20代女 愛犬がいるすべての人へ 地元の葬儀場 現実を受け止めれた
現在、実家から離れて住んでいる20代の女です。
私の世界一かわいい愛犬はミニチュアダックスフンド。
享年12歳でこの世を去りました。
出会ったのは私が小学校2年生の秋です。
地元のブリーダーから譲り受けました。
10匹ほどの生まれたてのダックスがいたのですが、ブラックタンの子ばかりだったのですが、うちの子だけ色がクリーム色で情けない顔をしていました。
家に帰ってから、遊ぶ気満々の私でしたが当時8歳。
少し怖くて遊べるようになるまで時間がかかりました。
私が反抗期で、母親としょっちゅう殴り合いの喧嘩をしていたころ、普段とても温厚な子でしたが、その時だけはいつも吠えて飛びついてきて止めてくれました。
そんな勇敢でちょっぴり情けない顔をしているあの子に異変があったのは、11歳の秋でした。
たまたま帰省していた私は、いつものように愛犬と遊んでいました。
しかし、その日はなかなかうんちが出ないようで、いつもの情けない顔がとても悲しそうでした。
「うんちでなくてもいいんだよ」あまりに悲しそうな顔をしていたのでそう声をかけました。
便秘だろうと家族全員が思っていました。
次の日、一人暮らしをしていた家へ帰りました。
実家からはバスで4時間ほどの距離です。
母から突然電話がかかってきました。
母は泣いていました。
「あの子に腫瘍がある。
手術しないと悪性かわからないけど、悪性だったらもう長くない。
」私も涙が止まりませんでした。
しかし、腫瘍がかなり大きく、悪性だとしたらもっと症状が出ているのではないか、という考えもあり、最悪の事態はあまり想像していませんでした。
いや、11年間一緒に成長してきたあの子がいなくなるなんて想像できなかったのだと思います。
後日、手術の日になり母からの連絡を待っていました。
1時間程度と言われていたはずの手術でしたが、母から連絡がきたのは5時間ほどたってからでした。
結果は骨肉腫。
腫瘍はかなり大きく取り切れなかった、そして肺にも転移していた、と告げられました。
お医者様ははっきりとは言いませんが、もってあと1,2か月という事でした。
そこから一度か二度だけ帰省できました。
ずっと一緒にいました。
最後に帰省した時、いつもはあまりデレデレしてこないあの子が、ずっと私の後ろをついてきました。
最後だと気づいていたのかもしれません。
そして、その年の冬、虹の橋を渡っていきました。
私は急変を聞いて急いで帰ろうとしたものの、間に合いませんでした。
帰ってからはまず、お世話になった主治医へ報告とお礼を伝え、葬儀の流れ、安置の方法を聞きました。
小型犬だったので、小さい段ボールに氷をつめて、その上にいつも使っていた毛布を敷いて寝かせました。
葬儀を行う場所も主治医の先生に聞いて、そこで行いました。
我が家の場合は、母がショックで何もできない状況だったので私が悲しんでいる暇がなく、自宅に帰ってから涙が止まらなくなりました。
ペットロスは大きな問題です。
そのためにも、葬儀をきちんと行ってあげることが、愛犬のためにも、自分のためにもなると思います。
そして何より、私たちより圧倒的に寿命の短いわんちゃん達に後悔がないよう、全力でともに生きることが大切だと思います。