辛いおもいから、逃げなくても良い

中学生の時に、友達が捨て犬を拾ったのですが、既に犬を飼っていたので親から飼えないと言われたようで、飼い主を探していました。

私は両親に相談をしたところ、父が犬が嫌いだったので予想通りNGが出ましたが、ずっと粘り、やっとOKが出ました。

私が散歩や餌やりをやることと、外で飼うことが条件でした。

父は飼ってからも犬嫌いは変わりませんでした。

私が熱があり母も忙しい時には、誰も散歩も餌やりもできません。

さすがにそんな時には私に変わって餌やりやぎこちない散歩をしてくれてはいました。

しかし、見ていると明らかに義務でやっているような感じで、終わったら逃げるように家の中に入ってしまいました。

そのうち、飼っていた犬は血便をするようになり、食欲も落ちていきました。

たまたま父の親友が獣医をやっていたので、その人に診てもらったところ、ガンを患っているとのことでした。

ガンはかなり進んでいるとのことで、早めに手術をしてもらうことになりました。

まだ飼って3年くらいでしたし、進行しているとはいえ、大丈夫だろう助かると思っていました。

しかし手術の2日前に、犬小屋で亡くなってしまったのです。

それを見つけたのは私ではなく、父でした。

その後、家族で犬にお別れをし、家の庭に埋めてあげることにしました。

その時に、みんな泣きましたが、一番泣いたのは父親でした。自分の親の葬式でも泣くことはなかった父なので驚きました。

その後、私も母も「ペットとの死は辛いから、もう犬はかえないね」という話をしましたが、父からも「辛いから、もう飼わないでくれ」と強く懇願されていました。

それから数年、父はなんと、自ら知り合いの家で産まれた犬をもらってきたのです。

私も母も、もう辛いおもいをしたくないから、飼いたくないと大反対しましたが、押しきられて飼うことになりました。

それから10年以上たち、その犬は老衰で亡くなりました。

その時も辛くて、もう飼いたくないと思いました。

しかし、辛い辛いではなく、今まで過ごしてきた時間の大切さや、大事な思い出を大切にしてあげることが大事なのではないかと思いました。

辛さから逃げる必要はなく、辛い自分を認めてあげたら良いのかなと思います。

今、自分の都合でペットを捨てる人が多い中、最後まで一緒に過ごしてあげたこと自体、飼っていた犬は嬉しかっただろうと思いました。

初めてのウサギと運命の出会い

私が小学生の頃、初めてのペットでウサギを飼ってもらいました。
初めは、犬が欲しい!と思っていましたが、散歩や病気のことなどいろいろと大変だから、小動物にしなさいと言われ、ウサギを飼うことになりました。

初めてのペットで、自分で名前もつけて、家族としてすごくすごくかわいがって来ました。
人懐こく、撫でられるのが大好きな、ウサギの男の子でした。
可愛くて、夜わざわざ ウサギのゲージの横に布団をひいてなたこともあります。笑

飼って三年目が経った頃、体調が悪そうだったので、病院に連れて行きました。
耳の病気で、手術が必要とのことでした。
手術の際、顔周りの毛は剃られ、とでも痛々しかったです。
終わった後も、毎日薬を上げなければ行かなかったり、病院に通院したりと、とても苦しい毎日でした。

手術したにもかかわらず、他の病気が併発してしまい、結果的にそれが原因となって無くなってしまいました。

初めて飼ったペットが亡くなってしまうのは、とてつもなく悲しく、どうしていいかわからなかったです。

ウサギですが、ちゃんと火葬して上げたいと思い、専門の方に頼んでお気に入りだったおもちゃと一緒に火葬をお願いしました。

家に帰っても、毎日話しかけてたウサギがいないことが苦痛で、心に穴が空いた感覚でした。

しばらくして、傷が癒えて来た頃、たまたまその子を買ったお店のホームページを見ていました。
その時、その子にそっくりなウサギの赤ちゃんがいました。
誕生日が、その子の命日と同じで、これは運命だ!と思い急いでそのお店に向かいました。

つい先日、その子は五歳の誕生日を迎えました。
辛いこともあったけれど、一緒に過ごした時間と新たな家族との出会いに感謝しています。

散歩が大好きなペットの犬が、散歩途中で倒れて手術中に息絶えた

数年前、ペットの犬が死んでしましました。
父が車を運転中、道に飛び出してきた子犬を持ち帰って、飼うことになった犬です。
ビーグル犬が少し混ざった感じの雑種で、耳が垂れていてとてもかわいい犬でした。
好きなアニメに出てきた犬の名前を付けて可愛がっていました。
すでに飼っていた雄の柴犬との間に子供を3匹もうけてくれました。
その3匹もすべて飼うことになったので合計5匹でした。
毎日、朝と夕方に家族5人で1匹ずつすべての犬を散歩させるのが日課でした。
その子を飼い始めて6年がたったころ、朝散歩させようとすると、少し元気がない様子でした。
でもすぐに普通に散歩を楽しみました。
その日、私は仕事で夕方の散歩には参加できずに、夜の10頃に帰宅しました。
するとなんとリビングにすでに冷たく硬くなったその子の姿があったのです。

あまりにも突然のことですぐに状況を把握することができませんでした。
家族に事情を聴くと、その日の夕方散歩中に動けなくなったということでした。
すぐに近所の動物病院に連れていって見てもらうと、末期のフィラリアということでした。
すぐにその場で手術に踏み切ったのですが、その途中で息絶えたとのことでした。
朝、少し元気がなかったのもその病気のためだったのかと思うと、それでも頑張ってつらいのに家族一緒に散歩に出かけてくれたその子のことを思うと、すごくいたたまれない気持ちになりました。
夕方の散歩のときは朝以上に辛そうだったようですが、それでも散歩に参加したそうです。
私は散歩の途中で苦しそうに動けなくなるその子を見ていないですが、実際にそれを目撃していた家族の悲しみはもっと大きいはずです。
その日は家族で思いっきり泣いたり、その子との思いでを語り合ったりして過ごしました。

愛猫が多頭飼い後ガンで亡くなり後悔。ずっと忘れられなくても前向きに

もう随分前のことになりますが、飼っていた愛猫のナナを腎臓のガンで亡くしました。
元々野良猫だったため、保護した当初はまったく馴れず困ったものですが、いつの間にか人にベッタリの甘えん坊になったかわいい子でした。
ナナを迎えて五年たった頃のことです。家の近所で子猫を見かけるようになりました。
どうやらその子も野良猫のようで、ある日大怪我をしていたのを発見して保護することになりました。
怪我が完治した後も貰い手が見つからず、我が家に二匹目の猫としてお迎えすることになりました。
猫の多頭飼いは難しい聞いていたので、少しずつ二匹を馴らすために最初は別々の部屋で生活させることにしました。
新しい子はわたし以外の家族はなつかなかった為、面倒を見るのはわたしの役目となりナナと触れ合う機会が減りました。
ナナにガンが見つかったのはそれからしばらくたった頃です。
わかったときにはガンはかなり大きくて手術も難しく、それからたったの二ヶ月で亡くなってしまいました。
最期はゴハンも食べられず、流動食を注射器のような道具であげるなどして必死に看病しましたが、あっけないものでした。
ナナが亡くなった後、わたしが新しい子の世話ばかりしてナナに構ってあげられなかったからナナは病気になったのではないか、そうでなくても、以前のようにたくさんの時間を一緒に過ごしていたならもっと早く病気に気づけたのではないかと後悔し、自分を責めました。
新しい子を可愛がるのもナナに対する裏切りのように思えてしまうくらいでした。
しかし、ナナの通っていた病院の獣医さんに、「あたたはなにも悪くないよ。ナナちゃんは最後までお世話してもらえて幸せだったんだよ」と言われて少しずつ前向きになれました。
今でもナナのことを考えるともっと色々してあげたかったという気持ちは消えませんが、それ以上に楽しかった思い出がたくさんあるので頑張れています。

心臓病で愛犬が天国に旅立ちました。一生懸命看病して来たはずなのに後悔ばかり。天国での幸せを毎日願っています。

約1年半前に愛犬が天国に行きました。
トイプードルで13歳でした。
11歳になる頃に心臓病になり、通院と
投薬をしていたのですが、症状が悪い時は入院もしました。

心臓病の為、塩分を控えるなどの食事制限があったり、激しい運動(長時間の散歩等)を控える必要があり、大好きな
おやつはあげられない。散歩も思うように行けなくなりました。

散歩に行った時、呼吸困難になり失神してしまってからは特に控えるように。

自宅には小さい酸素ボンベや酸素室を用意しました。呼吸が苦しそうな時に
口や鼻のあたりに酸素をあててあげると、貪るように酸素を欲しがる場面もありました。

日に日に体は痩せていき、皮膚も痒みが出るのか、かきむしったりして、毛も抜けるようになって行きました。

好きなものが食べられない、いつもの自分の体調が違う等のストレスがあったかも知れません。

闘病をしながらも、体の調子が良い時もありました。ウキウキした歩き方をしたり、遊んだり

だけど次の日にはまた元気がなくなったり。

愛犬が亡くなった日は、愛犬は朝から
専用の座布団の上で寝ていました。

いつもの光景で、だけどその近くに
便(健康的な形)があって、綺麗好きの
愛犬の為、どうして自分の寝ている側で便をしたのだろうとその時は思っていました。

その日は仕事の疲れがたまっていて、
珍しく私はお昼寝をしてしまったのです。

一時間ほどして目を覚ますと、座布団で寝ていたはずの愛犬が私の顔の横で
丸くなってスヤスヤと寝ていました。
今思うと、何か伝えたかったのでしょうか。

ハッと目を覚まし、愛犬の様子を見てから軽く撫でました。その後家事をしてから愛犬のいる部屋に行くと、愛犬は立ち上がろうとしたんです。

しかし、体がフラフラとして後ろ足が立たず歯を食いしばっている状況でした。呼吸は苦しそうではありませんでしたが今にも意識を失いそうで、やっと目をあけているような感じでした。

病院に連れていこう、それまでに私は気が動転してしまい、応急処置として正しいかは分からなかったけれど、私は砂糖水を口にスポイトで含ませました。

砂糖水を口に入れると、ふと目を開けてかろうじて意識が戻るような状況でした。

病院に行っても愛犬はぐったりとしたままでした。そちらで愛犬は意識がないような状態で便をしました。

先生は亡くなる前の症状等ではない、注射をして家で数日休ませれば治ると言いましたが、私はそんなことはないような気がしました。

かなしいけれど、なんとなく寿命が来たのではないか・・と感じました。だけど、先生が治ると言うならばそれを信じたかったのです。小さな病院で緊急手術をするでもありません。

だけど、もっと違う判断で救う方法はないのかとしばらく獣医さんに対しての怒りもありました。

神様ではないと分かっていても。

家に帰り、いつも寝ている毛布の上に
寝かせてあげました。私がいると力を振り絞って起き上がろうとします。
でもフラフラして視点は合わず。

「寝ていないとだめだよ」

そして、パタンと座り込みいつも寝ているような姿勢に。その時に亡くなったのです。

悲しみは底知れず。もっともっとしてあげられることがあったんではないか
もっと早く私が気がつけば・・・

一生懸命看病して来たはずなのに

後悔ばかり。ごめんね、ごめんね、ごめんね、毎日自分を責めました。

毎日毎日泣いて。

仏壇の前で愛犬に語りかけて、綺麗なお花やお水、制限されていた大好きなおやつをお供えしたり、今日あった話をしたり、愛犬の良い所や思い出話を話したり。

愛犬家の人に話すと「その子は一生懸命生きた。十分がんばった。またいつか天国で会えると思ったら嬉しいじゃないですか」

と言葉を頂き、心が救われました。

ありがとう、いっぱいいっぱいありがとうと伝えて、天国での幸せを毎日願っています。

今でも愛犬を忘れる日はありません。

ヘルニアを発症し診察台でなくなった愛犬。しつけをもっとしておけば防げたのではないかと後悔。

私の家にペットの犬、ミニチュアダックスフンドがきたのは、私が20歳のときでした。

私の家族は父、母、兄、私の4人です。私が20歳の時、母がガンで亡くなりました。

その時のショックとそれからの生活の過酷さは今でも忘れません。

男ばかりの家で家事ができる者はいませんでした。家の中はめちゃくちゃでした。

そんな生活のこともあり、祖母が家に定期的に手伝いによく来てくれるようになりました。

祖母も高齢でしたし、家も近所というわけではありませんでした。

父、兄共に仕事、私は大学生で家には祖母だけの時間が多くなり、父がそんな祖母のボケ防止として、犬を飼うことにしました。

初めて家にきた犬の名前は桃太朗。
生まれてまだ間もないミニチュアダックスフンドでした。

両手に収まるとても小さな子犬で、ゲート内でプルプルと震えていたのを今でもよく覚えています。

そんな桃太朗もすくすくと大きくなりましたが、男家族プラス祖母ということもあり、しつけは全くできていませんでした。

家のいたるところで、オシッコやウンチ、壁紙を破る、物を壊す等とても手のやく子でした。その分、世話をした時間も多かったと思います。

そんな桃太朗でしたが、ある時、大好きな散歩を嫌がる時がありました。いつもであれば、猛ダッシュで走っていくのに…

原因はヘルニアでした。ミニチュアダックスフンドはよくなる病気ということでしたが、何気なく持ち上げたり、段差を登らせたりしていることも原因ということでした。

手術をして一時治りましたが、また、再発。どんどん元気が無くなっていきました。

元気が無くなっていく桃太朗をみて、とてもつらい日々でした。

最後は診察台の上で静かに力尽きました。

桃太朗は母が亡くなってからきて、すぐにきましたし、母の生まれかわりみたいなものでした。

桃太朗がいなくなって、家の中はとても綺麗で、掃除も楽になりました。しかし、その分寂しさは倍増です。

しつけをもっとしっかりしてれば、ヘルニアにはなっていなかったのか等後悔することもあります。

今でも元気な桃太朗の姿が頭の中から消えません。

足を怪我して寝てばかりいるようになった愛犬を不憫だからという理由で家族の意見を聞かずに保健所に連れて行った祖父を憎んだ。

私がまだ子供の頃、私の祖父がもらってきた雑種犬がいました。メスなのに、性別を見間違えてオスの名前を付けられていました。

とても優しくて元気な犬でしたが、ある時、祖父がその犬の後ろ足をフォークリフトで轢いてしまいました。わざとではありません。

祖父は犬を動物病院に連れていきましたが、もう後ろ足は治る見込みがないといわれてしまいました。

犬が家に帰ってきてから、みるみるうちに元気がなくなり、ほとんど寝てばかりいました。でも、私や弟が近寄ると小屋から出てきてくれます。幼い私は毎日その犬の足をマッサージしてあげました。すると、一瞬ですが、痛みを忘れたかのように立ち上がるのです。それを見た私は嬉しくなって、いつかよくなると信じ、足をさすり続けました。

ある日、帰るとその犬がいなくなっていました。どうしたのか私の父親に聞くと、病院に入院して手術する、しばらくいないとのことでした。私はその言葉を信じて待っていました。

でも、事実はそれとは異なりました。足が悪くなり、動けなくなった犬が憐れだ、見ていられない、ということで、それならいっそのこと天国へ送ったほうがいいと祖父は考えました。祖父は家族の意見は聞かず、独断で保健所に連れていってしまったのです。

私は何度も犬のことを聞きましたが、父は歯切れ悪そうにもう少しで帰って来るというばかりでした。ある日、とうとう父が事実を打ち明けると私は悲しみのあまり怒り狂いました。自分勝手な理由で、可愛がっていた犬を天国へ送った祖父を憎みました。

私の家では、朝ご飯を食べる前に必ず仏壇に手を合わせる習慣があったのですが、私はそのたびに亡くなった家族のことと一緒に、その犬のために祈りました。何度も「助けられなくて、ごめんね」と謝りました。でも、私の心は傷ついたままでした。

今でも保健所に送られる数々の犬や猫たちの話を聞くと心が痛みます。いつか、私が犬や猫をその場から救うことができたなら、出来る限りのことをして幸せな生活を送らせてあげたいです。私が以前の犬にできなかったことをしてあげることで、幼少期のいやな思い出を昇華し、せめてものその犬の供養となるように願っています。

年を越せないと言われていた愛犬。ひな祭りを迎えて旅立ち。早く楽にさせてあげたほうがよかったかもと思う。

2014年3月3日午前1時頃…
ひな祭りを迎えてから、あの子は旅立ってしまいました。
あの子の名前は ”モカ” ミニチュアシュナイザーの女の子です。

2001年8月9日生まれのモカは、2001年12月19日に我が家の家族になりました。
家内と二人でペットショップへ行きモカと出会い、連れて帰って来ました。
当時、登校拒否気味だった娘の為に良い刺激になればと思ってのことでした。

モカは、小さい頃から子宮関係が弱かったのですが
5歳の時に子宮蓄膿という病気になってしまい、子宮摘出の大手術をしました。
家内と二人で病院へ連れて行き緊急手術になったのですが
既にモカはショック状態になっていて
最悪の場合も考えて心の準備をしておいて下さいと獣医さんから言われ涙しました。

手術は無事終わり
その後、元気を取り戻して走り回れるようになりました。

一度は覚悟したモカとのお別れでしたので、これからはいっぱい思い出を作ろうと
どこへ行くのも一緒でした。
そのせいか、退院してからのモカは少しわがままになってしまいました。^^;)

2013年の10月でした。
モカの元気がなくなり餌もあまり食べられないようになり病院へ連れて行きました。
獣医さんからは「腎臓が弱っていてかなり悪い状態です。年は越せないでしょう。」
「入院させても良いですが、最後は家族のそばにいさせてあげた方がこの子は喜ぶかもしれませんよ。」
と言われました。

獣医さんから点滴の仕方を教わり自宅に介護することにしました。
毎朝晩点滴をしてあげていた時、モカの舌の先が1センチほど無くなっているのに気が付きました。
腐って取れてしまったようです。
慌てて病院へ連れて行きましたが、逆にこれが良かったようで少し元気を取り戻しました。

そして…
年を越せないと言われていたモカでしたが
翌年のひな祭りまで私達と過ごしてくれました。
獣医さんもびっくりしていました。

あの時私は、一日でも長く一緒にいたいと思っていたので
「モカ頑張ったね、有難う」と声を掛けましたが
今思うと舌が腐って落ちてしまうなんて、すごく痛かったんだろうな…
早く楽にさせてあげれば良かったのかな…
とも思うようになりました。

モカが亡くなったばかりの頃は、人前でも散歩中のシュナを見かけると涙が出てきてしまって…
もうすぐ5年経ちますのでさすがにそれはありませんが
今現在も次の子を迎え入れるという気持ちにはなれません。

16歳でガンで亡くなった愛犬。テレビで動物番組を見ただけで泣いてしまう。

2年前の冬、高校生の頃からともに生活した愛犬ジョニーが亡くなりました。16歳でした。

高校生の頃、友達の飼い犬が子供を産み、貰い手がいなくて困っていたところ、子供のうちの一匹をうちで飼うことになりました。
その時はただただ可愛くて一緒に居たいという気持ちが強く、「別れの時の辛さ」のことなんて一切考えていませんでした。

いつも一緒にいるのが当たり前な感じでした。
ジョニーが15歳の頃急によろけるようになったり、動きが非常に鈍くなり、おかしいと思って病院へ連れて行きました。

そこでガンであることが発覚したのですが、歳が歳なだけに手術はかえって危険だということで、手術せずお薬を飲むことに。
その1年後のある日、穏やかな顔で息を引き取りました。

一緒に過ごせる時間は残りわずかなのに、私は仕事が忙しくて遊んであげられなかったことを非常に後悔しています。
その日も仕事だったのですが、さすがに仕事できるような状態ではなかったので、「熱が出て仕事に行けない」と上司に嘘をついて休みました。

火葬場で
「このワンちゃんは大分長生きしたよ、頑張った」
と言われました。
確かに長生きした方かと思いますが、でももっと一緒に居たかったです。

宅配便の方が来ると必ず鳴いていた、非常に警戒心の強い犬でした。ジョニーが亡くなってから、なんだか静かになってしまいました。

あれから1年は寂しさと後悔で泣いてばかりで、泣いてばかりいました。テレビで動物番組を見ただけで泣いたり、他の家のペットも見れませんでした。
でも今は泣かなくなったし、動物番組を見ても動じなくなったし、時がたてば徐々に辛さが和らぐのかなと思います。

ジョニーの動画がスマホにたくさん撮ってあるのですが、亡くなって2年経った今も見れません。
きっとこれも時が経てば見れるようになるのかなと思っています。

ジョニーが亡くなったショックを今も少し引きずっているので、もうペットを飼うことはないと思います。

愛猫の突然の死。長く一緒にいてやれずにゴメンねと謝りたい。

初めて出会ったのは、仕事を始めて2年目、一人暮らしをしていて寂しさなどを感じてはいなかったが、捨て猫を拾った友人が飼い主を捜していると言うことで、少し目が悪いようだったが引き取ることにした。

飼っている間に目は目やにが酷いだけで、すぐに治り、私にもすぐに慣れ、トイレもすぐに覚える頭のいい子だった

避妊手術をしたせいで、太りやすくなり暴行にストルバイトという石が溜まりやすくなってしまい。
その病気のせいで亡くなってしまった。

あまりにも突然で具合が悪いしぐさもなかったので気付かず亡くなってしまった。

寒い時期や家に帰るとすぐに近寄ってきて、私が座っていると近くに寄り添うか、足の上で寝転んでいた
夜寝る時は布団の上で丸まり重たかったです。

外に出たり、病院にいく時は怖がってしまい、おしっこをもらしてしまい、知らない人が家に来ると嬉しくかまてもらいたいのか、噛み付いたりじゃれたりしていました。

突然の別れだったので、すぐに気持ちをコントロールすることは難しかったです、少しずつ時間が解決するように、日常に戻っていきました。

ペットが亡くなったので次のペットを飼う方もいますが、ペットロスになるよりは飼った方がいいとはおもいますが、できるだけその子の代わりとして飼うのはおススメできません。
新しいその子にも悪いし、代わりには絶対にならないので。

もう一度会えたなら、「できるだけ長く一緒に居てあげれなくてごめんね」と伝えてあげたいです