犬の葬儀体験談
28歳女、愛犬のために近所でペット葬式を利用 優しい対応に感謝
28歳の会社員の女です。
実家で15年一緒にいたペットのダックスフンドが亡くなりました。
その時にペット葬式を利用したことがあります。
長生きしていた犬なのでもうそろそろ亡くなるだろうなということは分かっていましたが事前の準備などはまったくしていませんでした。
なので、亡くなってすぐでも比較的落ち着いていましたので、近隣にあるペット葬式をしてくれる会社についてネットで調べました。
少し田舎のほうにある実家でしたが、幸運にも2,3社くらいを見つけることができました。
比較する方法がイマイチわかりませんでしたので、値段とホームページの雰囲気を見て1社に絞り電話をしました。
そのときは夜の8時ごろでした。
電話口に出てくれた方は優しい口調の女性の方でした。
ペット葬式をしてほしいことを言うと、ペットの名前と種類、おおよその体重を尋ねられました。
そして、直接その会社が車で迎えに行くこともできることなどを説明されましたが、近場でしたので自分たちで行くことになりました。
翌日の10時からということですぐに予約を取ることが出来ました。
実際に行ってみると、人間の葬式会場のような感じではなく、工場の事務所のような建物でした。
見た目では葬式会場には見えませんでしたが、受付に行くといろんな種類の骨壷やペットのお墓の見本などいろんな供養のアイテムが並んでいました。
私たちが到着してすぐに優しそうな男性が案内してくれた部屋は小さな祭壇がありました。
祭壇の前に1mくらいの高さの鉄のカウンターが置いてあり、そこにペットを寝かせました。
すると、その男性が花と水を持ってきてくださり、口元をぬらしてあげて声もかけてあげてほしいと言ってくださいました。
一通り花を飾ってあげると、一緒に手を合わせてくれて祭壇に向かって言葉をかけていました。
そのあとも、ペットの思い出なども聞いてくれてとても嬉しかったです。
そのあと、火葬場に案内してもらい、最後の言葉をかけました。
30分ほどで火葬が終わるのでその間に支払いや手続きをしたり、骨壷を選んだりしておりました。
その後、骨を骨壷に入れさせてくださいました。
最後に、別の部屋の仏壇のようなところでテープではありますが供養のお経を唱えてくれました。
全体的に人間のお葬式に近いようなスタイルをとってくれましたし、優しく対応してくれたので、きっと天国のペットも安心してくれたと思います。
40代男性 ワンコとの最後のお別れ
ペットを飼っていて飼いやすい子飼いにくい子っていると思いますが 家にいたワンコは結構飼いにくい子でした犬種はシェルティーのオス 物凄く甘えん坊で家族が居ないとすぐにオロオロになってしまい軽いパニックになってしまうような子でしたからとても飼いやすいとは言えませんでした。
雷の時はまだ外が真っ暗な3時ぐらいからキャンキャン鳴くので近所迷惑にもなるし そんな時は朝までずっと一緒にいました。
ワンコはワンコなりに頑張って私たち家族に対して忠実に頑張っていたんですが。
それでも 家に帰ったら全身小麦粉だらけで玄関に走ってきたりして尻尾をフリフリ私としたら仕事が終わって疲れているのに夜中から家での大掃除が始まったりで そんな時はイライラして怒ったりして それでも 今思えばワンコはいつも私の方だけを見ていました。
私が一緒にいれば私のコマンド待ちで待機していました。
それでも電気のコードはかじるわ やってほしくないことは大概やる子でしたので そんな子でしたから家の中では段々と手がかかって嫌われていきました。
ですが最後に亡くなった時は家の中は完全にお葬式状態で毎日が暗い日々でした。
無くなった時も 初めての経験でしたので まずは保健所に電話して家に埋めるか行政に頼む場合はゴミ扱いになるとゆうことも初めて知りました。
ですので訳も分からぬままペット葬儀社に連絡して来ていただき火葬して頂きました。
後日 ペット葬儀社でお骨になったワンコと最後のお別れをした時 家族みんなが涙が止まらず子供たちも泣き止まず私も涙が止まりませんでした。
その時初めて私たち家族はこの子との関係の深さを知りました。
私たちはあの子にとって決して良い家族ではなかったと思います可愛くて仕方がないとゆう感じではなかったです。
それでも家族の一員として最後までありがとうラッキー。
天国でどうしているかな? 私たちの家族でいてくれたこと そして 君は君なりに私たちの役に立ちたくて空回りしながら頑張っていてくれたこと 今ならわかります。
本来はあまり物品は入れてはいけないはずが、スタッフの方の心配りで
16年間飼っていた小型犬が病気で亡くなった際に、近場にできたばかりの某大手葬儀会社系列のペット専門葬儀業者に葬儀を依頼しました。
インターネットですぐに近場のペット葬儀社を検索しましたが、一番新しく綺麗だったことと、葬儀会社の運営であること、また納骨堂も併設されていて後々預けることができることが決めてとなりました。
何もわからないまま電話をすると、感じの良いスタッフの方が親身に対応して下さりました。
一晩は自宅で過ごさせてあげたかったので、その旨を伝えると、どのようにアイシングをすればいいか、連れて来るときの注意点など丁寧に教えてくださり、その時に翌日の葬儀の予約もとりました。
翌日、車で葬儀会場まで向かうと、予約時間をわかっていたからか担当のスタッフの方が表まで迎えに出てくれていて、挨拶をしてくれそれだけでとても安心したのを覚えています。
その後、思い出話を聞いてくれながら希望のスタイルを決め、予算とも相談しながら棺や骨壷、カバー等を決定していきました。
出席者は家族のみ。
葬儀は簡単なお別れ式と火葬。
納骨堂もありますが、一旦は自宅に持ち帰ることにしていました。
全て込みの金額はだいたい6万円くらいだったと記憶しています。
インターネットで検索した際に周辺の相場よりは少し高かったですが、非常に綺麗な施設で、スタッフの方も非常に親身に対応してくださったので、結果とても満足しています。
最後のお別れの時間も十分に取ってくださり、お経こそ無いもののお別れの儀式を一通り行い、写真を撮ったり言葉をかけたり、ゆっくりした時間を過ごせました。
本来はあまり物品は入れてはいけないはずが、スタッフの方の心配りでお気に入りのおもちゃなども入れさせていただきました。
特に印象的だったのは、火葬が終わり別室に呼ばれると綺麗に骨が並べられており、一つ一つの骨がどの辺りなのかを説明してくれたことです。
正直、涙涙でよく見えなかったのですがとても丁寧でしっかりお別れができた感があり感動しました。
先代の犬のお別れの際、まだペット葬儀を丁寧にやってくださる施設が周辺には無く、仕方なく公営の施設に頼んだのですが、何ともひどい施設でほとんど焼却場のような場所に愕然としたということがあり非常に悔やまれていたので、今回は絶対に綺麗で丁寧なところでやってあげたいと思っていました。
結果、希望以上の対応をしてもらい本当に良かったです。
先代犬も同じようにやってあげたかったとの想いは残りますが、今では一緒に綺麗な納骨堂に入っているので安心しています。
ペットがいる方なら、万一の際にどこに頼めばいいのか迷われると思いますが、心残りがないようにするためにもインターネット等で施設の写真や様子、価格をきちんと見て、実際に相談の電話をした際のスタッフの方の対応の丁寧さも選ぶポイントにした方がいいと思います。
20歳女 愛犬を区の施設で葬式してお墓へ 穏やか
私は2人の男の子の母であり、三匹の犬達の飼い主です。昔から動物が好きで特に犬は大好きです。実家にも現在2匹います。私が結婚する前に実家で飼っていたラッキーというパグとテリアのミックスのワンちゃんの話をしたいと思います。出会いは私が保育園の時です。友人の家で遊んでいるとふと友人の母から私の母は犬を飼ってみないか、と言われ私は犬が大好きなので母にお願いして買うことにしました。この子はブリーダーから譲り受けた子で私が初めて飼った犬でした。可愛くてしょうがない反面、飼うのは初めてなのでなにもかも手探りでした。散歩は父と一緒に土日に行き、餌やりは母と朝晩やっていました。ですが、同時は犬を飼うことに知識があまりなく避妊手術をしてなかったこともあり、子宮の病気になり、手術をし、その他にも小さな病気をし手術をしてました。ただ年を取ってきて15歳になってから、急に体調が急変してきました。私も出来るだけ一緒にいるようにしていましたが、その日父と母に見守られて眠るように亡くなりました。私の一番の後悔はその時に旅行に行っており、一緒に居てあげられなかったこと、最後を見届けてあげられなかったことです。また、もっともっとちゃんとした知識をもっていたら長生きできたのではないか、もっと一緒にいられたのではないかと今でも後悔しています。両親から亡くなったことを聞き、次の日帰宅すると冷たくなっていました。私たちは区で行なっている場所で供養を行い、ラッキーは虹の橋を渡りました。今ラッキーの灰は先にお墓の中に入っています。父から聞くとラッキーは最後までよたよたした足で自分の力でトイレに行こうとしていたようです。がんばったね。いまでも思い出しては泣いてしまうこともあります。わたしから言えるのは、今、一緒にいれる時間を大事に楽しく過ごしてください、犬は必ずあなたより先に行ってしまいます。なので、それまでたくさん思い出を作って大事にしてください。犬はただのペットではありません、血のかよう大事な家族です。
30歳女、犬の火葬を斎場でしてもらった後悔
私は30歳の女性です。小学生の頃から雑種犬を飼っていました。名前はコロと言います。コロとは、地域誌に掲載されている『貰ってください』の欄がきっかけで出会いました。名前を考えているうちに、父母が勝手に「コロ、コロ」と呼びだしたので名前がコロに決まりましたが、今思えば、小さくコロコロした姿はコロにぴったりだったと思います。うちに来てひと月も経たないときのことでした。私は小学4年生で、奈良に旅行に行っていました。夏休みで、8月のはじめだったと記憶しています。私が旅行から帰ると、家に来たばかりのコロが、左の後ろ脚を引きずって歩いているのです。散歩をしているときに、排水溝に足を引っかけて骨折したと両親は言っていました。当然、すぐに動物病院にも連れて行きました。ひと月の間で、両親にとってもコロは家族当然の存在になっていたからです。しかし、動物病院での対応は、『これくらいの子犬の骨折は、よくある事で、骨が柔らかいからすぐに治る。何もしなくても良い』ということでした。そんなわけないだろう、と私は憤り、子どもながらに、医者に不信感を抱いたのですが、その時の怒りを、もっと表に出して、他の医者に診てもらうなりすれば良かったと今では後悔しています。それが、コロの死因に繋がったのですから。骨を折ってから、コロは、ずっと左の後ろ脚を庇うような、不思議な歩き方が癖になってしまいました。怪我が治ってもその歩き方だけは治りませんでした。コロは散歩が大好きで、決まった時間になると散歩に連れていってくれ、と言うように吠え始め、私が犬好きの友達と一緒に散歩をしました。早く早く、と急ぐようにリードを引っ張るコロの後ろ姿を、今でも時々思い出します。その後ろ姿はやはり、元気があっても、片足を庇うようないびつな後ろ姿なのでした。思い出すたびに後悔します。どうして、私はコロと過ごした12年のうちに、そのいびつさを取り除く努力をしなかったのかと、機会は何度でもあったし、たとえ小学4年生ではわからなくても、12年も一緒に居たら、少し考えればわかることだったのに、なぜ、考えなかったのか、コロはいつも笑っているような顔をしていたから、私は甘えていたのかもしれません。笑っているように見えたあの顔の下で、コロは痛みに耐えていたのかもしれません。それを思うと、自分の情けなさで泣きたくなります。コロと生活して12年経ち、あれほど大好きだった散歩を、急に嫌がるようになり、いつもリードを引っ張って走り出しそうだった歩みは、急に衰え始めてしまいました。年齢も犬の12歳といえばおじいさんですから、そういうものなのかな、と思いつつも心配で動物病院に連れていくと、加齢以外にも、コロの命の火を消そうとするものが、身体の中に潜んでいることが判明したのです。それが、うちにやってきてひと月の骨折でした。骨折した部位が加齢に伴い脆くなり、そこからばい菌が入り込み、身体を苦しめているのだというのです。食事もほとんど取れなくなり、9月26日の夜、コロはその一生を終えました。私たちにとってコロは家族そのものであったので、斎場で火葬する、というのは当たり前に思いついたことでした。私はその頃、もう成人しており、弟と一緒に、地元の斎場でお願いして、コロを火葬してもらいました。私と弟は喪服で向かいましたが、ペット用の火葬場というのは、ゴミ焼却炉のような場所で、担当の方も、私の職場について尋ねてきたり、共通の知り合いの話を突然する等、とても家族を気遣うようなことを言ってはくれず、どうしてこんなところで火葬したのか、家族でひっそり、土に埋めてあげれば良かったと悲しんだものです。参考:合同で火葬の問題点しかし、葬式、という行為は正しい選択だと思いました。焼き場から、違うルートで家を帰るとき、自分が知る、葬式のルールに則っていると、コロが本当に死んでしまったという事実を認め、受け入れることができました。遺灰は庭に埋め、そこは今も空き地になっています。もし、ペットの死に直面する可能性を少しでも考えた方は、参考になるかどうかわかりませんが、喪服を着て、誰かと葬式の形式を取ることが、心に一時のけじめをつける方法として有効であるとお伝えいたします。ですが、何よりペットの体調の変化には、すぐに対応してください。一時のけじめをつけることができても、やはり、私はコロの思い出を辿るとき、あのいびつな後ろ姿に罪悪感を感じてしまいます。
64歳女性 愛犬をペット霊園でお葬式 ありがとう
シニア女性です。今は夫と二人暮らしです。子供と3人アパート暮らしから、今の家に移った頃あの子と出会いました。そこは郊外の繁殖センターでしたが、繁殖センターと言いながら、ゲージにいたのはその子だけでした。痩せっぽちで毛並みも良いとは言えない茶色いシェルティでした。予約もせずに行ったのでしょうがないとは思ったものの、帰ろかとしていたら、当時小学校2年生の息子が私の手を握りもそもそとしているのです。「どうしたの?この子がいいの?」と尋ねたら、「うん」。家に連れて帰ると、それはそれはキュートなお嬢ちゃんでした。お目目が特に可愛かった。寂しがりやで、少しでも人の気配がなくなると「クンクン」と泣いている子でした。その子の成長は、息子の思春期への成長と同じ時間を過ごすことになります。小学校時代はよく息子と3人で散歩をしました。レジ袋にちり紙を入れて、息子もウンチをちゃんと拾いました。よく思い出すのは道路に雪が残っている冬のことです。その頃息子は九九を習ったばかりで毎日練習でしたが、散歩の時にも私も一緒に九九を口にしながら歩いたのを覚えています。とても幸せなひと時でした。息子は一人っ子なので、兄弟がいないせいか、いつの間にか自分のことを「おにいちゃん」とその子に向かって話しかけるようになりました。本当に中のいい二人でした。学校で嫌なことがあって塞いている息子に体の一部をくっつけて、いつまでもそばにいてくれていました。息子が中学に入ってすぐ、部活でのいじめで息子は学校を休みがちになったり、気持ちが不安定になったりしました。その延長戦で、ものを投げたり、壊したり大きな声を上げることもありました。同じ頃、夫もまた精神的に荒れていました。主に仕事のことなのでしょうけれども「面白くない!」「黙れ!」などと怒鳴り散らし、壁を蹴って穴を開けたり、ものを投げてガラスを割ったりと散々な状態でした。その場に息子はいないことが多かったのですが、一番の被害者はもしかしてこの子だったのかもしれません。怯えた様子で私に寄り付いてくることが多かったです。嵐がすぎると嘘のように穏やかそうに見える人になる夫ではありましたが、私もこの子も心の中にある恐怖や怯えなどは拭い去ることはできませんでした。家庭内はというより、夫を入れた家庭は「家庭」とは言えない状態でした。そうこうしながらも、息子は大学受験を終え、1000キロも離れたところにある大学に行くことになりました。そのころは震災のあった時期で、鉄道は動いていない状態でしたので早朝の長距離バスに息子を送っていき、自宅に戻った頃には夜が明けていました。家の中を探してもいつもの自分のベットにその子がいません。探し回ると、主がいなくなった息子の部屋に東の窓から日が差し床を照らしていました。そこにその子はポツンと丸まっていました。大好きな「にいちゃん」がいなくなったのがわかったのだと思います。その頃には心臓が弱くなっているのを感じました。散歩に連れて行っても歩きたがらず、抱っこをせがむこともありました。でもバカな飼い主はまさか死が近いことなど考えもしませんでした。ある時、夫が急に医者に連れて行くと言いだしました。私たちは小さな会社を経営しており、その経営状態は常に危うい状態でした。常に金は不足し、そのため息子にも遠くの国公立大学に行ってもらったのでした。そんなこともあり、その子に医療費をかけることも控えめにしてしまっていました。ギリギリになって医者に連れて行っても、もはやあとは見送るだけなんでしょう。私にはわかりました。でも夫は、入院入院と訴えていましたが、お医者さんの態度には「自宅で見送ったほうがこの子の幸せになるのでは」というのが見受けられたし、私もそうだったのでそのまま抱っこして家に帰ってきました。その頃にはチアノーゼも見られるようになっていました。その晩、私が寝ている部屋にその子がよろよろとやってきました。寝ている私の周りをぐるぐると回り始めたのです。心臓が苦しそうでした。ハアハアと息をしているその子を横にならせようとしたのですが、横になるのが返って辛いようでしたので、起きてこたつに入り、しばらくの間その子を抱っこして心臓に圧迫がないようにしていました。そこに私の悪魔が訪れて、「そろそろ寝ない?」とその子をいつもの寝床に連れていき、私もそのまま寝てしまいました。それはその子なりの別れの挨拶だったのかもしれません。翌日も、夫は医者に連れて行こうと言い張りました。そういう時の夫はだだこね状態みたいになるので、その通りにするしかありませんでした。医者の対応は同じでした。自宅に戻ると夫は仕事に出ていきました。ソファにその子を寝かせ対面式のキッチンで洗い物を始めたら、その子は起き上がって私を見つめたと思ったら、ソファからおり、そのまま気を失いまhした。びっくりして近寄ると体は力が抜けふにゃりとした感じでした。名前を呼びかけるとふっと、力が少し入ったようでちょっと起き上がりましたが、またいっとき命が遠のきはじめ、体の力が抜け力尽きようとしましたが、再度名前を呼び、体をさすると再び目を開けました。足元に抱いて名前を呼び続けると、じっと私の目を見ていました。瞳孔が少しずつ大きくなるのがわかりました。そして私の目を見続けながら、その子は召されました。そのあとは体を拭き、タオルケットに包み、周りに花をあしらって、葬儀の準備や予約をして、息子の帰りと夫の帰りを待ちました。葬儀の予約をとり、翌日火葬の前に冷たくなったその子の頬に、私の頬を寄せました。息子も同じようにしました。後悔はあります。医者にもっと早く連れて行けばよかったとか、家庭内の問題をこの子の命にも影響を及ぼしてしまったのではないかとか。でも、息子も私も楽しかったたくさんの思い出があります。今でも彼女はそばにいます。冷たいかもしれませんが、まずはいきている人間です。ペットはその次の対応になってしまうのはやむを得ないと思っています。それでも、彼女は家族でした。ありがとう。
33歳 男 ちゅん 市の火葬場 苦しかった
現在33歳の独身男性です。約6年前に愛犬をなくしました。出会いは、友人が諸事情で犬を飼うことが困難になってしまい、私のところに転がり込んできました。名前はちゅんと申します。うちに来た当時2歳のヨークシャーテリア。きゃんきゃん常に泣いていて散歩をするときも、ご飯を食べる時も、誰かが家に遊びに来る時も常に吠えていました。きっと、臆病者で小さいながらに吠えていたんだろうと思います。散歩にいくとき大きな犬とすれ違う時の声の大きさは大きな犬に負けていませんでした。そんなちゅんの調子が悪くなったのは亡くなる3か月まえのこと。普段と同じようにご飯を与えてもなかなか食べてくれませんでした。動物病院に通いましたが、ご飯が食べれなくなって3か月後に原因不明でなくなりました。そのときは、何とも言えない気持ちになりました。家族を失ったのと同じくらいの悲しさが襲ってきました。なぜもっと、早く気付いてあげられなかったのだろうという気持ちが常にありました。亡くなってすぐに火葬して埋葬してもらいましたが、墓をたてることはありませんでした。ちゅん譲り受けた友人にその旨を伝えようとしましたがそれはできませんでした。なぜならば、彼からちゅんを譲り受けたとき彼は末期のがんで僕にその旨を知らせた後に亡くなってしまったからです。久しく彼の墓参りにいけていなかったのでちゅんがそのきっかけを与えてくれたんだなと思い、彼の墓に行きちゅんが亡くなったことを報告しました。墓に花を手向けようと花をもっていきましたが、すでに新しい花が手向けられていました。そこには、偶然にも友人の元恋人がいました。その人とは共通の知り合いでもあったのでこのタイミングで偶然にも一緒になることに驚きをかくせませんでした。ちゅんが亡くなったことを彼女に告げると2人して泣きました。ちゅんとの思い出と友人との思い出が一気にこみあげてきて人目をはばからずにワンワンと泣いた秋空の夕方。つらい時、悲しい時は泣いたらいいと思います。
60歳男性ペット専用葬儀業者に個別火葬を依頼し対応に感謝しています
横浜在住の60歳になる男性です。3年ほど前に16歳になったパピヨンの葬式を経験しています。その当時の心境と今の心境について語りたいと思います。 亡くなる前は食欲もなく、横たわっていたばかりでしたので、ある程度覚悟は決めていました。さすがに葬式のことは考えたくなかったのでしたが、息も粗くなっていて苦しさも感じられたので複雑な気持ちでした。会社から帰宅したときは、すでに息絶えていましたが、体はまだ体温が感じられました。 何かの本で膠着するとよくないので、そっと足をまげて起きました。舌がでたままでしたが、そのままにしていました。 しばらくすると妻が帰宅しましたが、葬式のことは頭になかったので、とりあえずコンビニで大量の保冷剤を入手し、段ボールに犬をいれて保管することにしました。 さすがにこのままでは成仏できないと思い、翌日ネットで動物の葬式をしてくれる業者をさがすことにしました。隣の区で車で葬式ができるところが見つかったので、電話をしたところ、当日の夕方来てもらえることになりました。玄関にバンのような専用の葬式車を横付けして、お経を唱え、車に装備された火葬器に遺体をいれ、1時間ほどで骨になりました。 その間はこれでこの世からいなくなると思えて、涙がでてきました。その後骨壺にいれてくれたので、しばらく神棚で保管することにしました。ただ写真を一緒にお供えしたので、なかなか悲しみが癒えることはありませんでした。そして初七日に庭に骨壺から出して、埋めることにしました。近くに埋葬したかったからです。 その後3年ほどたちましたが、ペット専門の火葬を自宅の前でおこなったのは正解だと思っています。理由は人間と同じ様式で業者の人が丁寧に遺体を扱ってくれたのと、焼かれた骨をみて、生前は丈夫だったでしょうといってもらえたからです。さらに16年生きたことは珍しいとも言っていました。 その時の感情はいまでも覚えていますが、悲しみよりは長生きしてくれたことへの感謝の気持ちのほうが大きいです。 ペットの葬式を考えている人は、個別火葬でお骨上げありのコースを選択することをお勧めします。多少価格が高くなりますが、いつまでもいい思い出として残ります。
30歳女愛犬とペット葬儀専門場でお別れ、後悔は何もない
私は現在30歳のシングルマザーです。子どもは4歳の娘が一人います。お葬式をしたのはフレンチブルドッグの「バロン」という名前でした。バロンは私が高校生の時、両親がフレンチブルドッグのブリーダーの所で購入し、飼い始めました。バロンの両親はどちらも血統書付きで、ペットショップで見かけるフレンチブルドッグとは比べものにならない位、筋肉質でした。子犬でありながら腕も足も引き締まっていて、迫力がありました。小さい頃はやんちゃで、犬に慣れていない私は飛び付かれ、怖くて泣きそうになったこともあります。でも、一緒に過ごす日を重ねていくうちに、バロンを家族の一員と思えるようになりました。きっかけは私の鬱病でした。高校に通うことが出来ず、一日中ベッドの上で寝込む私の様子を、バロンが度々みに来てくれるのです。度々、私のベッドに潜り込み、身体をピッタリ付けて一緒に眠ることもありました。精神的にドン底だった私はバロンに癒され、少しずつ前向きに病気と向き合えるようになりました。そして、数年後、私は結婚。その頃には、抗うつ剤無しでも生活が出来るくらい回復していました。当たり前ですが、バロンはだいぶおじいちゃんに・・・。結婚後も、たまにバロンに会いたくて実家に帰りました。そしてバロンに元気をもらいました。やがて、私はお腹に新しい命を授かりました。バロンと子供を会わせることがとても待ち遠しかったです。しかし、臨月間近になった頃、母から電話がありました。「バロンがそろそろだから、会いに来てあげて」と。急いで駆けつけると、バロンは痩せ細って、フラフラしていました。もう、走り回ったり、飛びついて来たり、一緒にベッドでゴロゴロしたり出来ないんだ、と思って涙が出ました。私は数日続けてバロンに会いに行きました。会う度、命の火が消えようとしているのが分かって辛かったです。そして、数日後バロンは眠るように亡くなりました。バロンのお葬式をあげることは、家族全員一致で賛成でした。「ペット」を超えて「大切な家族」だったからです。バロンのお葬式は、人間のお葬式とほとんど同じ流れでした。棺桶の中で冷たくなって眠るバロンに花を手向け、見送る時は涙が止まりませんでした。「ありがとう」と何度言っても足りません。バロンのお骨はお墓に納めず、今も実家に置いてあります。お腹にいた娘は4歳になり、バロンのお骨の前に摘んだ花を飾ったり、お話したり、家族の一員だと思っているようです。お葬式が出来たことは本当に良かったです。ペットも家族の一員・・・もし、大切な家族の終わりの日が来たら、ぜひ、お葬式をして、たくさん「ありがとう」を伝えてあげて下さい。
この業者さんでは引き取り手のないペットなどの火葬も請け負っているそうで、その意味でも信頼できる方だと感じました
状況としては、当時13歳で犬としては高齢ではあるのものの、病院の検査でも異常はなく、まだまだ長生きしてくれると思っていた矢先でした。夕方ごろ、ぐったりしているので大至急病院に連れて行ったら、突然死と診断されました。ペットの火葬場については、獣医師が病院内にパンフレットを用意していて、処置が終わった後に教えてくれました。この獣医師の一家とは、先代の犬も含めて20年以上付き合いがあり、信頼できる方でした。ペットのお葬式に関しては、業者も良心的な方からそうでない方まで様々だと思うので、火葬場選びの際は、信頼できる獣医師などの口コミがあればそちらを頼ると安心だと思います。葬式費用は姉が出したので詳しく覚えてはいませんが、5万円前後だったと思います。場所は、自宅から車で15分ほどの場所で、火葬場とペット霊園を兼ねた施設でした。お葬式は家族のみで行いました。ここの火葬場の業者さんは良心的で、火葬の際にペット霊園の紹介をされることはありませんでした。おそらく、ペットとの突然の別れにショックを受けている家族が多いので、現段階でお墓の話など持ちだされても、受け入れられないだろう…という配慮だったのだと思います。この業者さんでは引き取り手のないペットなどの火葬も請け負っているそうで、その意味でも信頼できる方だと感じました。段ボール製の棺桶には、普段使っていたおもちゃや服、リード、あとはお花をたくさん入れて、人間と変わらない感じで送り出しました。火葬すれば骨はバラバラになると思うのですが、こちらの業者さんはどの部位の骨であったかが分かるように、骨格標本のように形を整えてから、家族に見せてくれました。その際、最後のチャンスだからと、写真を撮らせてくれたのですが、これは一長一短の配慮かと思います。骨の写真は見るたび悲しい日のことを思いだしますし、だからと言って、カメラのメモリーから削除することもできないからです。とはいえ、骨の写真を撮っておきたい家族もいると思うので、有り難い配慮だと思います。死後、動くことがなくなり、冷たくなったペットの姿を見ているのは辛かったですし、数日できちんと火葬してもらい、すっきりと気持ちの整理がついて、良かったと感じました。