障害を持って生まれた猫を我が家に連れてくるべきだったのか 今でも考えてしまいます

今から1年2か月ほど前の秋のこと。

友人から「家の物置に勝手に猫が入り込み、子猫を出産しているのを見つけた」という電話が。

私は猫が大好きだったので、急いで見に行きました。

母猫はシャムの雑種のようでしたが、生まれた子猫は黒が3匹と白が1匹。

友人は「家では飼うことができないから、このまま様子を見ながら子猫の飼い主を探す」と話していました。

数か月後、黒の3匹の飼い主は決まったのですが、残ったのが唯一の白。

最初にまた時には気づかなかったのですが、その子猫にはどうも障害があるようで、ずっと顔が小刻みにプルプルと震えています。かなり体も小さめでした。

そこで私が育てようと一大決心。自宅に連れて帰りました。名前はそのまま「シロ」。

シロを動物病院に連れて行ったところ、生まれつき脊髄に損傷があるのではないかという診断結果。でもまだ小さいので、はっきりとした結果はわからないということでした。

少しずつ体は成長していったのですが、大きくなるにつれてまっすぐに歩くことが難しかったり、決まった場所でトイレができずにオムツをつけることになったり。

それでもつぶらな瞳で一生懸命に私の後を付いてくるシロが可愛くて、すぐに大切な家族の一員になりました。

定期的に検査を受けていたものの、半年ほど経過したときにシロに変化が。足がピーンと突っ張ることが多くなり、ほとんど歩くことができない状態になってしまいました。

それから1か月くらいで、自分では餌を食べることができない状態に。流動食を作ってスポイトなどで食べさせていましたが、ついにはそれもできなくなってしまいました。

医師からは「これが障害を持って生まれたこの子の寿命だ」という診断。そしてシロは天国に旅立ちました。

シロがなくなって以降考えるのは、「もっと自分にできたことがあったたのではないか」そして「そもそも障害を持って生まれた猫を飼ってよかったのか」ということ。

自然界では自然淘汰されたであろう存在のシロ。その猫を飼ったのは、私のエゴだったのかなとも考えてしまいます。

そんな落ち込んだ私の様子を見て、家族からは「シロが我が家にきて過ごした時間は、シロにとって幸せだったと考えようよ」という言葉。

今でも家に連れてくるべきだったのか正解はわかりませんが、またシロのような猫に出会ったら、放っておけずに同じようにしてしまうだろうと思っています。

20数年すごした猫。居なくなって初めて分かった存在感

 私が初めてそのペットの猫と出会ったのは、私が十代の頃でした。まだ子猫の時にうちの家にやってきました。親戚が自分の家では飼えないからという理由で連れてきたのがきっかけでした。家にやってきてから数日の間は、近寄っては逃げられるという繰り返しの毎日でした。近寄らなくても、家の中をあっちこっち逃げ回るという状態でした。いきなり知らない家に連れてこられたのですから無理もなかったと思います。
 このように近寄っていくとすぐに逃げてしまうという状態だったので、食べ物をわかるようにペットの近くに置いて様子を見てみると何とか食事だけは食べてくれました。その時は、ホッとしたのを憶えています。その後は、月日が経つごとに徐々に慣れていき、私が家の中を移動するとすぐに後ろから付いてくるまで懐いてくれるようになりました。この頃からはもう家にペットがいるのが当たり前の状態になり、ペットが家の中で見かけないと気になってしまう、という感じになりました。
 ペットは家族と一緒だとよく言います。確かにその通りだと思いました。
 それから二十年近く経って年老いて老猫になってくると動きは鈍くなり、食も細くなっていき、若くて元気な時よりも色々な面で気を遣うようになりました。飼っている当時にもあったのかもしれませんが、今ではペット関連の書籍や情報が溢れています。
 最近、ネット上でペットとの接し方についての記事を偶然見かけました。その記事を読んで当時のことを思い出し、”あの時は良いと思っていろいろとやっていたけどペットはこう感じていたんだな”と後悔をする時もあります。ペットがいる時は、居るのが当たり前でしばしば煩わしささえ感じる時もありました。
 ある日突然いなくなってそれっきりで、今は写真が残っているだけです。家に来て二十数年たったある日の事でした。確かに、居なくなって暫らくは悲しい気持ちで一杯でした。でも、残った写真を眺めているとそこから楽しい記憶が溢れ出てきます。
 居る時は何も感じなかったけれど、居なくなって、単なるペットじゃなくてやっぱり大切な家族の一員だったんだなと、その存在の大きさを改めて感じました。しかし、一番の想いは『うちの家に来てくれてありがとう』でしょう。

愛猫が多頭飼い後ガンで亡くなり後悔。ずっと忘れられなくても前向きに

もう随分前のことになりますが、飼っていた愛猫のナナを腎臓のガンで亡くしました。
元々野良猫だったため、保護した当初はまったく馴れず困ったものですが、いつの間にか人にベッタリの甘えん坊になったかわいい子でした。
ナナを迎えて五年たった頃のことです。家の近所で子猫を見かけるようになりました。
どうやらその子も野良猫のようで、ある日大怪我をしていたのを発見して保護することになりました。
怪我が完治した後も貰い手が見つからず、我が家に二匹目の猫としてお迎えすることになりました。
猫の多頭飼いは難しい聞いていたので、少しずつ二匹を馴らすために最初は別々の部屋で生活させることにしました。
新しい子はわたし以外の家族はなつかなかった為、面倒を見るのはわたしの役目となりナナと触れ合う機会が減りました。
ナナにガンが見つかったのはそれからしばらくたった頃です。
わかったときにはガンはかなり大きくて手術も難しく、それからたったの二ヶ月で亡くなってしまいました。
最期はゴハンも食べられず、流動食を注射器のような道具であげるなどして必死に看病しましたが、あっけないものでした。
ナナが亡くなった後、わたしが新しい子の世話ばかりしてナナに構ってあげられなかったからナナは病気になったのではないか、そうでなくても、以前のようにたくさんの時間を一緒に過ごしていたならもっと早く病気に気づけたのではないかと後悔し、自分を責めました。
新しい子を可愛がるのもナナに対する裏切りのように思えてしまうくらいでした。
しかし、ナナの通っていた病院の獣医さんに、「あたたはなにも悪くないよ。ナナちゃんは最後までお世話してもらえて幸せだったんだよ」と言われて少しずつ前向きになれました。
今でもナナのことを考えるともっと色々してあげたかったという気持ちは消えませんが、それ以上に楽しかった思い出がたくさんあるので頑張れています。

飼い始めたときから、病気がちだったネコ。17年生きるも、病気食ばかりでかわいそうなことをしたと後悔。

ネコを飼ってみたいなぁ、と思っているときに友達からもらえることになり家で飼うことになりました。
それから17年間、一緒に暮らしてきました。
家に来たときから、体調が良くなくて病院に通っていました。
初めは、ネコ缶を食べていました。
しかし、腎臓があまりよくなくて、すぐに食事制限しなくてはいけなくなりました。
それから、病気食が初じまりました。
ふつうのネコ缶とは違ってあまり美味しくないようで、初めはあまり食べませんでしたが、それしかもらえないとわかったようで食べるようになりました。
食事以外はとくになにもしていませんでした。
しかし、ほぼ10年以上美味しいネコ缶も、ネコがすきなかつおぶしやネコのオヤツなど食べることはなかったので可哀想なことをしたように思いました。
実際には、老衰でなくなったのですが、病気が治ることはなかったのでずっと定期的に病院には通わなければいけなかったし、ご飯もずっと病院のエサでした。
長生き出来た方だと思うのですが、やっぱり好きな食べ物がたべたかったかも知れないと思うと病院のご飯ばかり食べさせて本当に良かったのかなとときどき思います。
それにすごく病院を怖がっている子でした。
でも、定期的に病院に通っていたのでいつも震えていました。
可哀想に思いながらも、いかないわけには行かず、つらかったことを覚えています。
亡くなる少しまえには、ご飯は食べれなくなったので1日おきに病院に点滴をしに行っていました。
もう怖がる元気もなくなっていたので暴れることもありませんでした。
亡くなってからも、いるような気がしてしょうがなかったです。
今でも亡くなってからだいぶたつのですが、どこかで寝てるようなふと思うことがあります。
またまだなにか、してあげれることがあったような気がして。
ときどき思うことがあります。

大好きだった愛犬の死に夢でもいいから会いたいと何度も願った。

小学校4年生のある日。
お母さんについて行ったスーパーで、子犬を譲ります。という写真つきの張り紙があるのを見かけました。
写真に写っていたのは、フワフワでまるで、ぬいぐるみのような犬でした。
私は、どうしてもどうしても!その子を家族にしたいと強く思い、その日の夜、両親に相談しました。

両親は、私の熱意に負け、犬と会ってみる約束をしてくれました。
私は嬉しくて嬉しくて、この日のことは今でもしっかり覚えています。
それから3日後、私たち家族は、その犬がいるおうちまで会いに行きました。

そこに居たのは、あの写真のままの本当にぬいぐるみのような子でした。
そしてその子は、その日の夜から私たちの家族になりました。
可愛くて可愛くて…一生大切にするよ。とそう話しかけて抱きしめました。

名前は私がつけました。ペコです。
ペコちゃんみたいに下を出すからという理由でした。
ペコちゃんは私の一番の親友で、お世話も全て私がやっていました。
だからペコちゃんも私に一番なついてくれて、それから私たちは本当に幸せな毎日を過ごしていました。
もうペコちゃんがいない人生は考えられなくなっていました。

それから10年、私が18歳の頃、ペコちゃんは、あまり歩かなくなり、目もあまり見えなくなってしまいました。
獣医さんには、歳だから仕方ないと言われていました。

そんなある日、あまりにも突然にペコちゃんは天国へ旅立ってしまいました。老衰でした。

私はひどく動揺し、まだ暖かさの残るペコちゃんを抱きしめることしかできませんでした。

ペットのお葬式をしてくれるところに連絡をし、ペコちゃんのお葬式をしました。
骨になってしまったペコちゃん。
受け入れるには、すごく長い時間がかかりました。
夢でいいから会いたいと何度も願ったものです。

ペコちゃん、どうか私を天国から見守っていてね。
またいつか、必ず会おうね。
ずっと大好きだよ。ありがとう。

時間が経つほど実感する愛猫の死。子供がうまれ構って上げられなかったことを後悔。

ココと出会ったのは私がちょうど二十歳になった頃でした。
当時はまだ実家に住んでいて、母がココを買ってきました。
ココはメスのラグドールでした。
毛色の出方がおかしいという理由で格安で売られていたそうです。
それと関係あるかはわかりませんが、ラグドールは人形のようにおとなしく抱っこされるのが好きな猫と言われているのに、ちっとも大人しく抱かれない、暴れん坊の猫でした。

そして時が過ぎ、私も結婚して子供が生まれ、ココは13歳になりました。
実家がペットを飼えない事情があったため、私がココを飼っていました。
この頃、私は子供の世話でいっぱいいっぱいで、ココのことはほとんど構ってあげていませんでした。
ココはすっかり老猫になり、一日中寝て過ごしていました。

ある晩、私はいつもは寝室のふすまを閉めて寝るのに、なぜか、少し開けて寝ようと思いました。
今思うと、ココが何かを伝えたかったのかもしれません。
次の日の朝、起きると、ココはいつもの場所で横になって冷たくなっていました。
昨日までご飯もたくさん食べていたし、普通に歩いていたのにどうして!?と、現実を受け入れられない
と同時に、育児で余裕のなかった私は、心のどこかでホッとしている自分がいることに驚きました。

ココが死んだ直後は取り乱したりもせず、思っていたより冷静でいたと思います。
それが1週間経った頃、寂しくて苦しくてたまらなくなり、毎晩寝る前に涙が止まりませんでした。
純粋に、いなくなって寂しいという気持ちはもちろん、いくら育児が大変とはいえ、もっと構ってあげればよかった、もっと頻繁に病院に検診に連れて行っていたらもっと長生きできたかもしれないのにと、後悔の気持ちが溢れました。
あの晩、ココの様子を見に行っていれば、何か違ったかもとも思いました。

今は、子供が小さいこともあり、ペットを飼うことは考えていません。
私の気持ちとしても、また別れが来ることを思うと、辛くてペットを飼いたいとはまだ思えません。
将来、もしも、もう一度だけちゃんとペットと向き合いたいと思える日が来たら、その時はまたきっと猫を飼うと思います。
だってやっぱり、猫って、最高に愛しい存在だから。

12歳で亡くなった愛猫。清潔にしなかったことを後悔。今、もし会えたらいっぱい聞いてみたい。。

飼っていたヒマラヤンが亡くなったのは、猫が12歳の頃でした。自分が小学生の頃から飼っていた猫なので、とても悲しかったです。胸が張り裂けそうになりました。
猫が亡くなって1か月くらいは、何もすることができませんでいした。食事もほとんどとることができず、とにかく悲しんでいました。

後悔していることがあるとすれば、猫の毛を清潔にしてあげることができなかったことです。ヒマラヤンなので長い毛だったのですが、そのため、傷ができたときに、膿んでしまったのです。とにかく、清潔にしておかなければならなかったのですが、不潔になってしまって、皮膚が剥がれ落ちるまでになってしまいました。
本当に快適に過ごしてほしかったので、そのことは後悔しています。

ヒマラヤンの猫に今会うことができたとしたら、元気に暮らしているか聞いてみたいです。それから、昔一緒に住んでいた時のことを放したいです。家を出て3日くらい帰ってこなかったときは、何をしていたのか、何のエサが一番おいしかったのか、など、沢山思い出話をしていきたいです。

もっともっと、話すことができたら、今、結婚しているかどうかも聞いてみたいです。飼っていたころは、去勢をしてしまっていたので、子供を産めない状態になってしまっていました。今、家族を作って元気に暮らしてくれていたらいいなと思っています。

ヒマラヤンの猫は、とても、おてんばな猫でした。すきがあれば、すぐにでも家を出ようとするし、家の中では走り回っているし、とても可愛かったです。

共に渡米し亡くなった2匹の愛猫

 米国在住歴18年になります。渡米した際に一緒に日本から猫を2匹連れてきました。名前は、はな、と、ひまわり。2匹とも日本の地を見ることなく、ここ、アメリカで亡くなりました。

 はなは、メイク―ンの雑種で、ふさふさとした毛を自慢げにいつも優雅に歩いていました。ものすごく人懐っこい猫で、だれにでもすりすりしていく猫でした。はなは、うちの大学でうろついていたいわゆる、野良ネコでした。そんなはなを、僕は大学卒業と同時に自分の家で飼うことにしました。

 ひまわりは、近所のおばちゃんからもらった子猫で、橙色の雑種でした。はなが、母親代わりをして、いつも二匹一緒に生活してました。はなと違って、ひまわりは、ものすごくシャイで、お客さんや、友達がうちに来ると、すぐに隠れてました。

 そんな二匹を、僕の米国での大学院進学のために、いっしょにアメリカに連れてきました。米国に来て、約10年がたったころ、ひまわりが、亡くなりました。死因は、獣医によると腎不全でした。最後は、がりがりに痩せてしまい、おトイレもできなくなり、亡くなる3週間ぐらいは、ずっとベットの近辺でおもらしをしていました。最後は、階段の上る途中で、亡くなってました。今でも思い出すと悲しくなります。

 はなは、その後、ひとりで生活してましたが、その5年後、老衰のため目も見えなくなり、ほとんど動かなくなりました。最後はあまりにもかわいそうだったので、獣医で、安楽死させてあげました。

 二人のお墓は、裏庭に作ってあげました。隣どうしに今も、二匹は一緒に眠ってます。一度だけ、寝ぼけていたのかもしれませんが、ひまわりを、夜中キッチンで見ました。ぼーっと橙色に輝いて、キッチンのテーブルの上に鎮座してました。はっと声をあげて、瞬きすると、もう、ひまわりは消えてました。

 まだ、僕の中で、次の猫を飼う気持ちにはなってませんが、また、いつか猫を飼いたいと思います。

愛猫の突然の死。長く一緒にいてやれずにゴメンねと謝りたい。

初めて出会ったのは、仕事を始めて2年目、一人暮らしをしていて寂しさなどを感じてはいなかったが、捨て猫を拾った友人が飼い主を捜していると言うことで、少し目が悪いようだったが引き取ることにした。

飼っている間に目は目やにが酷いだけで、すぐに治り、私にもすぐに慣れ、トイレもすぐに覚える頭のいい子だった

避妊手術をしたせいで、太りやすくなり暴行にストルバイトという石が溜まりやすくなってしまい。
その病気のせいで亡くなってしまった。

あまりにも突然で具合が悪いしぐさもなかったので気付かず亡くなってしまった。

寒い時期や家に帰るとすぐに近寄ってきて、私が座っていると近くに寄り添うか、足の上で寝転んでいた
夜寝る時は布団の上で丸まり重たかったです。

外に出たり、病院にいく時は怖がってしまい、おしっこをもらしてしまい、知らない人が家に来ると嬉しくかまてもらいたいのか、噛み付いたりじゃれたりしていました。

突然の別れだったので、すぐに気持ちをコントロールすることは難しかったです、少しずつ時間が解決するように、日常に戻っていきました。

ペットが亡くなったので次のペットを飼う方もいますが、ペットロスになるよりは飼った方がいいとはおもいますが、できるだけその子の代わりとして飼うのはおススメできません。
新しいその子にも悪いし、代わりには絶対にならないので。

もう一度会えたなら、「できるだけ長く一緒に居てあげれなくてごめんね」と伝えてあげたいです

家猫ではなく、怪我や病気の多い外猫で幸せな人生だったのか?と今も思う。

6年前、愛猫の「チョロ」が亡くなりました。享年13歳でした。猫の寿命としては少し早いですかね。
私が高校生の時、実家の庭に迷い猫として現れたチョロは、ゴージャスなグレーの毛並みをした毛長種のオス猫で、人を恐れることなく「にゃー」と寄ってきて人馴れをしていました。どう見ても高級そうだし、どこかで飼われていた猫だろうと、飼い主探しをしましたが見つかることはなく、結果実家の庭に居ついてしまいました。
当時、まだ家を建てたばかりだったため、両親はどうしても家猫として迎えることは躊躇し、庭で放し飼い状態でした。それでもチョロは元気に走り回り、毛が長いので毎日そこら中の葉っぱやゴミを体にくっつけて帰ってきました。チョロの毛繕いをしてあげたり、共働きの両親の帰宅が遅い時は夕方のご飯をあげたりするのが、私たちの日課でした。
今思えば家猫ではなかったことで、チョロにはたくさんの怪我や病気をさせてしまいました。
若い頃は、どこかの野良猫とやりあって負けたのでしょう、太ももに骨が見えるほどの傷を負って、命からがら帰ってきたこともありました。すぐに病院で手術をして痛い思いをさせてしまい、その後おとなしい性格になってしまってように思います。
チョロがおじさんの歳になった頃でしょうか、車用だったガレージを改装して猫部屋を作り、チョロはそこで生活するようになりました。それまで自由に出入りできていた空間に、透明なガラスを入れ部屋を作ったため、初めてチョロがその部屋に入ったときガラスの存在に気づかず、おもいっきりガラスに向かってジャンプし、顔面を強打しました。
そこからチョロの体調がどんどん悪くなっていきました。
目や鼻から膿を出し、綺麗な緑色の目は次第に色が変わっていきました。気分が悪いのかご飯もあまり食べなくなり、体もどんどんやせ細っていきました。
病院の見解は、顔面をぶつけた時に脳に衝撃があって、病気を発症したのではないかということでした。年齢も関係しているから一概には言えないが、と。
チョロは緑内障と白内障を発症し、毎日目薬をさしましたが、数年かけ、失明してしまいました。
亡くなる寸前は、自分が動けるだけの小さなテリトリーに、トイレとご飯のトレイとベッドを置いてやり、そこをヨタヨタと歩いて生活しました。
チョロが亡くなった日、私は定時で会社を出て、チョロの亡骸に一晩中寄り添いました。チョロはガレージではなく、私たちが生活する部屋の中に一晩置いてやりました。
最初から家猫だったら、もっと違う人生だったのかな、チョロは幸せな人生(猫生?)だったのかなと今でも考えます。
当時、友人に励まされた文章を載せます。

・みんなに可愛がってもらえてたもんねぇ。
きっと幸せだったよ?絶対幸せだった!
・私がチョロの事を忘れずに、たまに思い出して「あんときチョロこんな事してたよな~」とか懐かしむ事がチョロの供養になるんじゃないかな。
・うちも去年の暮れにネコが死んだ。青春時代を一緒に過ごした分、本当につらかったけど、今年、甥っ子が生まれて、最高にかわいい。きっと生まれ変わってまたうちにきてくれたんだと思う。そういう出会いがきっとあるよ♪