時薬(時間が解決)でペットロスを解消

38歳男性 ペットロスを解消したのは時間とマルとの思い出でした

皆様初めまして私は都内在住の男性です、私が以前飼っていたペットが亡くなり落ち込みペットロスになりペットロスを解消するまでのお話しをさせて頂きたいと思います、宜しければ最後までお付き合い下さい、では。

私は以前ペットとして猫を飼っていました名前はマルといいます、何故マルという名前にしたかというと単に太っていて丸かったからです、マルとの初めての出会いは自宅近くの路上でした、段ボールが道端の端に置かれていて中からニャ~!ニャ~!と鳴き声がしていたので私が覗き込むとまだ子猫だったマルが震えながら鳴いていました。

段ボールの中には手紙が入っており読むとこの子猫をどなたか引き取って育てて下さい‥とだけ書かれていました、私は無責任だなと思いつつもこの子猫を捨てた方も何かしらやむを得ない事情があったんだろうと思い私は震えながら鳴いているマルを抱えて自宅に連れて行きました。

マルは捨てられる前まではちゃんとご飯は与えてもらっていたのでしょう、まん丸とした太った身体でした、私はマルに牛乳を与えてみるとガツガツと飲み出しその姿を見て安心した事を今でも覚えています、数日後一応私はマルを動物病院へと連れて行き体調や病気等の検査を受けさせました。

一通りの検査の結果は数日後に出たのですが何の問題も無く健康という事でした、そしてようやく本当にひと安心して私とマルの生活がスタートしました、私は日中仕事で自宅にいませんのでマルはその間自宅で留守番なのですが、まぁ‥大変でした‥夜に仕事を終えて帰宅すると部屋の中の物は棚から落ちてるわ‥壁紙は爪で引っ掻いた跡があるわで‥本当に困りました。

しかし年月が経ちマルも年齢を重ねていき徐々に落ち着きが出始めて、大変なイタズラはせず、トイレもちゃんと指定の場所で出来るようになりました、この時からは本当に手が掛からずマルの成長がとても嬉しかったです、そんなこんなでマルと出会った日から早いもので13年という月日が経ちマルは老衰で天国へと旅立ちました‥。

マルの最後は自宅で眠るように息を引き取りました‥その後マルのお葬式を済ませてまた1人の生活に戻りました‥しかし自宅で1人でいるとマルの残像が私の中には残っており突然寂しくなり泣いてしまったりしていました‥そんな生活が数ヶ月続きました、いわゆるペットロスというやつです。

私がマルを失った事で陥ったペットロスから立ち直ったキッカケは‥時間とマルの写真でした、やはり辛い事も時が解決してくれるというのは本当ですね‥私は時が経つにつれて部屋に飾ってあるマルの写真を見てはおはよう!とか元気か?とかおやすみ!等の言葉をかけていました、すると自分でも分かりませんがいつまでも悲しんでたらマルも悲しむかな‥と思ってきたのです。

それからは私は早いスピードで落ち込んでいた心が回復していき、以前の元気な自分へと完全に回復しました、最後になりますが私同様に大切なペットを亡くされペットロスで現在苦しんでいる方は変に頑張らずにゆっくり心を休ませて下さい、必ず時間が解決してくれますからね!、以上で私がペットロスから立ち直ったお話しをさせて頂きました、最後までお付き合い下さいましてありがとうございました、それでは。

48歳、女性、あえて供養しないことでペットロスを回避

うさぎを3代飼ってきて、3羽目のうさぎも月に帰りました。

亡くなる1週間前から手厚く看取りのケアを続け、納得できるお別れができたものの、うさぎがうちに来てから亡くなるまで一緒にいる時間が長かったため、喪失感はとても大きかったです。

やはり、亡くなった日の夜は、生き物が動く音がしなくて、部屋が静かすぎて怖くて1人で寝られませんでしたし、しばらくは誰もいない家に帰宅したときに「帰ったよー」と言ったり、娘を間違えてうさぎの名前で呼んでしまったり、調子が狂いました。

ペットロスの悲しみが来たのは、亡くなってしばらくしてからです。

亡くなった直後は、介護から解放されたことで少しホッとしてそれほど辛くありませんでした。

しかし、うさぎが生きている時はスーパーに行く時でも毎回野菜を選ぶのが楽しみだったり、マンションのベランダでハーブや牧草栽培をしたり、そういった習慣があったので、スーパーに行ったりベランダに出た時に涙が出そうになることが増えました。

ペットを失った寂しさや悲しみというのは、本人にはとても辛いものでも、ほかの人は伝えてもあまり共感してもらえないものです。

言っても迷惑になるだけかなと思い、あまり悲しんでいる様子は周囲には見せず、日々淡々と自分の仕事をこなすことに専念しました。

また、あえて供養もしませんでした。

近年は、ペット供養も業者さんによっては人の葬儀と同じくらい豪華になってきていますが、私の場合は逆に「何もしない」ことが悲しみを和らげることにつながっていると思います。

亡くなったのはわかっているのですが、供養をすると亡くなったのを認める気がして寂しくなってしまうので「また帰ってくるかもしれないな」と思うことにして、ケージは完全に片づけず、いつもの居場所に置いて、あとは通常の生活を過ごしています。

ベランダの家庭菜園も、もしかしたら「お化け」になったうさぎが食べに来ているかもしれない、と思ってそのまま栽培を続けることにしました。

ハッカやタンポポ、オオバコなど、ちょっと私達人間のオカズになりにくい植物なので、処分しても良かったのですが、何もなくなった土を見るのも寂しいと思ったので…。

看取りは手厚く行いましたが、亡くなった後は供養にお金も手間もかけず、生前の通りの生活をしています。

そのことがかえって、死を意識させず、私にとっては精神安定剤となっています。

飼い主が悲しんでばかりいても、天国のペットも心配すると思います。

27歳、男性、愛情と時間が解決してくれる

私は、長崎県内にてフリーランスとして働いている者です。

私は長崎県に生まれ、小学3年生の頃から社会人になるまで実家で飼っていた犬がいます。

テリア系の雑種で、コロっとした小さな犬だったので、コロと名付けられました。

知人の家で数匹の子犬が産まれ、飼い主を募集していたため、我が家で引き取ったのがコロでした。

コロとは小学生の頃から一緒に遊んだ利して、家族の中でもよく可愛がられました。

特に大きな病気になることもなく、私が社会人になっても元気にしていました。

しかし、ある時私がコロを散歩していると、コロがよく段差につまづいたり、排水溝の金網に足を踏み外したりしていることに気づきました。

それから約半年程経過すると、コロの目は緑色に変色し、目は見えなくなっていました。

生きているものはみな、平等に死を迎えることになりますが、私はコロが死ぬという現実を受け入れられずにいました。

コロがいない実家での暮らしを想像していると、とても憂鬱な気分になり、食事も喉を通りにくくなりました。

その年の冬に、コロは歩けなくなり、間も無く生き絶えてしまいました。

私は悲しみのあまり涙を流し、コロを庭に埋めてあげました。

犬といえど、やはり家族であったため、失ったショックはとても大きかったです。

しかし、いつまでもクヨクヨしていては、死んでいったコロに顔向けできないと思い、前向きになるように自分に言い聞かせながら生活をしました。

私は、コロを家族のように愛し、接してきたので、コロとの出会い、生活、別れの中で後悔は全くなかったことに、そこで気づきました。

今では、愛犬コロと過ごした日々は、とてもいい思い出です。

これからペットを飼おうとしている方が、数多くいらっしゃると思いますが、ペットといえど、人間と同じ家族です。

人間と同じように別れの日はやってきますし、別れることはとても辛いでしょう。

ですが、必ず時間が解決してくれます。

ペットとの時間を大切にし、愛情を持って接すれば、必ずいい思い出として振り返れる日が来るでしょう。

35歳女、時間が自然と傷を癒してくれました

30代女性です。

高校生の時、飼っていたネコが死にました。

まだ2歳でした。

近所に捨てられていたので拾ってきました。

両親の反対を押し切って無理やり飼っていました。

ですので、餌代、予防接種代、避妊手術などその猫のためにアルバイトを始めました。

子供のようなかけがいのない存在になってきました。

猛暑が続き、ここ数日食欲が落ちているなあと心配していた矢先、部屋で死んでいる姿を発見しました。

もう死んでいるとわかり、パニックになり、獣医さんへ即電話し、「夜だけれども今から見てもらえないか」泣きわめきながら聞いていました。

10分くらい後に、少しだけ冷静になり、「もうダメなようです」と再度獣医へ電話したのを覚えています。

数日間は、とてもショックでこの世の終わりという気持ちでした。

ふとした瞬間に、人前関係なく涙が出てきてしまい、周りに気づかれないよう、トイレに駆け込んで涙をぬぐっていました。

普段は気丈にふるまってはいましたが、内心は生きる気力もなくなり、学校の授業も友達と過ごす、放課後もうわの空でした。

この先、どんなに頑張っても、どんなにお金持ちになっても、そのネコはもう戻ってこないんだと思うと悲しくてなしくてしょうがなかったです。

誰かに相談する気力もありませんでした。

当時はペットロスという言葉を知らず、自分に何が起こったのか、どうして良いものかわかりませんでした。

自分にとっては子供のような存在だったので、周りの人からするとあくまでペットなので、深く同情してくれる人がいませんでした。

自分の体験を共有できる人がいたら、良かったなと思います。

その後、大学受験や就職など人生の中で大事なイベントがあり、そちらに気を取られていくようになりました。

17年経った今でも思い出すととても悲しくなりますが、その頻度は低くなり、落ち込む時間もかなり少なくなりました。

時間が解決してくれていると思います。

人も動物もいつかは必ず死にます。

そして、この世の中には自分の力ではどうしてもコントロールできないことがたくさんあります。

後悔しないように100パーセントで相手に接することもとても大事だと思います。

同時にそれに依存しないで、予期せぬことが起こっても前へ進んでいくことや、どんな事実も受け入れる心を持つことが一番大事だと思います。

49歳女 時間がペットロスを解消した

40代女性です。

私の家族であったネコを亡くしてペットロスに陥ってしまったのですが、その子が亡くなって4年目の今ようやくペットロスから立ち直りました。

ペットロスに陥っている間はテレビで動物を見るだけで涙がぽろぽろ流れて・・・。

特にネコを見てしまうと亡くなったネコを重ねてしまいどうしようもない気持ちになったのです。

家族であるネコを病気で亡くしました。

おばあちゃんネコで16歳で天国へ。

腎臓機能に異常が見つかり検査入院や点滴治療・投薬治療などできる限りのことをしましたが間に合いませんでした。

私がネコの異変に気づかなかったのがネコの寿命を縮めたのです。

後悔先に立たず・・・それはよく分かっていました。

家族は泣き崩れる私を見て何度も励ましてくれたし、「やれることは全てやったじゃないか!」と言ってくれましたが私は自分の愚かさを心の底から憎んで自分で自分を苦しめていました。

食事が喉を通らず日に日にやせ衰える私に家族は毎日食事を作ってくれました。

結局ガリガリにやせ衰え月経が止り完全に閉経したのがネコが亡くなった翌年のこと。

このままでは家族に迷惑がかかるとようやく前を向きました。

ネコはお寺で火葬してもらいお骨は家に持って帰りました。

毎日水をあげていつも一緒に居るような感覚もあります。

毎日のようにお骨に向かって話しかけたりしてその度に心が軽くなっていきました。

現在ペットロスは克服したと言えるレベルです。

食事を普通に食べられて声を出して笑うことも出来るようになりました。

克服していないときは涙もろくてちょっとしたことで不安になって・・・。

声を出して笑うこともほとんどない状態で。

日々娘と亡くなったネコのことを話すことも心に良いのかもしれません。

思い出したくないからとネコのことに触れないようにしていた頃の方が辛かったのです。

「太っていたよね!」「まん丸でボールみたいだったよね~!」と笑って話せるようになりました。

42歳女性 時間が一番の薬 無理をしない

私は40代の女性です。

20年ほど前に、友人宅で産まれた雑種の子犬をもらいました。

彼は私にとってかけがえのない友人であり兄弟であり子どもでした。

当時まだお年頃だった私は、親には言えない悩みを打ち明け、秘密を分かち合ってもらいました。

母を亡くした際も、家族の前ですら泣けなかった私は、彼を抱きしめてこっそり涙を流しました。

18年がたち、彼も年老いて、若い頃には当たり前にできていたことが難しくなり、介護が必要になりました。

私は独身でしたが会社員だったので、夜中に何度も起きなければならない介護生活は大変でしたが、今までの恩返しだと思い、精いっぱいお世話しました。

ある日「なんとなく元気がないな」と思っていたら、夜中に激しいけいれんを起こしました。

翌日の朝一番に獣医の往診を受けましたが、高齢で手の施しようがないとのことでした。

とてもさみしく胸がつぶれるような思いでしたが、痛みと苦しみは取り除いてもらえるよう鎮静剤を処方して頂き、最期の時間は住み慣れた我が家でゆっくりと過ごすことにしました。

それからの数日間は、寝ているのか起きているのか、朝なのか夜なのかわからないような時間でしたが、その時はやってきました。

ろうそくの炎が消えるように、彼は静かに私の手の届かない世界へと旅立ちました。

「あの子は十分生きてくれた」「精いっぱいやり切った」という気持ちで、清々しい寂しさを感じました。

それでも喪失感は大きく、会社のトイレで涙を流したり、通勤電車の中で突然涙が溢れることが何度もありました。

テレビのペット特集も見ることができなくなりました。

もし今、悲しみにとらわれ深い谷底にいる方がこの文章を読んでくださるとしたら、「時間が一番の薬だよ」と伝えたいです。

今は自分の感情に蓋をせず、思う存分悲しみと寂しさに浸ってください。

時間が経つうちに記憶が薄れ、また新たな悲しみを経験しますが、必ず微笑とともに「大好きな、大事な愛おしいあの子」を思い出せる日がやってきます。

「あの子」はあなたの心の中の「大事なもの」の引き出しにしまわれていて、いつでも取り出して慈しむことができるのですから。

54歳 男性 結局、月日の経過が解決してくれるしかなかった

当年、五十も半ばに差し掛かる男性です。

ペットはその大・小にかかわらず愛情を注げば、注ぐほど、懐いてくれて、可愛いものです。

しかし、その分、いなくなってしまった時の喪失感、悲しみも計り知れません。

今からもう40年以上も前のことです。

まだ、小学校の高学年だった当時の話です。

公団住宅に住んでいるので、犬や猫を飼うことは入居時の規約で禁じられていました。

それでも、私は兄弟や姉妹がいない一人っ子だったのと、生来、動物が好きだったので自分で世話をするという約束で親に頼み込んで飼ったのが、文鳥でした。

どうせ飼うのなら懐いてくれる雛のうちから飼いたいと近所の小鳥店に出向きました。

運良く、丁度、繁殖の時期だったので桜文鳥、白文鳥も含めて雛が沢山、売られていました。

それまでは、文鳥と言えば桜文鳥という固定観念があったのですが、「白文鳥」という清楚な響きと珍しさに惹かれて、白文鳥を飼うことにしました。

多くの雛が口を開けてピヨピヨと鳴いている中に一際、元気がよく、目が合った(と自分が思っていただけなのかもしれませんが)雄の雛を見て「この子にします」と店の人に言って、餌と飼育に必要な道具一式を購入しました。

店の人から飼育上の注意点と「雛のうちの今は、背中が黒いけど大人になるにつれて徐々に消えていきますからね。

可愛がってあげて下さい」と教えてもらいました。

子供ながらに今日から小さいとは言え、一個の命を預かるという責任を感じたのを今も思い出します。

犬には「ポチ」猫には「タマ」と名付けるように、安直ですが、「鳥」なので「ピーちゃん」と名前を付けて、その日からピーちゃんとの生活が始まりました。

ピーちゃんは家族全員に懐いていましたが、餌をやる私には、親だと思っているのか特に懐いてくれて、私の歩く後を追ってくるので踏み潰してしまいそうになって危なく、掌にのせて歩いていたのを思い出します。

半年くらい過ぎたころには店の人が言ったように背中の黒い羽毛もすっかり、とれて大人の白文鳥になりました。

それを機会に鳥かごを購入して雛用の藁巣から引越しをしました。

最初のうちは、環境が変わったせいか、かなり動揺してかごの中でバタバタと暴れていたのですが、10日くらいで慣れてくれて私も一安心でした。

今、思うと、強引な引っ越しをさせてしまいピーちゃんには、可哀そうなことをしてしまったかもしれません。

当初の約束通り、鳥かごの清掃、餌や水の取替えは全て自分でやり、必ずその際には、言葉がわかなくても話しかけてやりました。

勿論、こんなことは、こちらの自己満足かもしれませんが、こういうことで互いの信頼関係は強まるようです。

実際、話しかけると目を見て聞いてくれていたように思い出します。

文鳥にもちゃんと心はあるようです。

それから大事にしていたことが、もう一つあります。

それは。

日に数回の放鳥、つまりかごから出して思いっきり飛ばしてあげることです。

人間でも、毎日、家の中にいたらストレスも溜まるので、それは文鳥も同じです。

最初のうちは、嬉しそうに家の中を飛び回っているのですが、30分~40分もすると疲れてしまうのか、飽きてしまうのか、私が机で勉強をしている傍にいろいろとイタズラをしてきます。

他愛もないことなので特に怒ることもしませんでしたが、集中しないといけないときは、手のひらに乗せておくか、肩にのせておきます。

最初は、耳たぶを甘噛みしたりして遊んでいますが、そのうちに眠ってしまいます。

放鳥している時に台所で水を出して両手の中に水をためて「お~い、ピーちゃん!」と呼ぶとパタ、パタと飛んできて気持ちよさそうに水浴びを楽しむことなどもよくありました。

夕飯時に放鳥すると私の傍にきて、飯椀のふちにとまり、一緒に米の飯をついばむほど懐いていました。

今、考えると衛生上良くないのですが、雛の時からずっと飼っていたせいか、そういうことは気にもしなかったです。

中でも忘れえぬ思い出は、モフモフです。

両手の中に乗せて私の鼻先でピーちゃんの背中を撫ぜることです。

適度なモフモフは、付き合ってくれますが、あまりしつこいと怒ります。

それでも、可愛いのでついついやってしまいます。

こんなに可愛いピーちゃんとの生活も徐々にお別れの日が近づいてきます。

文鳥の寿命は平均して、6年~7年くらいと言われています。

鳥も人間と同じで年齢を重ねると動作も鈍く羽の艶も何となく冴えなくなるようです。

それは、高校2年の冬の頃です。

その日も何時通り、登校前に餌と水を取替えたのですが、ピーちゃんは、何時にも増して動作が緩慢で元気がなく見えたので、得も言わぬ不安を抱えながらも登校しました。

その日は、授業が終わるとピーちゃんのことが心配で早々に帰宅の途につきました。

帰宅して直ぐに「ピーちゃん、ただいま。

大丈夫かい?」と不安げに話かける私にピーちゃんは、何時もと変わらずに喜んでかごの柵の飛びつき私の帰宅を喜んでくれました。

「朝の元気がないのは、杞憂に過ぎなかったのか」と私は胸をなでおろしました。

手を洗って早速、ピーちゃんを放鳥してあげました。

年をとってからは、若いころのように派手に飛び回ることもなく直ぐに私の肩に止まったので手の上に乗せて「朝は、心配したよ」と話かけて背中を優しく撫でました。

ピヨ、ピヨと鳴いて、指先を甘噛みしたりしていたのですが、疲れたのか、安心したのか、ピーちゃんはそのまま、眠ってしまいました。

しかし、それから、5分くらい経過しても全く、動かなくなってしまい、「ピーちゃん!」と呼びかけても反応しません。

私は、動揺して、「お母さん、ピーちゃんが大変だよ!」と母を呼びました。

母も飛んできてピーちゃんも手の中に抱いてみましたが、「あっ…ピーちゃんは死んでいるよ!」絶句しました。

私は頭の中が真っ白になってしまいました。

さっき、まで自分の手の中で生きていたピーちゃんが死ぬなんて…信じられない!私は、震える手で母の手からピーちゃんを受け取ると「ピーちゃんのバカ、親よりも先に死ぬヤツがあるかっ!?」鳥の寿命はわかってはいましたが、動揺のせいか私はこんなわけのわからないことを口にしました。

それを見た母が、「ピーちゃんは、お前が帰って来るまで待っていてくれたのだろね。

そして お前の手の中で旅立って行きたかったのだと思うよ」といいました。

これを聞いて、私の目から涙が止めどもなく溢れてきました。

只の偶然だったのかもしれません。

しかし、もし、母が言うように私の帰りを待って旅立って行ったのだとしたら犬や猫よりも遥かに小さい生き物なのに飼い主への恩義を忘れずにいたのかと思うと胸が締め付けられるようです。

今、この文章を書いている時ですら、当時のことを思い出すと言いようのない悲しさと苦しさが、こみ上げてくるようです。

「ピーちゃん、ありがとうね、ピーちゃん、ありがとうね…」私は、何度もつぶやき、手の中の動かなくなったピーちゃんに最後のモフモフをしていました。

ピーちゃんの体はまだ温かく、「ピヨ」という愛嬌のある声で起きだしても不思議ではなかったです。

ピーちゃんを亡くしたダメージは大きく、主のいない鳥かごを見る度に言いようのない喪失感に駆られ、「もっと暖かい場所に移してやればよかったのか」「老衰だとしても動物病院に連れていけばよかったのか」色々な思いが頭を交錯していきます。

結局、立ち直るのには、1ヵ月ほども掛かってしまったように記憶しています。

月並みなことですが、ペットロスから立ち直るには、月日の経過が解決してくれる「日にち薬」しかないようでした。

もし、ピーちゃんにもう一度、会えたなら飼い主として、健康管理がいまひとつ行き届かなかったことを詫び、そして、自分が帰ってくるまで頑張って、待っていてくれたことに心からお礼を言いたいです。

もう直ぐ、ここの公団住宅も建替えになりますが、ピーちゃんは、家の前にある小さな花壇で今も眠っています。

30歳女 子供の頃からの愛犬を失った時の悲しみから復帰まで

子供の頃から犬が大好きだったので、小学生の時にペットとして犬を飼い始めました。

それまでに一度もペットを飼ったことがなかったので、自宅に犬が来た時には心から嬉しくなったことを覚えています。

好きな犬と遊んでいる時間は、本当に至福のときでした。

ところが、犬はしばらく元気だったのですが、病気がちになってしまいました。

その頃はもう寿命が近い年齢だったからと感じています。

それ以来、ペットと一緒に散歩にいく機会が減ってしまいました。

散歩に行くよりも、自宅でゆっくりと時間を過ごさせてあげることが増えました。

それに、自宅の近所にある獣医さんに体の調子を確認していくことも増えたのです。

薬を飲ませてあげなければならなかったのですが、とてもかわいそうな気分になりました。

しかし、薬を飲むことによって体がちょっと楽になったようなので、気が紛れました。

ある時、薬の効果もほとんどなくなり、完全にペットが弱ってしまいました。

それから間も無く、亡くなったのです。

信じられませんでした。

家族として一緒に過ごしていた犬なので、亡くなった時には悲しい気分になりました。

自宅の部屋にこもって一人で泣くことも増えました。

友人や家族のメンバーに心配されることもあったのですが、ペットロスには本当に悩まされたことを覚えています。

泣いても泣いても涙がすぐに止まることはありませんでした。

楽しいことを考えようと思っても、悲しい気分が変わることはないのです。

かなり時間がかかりました。

セラピーの先生に頼って、話を聞いてもらうこともありました。

話を共有すると、少しは気分が楽になったかもしれません。

しかし、完全にペットロスから復帰するためには、かなりの時間がかかったと感じています。

だいたい一年くらいは、暗い気持ちで過ごす日々が多かったです。

今思えることは、ペットロスを感じる時には無理しないようにして、悲しい気持ちを認めてあげることも大事なのではないでしょうか。

必ず大丈夫になる時は来ます。

33歳男 時間の経過がペットロスを解消してくれた

私は、現在33歳の男性です。

今回は、愛犬を失った時のペットロスをどのように解消したのかについて、ご紹介します。

私が犬を飼ったのは、小学校6年生の時に父が知り合いから、シーズーのメスの赤ちゃんを貰ってきたのがきっかけでした。

初めてのペットだったので、最初は少し怖いと思いましたが、すぐに懐いてくれて家族でとても可愛がるようになりました。

名前はリリーと名付けました。

リリーはとても人懐っこくて、いつも就寝する時は私の布団の中で一緒に眠り込んでいました。

たまに布団の中で、お漏らしをしてしまうこともありましたが、今となってはそれも良い思い出です。

ずっと元気だったリリーですが、10歳を過ぎた頃から少しずつ静かになり、日中も眠っている時間が長くなっていきました。

それでも夜に私や家族が帰宅すると、尻尾を振りながら出迎えてくれたので、まだまだ長生きするだろうと思っていました。

ところがリリーが15歳のある朝、突然呼吸困難になってしまい、かかりつけの動物病院に連れて行ったのですが、その日の夜に亡くなってしまいました。

先生曰く、老化によって内臓の機能がすでに限界を超えていたそうです。

あまりにも突然の事だったので、私はしばらくの間リリーの死を受け止めきれずにいました。

家でふとリリーの事を考えた時や、外で犬を見かけて不意にリリーを思い出した時に、その場で泣き崩れることがありました。

そんな状態が続いたので、しばらくはリリーの写真を見る事が出来ませんでした。

何よりも後悔したのは、リリーが亡くなる数年前から学業や仕事が忙しく、あまりリリーの相手をしてあげなかった事です。

もっと家にいる時間を長くして、リリーとの思い出を作れば良かったと自分を責めました。

リリーが亡くなってから、そんなペットロスの状態が5年程続きましたが時間が経つに連れて、徐々に悲しい気持ちは薄れていきました。

今でもリリーをたまに思い出しますが、泣きたくなるような気持ちにはなりません。

おそらく時間の経過が解決してくれたのだと思います。

今もペットロスで苦しんでいる人達がいると思いますが、必ず乗り越えられる日が来るので安心して下さいと伝えたいです。

25歳女 長い時間をかけゆっくりと覚悟を決めさせてくれた

ゆうきとの出会いは、私が小学2年生の頃。

真夜中にふと目が覚めると、枕元に子猫がいたのです。

半分眠ったままの頭で喜びながら、近くにいた父に「これ、夢?」と尋ねたことを覚えています。

それから私とゆうきは、姉弟のようにじゃれあいながら成長していきました。

ゆうきは当時高齢猫に片足を突っ込んでいた先住猫を追い掛け回したり、巨大な昆虫を捕まえては家の中に持ち込んだり、そこらじゅうにマーキングしたり、何かとお騒がせで、当時子供だった私や父と離婚寸前だった母からは、十分な愛情を注がれなかったかもしれません。

そこが一番、今でも悔やまれるところです。

そんな風に、ゆうきや私が成長するまでの間は何かとドタバタしましたが、私が高校を卒業するころにはお互いに落ち着いて、「ツンツンした猫」と「そんな猫を溺愛する女」という一般的な猫飼いの構図に落ち着きました。

ゆうきは私にとって、世界で一番かわいい弟でした。

そんなゆうきを失ったのは、今からたった半年ほど前のことです。

それでもあまり悲しみを引きずっていないのは、彼が17年10カ月もの間生きてくれたことと、亡くなるまでの間に何度も「命が危ない」という状態になったにも関わらず、そのたびに不死鳥のごとく復活し、私たちの覚悟を少しずつ固めてくれたからにほかなりません。

最終的には老衰で亡くなったゆうきですが、彼には持病がありました。

きっかけは、私たちの不注意で彼の脱走を許してしまったことです。

家から脱走し、丸一日たったあとに帰ってきたゆうきは、頭にけがをしていました。

すぐに病院に連れて行きましたが、数日たつと傷口は膿み、それがきっかけでてんかんの発作を起こすようになってしまいました。

発作が出るようになってから、一日中けいれんが止まらなくなったり、おしっこが何日も出なくなったり、ゴハンが食べれなくなったりといった問題が、一つずつ順番に起こりました。

ぐったりするゆうきを見て「もうだめかもしれない」と私たちが覚悟を決めたことは一度や二度ではありません。

しかし彼はそのたびに問題を乗り越え、私たちの前にふたたび元気な姿を見せてくれました。

そんな彼のおかげで、私たちは少しずつ覚悟を固めることができたし、後悔も少なく済んだんだと思います。

それでも愛する者を亡くした事実に変わりはないので、こうして書いているとやはり涙が出てきますが、彼を家族に迎えたこと、彼を愛したことは一ミリたりとも後悔していません。

ずっと愛しています。

36歳男 時の経過が、一番悲しみをいやしてくれました

現在は主夫をやっている36歳、埼玉県在住です。

私が愛犬を失ったのは、30歳の時でした。

愛犬は18歳と半年でした。

小学校五年生の時から飼い始めていたので、私の青春時代の相棒といった感じで、とても忠実で愛くるしい犬でした。

最初の出会いは、ペットショップではなく保健所でした。

殺処分する前に里親を募集しているので、その時に選んで飼い始めました。

ちなみに、選んだのは母親でした。

犬の散歩は私にとっての家族内における大切な仕事になり、アイデンティティーでもありました。

犬の散歩を通して知り合いもたくさんできたので、愛犬には非常に感謝しています。

また、今思えば思春期の不安定な心情を、散歩を通して解消できていた部分もかなり大きかったんだなあと実感しています。

その愛犬、名前はチビというのですが、チビが死んだときのことを思い出すと、今でも心が痛みますが、大部分は過去のこととして受け入れられています。

亡くなる前の一年間くらいは、要介護犬でした。

やはり年齢による衰えには勝てず、あれだけ元気で、たくさん筋肉があったものがやせ衰えてしまっていく過程を見るのは辛かったです。

でも、それが命というものだと今では思っています。

介護も、最初はトイレのときに腰を支えてやるくらいで済んでいたものが、寝たきりになり、ペットシートの上でさせるしかなくなってしまいました。

あれは今思えば、チビにとっては辛かっただろうなと思います。

なるべくこまめにペットシートを交換してやるくらいしか私たちにはできませんでした。

このようになくなる一年前くらいから、いつ死んでもおかしくはない状態でしたので、心の準備はできていました。

それでもいざその時が来たときは、ショックで数か月は鬱々と過ごしていました。

仕方のないことだと思います。

やれると思ったことは、全てやったので後悔していることはありません。

もし私がアドバイスできることがあるとしたら、全ては無理でも、やれる範囲でやれることをやってあげると後悔も少なくて済むのではないかということと、悲しむことは悪いことではないので、十分悲しんであげる時間を作ることくらいです。

50歳女性 ペットロスは自分ではどうしようもなくただただ時間が癒してくれました

自然いっぱいの田舎で育ち、子供の頃から番犬としての犬の存在が途切れることはありませんでした。

親がもらってきたり、捨て犬に見込まれて飼うことになったりと出会いのいきさつはいろいろでした。

そんな犬との過去の中で、初めて自分の犬としてお金を出して飼った犬がいます。

ダルメシアンのものすごい美犬でした。

その頃の自分は今思えばファッションみたいに犬をとらえ、自分でもダメだろ!と首をかしげるようなおかしな愛犬家だったことを認めないわけにはいきません。

人間の身勝手な思惑に巻き込まれて来たにしてはもったいない、姿も性格も最高の彼女が、生活の中心になったのも当然です。

できることはすべてしてあげたい、犬として最高の幸せをあげたいと思い、オフ会に参加して内気な彼女のダル友になってくれそうなわんちゃんを探したり、川に行って泳ぎを教えたり、海端の公園で何時間も散歩したりと子供を育てるような情熱を傾けました。

でも時には散歩が面倒くさくてトイレだけですませたり、雷に怯えて膝の上に乗ってくる彼女に何時間もつきあえないと突き放したりとずいぶんひどいこともしてしまいました。

それがすべての後悔の根幹にあります。

本当にいつも愛情を注いであげた、と胸を張っていえないから辛いのです。

死別はいつかくる仕方のないことだけど、もっとできるはずだったことをしなかったから、別れてこんなに悲しいんだと思います。

生きている時に一緒にすごせる貴重な時間を、もっともっと大事にするべきだった。

ぴったりくっついて、一秒たりともはなれずにいるべきだった。

そんな思いがいつまでもぐるぐると頭に渦巻き、出口がない暗いトンネルを歩いているようでした。

結局時間がペットロスをいやしてくれ、心の痛みもずいぶんましになりましたがやっぱり痛いです。

これからもたぶん痛いでしょう。

死ぬまでもっていきます。

忘れることができなくていいんだと思っています。

最後に「こうすればよかった」と対策がわかっている後悔をひとつあげます。

16歳で老衰のため彼女が亡くなった時、取り乱してしまい、遺骨を引き取ってくることができませんでした。

まったく知らないところで土にせず、楽しく走り回った庭に埋めてあげればよかったと、迷いなくいえます。

もう自分の犬を飼うことはないけれど、同じ気持ちの方に。

10歳、女 時間の経過とともにいい思いでとして思えるようになった

40代の専業主婦です。

この子は初めて飼ったペットでした。

セキセイインコを2羽飼いました。

黄色い子と、青色の子です。

父親が知り合いから譲りうけたそうです。

ペットは飼ったことが、なかったので本当に嬉しかったのを覚えています。

餌をあげたり、鳥小屋の掃除をしたり何でも世話をしたくてしょうがなかったです。

そんなときに黄色い鳥は、病気でなくなりました。

家にきて半年も経っていないときでした。

小学生と言う子どもだったこともあり、すごくショックでした。

ずっと一緒に遊んだり出来ると思っていたので、そのときはすごく落ち込みました。

しかし、落ち込んでばかりはいられません。

青色のセキセイインコの世話を一生懸命頑張りました。

病気になっては嫌だと思い、自分なりに一生懸命お世話していました。

見た目もかわいかったですが、とても人懐っこくて可愛い鳥でした。

その子も、2年経ったころ病気になって亡くなりました。

生まれて初めて飼った、鳥たちでした。

可愛かったし、いろいろとお世話もしてきました。

病気なのでしょうがないことは、今ならわかります。

しかし、子どもの頃だったのですごくショックでした。

いつもいた鳥小屋がなくなり、鳥の鳴き声もしない。

まえは、それが当たり前だったのに急に聞こえなくなるとすごく気持ちが落ち込みました。

今まで味わったことがなかった気持ちを知った時だったと思います。

あの時は落ち込んで、暗くなったり、泣いたりすることがありました。

しかし、時間が経つにつれて徐々にいい思いでとして考えられるようになったと思います。

一緒に過ごした時間は、確かに楽しかったし、すごく充実していました。

それは時間がたってきちんと気持ちの整理ができたから思えるようになったと思います。

しかし、たまに何かもっとしてあげれたかなと考えるときもあります。

それはきっとペットを飼った事があるかたなら感じた事があるかもしれません。

どんなにいろんなことをしても、後悔することはあるのかも知れません。

34歳 女 時間ぐすり

私は、4年前に愛犬を亡くしました。

私といえば犬好き、犬好きと言えば私というくらい周りでは犬好きで通っていて、本当に心の一部のような存在でした。

私と彼女が出会ったのは、私が中学生の頃でした。

初めて参加した、犬猫の譲渡会。

その中でもとりわけ元気な子犬でした。

譲渡会なので、くじ引きで譲渡していただけるかどうかが決まるのですが、決まった瞬間は今でも鮮明に覚えています。

「膝の上に、まだ三ヶ月しか生きたことのない命が乗っている!」愛犬は本当に元気いっぱいに我が家にやってきました。

愛犬はどちらかというとトボけた性格で温厚な犬でした。

私達はどちらも子供でしたから、本当に姉妹のように育ちました。

犬に泣かされたこともありますし、おそらく犬も私に泣かされたことも多いでしょう。

それでも、一日の終りには、あたたかい愛犬のキスで仲直りしたものです。

いまでも、あの頬にあたる舌のやわらかさ、あたたかさ、そして犬臭さを覚えています。

ずっと一緒にいると思っていたのに…人生とは難しいもので、私のほうが実家を離れることになりました。

理由は進学。

それでもちょくちょく実家に帰っていたので、寂しさはありませんでした。

しかし、その後結婚が決まり、実家から遠く離れたところに引っ越さなければいけなくなりました。

私がどんなに家から長く離れていても、彼女は私のことを忘れることはありませんでした。

いつも近づけば耳を伏せてしっぽはちぎれんばかりに振り、そして「早く犬小屋から出してよ!」と催促するのです。

彼女はとっても素敵な犬でしたから、私の伴侶は犬嫌いが直り、今では犬が好きというところにまでなりました。

彼女は本当に最後まで素敵な犬でした。

健康で、病気一つせず、自慢の犬です。

後悔があるとすれば、近くにいれてやれなかったことでしょう。

それでも、16歳。

天寿を全うしたと言えます。

我が家に来て、彼女は幸せであったかなぁ。

幸せであってほしいなぁと、心から思います。

四年たった今、以前は犬を見るだけで大号泣していましたが彼女はもうすでに心の一部になりました。

今ペットロスで苦しんでいる人がいたら、時間が癒やしてくれると伝えたいです。

彼女がくれた愛情の分だけ、私の心は強くあります。

愛犬は消えたわけではなく、心に空いた穴はすべて彼女の思い出と愛情で埋まりました。

時間はかかりましたが、もう大丈夫です。

ああ、でもそうだなぁ。

やっぱりまだ、彼女には会いたいと強く思ってしまいます。

>>ペットロスを克服した151人の体験談