私は小学六年生のときにセキセイインコを飼っていました。黄色と緑のきれいな色をしたとてもかわいい子でした。この子を飼うときにペットショップへ訪れた時に一目でこの子を飼うと決めました。決めた理由はこの子が一番輝いていたのとこの子と過ごしたいという直感的な理由でした。この子が訪れてから家庭が温かくなった気がしました。ゲージから出すととても元気に飛び回り、肩に乗ったり自由気ままな姿を見るのが好きでした。家族と共に過ごす機会や話題もくれたのもこの子のおかげだと思います。しかし、中学生に上がるにつれてこの子と過ごす機会が減ってきました。私は部活に熱中し、休日も平日も変えるのが遅くなり遊べなかったからです。その状態が高校生を終えるまで続きました。朝早く朝練があるから出ていき部活の練習につから遊ぶこともほとんどなくなっていきました。この六年間の期間ほとんど遊ぶことができなく、自分のことばかり優先してしまったことはとても後悔しています。大学に入学してからは部活をやめたので一緒に遊ぶ機会がまただんだんと増えていきました。しかし六年空いた穴を埋めるのは遅すぎたと感じました。年のせいかあまり元気に飛び回ることも肩に乗ってくることも少なくなっていました。それでも空いている日は毎日遊びました。そして、大学二年生になった時セキセイインコの寿命のことを意識し始めました。もう一緒に過ごして八年の時が過ぎていました。なるべく長生きしてほしかったのですがそうはいきませんでした。授業中に母からの一通のラインが入り体調が悪く一切飛ばなくなった、と。急いで家に帰り側に寄り添いました。まだ息があるもののとても苦しそうな君を見るのはとても辛かったです。1日中ゲージから出し寝るのでさえ一緒に過ごしました。そして、朝目が覚めると隣には息を引き取った君がいました。正直その時は実感がなく虚無感が身にまとわりついていました。この子を幸せにしてあげられたのだろうか、たのしかったのだろうかなどといろいろ考える日々が続きました。今でも考えることがあります。かまってあげられなかった6年間をとても後悔しています。今は気づかないかもしれませんが人は失ってから大切さに気付くことが多いと思います。これを読んだ方はこのことを忘れずに生きてほしいです。失う前に。
22男 1年の時を経て時間が解決してくれました
