愛犬と暮らした8年間と辛すぎた突然の別れ

出会いは私が小学生の時でした。
母親に連れて行ってもらったペットショップで一目ぼれしたのがミニチュアダックスフント。
犬が大好きだった私はすぐに「欲しい!」と言いましたが、家族が犬をあまり好きではなかったことから反対されました。3か月間、毎日家族に頼み込み何度もの家族会議の末、やっとのことで犬を飼ってもいいとお許しをもらいました。

数日後再びペットショップへ行き、ついに一番元気なミニチュアダックスフントを買ってもらいました。
帰り道、自分の腕の中にいる子犬とこれから一緒に暮らすなんて信じられない気持ちと幸せな気持ちでいっぱいだったことは今でも鮮明に覚えています。

見た目がチョコレート色だったことから「チョコ」と名付け可愛がりました。でもチョコと一緒に暮らすと、散歩やエサやり、排せつの処理やケージの掃除など、お世話することがたくさん。
それでも大好きなこの子だから大変でもがんばれました。家族もだんだんとチョコが好きになってきているのを子供ながらに感じていました。春にはみんなでお花見に行ったり、夏には水浴びをさせに川に行ったり。どんなことをさせたら喜んでくれるかな?と家族で計画するのも楽しみの一つでした。

そんな生活が8年続いたある日、高校生になった私が学校から自宅に帰宅したときでした。
母親に話があると言われリビングに行くとチョコがきれいに広げられたタオルの上で横たわっていました。明らかに異様な雰囲気を感じ取った私は一瞬でチョコがもう動かないことを理解しました。母親が震える声で車にひかれたことを伝えてくれました。突然のことで言葉も出ませんでした。

冷たくなった体に触れ、涙が止まりませんでした。昨日まで元気に遊んでいたのにどうしてこんなことになってしまったの?もう一緒に散歩することはできないの?明日から顔も見られないの?チョコがこの世界からいなくなるの・・・?いろんな感情がぐちゃぐちゃになって泣くことしかできませんでした。これが夢だったらいいのにと何度思ったことか。

つらいお別れをして数日間は何も食べられない状態でした。テレビを見てもどうしてこんなにみんな楽しそうなんだろうとボーっと考えていたように思います。日常からチョコがいなくなったことでまさに抜け殻状態でした。ほかの犬をみるとどうしてもつらい気持ちが増すのでテレビなどでペット特集などをするとすぐにチャンネルを変えていました。

数か月がたちだんだんつらい気持ちを乗り越えられるようになりました。特にこれをしたから辛くなくなったというのはなく時間が癒してくれました。これを書いている今でも思い出すと涙が出るので、一生チョコをなくした辛さは心のどこかにあるのだと思います。でもチョコと暮らした8年間は宝物で幸せだったことに変わりはありません。その日々を胸にこれからも生き続けたいと思います。

突然の愛犬の死亡連絡に勤務中なのに号泣してしまい

幼犬から家に来て、10歳までずっと一緒だった愛犬の突然の死亡連絡が来たのは仕事中でした。

社会人1年目、東京へ上京して仕事をしていた私へ、日中なのに母から連絡が入りました。
なんだろう?と思い電話をとると、そこには泣いている母が・・・

どうしたの?何があったの?と言ってもごめんなさい、ごめんなさいと謝ってばかりで、一向に理由を言ってくれる気配もなく、仕事中の私はまた夜に掛けなおすと伝えて切ろうとしたら、愛犬が亡くなったとポツリと言って切られてしまいました。

それだけ聞いた私は、勤務中なのに号泣してしまい暫く席に戻れませんでした。
残業をしない様に必死で終わらせ、母へ連絡をしてやっと聞き出せた内容は、交通事故死でした。

元々とってもやんちゃで、たまに脱走をしてしまう愛犬でした。
それでも、逃げ出してもその日のうちに帰ってくるので、母も見つけに行かなかったそうです。

事故にあう2日前に脱走して、珍しく帰って来なかったそうです。
次の日にも帰ってこなくて、心配した母が探しに行き、近所の人に見かけた情報を聞いたりして探していたら、遠くでブレーキの音が
聞こえたそうです。

あんなに急に止まって、危ないな。
そう思って、その付近まできた時に何かが倒れているのに気付いたそうです。
まさか・・・動物が引かれた!?と内心思った母は引き返そうと
思ったそうです。

でも、なんだか行かなくてはいけない衝動にかられたそうです。
近づいたら・・・そこに横たわっていたのは愛犬でした。

母は早く探しに行かなかった事を今でも後悔しています。
いつもの事・・・そう思い込むのもどんな理由でも止めようとも
思ったそうです。

私もそれ以来いつもの事、どうせ等決めつける事をしないように
心がけています。

まだ生きれた命、決めつけなければ寿命を全う出来たと思うと
いつまでも心が痛みます。
そう母が話すたびに、私もとても哀しくなります。

手から落ちて亡くなったハムスター。罪悪感からお墓にも近づけない。

ジャンガリアンハムスターを飼ってました。
名前はクッキー飼っていたのは小学生の頃でカゴから出して遊んでいました。

床からたったまま手に乗せていました。

手が小さかったことと、クッキーがいきなり動きまわりとてもびっくりした当時の私は手からクッキーを落としてしまいました。

あの時の事は今でも忘れられません。

慌てた私はすぐに座ってクッキーを抱えました。ちゃんと歩くことが出来ていたのでホッとしていました。

しかしその夜、お母さんがクッキーの様子がおかしいとみたところ足が腫れていて、足の力が入らないのか歩けなくなってました。

そして死んでしまいました。
すごく泣きました。

すごく後悔しました。
なんでたったまま手に乗せたのか?
病院につれてかなかったのか?

とても残酷なことをしました。
命は大切です。小学生の私でもすごくわかっていたことでした。

ですがその頃は小学生で、危ないとかの危機管理が出来てなかったのです。

お墓をつくりました。

泣きながら謝りました。
許さないかもしれませんが謝ることしか出来ません。

クッキーはとても元気なハムスターで
よくゲージを脱走しては、クローゼットの中に自分の巣を作ってました。

ヒマワリの種を口いっぱい頬張り、巣へと運んでました。

もう1匹ハムスターがいて、おんなじジャンガリアンハムスターでよくケンカしてました。

ハムスター同士の喧嘩は激しく、ケガをしょっちゅうしてました。

クッキーが死んだあと、ゲージがとても寂しくもう1匹のハムスターはなんとなく寂しがってる様に見えました。

ゲージを見るたびに自分のしてしまったことを思い出しました。

お墓も罪悪感から近寄り難くなり、
ずっと避けていました。

あれから何年もたちましたが忘れる事は出来ません。
ペットは家族です。

クッキーにしてしまったことを一生忘れないでつぐないにはなりませんが小さな命、大きな命を大切にしていきたいと思います。

あの時行かなければ~ハムスターの事故~

その子は私が人生で初めて飼った自分のペットでした。
ゴールデンハムスターの男の子で名前を「ハム太」と言いました。

毎日、お部屋を掃除する事。お世話を最後までする事を両親と約束して飼ってもらったのは、小学生の頃でした。

私は、毎日学校から走って帰るようになりました。
早くハム太に会いたかったからです。

毎日、お部屋をお散歩させました。
毎日、小屋を綺麗に掃除しました。
毎日、ハム太に声をかけました。

小さな小さなハム太の温かさを今でも覚えています。

そんな時、ピアノの発表会がありました。
私は最初は出ない事に決めていましたが、直前で参加する事にしました。

でも、何故か胸がモヤモヤしていました。
当日、とても行きたくない気持ちになりました。

ピアノは好きだったのに自分でも不思議でした。

発表会を終え、家に帰ってきて言葉を失いました。

ハム太が小屋と金網の間に頭が挟まり冷たくなっていたのです。

私は、その時の記憶を無くしてしまいました。
あまりにショックだったのです。

ピアノの発表会で家に誰もいなくなり、ハム太は脱走しようとしたのでしょう。

隙間に挟まり、窒息してしまったのです。

私はそれから何度も何度も、発表会に行った事を悔いました。
もし、家にいたらハム太が例え挟まってもきっと鳴いて私に助けを求めたはずなのです。

そして、死なずに済んだのです。

ハム太は桜の木の下に埋葬しました。
25年経った今でも、春になると私はハム太に会いに行っています。

また君に触れたいよ。

飼い猫の事故死。自分の責任を思って苦しんだ2年間。

私が買っていた雑種猫のカンナは、数年前、友人の猫に生まれた子供として引き取りました。
赤ちゃん子猫の状態でウチにやってきたカンナは本当にかわいくて、私は日常の中心がカンナという生活に変わるほど、彼女を溺愛して過ごしてきました。

そんなカンナは、2年前、蝶々を追いかけて外へ出ていった後、角を曲がってきた車が彼女に気づかず、轢かれて亡くなってしまいました。
蝶々を追いかけて外へ行くのはいつものことだったので、まったく気にしていなかった私自身を、激しく責めましたいつもは1分もしないうちに帰ってくるのに、戻ってこないので不思議に思って外へ出たら……今思い返しても、頭がおかしくなってしまった方がマシだと思うような光景が、そこには広がっていました。

轢かれたカンナ。飼い主である私がしっかりと見ていてあげなかったから。
ごめんね。ごめんね……自分自身を責めて、かわいそうなカンナのことをひと時も忘れないまま、つらい2年間を過ごしました。
近頃、少しだけ落ち着いてきましたが、この2年間は本当に生き地獄のようでした。

いつも、何をしていても、かわいかったころのカンナと、轢かれて潰れてしまったカンナの姿が交互でフラッシュバックし、その度に、私は絶叫しながらうずくまりたい衝動にかられました。
外出先にいてもそうです。それが怖くて、仕事を休みがちになってしまいました。
ですが、だんだんと周りの人に心を打ち明けるうちに「カンナは私のせいで亡くなったわけではない」「カンナの寿命がそこまでだったというだけ」「カンナは天国で私を待っていてくれる」というアドバイスをもらい、だんだんと気持ちが楽になってきました。

ごめんねカンナ、でも私の友達でいてくれてありがとう。カンナが天国で待ってくれていると思うと、自分が死ぬのがこわくなくなります。そっちへいけるのはまだまだ先だと思うけど、いつかまた会えるのを、楽しみにしているよ。

早く気づいてあげたかった。さよならも言えなかったペットとの別れ

小学校低学年の時、捨て犬を拾ってきて、家で飼いはじめました。雑種だっようですが、ゴールデンレトリバーが少しはいっているのかな、という容姿で、目がクリクリしていて、とてもかわいい子でした。大好きだった映画から、トトロと名付けました。
捨て犬だったからか、最初は警戒していて、なかなかエサを食べてくれませんでした。車に乗せると、捨てられたときのことを思い出すのか、クウーンクウーンと悲しそうに鳴いてました。まだ小さいのに、すごくつらい経験をして、それが忘れられないんだなと感じ、私も悲しくなって泣きました。
初めて買うペットなので、大切に育てました。トトロはどんどん大きくなって、エサをたくさん食べて、犬小屋もどんどん大きくしなければいけないほどでした。1年たつ頃にはすっかり慣れて、家族の一員として元気すぎるぐらいに毎日遊んでいました。
ある朝起きると、トトロがぐったりとしていました。エサをあげても、すべてはいてしまい、とても苦しそうで歩けないほどでした。また、クウーンクウーンとないていて、わたしは心配で泣いてしまいました。トトロが心配でしたが、わたしは小学校にいかなければならず、心配でしたが、お母さんが病院に連れていくとやくそくしてくれたので、家をでました。それがトトロをみた最後でした。
小学校から帰ってくると、犬小屋は空っぽで、トトロはどこにもいませんでした。お母さんにきくと、病院につれていったが、手遅れで、帰りに火葬してもらってきたということでした。
死因は、トトロが近くの工場のネズミを駆除するエサを食べたことでした。
どうして、もっと早く気づいてあげられなかったんだろうと今でも後悔しています。ペットはかわいいと思いますが、あれ以来、お別れをするのがこわくて、ペットを飼うことができません。

シマリスとの突然の別れに家族全員で泣いた。

うちにシマリスがやってきたのは、2年前。旦那が人からもらってきました。
ハムスターはペットとしてなじみがあるけど、シマリスって…ペットとして家で飼うものなの?と、私はあっけにとられて、どうしていくんだろうという気持ちでした。
子供が3人いるので、旦那は子どもたちに動物を飼うことでいろいろ学んでほしいという考えでした。
今まで、金魚とかは飼ったことあるけど、小動物ははじめてでした。
生態もわからず、何を食べるのかもわからず、そこからのスタートでした。
手に乗って、ヨシヨシするようなことはできず、逃げ回るばかり。ハムスターと全然違う…逃げてしまったら、冷蔵庫の裏、洗濯機の裏…なかなか捕まえられない。
最初はそんな状態でした。でも飼っていくうちに、エサをあげれば近よってくるし、食べているときは触れるし、リスって本当にほっぺにエサを満タンに詰め込んだり、どこかの下に隠したり。
本当にかわいいなと思うようになりました。家族の一員になっていました。
しかし、別れは突然やってきました。一日に一回、ゲージか出して部屋に放すのですが、部屋の中に出ているときに、事故で物の下敷きになってしまい、おそらく内蔵破裂で、亡くなってしまいました。
病気などではなく、突然の別れだったので、気持ちの整理ができず、日常の中での突然で…悲しさがものすごくて、家族全員で泣きました。別れがこんなに悲しいとは…ペットとの別れがこんなにつらいとは…。
本当に家族だったんだと実感しました。

愛犬が車にひかれるきっかけを私が作ってしまった。悔やんでも悔やみきれない。

私が中学校2年生の時、飼っていた犬のサリーが車にひかれて死んでしまいました。サリーはまだ10か月の赤ちゃんでした。

サリーは私が小学校4年生の時に公園で拾ってきたクロの子供でした。クロが妊娠し、お腹が大きくなっていく姿を側ですっと見てきました。

サリーが無事に産まれた時、私は嬉しくて仕方ありませんでした。手のひらに乗るサイズのサリーが無事に育っていくのか心配で夜中に何度も様子を見に行ったりしていました。

無事に成長し、外に行けるようになってからは毎日散歩に行き、夜は一緒に寝ていました。サリーは外が大好きだったので庭にドッグランを作り、その中に昼間に過ごせる犬小屋も用意しました。

ある日、知人に不幸事があり留守番をさせて家族で出掛けることになりました。

夕方には帰れるとの事だったので、部屋の中ではなく庭の犬小屋に入れ、ドッグランに鍵をかけて待っていてもらう事にしました。

しかし、突然の不幸事に焦っていたのか、鍵がきちんと閉められていなかったようです。

お葬式から帰ってくると、家の前に車で引かれた状態で倒れているサリーの姿がありました。

ドッグランの鍵を最後に締めたのは私です。サリーを殺してしまったのは私だと思い、ショックで何も出来ない状況になりました。

私が学校に行ったりご飯を食べたり、普通に生活をすることがとても罪であるようにも感じました。

どうして鍵を閉めなかったのか、室内で留守番させなかったのか、悔やんでも悔やみきれませんでした。

また、母犬であるクロから子供を奪ってしまったことも申し訳なくて仕方ありませんでした。

結局、しばらくは学校にも行くことができませんでした。学校に行き始めてからも、何をするにもやる気が出ませんでした。

そんな私を助けてくれたのはサリーの母犬のクロです。サリーがいなくなってから、夜に私のベッドに来て一緒に寝てくれるようになったのです。

大丈夫だよ、責めないでと言ってくれているような姿にとても救われました。

私のせいでサリーが亡くなってしまったという事実は今でも胸に後悔として深く残っています。

中学2年生であった私も今では結婚し、2児の母です。そして昨年、犬を飼い始めました。

ずっと私が犬を飼って良いのか不安でしたが、子供の希望もあり我が家の家族として迎え入れました。やはり、犬と過ごす毎日は幸せです。

サリーの分も愛犬を幸せにして、今度こそ何があっても守り抜きたいと思っています。

脱走し電車にひかれ亡くなった愛犬。もっと注意していればと後悔ばかり。。

私が昔から動物が大好きでした。小学生の頃に、両親におねだりして犬を買ってもらいました。いつも顔をペロペロと舐めてくれるのでペロと名前をつけました。
毎日学校が終わるとペロに会いたくて走って帰りました。ペロはいつも尻尾をブンブン振ってすごく喜んで出迎えてくれていました。
学校で嫌なことがあったりするといつもペロに愚痴っていました。ペロはいつも黙って聞いてそして私の顔ペロっと舐めて慰めてくれているかのようでした。私はそんな優しいペロが大好きでした。
それから14年が経ちました。私は社会人になり、彼氏ができたり仕事をしたりと日々忙しくなりました。
家に帰る日が遅くなったりする日もありなかなかペロと触れ合うことも少なくなってきていました。でも外出する時は行ってきます、帰ったらただいまの挨拶は必ずしていました。
そんな中、ペロとの別れは突然やってきました。朝方掃除をしている祖母が少し玄関のドアを開けた隙にペロは脱走してしまいました。家族で探しましたが見つからず夕方になり、家のすぐそばを通っている電車が警笛を鳴らしました。それはとてもとても大きな音でした。
嫌な予感がしました。おじいちゃんはすぐに線路の方を見に行きました。ペロは電車にひかれて亡くなっていました。あの警笛の音はペロに対しての音だったのです。でもペロは歳をとって耳が全く聞こえ無くなっていました。
おじいちゃんは農作業で使う一輪車にペロ乗せて家まで運びました。私には見ない方がいいと言いました。
本当に突然ペロはいなくなってしまいました。仕事に行く時帰ってきたときついペロを探して声をかけようとしてしまいます。でももういないのです。
犬の寿命は15歳だと言われています。14歳のペロともうと一緒にいるべきでした。犬は話さないしいつも元気で変わらず可愛いけれど、確実に歳はとっていたんですよね。もっと注意をしていればこんな事故にならなかったかもしれない。社会人になって自分のことで精一杯になって、でもペロはいつも私のことを待っていてくれたのに…その後毎日泣じゃくりました。後悔ばかりでした。後悔してもペロはいない、でとずっと忘れないようにと写真を飾っていつも話しかけることにしました。ペロが寂しくないように。
その後何年かして両親が犬を飼いました。その犬も今15歳になります。過去の教訓を生かしてじゃないですけど、大切に育てています。

愛犬を失った小学生の私に「あなたと一緒にすごせてしあわせだったよ」といってあげたい

待望の仔犬の誕生でした。

真っ黒で太い脚、垂れた耳、フサフサとした尻尾。
コロコロと走り転げる仔犬は、小学4年生の私にはまさに宝物でした。
真っ黒でがっしりしたこの仔犬に、見た目のままにつけた名前は「くまごろう」でした。

思い返してみると、知り合いから譲り受けたこのくまごろう。
雑種でしたが、体格がよく足も速く、なかなかお利口で何より私になついてくれました。
つやつやした黒くて長い毛並みはとても美しく、何度も何度もかわいい背中やおなかを撫でてやりました。

くまごろうがきてからの私は、学校が終わると一直線に帰宅し、くまごろうと散歩へ。
散歩というより一番の仲良しと遊びに行くような、ウキウキした気持ちでした。
ただ一緒にいて、草をかんだり自分の尻尾を追いかけるくまごろうを見ているだけで幸せでした。

そんなある日。
学校から帰るとくまごろうがいません。
ぶかぶかだった首輪が落ちています。
「どこかに行っちゃってるな。でもすぐ帰ってくるよね。」
そう信じて、家の近所を探し始めましたが見つかりません。

不安に思い始めたころ、妹がむこうから駆けてきました。
「おねえちゃん、くまごろうが道路でしんどる!」

頭が真っ白になりました。

そのあと、ひかれたくまごろうを一輪車に乗せて、裏山に葬りました。
抱きかかえたときに、くまごろうの血が道路にながれました。
ショックでした。こんなひどいことになってしまって。
痛かったんだろうなって、ごめんねごめんね、なんで、なんで、と泣きました。

首輪が緩いのは、わかっていたのに。
まだくまごろうは小さくて、自動車があぶないってよくわかってなかったのに。
かわいかったのに、かわいかったのに。

私は自分を責めて、父や母にもうまく伝えられませんでした。
妹はまだ小さかったのか、わりとあっけらかんとしていたようでした。

今もこれを書きながら涙があふれて止まりません。
小学生高学年でも、うまく気持ちを表現できなかったのだなと今わかります。
この悲しみを誰かにわかってもらっていたら、と思います。

小学生の私にやれることはすべてやった。
不運ではあるけれど、決して自分を責めつづけることではありません。

小学生の私に言ってあげたい。
「くまごろうもきっと、あなたと一緒にすごせてしあわせだったよ」って。
同じ悲しみを持つあなたのそばに、だれかがいてくれることを願ってやみません。
 
楽しい時間をくれた、くまごろうへの感謝をこめて。