突然亡くなったセキセイインコ 大事な家族だからこそ一歩前に進もうと思った

私が飼っていたのはセキセイインコです!
私の家に来たのは中学2年生の冬でした。

亡くなったのはつい最近12月の頭でした…
夜勤の休憩中携帯を確認したところ母より「ピーちゃん死んじゃった」とメールが入っていました。

夜勤が始まってまだ数時間だったので仕事を真剣にしなければいけないしでも
早く会って頭を撫でてあげたいなぁという気持ちもっとああしておけば・・・

もっと遊んであげたかった…そんなことばかり考えていました。

夜勤が終わり家に到着し夜勤の緊張感から解き放たれたとき
自然と涙が流れてきました。

頭を撫でながら人生で初めて声を出して泣いてしまいました。
その日は何も手につかない思い出すだけで涙が出てきてしまうほどでした。

いつまでもそのままでは居られないのは分かっているのに中々立ち直れないでいる自分に
母親から

「ピーちゃんの為にも笑って元気に過ごそう」

この一言に少しだけ心がスーッとしたような気がしました。

何かの記事で見た気がしたのですが
ペットが亡くなるのには何か理由があるのだと。

「自分の役目が終わったとき」「家族が幸せになったとき」

色々あると思いますが私は結構信じています。

いつも見守っていてくれてたんだと思うと悲しい気持ちもありますが
心から「ありがとう」という気持ちでいっぱいになりました。

その人によって考えは違うと思いますが

その子のためにも一歩前に進んでいきましょう!

その先に新しい出会いやいいことが待っているはずです!
そして私はその子に「ありがとう」の気持ちを忘れずにこれからも元気に暮らしていきます。

飼っていた小鳥が亡くなって想像以上に悲しく、小鳥の病気に詳しくなかったことに後悔した。

私はいくつかの動物を飼った経験がありますが、小鳥を飼った事があります。なぜ小鳥を飼う事になったのかというと、知り合いが飼っていた小鳥に子どもが沢山産まれたので、1羽もらった感じです。最初は小鳥について興味というのはあまりなかったですが、いざ世話をしていくと興味が出てきて、時折こちらの声に反応してくれるようになったので可愛く思えてきました。

この小鳥は約5年から8年ぐらいは生存出来るみたいですが、2羽もらった小鳥のうち1羽は数年後に亡くなってしまいました。どちらも元気でなついていたのでとても愛着が湧いていた中での1羽の死ですので、とても悲しかったです。もう1羽も亡くなった小鳥を目の前にしてなんだか悲しい顔をしていたので、私以上に悲しかったと思います。

この件で後悔しているのは少しの症状の変化に気付かなかった事です。小鳥が亡くなる少し前に小鳥の足が少し腫れているように感じたのです。少しだったのでどこかぶつけたのかなという感じでしたけど、その数日後にまったく鳴かなくなってさすがに病院に連れていかなければいけないと思って、次の日に病院に連れて行こうと思いましたけど、朝みたら亡くなっていました。つまり、対応が遅れたという事です。この病気は、オスに多く見られる病気だと後から知って、小鳥の病気の知識がなかったという事で、その点に後悔しています。

病気について知識があれば、もしかしたら早めに対応出来たのかもしれないです。これから小鳥を飼う人は、ぜひ小鳥の病気について調べてから購入するのがお勧めです。小鳥が病気になると、少し今までと違った変化があるので見逃さない事が大事です。

愛嬌のあるインコの死に家族が意気消沈。新しいインコがきても代わりにはならなかった。

それは高校を卒業して、グラフィックの専門学校に通いおこずかいを稼ぐ為に近所のフルーツパーラー店でバイトしてた時の事だった、滅多な事ではバイト先に電話などしてこない母からの電話、出ると、いきなり「ピーちゃんが!」と悲痛な悲しみの声で母が泣いている、この所、可愛がっていたピーちゃんが調子が悪かった、棒に立っていられなくなっていた、餌も食べなくなって、鳥かごの床にへばりついて、弱っていく姿が痛々しく見てられなかった、ピーちゃんは、インコなんです、とっても愛嬌があって、おしゃべりが上手でした、父はビールが好きだった、会社から買えると母はいつも「お父さんビール!」というのを覚えて、お父さんビール!お父さんビール!と言い、家族みんなを笑わせてくれたピーちゃん、母はピーちゃんによく話しかけ、ピーちゃんいい子ね!○○ちゃん駄目よ~!(○○ちゃんは私の事)それを覚えて、「ピーちゃん!いい子よ!○○ちゃんだ~め~ねぇ!」と、連呼して言っては、皆を笑わせてくれた、あのピーちゃんが、亡くなってしまった、こんなに小さな鳥だというのに、ピーちゃんの存在は大きかった、ピーちゃんがいない部屋の中は静まり返り、寂しさしかなかった、母は苦労人でどんな事があっても、オタオタしない人だった、母のあんな姿は後にも先にも見た事がなかった、父も姉も私も、沈んでしまった、家族の一員だった、もう家に帰っても、「お父さんビール!」と言ってくれない、私の事を○○ちゃんだ~めぇ~ネェ!」と言う声も聞けなくなった、淋しくてたまらなかった、家族全員が、たった小さなインコの存在に口数も少なくなってしまったのだ、あまりに悲しいのでまたインコを買おう!という事になった、でも何も語らないインコだった、新しいインコが訪れたので、少しは悲しみが薄れたけれど、あのピーちゃんの変わりにはならなかった、あのピーちゃんは家族の忘れられないピーちゃんとなった、それは面白い私達家族にピッタリのインコだったのだから。

4歳で亡くなったセキセイインコ。仕事の忙しさであまり構ってあげれなかった後悔。

セキセイインコのぴーちゃんが亡くなったのは4歳の時でした。突然、籠の中で冷たくなっていた姿を見たときは、目の前が真っ白になり、まるで時が止まったようでした。
ぴーちゃんが我が家にやってきたのはまだ幼い雛の時でした。大学生だった私は講義の休憩の度に家に帰っては毎日スプーンで餌をあげました。
数ヶ月が達ち、すくすく育ったおてんば娘のぴーちゃんが空を飛ぼうと羽をバタバタさせ、飛んでは落ちを繰り返す時には床や壁にぶつからないかヒヤヒヤし、布団やクッションを敷き詰めたのを覚えています。
また、ぴーちゃんが私が不注意で開けていた窓から逃げ出してしまった時、あれほどヒヤヒヤしたことはありません。しかし、ぴーちゃんは暫くすると窓から自分で我が家に戻ってきました。私は安心と罪悪感で涙が止まりませんでした。
ぴーちゃんが4歳の年。私は社会人1年目となり、初めての仕事や人間関係に日々疲労困憊。毎日餌やりや部屋の掃除は欠かさずやっていましたが、中々ぴーちゃんと一緒に遊んであげたり、構ってあげることが難しくなってきました。
ある日家に帰ると、いつも私を迎えてくれる鳴き声がせず、おかしいなと思い籠を見ると、そこにはゲージの端で冷たくなっているぴーちゃんがいました。
一般的なセキセイインコの余命である5~10年より短い4年。ぴーちゃんは亡くなりました。
忙しさにかまけず、もっと良く見てあげていれば、何か異変に気がつけていたのではないか。
病院などにも定期受診させてあげていればよかった。
私に飼われていなければもっと長生きできていたのではないか。とかなり落ち込みました。
また、ぴーちゃんが平均寿命より短く亡くなってしまった負い目から当時はぴーちゃんが亡くなったことを人に話せず、悲しみを誰かに打ち明けることもできませんでした。
ぴーちゃんが亡くなって一年後久しぶりに会った大学の友達と話し、そこで初めて人に打ち明け「でもぴーちゃんはきっと幸せだったよ」と言われた時、涙が止まりませんでした。
今でも思い出すと気持ちが沈みますが、ぴーちゃんとの楽しかった日々も私の大切な思い出です。悲しかったことも楽しかったことも、これからも大切な思い出として持ち続けていきたいです。

すこしそばを離れた瞬間。野良猫に襲われ姿を消したインコ。自分のせいだと激しく後悔。

ピーちゃんがいなくなったあの冬。
インコのピーちゃんは初めて我が家にきたペットでした。アパート住まいだったため、犬や猫は飼えず、ずっとペットが欲しいと願っていました。その願いが届いたのか従妹が飼っていたインコを譲り受けることになりました。

我が家はひとたびにぎやかになりました。何年も大切に育てていた時、遠くにいる祖父母の家に遊びに行くことになり、ピーちゃんも一緒に連れていくことになりました。祖父母の家はとても広かったので外の庭に鳥かごを出してあげたりお世話をしていました。
我が家は狭かったのでピーちゃんも外の世界でのびのび過ごしているようでたくさん鳴いていました。

何日か過ごしたある日、縁側で座ってピーちゃんを眺め、少しそばを離れたときです。ガチャガチャガターンとものすごい大きな音がなりました。

何事かと表に出ると、野良猫がピーちゃんのかごを襲っていたのです。かごは地面に落ちてしまい、扉は開き・・。あの元気なピーちゃんの姿は見る影もありませんでした。野良猫を探そうと走っておいかけましたが追いつけず、ピーちゃんが食べられてしまったのかもしれない、痛い思いをしているかもしれない、いや、もしかしたらどこか近くの木に逃げたのかもしれないと様々な思いがあふれ出ながらあちこち走り回りました。

ピーちゃんは見つからずに鳥かごだけがもぬけの殻となっているのをみるといたたまれない思いになりました。
あんな小さなからだで、猫に襲われてしまっては怖くて怖くてたまらなかったはずです。痛かったかもしれない。私が縁側から離れなければ、猫を追い払ってやれたかもしれない、自分の責任だと胸のうちがざわざわするのがわかりました。

怖い思いさせてしまってごめんね、守ってあげたかった。

たった1年で亡くなったインコ。もし会えるならまずは謝りたい。

2年前に亡くなったオカメインコの話しです。

購入したのは3年前でたった一年しか一緒いる事ができませんでした。

私結婚しているのですがなかなか子供が出来ず落ち込んでいる嫁の為に少しでも気が紛れればと購入しました。

雛の状態で餌付けしていったので凄くなついてくれて家に帰るといつも私の片の上で毛繕いをしてたまに私の頬に顔を擦り付けてきて本当に可愛かったです。

オカメインコは話しはしませんが口笛が上手でトトロの曲をよく吹いていました。

羽根を切っていなかったのでよく飛び回りそこら辺に糞をするのがやっかいでしたが。

ある日帰ると飛ぼうとするのにまったく飛べなくなっているしいつもは帰らない小屋にすぐにかえるのでおかしいなと思っていましたが仕事もある為、3日後に病院につれていく予定でした。

そして前日の夜、いきなり体調が悪化しいきたえました。

最後寄り添ってくるすがたと早く異変に気付き病院に、つれていってあげれなかった後悔で泣きました。

あれから2年たちますがトトロをみる度に思い出します。

犬や猫より悲しくないように感じると思いますが鳥も同じ家族なので新しい鳥はまだかっていません。

もしもう一度会う事が出来たら、まずは謝りたいと思います。

平均寿命の15年どころか1年しか生きさせてあげれなかった事や変化に気づくのが遅かった事など。

そして、少しの間だけど家族として楽しませてくれてありがとう。

最後に思うのはあのときのようにトトロを歌っている姿が見たいです。

私が二回目の手術で入院中に亡くなったセキセイインコ。身代わりになってくれたのではと思いました。

10年一緒に生活した、セキセイインコのきみちゃんが死にました。
きみちゃんは、黄緑色の雄のインコです。
おとなしくて、他のインコは本気で噛みつくのに、きみちゃんは、怒っていても甘噛み程度で、気を使ってくれるインコでした。

ただ、羽根の調子が悪く、他のインコが部屋を縦横無尽に飛び回るのに、比べ、小屋の中で一人で静かにしていることが多い鳥でした。

そのため、籠の扉を開けていても、いつも小屋の中にいるきみちゃんが、ある日、私の足元に来て、私のズボンのすそを二、三回、引っ張ったのです。

外に出てくることも、あまりないきみちゃん。何か、様子がおかしいと思い、観察してみると、フンが肛門の周りに固まっており、便が出ない状態であることが分かりました。

糞は、2センチ位の塊で、全然気が付いてあげられず、とても後悔しました。

糞をするとき、一生懸命いきむのですが、ぐ―という音がするだけで、出ず、とても苦しそうに見えました。すぐに翌日病院に連れていきましたが、高齢のため、特に何かするよりは、他の仲間の鳥と一緒にいたほうが、本人のためにいいだろうと、連れて帰ることになりました。

ただ、糞の塊は取っていただいたので、だいぶ元気になったようでした。

どうして、こうなるまで気が付かなかったのか。私が入院、手術後で、鳥の細かい状況まで気が付かなかったのです。

そして、私が二回目の手術で入院している間に、きみちゃんは死んでしまいました。

夫から、その話を聞いたとき、私は、きみちゃんが身代わりになってくれたのではと思いました。

のんびりやさんで、マイペースな男の子でしたが、きっと私の病気が重いことを知り、代わりに背負って旅立ってくれたのだと思いました。

その後、家に帰り、きみちゃんがいないことを実感しました。

あまりに寂しさに負けて、新しい雛を一羽購入しました。

この子のお世話で、自分の術後の痛みと、喪失感を紛らわしています。

きみちゃん、ありがとうね。

なにものかに襲われていなくなった十姉妹。食欲も減り、遊びも楽しくなくなった。25年経っても飼いたいと思えない。

 今からもう25年程前の話になります。私が小学生の時、十姉妹を6羽飼っていました。
 
 それは、休日に父親と姉と私と三人でペットショップに行ったときに、姉が十姉妹をみて、父親に飼いたいねだり、根負けした父親が飼ってくれたものでした。オスとメスのつがいの十姉妹。オスの方は、雪のような白いまだら模様で、吹雪となづけました。メスは、真っ白で、朗らかな感じだったのでのどかと名付けました。
 
 それが、我が家で飼育した初めてのペットでした。父親に買ってとねだった姉は、最初の2~3か月、吹雪とのどかの世話を頑張ってしていましたが、鳥の世話というのは、特に鳥かごについた糞の掃除が結構手間がかかるのと、飽きやすい性格だったこともあり、やがて、世話をほとんどしなくなり、結果、弟の私が世話をすることになりました。
 
 当時の私はそれほどペットを飼いたいという願望はありませんでしたが、世話をしていくにつれて、段々愛着が湧いてきました。庭で採ったはこべらをあげると、鳥は空腹が満たされることがないのか一杯になと思うくらいパクパクと食べる様子に癒されていました。

 やがて、のどかが卵を産みひな2羽が生まれました。ひなが生まれ、吹雪やのどかも子育てをするようになると、その様子を見たり、ひなが成長していく姿を見て、さらに、癒されていました。飼い始めて2年もしたころには、生まれたひながすべて育ったわけではありませんが、我が家の十姉妹は6羽の家族になり、たいそうにぎやかにしておりました。

 しかし、悲劇というのは、突然やってくるものです。学校から帰った私が見たものは、無残にも倒れて開いた鳥かごと、散らかった羽毛と血だらけになって動かなくなった吹雪と1羽の子供の死骸でした。蛇が食べたのか、野良猫がやったのかはわかりません。私は戸締りをせずに家を空けた母親を責めましたが、亡くなったものが帰ってくるはずもなく、ただ、そこにある吹雪と1羽の子を庭先に穴を掘って葬ることしかできませんでした。

 いつもそばにいたものがなくなるというのは、それが動物であっても悲しいものです。2年以上続けてきた餌やりと鳥かごの掃除という毎日の癒しの日課が、その日を境に突然なくなって、徐々に自分の心の中に喪失感が実感として湧き上がってきました。それから、半月ほど、吹雪、のどか、その子たちへの申し訳なさからか、食欲も減り、友達と遊んでいても楽しめなかった自分がいたのを覚えています。

 ただ当時、思春期を迎えつつあった私は、直に、好きな女の子のことやクラブ活動等に関心を奪われ、その悲しみを長く引きずるありませんでしたが、その経験からか、それ以来、私はペットを飼っていません。飼うことに強い抵抗があるわけでもなく、唯々、飼いたい気が起こらないのです。今、体験談を書いて昔の話を思い出しましたが、改めて思うのは、あの日、死骸のなかったのどかと残り3羽の子が、その時、無事に逃げていてくれればということです。
 
 
 

大切にしていたインコが亡くなってから、定期的に見る鳥が死ぬ悪夢。心に負い目を感じる。

昔から、セキセイインコや文鳥等の小鳥が好きで、ずっと飼っていました。怪我をしていた野鳥(図鑑で調べたところカワラヒワだと思います)を飼っていたこともあります。
小鳥は犬や猫と違い、逃げてしまったり、他の動物に襲われてしまったりでお別れになった小鳥たちも少なくはありませんでした。
中でも私はセキセイインコが大好きで、歴代可愛いインコちゃんたちを飼育しました。写真も残っています。
セキセイインコの愛くるしいところは、ちゃんと飼い主になついて呼べば飛んでくるところ。
しかもちゃんと指先に止まってくれるんです。それに、ピロピロ♪とごきげんな鳴き声。毎日教えれば言葉も覚えるんですよね。
一番思い出のあるインコは、学生時代に飼っていた全身レモンイエローの男の子です。
「俊太」という名前を付けましたが、結局「チュン太」と呼んでいました。
地方から東京に出てきて初めての一人暮らし、やはり寂しかったのでしょうか。
チュン太が今まで飼った小鳥たち以上にかわいくて仕方なく、帰省の時は一緒に帰ったし、病気の時は大学に連れて行ったこともありました。
大学卒業後、そのまま都内で就職し、一人暮らしは継続。社会人四年目の頃でしょうか、俊太が息をひきとりました。
季節は春。自宅アパート近くに桜並木のある場所に住んでいました。
こんなこと、ばれたら怒られてしまうかもしれませんが、俊太は桜の木の下に埋めました。
俊太がいなくなってからは、小鳥は飼っていません。飼いたいけれど、何だか飼えなくなってしまいました。
それから、3ヶ月に一度くらいのペースで、「飼っている小鳥たちが死ぬ夢」を見るようになりました。
ゲージの中にたくさんの小鳥がおり、ガリガリに痩せ細っていて、一部はすでに息絶えている…という。
夢の中で私は、早く餌をあげなきゃ!水をあげなきゃ!と焦っているのです。
いまだに定期的にそんな夢を見てしまい、悲しいことに俊太を亡くした負い目がかなりあるのだと思います。

人懐っこい愛嬌のある姿で家族を癒してくれたセキセイインコ。過失で水死しさせてしまい後悔。

私は以前セキセイインコを飼っていました、くちばしの上の部分が青かったのでオスだったと思います。一羽だけしか飼えませんでしたから名前は特に必要ではありませんでしたから、ここでは便宜的に「トリ君」と呼ばせていただくことにします。
トリ君との出会いは、父が偶然外出中に見つけて保護し、家に連れ帰ったことから始まりました。何処かの飼い鳥が逃げ出して家に戻ることが出来なくなったようでした。トリ君はとても人懐っこく、見知らぬ家の見知らぬ私達に対しても全く警戒せず、昔からの関係であるかのように振る舞ってました。取り敢えず食パンをちぎって与えましたが、喜んでついばんでいました。よほど空腹だったのでしょう。いちおう満腹になったと見えて、トリ君は親愛の情を示しすためか、順番に私達の肩に飛び乗り頬ずりをしてきたのです。我が家ではそれ以前にジュウシマツを飼っていましたが、トリ君のように積極的に慣れるという仕種を見せませんでしたから、その愛嬌のある姿に家族全員が感激をしたのです。それからはトリ君が家族の中心であるかのようになりましたね。
ジュウシマツ達はその当時の家へ転居する際に親しくしていた人達にかごごと譲っていましたので(表向きはペット禁止でしたので)、新品を購入するまで取り敢えずヒマラヤスギの鉢植えを寝床とさせていたのですが、トリ君はそこを気に入ったようで、が我が家として受け要られたようでした。鳥類を屋内で放し飼いにする際に困るのは糞をまき散らすことですが、トリ君はきちんと鉢の土の部分の同じ場所で糞をしていましたのでそういう心配はせずに済みました。家に戻るとトリ君が真っ先に迎えてくれるのはとても嬉しいことでした。かごが設えられても家族が家にいる間は外へ出して、実に狭い空間でしたが自由気ままにその飛ぶ姿を飽きもせずに眺めている日々が続きました。思い返すとトリ君にとって一番幸せな時期だったと言えるはずです。
ペットを飼っている人が必ず迎える悲しいできごとは、そう、愛する彼らとの別れの時です。もちろん、トリ君も例外ではありませんでした。その日は突然訪れたのです。
いつもは外へ出すと外出する家族の後ろをつけてくるのですがその日は別段そういうことをしなかったので、普段は家中の扉を閉めてから鍵をかけることをつい怠ってしまいました。それがいけなかった。私が家に戻るといつも出迎えてくれるトリ君の姿が何処にもなかったのです。気になって広くもない家の中を探してみると風呂場の浴槽の中に浮かんでいました。慌てて拾い上げてももう手遅れでした。私は自分の失策を攻め続けました。どうしていつものように全ての扉を閉めておかなかったのか。自分の手で家のドアの鍵をかけるまでにそのことに気付くべきでした。
心の中で何度も詫びましたが、トリ君が動くことは二度とありませんでした。私は帰って来る家族全員にトリ君が私の過失で命を落としいたことを告げて詫びました。全員が愛嬌のあった彼の死を悲しみましたよ。そしてトリ君を死なせた張本人である私の手で彼の亡骸を葬りに行きました。父がトリ君と出会った場所が当時は大きな団地の森であり、そこへ葬るのが最も相応しいと判断して、太陽が沈んでから人目につかないように注意して移植ごてでトリ君を入れられるだけの穴を掘り、途中で手折った花を上下に乗せて葬りました。最後の別れとして頬ずりをした瞬間、涙が止まりませんでした。俺のせいでトリ君が死んでしまった。その自責の念だけがしばらくの間この身から離れませんでした。
徐々に体力が落ちて死期が迫っていることを悟れるのならその覚悟を前以ってすることも出来るでしょう。トリ君の死は突然でしたので、全く予想外でした。トリ君の死を受け入れるまでしばらくの間我が家の空気が重く淀んでいたことを覚えています。
様々な別れの形があるでしょうが、私は自分なりに考えた形で彼を送りました。そのことについては後悔はありませんが、生命を全うさせてあげられなかったことに胸が今でも痛みます。トリ君ごめんなさい。我が家の鳥かごが使われることはもうありません。