苦しみながらなくなった愛犬。安楽死をえらんだほうがよかったのか自問自答。

4年前に愛犬を亡くしました。

もう18歳だったので、亡くなる1年前から認知症のような症状が始まり、最後の方は、ほとんど寝たきりの状態になりました。

寝たきりの状態はかなり長く続きました。足をバタバタさせたり、夜中に苦しそうに鳴いたりして、こちらもどうしていいかわからず、ただ膝に抱いて撫でてやることしか出来ませんでした。見ているのもせつなく、あまりにも可哀そうだったので、獣医さんに相談すると、「安楽死」という選択肢もある、というようなことを言われ、とてもショックで傷つきました。

その時は、「まだ生きているのに、飼い主の勝手で死を選ぶなんて」と思い、そんな発言をした獣医さんを恨んだりしました。

結局、安定剤、睡眠薬や痛み止めなどで、なんとか症状を抑えながら、けれど、次第にその薬もあまり効かなくなって、愛犬は苦しみながら、亡くなってしまいました。

愛犬が亡くなった後は、とても悲しくて、仕事や家事も手につかない状態が長く続きました。他の犬が散歩をしているのを見ると、自然と愛犬を思い出し、涙が出ました。テレビなどで犬の特集をしていると、愛犬を思い出すので、極力見ないようにしていました。

あれから4年経ちます。時々、写真を眺めては、愛犬のことを思い出します。そして、私たちの選択が正しかったのかどうか、自問自答しています。

あの頃は、「安楽死」なんてとても考えられず、獣医さんを恨んだりしました。けれど、結局、私たちの選択は、愛犬を最期まで苦しませてしまいました。「本当は、獣医さんが正しかったのではないか?私たちは自分たちのエゴで、愛犬を苦しませたのではないか?」答えはわかりませんが、そんなことを考えると、今でも涙があふれてきます。

腎臓の働きが悪く亡くなった愛犬。人間とおなじものを与えたことに後悔。

 今から20年くらい前、母と二人で入った喫茶店の斜め前にペットショップがあり、母も私も「動物でも見て癒やされよう!!」なんて軽い気持ちで入ったその店にチロがいました。それがチロとの出会い。
 生後4ヶ月のチワワで狭い檻の中から私たちを食い入るように見つめてきた。
「かわいい~」を連発していると、お店の方が「抱きます?」なんていうものだから、ついつい抱いてしまった。もう本当に可愛くて私はつい勢いで飼ってしまいました。
 それからというもの、寝るのも起きるのも一緒。ご飯を食べるのも膝の上。家族中がチロのとりこになりました。
 飛行機に乗って北海道までも旅行した。
 一緒に生活をしていると、やっぱりどうしてもだめなところがあって、チロは人間の食べるものをとても欲しがりました。そこは、私たち人間がしつけとして、人間の食べるものをあげなければよかったのですが、ついつい与えてしまい、結果チロを太らせることになってしまいました。
 獣医さんにも注意され、何とかダイエットしようとがんばりはしたけれど、成果はそれほど出ませんでした。
 やがて私は嫁にいきました。アパートは動物禁止でしたので、実家においてでました。
毎日散歩をしに帰ったりもしました。亡くなるその日まで・・・
 その夜、母親から電話がかかってきて「チロの様子が変だから今から病院に連れて行く、姉ちゃんも来て!!」
 私は着の身着のままで車を運転し、母親が駆けつけている病院へと急ぎました。しかし駆けつけた時にはすでに亡くなっていました。
 母の話では病院に着く200メートルくらい手前で亡くなっていたそうです。
その日散歩の時チロを抱き上げたとき何となく身体全体がむくんでいるような感触がしました。腎臓の働きがよくなかったようです。
 やはり人間の食べる、動物にとっての濃い味が、チロの腎臓に負担をかけてしまっていたのだなと後悔してもしきれませんでした。
 実家に帰るとしっぽを振って走って迎えてくれたチロ。実家の風景はなんら変わらないのにそこにチロの姿が見当たらない・・・
 チロがいないことがどうしても信じられませんでした。母も父も相当つらがっていました。
今、実家には「なんな」というチワワがいます。今年で12歳を迎えました。
 チロの教訓をいかし、1日でも長生きしてもらおうと両親も頑張っております。

卵詰まりで亡くなったインコ。相棒は泣き叫んで探しまわる。その後新しい仔をお迎え。

2017年の8月に、手乗りセキセイインコのメスを5年足らずの若さで、卵詰まりが原因で亡くしたことがあります。前日には大好きなミカンを私の手から美味しそうに食べて、直前まで自分の名前をしゃべりながら元気に室内を飛び回っていたのにです。ちょうど運悪く日曜日で病院がお休みだったので、ペットヒーターで室内をあったかくして自ら産んでくれることを願ったのにダメで、翌朝9時には病院に行き、すぐに診てもらって詰まった卵を取り出して縫ってもらったので一安心したのですが、帰り道のバスの中で一声あげて亡くなってしまい、体温が奪われて死後硬直が始まって冷たくなるインコを触り、泣きながらお墓を作って土に埋めた経験があります。
 卵詰まりは時間の経過と共に死亡率が高くなるメス特有の病気で、発症から約18時間程度で病院に行ったのにこの結果です。排泄期間が奪われるため、腎不全を起こすそうです。卵詰まりを気にしたインコが嘴でつついてしまうのを止められず、時間の経過と共に食欲不振になって元気がなくなり、翌朝は呼吸が荒いインコの症状の悪化を目前で見たのが今でも頭から離れないです。平均寿命が8年と言われているだけショックも大きいです。
 残されたもう1羽のインコが数日間、泣き叫んで相棒を探す姿が可哀そうだったので、それから2か月後に新たなインコをお迎えしています。インコの栄養剤のネクトンSも購入し、できるだけインコが長生きできるようにより配慮しています。
 

野良猫を保護したものストレスで病気に。私が死なせたんじゃないかと後悔

昨年の1月に保護していた雄猫のジェイ君を亡くしました。
正直に言ってしまえは私が死なせてしまったと思っています。

前の年の秋に野良猫だったジェイ君を保護し
地域猫として外で過ごせるよう去勢手術をしていただきました。

保護した当初、家の中で過ごせるなら家猫にしたいと思ってトレーニングをし始めたのですがやはり生粋の野良ちゃん。

野性味あふれる子で抱っこは勿論触ることも出来なかったジェイ君。せっせとお世話をしてコミュニケーションを図ろうとあれこれ試行錯誤しましたが彼が人間に心を開いてくれることは有りませんでした。

そしてこの家猫トレーニングが彼に重大な病気にかからせてしまう原因だったとは当時は思ってもみなかったのです。
狭い家の中で過ごすのは自由気ままに生きてきた彼に大変な負担を強いていたようです。

そのストレスが元で尿路結石が出来、私が気づくのが遅かったせいで獣医さんに見て頂いた時には血尿が出るほど進行してしまっていました。

獣医さんに適切な処置をして頂きほっとしたのもつかの間
翌日の夜、食事も水も取らずに息を引き取りました。

病気の発覚からあっという間に天国へ行ってしまったジェイ君。まだ生まれて2年も経たない若い猫を私が死なせてしまったのです。

あれからずっとジェイ君の病状からすると彼はとても苦しかったんじゃないか?何か私に訴えていたんじゃないか?おせっかいにも自由な猫を人間が勝手に保護したんじゃないか。と後悔してもしきれません。この苦しみを私はずっと忘れてはいけないと思っています。

1年命が延びるはずが、1ヵ月で天国へいった愛犬。痛い手術は必要だったのか?

もともと、家には1匹2歳のミニチュアシュナウザーのももちゃんがいました。
その子はとてもおてんばで可愛かったのですが、お友達が欲しいのかなと思い、たまたま父の会社で同じ犬種を飼っている方に子犬が産まれるということでメスの子を譲っていただきました。
名前はまつ毛が長くぱっちりとした目がお花のようだったので「ハナ」と名付けました。

初めて我が家に来た時から、ももちゃんとすぐに仲良くなり遊ぶ時も寝るときも歩きだすタイミングも全て一緒なくらい仲良しで我が家は一層明るくなりました。

モモが12歳、ハナが10歳の時です。
ハナは前日、いつものように父のベットで寝ていました。朝になっていつも軽快にベットから飛び降りるハナがヘェヘェと舌を出して震えていました。
ハナを抱きかかえると触れないぐらい体温が熱く目はうつろでした。
田舎に暮らしているため休日に動物病院はあいてるわけもなく、とりあえず熱さましのまくらの上にのせ
なで続けました。
隣町の病院で応急処置をしてもらい、次の日いつもの病院へ。レントゲンをとってもらうと「肺がん」

もういつもの動物病院では見れないとのことで大学病院で入院することになりました。
私たちは普段ハナが寝ているときのイビキに癒されていたのですがこのイビキは病気の合図だったそうで全く考えもしませんでした。いつも元気に走り回っていたので「ぐっすりねている」そう思っていたのです。

大学病院では「うちに来たら安心、手術をすれば1か月の命を1年に延ばします」そう言われました。

1年でも一緒にいれたらそれまでに心の整理をつけて見送ってあげようと思いました。

しかし、
手術後1か月もしないうちにハナはガンが転移し天国へ旅立ちました。
私は仕事を終え、玄関で家族の泣き声が聞こえました。恐る恐る家に入ると生暖かいハナが横たわっていました。
私が仕事に出てる間に、ハナは息ができなくなり急いで病院に連れていくと「このまま生かしておくのはハナちゃんは辛いはず。楽にしてあげるほうがこの子の為です」

ハナは母と病院へ行ったときいつもの治療だと思い、診察台で母をじっと見つめていたそうです。
ですが先生が打った注射は安楽死用の注射。
ハナは診察台で横たわりました。私はその最期に立ち会うことができず家で号泣しました。

次の日午前のみの仕事で午後はハナのお葬式でした。
午前の仕事は全く身に入らず涙で全く仕事が手につかなかったことを覚えています。

あの時、ハナに痛い思いをさせてまで手術を受けさせたことは最善だったのか、
3年経った今でも悩んでいます。

そしてハナが死んで、ももちゃんは一気に老けました。グレーだった毛色は一気に白くなり寝てばっかりの
生活になりました。
ときどき寝ているのにワンワンと寝言で吠えているのです。
それを見てももちゃんへの心のケアも必要、私たちの寂しさも残ったまま。
気づいたらペットショップへ行き、ハナに似た同じ犬種の子を探していました。

そして我が家に新しい子犬が来ました。
ももちゃんは驚くほど元気になり、私たちも毎日ハナの話題はしつつも新しい子犬ナビちゃんに癒されています。

ナビという名前。

私たち家族は花火をみるのが大好きです。

ハナ
から名前をもらいナビに。

そしてナビという名前にはもう一つ由来が

ナビ=道しるべ

私たち家族、そしてももちゃん
家族全員の道しるべになってね。そんな意味を込めてナビという名前を付けました。

ハナが死んでから一度もハナを忘れたことはありません。毎日ハナの話をします。いつまでも姿は見えないけどももちゃんとナビと家で走り回っている。そんな感じをしながら家族に笑顔が戻りました。

愛犬の病死。安楽死を選択しなかった事に後悔。しかし時が癒してくれた。

7年前に飼っていたハナというダックスフンドの雑種を亡くしました。元々は、弟が神社の下で拾ってきた犬です。弟は可愛がっていましたが、結婚したため実家を離れなくてはならず、引き継いで私が面倒を見ることになりました。

私は面倒なので動物を飼うことが好きではありませんでしたが、残されたハナが少し不憫でしぶしぶ私の犬にしました。
毎日の餌やりや散歩は正直面倒でしたが、だんだんハナもわかってきたのか私を見ると嬉しそうに尻尾を振るようになりました。そんなハナが可愛くなってきて、毎日の散歩も嫌ではなくなってきました。

元々大人しい性格の犬だったので、穏やかな時間が一緒に持てる癒しの犬となっていました。

しかし、数年経った頃から散歩の様子がおかしくなり、病院に行ったところ心臓が悪いと言われました。
呼吸も苦しそうで、見ていて辛かったのですが、ある日獣医さんから安楽死も選択の一つと選択を迫られました。

薬もだましだまし餌に混ぜて飲ませたり、毎日さすったり、暖めてみたりできる事は一生懸命やっていましたから、安楽死は選べず、ハナを最後まで頑張らせてしまいました。
毎朝仕事に行くのが怖くて、仕事が終わると急いで帰りました。そしていよいよ亡くなる前日、家に帰ると、ハナが私のパジャマに包まれていました。ハナの様子の変化を見て、私がもう間に合わないと思ったようで、私の匂いの付いたものと咄嗟に考えたらしいです。本来動物が苦手で触ることすらできない母がパジャマでくるんでいたのを考えたら、本当に最後なんだと泣けてきました。
幸い次の日は日曜日だったので、一日中ハナの側にいれました。そして私に看取られて逝く事が出来ました。
母は、日曜日まで貴方を待って頑張ったんだよと言いました。

しばらくは、ハナのいつも居た場所を見るたびに悲しかったですが、時間とともに苦しさも和らいでいきました。
時ぐすりって本当だと思います。無理に忘れようとしても無駄です。逆に辛い。毎日の自分の生活を淡々とこなしていく内に少しずつ、和らぎます。悲しい時はそれで良いと思います。
必ず思い出しても、辛くなくなる時という日が必ずきます。
人間の仕組みはうまく出来ていると本当にその時思いました。
だから、今苦しい人もきっと大丈夫です。時間が、思い出に変えてくれます。

癌でなくなった愛犬。定期的に病院につれていけばと後悔

愛犬ライアンと出会ったのはもう今から20年以上前の話です。それでも私の脳裏にはライアンが亡くなる寸前までの様子が鮮明に残っており、時々、夢の中にも今でも出てきます。
私との出会いは、隣人が飼っていたワンコが子犬を産んだからです。
その子犬達が私の実家へ遊びに来るようになったのです。その中でも特に愛想が良く懐いていたのが、後に我が家の愛犬になるライアンです。
ライアンは癌で亡くなっています。私がまだ若過ぎたこともあるのですが、病院に連れて行った時には手の施しがなかったのです。
愛犬になってから11年目のことです。まだ若いと思っていたので、多少体調を崩しても次の日には回復していたことが多く、まさか癌になっているとは考えられなかったのです。
ちょっと食欲が減っていたのと、細身になったことなどで、調子が悪いのが続いていると思い動物病院へ連れて行ったのですが、先ほども話したように遅すぎたのです。
手の施しようがないので、日に日に動けなくなっていきます。血便も出るし、口から吐くしで、いつ亡くなってもおかしくない状態になっていきます。ついにその時が来たのが、私が学校から戻ってきた夕方です。家族に見守れながら静かに息を引き取ったのです。凄く悲しみが襲ってきたのですが、本当の悲しみは亡くなってから5年以上先です。
亡くなってから5年すると私は後悔をしだします。どうしてもっと定期的に動物病院へ連れて行かなかったのか、どうして調子が悪そうな時にもっと寄り添ってやれなかったのかなど、私が飼いたいと最初に言い出したので、凄く責任を感じたのです。
他の家族はそれほど悲しみにくれてなかったですが、私は周りの様子を見ると余計に悲しみが溢れてくるのです。これは今でもです。
私がもっときちんと愛犬の健康管理をしていれば、もっと長生きできたと思うからです。
ペットロスという言葉がありますが、私の場合はそれとは別です。悲しみよりも後悔ばかりだからです。亡くなってから5年後から今まで、夢の中でどうして私がきちんとした体調管理をライアンの為にしてやれなかったのかという後悔をしている夢を見るのです。
愛犬ライアンはとても人懐っこい性格で、しかし知らない場所は怖がる臆病者でもあったように思います。
もし、私と同じような悲しみにくれている人がいるならば、いつでも供養できるような環境を作ることです。
私は大人になってからですが、自分でお墓を作り、いつでも愛犬ライアンに感謝の気持ちと懺悔の気持ちを言えるようにしたのです。
それ以来、少し私の気持ちは落ち着いたような気がします。私にも寿命がありますから、いつの日か天国で愛犬ライアンと会える日を楽しみにしています。
その時には、私の気持ちを面と向かって話したいです。そして、愛犬のやって欲しかったことをあの世で思う存分にしてあげたいと考えています。