ペットがなくなって苦しんだ体験談~その後~

1年前の冬。当時20代前半だった私は、うさぎを1匹飼っておりました。私にとっては癒やしの存在でしたが、仕事から帰ってきたときに倒れているところ見て始めは寝ているのかなと思い触れてみたのですが体温が低かった為、おかしいと思いすぐに獣医に問い合わせ診察してもらいましたが時遅く命の火(病名:ガン)が失っておりました。

ペットは家族のと同じ存在で亡くなったときは喪失感で胸がいっぱいでした。
うさぎの名前をニコちゃん(雌)ですが、名前を何度も何度も叫んでは涙が止まらなかった記憶があります。
かけがえのない唯一の存在だったので、仕事を3日間お休みし寝込みました。

でも、とある番組で動物特集で亡くなった動物に対してその後の気持ちや行動が前向きなのをみて、改めて私自身も気持ちを切り替えることは直ぐには出来ませんでしたが歩み進めようと決意し前向きになっていきました。

愛するうさぎが亡くなった今、またうさぎを飼っております。名前は、ニココちゃん(雌)です。
亡くなったニコちゃんにそっくりで面影があったのでペットショップにて即購入致しました。
大人しいところや、お腹がすいたら足踏みするところまで一緒でとても幸せです。
きっと、ニコちゃんが巡り合わせてくれたのかなって。。。
私は当時購入する前想いました。

最後になりますが、ペット=家族であり死はとても悲しいことで言葉には表現できないつらさがあります。
ですが、また巡り合う奇跡やその子のためつぎに生かすことも出来ることがあると私は思います。

以上
私が飼っていた動物の死についての体験談です。

辛いおもいから、逃げなくても良い

中学生の時に、友達が捨て犬を拾ったのですが、既に犬を飼っていたので親から飼えないと言われたようで、飼い主を探していました。

私は両親に相談をしたところ、父が犬が嫌いだったので予想通りNGが出ましたが、ずっと粘り、やっとOKが出ました。

私が散歩や餌やりをやることと、外で飼うことが条件でした。

父は飼ってからも犬嫌いは変わりませんでした。

私が熱があり母も忙しい時には、誰も散歩も餌やりもできません。

さすがにそんな時には私に変わって餌やりやぎこちない散歩をしてくれてはいました。

しかし、見ていると明らかに義務でやっているような感じで、終わったら逃げるように家の中に入ってしまいました。

そのうち、飼っていた犬は血便をするようになり、食欲も落ちていきました。

たまたま父の親友が獣医をやっていたので、その人に診てもらったところ、ガンを患っているとのことでした。

ガンはかなり進んでいるとのことで、早めに手術をしてもらうことになりました。

まだ飼って3年くらいでしたし、進行しているとはいえ、大丈夫だろう助かると思っていました。

しかし手術の2日前に、犬小屋で亡くなってしまったのです。

それを見つけたのは私ではなく、父でした。

その後、家族で犬にお別れをし、家の庭に埋めてあげることにしました。

その時に、みんな泣きましたが、一番泣いたのは父親でした。自分の親の葬式でも泣くことはなかった父なので驚きました。

その後、私も母も「ペットとの死は辛いから、もう犬はかえないね」という話をしましたが、父からも「辛いから、もう飼わないでくれ」と強く懇願されていました。

それから数年、父はなんと、自ら知り合いの家で産まれた犬をもらってきたのです。

私も母も、もう辛いおもいをしたくないから、飼いたくないと大反対しましたが、押しきられて飼うことになりました。

それから10年以上たち、その犬は老衰で亡くなりました。

その時も辛くて、もう飼いたくないと思いました。

しかし、辛い辛いではなく、今まで過ごしてきた時間の大切さや、大事な思い出を大切にしてあげることが大事なのではないかと思いました。

辛さから逃げる必要はなく、辛い自分を認めてあげたら良いのかなと思います。

今、自分の都合でペットを捨てる人が多い中、最後まで一緒に過ごしてあげたこと自体、飼っていた犬は嬉しかっただろうと思いました。

愛猫が多頭飼い後ガンで亡くなり後悔。ずっと忘れられなくても前向きに

もう随分前のことになりますが、飼っていた愛猫のナナを腎臓のガンで亡くしました。
元々野良猫だったため、保護した当初はまったく馴れず困ったものですが、いつの間にか人にベッタリの甘えん坊になったかわいい子でした。
ナナを迎えて五年たった頃のことです。家の近所で子猫を見かけるようになりました。
どうやらその子も野良猫のようで、ある日大怪我をしていたのを発見して保護することになりました。
怪我が完治した後も貰い手が見つからず、我が家に二匹目の猫としてお迎えすることになりました。
猫の多頭飼いは難しい聞いていたので、少しずつ二匹を馴らすために最初は別々の部屋で生活させることにしました。
新しい子はわたし以外の家族はなつかなかった為、面倒を見るのはわたしの役目となりナナと触れ合う機会が減りました。
ナナにガンが見つかったのはそれからしばらくたった頃です。
わかったときにはガンはかなり大きくて手術も難しく、それからたったの二ヶ月で亡くなってしまいました。
最期はゴハンも食べられず、流動食を注射器のような道具であげるなどして必死に看病しましたが、あっけないものでした。
ナナが亡くなった後、わたしが新しい子の世話ばかりしてナナに構ってあげられなかったからナナは病気になったのではないか、そうでなくても、以前のようにたくさんの時間を一緒に過ごしていたならもっと早く病気に気づけたのではないかと後悔し、自分を責めました。
新しい子を可愛がるのもナナに対する裏切りのように思えてしまうくらいでした。
しかし、ナナの通っていた病院の獣医さんに、「あたたはなにも悪くないよ。ナナちゃんは最後までお世話してもらえて幸せだったんだよ」と言われて少しずつ前向きになれました。
今でもナナのことを考えるともっと色々してあげたかったという気持ちは消えませんが、それ以上に楽しかった思い出がたくさんあるので頑張れています。

ヘルニアを発症し診察台でなくなった愛犬。しつけをもっとしておけば防げたのではないかと後悔。

私の家にペットの犬、ミニチュアダックスフンドがきたのは、私が20歳のときでした。

私の家族は父、母、兄、私の4人です。私が20歳の時、母がガンで亡くなりました。

その時のショックとそれからの生活の過酷さは今でも忘れません。

男ばかりの家で家事ができる者はいませんでした。家の中はめちゃくちゃでした。

そんな生活のこともあり、祖母が家に定期的に手伝いによく来てくれるようになりました。

祖母も高齢でしたし、家も近所というわけではありませんでした。

父、兄共に仕事、私は大学生で家には祖母だけの時間が多くなり、父がそんな祖母のボケ防止として、犬を飼うことにしました。

初めて家にきた犬の名前は桃太朗。
生まれてまだ間もないミニチュアダックスフンドでした。

両手に収まるとても小さな子犬で、ゲート内でプルプルと震えていたのを今でもよく覚えています。

そんな桃太朗もすくすくと大きくなりましたが、男家族プラス祖母ということもあり、しつけは全くできていませんでした。

家のいたるところで、オシッコやウンチ、壁紙を破る、物を壊す等とても手のやく子でした。その分、世話をした時間も多かったと思います。

そんな桃太朗でしたが、ある時、大好きな散歩を嫌がる時がありました。いつもであれば、猛ダッシュで走っていくのに…

原因はヘルニアでした。ミニチュアダックスフンドはよくなる病気ということでしたが、何気なく持ち上げたり、段差を登らせたりしていることも原因ということでした。

手術をして一時治りましたが、また、再発。どんどん元気が無くなっていきました。

元気が無くなっていく桃太朗をみて、とてもつらい日々でした。

最後は診察台の上で静かに力尽きました。

桃太朗は母が亡くなってからきて、すぐにきましたし、母の生まれかわりみたいなものでした。

桃太朗がいなくなって、家の中はとても綺麗で、掃除も楽になりました。しかし、その分寂しさは倍増です。

しつけをもっとしっかりしてれば、ヘルニアにはなっていなかったのか等後悔することもあります。

今でも元気な桃太朗の姿が頭の中から消えません。

16歳でガンで亡くなった愛犬。テレビで動物番組を見ただけで泣いてしまう。

2年前の冬、高校生の頃からともに生活した愛犬ジョニーが亡くなりました。16歳でした。

高校生の頃、友達の飼い犬が子供を産み、貰い手がいなくて困っていたところ、子供のうちの一匹をうちで飼うことになりました。
その時はただただ可愛くて一緒に居たいという気持ちが強く、「別れの時の辛さ」のことなんて一切考えていませんでした。

いつも一緒にいるのが当たり前な感じでした。
ジョニーが15歳の頃急によろけるようになったり、動きが非常に鈍くなり、おかしいと思って病院へ連れて行きました。

そこでガンであることが発覚したのですが、歳が歳なだけに手術はかえって危険だということで、手術せずお薬を飲むことに。
その1年後のある日、穏やかな顔で息を引き取りました。

一緒に過ごせる時間は残りわずかなのに、私は仕事が忙しくて遊んであげられなかったことを非常に後悔しています。
その日も仕事だったのですが、さすがに仕事できるような状態ではなかったので、「熱が出て仕事に行けない」と上司に嘘をついて休みました。

火葬場で
「このワンちゃんは大分長生きしたよ、頑張った」
と言われました。
確かに長生きした方かと思いますが、でももっと一緒に居たかったです。

宅配便の方が来ると必ず鳴いていた、非常に警戒心の強い犬でした。ジョニーが亡くなってから、なんだか静かになってしまいました。

あれから1年は寂しさと後悔で泣いてばかりで、泣いてばかりいました。テレビで動物番組を見ただけで泣いたり、他の家のペットも見れませんでした。
でも今は泣かなくなったし、動物番組を見ても動じなくなったし、時がたてば徐々に辛さが和らぐのかなと思います。

ジョニーの動画がスマホにたくさん撮ってあるのですが、亡くなって2年経った今も見れません。
きっとこれも時が経てば見れるようになるのかなと思っています。

ジョニーが亡くなったショックを今も少し引きずっているので、もうペットを飼うことはないと思います。

ガンで1年後に亡くなった愛犬の死から命の尊さを知った。

私は現在、大学4年生です。
小学6年生の冬まで、愛犬と楽しい日々を過ごしておりました。

その時点で愛犬は13歳で、犬の年齢からしたら高齢ではありますが、癌が見つかるまでは比較的元気に過ごしておりました。

癌が発覚してから約1年、あっという間に時は流れ、愛犬は家族全員に看取られながら天国へ旅立ちました。癌ではあったものの、愛犬はとても強い子でした。苦しむ様子はあまり見せず、最後は眠るように旅立って行ったのを今でも覚えております。

その時の愛犬が、私にとっての初めてのペットであり、その愛犬を沢山可愛がっていたこと相まって、命の大切さ、儚さを知りました。これは、自分自身の手でペットを育てていなければ知り得ないことであると私は思っております。

やはり、命でありますので、人間のみならず、どの生き物にも必ず死という現実が待ち受けています。しかし、これを乗り越えることで、命の重み、儚さ、悲しみ、全てを体験し、理解することで、新しい自分になれると私は思っております。

現在、私は自分でお金を出し、新しいペットのウサギを育てております。
朝起きて、頭を撫でて抱っこをし、ご飯をあげて、小屋の掃除をし、一緒に遊び、夜も共に寝るというサイクルが出来上がり、ペットとの生活が私自身の生活の一部となっております。余談ではありますが、私のスマートフォンの写真一覧がペットの写真で埋まるほどです。

やはり、自分のペットはとても可愛いものです。愛でることで、その可愛さは増すでしょう。しかし、先程も述べました通り、どの生き物にも必ず死が待ち受けております。これを乗り越えることで、命の儚さ、そして命の重みを知ることが出来るはずです。これは、人生にとって必要不可欠なことであると私は自負しております。

愛犬の早すぎる死に世界が白黒になった。与えてくれた愛情を刻み生きていきたい。

我が家は、父が愛犬家で私が生まれたる前から犬がいないことはありませんでした。
なので、私も物心ついた時から犬がいるという生活は当たり前でしたし、犬が怖いということは全くありませんでした。
しかし、父が飼う犬は大型犬のアフガンハウンドやボクサーという犬種で室外犬でした。
そのため、反動で小型犬で室内に飼うということを高校生の頃までずっと夢みてました。
大学生になり、あるペットショップで可愛い赤ちゃんのミニチュアダックスフンドを見ました。
運命だと思い、バイトをして親には内緒でそのミニチュアダックスフンドを購入するお金を貯めて念願の室内犬を飼いました。
潔癖症の母ですが元々愛犬家なので飼ってきてしまったなら、とミニチュアダックスフンドのポッケと私の時間が始まりました。

まだ、1ヶ月半の赤ちゃんだったので、寝るときはゲージに入れてと思ってましたが深夜にずっと寂しくてクーンクーンと鳴くので私の布団で隣に寝かせてあげると落ち着いて寝ていたことを今でも覚えていています。
以来、ポッケはお布団で私の隣に寝ることが日課になりました。
大学生なので、バイトやゼミ、サークルや飲み、デートの度に家に帰るのがとても遅くなることがありましたが、ポッケは私の足音を聞くとすぐに玄関まで出てきてるおかえりなさいの「ワンワン!」と迎えてくれます。
そんなポッケとの生活がずっと続くと思ってました。
しかし、私が社会人になり忙しい日々を送っていて、中々ポッケとの遊ぶことも少なくなってきたと思っていました。
ポッケの食欲が徐々に減り、心臓の病気で余命わずかということをお医者さんから言われました。
ショックでした。
まだまだ寿命じゃないのに。
毎日、ごはんの量は減っていきますが、いつもと変わらず仕事から帰るとどんなに遅い時間でも出迎えてくれました。
そして、3ヶ月後、歩くのも困難な状況でしたが、ポッケは仕事帰りの私をきちんと玄関まて迎えてくれて、そして、そのまま膝に抱っこされると安心したかのように眠って天国へ行きました。
当たり前のようにいてくれた存在がいなくなってしまったことにショックで仕事から、帰るたびに泣いていました。
帰ってもそこに迎えてくれるポッケがいなくて、世界が色がなくなり、白黒に見えました。
布団に入っても温かいぬくもりがいないことが信じられませんでした。
今でも書いていると涙が出そうになります。
しかし、ポッケが与えてくれた思い出と共に悲しさを胸に忘れずに与えてくれた愛情を刻み生きていくと思うと強くなれた気がしました。

10歳でガンで別れた愛犬。それから8年かけて気持ちが整理でき、ようやく新しい仔をむかえることができた。

ヨークシャテリアの女の子の可愛くて可愛くて仕方なかった『もなか』と出会ったのは、忘れもしない、私が高校一年生の8月16日でした。もう20年も前の事になります。

昔は犬に追いかけられた経験があり、犬嫌いだったのですが、従兄弟の家で飼い始めた仔犬の『サラ』と出会って犬が大好きになり、私も犬が欲しいと兄と共に両親に何年も頼み続けていました。

両親には愛犬を亡くした経験があり、生き物との出会いがあれば別れも来るけど乗り越えられるのか、ただ可愛がるだけではダメ、ちゃんと世話をすると言う約束を何度も何度もした事を覚えています。

そして、とうとう愛犬のもなかは家にやって来てくれました。赤ちゃんの時は片手に乗るくらい小さくて、お腹はポンポコリンで、まさに食べてしまいたい程可愛かったです。当時兄は思春期?反抗期?で食事の時以外は部屋にこもっていましたが、もなかのお陰で兄が家族団欒の中に戻ってきてくれました。

それから10年がたった頃、突然もなかのお腹の左下に灰色っぽいしこりが出来ました。すぐに病院に連れていくと、良くない出来物で手術をすることになりました。

手術から10日も経たずに、突然もなかは亡くなりました。最後は肺に水がたまり息が上手く出来ず、舌が紫色になり…本当に見ているのも可哀想でした。

その時の事は今でも思い出すだけで涙がでます。
乳腺腫ガン…避妊手術をしていたら、なる可能性が低くなるガンです。

もなかを迎えた頃は去勢避妊手術のメリットの知識をまったく持っていませんでした。手術をしなかったことを今でも後悔しています。

もなかが居なくなってしまって、我が家全員の心にポッカリと穴が開きました。親戚の家の犬、外ですれ違う犬…どんな犬種の子も見るだけで涙が出ました。

特に母が我が子を失った様に悲しみ、食事も取れず、弱ってしまっていたので、励まししていたためか、私は悲しいながらも前向きでいられました。

この悲しみは時間しか解決出来ないと思います。家族で励ましあっているうちに心が落ち着いて来ました。共に涙を流したり、思い出を語る家に心の整理もできました。

もなかとの別れから8年後、今の愛犬を迎えました。もなかにしてあげられなかった事はすべてやってあげようと思っています。当然去勢手術は出来る月齢に行いました。

この子は違う名前なのに、『もなかっ』と呼ぶと反応します。きっと生まれ変わって帰ってきてくれたんろうと都合の良いことを思っています。

5歳でガンで亡くなったウサギ。もっと早く気づいていたら良かった…と後悔

親が犬や猫が好きで小さい頃からペットのいる家で育ってきましたが、1人暮らしをするようになって初めて自分の意思でウサギを飼い始めました。グレーの色で背中にMの模様がある可愛いミニウサギでラムという名前を付けました。

おとなしくてちょっと臆病な性格でしたが、毎日ゲージから出てきて飛び跳ねたり膝の上に乗ってきてくれるのがとても愛おしかったです。

ラムは2011年の5月にガンで亡くなってしまいました。5歳ととても早い死だったので可哀想だと思いました。異変を感じはじめたのは3月の三陸沖地震の後でした。

餌をあまり食べなくなっていたりゲージの中でじっとしている事が多くなったのと、お腹にシコリのようなものができていたので病院に連れて行きました。ガンはかなり進行していて手術はできないと言われたので、残りの時間は自宅でたくさんの愛情を注いであげましたが、段々弱っていって最期はとても苦しそうでした。

ウサギの寿命は5年~10年くらいですが、5歳で亡くなってしまった事にもっと色々と楽しい経験をさせてあげたかったと悲しい想いです。地震の直後から元気が無くなったのでラムもとても怖くてストレスによって病気が進行してしまったのかなとか、もっと早く異変に気づいて上げていたら苦しい思いをしなくて済んだかもと自責の念にしばらくはふとした瞬間にラムの事を考えて涙が止まりませんでした。

今でもたまにラムが水を欲しそうにしている夢を見ることがあり、毎年霊園に水やラムが大好きだったおやつをもって訪れています。もしラムに何か伝えられるんだったら早く病気のことに気付いてあげられなくてごめんねと伝えたいです。

ガンがみつかり旅行の直前に亡くなった愛犬。旅行にいかなければよかったんじゃないかと後悔。

小学1年生の時、愛犬のバーディーは私の家に来ました。
クリスマスにやってきたバーディーは、私にとって最高のクリスマスプレゼントでした。

とっても頭がよく、スポーツ万能で人の感情をとても読み取ってくれる甘えん坊な子で
どこへ行くにも一緒でした。

私とバーディーは一緒に成長しました。

私が大学生の時、バーディーに癌が見つかりました。

癌が分かったのは夏で、目の上にポコッと小さなできものが出来ていたので
私は外に出て蚊に刺されたのだろうと思い、掻いてあげようとしたところ
いつもだったら気持ちよさそうにするのに、その時は痛そうにかばうような仕草をし
不思議に思ったのが癌発見のきっかけでした。

脳に癌があるとのことで、摘出するのは難しいとのことでした。

私は、急な出来事にとても悲しくなり何日も泣き続けました。

残された時間を大切に過ごそうと努めましたが、だんだんと元気がなくなっていく
バーディーを見るのはとてもつらいことでした。

バーディーが亡くなった日、私は前々から大学の友達と旅行の予約をしていました。
旅行へ行こうとした直前バーディーは亡くなりました。

「最後まで良い子だったね。みんなが揃っているときを選んで亡くなったんだね」
と母親は言い、私は正直言うと全然旅行に行く気になれず
ドタキャンにはなってしまうけど、断ろうかと考えました。
しかし母親は、「予約していたんだから旅行に行っておいで」と私に言い
私は旅行に行くことを決めました。
旅行中も涙をこらえるのが大変だったのを覚えています。

今になっては、旅行に行かなくてもよかったんじゃないか
とか、癌で痛くて鳴き声を上げてるときにもっと寄り添ってあげたかった
とか、後悔はたくさんあります。

亡くなった後は、喪失感でいっぱいでした。
帰宅したとき迎えてくれる気がする
バーディーがよくいた下駄箱の下から出てくる気がする
など、まだバーディーがいる気がして、亡くなったのを信じたくなくて苦しかったです。

時間が経つにつれ、苦しさはだんだんと癒えてきましたが
三十路手前になった今でも
実家に帰るとバーディーが出迎えてくれるような気がするときや
夢に出てくることが未だにあります。

それだけ私にとっては大切な存在でした。
バーディーにはとても感謝しています。