当年の夏で50代の半ばを迎える神奈川県に在住する男性です。現在、ライティングで仕事をすべく毎日、コツコツと勉強中です。そんな私のペットロスを解消したお話を書かせて頂きます。中学に上がって直ぐくらいの頃のことです。ペットを飼いたかったのですが住んでいるところが、公団住宅(現UR)の団地だったので犬と猫は飼わないというのが、入居時の約束でした。それでも、兄弟、姉妹のいない一人子という境遇だったので何か可愛がれる対象が欲しくて悩んだ末に思い付いた苦肉の策が、小鳥でした。最初は、小鳥ならば何でもよく、インコ、十姉妹、文鳥と特にこれといった特定のものは、決めずに近所にある小鳥の販売店に出向きました。丁度、繁殖の時期だったせいもあり、かなりの数の小鳥の雛たちがあちらこちらでピヨピヨと騒がしいほどに鳴いていました。お店の人に事情を話すと、「それならば、文鳥がおすすめです。中でも白文鳥は気品があってここ最近の一番の人気です」と教えてくれました。白文鳥?・・・文鳥と言えば一般的に見かける桜文鳥を考えていたのですが、白文鳥という今まで聞いたことない文鳥の名前に一気に引き込まれてしまい、早速、雛のところに案内して貰いました。何匹も元気よく鳴いている雛の中から目があった(と勝手に私が思っているだけかもしれませんが・・・)一際、元気のいい雛を見つけて「この子にします」と指をさしました。そして、早速、購入。雛専用のエサと藁巣も共に購入、飼育上の注意を教えてもらいました。「白文鳥は雛のうちは、背中が黒いですが、大きくなるにつれてとれますから」ということも教えて貰いました。可愛い、可愛い小鳥ではありましたが、小さいとは言え、一個の命を預かるという責任の重さも同時に感じていたのを思い出します。というわけで白文鳥との生活が始まりました。名前は、安直ではありますが、鳥なので「ピーちゃん」という名前をつけました。ピーちゃんは家族全員によく懐いてくれましたが、取分け、餌を与える私にはよく懐いてくれてヨチヨチ歩きでまだ飛べないですが、私の後を追いかけてきました。本当に可愛かったです。お店の人の言うように、大きくなるにつれて背中の黒い部分は消えていき一年と少し経過したころには、完全に大人の文鳥へと成長していきました。雛のうちから飼って面倒を丁寧にみていくと本当によく懐いてくれます。呼ぶと遠くにいても飛んでくるし、夏などは、両掌の中に水を溜めておくとその中で水浴びをしたりもします。しかし、初めがあれば、終わりがあるように命あるものには、必ず死があります。文鳥の寿命は一般的に6~7年と言われていますが、ピーちゃんもその例に漏れませんでした。別れは、突然に訪れました。その日は何となく元気のないピーちゃんを心配して後ろ髪を引かれる思いで登校したのですが、心配になり放課後は急いで帰宅しました。帰ると、ピーちゃんは、元気で出迎えてくれたので安心して、手を洗い籠の扉を開けて放鳥してやりました。やはり、年齢を重ねたせいかあまり以前のようには、飛び回らず直ぐに、私の手のひらに止まりそのまま寝てしまいました。しかし、何時ものお昼寝とは何か様子が違いました。そう、呼吸をしていないのです。慌てて母を呼ぶと「あぁ・・・ピーちゃんは死んでいるよ!」と。私は愕然としました。そして「ピーちゃんは、お前が帰ってくるのを待っていてくれて、お前の手の中で天国に行きたかったのだろうね」と。胸を締め付けられるような悲しさがこみ上げてきて、自分の掌にピーちゃんを戻すと最後のモフモフをしてあげました。ピーちゃんは、の体はまだ温かく名前を呼ぶと「ピヨッ」と何時もの返事を返してくれるのではと思うくらいでした。ピーちゃんを亡くした喪失感、ペットロスは予想外に大きかったのを記憶しています。先ずは、ピーちゃんの家つまり鳥籠を直ぐには、撤去することができませんでした。撤去してしまうと、本当にピーちゃんとお別れをすることを受け入れてしまうことになるので、撤去できなかったというのが正直なところです。しかし、毎日、主のいない鳥籠を見るたびに胸の内から突き上げてくるような寂しさや悲しさに苛まれて辛くなり約1ヶ月ほど経過したころに断腸の思いでようやく鳥籠を撤去しました。さらに、雀が遊んでいるとその形にピーちゃんを重ねてしまい、何とも言えない悲しさを味わったのも思い出します。実際、大きさ的にも雀と文鳥はあまり変わらない大きさです。しかし、何時までもこの状態を続けるわけにもいかず、自身で納得して受け入れる以外には、手はありません。では、どうやっていったかたというと、結局は「日にち薬」で時が解決してくれるのを待ち、悲しい気持ちを風化させるしかありませんでした。「あれだけ、可愛がったのだからピーちゃんも決して思い残すことはない!」と、自分自身に言い聞かせて。ただ、やはり後悔しているのは、動物病院に連れていけば、もうちょっと長生きできたかな?あの日(ピーちゃんが死んだ日)は思い切って学校を休んでしまえばよかったかな?と色々と尽きせぬ思いが出てきます。これは、誰でもそうらしく、知人でやはり飼っていた文鳥をなくした人もあれこれと悔いが出てきたらしいです。ペットロスは実に辛く、悲しいです。そして思いもがけなく突然にやってくることもあります。ペットを飼って可愛がっている人はこの日が必ず来るということを頭の片隅にでもおいて、悔いが残ることなく愛情を注いでやることを心掛けてあげるのが、いいと思います。愛情を注げば、注いだだけ、彼等は懐きます。そして、彼等はその愛情を決して裏切ることはしません。ペットロスに苦しんだ私がこんなことを書くのもおかしな話ですが、十分に愛情を注ぐことが出来たならば、お別れのときも少しはペットロスも軽くなのるのでは?と思います。あと何年かでここの公団も建替えになりますが、ピーちゃんは、共有部分である花壇の目立たぬところに眠っています。今でも、その前を通ると心の中で「ピーちゃん!」と呼びかけてあげています。
最愛のペットである文鳥の死…喪失感を克服したのは、やはり日にち薬
