小さくて短いネズミ達のこと。

私は昨年、大事に飼っていたペットを4匹亡くしました。
飼っていたペットというのは小さくて丸くてフワフワなネズミです。

私の飼っていた子達は、前の飼い主が動物の毛に反応するアレルギーが出てしまい飼えなくなったのを譲り受けたものでした。

私はこのネズミ達の種類が本当に大好きで、今までに2回多頭飼いをしたことがあります。かわいい仕草や恐がりだけど人懐っこい性格、ちょっとゆるい所が大好きなのです。

ネズミの寿命は大体2年くらいで、2年しか一緒に居られない子達ですが、一匹一匹個性があって一生懸命に生きてくれました。

ネズミのために私が用意することが出来る最高の環境を整えたつもりでした。ふかふかのチモシーの床材、新鮮な水、健康に配慮しながら楽しめるエサ、自分で作ったネズミが隠れたり運動したり、齧ったり遊べたりする木製のアスレチック。

でもどんなに大切に飼っていても、命が燃えるスピードは早く止めることは出来ませんでした。加えてネズミは病気になりやすく、そして小さいので動物病院へ行ってもほとんど治療が出来なかったのです。

4匹のうちのAちゃんは、頭に腫瘍ができて死にました。土曜の夜に起こった事だったので動物病院に連れて行ってやれず後悔しています。

Bちゃんはお尻からの出血が止まらず、抗生剤をスポイトであげるもそれ以上の治療が出来ず死にました。アスレチックに染みた血がBちゃんの苦しみが感じられて辛かったです。

Cちゃんは癌がお尻にできて死にました。動物病院ではガンの切除ができず、日に日にお尻の腫瘍が大きくなりCちゃんが弱っていくのに何も出来ない自分が悔しかったです。Cちゃんは最後痛みのため暴れて、1時間半ほど私の手の中で苦しんで死にました。

DちゃんはABCちゃんを見守る優しい子でした。私が指で毛を撫でてやるとお返しに指を自分の歯でこちょこちょと毛繕いしてくれる子でした。Cちゃんの葬儀の出発前、Dちゃんに言ってくるよと挨拶したらDちゃんは虫の息でそのまま手の中で冷たくなりました。

ネズミが亡くなって、今でも私の心にぽっかり空いているような気がします。手のひらを見ればぽってりとした丸い小さな重みが居るような気がして名前を呼んでしまいます。

他の人はたかがネズミ位で悲しむなんてと理解を示してくれません。

確かに小さくて短い命でしたがあの子達は私の中でとても大切なものでした。
もっと一緒に居てくれたらなぁと思いますが、叶わない願いです。
たとえ一瞬でも私と居てくれて本当に感謝しています。

うちの子になって幸せでしたか?20歳で亡くなった愛猫

「子猫を拾ったのだけど、うちに前からいる猫と相性が悪いの。誰かもらってくれる人を探している」と友達が話してくれました。我が家は動物を飼ったことがなく、父親は大の猫嫌いでしたので、話を聞いてくれるはずも迎え入れてくれるはずもありません。

そこで私は友人に「子猫を箱に入れて家の敷地に置いて」と頼みました。敷地に入れば、安易に出すことはできないと思ったからです。そして無理やり家の中に入れ、そのままうちの子にしてしまいました。

子猫が来て、我が家は明るくなりました。毎日、どこかに傷をつけられたり、身体能力に驚いたり、人間の気持ちがわかっているのでは?と思ったり、とにかく仕草の全てがかわいくて、猫嫌いだった父も、朝食に鮭やアジが出ると、こっそりあげていたりしてました。

よく食べよく寝てよく遊び、猫は病気ひとつせず、20歳になりました。歳をとって、さすがに寝ていることが多くなりましたが、元気で毛艶もよかったです。

しかし、日に日に尿の量が多くなり、熱中症で体が震え出したので慌てて病院に連れて行きました。結果、点滴を打ってもらって熱中症は回復したのですが、腎臓が悪いとのこと。
飼い主として失格なのですが、猫の病気について全く知らず、また「うちの猫は病気しない」と過信していたので、びっくりしました。

その後、体調はどんどん悪くなりますが、猫の年齢もあり透析は耐えられないとのことで、皮下注射で輸液を毎日繰り返しました。具合が悪いのに、毎日病院に連れて行くことは、猫にも飼い主にも相当ストレスです。

1ヶ月くらい経った頃、先生から「いつ治療をやめるかはあなた次第」と言われました。寿命を私が決めるのです。泣きながら考えました。何も言わない猫にも「どうしたい?」と聞きました。
どうしたいかなんて全然わかりません。生きてほしいけど、辛いままなら人間のエゴでは?と思いましたし、エゴでもいいからそばにいてほしいとも思いました。本当にどうしたいかわかりませんでした。

猫はその間も細々と食事をしては吐き、を繰り返していました。なんとか自力で食べてほしいと思い、好きなものをペースト状にしたりいろいろな工夫をしました。それでも食べられない日が日に日に多くなっていきました。
そして3日間絶食して、突然かつお節をパクパク食べた後「もう満足」という顔をして猫がお皿を押しました。
そこでやっと私も「自力で食べられなくなったら治療をやめよう」と決意できました。

そこからは穏やかに自宅で家族と過ごしました。2日後、夜中に1時間近く痙攣し、大きく息を吐いて亡くなりました。
21歳になる少し前でした。

猫を飼ってから、何かの時のためにと猫名義の貯金を毎月していました。まだ40万以上あるのに使わないで逝ってしまいました。

どんな治療をしてもしなくても、後悔は残ります。
でも猫と過ごした楽しい日の方が圧倒的に多い。
たまには夢に出てこい。

熱中症になって突然逝ってしまったユモ

 私は、現在31歳の男性です。今から10年ほど前、自宅の玄関に一匹の若い雌の柴犬がよく来ていました。犬好きだった私は当時大学生で、なんとかこの犬を飼えないかと思っていましたが、まだ実家で両親と暮らしていたのでそのことは言い出せませんでした。しかし、父親は私と同じく犬好きだったので、動物嫌いの母親の反対を押し切って自宅で飼えることになりました。私達はその犬をユモと名付けました。
 そして、翌年私は就職し自宅を出る事にしました。その時、一人で心細かろうと父親がユモを差し出し「一緒に二人で暮らしなさい」と言ってくれました。ユモは、大人しく人に従順な性格でした。その為、私が住み始めたボロアパートの大家さんもペットを部屋に入れる事を黙認してくれたのです。私は、ユモと過ごす日々が楽しく、ユモが可愛くて仕方ありませんでした。散歩には毎朝欠かさず連れていき、夕食は毎日一緒に食べ、寝る時も同じ布団で眠りました。
 しかし、今から5年前の夏、私が仕事から帰った私は台所で亡くなっているユモを発見しました。私は、昨日までは元気だったのにどうしたのだろうと考えた結果、締め切った部屋の中で熱中症にかかってしまったのだろうと気付きました。私は、エアコンをつけたまま出掛ければよかったのにと後悔しました。私は、悲しみのあまり2日間会社を仮病を使って休んでしまいました。その事を家族に言うと、酷く怒られました。誰にもこの悲しみを理解されず、私は奈落の底に突き落とされた気分でした。
 今は、ユモと同じ雌の柴犬を飼っています。勿論今まで以上に気を遣っています。

猫と会えたこと、ペットに感謝していること、また会いたいと思うこと

私とその飼い猫は高校生の時の学校のからの帰り道でした。雨の中ぴくりとも動かず倒れていたので、放っておけず、保護しました。
家につれて帰ると、両親は飼い主を探す間だけならとこの猫が家にいることを許してくれました。でも、子猫の可愛さにみんなメロメロ。我が家のペットとして迎えることになりました。
亡くなったのは、猫が12歳の時です。とても元気で毛並みもよく、健康そのものだったので家族全員長生きするだろうと思っていました。
亡くなる前年の夏からとても食いしん坊だったのに、急に気に入った物しか食べなくなり、何だか元気がなさそうな日がちょこちょこありました。秋には、1度病院に連れていきましたが特に悪いところは見当たらず。
あまり食べない、動かない日が続き冬には少し目に見えて痩せてしまいました。
実はその年の春から、私は仕事の完成で遠方に引っ越していました。なかなか猫には会えない日には、家族に猫の様子を電話で聞いていました。
「そろそろ猫は長くないかも」と、翌年の1月に家族から連絡がきました。食べ物もほとんど食べないそうです。
私は1週間後、急いで新幹線に乗り帰りました。あんなに堂々とツヤツヤしていた猫が、ガリガリ毛並みもボサボサ、何だか変な匂いもしました。
私は猫用の栄養ドリンクのようなものを1日に何回もあげながら、3日間ずっと傍にいました。すると今まで寝たきりでトイレもままならなかった猫が小走りしたり、外の景色を見に行ったり何だか気力が出てきた!と家族も喜んでいました。
でも私が家を後にしたあと、1週間もたたないうちに猫は亡くなりました。
猫は変化に弱いと聞きます。あまり甘えに来なかった猫でしたが、お世話をしていた私が急に居なくなり、ストレスを感じていたのでしょうか。
すごく後悔しています。もっと会いにくればよかった、地元でもっと仕事を探せば良かった、と。寝れない日が続きました。もう1度だけ会いたい、最後の半年は幸せだったのか?とは悲しくて考えたくもありませんが、今はその猫にとても感謝しています。私も家族も毎日が本当に本当に楽しい日々でしたから。

結婚してから3年間一緒に暮らして、18歳で亡くなった猫

結婚3年目に、主人が18年間飼っていた猫が亡くなりました。

年をとっていたので、いつどうなっても仕方ないと覚悟はしていましたが、お別れの時は突然やってきました。私たちは急に結婚が決まったこともあり、住居がなかなか定まらず、3年間で3回も引っ越してしまいました。後から思えば、度重なる引っ越しは老齢の猫の体に負担をかけたのだろうな、ごめんなさいという気持ちでいっぱいです。

私は主人と結婚してからその猫と暮らすようになったので、最初は懐いてくれるかとても不安でした。それまで実家では犬は飼っていましたが、猫はいなかったのでなおさらでした。でも最初の日から、抱っこしても嫌がらず、次の朝には私の布団の上にドカッと乗って起こしにきました。その時は結構図太い猫だなと思ったものです。

たったの3年間でしたが、私たち夫婦は猫を中心に笑ったり、泣いたりと楽しく暮らせました。老齢のためか、時々発作を起こして病院に駆け込むこともしばしばありました。一度は今夜が山ですと、お医者さんから言われて、待合室で夫と泣きくれたこともありました。

その時はなんとか一命をとりとめたのですが、それからは見る間に痩せていきました。エサは食べるのですが、階段を上る力がなくなったのか、2階にある寝室にも来なくなりました。抱っこしてやるとがりがりで骨ばかり目立ちます。砂時計のように、命の砂がこぼれ落ちて行くような感じがしました。

そんなある朝1階に降りてみると、眠るように亡くなっていました。一人にしないで寝室に連れて行ってやれば、看取ってやることができたかもしれないのにと思うと後悔の気持ちでいっぱいです。

今でも時々、何かをしている拍子に猫はどこに行ったんだろう、トイレのそうじしなくっちゃと思うことがあります。飾ってある猫の写真を眺めていると、自然に涙が出てきます。いつかこの悲しみも癒える時が来るのかもしれませんが、今は猫と過ごした時間を思い出していたいと思います。

腎臓結石で天国へ旅立ったうちの猫

私は子供のころから猫が大好きで、近所で捨てられていた猫を拾っては自宅に連れて帰り飼っていました。
 
大人になって結婚して数年が過ぎ、仕事で出勤途中の朝、駐輪所の脇で、発泡スチロールの箱に入った子猫4匹を見つけました。

子猫たちは、まだ生後一週間ほどでした。
とにかくこのままでは子猫たちが心配でした。
保健所、いたずらの被害も考えたら、すぐに保護することが一番だと考えました。

会社には遅刻の連絡を入れ、家に連れて帰りました。
病院に連れていき、猫用粉ミルクを買い、一生懸命夫婦でお世話をしました。

4匹兄弟猫は、里親を探すことなく、そのまま家で飼うことになり、すくすくと育っていました。

7年が経ち、一匹が日に日に痩せていきました。

ご飯の皿の前には来ても、口にせず座っていて、エサは食べずに水の場所に移動して水を沢山飲んで寝床で休む、そんな行動が2日続きました。

2日目、動物病院に連れていき、検査の結果、腎臓結石で、腎臓の半分は機能していないことがわかりました。

病院の先生からは「食べなくなったその日か、翌日の朝にすぐ病院へ来るべきだった。まだ若いけど、腎臓の数値で見ると、この子は余命が数か月かもしれない」と言われました。

どうしようもない悔しさと、申し訳ない気持ちが強くこみあげました。

今まで当たり前のように一緒に過ごした子が、突如、死んでしまう現実。

病院の帰り道、桜が満開で綺麗だったけど、来年の桜の季節にはこの子は居ないんだと思うと涙が止まりませんでした。

できる限りの治療をはじめました。

自宅ではビタミン不足と脱水を防ぐ点滴、腎臓機能を助けるための毒素吸着の炭を毎日飲ませていました。

それから2年はなんとかそのまま体力を維持していましたが、やはり腎臓機能は少しずつ少しずつ、低下していきました。

治療を始めて2年間は、「死んでしまうかもしれない、でも、今は大丈夫」という気持ちになっていました。

そんな気持ちから一転、みるみる弱っていく姿に「もうお迎えが近いんだ」と、またどん底に戻りました。

病気が分かったその時に一度は覚悟を決めたはずだったけれど悲しみと後悔は変わりません。

食べても吐き、やがて水だけでも吐くようになって、その時点で薬も効果無くなり、何もしてあげられなくなりました。

しだいに体内に毒素がたまり、猫は昏睡状態になって意識が無くなりました。

心臓が止まるまでの数日間、本当に悲しくて、涙も止まらず、後悔と、色々な思いがぐるぐると渦巻いていました。

心臓が止まり、身体が冷たくなりはじめました。
今でも当時の闘病中のことは忘れられません。
思い出すだけで涙が出ます。

結果的にこれで良かったのか、もっと他にできることはないのか、闘病への自問自答は今でも解決していません。

月日が経つと、悲しみは緩やかになりました。
その子と出会えたことへの感謝も消えません。

その子と出会って良かったです。
自分が死んだとき、虹のたもとで待っていてくれると何かで読みました。
いつかその時、天国で会えたらなと思っています。

私を強くしたちゃあすけ

ちゃあすけは、私が高校2年生の夏に家にやって来ました。
やって来たというよりも、連れてきました。

電気工事士をしている父がある夏の夜に「今日の昼に子猫が近寄って来たよ。周りを見ても親猫もいなくて、ごはんをあげたら美味しそうに食べていたよ。」
という何気ない会話に、猫が苦手な私が気になってしまい詳しく聞いたことを覚えています。
その子猫のいた場所は、何もない山奥に建設中の建物があるだけで、そんな場所に1匹でいるのかと思うとかわいそうに思えて、気づいたら「探しに行こう!」と言っていました。

時刻は20時で、車で向かうと30分かかる場所になります。
到着すると辺りは真っ暗で、何も見えません。
父と妹2人と4人で探していると、父の足元にまとわりつく何が見えました。
懐中電灯を当てると、生まれたばかりの小さな茶色い子猫がいました。

タオルに包んで家に連れて帰りました。
本当はあまりよくないのですが、温めたミルクを出すとあっという間に飲み終わりました。
とても可愛いものの、私は怖くて近寄れなかったことを覚えています。

お風呂に入れると綺麗な金髪に近い茶色の子猫だったので、名前を「ちゃあすけ」にしました。

家の近所には、猫がたくさんいたので、首輪にひもをつけて家の中で飼うことにしました。
玄関と裏口から外に少し出ることが出来るようにしました。

毎日、一緒に遊んだり、一緒に寝たり、たくさん一緒に過ごしました。
おばあちゃんのことが大好きだったちゃあすけは、いつの間にか年をとり動きもゆっくりになってきました。
大好きだったおばあちゃんも病気のため、ベッドの上で過ごすことが多くなりました。

ちゃあすけは、暗い所やお風呂場の蓋の上で過ごすことが多くなりました。
「猫は亡くなる時に、人から見えないところに行くんだよ。」という言葉を思い出して、死が近いことを感じ取りました。

今からちょうど13年前に、ちゃあすけは大好きなおばあちゃんのベッドの上で亡くなりました。

私は死を意識していたものの、いなくなったことへの寂しさ、そして後悔ばかりが募り辛かったことを思い出します。

ちゃあすけは私に、苦手なものやことでも自分で向かってみれば案外大丈夫なものだということを教えてくれました。
2人で色々な経験をしたからこそ、今の私の気持ちがあるんだなと思います。

『茶亜助(ちゃあすけ)』ありがとう!

足を悪くしてしまった愛犬

私が小学生の頃、愛犬が足を悪くして動き回ることができない状態で生活しながら死んでしまいました。
子供によくありがちで、私も最初の頃はよく散歩につれていったのですが、散歩の頻度も減ってしまっていた中、愛犬が足を悪くしてしまい歩けなくなってしまいました。
子供だった私は、犬と散歩するよりも友達と遊ぶ方がいいと思ってしまい友達との遊びを優先させてしまっていました。私の親も自営業だったとはいえ両働きで、犬の世話あまりできている家ではありませんでした。
愛犬は足を悪くしてからは、ほとんど動き回ることができなくなってしまい、下半身を車いすのようなものに乗せてどうにか動くことはできても家の敷地の中だけで、とってもとっても辛かったのではないかと思ってしまいます。
そんな生活の中、愛犬は死んでしまいました。両親の話では、歩けなかったことで体の機能が悪くなってしまい、死んでしまったと聞かされました。私が小学校へ行っている間に死んでしまいました。愛犬を看取ってあげることができませんでした。またその時、足を悪くしたのも、何か犬にとって良くないものを食べさせてしまったのかもしれないと聞きました。
私は今でも思い出すと、もっと一緒に散歩すればよかった犬と遊んであげればよかったとと時々思い出し、後悔してしまいます。当時の私は犬に対する知識も思いやりも全然足りなかったと思ってしまいます。もっとちゃんと世話をすれば、もっと長生きしてくれたのではないかと思ってしまいます。

愛犬の死が、私に教えてくれたこと

今から10年ほど前、私は22歳の冬に愛犬を亡くす経験をしています。
トラくんという柴犬で、亡くなったときはおよそ15才でした。

トラくんと出会ったのは、保健所で里親募集のイベントに参加をしたときのことです。
まだ1才程度にも関わらず元の飼い主から捨てられ、それでも人懐っこいとても可愛い仔だったのを覚えています。
その健気さに胸を打たれ、当時小学校低学年だった私は必死に親に頼みました。
必ず最期まで面倒を看るからと、何度も約束したのも今では懐かしいです。

トラくんとは、本当に色々なところへ行きました。
家族旅行にも欠かさず連れて行きましたし、私の部活動の応援にも来てくれたことがあります。
実は私は学校での人間関係が上手くいっておらず、いじめを受けていた時期も何年かありました。
しかし帰宅するとトラくんがいる、その姿に何度癒やされたか分かりません。

沢山の思い出や感謝、亡くなるときにはそれらが一気に溢れてきた記憶があります。

様子がおかしくなったのは、亡くなるほんの2日前くらいからでした。
出会いからずっと室内で飼っていたのですが、あるときから突然家に入るのを拒むようになったのです。
何か家族を避けているような、変な感覚がしました。

そしてその変化からすぐのこと、トラくんは私が朝起きると玄関のところで横たわり動かなくなっていました。
息はしているのですが、全く家族の声にも反応をしません。
慌てて病院へ連れて行くと、もう衰弱していてあまり持たないだろうと言われました。

このときの困惑と悲しさは、今振り返っても苦しくて涙が出てきます。
昨日まで元気だったのにどうして、もしかしてずっと無理をしていたのか、そういった思考を繰り返しては何とか奇跡が起きないか願っていました。

とはいえ推定で15才、心のどこかでは理解していたのです。
寧ろよくここまで元気でいてくれた、私たち家族を笑顔にしてくれたと、諦めではないのですがありがとうという気持ちの方が大きかったかもしれません。

亡くなる直前には、大きな遠吠えを2回して何かを伝えようとしていました。
実は他の愛犬家の方から、犬は死ぬときに遠吠えをするよと以前に言われていたので、これがお別れの挨拶なのかなと感じたのです。
そうして翌日、トラくんは私が大学から帰宅すると亡くなっていました。
最期は母と妹に見守られながら、ゆっくりと呼吸が止まったそうです。

最期に立ち会えなかったこと、それはとても悲しかったです。
しかし安らかそうだったと聞いて、少しだけ良かったとも思いました。
うちに来て幸せだったのかな、それは現在でも思い返してしまいます。

トラくんが亡くなってからは、何か大きな心の支えを失ったようでした。
夢にも1週間ほど続けてトラくんが現れ、一緒に遊ぼうとすると遠くへ行くのです。

また、私は当時就職活動を行っていました。
愛犬を亡くして辛いなどというのは個人の事情でしかなく、就職試験の期限は待ってはくれません。
自分はしっかり社会人になれるのか、その不安も大きく圧し掛かってくるようになりました。

こんなときにトラくんがいてくれたらと、何度も写真を見ては思ったものです。
突然迫られた別れへの覚悟、そして別れ、気持ちの整理など到底つくはずもありませんでした。
これがペットロスなのかと、痛いほどに実感したように思います。

愛犬の他界から3ヶ月ほどが経った頃、忙しさも手伝ってようやく前を向けるようになりました。
こうなって初めて気が付いたのが、時間が経つことの重みです。
悲しみが癒えることは叶わなくても、上手に向き合って過ごせるようになった自分には驚きました。
時間の解決とは、きっとこういうことを言うのでしょうね。

あれからもう10年、すっかり私も良いおじさんになろうとしています。
ペットは以来1回も飼ってはおらず、今後もきっと飼うことはありません。
与えてくれるものの大きさの分だけ、失ったときの悲しみも大きいです。
トラくんは自身の命を通じて、私に大切なことを教えてくれました。

現在ペットロスで苦しんでいる皆さん、今は悲しくても必ず前を向ける日はやって来ます。
現在ペットを飼っている皆さん、いずれ必ず別れの日はやって来ます。
常に少し先の未来を想像しながら、後悔のない時間を過ごしてください。

トラくんは、今も天国で幸せに過ごせているでしょうか。
私が頑張ればきっと天国に届くと信じて、これからも一生懸命に生きていきたいです。

海に流されそうになった子犬の命をお預かりいたしました!

今からちょうど8年前の初夏でした。柴犬のタロオスが亡くなったのは。少し赤茶色でちょっと間抜けな家族の一員でした。そこが超絶可愛かったんですけど。

寿命としては10数年生きたので長生きな方でしたが、その分家族として過ごしていた時間が長かったので亡くなった時の悲しみは相当深いものがありました。
今これを書きながらその頃のことが思い出されてしまい、正直胸が熱くなって涙が出てきそうになります。

さて、私がタロと出会った経緯は、こうです。
私の弟が幼い頃に友人から引き取ってきました。じつはタロはたくさん生まれた中の一匹だったので、元の飼い主が多すぎて育てきれないとのこと、そのまま海に流されてバイバイしてしまう運命にあったのでした。(非情な気もしますが)

丁度そんなときに元の飼い主さんが子犬を要らないか?と声をかけてくれたのがきっかけで我が家に来ることになったのでした。

そう、まだ目もあかないうちに段ボールに入れられて海にそのまま葬られそうになったんですよ。
たしかに、飼い主さんの立場になれば育てきれないし、責任を持てないならしょうがない面もあるなと同情する面もありますが。その話を聞いたうちの弟は早速、何匹かいた子犬の中から一匹を選びタロとなずけました。

選んだ理由は単純だったそうです、尻尾の尾っぽの一部がタロだけ白かったそうです。
例えるなら書道の筆先という感じですかね。

この世にある命には必ず死があります。死の瞬間に立ち会ったのは、私と父と母の3人でした。

実は、タロの具合が悪くなる前にちょっと3人で旅行をしようという計画が持ち上がっていました。
なぜそれが中止になったかというと、
母が「タロが具合悪そうで、万が一死んだら嫌だから、旅行はいつでも行けるから今回は家におろうや」といったからでした。

そんな母の直感はズバリ的中!数日中に急激に具合が悪くなってしまいました。
私たちは母の言ったとおりにしていたので後悔せずに済みました。

でも、最後の息を引き取るその時まで一緒にお別れができたのは本当に幸せでした。タロをひとりぼっちで死なせなくて本当に良かったと心から思います。
タロありがとうね。そしてさよなら。