私にとってはかわいい「カエル」

高校生の頃、小学校の時から家族でかわいがっていたアマガエルが死んでしまいました。

我が家は全員カエルが大好きで、夏になるとよく田舎の方まで行ってトノサマガエルやアマガエルを探して遊んでいました。

私が小学五年生くらいの頃、その田舎からの帰り道のサービスエリアのトイレで、大きなアマガエルがうずくまっているのを見つけました。トイレの隅で汚れた姿でじっとしていたカエルを見て、家族で連れて帰って飼うことに決めました。

カエルなんてどれも一緒……と思うかもしれませんが、カエルには個性があります。そのカエルを連れ帰る以前にも二匹のカエルを飼っていましたが、彼らと比べそのカエルはふてぶてしく、大きくて、ぐうたらでした。

水槽の葉っぱの上で日がなぼーっとしている姿はどこか人間らしく、表情のある憎めないカエルでした。

犬や猫と違って家の中で遊ばせることはできませんが、ガラス越しに眺めては、たまに前足で顔を拭いたりする姿を見て喜んでいました。

そんなカエルが、高校生の頃死にました。元々とても大きな子でしたし、寿命だったんだろうと思います。あまり調子が悪くなる様子も見せず、なんとなく元気がないかなあと思っていると数日のうちに死んでしまいました。

もう少し早く気がついていれば、病院に連れて行けたかもしれません。

でも、カエルを診てもらえる病院は少なくて、長距離を移動させる負担を考えたら、家で最後までぐうたらできて、あの子らしかったのかもしれません。

死んだ後のことに関しても、今だったらもう少し何かできたのかもしれませんが、当時カエルが死んだところで犬や猫に比べできることは限られていました。

庭にお墓を作り、生前の写真で遺影を作って、水槽の横に飾りました。

周りの人に話しても、「カエルでそんな落ち込むの?」と微妙な反応をされたり、そもそもカエルを飼っていたことを知らなかった人には「カエルなんて飼ってたの?気持ち悪くないの?」なんてことも言われました。

高校の頃の友人たちにはカエルの話をあまりしていなかったので、両生類や爬虫類のたぐいを良く思わない人がかなりいるということを、その時初めて実感しました。

今、うちにはカエルが三匹います。家に遊びにきた人には嫌がられることもありますし、「なんでそんなもの飼ってるの?」と聞かれることもあります。

でも、水槽の横にある遺影を見ると、「私にはわからないけど、かわいがってるんだね」と言ってくれる人もいます。

これからもあの子のことを忘れずに、もし自分に理解できないペットを飼っていて、その子を亡くしてしまった人がいても、「辛かったね」と気持ちに寄り添えたらいいなと思います。

「ハムスターのジルが僕と友人を繋いでいる」

 もう10年以上前の話になりますが、僕の家では「ハムスター」を飼っておりました。「ハムスター」の名前は「ジル」これは、自分がテレビゲームのバイオハザードシリーズが大好きで、バイオ3の主人公の女性の名前の「ジル・バレンタイン」から取ったのです。

「ジル」は、ホームセンターのホーマックで売られていたのです。「ジル」と運命的に目が合った僕は、「ジル」即決で買って家で飼うことになりました。「ジル」と居た時間は4年と長い様で短い期間でした。

 「ジル」の最後は、本当に穏やかで安らかに眠る様に逝きました。なんかこう、微笑んでいる様な感じな表情でした。「ジル」のあの可愛い手が最後に僕の手に触って、「ありがとうね」を伝えたのだと思います。
 今でも鮮明に覚えています。これは飼い主だからこそわかるのです。本当に家族の一員だったので、とても辛かったです。精神安定剤(デパス)を飲むくらい、精神の方も病んでしまっていました。立ち直るのにとても時間がかかったと思います。

 ところが、世の中には心のない方というのはいるもので、知人や友人に「たかがペットだろ?」や「そんな落ち込むなよ。また買えばいいじゃないか。いくらでも買えるだろ。」なんて言われたときは、笑顔で「まぁまぁ^^」なんてかわしていましたが、正直な話「はらわたが煮えくり返る」程の憤りを感じておりました。やっぱり、第三者(赤の他人)からしたら「わからない痛みなんだよな」と感じた事も覚えております。

 ところがその友人も年をとり、ペットを飼いペットが亡くなったのです。彼は犬を飼っておりました。「ごめん。お前の辛さ今なんとなくわかったよ。ハムスターの「ジル」と、俺の飼い犬の●●に感謝だな。昔、ひどい事言ったよな。ごめんな。飲みに行こうぜ!^^」と言われて、二人で飲みに行ったこと。因みにこの友人とは今でも友達付き合いがある大切な友達です。

 ペットは人間関係も良好にしてくれる部分があるかもしれませんね。動物というのは本当にかけがえのない大切な生き物だと思います。

短命ながらも多くの思い出を残してくれたハムスターの死。泣くのも隠れなければいけないのかと思った。

わが家では犬を飼っていたのですが、子どもがハムスターも飼いたいと言い出しました。
何度も言うのでペットショップに連れて行きました。行く前に飼いたいと言っていたのとは違って白いロングヘアーの子に一目ぼれし、私もかわいいと思い購入しました。
子どもの発想でロングヘアーの「ロング」と名付けました。初めは人を怖がっていたのですが徐々に慣れて手からおやつをもらったりするようになりました。
子どもは約束通りに餌やりやトイレの掃除などをして、学校から帰ってきてロングと遊ぶのを楽しみにしていました。
私も日中何気ない様子を見てはかわいさが増していきました。
暑い夏も空調に気を付けて育て、夏バテもしていないようでしたが、秋口になんとなく元気が無いように感じ始めました。
ハムスターの飼育が初めてだったので、活動量が減ることもあるのかと思っていたのですが、明らかに動きが鈍ってきました。
子どもも気が付いて心配したので、ペットクリニックに連れて行きました。
ハムスターの場合は体が小さいのでいろんな検査がかえって負担になるとのことで、エコー検査程度で診断してもらったのですが、おそらく先天的に内臓が弱かったようだとのことでした。
水分排出のための薬をもらって帰り、スポイトで飲ませることしかできませんでした。
結局は数日後に死んでしまったのですが、直前に私が気付き、子どもたちと見守りながらお別れしました。
目の前で死んでしまったこともあり、しばらくはふとした時に涙が出るような毎日でした。さらに、子どもが学校から帰ってきては悲しそうな顔をするのも心に響きました。
夫や子どもの友だちなどは、どうせハムスターは短命なのだし、その子とも1年も暮らしていないのにそんなに泣くなんてと言われましたが、そう言われることも理解できず、泣くのも隠れなければいけないのかと思いました。
子どももずっと元気がなかったので、思い切って新しいハムスターを飼うことにしました。
またお世話を始めてことで私も元気になり、前の子を亡くした悲しみから救われた思いでした。
もちろん最初のロングには短いながらたくさんの思い出を残してもらって感謝しています。

愛犬ナナが亡くなってわかりました。ナナも私達の家族だったんです。

それまで12年も一緒に暮らしていた愛犬(コーギー)のナナがガンで亡くなりました。

ナナは私達夫婦の間に生まれた息子よりも先に我が家にやって来てくれた愛犬です。

今にして思えばナナは我が家の家族同然の存在でした。でも、その事に気付いたのは最近の事なんです。

ナナは本当に我が家にやって来て、幸せだったのでしょうか。

私達夫婦の間にはしばらく子どもが産まれませんでした。どんなに不妊治療に頑張っても子どもを授かる事は出来なかったのです。

もう、子どもを授かるのは無理。私達夫婦はそう結論を出しました。でも、二人だけの生活はどこか寂しいもの。

そんな寂しさを紛らわす為に私達夫婦はコーギーの仔犬を家族に迎える事にしたのです。

我が家にやって来てくれたコーギーにはナナと名付けました。それこそナナは本当の私達夫婦の子どものよう。

私達夫婦は本当にナナを自分の子どものように可愛がり、そして育てて行きました。

ナナが我が家に来て3年経ちました。その時、私達夫婦には思いもよらない事が起こったのです。

何と、諦めていた子どもが私達夫婦の間に出来ました。それは本当に夢のような出来事だったのです。

無事、生まれてきた長男は私にも家内にもまさに天使のように思えたものです。

初めて授かった子どもです。とにかくかわいのです。私と家内は育児の大変さに追われながらも、子どもが授かった喜びを噛み締めていました。

もちろん、ナナの事も忘れてはいません。ナナは長男にとって兄弟のような存在だと思っていましたから。

けれども、私達夫婦は長男相手にする時間に追われて、ナナの世話は疎かになってしまっていたのです。

そんな生活がしばらく続きました。気がつくとナナはとても病気がちになってしまっていたのです。

病院に連れて行くとナナはガンにかかっている事がわかりました。私達夫婦は本当に驚きました。

獣医さんの話によると、運動不足なども原因のひとつと言われたのです。

確かに長男が生まれてからは忙しさのあまり、恒常的にナナを散歩に連れて行かなくなってしまっていました。

ガンと診断されてナナはあっという間に私達の元を旅立って行きました。本当にあっという間だったのです。

その時、改めて私と家内はナナは間違いなく私達家族の一員だったと思い知ったのです。

ナナがいなくなって、この上なく心にぽっかりと穴が開いてしまいました。

何か、私達夫婦には子どもは生まれないんだと諦めた時の感覚と同じ気持ちです。

ナナが私達家族の元を旅立ってもう3年になります。今でもナナがいない生活に私も家内も慣れる事はありません。

ナナは私達夫婦の元に来て幸せだったのでしょうか?

その答えは到底、私も家内も自分では見つける事は出来ません。ですから、ナナの代わりに新しい犬を我が家に迎え入れる気持ちにもなれないのです。

多分、ナナの代わりの新しい家族を迎え入れるにはもう少し時間がかかるのでしょう。

その為には私と家内がきちんと新しいペットを飼う事が出来る人間に生まれ変わらなければなりません。

この苦しみってなかなか、人には理解して貰えない事も事実です。その事も私が苦しい思いをする理由の一つになってます。

ペットでしょ?気にする事ないんじゃない?

こう言われるたびに私は心の中でペットは家族なんだよと叫んでいるのです。

身内の不幸には休息をもらえるのに、ペットの場合には適応されないことに怒りを感じる。

これまでに、4度ほどペットを亡くしました。
その度に限界まで落ち込み、何をするにも身体が思うように動いてくれなくなりました。

やらなきゃいけないことはあるのに、胸の真ん中に大きな穴が空いたみたいで、考えないようにすればするほど悲しくなっていくのです。

食欲がなくなり、毎回何も食べれなくなります。

もういないのに、癖でついついケージを見て声をかけそうになっては空になった中身を見て落ち込んでしまったり…。

動物の多くは人間よりもずっと短命なので、命を迎え入れるということはいつか必ず別れが来るものではあるのですが、頭では分かっていても心が追い付いてこないんですよね。

あの子は幸せだっただろうか、うちに来てよかったと思ってくれただろうか。

そんなことばかり考えて、1日の大半を過ごすなんてことがほとんとです。
人間の家族であれば「身内の不幸」で休息を戴けるけど、ペットの場合はそれが適用されず…ペットも大事な家族なのに不公平だとやり場のない怒りも感じました。

どれだけの年月が経っても、傷が完全に癒えることはないんだと思います。
でも、悲しんでばかりいるとあの子たちが安心してお空で休めないから、落ち込んで落ち込んで、限界まで落ち込んでもう涙が出てこなくなったら、ゆっくりとでも元気になるように努力してます。

悲しいけど、でもそんなに悲しいのは亡くなった子たちが私にとって何より特別だったからです。
そして、そんな優しい気持ちを私に与えてくれたあの子たちに心から感謝しています。

いつか私がこの世を離れる時が来たら、きっとまた会って今までのお話を聞かせてあげるんです。
その時は元気に散歩をして、目いっぱい遊びます。

だから、寂しくてとても悲しいけど、その時を楽しみに毎日頑張って生きてます。

浮気症の夫との夫婦生活を支えてくれた愛犬の死。夫の暴言が許せず。離婚をして弔いながら生きていきたい。

私とマルチーズのそらが出会ったのは、結婚2年目の時でした。結婚してすぐに子供を望んでいましたがなかなか授からず、夫の私への関心も薄れたころでした。「ペットを飼うとますます子供ができなくなるよ。」と周囲からは言われましたが、ペットショップで出会った時に運命を感じてしまったのです。それまで、ペットを飼うことに興味がなかったのに、不思議とそらとは家族になりたいと思いました。
そらという名前は我が家に来た時に良く晴れた空がきれいだったことからつけました。ペットを飼うのが初めての私にとってはそらとの生活は試行錯誤の連続でした。でも、本当にかわいかった。夫との距離がどんどん広がる中、私はそらとの生活にすべてをかけていました。
そんなある日、思いがけず妊娠しました。出産のための入院中はそらに会えなくてとても心配でした。退院後は赤ちゃんの世話に追われてそらとの時間が減ることをきにしつつもどうしても赤ちゃん優先の日々に。
それから12年。子供も小学校6年生になっていました。夫は、出産後も私に心が戻らず、浮気を繰り返したり借金をしてきたり散々な結婚生活でした。初めての子育てもたった一人でしなければならずうまくいかなくて泣くこともたくさんありました。
そんな私を支えてくれたのがそらです。かまってあげられなくなったのに私の愚痴ばかり聞いてくれたそら。辛い時は、やさしく寄り添ってくれたそら。12歳でこの世を去ってしまいました。
心臓病で肺に水がたまったことが直接の死因だそうです。私が愚痴ばかり言っていたからストレスがたまったのかなとか、子供の世話で手いっぱいであまり散歩にいけなかったなとか後悔でいっぱいです。
きちんとお葬式をして納骨をしたいことを夫に伝えると「犬ごときにそんなことすんのか。お金の無駄だな。」と言われました。その言葉がショックで、それからご飯がのどを通らなくなり、夜も眠れません。息子が私の代わりに夫に訴えて何とか葬式をあげ納骨することはできましたが、夫の顔を見るたびに震えがきます。
12年間の結婚生活を支えてくれたのは、夫ではなくそらです。そんなそらのことを貶めた夫の言葉が許せません。夫と離婚して息子とそらを弔いながら穏やかに生きていきたいと今は願っています。

親友ハムスターの死で温度管理を後悔。言葉は優しいが顔は私を少しバカにしていた。

去年、私の唯一の親友とも言っていい、ひつじが亡くなりました。

ひつじは濃いグレーの毛をしたジャンガリアンハムスターです。2年前、21歳の寒い冬の日に出会いました。

田舎の大きなディスカウントショップの一角にあるペットショップにひつじはいました。

そのペットショップには、産まれたばかりの小さなハムスターが沢山いて、微笑ましい気持ちで覗いていると、一匹だけ、やたらと大きな体をして、ボロボロの虫かごに入れられ、激安の価格をつけられ、丸まって寝ているハムスターを見つけました。彼ががひつじです。

なんだかかわいそうになり、というより、その時期家族との問題を抱えていて家に帰れず一人ぼっちだった自分と重なり、その場でひつじを買いました。

それから2年間、彼とは親友でした。
身体は小さいし、食べるものも違うけれど、私の唯一の理解者でした。

その彼が、去年この世を去りました。
出会ったのと同じ、雪の降る寒い日でした。
その日の朝までは元気だったのに、夜覗くと、丸まり、冷たくなっていました。

もうちょっと温度管理をきちんとすればよかった、や、発見が早ければ、などの後悔が頭をすごいスピードで巡り、それから涙が次々と溢れました。

こんなことならもっともっと遊んで、もっともっとたくさんの話をして、大好物を用意して、少しだけ豪華なご飯を用意したのに。

寒かったかな、ごめんね、とひつじを抱き上げると、信じられないくらい軽くなっていました。魂が抜けたのだと思いました。

次の日はアルバイトで、行きたくなかったけれど目を腫らして行きました。

職場の人にそのことを言うと、
「残念だね」と言ってはくれるものの、顔には「ハムスターが死んだくらいで」の文字が明らかに貼り付けてありました。

誰に話しても、そうでした。
少し馬鹿にしたみたいにみんな、「悲しいね」と笑うのです。

身体は小さいけど、言葉は通じないけど、たまねぎ食べられないし、美味しくなさそうなペレットを美味しそうに食べるけど、違うところだらけだけど、

彼と私はたしかに親友で、心が通っていました。

その親友を失ったのは、誰にわかってもらわなくても、身を裂くような思いです。

人間だから、とか、動物だから、とか、目の色がちがうだとか肌の色が違うだとか、言葉が違うから、だとか、

そんなことは魂のレベルでは関係のないことなんだと、ひつじは教えてくれました。

ひつじは、わたしに、世界に優しくあることを教えてくれました。

ありがとう、ひつじ。
あたたかい場所でゆっくり眠ってね。

肺に水がたまり苦しみながらなくなった愛犬。飼うんじゃなかったと後悔もするも出会いに感謝。

一人っ子で寂しくしている私に、父が犬を飼ってもいいよと言ってくれた時、本当に嬉しかったです。小学校3年生の時でした。マルチーズでとても元気な男の子です。私は嬉しくて毎日愛犬ブルーと散歩に行き、一緒に寝ました。

弟ができたと思って本当に嬉しかったですね。学生時代辛い時、苦しい時はブルーを抱きしめると勇気が出てきて明日も頑張ろうって思えました。ブルーにはたくさんの元気をもらいました。

でも、年を取り最期は肺に水がたまりとても苦しんで亡くなりました。苦しんでいるブルーを見て、私は眠れずにずっと起きていました。

ブルーの苦しんでいる姿を見て、こんなに辛い思いをする日が来るなら犬なんて飼うんじゃなかったと思いましたが、ブルーが亡くなってから二年経ち、少しずつ辛い気持ちが薄くなってきて、やはりブルーに出会えたことは人生でとても幸せなことだったと思えるようになっています。

ペットを飼ったことのない会社の人達や友人からは、「また他の犬を飼えばいいでしょ」と言われます。ブルーは家族なんです。物が壊れたから別の物を買えば良い、ではないんです。信じられません。ブルーと違う犬を飼ったとしても、傷は癒えない、楽にはならないと思いました。

ブルーが亡くなって一年ぐらいは外でどの種類の犬でも見ると苦しくなり、目を背けました。ブルーのことを思い出しては涙が出ました。でも日にち薬のおかげで気持ちが軽くなってきており、もう少ししたら猫を飼おうかなと思っています。

やはり犬を飼うのは苦しいんです。でもまたペットとの素敵な日々を過ごしたい、家族のように愛したい、癒されたいという気持ちが大きくなってきています。新しいペットを飼ったとしても、ブルーのことは絶対に忘れません。

愛犬の死にあっけらかんとした家族。兄の暴言へのいきどおりは消えない。

5年前に愛犬コロが亡くなりました。病気ではありませんでした。15歳だったので長生きをしてくれたと思っています。
私が中学生の時に兄が友人からのもらってきて飼うことになりました。兄ははじめのだけ面倒を見ていましたが、半年経つと散歩にも連れて行かず私が面倒を見るようになりました。
天気の良い日は広い公園に行き思いっきり走らせたり、天候の悪い日でもカッパを着させて散歩に行っとりと、いつも一緒にいました。
友人や兄弟とは違った特別な存在でした。私が悲しんでいると、私の側によってきて顔を摺り寄せてくるコロが可愛くて愛おしくて仕方ありませんでした。私の気持ちを察してくれる唯一無二の存在でした。
私が大学生になって実家を出るとコロに会えない寂しさからホームシックにもなったほどです。帰省をすると、コロが私のところに駆け寄ってきてくれて甘えてきました。私の帰りを待っていてくれたようで、とても嬉しかったです。
就職は地元でしましたので、またコロと一緒に暮らせるようになりました。
しかし、コロがだんだんと弱ってきたのです。犬の寿命は人間より短く自分より先に亡くなることは分かっていましたが、弱っていくコロが可愛そうで見ていられませんでした。
一緒に散歩に行ったことや、一緒にベットで寝ていたことなどコロとの思い出が走馬灯のように蘇りました。
コロが亡くなってから、しばらくは何も手につかなくなりました。
家族はあっけらかんとしていて私が悲しんでいる様子を見て「犬が死んだぐらいでオーバーだな」と兄からは言われました。
その一言は、5年経った今でも忘れられません。

ペットが死んだくらいで休むな!担任の暴言に傷つく。大事な家族なのに…

 ペットという言葉はあまり使いたくありません。
 本当に家族の一員でした。

 丈(オスの犬)とであったのは、小学校6年生でした。近所で生まれた子犬を父が引き取ってきたので、我が家で飼うことになりました。最初は、エサやりや散歩、掃除などが面倒でした。しかし、遊んであげると尻尾を振りながら近づいてくる姿に愛着が出てきました。中学生になると毎日のように散歩で、家のすぐそばの河川敷を走りました。

 毎日、一緒にいると本当の家族のようでした。しかし、高校3年生の夏に丈は交通事故で死んでしまいました。本当に辛かったです。家族も全員、悲しみで辛い思いをしていました。特に、丈をつれてきた父は明らかに脱力し、1週間は大好きなお酒を一口も飲みませんでした。

 私もとても辛く、学校を3日ほど休みたいと思いました。決してサボりたいという気持ちではなくて、丈の葬儀や埋葬をして弔いたい気持ちでした。家族も葬儀や埋葬について賛成をしてくれました。父は、丈との最後のお別れだからということで、会社に有給を申請し、休みを取ってくれました。私も学校に丈が死んで葬儀をする旨を伝えました。そうすると学校の担任から驚くことを言われました。担任の先生はペットが死んだくらいで休むなと高圧的に電話を切りました。

 ペットが死ぬということは、家族がいなくなるのと同じくらい辛い体験です。ペットを飼ったことのない人は分からないかもしれません。しかし、その悲しみを想像して、悲しんでいる人をさらに悲しむようなことを言わないことが大切です。