が庭に大きな穴を掘ってくれ、埋葬しました。

11年間楽しい想い出をくれて有難うと合掌しました。

ワンコの命日は、息子の誕生日なんです。

彼の希望で、誕生日はワンコを偲ぶ日となり、翌日に誕生祝いをする事が、我が家の慣習となりました。

毎年ワンコの命日には、息子が可愛らしい花束を用意して、長い時間、祈りを捧げています。

人間もそうですが、供養は形ではないと思います。

失くした相手を想い、偲ぶ事が大切なのではないでしょうか。

分かりづらい文章で申し訳ありません。

ありがとうございました。

40才 主婦 2代目はまだ受け入れられません

私と愛犬の出会いは本当に突然でした。

突然、父が犬を連れて帰ってきたからです。

職場近くの駐車場で子犬が産まれた。

保健所に連れていかれる予定だから、とのことでした。

当時の私は高1で、小さい頃から犬を飼いたい飼いたいと願っていましたが頑なに両親は世話が出来ないからとなかなか首を縦に振ってはくれなかったので、あまりの突然に犬がいる生活は宝くじが当たったくらいに嬉しかったです。

動物嫌いの兄と世話をどうせ丸投げしてくるんでしょ、と警戒気味の母を説得する間もなく生後3か月ほどの子犬は我が家で愛嬌を振りまいていました。

今では珍しい黒や茶色のぶち模様の雑種犬。

よく食べよく遊びよく眠る番犬ちゃん。

外の犬小屋を嫌い、いつの間にかテーブルの下で毛布を丸めて居座るようになりました。

私が社会人になっても朝一の散歩は私が連れて行っていました。

私が寝ぼけ眼で歩いていてもリードで彼女はいつも通りの散歩コースを歩いてくれました。

そして私が結婚して実家を出る日。

私だけの荷物を外へ運んでいると顔回りの白髪が増えた顔で私の周りをうろうろしていました。

引っ越し先は犬を飼えません。

連れて行く事は出来ませんでした。

実家を出てからは近距離でしたので何度も散歩に連れ出したりしていましたが、老いと共に彼女の身体は病気に侵されていきました。

がんでした。

お中には水がたまり、顔はぱんぱんに腫れあがっていました。

獣医は安楽死を進めてきました。

私と母は無知だったのかもしれません。

反対しました。

家で看取ると。

どんなに苦しくてもうちの中ではおしっこはしませんでした。

外のいつもの場所まで我慢をしていたそうです。

彼女が亡くなる前日、私は体調を崩していました。

結婚、出産、仕事とこなしていく中で疲労がたまっていたのでしょうか。

回転性の眩暈で立つことも出来ず、立ち上がっては吐き、歩くことも出来ず、目をつぶっても目が回っていました。

夜中、救急車に乗せられ運ばれました。

翌日、入院した事を実家に電話すると彼女が息を引き取った事を聞かされました。

今でも思います。

私は過労や疲労がたまっていたのではなく、彼女の苦しさ、辛さが私に飛んできたんじゃないのか。

最後の最後に私は側にいてやらなかったのか。

こんなに苦しい思いをするのなら・・・と他に方法があったじゃないか・・と。

その後、病院からすぐに実家に帰り固くなっていた彼女を撫でました。

あんなに腫れていた顔がすっきりして若い頃の顔立ちになっていたのはびっくりでした。

そのころには私の眩暈はおさまっていました。

実家の父と母がペット霊園に連絡をとり、火葬、埋葬の手筈となりましたが、あの日から10数年。

子供たちもそれぞれ犬が欲しい。

猫が欲しい、と言っています。

お世話をする事は当たり前です。

看取りの事を考えると新しい家族を迎えるのには躊躇してしまいます。

私には私の人生があり、生活し生きています。

ですが、彼女が我が家に来た。

毎日のお散歩、ご飯、お風呂。

話相手。

遊び。

そして最後の病気。

我が家に来て幸せだったのかな。

退屈じゃなかったのかな。

最後にあんな苦しさを私に伝えようとしてくれたのに私は自分がしんどいってだけで倒れてて、不安だったよね。

痛かったよね。

ごめんね。

気づいてやれなくて。

そう思うと子供たちが願う、愛玩動物としての迎え方にはまだ私は受け入れられないのが現状です。

30歳女 愛犬ボビーをペット霊園で供養してもらい前向きな気持ちに

はじめまして。

子供の頃から動物が大好きで大人になるまで動物とともに暮らしてきました。

現在は雑種猫3匹と、トイプードルの犬1匹と家族で生活しています。

昔飼っていた、うちのボクサー犬ボビーについて話します。

もともと私は大型犬種が好きで、子供のから大型犬を飼いたい!という願望がありました。

私が中学生の頃出会ったのがボクサー犬のボビーです。

里親募集のサイトを見ていてそこに掲載されたボクサー犬に一目惚れ。

家族にこの子が欲しい!!とお願いし、同意を貰って我が家に連れてくることになりました。

見た目は大きくて筋肉質で顔もちょっぴり怖くて、近所の人にはよくビビられていました(笑)でも本当は人が大好きで甘えん坊で食いしん坊なボビー。

ある時予防接種を受けに病院に行ったときに睾丸が片方しかない、とお医者様から言われました。

うろ覚えですが、片睾丸の子はあまり長生きしないよ!と。

それでも家族に迎えた可愛いボビーを大事に育ててきました。

一緒に遊んで、時には喧嘩したり、、、(笑)本当に兄弟のような関係でした。

しかし8年位経ったある日突然ボビーの食が細くなり元気が無くなってぐったりとしていました。

すぐに病院に連れて行き色々検査をしてもらいました。

生きるか死ぬかもわからない状態でした。

入院してもっと細かい検査をしたりと選択肢はありましたが、入院して家族と離れて辛い思いをするより、慣れ親しんだ場所で自然の流れに任せよう、と私たちはボビーを連れて帰ることにしました。

この選択が正しかったのか間違ってたのか。

賛否両論あると思いますが、、、。

それでも私たちはそれで正しかったと思っています。

ボビーをお家に連れて帰った翌日にボビーは眠るようにして息を引き取りました。

そして実家の近くのペット霊園に連れていき火葬してもらう事になりました。

ここでは火葬して下さり、遺骨も持ち帰ることができました。

まだボビーがすぐそばに居るんだ!と感じられました。

その後は再びペット霊園に連れていき、共同墓地へ預ける事になりました。

他の動物たちといっしょにあの世で元気に仲良く暮らしてくださいという思いで。

きちんと霊園で供養できた事で、亡くなった事で不幸な気持ちになるよりも前向きな気持ちで送り出すことができました。

32歳女 市の火葬場で焼却してもらい無事送り出せ、弔えました

私は、田んぼや畑に囲まれた田舎に住んでいます。

毎年冬になると、家の車庫の2階では猫が冬を越しているようでした。

追い払うのも可哀そうなので、毎年静かに見守っていました。

春になる頃には自然と出て行き、冬になるとまた違う猫が来る。

そうして家の車庫は、猫たちに利用されていました。

ある暑い夏の日、フラフラと歩いている猫を見つけました。

家の2階で暮らしていた猫の内の1匹で、見覚えがありました。

餌も無くて、困っているように見えました。

私が夜に散歩に出ると、その猫と鉢合わせしました。

猫はぐったりとしていて寝ていました。

私は「家来るか?」「家おいで。

」と話しかけました。

猫は驚いて逃げて行きました。

その次の日くらい、本当に家に来たのです!元々車庫で暮らしていたというのもあるけれど、今度は逃げないでジッとしていました。

私はお菓子をあげました。

見ているうちは食べなかったけど、どうやら食べたみたいでした。

次の日から私を見つけては甘えて離れず、「にゃーにゃ―」言って付いてきました。

飼う事にしました。

猫を飼うのは初めてでしたので、トイレの用意も分からなかったです。

外と家を自由に出入りできるようにしていました。

最初の内は車庫で飼っていました。

ベッドを作ってあげて、ごはんもそこであげて。

でも、寒くなって来たので冬の内は家の中で飼っていました。

猫友達もいたみたいでよく他所の猫が家に尋ねて来たし、家の猫もどこかに出掛けている様でした。

でも、夜ご飯の時間には帰ってくるという生活を続けていました。

時々どこかの家に閉じ込められて1日帰ってこないという事があって、その時はとても心配で眠れなかった物です。

「どこかで死んでるんじゃないか」と思って、泣きました。

心配なので私は完全室内外をしたかったのですが、母が外に出したがってダメでした。

「猫が外に出たがってる」「かわいそう」と言って、外に出していました。

心配していた事が起こってしまいました。

ある日の夕方、帰ってこないので探しに行きました。

家の前の道路で轢かれていました。

私は泣きました。

こんなに悲しいことがあったでしょうか。

次の日、市役所に電話をし火葬の予約をしました。

遺体を残しておくのはとても可愛そうで、すぐにでも弔ってやりたかったからです。

ペット用の焼却場で弔ってやりました。

49日過ぎた時、家の庭にお墓を作って埋葬しました。

名前と無くなった日を石に刻み、毎年命日には線香をあげています。

やっぱり、室内飼いにするべきでした。

ハムスターが凍死してしまった

どうも初めまして.26歳男性です.京都で大学院生をやっています.私は1年半ほど前にキンクマハムスターを2匹飼いました.

長毛でグレーの雌と短毛でベージュの雄を一目惚れして飼いました.1匹だと寂しいと思って同じケージで育てました.

二人は喧嘩もあまりなく,3か月後に子供が10匹ほど生まれました.子供が生まれると雄ハムを別のケージで買ったほうがいいという情報を得たので寂しいだろうけどはなして育てました.

子供たちはすくすく育ち,親ハムも元気にしていました.しかし,1年ほどたった冬に雄の親ハムが冬眠してしまいました.どうやら寒すぎたようです.暖房は家の中でつけていましたが,ハム用のものは買っていませんでした.

ものすごく後悔しています.ハムが寒くて寒くてしんどくて息を引き取ってしまうかとを考えると,本当にひどいことをしてしまったと思います.昨日までは元気だったので急すぎてつらかったです.

ハムスターは自分が弱っていることを隠す生き物だと知っていながら,その様子に気づけなかったのは飼い主失格です.ほかのハムスターたちをすぐさま部屋の中で暖かいところへ移動させました.

そしてすぐにプランターを買ってきて土に埋めて線香をつけてベランダで自分で供養をしました.本当であればもう一年くらい生きたと思います.彼の分も強く生きねばならないと思いました.プランターにはヒマワリの種を植えています.天国で元気にやっていることを心から願っています.

アドバイスとしてはハムスターは思っている以上に寒さに弱いということを心にとめておいてください.小さい暖房装置を買ってあげるか,綿などを入れて暖かくしてあげる,水などをこぼしていたらふき取って体が冷えないようにしてあげることが重要です.そして,何よりも愛情をもって育ててあげてください.

ほかのハムたちは今も元気に生きています.そして健康です.みなさんも生き物は大事にしてあげてください.同じような過ちを犯すこと人がいなくなることを願います.

※この記事はhttps://baocaotaichinh.info/を運営されていたマヤさんから譲渡していただきました。