新しいペットを飼うことでペットロスを解消した体験談

目次

55歳女 同じ体験をした人と話す

55歳の主婦です。

パートで働いています。

私がこれからお話しするメスの黒猫ココと出会ったのは5年前の11月でした。

県の動物愛護センターから『飼い主募集中』と出ていた猫をネットで見つけ、引き取りました。

ココは当時4歳程度とのことで大人だったのでなかなか引き取り手がなかったようでした。

迷子になっていて保護されたそうで、人慣れしていて初日から家族の膝に乗って甘えて可愛がられました。

 ココの体調に異変が出たのはそれから3年後。

腎不全と診断され、1年の闘病の後亡くなりました。

まだ8歳。

うちの子になってからわずか4年でした。

 ココがいなくなってから毎日泣いてばかりでした。

何を見てもココの思い出に繋がり、車の運転をしながら、家事をしながら、お風呂に入りながら、いつも泣いていました。

外出して猫(特に同じような黒猫が)を見かけると辛いので出かけることも嫌になり、誰かに会って猫のことを話したくない、「亡くなった」という言葉を話したくなくて知人に会うことも嫌でした。

 私を心配した家族が「また猫を飼おう」と言い出したのはココの死からまだ1ヶ月後でした。

私は「とんでもない」と思いましたが「家にこもってばかりでは」と夫に連れ出され、保護センターや民間の譲渡会に出かけました。

そこで、猫の保護をしている方と出会い、夫が、最近猫を亡くしたことなどを話すうち、その方も何年も前に亡くした猫が忘れられず、今でもその子をスマホの待ち受けにしていることなどをお聞きしました。

お話を聞くうちに「この感情を持ったままでいいんだ。早く何とかしようと焦らなくていいんだ」と思い気持ちが少し楽になったことを覚えています。

その方は夫にも「まだ奥様は辛い時期だから落ち着くまで待って」と言ってくださいました。

 その2か月後、その方から連絡をいただき、思いがけず子猫を飼いはじめました。

チョコレートのような茶色いおてんばな子です。

それでも飼い始めはココを思い出して泣きました。

でも「ココの代わりに」ではなく「ココの分まで」愛情を注ごうという気持ちに変わっていきました。

 ペットを亡くした方へ。

同じようにペットを亡くし悲しい体験された方は気持ちを分かってくださって話しやすいです。

体験のない人によっては「ペットを亡くしたくらいでいつまでも」と分かってもらえず、こちらがよけい辛くなります。

 悲しみが癒えるまでには時間も必要です。

我慢せずに泣いてその子を想ってあげてください。

居候猫から飼い猫へ、楽しかった日々と別れ

初めまして。

ずっと猫嫌いでしたが、仕事で実家を離れている間に両親が野良猫を拾い、買い始めたのがきっかけで猫好きになりました。

実家は田舎で庭付きの家が多く、猫は外へ自由に出入可能な状態で飼っているうちも結構あります。

実家にいる間は犬を飼っていたこともあり、よく猫に向かって吠えていたので、自分自身も庭に不法侵入してくる動物といった感じで好きになれませんでした。

10年ほど前、帰省すると家の裏口に猫が待っていることがあり、母がこっそりご飯をあげているということでした。

野良猫なのでのみとかいるかもしれませんし、私はあまり触りませんでしたが、人見知りしない猫のようで両親によく懐いていました。

その猫が身ごもり、家の裏で子猫を育て始めたのがきっかけで、ただご飯をあげるだけでなく飼おうということになって病院で予防接種したり、去勢や避妊手術などをしてその後長らく両親に愛されて暮らしています。

いざ買い始めてみると、やはり可愛いもので、特に子猫の可愛さは魔力でもあるかのようでした。

家族はすっかり猫にとりつかれてしまって(良い意味で)、私は変えるたびに猫と遊ぶことを楽しみにするようになりました。

両親にとっても猫のいる生活はいろいろな世話の手間が増えるものの、日常を楽しくしてくれるかけがえのない存在だったようです。

生まれた子猫のうち、子供の頃大怪我したことで一度家の中で飼っていた猫は特にお気に入りのようでした。

運動神経がよかったのか、その猫だけが裏口の網戸をうまくよじ登って家の中へ出入できます。

また、警戒心が強く怖がりなため、両親にしか懐かないということも両親の心をとらえたのでしょう。

正直猫のいる生活がここまで二人の生活を明るく変えてしまうとは思いませんでした。

父はDIYで猫用のタワーを作って見たり、趣味を広げることにもなったようです。

そんな幸せな時間が10年ほど続きましたが、散歩に出かけたお気に入りの猫が帰ってこない日がありました。

毎日出かけて必ずご飯を食べに帰ってきて、母に毛づくろいのブラシ掛けをしてもらって寝るのが日課になっていたので、不安に思った両親が探したところ、近所の人の情報で近くの道路で車に跳ねられて死んでいたのを見つけたそうです。

両親のショックは大きくしばらく眠ることもできなかったとか。

私自身も非常に落ち込みました。

そんな落ち込みの状況を救ってくれたのはやはり猫でした。

死んだ猫の兄弟の接し方が変わり、より人に懐くようになりました。

猫的には一番優遇されていた猫のポストが空いたのでそこに入ってきただけなのかもしれませんが、そうした変化が人を癒します。

死んでしまった猫は帰りませんが、また新しい猫との思い出とともに立ち直ることができたと思います。

猫の寿命を考えれば、いつかは人間より先に死んでしまうのは避けられないので、生きている間に精一杯可愛がってあげたいと思いました。

40歳女 その子との思い出を毎日話しましょう

猫が大好きで三匹飼っていました。

現在は一匹いますがあとの二匹のうちの一匹を亡くした時ショックでその前後の記憶が何をしても悲しみと喪失感だったので同じ思いの方と分かち合えたらと思います。

その子はとてもおてんばなメスで田舎に住んでいることもあり外にも自由に出していました。

避妊手術もしてその子が2歳くらいの時、夜になっても朝になっても帰って来ないので心配したまま仕事に出かけたら、父から電話があり道路の反対側でうちの子が足が血だらけになって倒れているとのことでした。

車にはねられたのです。

父が病院に連れて行きまだ息はあったので仕事が終わってからすぐに病院に行きましたが何日か経って足の骨折だけでなく神経を傷つけてしまっていることがわかり、腰から下に感覚がないためもう自力で歩けないとのことでした。

神経が通っていないのでトイレの感覚もない。

1日何度かトイレを私たちがお腹を押して排便をする手伝う生活が始まりました。

木登りが大好きだったのに私のベッドにも自力で二本足で上がるのに一苦労でとても可哀想でした。

動かない麻痺した後ろ足の怪我を防ぐために私の部屋か二階だけで生活するようになりました。

私が出かけたり旅行以外はそれからずっと一緒の部屋で生活しました。

全てわたしか家族の力でトイレをして生き延びていると思うと本当に可愛いというかお世話のしがいがありました。

寝るときもほぼ私の腕まくらで寝ていました。

1日でもおしっこがでないと猫は死んでしまうから必ず家族の誰かが家にいなければなりませんでした。

そんな生活が10年ほど続いて、猫も高齢になりかけた頃、胸のあたりにしこりを見つけました。

病院に連れて行ったら乳ガンでした。

手術を勧められたとき、この子にもう麻酔や手術でカラダにメスをいれたくない。

二本足で10年生きてきて手術してさらに何年生きられるんだろうか。

家族もそれに賛成して余生をゆっくり過ごしてもらいたいと思っていたらその後1ヶ月半後くらいした頃急に元気がなくなり、そう思っていた2日後に呼吸がどんどん荒くなって亡くなってしまいました。

二本足でもすごく元気になって毎日ベッドによじ登ってきて一緒に寝てた子がそのベッドで苦しんでいる姿を見て最後何もしてあげられずに1日か2日でどんどん弱って死んでしまう姿、はじめて看取る愛猫の死に呆然とするばかりでした。

みんなで良くお世話したよねと慰めあいましたが同じベッドでいつもぬくもりを感じながら過ごしてた子が冷たくなり、その子が硬くなっていく姿はなんとも言い難いものです。

今もいる猫は可愛いですけど人間のベッドで一緒に寝ることを真冬でもしない子なので私の寝るときの寂しさのロスをうめるのには抱き枕でした。

また家族で毎日さみしいねとかその子の好きだった餌のこととかなんでもいいので思い出を語り合うことでその子を忘れていないこと、よくお世話したよねと話し励ましあうことで元気を得ています。

ガンの治療をしなかったことの後悔はありませんが、交通事故にあわせてしまったことは私たちが家と外を自由にさせていたせいで事故にあってしまったので今の子もそうですが、猫は飼うなら室内でが絶対良いと思います。

また思い出をどんどん話すとその子を忘れませんし写真や動画を見て懐かしむこともできるので生きているうちにその子の写真や動画をたくさん撮っておいて良かったです。

最近新たに子犬を迎え入れました。

全く猫とは違いますが新しい子を迎えることも気分が全く変わって良いと思います

50歳、女性、新しい出会いをすることで寂しさが癒えていきました

私は家族4人で地方に暮らしている専業主婦です。

初めはわが家の子どもが欲しがったことからハムスターを飼いました。

飼育箱のセットなどは子どもたちがやりましたが、掃除も時々はするけど忘れたりして、毎日の餌やりや水替えなどの必須のお世話は結局私がするような形になり、そのおかげで情が移ってかわいいと思いました。

子育てのようなもので毎日の様子をつかむことが大事だと思ったので、朝一番に様子を見て、何時間かおきには見るようにしていました。

学校に行って不在の子どもに見せようと写真も私が一番たくさん撮りました。

よく考えるとこのハムスターとは私が一番長く一緒にいたことになります。

ハムスターの寿命は短いとは分かっていたので、2歳頃からは特に毎日の動きに注意して見ていましたが、運動量も餌の寮もガクンと落ちたなと分かり、そろそろだと思っていた矢先に死んでしまいました。

朝見た時には緩慢ながらも動きがあったのですが、その数時間後にうずくまって息はしていて、数十分の間に息を引き取りました。

そのすべてを見ていたので、何もしてあげられない残念さと、それでも天寿は全うしてくれたという気持ちでした。

飼育不良ではないことは分かっていたので後悔はないのですが、やはり死に直面すると悲しかったです。

帰宅した子どもも泣いたので慰め役になりましたが、実際に命の終わりを見届けた身としてはつらかったです。

小動物とたった2年ほどでしたが、情が移っていたこともあり、しばらくの間は良く涙が出て、子どもが家に居ない時などには声を上げて泣きました。

飼育スペースが空っぽになっているのを見ても涙があふれてくる日が何日も続きました。

後悔はないものの、寂しかったです。

子どもも同じように寂しい思いをしていたようでしたし、別れる悲しさよりも育てる楽しさをまた味わえば楽しいのかもと少し思えるようになって、新しいハムスターを飼うことにしました。

前の子と比較しながら子どもと話したりしてお世話をする毎日の中で少しずつ寂しさが薄れていきました。

30代・女・新しい家族がペットロスを乗り越えさせてくれた

はじめまして。

私は30代の主婦です。

現在は主人の仕事の都合で地元を離れ賃貸アパートに住んでいます。

私は10代の頃経験したペットロスをお話ししたいと思います。

その子との出会いは7歳の時でした。

記憶の中にあるのはブリーダーさんのところへ父の運転する車に乗り迎えにいっている所です。

当時、犬を飼いたかった私はその子を家族と迎えられることになりすごく嬉しかったのを今でも覚えています。

散歩やご飯担当し、幼いながら一緒に成長していきました。

時には、友達との遊びの最中に連れて行ったはいいがリードのつなぎ方が悪く脱走されたり。

学校で嫌なこと、嬉しいことがあったときは報告して。

本当に私の人生に大きくかかわってくれました。

脱走したとき、たまたま良い方に見つかって近くまで連れてきてくれました。

あの時の愛犬の顔は可愛くてたまりませんでした。

そんな思い出がたくさんの日々でしたが11年の月日が流れると愛犬も寝てる時間が長くなったり、家族が帰ってきた音ににぶくなったりしていました。

食欲も以前より落ちてきていたのですが我が家では毎年庭でバーベキューをするのですが庭でおいしそうな匂いがすると愛犬も食べ物を欲してました。

それは毎年のことで、その時はせっかく食欲があるときだからと思い愛犬が好きだったおやつを食べさせながらその時を楽しみました。

しかしその日を境にご飯を受け付けなくなり愛犬は天国に行きました。

涙が止まらず…信じられませんでした。

今までありがとうね。

最後にお風呂入りたかったよね。

ごめんね。

自分の悲しい気持ちと今までの思い出を語りかけながらずっと硬くなった体をなでました。

次の日仕事の父とは別に私は自分で火葬場に連れていき最後の別れをして涙しながら職員の人と一緒に骨を拾いました。

その後も家に帰るたびに犬小屋のほうに目を向け…というか目を向ける事が習慣だったんですね。

帰ってきて、嬉しそうにしっぽを振る愛犬に ただいま。

と声をかけるそれが当たり前でした。

そのがもういない…喪失感というか、生活にぽっかり穴があいたような。

そこにいないことが不自然すぎて。

家に帰ってきた感じがしないのです。

もっといろんな所に連れて行ってあげたかった美味しいものを食べさせてあげたかったシャンプーも頻繁にしてあげればよかった写真をもっと撮っておけばよかった人もペットも同じですね。

やりきることはできない。

そう感じました。

人それぞれだと思いますが、私はどうしても犬がいない生活が自分の人生ではありえなかったので数年後、新しい愛犬を迎えました。

そこに踏み出すまでは悲しい気持ちは蓋をしないでとことん愛犬を思い出しました。

悲しみのどんぞこから時間が経つにつれ不思議と犬を飼って後悔しているか考えたんですそしたら私にとっては犬との生活は楽しい事しか思い浮かびませんでしたなのでまたお別れする日がくるだろう。

でも愛犬にしてあげたかった事があるならばなおさら次の家族になる子を迎え楽しく笑って暮らし、前の子にしてあげれなかったことをしてあげようと思いました。

現在私が飼っている子は室内犬です。

以前飼っていた子は中型犬で室外で飼っていたので、絶対に室内犬!!と決めていました後悔してたことを悔いのないように実践しています。

といっても現在実家に預けています。

今のアパートは会社契約でペット不可なので少しの間離れ離れです。

3か月後にはマイホームが出来上がります。

早く一緒に住むのが楽しみです。

ペットロスは思いっきり悲しんでいいと思います。

蓋をしたら先に進めません。

急ぐこともなくゆっくりゆっくり。

自分の気持ちに向き合うことで見えてきます。

新しい家族を迎え入れる事は一番の前進でした。

大好きなペットとお別れしてもまた素敵な日々が送れますように…

35 男 新しい猫を拾ってペットロスを解消した

私は田舎の地方都市住まいです。

家の周りはまだ畑や田んぼが残っていて、野良猫なんかも少なくありません。

もう20数年前になりますが、私が小学校低学年の時に野良猫がうちの庭に迷い込んでおりました。

生後8か月くらいでしょうか、凛々しいけどまだあどけなさの残る白黒茶色が混ざった雄猫でした。

仕方なくご飯に味噌汁をぶっかけただけのねこまんまを食べさせてあげたのですが、いずれでていくだろうと特に家に入れる事もなく放っておいていました。

そのうち、ねこまんまに鰹節が混ざったり、こっそりお小遣いでかった猫缶をあげたりうちとの距離は縮まっていたものの、まだ飼うとはなっていなかった頃。

うちの近くで全く関係のない猫が死んでいたのです。

その猫を偲ぶように寄り添って離れない雄猫がいました。

カラスなんかも近寄ってくるのですが、追っかけまして追い払ってはその死んだ猫の元に戻ってくるのです。

それをみたうちの母が「あんなに情に厚い猫は飼わんといかん」と言い出し、死んだ猫を埋葬し、雄猫を飼う事に決めました。

その時驚いたのは、私たちが死んだ猫に近づいても特に威嚇せず、付いてきたのです。

母だけでなく私も何か運命的なものを感じ、飼う事にしました。

にゃん太朗と名付け、それからは私はにゃん太朗を兄のように感じ、何をするにも一緒で10数年過ごしました。

家族です。

そして最後は病気を患ったものの、苦しむことなく亡くなりました。

にゃん太朗が死んだことを認めたくなかった私はペット葬式や弔いをすべて母に任せてしまいキチンとお別れ出来ず、それもまた心残りとなってしまいました。

実家の近くの原っぱに行くと、一緒に鬼ごっこをしたな。

裏の線路を見ると、3日ほど行方不明になったとき夜な夜な轢かれてないか確認しに行ったな。

実家のソファをみると、父が邪魔にしつつ父と寝ていたな。

出かけようとすると、最後フラフラになりながらも見送りに玄関まで来てくれたな。

などなど、何を見ても思い出してしまって辛かったことを覚えています。

今まで可愛がっていた彼がいなくなって、ぽっかりと穴が開いてしまったのがわかりました。

見かねた母が、新しく猫を飼おうかと言いましたが、私は代わりを求めていたわけではないので断りました。

そんなある日、またも野良猫が、似ても似つかないくらい愛らしい子猫がまた庭にいたのです。

私は、また辛い思いをするのは嫌だったので里親でも探そうと提案しましたが母は「にゃん太朗があの世で心配してるんじゃないの。

だからわざわざ子猫をうちに送ってくれたんじゃない?にゃん太朗も幸せだったからウチにこの子を送ったんじゃない?」と言いました。

続けて「悲しんでてもにゃん太朗だって喜ばないでしょ。

にゃん太朗に向けてた愛情をこの子にも分けてあげなさいよ」と言われハッとしました。

悲劇のヒロイン気取っててもにゃん太朗は戻らない。

だったら今困っているこの子を助けてあげようと思ったのです。

その子猫を飼う事にしたはいいものの、ほんとに子猫過ぎて、餌からトイレから苦労しました。

おかげでにゃん太朗の悲しみを忘れられたのも事実です。

その後他に家を建てても何故か猫が寄ってきて、また違う猫も飼っています。

縁があればまた違う猫を飼う事もあると思います。

ペットを亡くした気持ちは痛いほどわかりますが、逆に、亡くなった猫ちゃんが「幸せだったよ、だから今困ってる猫を代わりに幸せにしてあげて」と新しい猫を送り付けてきてると考えると逆に笑えてくるのです。

なので、ロスで悲しんでる方がもしいらっしゃったら、ペットショップで新しいペットを飼っても良い。

以前のペットとの時間があったから新しいペットを飼えると気持ちを切り替えて欲しいと思うのです。

乱雑な文章で失礼しました。

47歳・女性「訳あり犬を我が子にして命を救ってペットロス克服」

現在40代後半の主婦で、小さい時からいつも犬と一緒の生活が当たり前の家庭で育ちました。

今から12年前に、大型の新築マンションに引越しをしたのですが、昼間は当時1歳の娘との生活で、見知らぬ土地ですし、友達もいないので、うつ病になりました。

たまたま出かけたホームセンター内にペットショップがあり、犬嫌いの主人が飼うことなんて許してくれないと思っていると、腸ヘルニアで売れ残っていて、しょんぼりとしている白いロングコートチワワと出会いました。

ちょうど引越しをしたマンションが「ペット飼育可能、ただし小型犬に限る」となっていたので、主人も私の病気が少しでも楽になればと、飼うことを許してくれて、我が家に連れて帰りました。

名前は「いちご」と名付けて、娘の妹のように可愛がりました。

寂しがりやで大人しく、いつも私の足元にいるかわいい子でした。

ヘルニアは治ったのですが、7歳になり、フィラリアの検査をしている時に、心雑音があることがわかり、エコーなどの検査をしたところ、「僧坊弁膜症」とわかり、投薬での延命しかないと宣言された時は、娘と私で病院で泣きました。

時々、「ゲホ、ゲホ」と咳き込みが激しい時があり、気にはしていたのですが、この激しい特有の咳き込み方が「僧坊弁膜症」のワンちゃんがすることと知りました。

咳き込みがひどい時に、もう少し早く連れて行って、診察を受けていれば、よかったのかと思うと、そうではなく、僧坊弁膜症を発症すれば、もう延命措置しかないと説明を受けると、もう大事にするしかないと決めました。

毎日1回薬を飲ませて、薬が切れそうな時に診察に連れて行く生活が3年間続きました。

薬がなくなれば、心臓の弁膜が止まって死んでしまう、その恐怖が毎日続きましたし、薬を飲ませていても、完全な延命措置ではありませんから、毎日毎日が愛おしくてなりませんでした。

しかし、別れは突然やってきました。

ちょうど中学受験をする娘の出願日の前日(2016年12月22日)に、「ママ、いちごちゃんの様子が変だよ」というので、様子を見ていると、おすわりをしていてもフラフラしているので、翌日に受験の出願はインターネットからできるので、出願を済ませてから病院へ連れて行くことにしていました。

そして翌日の12月23日、パソコンに向かって娘とネット出願をしていたのですが、突然いちごちゃんが倒れて泡を吹き出しました。

これは危険と判断して、近所に住む実家の父に車をお願いして、動物病院にも緊急診察の連絡をいれ、私がいちごをタオルで包んで抱っこして、急いで動物病院へ向かいました。

しかし、車の中で痙攣を起こして、泡をますます口から出して、冷たくなっていき「いちごちゃん!もうすぐ病院で先生に診てもらおうね」と声をかけましたが、車内で息を引き取り、動物病院で死亡確認をしていただき、泣きながら帰宅して、ペット専門の火葬会社に火葬をお願いしました。

延命しかなく、健康体に戻ることは絶対にないと宣言されて覚悟はしていのですが、突然の別れで、そして自分の胸の中で息を引き取ったので、かなりショックで泣きました。

娘の中学受験もあって、精神面に影響がでないか心配しましたが、「いちごちゃんのために、頑張る」とその後勉強を頑張り、見事志望校に一発合格をしました。

合格したのはよかったのですが、いつもいた「いちごちゃん」がいないということで、時々涙を流す娘には心が痛みましたし、私もふとした時に、自分の胸の中で死んだ「いちご」の顔を思い出すと、涙が止まらず、中学校の準備で出かけるのもつらくて、普段の生活も何もしたくないと感じました。

そして、4月に娘が中学校に入学してから、ふとペットショップに立ち寄った時に、「いちご」と同じような境遇のチワワの子を見かけたのです。

その子は、「目立たないうけ口」ということで、血統はいいのに、うけ口という理由で売れなくて、もう売れなければペットショップの人が引き取ることになっていたということを、店員さんから聞き、娘が抱っこして、いろいろと話を聞いていると、すっかり娘になついてしまい、ついに「いちごちゃんがまた来てくれた!この子を妹にしたい!」と言い出しました。

主人とどうしようかと悩んだのですが、ワンちゃん自体も娘にすぐになついて、離れたくないとぴったり寄り添うので、そのワンちゃんは「いちごちゃんの生まれ変わり」として、我が家の子にすることにしました。

しかし、その後、この引き取った子が食物アレルギーもちとわかり、病院でしか買えないフードで生活させているのですが、ひとなつっこい性格で、「いちご」とはまた違う性格なので、娘にも笑顔がもどり、私もふとしたことで涙を流したり、日常生活に不便さを感じなくなりました。

新しい子を迎えることで、ペットロスを解消するというのは、いいのかどうかはわかりませんが、「いちご」も障害を持っているということで、我々と出会い、そして新しくやってきた「マロン」は食物アレルギーとうけ口というハンディキャップを持っているので、我が家には、そういう訳ありの子がやってくるというご縁があるのかもしれません。

ハンディキャップをもつ犬を嫌がる人は多いと、店員さんからお聞きしましたが、私は、ハンディキャップをもつ犬ちゃんとの出会いで、かわいそうな子を救ってあげて、ペットロスを克服しているのだと感じます。

犬好きですし、保護犬にも興味はあり、もし余裕があれば、保護犬を我が子として引き取って、大事にしてあげたいです。

保護犬・保護猫を引き取ることも、ペットロスを乗り越える方法かもしれません。

18歳からの13年間セキセイインコと過ごしました

今現在35歳、男性、会社員の話です。

18歳高校3年まで両親と、過ごしていました。

小学校時代にセキセイインコを飼っていたのですが、小学校のクラス全体で育てるという事になり、自分のクラスで当番制で世話をしていたのですが、いつの頃からか忘れてしまったのですが、自分のクラスに預けわずか数カ月でセキセイインコがなくなってしまい、二度と学校と一緒にはペットは飼わないと強く心に決めていました。

18歳になり、高校を卒業し2年間だけ、両親が用意してくれた分譲マンションに1人暮らしをする事になり、ある日何と無くふらっとペットショップに入ると、時代は鳥インフルエンザの猛威をふるっていた時だったので、セキセイインコが二羽で税込で3980円で販売していました。

正直その瞬間は、今でも覚えていますが、ほぼ直感で飼いました。

万が一、病気になってしまった際の病院の確認、治療費の相場確認、ペット保険、毎月のご飯代、ペットが居る以上、旅行に行く事も今後は簡単にはできなくなるなど、今、この年齢ならば考えて、その上で飼うかどうかを決めるのですが、この時ばかりは、本当にスピード勝負で飼いました。

セキセイインコは、私が当時読んだ本ですと、平均寿命が7年から20年位と書いてあり、事実私の飼ったセキセイインコ達も最大で13年間生きてくれました。

最後の方は、飛ぼうと羽を羽ばたかせても落ちてしまうので、それで衝撃で怪我をしないようにずっと見ていました。

最後に飛べない中飛ぼうとしてくれていた姿は、今でも目に焼き付けられてはなれません。

亡くなったあとは、自身の家族の墓の近くに埋葬しました。

今でも自宅にセキセイインコのゲージはあるので、ペットロスは簡単には消えませんでした。

毎年家族の墓参りに行く度に思い出すので、私がペットロスを解消できたのは、今、新しくイングリッシュモルモットを飼っています。

毎日の世話に追われ幸せなのですが、そのおかげでなんとか、ペットロスを解消できているのだと思います。

それ以外の解消方法は、私は時間が、解決してくれると個人的には、思います。

こればかりは中々難しい問題です。

24歳女 新しくペットを飼う

私は小学生の頃から飼っていたヨークシャーテリアが3匹いました。

性格は甘えん坊だったりやんちゃだったりクールだったりでそれぞれ違う可愛さがありました。

年齢もみんな14歳以上で目も見えにくくなっていたのか、壁に頭をコツンとぶつかることも多かったです。

エサの時はとても喜んで元気に食べていましたが、それ以外のはほとんど寝たきりになっていました。

最初の一匹が突然の痙攣を起こし、病院に連れて行くと膵臓の数値が悪く1週間入院をしました。

入院のおかげで調子も良くなりあと2日で退院となった時に体調が急変し、駆けつけた時には既に息を引き取っていました。

ペットを失うのは私にとって初めての事だったのでショックがとても大きかったです。

最初の一匹が亡くなって、半年後に残りの2匹も後を追うように亡くなりました。

寂しくて一緒に逝くんだと聞いたことがあったので、一気に家族が減るかもしれないと覚悟はしていましたが構えていてもいざ3匹すべてがいなくなってしまうと中々立ち直れませんでした。

最後の1匹は自宅で、母の腕の中で息を引き取りましたが、2匹は病院で亡くなってしまったため看取ることができなかったのが悔しい気持ちと寂しい思いをさせてしまって申し訳ない気持ちがありました。

家で生活をしていると、キッチンに立っているといつもおこぼれを狙っている1匹に気をつけて食材を切ったり、犬達を踏まないように下を見ながら歩いたりすることが癖になっていて、もういないんだったとふと我に返ったときに思い出しては泣いていました。

家族と話し合い、こんな悲しい思いはもうしたくないからペットは飼わないと決めました。

しかし、あるご縁で同じヨークシャーテリアの子犬をまた飼うことになりました。

最後の1匹が亡くなって1ヶ月経ったぐらいの時でした。

はじめはこんなすぐに飼っていいんだろうか、周りから変に思われないだろうか、と後ろ向きでしたが、初めてその子犬を見た時にビビっとくるものがあり、その直感を信じて飼うことにしました。

初めてのオスでとてもやんちゃで賢くて家族みんなが癒されました。

その子が来てくれたおかげで毎日が楽しく、幸せな気持ちでいれるようになりました。

この子を一生幸せにしてあげたいと思い、また生きがいとなったので、新しくペットを迎え入れるということで私はペットロスから立ち直ることができました。

36才女、ペットロスは新しいペットで埋めるしかない

私は地方のとある田舎で、両親と祖父母と一緒に暮らしている36才の女性です。

我が家では青色のセキセイインコを飼っていました。

そのインコは人懐こいことと、外に出たがることがあり、締め切った部屋の中で時折カゴから出して、室内で遊ばせていました。

カゴから出ると、手に乗って遊んでくれたり、撫でさせてくれたり、ティッシュをちぎって遊んだりと、仕草のすべてが可愛らしくて面白いものでした。

しかし、別れは突然訪れます。

ある日、酒に酔った父が、玄関のドアを閉めないまま、カゴからインコを出して遊び始めたのです。

インコはそのままドアから外に飛び出して、出ていってしまいました。

1ヶ月ほど待ち続けましたが、インコは戻ってきませんでした。

家族みんなで父を責めました。

でも自分の過失で逃してしまった父の方が、精神的に参っていることは目に見えてわかっていたので、責めることもだんだんできなくなりました。

家庭で飼われていたインコが野生で暮らすことは難しいはずなので、1ヶ月待っても戻らないことがわかった時は、もう生きていないだろうと理解しました。

インコがいなくなってから、我が家は暗くなってしまいました。

自宅には他にも犬やうさぎがいたのですが、かけがえのない1羽がいなくなることはそれほど寂しくて辛いことなのだと痛感しました。

インコがいなくて後悔したのは、思い出をほとんど残していなかったことです。

残ったのは鳥かごと数枚の写真だけでした。

写真にはインコの姿かたちが映っているので悪くはないのですが、できれば動画として残しておきたかったです。

我が家のインコは話しかけると、挨拶するようにさえずりをしたり、首をかしげる仕草をしていたのですが、それは写真からではわかりえません。

ただ、実物のインコはもういないのに、思い出ばかりにふけるのは虚しいものがあったりもしました。

結局ペットロスを少しでもなくすために、新しいインコを飼いました。

新しいインコは前飼っていたものほど人懐こくはないのですが、少しでもロスから立ち直りたいです。

40代女性、新しい愛犬と暮らしがペットロスを解消してくれました

私達夫婦には子供が居ません。

結婚して2年ほどが経った時に、犬を飼おうと思い始めました。

でもペットショップではなく、何らからの理由で保護されている犬を飼いたいと思って、色んな保護施設を周ったり、犬の里親探しのイベントなどに参加して、夫婦二人ともが気に入る犬を探し回りました。

そして、ある里親探しのイベントに行った時に、一匹の可愛い犬に出会いました。

その子は私達夫婦を見ながら一生懸命に柵の周りを飛び跳ねていました。

その犬を見て、私も主人も気にって、その子を引き取ることになりました。

その子はその時3歳で、元の飼い主さんから虐待をされていたので保護されていたそうです。

その過去の辛い経験からなのか、一緒に住むようになってからしばらくの間は、とても大人しく、全く鳴くこともありませんでした。

でも保護団体の方から、その子は散歩が大好きだと聞いていたので、頻繁に散歩に連れて行きました。

それから一カ月ほど経った時に、愛犬をおいて私も主人も家の外に出た時、初めて鳴き声を聞きました。

その時は可哀そうと思う気持ちと、初めて彼女の鳴き声を聞くことが出来て嬉しかったのを覚えています。

そしてそれから、愛犬はだんだんリラックスしてくれるようになって、お腹を見せて寝るようになりました。

そんな姿を見て、私たちに心を開いてくれていると嬉しかったです。

私たちは愛犬と一緒に色んな場所に出かけました。

公園、ビーチ、山など、私達が行くところはどこにでも連れて行きました。

何度もキャンプにも一緒に行きました。

そして愛犬はどこに行っても楽しそうでしたし、私達はその姿を見て嬉しかったです。

でも愛犬が10歳を過ぎたころから、行動がだんだん遅くなってきました。

そして15歳を過ぎると、大好きな散歩にもあまり行きたがらなくなってしまったり、家でもずっと寝ていることが多くなりました。

心配だったのですが、年だから仕方がないと思ってそのままにしていました。

でも愛犬が16歳を過ぎたころからは、極端に動きが遅かったり、以前とは態度が違ってきたので、かかりつけの動物病院に連れて行きました。

そして獣医師さんに言われたのは、愛犬の腎臓が弱っているということと、高齢だから仕方がないということでした。

それでもまだ大丈夫かなと思っていたのですが、その数日後から愛犬が苦しんで鳴くようになってしまいました。

あわてて、再度、動物病院に連れて行って、色々と検査をしてもらうと、腎臓と肝臓の状態がかなり悪いので、もしかしたら今夜が峠で明日まで持たないかもしれないと言われてしまいました。

私達はその言葉を聞いて、すごくショックで二人で泣きました。

愛犬はぐったりして、まったく動けない状態でした。

でも私は最後までちゃんと看取る覚悟をして、愛犬を夜通し、なでたり、話しかけたりしていました。

そういう日が何日か続いた後、愛犬が少しずつ、動けるようになってきました。

まったく動くことが出来なかった愛犬がゆっくりと歩けるようになった時には、本当に嬉しくて感動しました。

そしてそれからは、また一緒に愛犬が好きだった公園やビーチに出かけることが出来ました。

ご飯も少しずつ食べることが出来るようになって、すごく嬉しかったです。

動物病院にも頻繁に連れて行って、お薬をもらったり、点滴を打って貰いました。

そんな日々が3か月ほど続いた後、愛犬は急に天国に逝ってしまいました。

弱ってはいるけど、まだまだ大丈夫だと思っていたので、彼女を失った時には本当にショックでした。

息を引き取った後にも、何度も人工呼吸をしたり、身体をさすって話しかけたりしましたが、彼女が生き返ることはありませんでした。

私たちは本当に悲しくて悲しくて、愛犬の思い出がいっぱいある家に居ることが出来ずに、外出ばかりしていました。

周りの人たちは、別の犬を飼うことを勧めてきましたが、私達は愛犬のことが忘れられなかったし、愛犬を失った時のショックが強すぎて、別の犬を飼うことは出来ませんでした。

そしていつも愛犬の話をしました。

それから2年以上が経ってから、引っ越しで遠くの場所に移動しました。

すると新しい犬を飼いたいという気持ちになりましたので、探して小さな子犬を飼い始めました。

その子犬を飼いだしてからも、前の愛犬のことをよく思い出して夫婦で話しますが、前の様に悲しい気持ちは無くなってきました。

そして今の愛犬との生活を楽しんでいます。

新しい犬を飼い始めたことによって、やっと長い間のペットロスから立ち直れた気がします。

そして今の愛犬との生活を大切に楽しんで行きたいと思っています。

37歳 女 亡くなった子に似た子をお迎え

30代女性です。

実家では保護猫を飼っていました。

実際10年飼っていたので10歳以上の子です。

キジトラのようなミックスの子で母が引き取ってきました。

私はそもそもあまり猫に興味がなく、その子も積極的に私に絡んでくる子でもなかったのであまり興味がありませんでした。

私は社会人になり一人暮らしを始め帰省した時にしか合わなくなりましたが会うたびに活動量が減ったなと思うようになりました。

結婚して主人と一緒に住みだした頃、主人が猫好きだと告白しどうしても小さい頃から飼いたかった種類の猫をお迎えしたいと言いだし、将来生まれる子供がアレルギーにならないよう掃除を協力すること、私の書斎とクローゼットに入れない等ルールを決めた上で、ペットショップとブリーダーを巡り始めました。

半年ほどで気に入った子をお迎えできた頃には私も猫好きになっていました。

主人の飼いたかった猫はメインクーン、長毛種で大きくて頭が良くて、オスなので甘えたでとても可愛い子です。

実家に帰った時に、うちも猫を飼った、メインクーンで頭がいい。

粗相もしないし、毛もボリューミーで豪華、見た目も選別したので好みのブラウンタビーホワイトで白靴下が可愛い、だの家族に写真を見せながらキャッキャしていました。

本当は長毛種だからブラッシングも大変だし、去勢前にはスプレーもしたし、毛玉は吐くし手がかかるのですが自分で見つけてきて、病院やペット用品を探したり、甘えて膝に乗ってきたり一緒に寝てくれる猫は愛らしかったのです。

その頃実家の猫はもう餌もあまり食べず、高いところにも登りにくくなり、少し白髪混じりの毛並みになっていました。

いつ行ってもベランダから外を見て日向ぼっこしているだけの実家猫が、その時は部屋を移動していきました。

今思えば聞きたくなかったのかもしれません。

翌月、実家の猫は老衰で亡くなりました。

ペット葬儀には私も立ち会いましたが、もうガリガリでいたたまれませんでした。

父が「◯◯はお前(私)に懐いてたからなー」といい、「えー全然懐いてないよ」と答えると、実は私の脱いだ部屋着の上で寝たり、私が仕事から帰ってくる前は玄関のスリッパ収納台に乗って待っている、と。

私は母が亡くなっていて葬儀でバタバタしていてリビングのソファで寝てしまった時も、その猫がお腹の前で寝ていたよ、と。

それを聞いてから、あの時なんで他の猫のことばかり褒めたのだろうと後悔しました。

年取った和猫と、幼い洋猫なんて全然違うのに。

一年くらいは野良のキジトラを見ると罪悪感がありました。

その後に、ペットショップで見かけた生後6ヶ月のセール価格になった猫を飼いました。

キジトラではなかったですが同じ青い目をした臆病な子です。

名前は実家の子からつけました。

自己満足かもしれませんがこの子を実家の猫と重ねながら大事に育てていこうと思います。

愛犬との別れを経験して

10代の頃経験したペットロスをお話ししたいと考えます。

その子との出会いは7歳の時でした。

記憶の中にあるのはブリーダーさんのところへ父の運転する車に乗り迎えにいっている所です。

その頃、犬を飼いたかった私はその子を世帯と迎えられる事になりすごく嬉しかったのを実際でも覚えています。

散歩やご飯担当し、幼いながら共にレベルアップしていきました。

ちょくちょくは、仲間との遊びの最中に連れて行ったはいいが舵取りのつなぎ方が悪く脱走されたり。

学校で嫌な事、ハッピーな事があったケースは報告して。

現実に私の一生に大きくかかわってくれました。

脱走した事例、たまたま良い方に見つかって近くまで連れてきてくれました。

あの時の愛犬の顔は可憐にてたまりませんでした。

そのようなメモリーがいろいろの毎日でしたが11年の年月が流れると愛犬も寝てる時がずーっとなったり、身内が帰ってきた音ににぶくなったりしていました。

食欲も以前より落ちてきていたのですが我が家では毎年庭でバーベキューをするのですが庭でおいしそうな匂いがすると愛犬も食べ物を欲してました。

それは毎年の事で、その時はやはり食欲があるケースだからと考え愛犬が好きだったおやつを食べさせながらその時を満喫ました。

けれどもその日を境にご飯を受け付けなくなり愛犬は天国に行きました。

涙が止まらず…信じられませんでした。

実際までありがとうね。

最後にお風呂入りたかったよね。

ごめんね。

自身の悲しい心境と現在までのメモリーを語りかけながら常に硬くなった体をなでました。

次の日業務の父とは別に私は自身で火葬場に連れていき最後の別れをして涙しながら職員の人と共に骨を拾いました。

その後も居宅に帰るたびに犬小屋のほうに目を向け…というか目を向ける事が習性だったんですね。

帰ってきて、嬉しそうにしっぽを振る愛犬に ただいま。

と声をかけるそれが自然でした。

そのがもういない…喪失感というか、暮らしにぽっかり穴があいたような。

そこにいない事が不自然すぎて。

居宅に帰ってきた感じがしないのです。

一層様々な所に連れて行ってあげたかった美味しいものを食べさせてあげたかったシャンプーもしきりにしてあげればよかった写真を一段と撮っておけばよかった人もペットも同じですね。

やりきる事はできない。

そう感じました。

人各々だと考えますが、私は必然的に犬がいない暮らしが自身の生涯ではありえなかったので数年後、新しい愛犬を迎えました。

そこに踏み出すまでは悲しい心情は蓋をしないでとことん愛犬を思い出しました。

悲しみのどんぞこから時が経つにつれ不思議と犬を飼って悔やみしているか考慮したんですそしたら私にとっては犬との暮らしは楽しい事しか考え浮かびませんでしたなのでさらにお別れする日がくるだろう。

でも愛犬にしてあげたかった事があるならばなおさら次の世帯になる子を迎え楽しく笑って人生、前の子にしてあげれなかった事をしてあげようと考えました。

直近で私が飼っている子は室内犬です。

以前飼っていた子は中型犬で室外で飼っていたので、必ずに室内犬!!と決めていました悔やみしてた事を悔いのないように実践しています。

といっても現時点でうちの家屋に預けています。

現在のアパートは企業契約でペット不可なのでわずかの間離れ離れです。

3か月後には持ち家が出来上がります。

早く一緒に住むのがエンジョイです。

ペットロスは思いっきり悲しんでいいと考えます。

蓋をしたら先に進めません。

急ぐこともなくゆっくりゆっくり。

自身の心境に向き合う事で見えてきます。

新しい身内を迎え入れる事はお薦めの前進でした。

大好きなペットとお別れしてもその上すばらしいな毎日が送れますように…。

36歳女 犬と猫のペットロスから立ち直ったきっかけ

30代の専業主婦です。

3年ほど前に愛猫を亡くし、約1年前には愛犬も亡くしました。

私は猫が昔から大好きでしたから、特に愛猫をなくしてからは長い間喪失感がありました。

その猫は、私がある時から道路上で毎日見かけるようになり、食事はとっているのか、怪我してないか、車には気をつけないとなど、ほっとけなくなってしまい室内で飼うことになりました。

茶色と灰色と白色の三色のまだら模様の変わった猫でした。

しっぽはボブテイルと言って、くるくると丸まっています。

その個性的な風貌は、時が経つほどに愛しさを感じさせました。

やんちゃな女の子でしたが、人間のような喜怒哀楽があるところも愛していました。

寂しい、イライラする、甘えたい、そんな感情が見て取れるわかりやすい猫でした。

よく明け方に私の所へ来たので、腕枕をして一緒に寝ていました。

よだれを垂らしてぐっすり眠る姿は今でも忘れられません。

徐々に年を取ってきて老衰で亡くなってしまってから、私はいつも通り生活をしていました。

しかし、その猫の温もりを感じられない、もう会えないと言う感覚もしっかり感じ、寂しかったです。

そして、最近子猫を飼うことになりました。

家に来てくれた子猫は、私がかつて愛した、亡くなってしまった猫によく似ています。

今、新しい子猫が来て半年以上経ちましたが、ペットロスの寂しい感覚や辛い感覚はほとんどありません。

私の周りにもペットロスで辛い思いをしている方は少なくありません。

その人の気持ちや感覚というのは、その人にしか分からないもので、外からコントロールできるものでもありません。

しかしもし、動物との新たな出会いがあるのであればそれを受け入れてみてください。

そうすることによってペットロスの辛さが和らぐ可能性があります。

人も動物も必ずいつかは亡くなります。

生きていくということは、動物の死を見送り続けるということなのかもしれません。

ですが、死が全てではないことも事実です。

今生きている動物や植物、なんでも構いません。

是非そちらに少しだけ目を向けてみてください。

25歳女、愛犬の死をどう捉えるかによって道は拓ける

初めまして!20代の会社員、女性です。

今は一人暮らしをしています。

私のペットロス体験が誰かの手助けになればと思い今回記事を書かせて頂きました。

その犬は私が物心付いて間も無く我が家にやってきた、メスのゴールデンレトリバーでした。

名前はアリスと言います。

若干4、5歳だった私が両親の友人の家で産まれたアリスを見て欲しいと懇願し、それから10年間生活を共にしました。

当時の日本は今のように室内で犬を飼う事があまりなかった為、アリスも大きくなってからは外の小屋で飼うようになりました。

外飼いになったのが原因なのか、飼い主である、私や家族に対しては忠誠心が強く従順でしたが、他人に対しては常に牙を剥くような犬でした(笑)きっと、家を守らなくてはいけないという正義感がアリスにはあったんだと思います。

そんなアリスとの思い出は数多くあります。

小学生の頃、同級生の男子に馬鹿にされ、アリスを見せつけてやろうとやっとの思いで公園に連れて行き、ですが連れて行ったは良いものの、同級生の野球ボールにアリスが反応して駆け出してしまい、私もリードを離すわけにもいかなく、そのままぶっ飛び、芝生に突っ込み顔面から引きずられたり(笑)そして数ヶ月に一回ぐらいのペースで夜中脱走してみたり、私が中学生になり体型を意識し始めてランニングに勤しんでいる時に気がつくと後ろにいて一緒にランニングしていたり(笑)私の幼少期からアリスは常に私の側にいてかけがえのない存在でした。

ですが必ず、人間より先に犬は死んでしまいます。

アリスにもその時がやって来ました。

私が中学2年生になった頃でした。

アリスは散歩に行くのもままならないような感じで常にフラフラと体調が悪そうなのです。

両親や祖父母は暑いせいでちょっと夏バテでも起こしているんだろと言い病院へは連れて行きませんでした。

そんな日から一週間ほど経った頃、私の親は飲食店を営んでいていつも帰宅する時間が23時ごろと遅かったのですが、その帰宅する時間が遅く、実家も田舎にあった為、私の両親は帰宅するといつもアリスをノーリードで自由に家の周りを走らせて散歩していました。

私もよく両親が帰って来たと分かると外に出て一緒にアリスと戯れて、散歩をしていました。

その日もそうでした。

外へ出ると、ここ一週間、具合の悪そうだったアリスが元気に駆け回っていたんです。

私はやっぱり夏バテだったんだと安心して駆け回っていたアリスの名前を呼びました。

アリスは私に気がつくと一目散に駆けよって来ました。

私はアリスを抱き締めながら昔はもっと大きく感じていたはずの体を撫でて、夏の電柱のライトに群がっている蛾をみて、アリス~見て~気持ち悪いね~と笑いながら話しかけました。

そんな夜を過ごした次の日は早朝から雷が轟き、雨がひっきりなしに降り続け、天気がとても悪かったのです。

祖母はアリスが雷を苦手なことを知っていたので、安全な地下室にアリスを入れてあげました。

そして朝ご飯の時間になり地下室にアリスのご飯を持って行くと、アリスはもう冷たくなっていました。

昨日の元気な姿はアリスが最後の力を振り絞って、私達に心配を掛けないようにとしていたんだと考えると涙が止まりませんでした。

なぜ気が付く事が出来なかったのか、もっと出来ることは沢山あったんじゃないか後悔してもしきれませんでした。

私のこの心の痛みは一生消えないと・・それなのに、数週間後に母親が犬の里親サイトで犬を保護しようと思うと言ってきたのです。

私の心はズタボロです。

新しい犬なんて要らない!!ですが私の意見など通るはずもなく・・成犬になってから飼い主に捨てられたという、メスの秋田犬が我が家にやってきました。

保護犬と秋田犬という和犬のクールさも兼ね備えていた犬だったので、もちろんすぐには懐きません。

可愛くない!!やっぱり、アリスの代わりになんかなれないんだ!!受け入れる事は容易ではありませんでした。

ですが次第に接して行くうちにこの犬の生い立ちなどを考えるとそうやすやすと嫌いにはなれなかったのです。

昔は雨が降ろうが、雪が降ろうが、犬は外!そのせいで些細な変化に気がつけづにいた事も事実です。

アリスに対してしてあげられなかった事をこの犬にしてあげよう、それがアリスに対する多少の報いになるのではないだろうか?その保護犬はアリスとは違い室内で飼うことになりました。

初めは愛想も何もない犬でしたが次第に心を開いて行き、私も気がつくとアリスに対するペットロスが無くなってきていました。

可愛がれば可愛がっただけ、大きなペットロスが生れる事は当然です。

ですが、その愛犬の死をこれから先どう捉えるかによって自然とペットロスは無くなっていくのだと思います。

27歳女、新しい思い出を新しい家族と作りました

私は1歳の頃から犬と一緒でした。

初めての犬は保健所から連れてきた雑種犬でした。

兄が駄々をこねておじいちゃんがあと1日しか余命がなかった子を選んできました。

外飼いの雑種でしたがとても頭のいい子で、幼い私が迷子になっても見つけて連れ戻してくれたりしました。

私が小学生の頃から毎朝の散歩は私の日課で毎日一緒でした。

私が16歳になると犬も16歳、犬はお腹に腫瘍ができ通院していましたが16歳の冬ご飯を持っていくと倒れていて父に抱っこされ安心したところで息を引き取りました。

外飼いだったこともあり寂しい思いも怖い思いも沢山したと思います。

たとえば私たち家族が知らないところでカラスにイジメられたり、新聞配達の人にイジメられたりしてたみたいです。

近所の人が助けてくれたりしましたが、室内飼いであればイジメられることもなかっただろうととても後悔しました。

もっと遊んであげて、もっと色んなところに出かければ良かったと思いました。

学校に行ったら泣くのを我慢してたりしましたが友人に、「その子は幸せだったね。

」と言われた瞬間に涙が止まりませんでした。

今でも思い出したら涙が出てきます。

ずっと可愛がってきて家族だった子が死んでしまうと何をしていてもその子のことが頭の中を過ぎりますし常に目に涙が溜まりました。

その時にこのままではダメだと思い私はその子の分ももっともっと幸せになる子を!と、その後2匹迎えました。

1匹は子犬のときには不整脈で、成犬になってからは心臓病(肥大)と脾臓にガンが見つかり通院しながら先生と話し合い無理をさせない範囲で色々な場所に連れて行って思い出を作りました。

とても良い先生に出会えて危なかったときも寝ずに治療して頂いて、家での過ごし方などもアドバイスしてくれたりケアも教えてくれ、息を引き取るときは出来る事はしたので後悔はしませんでした。

もう1匹は健康でディスクやアジリティ、いろんな大会に出てみたり一緒に競技をして思い出をいっぱい作っている最中です。

後悔しているならば新しい子を迎えるのもいいと思います。

迎えるのに抵抗がある方もいると思いますがなによりも癒されるます。

犬の優しさに触れることができる嬉しさ、また新しい家族と新しい思い出を作るのもいいと思います。

44歳男性、新しいハムスターがペットロスを癒やしてくれました

私は四十代の男性です。

私が二十代後半頃の体験を話します。

残業残業で帰宅するのが遅く、また帰宅する部屋に誰もいないのは非常にさみしかったです。

何かペットが飼えないか調べ始めました。

犬猫などは絶対に無理でした。

とても世話が出来ません。

もう少し手軽に飼えてかわいいものがないか探しました。

色々探していくうちに、インコや文鳥、ハムスターが候補に挙がりました。

飼育が比較的容易で有ることと、手のひらに乗せられることがハムスターを飼う決め手になりました。

週末に近所のペットショップに行き、ジャンガリアンハムスターを購入しました。

ゴールデンとどちらにするか悩みましたが、縦縞が気に入りました。

その日から私の人生は変わりました。

家に帰るとハムスターが待っています。

小さい命。

無垢な命。

短時間でしたが毎日散歩をしました。

手のひらからご飯を食べたり毛繕いをしたり、毎日ドキドキしていました。

タイミングが悪いと私に原を立てるのも良かったです。

犬や猫のような自意識が感じられないところがとても良かったです。

あまり気を遣う必要もなく、風通しの良い関係だと私は思っていました。

買い始めてから一年ほど経った時に事故が起こりました。

私の不注意が招いた事故です。

早く起きた朝、寝ぼけた頭で五分でいいからと思って散歩させたのが間違いでした。

通常ハムスターを放すときは部屋の隙間という隙間をブロックします。

ハムスターが間違えて入って迷子になることを防止するためです。

私の部屋はいつでもハムスターを放せるように隙間は覆ってあったのです。

しかしハムスターの体が到底入り込めないような隙間は覆ってなかったのです。

酷い先入観でした。

その朝ハムスターは到底通れないと私が思った隙間に侵入を試みたのです。

ギリギリ入ることが出来て、もうでられないような隙間でした。

すぐに助け出そうと試みたのですが、遅かったのです。

その日も仕事がありました。

否応なく出勤します。

その日は仕事になりませんでした。

集中しようと思ってもどうしても出来なかったのです。

二週間ほど仕事の能率が上がりませんでした。

小さな生きものを自分の落ち度で死なせてしまった、それもあんなに酷い形で。

なにをやってもしばらくはつらかったです。

会社の先輩に新しく何かを買いなよ、と言われてもしばらくはそんな気になれませんでした。

しかし半年ほど過ぎたときに、同じジャンガリアンを飼う決心がつきました。

今度はもっと念入りに囲いをつくって、そこで散歩をさせるようにしました。

最初は申し訳なさも有りましたが、だんだんハムスターのかわいさがまさりました。

私は段々癒やされていきました。

ハムスターはそれから二年強ほど生きました。

今度は寿命まで世話が出来て良かったです。

そしてこのときは別れる寂しさはありましたが、ペットロスはあまり大きくありませんでした。

47歳女性新しい子猫を譲渡会で譲り受け飼い始めました

日本と海外両方転勤で転々としている転勤族です。

家族は夫婦と子供が一人です。

子供が生まれる前海外に住んでいたころ主人が出張がちで家にほとんどいませんでした。

新しい国に入国して日が浅く親しい友達もいなかったため寂しい時間を過ごしていました。

住んでいた場所がコンパウンドという塀で囲まれた一軒家が立ち並ぶ大きな区画の中でした。

プール、店、病院、レストランなどが備わるコンパウンドで中は治安もよい場所でした。

猫が可愛がられていた国柄もあり野良猫が多く住んでいました。

また気候は年中暑いので猫にとっても外での生活はしやすい環境でした。

日本のように迷惑がられていない野良猫はとてもフレンドリーでしたので寂しい時間を過ごしていた私の家にも時々猫が遊びに来ていたのでご飯をあげたりして仲良くなりその中の一匹を飼うことになりました。

その後転勤で日本、海外、行ったり来たりしましたがそのたびに連れていき16年ほど一緒に暮らすことができました。

最後は海外から日本に帰国しました。

高齢ということもあり長いフライトが不安でしたが何とか頑張ってくれました。

海外からペットを連れて帰るには狂犬病の注射、血液検査のあと6か月の待期期間が必要になります。

海外で待機するのですが突然転勤が決まったため6か月より早く日本に帰国することになり猫だけ成田の係留施設で待機することになりました。

先に家を決めあと1か月少々で我が家に迎え入れられるというとき係留施設で息を引き取りました。

もともと野良猫さんだったので正確な年齢はわかりませんが私たちと一緒に生活したのが16年。

野良猫時代に子供もウンでしたので十分長生きだったと思います。

最後に家につれていけなかったことが残念でしたが野良猫だったらもっと短い生涯だったはず、と後悔しないようにしています。

係留施設の方も何度も写真を撮って送ってくださいましたし会いに行ったときは丁寧に対応してくれてお骨もきれいな入れ物にいれて送ってもらいました。

骨壺を見ているといろいろな後悔や悲しみが襲ってくるのですぐに保護猫譲渡会に行き新しい子猫を迎え入れました。

もといる猫さんが亡くなってすぐになんてとか何日過ぎたらと気になさる方もいるかもしれませんがペットロスは日にちが解決することはないと感じたので私の場合はすぐに子猫を迎え入れました。

結果、子猫の愛くるしいしぐさで亡くなった猫と子猫を比べて家族でお話することもでき良かったと思います。

52歳女性 新しい家族を迎えて罪滅ぼしする毎日

五十代の女性です。

私の父親は日本犬が好きで、子供の頃から犬はほぼ途切れず飼っていました。

そんな父が病に侵され苦しんでいた時、長年飼っていた老犬も父と同じような症状になってしまいました。

父はその時は幸いにも快方に向かったのですが、入院先から外泊を認められ帰る予定だった前日に、犬の方が天に召されてしまったのです。

次の日に帰宅した父は息絶えた犬に寄り添い、肩を落としていました。

まるで、父の身代わりのように天国へ旅立ってしまった老犬・・父親の落胆ぶりは凄まじく、子供達で相談し、父親が退院した時に、仔犬を新しい家族に迎える事にしました。

そして、良心的なブリーダーさんから一匹の豆柴犬が我が家にやってきました。

名前は当時デビューしたての人気アイドルグループ「嵐」からいただき、アラシと名付け、庭で一緒に遊ぶ事が父にとってのリハビリになっていたのですが、その父もアラシが一才になる前に他界しました。

以後、アラシの飼い主は私になり、そして人間ひとりと犬一匹の生活がはじまりました。

父は犬を玄関までしか入れませんでしたが、私はアラシを室内で飼う事にして座敷犬にしてしまい、夜も一緒に寝ました。

当時私はまだ30代で、親戚にアラシを預けて長期海外旅行に行ったことで、アラシは「分離不安症」になり他人にはなつかない犬になってしまいました。

それからは出来るだけ寄り添って暮らし、どこに行くにもほぼ一緒という生活でした。

あまりこだわってはいなかったのですが、アラシは血統書つきの犬でしたので、機会があればお見合いをして仔犬を生ませたいと考えていたので去勢をしなかったのですが、残念ながらその機会は訪れませんでした。

年月が経ち、アラシが10才になったころ、健康診断で睾丸に腫瘍ができている事がわかり手術したのですが、手遅れだったようで間もなく再発し、11才になってすぐの頃に再手術をしましたが、心臓が持たず、そのまま息を引き取りました。

私も手術中に亡くなるとは露にも思わず、突然の別れにしばらくは呆然としましたが「家に帰ろう!」と毅然として、自分で運転してアラシの亡骸を家に連れて帰りました。

私が去勢させていればと本当に後悔しました。

この年は東日本大震災が起こった年で、東北ではない私の地元の動物保護施設にもたくさんの被災犬が避難していて、被災犬ではなくとも一匹でも譲渡してもらえれば、間接的に役に立てるのではと考え、施設にいた柴犬を迎えました。

あえて問題有りの犬を選び、この仔の面倒を見る事でアラシを長生きさせてあげられなかったせめてもの罪滅ぼしになればと今でも思ってます。

44歳 女性 再び犬を飼うことでペットロスを解消できた

私は飼っていた愛犬を14歳で亡くしました。

出会いはペットショップです。

とても頼りなく、儚げな容姿に一目惚れし、本当は違う犬種を飼いたいと思っていたのですが購入したのは真っ白なスピッツでした。

そんな出会いの儚げな様子とは一変、連れて帰ってすぐに大暴れ、何でも噛む、なんでも食べるというおてんば娘。

真っ白でコロコロした毛玉のような容姿に、家族みんなが癒されました。

しかし犬と言うのはあっという間に歳を取ります。

13歳くらいから「痴ほう症」の症状や「関節炎」など、本当に人間と同じなんだな…と思えるような症状がバタバタと現れだしました。

ですが、不思議なことに犬の介護の世話はちっとも辛くなかったです。

おしっこやうんちも間に合わずに最終的には紙おむつをはかせました。

白内障で真っ白になった目は誰も映さなくなったのかいろんなところにぶつかります。

痴ほうの症状でおなじところをくるくる回ったり、反対にじっと立ち止まったままになったりもしていました。

そんな姿も愛おしく感じていました。

最期は本当にあっけなかったです。

なんだか今日は具合が悪そうだからと、病院に預けた数時間後に「息を引き取りました」と連絡がありました。

あの具合が悪そうに見えたその時が、犬が私に向かって最期を伝えていたのかもしれない…そう思うと、あの時病院に行かなければよかったのではないか、と今でも自問自答しています。

よくテレビなどでは家族に見守られながら…とか、飼い主の腕の中で…など犬との最後の時間を迎えられたエピソードなとがありますよね。

でも私にはそれがないのです。

返ってきたときはもう亡骸だったのです。

泣いても泣いても、涙が枯れることはありませんでした。

普通にしていても、じわりじわりと涙が絶えず出て困りました。

焼かれて骨になっても、何か区切りがつかなくて、延々と何かがくすぶり続けて涙が絶えず出てきました。

これがペットロスなどというものなのかな…などとぼんやりと思っていました。

犬が歩くと聞こえる、爪を鳴らす「チャッチャッチャッ」という音を、寝る時にゴトンと体を横たえる音を、いびきの音を無意識に探す生活が続きました。

ペットロスを解消した方法は、結局また犬を飼う事でした。

捨てることかできない犬のたくさんの形見に囲まれて、どうすればいいのか途方に暮れていたころ、姉にスピッツがペットショップにいるよ、と教えてもらいました。

スピッツ自体ペットショップにいることが珍しいので驚きましたが、購入することは考えませんでした。

まるであの子の代わりにしようとしているようで、同じ犬種など考えてはいなかったのです。

ですが、飼ってしまった。

それは、見に行った時には大きくなりすぎたのか(それでも4か月ほど)、衝撃の1万円だったからです。

もしかして売れなかったら殺処分されてしまうかもしれない。

そう思ったら連れて帰るしかなかったのです。

現在9歳になるこの子は、亡くなったあの子の代わりにしてしまうかも…なんていうのは連れて帰ってすぐにふっとびました。

何もかもが正反対だったからです。

性別も別なら性格も正反対でした。

亡くなったあの子に出来なかったことはすべてやろうと思いました。

現在特に病気もなく、とても元気で、あの時連れて帰って本当に良かったです。

死に際というのは選べません。

あの時病院に行かなかったとしても「病院に行っていたらもしかして…」と逆のことを思っていたとおもうのです。

ですからできるだけやれることをちゃんとやろう、というのが後悔しない犬の飼い方だと思います。

今この子は散歩は一日2、3回。

雨の日も風の日も、雪、台風の時でさえ、お散歩大好きな愛犬のために欠かしません。

食事も朝は手作り食、キロ1000円前後の安全に作られたフード。

亡くしたあの子に出来なかったことはできるだけやるようにしています。

できることは全部、後悔しないように、現在を生きています。

とはいえ、ロスになるくらい愛せたのだとしたら、それはいいことなのかもしれませんけどね。

きっと虹の橋で待っていてくれているはずですから。

31歳女 猫を失った悲しみは猫が癒やしてくれた

保護施設でみつけておうちに迎えたねこを、4ヶ月足らずで亡くしました。

おうちに迎えた当初から猫が病気であることが判っていたのです。

猫は多頭飼育崩壊の現場から保護された猫エイズキャリアで、発症して末期の状態でした。

先が長くないかも知れないと判りつつ、どうしても私はほかの猫ではなくそのねこがおうちの猫になって欲しかったのです。

おうちに迎えてからのねこはみるみる痩せていき、お腹は病気の為に膨れて毛をむしられた鶏のようになっていきました。

そして4ヶ月足らずでわたしの膝の上で亡くなりました。

それからは毎日悲しくて悲しくて、あんなにかわいい生き物が死んでしまった事が理解できませんでした。

生活にはぽっかり穴が空きました。

大好きだったねこのいない暮らしは決して充実したものではありませんでした。

とはいいつつ、猫を飼う気は少しもありませんでした。

猫との暮らしは充実していて大好きでしたが、当時は一目惚れしてどうしても一緒に暮らしたかったねこを亡くし、私はもう生涯猫を飼うことは無いと思っていました。

今後一目惚れして、大好きになる猫なんてあらわれないと思っていたのです。

とはいいつつ、日が経つにつれて、猫は飼わないにせよ、猫は見たい、猫に触りたいと言う気持ちになってきました。

私は再び保護施設に通い始めました。

猫が私と同じ空間にいるだけでその時間は充実した時間になります。

猫とふれあううちに、やはりわたしには猫が必要だと思うようになりました。

そのときに出会ったのが、現在私を癒やしてくれているネコです。

保護施設でタイミングが合い出会いました。

ねことネコは尻尾が長く、毛色が同じです。

顔や目の色は違うものの、同じ色の猫を飼うことに少し後ろめたい気持ちもありましたが今はこのこと出会えて良かったと思っています。

ネコは亡くなったねこよりもさみしんぼですこしお茶目で、ドジなこです。

前のこがしっかりしているこだったので、今はこの違ったかわいさに癒やされ日々を過ごしています。

26歳女、新しい犬を迎えてペットロス解消

はじめまして。

大阪府在住のキラキと申します。

私は和歌山県出身で、結婚を機に大阪府に移住しました。

私が初めてペットを飼ったのは、小学生の頃でした。

当時私は、通っていた小学校のバレーボールクラブに所属しており、練習試合で知り合った隣町の小学校の友人から子犬を貰いました。

友私も家族も、初めてのペットで喜び、子犬をラッキーと名付けて大事に世話をしていました。

ある朝、私がラッキーの散歩から帰り、抱きかかえようとした時に逃げ出してしまい、行方不明になりました。

近所を探しましたが、両親は仕事で私も学校の時間が迫っていたため、それ以上探しに行くことが出来ませんでした。

授業が終わって帰宅すると、母が携帯を持ったまま泣いていました。

理由を尋ねると、ラッキーが国道で車にひかれて亡くなっていたと、役場から連絡があったからでした。

私も母と一緒に泣き、落ち着いてからラッキーの遺体を役場へ確認しに行きました。

役場の窓口でラッキーの遺体について伺うと、ラッキーが身に着けていた首輪とリードを渡され、愛犬の物で間違いなければ確認は以上で、愛犬のためにも綺麗な思い出のままでいてあげてほしいと、役場関係者からの気遣いでした。

私は、ラッキーが亡くなったのは、あの時私がラッキーを抱きかかえようとしたせいだと、自分を責めました。

ラッキーのことを考えると、一緒に過ごした思い出が溢れるのと同時に涙も止まりませんでした。

ラッキーが亡くなって2週間ほどした頃、家族と出掛けた際に立ち寄ったホームセンターでペットショップを見つけ、家族でラッキーの小さかった頃の懐かしい話をしながら、ケースの中の子犬を見ていました。

帰宅後、父と母が揉めているような会話が聞こえたので耳を澄ませてみると、父が先程訪れたホームセンターのペットショップの子犬が気になっているらしく、それに対して母は、まだラッキーが亡くなって1ヶ月も経っていないのに新しい子犬を迎えるのは、亡くなったラッキーが気の毒だと話をしていました。

それを聞いて、私も母と同意見でした。

ラッキーが亡くなったのは自分のせいだと思っていたので、子犬は可愛く思えても、新しい子を迎える気持ちにはなれませんでした。

それからラッキーが亡くなって1ヶ月が経とうとした頃、学校から帰るとテーブルの上にケーキの箱が置いてありました。

おやつのケーキだと思い箱を開けてみると、中には毛が黒い小さな動物が入っていました。

私は驚いて悲鳴を上げると、近くにいた父が笑っていました。

母が私に真剣な表情で、父が母と私のために新しい子を連れてきたそうで、ラッキーの時と同じように大事に育ててあげようと話をしてくれました。

私は父の気持ちは分かりましたが、喜んでいいのかは分からず、複雑な気持ちでした。

しかし、ラッキーと同じように、生まれてすぐに親から引き離され、新しい環境に来た子犬の気持ちを考えると、大事に育ててあげないといけないという考えに切り替わりました。

父が連れて帰ってきた子犬は、ミニチュアダックスフンドでした。

私は母に本屋に連れて行ってもらい、ミニチュアダックスフンドの飼い方の本を買いました。

本を読み進めるうちに、ラッキーが生きている間にしてあげたかったことや、ラッキーに対してしてはいけないことをしていたなどと、犬について今まで知らなかったことがたくさんありました。

また、私がラッキーを抱き抱えようとした時、ラッキーは驚いて逃げてしまったのではないかと思い、過去の自分の行動を反省しました。

人間も犬も、痛い思いや悲しい思いをしながらではなく、幸せだったと思いながら亡くなるのが理想ではないかと考えました。

そのため、ラッキーのような亡くなり方にならないよう、新しく迎えたミニチュアダックスフンドをキラキと名付け、大事に育てようと思いました。

そのキラキは今年で14歳になり、家族のスリッパやメガネなどを盗んでは、自分のテリトリーに隠しすいたずらっこです。

ごはんの時間になると、可愛らしく首を傾げながらおすわりをし、賢く待っているアピールをしています。

そんなキラキと過ごした時間はあっという間でしたが、その背景にはいつもラッキーがいました。

ラッキーにしてあげたかったことをキラキにしてみたり、キラキが楽しそうにしていたり喜んでいたりすることで、少し気持ちが救われた気がしました。

ラッキーが亡くなったことは今も悲しいですが、キラキがいてくれて良かったと思います。

世話をするのは大変でも、一緒に過ごす時間はかけがえのないものです。

これからもたくさん思い出を作っていきたいのと思うとともに、長生きしてほしいと願っています。

ペットは家族同然と思う方は多いのではないでしょうか。

ペットとのかけがえのない時間を、ペットと一緒に楽しく大切に過ごしてほしいと思います。

55歳女性がペットロスを同じワンちゃんで回復できたことについて

私は主人と子供と3人で暮らしています。

今は仕事をせずに専業主婦としています。

私がワンちゃんと出会ったのは、子供がペットショップで買ってきてくれた時です。

その時、可愛い小さいワンちゃんを、私が退屈をしているだろうからということで買ってきてくれたのです。

相当高かったと思うのですが、子供がボーナスが出た時だったのでそれで買ってくれました。

その後は、毎日一緒にいることによりとても満たされた気持ちになることができました。

子供たちも大きくなり、なんとなく生きがいみたいなものを得ることができたと思ったからです。

走る姿を見たりしていると、ほんのりすることができるのです。

そのことから自分の子供のように可愛がっていました。

ところがそのワンちゃんが、4歳の時に病気になりなくなってしまったのです。

病院も連れて行きましたがやっぱり助けることができませんでした。

その翌日に静かに息を引き取ったのです。

その後は、生きている楽しみを感じることができませんでした。

ひとりでいると、自然と涙が出てしまうのです。

ワンちゃんと一緒にいた時間を思い出してしまうんですね。

泣いていると、こどもが心配をしてそんな私の姿をみて、ワンちゃんを買うことを考えていてくれたようです。

主人と二人で、また同じ犬種のワンちゃんを買ってきてくれたのです。

そのときは、飛び上がるぐらい嬉しくなりました。

またあの様のような楽しい時間を過ごすことができると思ったのです。

想像していた通り、楽しく過ごせています。

ペットロスは、とても辛いです。

人がなくなった時と同じぐらい辛さがあります。

人は帰ってくることがありませんが、ワンちゃんなどのペットの場合は嬉しいこととして、同じようなワンちゃんを買うことができます。

くよくよしているよりは、同じようなワンちゃんを育てて元気になることが、ペットロスから抜け出す第一だと思っています。

是非さみしさで潰されそうになっている人は、行動して欲しいです。

33歳女 母が突然新しいうさぎを買って来たことでペットロスが軽減

まだ完全にというわけではありませんが、ペットロスは解消されつつあります。

私は30代の女性で、20代の頃から飼っていたうさぎを去年の暮れに亡くしました。

死因は癌で、見つかった時はもう癌が大きくんってしまっていましたが、早期発見したとしてもうさぎの手術というのは非常にリスクが高い為、手術をしたからと言って良くなるとも限らないそうです。

見つかった時は何もしてあげることが出来ず、下痢をしていたので下痢止めの薬を飲んでお尻をキレイにするくらいしか出来ませんでした。

癌であることがわかって一ヶ月後くらいに亡くなってしまったので本当に辛かったです。

まず私がペットロスを解消する為に初めに行ったことは、ハンドメイドの作家様にうちのうさぎをモデルにしたマスコット人形の制作を依頼したことです。

マスコットを作ってもらうことで大好きだったうさぎと過ごしている気分になれるのではないかと思ったからです。

しかしそれだけでは全然解消されませんでした。

私の場合、ペットロスを自分で解消したというよりも突然解消せざるを得ない出来事が起きたのです。

それは母親が新しいうさぎをホームセンターで買って来たことです。

連絡もなく突然買って来ました。

私はもっと落ち着いてから欲しかったし、飼う時は自分で選びたいと思っていました。

それなのに勝手に飼って来てしまったのです。

その時点では前の子が忘れられなくて仕方がなかったのですが、新しく来たうさぎと触れっているうちに少しずつペットロスを解消することが出来ました。

前のうさぎと性格も全然違いますが、前のうさぎはしてくれなかったペロペロ舐める行為などをよくしてくれます。

その他にも私は仕事打ち込みまくることでも辛い気持ちを軽減させることも出来ました。

仕事をしていた方がペットがいなくなったことなど余計なことを考えなくて済みます。

ペットロスで悩んでいる方は思いきって新しくペットを家族として迎えるのもいいかも知れません。

31歳男 新しい家族との出会いがペットロスを癒してくれた

私は現在東京都に住む30代会社員です。

私の実家で10歳の頃から一緒に過ごしてきたラブラドールレトリーバーとの出会い、別れの経験を書きたいと思います。

出会いは私が小学5年生の頃でした。

習い事から実家に帰るとなぜか家の中がいつになく騒々しかったことを覚えています。

元々犬が好きだった父が家族に相談もせずに、近くのペットショップでたまたま目が合ったラブラドールレトリーバーの女の子を連れて帰ってきてしまったのです。

それまで飼ったことのある動物といえばハムスターくらいだったので、私も、下の弟、妹も初めは皆少し怖がるようにして接していたように思います。

名前は当時流行っていたTVドラマのロシナンテの災難からとってロッシーと名付けました。

ロッシーは本当に活発な、でも少し人見知りな女の子でいつもどこに行くにも一緒でした。

まだ幼かった私たち兄弟と一緒に散歩に出た時には、池や川を見つけると我を見失って飛び込みに行ってしまうほど水に入るのが大好きでした。

いつも一緒で、いつまでも一緒だと思っていたのですが、やはり大型犬の老化は早く、9歳になった頃からはケガや病気を繰り返し、病院にかかることも多くなってきました。

様々な薬を飲み、体調の浮き沈みを繰り返していた9歳の7月7日、ロッシーは家族みんながリビングにいるタイミングで、一人一人に挨拶をするようにして寄り添って、しばらくすると一人で奥の部屋へ消えていきました。

それがお別れでした。

突然の別れでしたので、家族みんな泣き崩れ、動揺しました。

それまで会話の中心だったロッシーがいなくなってしまったので家庭内の会話も減ってしまいました。

こんなことをしたよね、とか、こうしてあげられしいたらもっと長生きしたんじゃないかとか過去のことばかりが話題になるようになりました。

すっかり暗くなってしまった我が家がペットロスから立ち直ったきっかけは新しくラブラドールレトリーバーの男の子を迎えたことがきっかけでした。

見た目はイエローラブと黒ラブで全然違いますし、性格も違います。

そもそも男の子です。

でもそれがよかったのだと思います。

ロッシーとの思い出をなぞるのではなく、新しい思い出を作っていこうと思えたので。

40代女性 ほかの子と関わることにより気持ちが変わった

ミケと初めて会ったのは13年ほど前でしょうか?近所の野良猫で人懐っこい性格でしたので子供たちの良い遊び相手でした。

ある時、近くの家の人が「保健所を呼ぶ」と話していた事を聞いた子供たちが、我が家に助けを求めに来た事が切っ掛けで飼い始めました。

ミケは5歳でしたが、子猫と間違えるほどの小柄な猫でした。

10年ほど一緒に暮らし、2か月ほどの介護生活で旅立ちました。

ミケを看取ったあとはあまりに辛く、二度と猫は飼わないと決めました。

でも、毎日のようにミケのお気に入りだったベットの上、クッション。

ソファーを見に行ってしまい涙がでました。

ブラッシングした際に取っておいた毛を洗い、干して、瓶に入れ、首輪と一緒に置き、いつもそこにいるミケを可愛いかわいいと、撫でました。

ある日、娘が「動物の保護施設を見に行きたい」と言うので私も興味があり、一緒にいった所、一匹の猫に娘が惹かれました。

顔立ちの綺麗なほっそりした猫でしたので、直ぐに貰い手は見つかるだろうなと思っていましたが、もう随分長く施設にいるとのこと。

娘が気に入った事もあり、話を聞くと「猫エイズ」「白血病」の反応が出た猫だそうで・・・。

猫を飼うつもりはなかったのでその日は帰りましたが、保護施設の猫が忘れられなくなりました。

「病気持ちと、言うことは一生あの狭い檻にいるのか?」「発病したらどうなるのか?」「安楽死?保護所が最後までちゃんと介護する?」ミケの時にお世話になった動物病院に聞きに行ったところ「白血病は2年で死ぬからやめた方がよい。

猫エイズだけならワクチンでまったく問題なく普通に寿命を全うできるけどね。

子猫なら反応が出ても変わるから次、検査したら陰性かもね」と言われ、ますます考え込むようになりました。

「あの猫は生きて2年。

一生、あの狭い檻の中なのか・・・」心の中に引っかかって、私は一生この引っかかりを持って生きて行くのかと思ったらそれも辛くなりました。

3日ほど経って保護施設から電話があり「先日お話した猫を再検査したところ陰性でした」と聞き驚きましたが、動物病院の先生の「子猫の反応は変わるから、一回陽性が出たなら持ってる確率は高い」との言葉も忘れられず。

しかし、「この引っかかりを持って生きて行く」のも辛いと思い、すぐに引き取りに行きました。

新しく猫を迎えることのなにが辛いのか・・・と、考えたところ。

やはり「死ぬこと」他に「ミケのいた場所が上書きされて思い出が薄れるような気がしていた事」でも、違うんですね。

上書きはされない。

ミケはちゃんとそこにいて、新しい子のお気に入りの場所は全く違う場所。

二匹ともまったく違うんですね。

思いもよらず「保護施設」の見学に行った事から新しい子を迎える事になりましたが、施設に行ってからミケが死んで辛い・・・との気持ちよりも「楽しかった事」を思い出すようになり、新しい子にも短い期間でもあの楽しさを共有したいと気持ちが変わりました。

新しい子をきちんと検査してもらったら白血病も猫エイズも持っておらず、ホッとしましたが別の病気がみつかり、今は月1で注射が必要で大変ですが、とても楽しく暮らしています。

33歳 女 野良猫ペットロスを解消した体験談について

私は、30代前半の女性でありますが、私は、最愛の野良猫を飼っておりました。

その野良猫と知り合った経緯としましては、私達家族が、普通に生活しておりました時に、ふいに一匹の野良猫が迷い込んできたのです。

その毛並みからすると猫の種類はアメリカンでありました。

非常に色艶の良いメス猫で最初は、お腹が空いている状態でありましたので、エサをやるような形で、特に意識はしておりませんでした。

しかし、毎日縁側に来てエサをねだるようになり、ここから、急速に野良猫に温情が芽生えてくる形となりました。

息子と娘もその猫が大変気に入り、ついに子供達の説得に負けて、自宅で野良猫を買うようになりました。

飼ってからが非常に大変であったことは、家の中にも気軽に出入りするような形でありましたので、夏場はノミが非常にすごかったことです。

それにも家族で我慢して可愛さもあって耐えておりましたが、主人が夜不規則な仕事をしており、大変機嫌が悪い日等がありましたので、猫を怒鳴り付ける日もありました。

そしてついに主人は怒ってしまい、猫をすてて来るように言いました。

仕方がなく私と子供達は自転車で野良猫を捨てに行くような形となり、神社で元居た場所に帰ってね、と言う形の願いも込めて最初見つけた場所と似たような場所でお別れをする形になりました。

その野良猫はずっと私達の姿が消えるまで視線を外すことが無かったのが大変辛かったですが、ここでお別れと言う形になりました。

ここから衝撃の事実が発覚しまして、野良猫が3日後に縁側にボロボロの姿になって迷い込んできたのです。

家族総出で、祝うような形となり、ここからかなり愛情を持って接するようになりました。

それから虹子と名付け、共に生活するようになってから、10年後にふといなくなり、恐らく死んだのだなと思いました。

ここから凄くペットロスで苦しみましたが、悲しんでも仕方がありませんでしたので家族でまた新しい同じ種類の子猫を飼ってまた、新しいペットと生活する形でペットロスを解消する形になりました。

47歳 女性 クロのペットロスを癒してくれたのは新しい子犬

私は動物が大好きで、犬、猫、ハムスターにインコ、フェレットにカメ、金魚にリス、うさぎなど沢山の動物たちと暮らしてきました。

そんな中で忘れられない犬が雌犬のクロです。

私が幼い頃に叔父が捨て犬を拾って来て、我が家に置いて行ったのがクロです。

実際は黒くはなくて、柴犬の雑種のような茶色の犬でしたが、家族の誰かが適当にクロと名付けたのでしょう。

いつからかは記憶はありませんが、小さな頃から一緒に過ごして来ました。

クロの好きな言葉は「さんぽ」体の大きなクロは散歩の時は私をぐいぐいと引っ張り、何度か転ばされたこともあります。

でも、私がわざと死んだふりをすると、心配してくぅーんくぅーん鳴きながら起こしてくれる優しいクロでした。

泣いているときは涙を舐めてくれて、喜ぶときには一緒にジャンプして。

お留守番が大嫌いで、出かける私たちを恨めしそうな悲しい目をするクロ。

お風呂も動物病院も注射も大嫌いでブルブル震えていた。

学校の給食の残りはクロのためにこっそりと持ち帰り、食べさせました。

食べきれない食べ物は、土を掘って隠していましたが、その後はたぶん腐ってしまっていたんじゃないかなと思います。

誰もいない広い高原に連れていき、リードを外してあげるとと耳を後ろにそらせ俊敏に駆け回り「見て!見て!」と得意そうにしていたクロ。

私はクロと一緒に成長していきました。

一時期、友達と遊ぶことに夢中になりクロをかまってあげずに忘れてしまっていたことがあります。

クロは毎日、おかえり!おかえり!会いたかったよ!って鳴いて尻尾を振ってくれていたのに、私はほっといてしまっていました。

クロどんなに寂しかったかな、私には友達がいたけれど、クロには私たち家族しかいなかったのに。

そのうち、クロはだんだんおばあちゃん犬になっていきました。

中年太りになりお腹が下がり、毛艶もなくなりボサボサになって、ハゲもできていきました。

それでも食欲はあり、りんごもキュウリもバリバリ食べていました。

徐々にボケが始まりました。

家族の帰宅を間違えて、他の人と間違えてワンワン吠えてしまい「あ!間違えた」としょぼーんと謝る様子などがありました。

さらに足元がおぼつかなくなっていきました。

それでも「さんぽ」は大好きで、「さんぽ」の言葉を聞くと喜ぶ姿が愛おしかったです。

ほとんど歩けなくなって、抱っこでも散歩は続けました。

そんなある日、クロが横になったまま動かなくなっていました…あ、生きてる。

声を掛けると動けず、目も開かないのに尻尾だけ振ってくれます。

あぁ、クロ返事してくれてるんだね。

クロクロ…そのまま徐々にクロは動かなくなって虹の橋を渡って行きました。

クロは水仙やマーガレットの咲くお花畑に眠っています。

その後、家族はみんなペットロスになりました。

犬小屋を見ては泣き、首輪を見ては泣き。

それからしばらくたち、同級生の家で犬が生まれたので見に来ないかという話がありました。

もうあんな悲しい思いはしたくない、もう辛い思いはしたくないと思いながらも、見に行ってしまいました。

かわいいむくむくした子犬!見ちゃったら…飼いたくなります。

そして新しい家族が出来ました。

クロのことはその後も何度も思い出し、涙したけれど新しい家族が出来たことにより悲しみから抜け出すことができたのだと思います。

ありがとうクロ。

私が虹の橋に行ったら迎えに来てね。

その後も沢山のペットを見送りながらも、また新しい家族を迎え入れて幸せをもらっています。

今悲しみの淵にいる方も、もしかしたら、新しい家族を迎え入れることによりペットロスから立ち直れるかもしれません。

沢山の愛をありがとう。

30歳、女性、里親になり別の猫を飼うことでペットロスを解消しました

東京都に住んでいる30代女性のあやと申します。

愛猫とはペットショプで出会い、3年間ほど一緒に過ごしました。

愛猫とのエピソードをご説明します。

私が26歳の頃に飼い始めましたが、賢く優しい性格の猫でした。

私が外にゴミ出しに行くと扉が空いていれば一緒についてきて、ゴミを出し終えて家に戻ると一緒に家に帰る等、よく後ろをついて歩いてくれました。

外へ散歩に行くのが好きな猫でしたので、私が出かける際に一緒に外に出て、私が自転車に乗り走りだすと、その猫は走って50m程の距離をついてきました。

その姿を見た時には、猫というのは家につくもので人にはつかないと聞いていたし、もっとクールな性格の生き物かと思っていたのに、人にも懐くものなのかもしれないと思い嬉しくなりました。

同時に猫なのに犬のような行動をするので面白いと思い笑ってしまいました。

他にも、その猫が仔猫を育てている時には自分の身体のことよりも仔猫達を優先して仔猫達の身体を舐めて清潔にしてやり、鳴き声がするとその猫がご飯を食べている途中でもすぐに巣箱に帰って行く姿を見ることもでき、人間の親でもこうはできない人も多い中で、育児放棄をするようなこともなく子育てをする賢い猫だと思いました。

他にも、その子育ての途中に、仔猫が壁に立てかけてある鏡に登って鏡を倒していまい、その鏡に他の仔猫が挟まれて動けなくなるというアクシデントが起きた時がありました。

私がその場にいたので、倒れた鏡を起こして挟まれた猫を助け出しましたが、その際にそれを見ていたその母猫は普段では見られないような唸り声をあげて怒った様子を見せて、私の方を見つめていました。

恐らく、鏡を起こす時に重量のある鏡でしたので、一瞬傾き仔猫の身体に負担がかかったようで、その仔猫が鳴き声をあげたため、私がその仔猫をいじめたように思ったのではないかと考えています。

普段は絶対にそんなことはしないのに、この時だけは私に対して怒った様子を見せたので、それだけ母親としての愛情が深いのだろうと考えると、充分に気をつけていたつもりでしたが、飼い主として、もっと部屋を安全な状態にしておくべきだったと少し後悔するような気持ちになりました。

引っ越しをした際に一緒に猫を連れて行きましたが、部屋が気に入らなかったようで、ある日出ていったまま帰らなくなりました。

その猫は仔猫の時に外に出たがるのを外に出したので、外に出かけることができないとフラストレーションが溜まるようでした。

その後に仔猫の頃に外に出ることが無ければ外に出たがらないようになると知ったので、アドバイスがあるとすれば、そのようにしたほうが、猫もフラストレーションを溜めることなく、飼い主も猫の失踪による突然の別れによるペットロスは防げるということがあるかと考えます。

その他にペットロスの解消方法があるとすれば、そのペットを飼った経験を活かして、次は里親として同じ種類のペットを飼う等して助けるという方法があるかと考えます。

40歳女性 新しい愛猫を迎えてペットロスから立ち直れた

まだよちよち歩きだった頃に保護して、家族になった愛猫でした。

15年間、大病をすることもなく手のかからないいい子だった。

ある年、いつものように予防注射で病院を訪ねたら「高齢になってきてるし1度健康診断しましょう」と先生に言われ血液検査をしました。

結果は腎臓が悪くなってきているとのこと。

それから2か月ほどで急に容体が悪化し、病院に点滴に通いながらもどんどん痩せていきました。

そして1か月ほどしたころ手を繋いであげながら最後の瞬間を迎えました。

あっという間に逝ってしまって、数か月は何をしても涙が流れていました。

この記事を書いていてもまた涙が出てきます。

あの子がいなくなった部屋に、いつまでもあの子の存在がありました。

ちょっとした物陰が、あの子に見えました。

辛くて寂しくて堪りませんでした。

これがペットロスか・・・とぼんやり考えていました。

自分では浮上できないし、浮上するための努力をしようとも思いませんでした。

ずっと忘れずに考え続けていたいって思っていました。

1年が過ぎた頃、やっぱり猫が好きで、新しい家族を迎えようかと考えるようになってきました。

でも・・・あの別れを再度味わいたくないという思いが拭えずどうしても踏み出せないままでいました。

そしてさらに1年が過ぎた頃、急に今の子が家族になったのです。

朝、目を覚ますと子猫の鳴き声が聞こえてきました。

ベランダから外を見ると小さな子猫がヨタヨタと、私たちの住むマンションの駐車場へ入ってくるのが見えました。

旦那と一緒に様子を見に行ってみることにしました。

うちのマンションには立体駐車場があるんですが、さっき見かけた子猫が見当たりません。

どこに行ったのかなと辺りを探すと立体駐車場の地下部分に落下していました。

一人では這い上がってこれない様子でウロウロしていました。

「おーい、大丈夫??」って声をかけると一生懸命近づいてきます。

なんとか救出してみると目を傷めたのかほとんど目を開けれない状態の子でした。

こうして保護してから、我が家の子として迎えることになった新しい家族。

驚くことに、それまで前の子のことでずっと心が辛かったのがキレイに流れていったかのようになったんです。

思い出として心にずっと居続けているのは変わりないけど、新しい子を迎えることでペットロスから立ち直ることができました。

ペットは家族です。

先に逝ってしまうことは、その子の人生をしっかり見届けてあげられたということです。

別れは辛いけど、一緒に幸せを作れたと信じています。

どうか今、ペットロスで苦しんでいる人に届きますように。

31歳女 新たな生命が私を癒してくれます

私は小学校二年の時に引っ越しました。

隣の家には雑種の少し大きな犬がいました。

動物好きの私はすぐにお隣さんと仲良くなり、その犬ともよく遊んでいました。

ある日、その犬が妊娠していたということで八匹の子犬を産みました。

私と兄は父に頼み、子犬を一匹引き取ることになりました。

体は黒で足は靴下を履いたように白い子犬でした。

動物を初めて飼ったので少しだけ不安はありましたが、それでもその子犬が可愛くて仕方がありませんでした。

車に乗るのを嫌がる子だったので、遠出はしませんでしたが毎日近所を散歩していました。

父は番犬のつもりだったので家の中で飼うことはしませんでしたが、それでも何か嫌なこととかがあると外に出てその子に話を聞いてもらっていました。

走るのが好きで、でもその頃はまだドッグランがあまり無い頃だったので散歩中に一緒に走っていました。

でもやっぱり犬の方が足が速いのでいつも引きずられてばかりでした。

中学校、高校に上がると部活が忙しくなり、あまり散歩に行けなくなったのは心残りです。

もう少し一緒にいたいと思っていたのですが、私は大学生になり、県内ではありましたが、少し離れた大学に通うことになりました。

住む場所も寮だったので会う機会が減ってしまいました。

それでもひと月に一度は帰れるようにして犬と会うようにしていました。

そして大学三年の冬、私が実家に帰り、いつものように犬と遊び、その日は何故かいつも以上に携帯で写真を撮りまくっていました。

そして大学の寮に戻り明日からまた授業だなと思って寝た次の日、朝早くに父から電話がありました。

あまりにも珍しいことだったので驚いて電話に出ると、父が涙声で犬が死んだと話しました。

私は何を言われたのか一瞬わからなくて思わず聞き返しました。

だって昨日はあんなに元気だったし、またすぐ帰るねって言ったのに……。

父の話では夜中に窓をガシャガシャと爪で叩く音がしたそうです。

それでもよく一人で暴れて遊んでいる子だったのでその時は気にしなかったそうです。

でも朝、ご飯をあげようと外に出るとすでに息をしていなかったということでした。

夜中に騒いだ時に見に行っていればよかったと父は後悔していました。

私も最後を見届けることができず後悔しました。

まさかあの日に撮った写真が最後の写真になるとは思ってもいませんでした。

それから少しして男子にいじめられている黒い子猫を助けました。

その子は母猫から無理やり引きはがされた子だと聞きました。

それが可哀想だと感じてしまい私はその子を飼うことにしました。

犬と猫なので見た目は全然違うはずなのに、顔立ちが少しだけ飼っていた犬に似ている気がしました。

特に鼻がスッとしているあたりが似てて、少しやんちゃな性格もあの子のことを思い出します。

でもやっぱり生き物を飼っていると目の前の子のことで手一杯になり、あの子のことは忘れませんが、それでも今飼っている猫に癒されてるなと思いました。

40才女 新しい出逢いが癒やしてくれた

40代フランス在住の女性です。

30代始めには仕事の関係でベルギーに住んでいた頃に私とモモは出会いました。

出会ったのは大阪市が運営している動物保護施設のホームページです。

捨て猫で保護された時にはもう1才は超えていて、飼い主を募集するも1年以上も見つからず、あと数週間で殺処分されてしまう事がホームページに明記されていたので急いで保護施設に電話しました。

一時帰国の際に必ず引き取りにいくので殺処分は止めて下さいと。

私の一時帰国の日は殺処分の日を過ぎてしまっていたのですが、必ず迎えに行きますからと懇願し、受理していただきました。

日本に帰国した翌日に早速両親と共に保護施設に向かいました。

大阪と言っても家からはかなり遠い山奥にある施設でした。

施設に入ると中には20匹くらいの猫が保護されていて子猫も沢山いました。

中に入ると奥の方からダッシュで飛びついてきて足元にまとわりついて離れない猫が、私が殺処分されないようにお願いしていた「モモ」でした。

会った事もないのにまるで私が来るのを待っていたかのように、ずっと私の周りを離れず、飼育員の方や職員の方も驚いていました。

両親は他にもっと可愛い子猫もいるからわざわざ成猫じゃなくてもいいのではないか、と言われましたが私はもうこの子が運命の猫だとs信じ連れ帰る事になりました。

私にべったりな猫で毎日私の帰りを玄関で待ち、寝る時もずっと一緒でした。

モモと暮らす毎日は楽しくてたまらず、仕事のストレスも家に帰ると吹き飛ばしてくれました。

ある時、家に帰るとモモがなんとなく元気が無く、ご飯も食べないので病院につれて行きました。

先生によると「何の異常も無いよ。心配しすぎだよ」と。

家に連れ帰り様子を見る事にしました。

翌日起きるとぐったりとしていてまたご飯を食べず。

ただ先生に大丈夫と言われたのと仕事を遅刻する訳にも行かず、会社に向かいました。

定時で仕事を終えダッシュで家に帰ったらもう力無くぐったりしていたのですぐに病院に向かいました。

先生に看てもらうと、先生の顔色が変わり「体温が低すぎる。

」と言われ、緊急入院。

翌日病院から亡くなったとの電話がありました。

夕方迎えに行き連れ帰りましたが一晩中涙と嗚咽が止まらず。

死んでしまった理由も分からず。

その翌日には火葬してきました。

それから1週間ほどはもう何をしていても涙がでてしまう毎日でもう死んでしまいたいくらいでした。

ある日ペットロス解消方法をネットで調べていたら「新しくペットを迎えた方がいい」と書かれていたので里親募集のサイトでモモに似た猫を見つけて引き取る事にしました。

新しく猫を迎えると気も紛れ泣く事もあまり無くなりました。

今も元気で私のそばで甘えています。

ペットを亡くすと辛いです。

ただもう辛い思いはしたくないとペットを飼うのを止めずまた新しい子を迎えて欲しいです。

日本には殺処分で毎年何万匹もの犬や猫が亡くなっています。

その子達に手を差し伸べる意味でもはペットは飼い続けて欲しいと思います。

43才女性、生まれた時からの家族との別れと新しい出会い

40代独身女性、パートナーと二人暮らしの会社員です。

幼い頃からペットがそばにいる環境で生活してきました。

実家は鳥、犬、2~3匹の猫が常にいる状態で、私も幼い頃から動物好きでした。

特に猫は、一番身近な家族・友達として、いつもそばにいてくれる存在です。

その家族と、最初に別れを経験したのが15才の時です。

ヤス、という名のその子は、年老いたヤス猫でした。

彼女のオレンジの短毛は、いつも乾いた草とお日さまの匂いがして、私はその背中に頬をつけてクンクンするのが大好きでした。

その頃、私の家には不登校の弟がいて、暴力がひどくなる時期が続きました。

毎日殴られては家を追い出されて外で泣いていた私に、お日さまの匂いのするヤスのふかふかの毛は、心を落ち着けてくれる存在でした。

外で一人、親にも誰にも助けてもらえず、飼い猫のお腹に顔をつけて泣いていた私にとって、なにも言わずあたたかなお腹を提供してくれるヤスは一番の理解者だったのです。

ヤスとの別れは突然でした。

ある雨の日、いつも帰ってくる時間になっても姿が見えないのです。

少し心配でしたが、どこか遊びにいってるのかな?明日になったら帰ってくるかな、と、その日は思いました。

しかし、その翌日、翌々日になってもヤスは帰ってきません。

外で餌を持って「ヤス~、帰っておいで~!」と一生懸命呼びました。

近所の草むら、裏山にも探しにいきました。

「ヤス、年寄りだったからね、死んだのかも」と母が言いました。

「絶対死んでないもん!生きてるもん!」と泣きながら母に言いましたが、どこかでひっそりと倒れている姿を想像したら、本当につらかったです。

しばらく食事を取ることができなくなり、テレビを見ても何を見ても楽しい気持ちになることが出来なくなりました。

暴力でつらい日々が続いていた私にとって、身近な家族よりも、ヤスの方が私の心に寄り添ってくれた存在だったからです。

もっと一緒に遊んでいればよかった、とか、もっと美味しいものを食べさせてあげればよかった、もっとなでてあげればよかった、もっとそばに居ればよかった。

ヤスがいなくなった日々から、私を助けてくれたのも、小さな猫でした。

我が家の車庫に捨てられていたその子猫は、大人だったヤスとは違い、やんちゃで、あちこちに粗相をするし、ひっかくし噛みつく。

でも、ご飯を食べてすやすや眠る姿は、すごく小さく弱く、でも命の塊みたいな温もりがあり。

毎日学校から帰ったら、やんちゃな子猫に振り回される日々に、いつしかまた笑えるようになりました。

動物は、どうしても人間より寿命が短いです。

側にいられるのも、人の人生と比べたらわずかな時間。

でも、何より無条件に愛せるという幸せを感じさせてくれる存在です。

ペットを亡くすと、家族を亡くしたのと同じように感じ、「もう猫なんて飼わない」と思う人も多いと思います。

私もそうでした。

でも、命が短いからこそ教えてくれることもあります。

短い命のこの子たちが、私のそばに来たのも縁だと思います。

もし、もう飼わないと思っていたあなたのそばに、新しい家族ができる機会があったとしたら、そばに迎えてあげて欲しいと思います。

35歳男性、ゴールデンレトリバーを失ってから 再び弟を

40歳男性です。

今の犬とその前にゴールデンレトリバーを飼っていましたがそのゴールデンが亡くなった時、母と私はペットロスになりました。

ガンで余命、1か月と聞かされてからほぼ1か月で天国へ旅立ちました。

いままでいた事が当たり前すぎて、隣に犬がいない虚無感に母も私に打ちひしがれそうでした。

 父が早くに亡くなり、ゴールデンを母は息子の様に、私は弟のように思っており、家族が一人増えていた事で心から救われていたと思います。

犬は話しかけても返事はしないし、会話にはなりませんが心の思いを母も私もお互いがいない時に語り掛けたりしていました。

犬がいない現実をなんとかしたかったのかもしれません、母も私も里親募集のインターネットを見てました。

母は1FのリビングのPCで私は2Fで自分のIPADで見ていて、偶然にも今の犬(雑種)のページをお気に入りで見ていた事が夕飯時に会話していてわかりました。

「この犬、かわいいとおもうねんけどな」「お母さんも? オレもやわ」早速もらいにいこうか、でもゴールデンが死んで、まもないのにすぐに次の犬をもらいにいくのはゴールデンにとっても失礼なのかな。

と思ってました。

うちの近所で母と親友の方に相談しましたが。

「失礼とか考えずにこうどうすればいいのよ」そのアドバイスがあって次の雑種をもらいに行きました。

 最初のゴールデンをもらいに行く時、「絶対に死ぬまで可愛がろう」そう決めてもらいに行きましたが、雑種をもらいに行ったとき、「ゴールデンと同じようにかわいがろう」そう決めました。

ペットを失ったとき、どうしてよいのかわからないと思います。

私の場合、次の雑種をもらう決断をしてよかったと思います。

 前のゴールデンと性格も違う犬ですが、ゴールデンと同じようにかわいがろうと思っています。

みている人にアドバイスがあるとしたら、どうしようか決断を迷う事があると思います。

犬を飼っていた母の友人の言葉が私たちに響いたように同じ悲しみを持った人のアドバイスを参考にされればよいと思います。

私の文章が貴方の一助となれば幸いです。

41歳男、やはりペットが亡くなるのは非常に辛い

私は昔から犬が好きで、社会人になってからもずっと犬を一匹飼っていました。

ところが、年を取ったと言うのもあるのですが急に元気がなくなり、そして遂には突然倒れて亡くなりました。

私は物凄くショックを受け、思わず号泣してしまいました。

しかし、いつまでも悲しんでも戻ってこないのも解りますので、忘れるために趣味であるパチンコに毎日通うようになりました。

お金は確かにたくさん使うのですが、おかげさまでパチンコをしている間だけは少し忘れることが出来ました。

やはり、パチンコとなるとどうしても夢中になり目が離せなくなるので、その間だけはパチンコに集中している為、愛犬のことも忘れることが出来ました。

また、もうひとつ忘れるためにしていたことは、短い期間でしたが会社を休み有給休暇として小旅行に行っていました。

少し街から離れた田舎の方へと行ったのです。

喉かな田舎町は日頃の生活をも忘れることが出来るため、非常に助かりました。

愛犬のことは勿論のこと、日頃のストレスなどにも解消できるチャンスでもありました。

そして、小旅行も終わりやがてまた毎日の日常生活に戻ったのですが、それでも愛犬のことに関しては以前と変わらず辛いものがありました。

また、共に散歩に行った場所などには特に辛くなるのであえて違う場所へと散歩したこともありました。

そして、少し気持ちも落ち着いた頃には新しいペットを飼おうかとペットショップに行ったこともありました。

他の犬を見ると辛くなることもあったのですが、それ以上新しいペットを飼ってみようと言う気持ちにもならして頂きました。

以前は犬でしたが、今度は猫の方を飼ってみようかと考え中です。

ちなみに、昔は犬と共にセキセイインコも飼っていました。

セキセイインコは未だに元気で私の生活をも楽しくしてくれています。

そして、また近いうちに新しい犬を飼うことも考えているのです。

やはり、目には目を、歯には歯をと言うように新しいペットによって解消出来ると思っています

>>ペットロスを克服した151人の体験談