家族と子猫が運んできた絆

2年前の夏、4歳の息子と散歩していた時のことです。
いつも行く公園の手前の空き地から『ニャーニャー』とかすかに小さく弱々しい鳴き声が聞こえました。私には全く聞こえずに息子がそれに気づいたそうです。
そこの空き地は草が生えっぱなしで整備されてなくゴミ、粗大ゴミと捨てられて足の踏み場もないところでした。息子から『あそこら辺から鳴き声が聞こえる』と指を割いてある所に私がゆっくり近づき辺りを見回すと、そこには一匹の子猫がいるじゃありませんか!しかもその日は38度の猛暑です。
鳴き声もか細く体力もなくなってる模様。まだ目も開いていません。目視判断で生後数週間でしょう。
このままここに放置しとくか、連れて帰るか判断にとても迷いました。
親猫、他の子猫の様子も全くなくここに一匹でだけ捨てられてたんだろうなと判断し息子と子猫と一緒に帰宅しました。
帰宅時に一番びっくりしていたのは妻です。そのあとに娘も。
妻『連れてきてこれからどーするの?』
私『外を暑いし弱ってるから連れてきた』
妻『飼うの?』
私『そうするつもり』

やはり女性の考えはしっかりしてるなといつも思います。男性はその場の判断でいいだろうと決めてしまいがちだが、女性は細かいところの判断もするので筋道が通っていて話し合いになると必ず論破される。

妻『とりあえず動物病院に連れて行って具合を見てもらって』

妻の言われたとりに動物病院に行きました。

先生「小さいわねーまだ目も開いてないじゃない?ただ毛並みもいいしダニもいない見たいね』

私は安堵の気持ちになり、帰宅時に妻に子猫を育てたいと熱弁して飼えることになりました。
子供達もとても喜んで名前をつけました。

『さくら』

さくら公園近辺にいたので子供達が『さくら」と名付けてくれました。

そこから、毎日数時間ずつミルクをやり様子を見て排泄しての繰り返しで夜の睡眠もままならず1週間が過ぎました。

夏なのにその日だけ、朝方ものすごく涼しくなり起床して子猫の様子を見に行ったら冷たく固まって死んでいました。

本当に一生懸命育てたのに気温の変化のミスで子猫の命を奪ってしまった悲しみと後悔で久々に声をあげて泣きました。家族も泣きました。

子猫に出会った思い出は家族の一生の思い出になるでしょう。

最後まで娘の部屋の前で出て来るのを待って亡くなった愛猫

妻と娘がペットショップに行って目が合ったので買って来ました。私が帰ると小さな箱の中にペルシャ猫の小さいのが入っていてニァーニァーと鳴いていました。直ぐ家族の一員で皆で可愛がっていたのですが何故か娘になついていました。
14年一緒に居て最後は腎不全と診断され日に日に弱って行くのが辛かったです。
元気にしていたのが急に動かなくなってしまい、風邪でもひいたかと思っていました。しかし、2日目位にこれはただ事ではない事に気付き、病院に連れて行くと腎不全の末期で何時亡くなってもおかしくない状態ですと言われ、このまま延命治療をするか、何もせずに待つか、と言われました。
仕事で朝早く出るので玄関で靴を履いている時に、今まで来た事もないのに玄関先でゴロンと横たわり見送ってくれました。
私と会ったのはこれが最後でした。妻が病院に連れて行き帰りの腕の中で息を引き取ったそうで、最後は娘の部屋の前で横になり動けなくなっていたとの事です。
父親の時には涙が出ませんでしたが、「ベル、猫の名前」ベルの時は涙が止まりませんでした。
心境としては、今まで此処に居たとか、いつもあの場所に居たとか、食事をしている時も足元に来てじゃれ付いたりしていた事を思いだしては寂しくなりました。家の中も暗くなった様でした。
今会えたらもっと可愛がってやれば良かったと言いたいです。
現在は犬を飼っています、もう老犬になってしまいましたが可愛いです。
犬で猫でも飼うので在れば家族として大事にして欲しいです。

めったに泣かない私ですが、愛猫を思い出すと涙腺が熱くなります。

私が24歳のころ、私が小学校の頃から飼っていた猫ピートがいつも寝ている座布団の上で静かに息を引き取りました。
ピートの猫種はラグドールで、とても好奇心が旺盛で、よく外に飛び出しては鳥や虫を捕まえて遊んでいます。
ある時は野良猫やご近所の飼い猫と喧嘩になり大けがをさせてしまった事もありました。
そんなやんちゃな猫ではありますが、私が勉強机に向かっていると決まって落ち着かないように私の足元をウロウロし頬ずりをして乗せてくれと懇願します。
私が、「わかったわかった」とピートを持ち上げ膝に乗せると落ち着いた様子でウトウトと眠りにつきます。

そんなピートですが私が成人になるにつれ病気がちになり、元気に外へ飛び回ることも無くなっていきました。
寂しくはありましたが相変わらず私の膝に乗ることだけは好きなようで、いつものように乗せてあげると満足げな顔で眠ります。

ある日仕事から帰ってくると妹が私にピートが朝からずっと起きないという事を伝えられ急いで居間に向かうと眠るようにしているピートの姿があり、さすっても声をかけても微動だにしません。
歳も歳だという事もあり諦めました。昨日はいつもどおり私の膝に乗せてあげた時はそういう予兆は感じられませんでした。察するに眠りと同時に逝ったのでしょうただ死に気づいてあげられなかったのが全てもの悔いです。

遺体はピートが良く遊んでいた庭の中央に埋めてあげました。
めったに泣かない私ですが、ピートとの思い出を思い出すと涙腺が熱くなります。
いろいろな事があったけど本当に愛おしく憎めない我がピートありがとう

前触れなく亡くなった愛猫。友達優先だったことに後悔。

シャム猫のケーナとは、小学校に入る前に出会いました。とても大好きで、エビの尻尾をあげたり、また、私が寝ていると近づいてきて私の 胸元にきて、舐めるのです。
それが気持ちいいのとこそばゆいのでしかくの方なく起きると嬉しそうな 声を出してきます。
それをずっとやっていたら寝れなくなります。
ケーナが突然死んでしまいました。
前触れがあったら良かったんですが、そんなこともなくいきなりだったのでびっくりしてしまいました。
固くなった体をさすっていると 体がとても硬くなるんだなと思いました。
中学生になると友達と遊ぶことが多くなり、あまりケーナと遊ぶのが少なくなってしまいました。それが、とても後悔しています。
ケーナがいなくなって食事の時にいないのがとても寂しく思いました。いつも私の横にいて私の物を欲しがるのを見ているととても可愛いと思いました。
でも、エビを丸ごと食べられることもありましたのでその時は怒りましたが、エビは美味しいですからそういう気持ちになるのもわかりますので仕方ないと諦めます。
今、ケーナと 会えるならまた私の上に来てペロペロ舐めて欲しいと思います。
そして、 ケーナと一緒に外に出て、一緒に走り、遊びたいです。ケーナは、女の子でしたのでとても可愛くて、舐めてくる時のケーナがとても大好きでした。
もっと、長生きしてくれたらとても良かったのにと思います。その時に友達ともケーナとも大事にしてたら良かったなと思います。

13年ともにすごした愛猫「ミーコ」からのメッセージ。生まれ変わって歩き出すときめた。

心身を病んで、それまでのように元気に働いたり、友達と遊んだりできなくなり、淋しくて知り合いのところに4匹生まれたキジ猫の子猫の中から1匹をいただきました。
哺乳瓶でミルクをあげるところから育て、「ミーコ」と名付けました。
小さい頃は、醜いアヒルの子で耳がやたらに大きくてバランスが悪く、子猫なのに誰もかわいいねと言ってくれなかったのですが、成長するにしたがって顔が小さく、目が大きく、足が長く、スタイルがよく、黒と白の模様のバランスが絶妙で、うちにはもったいない美しい猫に成長しました。
神経質でシャンプーするといつもストーブの前で自分の毛を元気になめなめしてきれいに乾かしていました。
しかし、ある日ストーブの前でなめなめする元気がなく、じっとしているのです。
様子がおかしいので動物病院に連れて行くとがんということでした。
それからあまり動かなくなり、お腹にある腫瘍の部分を自分で噛んでシーツに血がついたりしました。
暖かくなってくるとその腫瘍の部分に虫がわいたりするとお医者さんが言われたので闘病する姿を見るのも辛く、亡くなった晩は「これで楽になれたね」という気持ちの方が大きかったです。
亡くなった夜に血の付いたシーツを泣きながら洗いました。その後冷たく硬くなったミーコを抱いて寝ました。
翌日、動物霊園に火葬に行く車のカーラジオから中島みゆきの「時代」が流れてきました。
「今はこんなに悲しくて涙も枯れ果ててもう二度と笑顔にはなれそうもないけど…今日は別れた恋人たちも生まれ変わってめぐりあうよ」あまりに状況にマッチした歌詞だったのでミーコからのメッセージ、天の声だと感じました。火葬されるときも本当に最後のお別れで涙が出ました。
でも、その時代の歌詞「生まれ変わって歩き出すよ」のように生きなければミーコを親兄弟から引き離して一緒に暮らしてもらった意味がないと自分を鼓舞して頑張るように努めました。

今も後悔がつきまとう愛猫の最期。病院選びと餌選びは慎重に。

愛猫の「ナナ」が亡くなってもう5年になります。

真夏の炎天下に、バスタオルを敷かれた小さなバスケットの中でうずくまっていたナナを見つけた日から18年間、ずっと家族同様に可愛がってきました。

とても臆病で家族以外には懐きませんでしたし、抱っこされるのが苦手で甘え下手でしたが、夜寝るときはいつも私の布団で一緒に寝ていましたし、私がゴミ捨てでちょっと外に出ただけで「にゃーん」「にゃーん」と鳴いて私を探すとても可愛い子でした。

そんなナナも、15歳を過ぎる頃から徐々に体調を悪くすることが増えていました。
膀胱炎には数度かかりましたし、時折「てんかん」のようなけいれん発作を起こすことも出てきたのです。

そのたびに近所の動物病院に連れて行き、点滴や薬を投与していただいていましたが、けいれんの原因については「調べるのは時間がかかるし、わかったところで治療はできないかもしれない」と言われ、結局のところ何も手は打てず、ただただ発作が起こった時にケガをしないよう周りの危険なものを取り除く程度の対処しかできませんでした。

今思えば、餌の好き嫌いもなく何でも食べる子でしたので、それに甘えて食事が適当になっていたことが良くなかったのかもしれません。
最近になって、市販のペットフードの中には、ペットの体に良くない成分が含まれている商品もあることをネットで知りましたが、当時はそのような知識もないまま、何も考えずに「安いから」「食べるから」でペットフードを選んでしまっていたことを今とても後悔しています。

それ以上に今も考えてしまうのが、「もっと頻繁に病院に連れていくべきだったのではないか」「人間のようにセカンドオピニオンも考えるべきだったのではないか」ということです。

亡くなる1週間ほど前には、ナナは腎不全を起こしてしまっており、病院で点滴を受けたものの、もう立つことも自力でトイレに行くことも食べものを口にすることもできなくなっていました。

病院では「18歳だし寿命と考えてください。」と言われました。
私はその言葉をそのまま信じてその後病院に連れて行くことはせず、家で看取ることを選びました。

しかし、その選択について、今になっても後悔の念が私につきまとって離れません。
「あの時別の病院に行っていればもしかするともっと長生きできたのでは?」
「立てなくなった後も、やはり病院に連れて行くべきだったのでは?」
ナナのことを思い出すたび、その言葉が頭をよぎります。

次にもう一度ペットを飼うことがあるとすれば、今度こそは出来るだけ後悔のないよう、病院選びと餌選びをしっかり考えたいなと思っています。

飼い猫の事故死。自分の責任を思って苦しんだ2年間。

私が買っていた雑種猫のカンナは、数年前、友人の猫に生まれた子供として引き取りました。
赤ちゃん子猫の状態でウチにやってきたカンナは本当にかわいくて、私は日常の中心がカンナという生活に変わるほど、彼女を溺愛して過ごしてきました。

そんなカンナは、2年前、蝶々を追いかけて外へ出ていった後、角を曲がってきた車が彼女に気づかず、轢かれて亡くなってしまいました。
蝶々を追いかけて外へ行くのはいつものことだったので、まったく気にしていなかった私自身を、激しく責めましたいつもは1分もしないうちに帰ってくるのに、戻ってこないので不思議に思って外へ出たら……今思い返しても、頭がおかしくなってしまった方がマシだと思うような光景が、そこには広がっていました。

轢かれたカンナ。飼い主である私がしっかりと見ていてあげなかったから。
ごめんね。ごめんね……自分自身を責めて、かわいそうなカンナのことをひと時も忘れないまま、つらい2年間を過ごしました。
近頃、少しだけ落ち着いてきましたが、この2年間は本当に生き地獄のようでした。

いつも、何をしていても、かわいかったころのカンナと、轢かれて潰れてしまったカンナの姿が交互でフラッシュバックし、その度に、私は絶叫しながらうずくまりたい衝動にかられました。
外出先にいてもそうです。それが怖くて、仕事を休みがちになってしまいました。
ですが、だんだんと周りの人に心を打ち明けるうちに「カンナは私のせいで亡くなったわけではない」「カンナの寿命がそこまでだったというだけ」「カンナは天国で私を待っていてくれる」というアドバイスをもらい、だんだんと気持ちが楽になってきました。

ごめんねカンナ、でも私の友達でいてくれてありがとう。カンナが天国で待ってくれていると思うと、自分が死ぬのがこわくなくなります。そっちへいけるのはまだまだ先だと思うけど、いつかまた会えるのを、楽しみにしているよ。

障害を持って生まれた猫を我が家に連れてくるべきだったのか 今でも考えてしまいます

今から1年2か月ほど前の秋のこと。

友人から「家の物置に勝手に猫が入り込み、子猫を出産しているのを見つけた」という電話が。

私は猫が大好きだったので、急いで見に行きました。

母猫はシャムの雑種のようでしたが、生まれた子猫は黒が3匹と白が1匹。

友人は「家では飼うことができないから、このまま様子を見ながら子猫の飼い主を探す」と話していました。

数か月後、黒の3匹の飼い主は決まったのですが、残ったのが唯一の白。

最初にまた時には気づかなかったのですが、その子猫にはどうも障害があるようで、ずっと顔が小刻みにプルプルと震えています。かなり体も小さめでした。

そこで私が育てようと一大決心。自宅に連れて帰りました。名前はそのまま「シロ」。

シロを動物病院に連れて行ったところ、生まれつき脊髄に損傷があるのではないかという診断結果。でもまだ小さいので、はっきりとした結果はわからないということでした。

少しずつ体は成長していったのですが、大きくなるにつれてまっすぐに歩くことが難しかったり、決まった場所でトイレができずにオムツをつけることになったり。

それでもつぶらな瞳で一生懸命に私の後を付いてくるシロが可愛くて、すぐに大切な家族の一員になりました。

定期的に検査を受けていたものの、半年ほど経過したときにシロに変化が。足がピーンと突っ張ることが多くなり、ほとんど歩くことができない状態になってしまいました。

それから1か月くらいで、自分では餌を食べることができない状態に。流動食を作ってスポイトなどで食べさせていましたが、ついにはそれもできなくなってしまいました。

医師からは「これが障害を持って生まれたこの子の寿命だ」という診断。そしてシロは天国に旅立ちました。

シロがなくなって以降考えるのは、「もっと自分にできたことがあったたのではないか」そして「そもそも障害を持って生まれた猫を飼ってよかったのか」ということ。

自然界では自然淘汰されたであろう存在のシロ。その猫を飼ったのは、私のエゴだったのかなとも考えてしまいます。

そんな落ち込んだ私の様子を見て、家族からは「シロが我が家にきて過ごした時間は、シロにとって幸せだったと考えようよ」という言葉。

今でも家に連れてくるべきだったのか正解はわかりませんが、またシロのような猫に出会ったら、放っておけずに同じようにしてしまうだろうと思っています。

20数年すごした猫。居なくなって初めて分かった存在感

 私が初めてそのペットの猫と出会ったのは、私が十代の頃でした。まだ子猫の時にうちの家にやってきました。親戚が自分の家では飼えないからという理由で連れてきたのがきっかけでした。家にやってきてから数日の間は、近寄っては逃げられるという繰り返しの毎日でした。近寄らなくても、家の中をあっちこっち逃げ回るという状態でした。いきなり知らない家に連れてこられたのですから無理もなかったと思います。
 このように近寄っていくとすぐに逃げてしまうという状態だったので、食べ物をわかるようにペットの近くに置いて様子を見てみると何とか食事だけは食べてくれました。その時は、ホッとしたのを憶えています。その後は、月日が経つごとに徐々に慣れていき、私が家の中を移動するとすぐに後ろから付いてくるまで懐いてくれるようになりました。この頃からはもう家にペットがいるのが当たり前の状態になり、ペットが家の中で見かけないと気になってしまう、という感じになりました。
 ペットは家族と一緒だとよく言います。確かにその通りだと思いました。
 それから二十年近く経って年老いて老猫になってくると動きは鈍くなり、食も細くなっていき、若くて元気な時よりも色々な面で気を遣うようになりました。飼っている当時にもあったのかもしれませんが、今ではペット関連の書籍や情報が溢れています。
 最近、ネット上でペットとの接し方についての記事を偶然見かけました。その記事を読んで当時のことを思い出し、”あの時は良いと思っていろいろとやっていたけどペットはこう感じていたんだな”と後悔をする時もあります。ペットがいる時は、居るのが当たり前でしばしば煩わしささえ感じる時もありました。
 ある日突然いなくなってそれっきりで、今は写真が残っているだけです。家に来て二十数年たったある日の事でした。確かに、居なくなって暫らくは悲しい気持ちで一杯でした。でも、残った写真を眺めているとそこから楽しい記憶が溢れ出てきます。
 居る時は何も感じなかったけれど、居なくなって、単なるペットじゃなくてやっぱり大切な家族の一員だったんだなと、その存在の大きさを改めて感じました。しかし、一番の想いは『うちの家に来てくれてありがとう』でしょう。

愛猫が多頭飼い後ガンで亡くなり後悔。ずっと忘れられなくても前向きに

もう随分前のことになりますが、飼っていた愛猫のナナを腎臓のガンで亡くしました。
元々野良猫だったため、保護した当初はまったく馴れず困ったものですが、いつの間にか人にベッタリの甘えん坊になったかわいい子でした。
ナナを迎えて五年たった頃のことです。家の近所で子猫を見かけるようになりました。
どうやらその子も野良猫のようで、ある日大怪我をしていたのを発見して保護することになりました。
怪我が完治した後も貰い手が見つからず、我が家に二匹目の猫としてお迎えすることになりました。
猫の多頭飼いは難しい聞いていたので、少しずつ二匹を馴らすために最初は別々の部屋で生活させることにしました。
新しい子はわたし以外の家族はなつかなかった為、面倒を見るのはわたしの役目となりナナと触れ合う機会が減りました。
ナナにガンが見つかったのはそれからしばらくたった頃です。
わかったときにはガンはかなり大きくて手術も難しく、それからたったの二ヶ月で亡くなってしまいました。
最期はゴハンも食べられず、流動食を注射器のような道具であげるなどして必死に看病しましたが、あっけないものでした。
ナナが亡くなった後、わたしが新しい子の世話ばかりしてナナに構ってあげられなかったからナナは病気になったのではないか、そうでなくても、以前のようにたくさんの時間を一緒に過ごしていたならもっと早く病気に気づけたのではないかと後悔し、自分を責めました。
新しい子を可愛がるのもナナに対する裏切りのように思えてしまうくらいでした。
しかし、ナナの通っていた病院の獣医さんに、「あたたはなにも悪くないよ。ナナちゃんは最後までお世話してもらえて幸せだったんだよ」と言われて少しずつ前向きになれました。
今でもナナのことを考えるともっと色々してあげたかったという気持ちは消えませんが、それ以上に楽しかった思い出がたくさんあるので頑張れています。