ペットの葬儀体験談
35歳女性、ペットを民間の霊園で葬式と火葬をして心の整理をした
15年ほど前に、父が知り合いから小型犬のミニチュア・ピンシャーをもらってきました。ペットを飼いたいとずっと考えていたので、嬉しくて仕方がありませんでした。とても可愛らしい顔立ちをしているだけでなく、仕草も行動も可愛いので家族全員が夢中になりました。寝るときは一緒のベッドで眠りましたし、近場であれば車にも乗せていきます。家族の一員として可愛がっていたペットですが、人間よりも犬は寿命が短いという運命は避けられません。定期的に動物病院で検査を受けて、体調が悪いときは治療を受けていましたが、16歳の誕生日を迎えたときには獣医師からもうすぐ寿命を全うすることになるでしょうと宣告されました。悲しいけれど、最後まで見守ってあげることが家族の役割だと考えて、ずっと最後までそばにいました。最後は眠るように息を引き取り、家族全員で号泣をしました。その後、このままにはしておけないのでどうしようかということになりました。市営の火葬場ではペットも対応をしてくれますが、他のペットとも合同火葬になるので骨は拾えないということがわかりました。骨も絶対拾って供養することは家族の意見で一致していたので、民間のペット供養と霊園を運営している会社に依頼することにしました。自宅までペットを迎えにきてくれることもできましたが、車で25分ほどのところに動物霊園があり、さらに小型犬なので自分たちで運ぶことにしました。車で到着すると、霊園のスタッフがすでに準備をしてくれていて、専用のベッドに小型犬を寝かせました。愛犬を囲んで霊園が依頼をしたお坊さんにお経を読んでもらった後、火葬場が霊園の中に併設されているので、最後のお別れをしてくださいと言われました。愛犬が生前に気に入っていたおやつやおもちゃを入れて、全員で体から頭をなででお別れをいいました。火葬にするまでの時間は2時間ほどかかったので、霊園内の待合室で待っておき、終わったら遺骨を拾わせてもらいました。頭蓋骨がそのままの形で残っていましたし、足や手の骨も1つ残らず持ってきた骨壺に入れて自宅に持ち帰りました。霊園なので供養もしてもらえますが、まだ心の整理ができないので当分はそのまま手元供養をしようと考えています。
32歳 女性 最愛のデグーに負担を強いていた内容について
私の家では、高原地域に生息するデグーを3年前から飼っておおりました。飼った当初は、ハムスターと違い手の上に乗ってくれたり懐いてくれるデグーに大満足でありました。しかし、私達が済んでいる場所は非常に僻地で海に囲まれた地域でありましたので、長期帰省する際には、お互いの実家にデグーをゲージごと乗せて、お互いの実家に帰省すると言う形でデグーにつきましては、非常にストレスがかかることをしてしまいました。デグーに気を使うような形でサービスエリアでは、必ず、ドライバーが一人残って、空調を利かすような形で温度管理を怠らないようにしました。しかし、妻の実家で一度驚くべきことがありまして、妻の実家では、猫を2匹飼っているのですが、その2匹の猫がそれぞれ、家の中でも歩き回るし、外にも出ると言う形で、非常にどこでも行く猫でありました。デグーにつきましては、涼しい納屋で、休んでもらうような形で、納屋の奥にクーラーをかけるような形で、特に高原の生物でありますので、涼しい場所に元々生息していることから、夏場についての温度管理だけは慎重にするように心掛けました。しかし、ある晩に、妻のお母さんが、納屋に物を取りに行った際に、猫がデグーを凝視するような形で、ゲージの真近くでデグーを凝視していたのです。デグーについては、警戒音を発するような形で、聞いたことのないような声を発していたと言うことで、妻のお母さんはすぐにデグーを家の中に移動させてくれました。毎年、そのようなことが続き、やはり、デグーにもストレスが溜まっていたのでしょうか?満足にゲージの外にも出してあげることが中々できず、今年の夏に横に倒れ込むような形で目を閉じた状態で伸び切って硬直しているデグーに思わず涙してしまう形でありました。埋葬としましては、僻地でありますので、ペット葬等はなく、家族で専用のお墓となります、安置ベッドをティッシュペーパーの箱で簡易的に作りまして、そこにベッドとなりますティッシュペーパーを敷き詰めて、更にティッシュのお布団をかけてあげるような形で、1日は、一緒に過ごしました。その後は、近くに埋葬する形で、デグーを見送りました。
49歳女 ネコをお寺で供養して気持ちが軽くなった
40代女性です。3年前家族の一員だったネコを病気で亡くしました。ネコがかかりやすい腎臓の病気でした。約16年一緒にいてくれたので老衰も関係していますが、最後はネコがかかりやすい病気で助けることが出来ず今も後悔しています。当時家庭内のもめ事で私は神経が疲弊していました。ネコは高齢ではあったけれど病気の兆候は見られず寝てばかり居るのは年齢のためだろうと軽く考えていたのです。あのときもっとネコの状態をよく見て様子がおかしいと思ったとき病院へ連れて行っていたらもう少し私たちと一緒にいてくれたのかもしれません。丸一日私は後悔と悲しみで体が動かず亡くなったネコと一緒に居ました。ネコはたしかに息がないのだけど寝ているようにも見えて。これから葬式をするというのに私はネコを火葬することをためらっていました。どうにかしてこの子と一緒に入れないかと。現実的にはそんなことは無理。きちんと葬式をして供養することが最善なんだと家族に諭されて翌日ペット供養できるお寺へ。娘と母と私でネコを見送りましたが、ネコを前に住職がお経を唱えているとき私の隣に座っていた娘が横をしばらく見ていたことが気になりました。その後すぐに火葬になったので私たち3人はお寺の中を散策したのですが、その時娘が「お焼香の時指でつまむ砂みたいなものが私の横でふわっと浮かんでてそれに気づいて見てたらスッと下に落ちたんだよ」と言ったのです。私が横を見ている娘が気になったあのとき娘はそれを見ていたんですね・・・。母も私もその現象に気づきませんでした。娘には霊感が少しだけあるのかもしれません。娘が生まれる前から居たネコで娘と大の仲良しでしたから最後にお別れを言いに来たのでしょう。魂は絶対に存在します。体という器がなくなっても魂は存在します。ネコの葬式は順調に進み私たちは心の整理が出来ました。不思議なことがあった葬式でしたがきちんと供養できて良かったです。
35歳男 ゼブラウツボのお葬式をしてもらい、感動しました
ウチの会社の社長が、ある日突然会社の玄関に縦1m、横3m、高さ1mの巨大水槽を買いました。海が好きなので海を常に身近に感じたい、とのことで熱帯魚やイソギンチャクなどを大量に飼い始めました。その中でも一番身体が大きくて長い、白黒しましま模様のゼブラウツボがいました。体はデカイのにとても臆病でいつも水槽の隅の方に居て、餌を食べる時にだけ顔を出してくれるとてもかわいいヤツでした。ある日水槽を見ていると、小さな魚たちがゼブラウツボを虐め始めました。身体をアチコチ突かれてみるみるウチにキレイなしましま模様が無くなっていきました。それを見かねてウチの社員は、囲いを作ってあげて避難させてあげてたのですが、小さな魚たちはその囲いを通り抜けて虐めます。それから約2年、いろいろと対策をしましたが、ゼブラウツボはもっと臆病になってしまい、ある日の朝に亡くなってしまいました。見た目はちょっと怖いのですが、目がとてもキレイでだんだんかわいく見えていたので、亡くなった日はとても悲しくなりました。そんな自分を客観的に見ても愛情を持って育てていたんだ、と思いました。熱帯魚はとてもデリケートな生き物なので、水質や水温などが安定していないとスグに体調を壊し、亡くなってしまいます。今まで何匹もお亡くなりになったのを見てきましたが、このゼブラウツボだけはお葬式をしてあげようと、とういうことになり、会社の経費でペット専用のお葬式をしてあげることにしました。プライベートでペットを飼ったことがなかったので、ペットのお葬式ってどんな感じなんだろう?と思ってましたが、人間と同じ形式でした。お坊さんも、親身に故人(ゼブラウツボ)のことを聞いてくれて、慰めてくれて、ホントに良いお葬式になりました。後日、水槽にはもうゼブラウツボはいませんでしたが、時々水槽の隅っこに隠れているのではないか?と思い、思わず覗いてしまうことがあります。
他の亡くなったペットも、ダンボールやタオルにくるまれた状態で、金網の中に安置されていました
朝起きたら、ペットのフェレットが亡くなっていました。少しすると死後硬直でフェレットの体が硬くなりました。庭に埋めるわけにも行かず、ペットの火葬場へ運びました。フェレットの体をタオルで巻いて、ダンボールに入れました。火葬場に着くと、燃やす所のとなりに金網の安置する場所があり、受付でお金を支払ってから、金網の中に入れました。火葬は一日に何回か行うらしく、他の亡くなったペットも、ダンボールやタオルにくるまれた状態で、金網の中に安置されていました。母と父と私の3人で行きました。フェレットは、がんが多いらしく、家で飼っていたフェレットもしこりがあり、目も開いたままで亡くなっていましたので、とてもかわいそうでした。火葬場に持っていったあとも、心が晴れることはなく、沈んだ気持ちでした。時間がたって、少しずつですが、火葬してあげてよかったな。と前向きに思えるようになりました。はじめは、ペット専用の火葬があるなんて知りませんでしたが、持ってこられている方が意外とたくさんいたので、驚きました。火葬される時間帯は、分かっているので、帰りの車の中でペットの事を思い出しながら手を合わせました。私はフェレットの他にも亀を飼っていましたが、その時は庭に埋めて、お墓をつくり、手を合わせただけだったので、ちゃんと火葬場に持っていき、ありがとうね、と声をかけながらお別れして火葬され、燃やされたあともちゃんと手を合わせたので、供養できたのではないかと思います。ペットとのお別れは、とても辛く悲しいものですが、燃やされている所を実際に見届けるのか、それとも見ていられない方はお別れをしてそのまま帰るのか選ぶことができます。悲しいですが、命あるもの死はいつか訪れるので、ペットが亡くなった場合は、きちんと火葬して、お墓に埋めて、手を合わせて、お別れしてあげたいな、と思います。別れが辛いので、もうペットを飼うつもりはありません。
24歳女性 文鳥を県内のペットセレモニーで気分は落ち着きました
はじめまして。私は一人暮らしをしていて、寂しさを紛らわす為に文鳥を5年前から飼っていたのですが、去年亡くなってしまい、その際ペットのお葬式をする機会がありました。一人暮らしを始める時に、飼いやすいペットはどんなものがあるか調べていた所、文鳥は手軽だという意見を耳にしたので、近所のペットショップで数千円で購入しました。真っ白い毛の色が綺麗で、触る度毛並みがふわふわしていて、感触に癒やされていました。名前は体の色から、「シロ」と名付けました。シロと触れ合う時間は、仕事から疲れて帰って来た時等至福のひとときでした。寝ている時に鳴き声で起こされないかな、と飼う前は不安だったのですが、うちのシロは夜にちゃんと寝てくれるので、そんな心配は要らなかったです。飼い始めて4年半程経った時、いつも帰宅後私の気配を感じてピーピー鳴いて迎えてくれたシロが、余り元気が無いようで、鳴かなくなってしまいました。栄養が足りないのかな?と、カルシウム多めの餌を与えたりして様子を見ていたのですが、回復する気配は無いようで、数日すると以前にもましてぐったりするシロの姿がありました。これはまずい、と動物病院に連れて行ったのですが、先生は保湿が足りないから部屋の湿度を高めれば良くなるよと言われたので、加湿器をゲージ付近に置いて湿度の調節をするなど心掛けてみましたが、体調が思うように良くならない日々は続きました。そして数日後。もう動く事のないシロの姿がありました。それからは、今まで毎日お迎えしてくれたシロはもういない…私の心は穴が空き、不安定で虚しい日々を過ごす事となりました。寂しがり屋の私に4年半一緒に居てくれたシロの事を考えると、お葬式をあげようと思いました。寂しさはあるけれど自分はこれで自分の虚しい気持ちと決別しようと言う気持ちもありました。県内のペットセレモニーで、文鳥も対応してくれる所を探し、火葬・海洋散骨してくれる業者を見つけ、葬儀してもらいました。私の、シロに対する体調管理が足りなかった事が悔やまれました。もっと早く湿度等、文鳥に適した環境を調べたりしてよく考えて整えるべきだったのに。私は飼い主として、本当に駄目だった。寿命を縮ませてしまったのは私だと、亡くなってからしばらくは後悔しました。他の飼い主だったらもう少しは長く生きられただろう、と残念に思う事もありました。でもずっとしょんぼりしたまま生きるわけにもいかないと、シロと過ごした楽しかった日々も思い出す事にしました。生きている間、写真を取っていたのを溜めていたので、その整理をし、スクラップブックを買ってきてカラフルに色をつけ手作りのアルバムを作りました。創作の時間は楽しいものでした。今まで過ごしてきたシロとの時間を思い出しながら一冊作り上げました。見ている方にアドバイスがあるとしたら、大切なペットを急に失い、寂しい気持ちはなかなか癒えないけれども、楽しかった日々に目を向け回想する事もできるんだ、という事でしょうか。もういない事には変わりないけど、一緒にいて良かったと、今でも心から思える。こんなに悲しい思いをするならもう飼わないと仰られる方もおられるでしょう。飼って良かったと心から思える日が来れば良い、と思います。
42歳女性突然の別れ 病院で紹介してもらった愛犬霊園で葬儀 命は大
私は現在42歳の主婦です。実家で飼っていた愛犬の話です。私が14歳の時に我が家へ来てくれた愛犬インディ。父が動物愛護センターから引き取り飼うことになりました。甲斐犬とシェトランドシープの間の子ミックス犬です。愛護センターでは私を僕を見て~!っとアピールするワンちゃんがいる中で、インディは隅っこの方で丸まり大人しくしていた様です。そんなインディが父と目が合い父はこの子だ! と怯えている様なインディを抱えすぐに決めて我が家へ連れて来てくれました。当時私は思春期で親との会話も少ない時期。初めてインディが来てくれた時は驚きと可愛い!久々に素直に喜んだ記憶があります。インディは男の子です。男の子とは思えないほどお顔が優しく癒し系です。インディと言う名前は母が名づけました。映画インディジョーンズ3のシーンで主人公の名前は犬から取ったんだよと微笑ましい物語です。それからは日常に命を大事にしていく事を学べた日々でした。中学生、高校生、大学生の頃も可愛いがってお世話が大変で嫌だと愚痴っていた時もありました。その都度両親は命を大事にすることを教えてくれていました。私が社会人になって彼氏が出来てうちへ連れて来るとインディはヤキモチを妬き来るな~っと彼氏に吠えていた時もありましたね。そして…。12年の月日が流れまだ寒い3月。我が家は家族全員、フルタイムの仕事でなかなか家にいれる時が少なくなっていました。たまたま私がいつも休みではない平日火曜日。インディは普通に横になっているように見えていました。ご飯だよ~と声をかけるといつも元気に駆け寄るのですが、インディは横になったままでした。どうしたの~?元気ないのかな?とヨシヨシさながらお腹を触るといつもの感触ではありませでした。腹水が溜まりボールの様な固くなったお腹でした。驚き冷静でいれなくなりインディ!病院!抱えようとした時尿が出るようにジャーっと肛門から水が流れ出てきました。そして病院に連れて行きましたがそのまま逝ってしまいました…。心の準備なんて全くなかったので両親に泣きながら電話をし次の日は近くの動物の葬儀をしてくれる所に頼みました。火葬後、お腹のある一部分だけ黒く燃えない箇所がありました。おそらく癌だったのではと伝えられました。本当に悲しみでしばらく心が塞ぎお話が出来ないインディにもっと寄り添う事が出来たのではないかと何度も考えました。今は娘がいてこれから犬を飼う事がありましたら私は娘に命の尊さと寄り添いながら一緒に暮らせたらと思っています。
60歳男性 大型犬を公営の斎場で火葬。あれで良かったと思ってます
静岡県の地方都市に夫婦二人で住んでいます。子供のころから犬が大好きでしたが、アパート住まいだったため飼うことができませんでした。社会人になり、結婚し、いよいよ自分の家を建てることができ、完成とほぼ同時に飼い始めました。今から30年ほど前のことです。飼うのは超大型犬、色は黒にしたいという希望があったため、ニューファンドランドに絞って、何軒かのペットショップやブリーダーを当たって、ようやく手に入れることができました。1年を過ぎると体重55kgほどの立派な体格になり、それはそれは自慢の犬でした。当時はまだまだ、大抵の犬は外で飼われており、わが家でも当然のように外飼いでした。リビングの軒先に大きな小屋を作ったのですが、これが失敗? 小屋に入りたがらないのです。たぶん臭いの関係なんだと思いますが、そのまま軒先で生活するようになってしまいました。当然雨が降れば濡れてしまいました。でも、当時の私はそれをあまり深く考えなかった。大雨の日にずぶ濡れでたたずんでいた光景は今も私の心を締め付けます。彼がそれを望んでいるはずがありません。どうして何とかしてやらなかったのか。毎朝、散歩には連れて行ってたし、それなりにかわいがってたつもりですが、美容室に連れていくこともほとんどせず、雨に濡れたままにしておくと、毛玉ができたし、頻繁に皮膚炎にもなっていました。当時、大型犬の寿命は10年だといわれており、彼は12歳まで生きたのですが、晩年になって体力がなくなり、皮膚の状態が悪くなってしまっていたんですね。私はそれさえもきちんと受け止めてやらなかった。最期はかわいそうな状態でした。文章にするのはやめておきます。亡骸は公営の斎場に連れて行きました。今はペット専用の霊園がたくさん設置され、人間のような葬儀をするところもありますが、必要以上に手をかけることはしたくありません。葬式?はあれで良かったと思っています。今でも、法事などでその斎場を訪れる際は、必ずペットの慰霊碑に
想像していたより、スタッフの方々は親切だった
費用は約2万円程度でした。またお墓をたてるのかでかわっていきます。私はお墓は立てず、他のペットと同じ埋葬場を選択しました。他にもオプションが別途であり、ペットの写真をつけた小さな墓石?やキーホルダーなどありました。人間同様、お家で仏壇を作れるようなセットもありました。亡くなった時点で「ペット霊園」に連絡しました。その電話応対で詳しく連れていく方法などを教えていただき、連れて行きました。火葬場まで一緒に行き簡単なお経があげられ、お別れの言葉を伝えられるじかんが設けられて、その後火葬しました。お骨拾いは無く、集団埋葬場に納骨されました。場所に案内され、説明等あり終わりです。急な出来事だったので、都合のつく家族で行いました。ペット霊園は、行く前はもっと簡単に業務的に行われるのかと思っていました。想像していたより、スタッフの方々は親切で何も分からない私達に優しい口調で教えてくださいました。人間のお葬式ほどではなく、30分程度のお葬式でしたがそれでも火葬する前にきちんとお別れが伝えられたこと。お経があがったことで気持ちの整理がすこしついたこともあり、お葬式をあげることの大切さをかんじました。今までの思い出を思い返したり、涙が止まりませんでしたがお葬式を行えたことで悲しみに向き合えた気がしています。人間と違い、ペットを軽視する業者もあるかもしれません。ペットを大切な存在だったと感じていたなら、死というお別れはとても悲しく辛いものです。きちんとお別れをする場で嫌な思いをしないように、お別れの場できちんと悲しめるように、選べるのであれば業者は選んだほうがいいと思います。電話対応などでも感じるところがあると思いますので、まずは電話してみることをお勧めします。金銭面の問題で盛大なお葬式は行えなかったですが、飼い主の方が納得できるお葬式であれば盛大なものでも、小さなものでも構わないと思いますが、お葬式は行ったほうが良いと思います。
29歳女・ハムスターを隣市のペット霊園でお葬式をし、区切りがついた
こんにちは。29歳、既婚、事務職の女です。子どもはいませんが主人とふたり、仲良く過ごしています。私たちが初めてお迎えしたペットは、キンクマハムスターの女の子でした。春の季節にお迎えしたから、名前は「はる」ちゃん。家に来たときはとても小さかったはるちゃんはみるみる大きくなって、活発で好奇心旺盛なおてんば娘になりました。その割にビビりなところがあって、とってもかわいい子でした。そして、絶対に人の手を噛むことをしませんでした。当時、私は精神病を患っていました。症状は酷く会社も休職状態、毎週のように通院していました。そんな私を癒してくれて、復職できるまでに回復させてくれたのは紛れもなくはるちゃんでした。はるちゃんは小さいけれど、私の中で何より大きな、大切な存在でした。ある日、はるちゃんの左目の上に傷があることに気づきました。血は止まっているようですが、深い傷のようです。いったいどこで?いつ?狼狽しましたがその日は夜遅く、翌日に動物病院に連れて行くことにしました。病院へ連れて行ってから一週間で、はるちゃんはお空へ昇っていってしまいました。目の傷にバイ菌が入り、化膿して感染症にかかったのかもと先生は仰っていました。一週間、毎日のように通院し、投薬したり傷口に処置をしてもらったり、点滴をしてもらいましたが、助かりませんでした。はるちゃんが息を引き取るまで、私と主人は傍で見守っていました。はるちゃんは息を引き取る間際、手を伸ばしたのです。私ははるちゃんの手をそっと指で触りました。それからすぐ、はるちゃんは息を引き取ってしまいました。悲しくて苦しくて、それでも私は泣き崩れることはしませんでした。すぐにはるちゃんのお葬式の準備にかかったのです。亡くなったのは早朝でしたが、今日中に行わなくてはいけないと思い、悲しみより先に体が動きました。ペットのお葬式は生まれて初めてのことでした。とりあえず、ネットで今日中に葬式を執り行ってくれて、自宅からそんなに離れていない霊園を検索し、連絡を取りました。霊園の方は快く応じて下さいました。ハムスターならばティッシュ箱などを利用して安置する方が多いと教えて頂き、火葬できるものやできないものも教えて頂きました。教わった通り、ティッシュ箱にやわらかいタオルを敷き、はるちゃんを寝かせます。はるちゃんが好きなごはん、おやつ、私たちの写真を一緒に入れました。それから、霊園に行く途中の花屋さんで、はるちゃんに似合いそうなお花を買い、はるちゃんの周りに敷き詰めました。ペット霊園に着くと、スタッフの方から葬儀、火葬、供養の説明がありました。私たちは個別火葬、つまりほかのペットと一緒に火葬することはせず、はるちゃん単体で火葬してもらうことにしました。お骨は後日、自宅へと持ち帰ることにしました。葬式は私と主人二人だけで、お経を読んでもらい、ご焼香をしました。ここでようやく、はるちゃんが死んだことの悲しさが波のように押し寄せてきました。涙が止まりませんでした。火葬の前に、はるちゃんの姿を見せてもらいます。花の中で眠るはるちゃんを見て、嗚咽しました。はるちゃんを焼かないで。いなくならないで。そんな思いでいっぱいでした。はるちゃん、ありがとう、おやすみ。そんな言葉をかけることしかできませんでした。帰りの車の中でも、私は泣いてばかりでした。家に帰ると余計にはるちゃんがいないことの喪失感がすごく、家の中がとてもさびしく感じました。私が、もっと早くケガに気づいてあげられていたら。ケガをしないようにもっと気をつけていたら。もっと治療に専念できたんじゃないか、もっとできることがあったんじゃないか、投薬も処置もはるちゃんにとっては痛くてつらかっただろうから、そんなことしないほうがよかったんじゃないか、私は治療のためにひどいことをしていたんじゃないか……。もっといろんなごはんを食べさせてあげればよかった。もっといっぱい遊ばせたかった。後悔ばかりでした。胸が痛くて苦しくて、涙が止まりません。それからしばらくは、仕事が終わってもすぐに家に帰らない日が続きました。はるちゃんのいない家に、帰りたくなかったからです。お骨を受け取りに行く日、また主人とふたりで霊園を訪れました。白いカバーがかかった小さな骨壺。これがはるちゃん?なんだか信じられませんでした。でも、家の中にはるちゃんが帰ってきてくれたんだと思うと、少しだけ安心したようにも感じます。それから毎日、出勤前にははるちゃんに声をかけています。仕事から帰れば、ただいま、と声をかけます。今でも、はるちゃんは私たちにとってかけがえのない存在です。ハムスターの寿命が短いことはわかっていました。でも、一年にも満たなかったはるちゃんの命は短すぎました。今振り返っても、それは私のせいなのではないかと自責の念に駆られます。きっとずっと、変わらず後悔し続けるんだと思います。でも、後悔とは別で、お葬式自体はやってよかったと思っています。子どもの頃はハムスターが死んだら裏山に埋葬していましたが、今ではそれなりの都会に住んでいるのでそんなわけにはいきません。火葬したことでお骨を持ち帰ることができ、はるちゃんはずっと家の中にいてくれます。葬式は人間の自己満足かもしれません。でも、そうでもしないと気持ちに整理がつきません。区切りもつきません。自己満足でいいと思います。私は自己満足です。大切なはるちゃんを、しっかりした霊園で人間と同じような葬式をしてあげたかったのです。はるちゃんはまるで、私たち夫婦の子供のような存在でしたから。今後、はるちゃんの黒位牌を作成してもらい、仏壇もきちんとしたものを購入する予定です。やるからにはそこまできちんとやりたいのです。骨壺の前にははるちゃんの写真が飾ってあります。写真の中のはるちゃんは、幸せそうに眠っています。同じように今、安らかに眠ってくれていたら。後悔ばかりの私ですが、心のどこかでそんなふうに思っています。はるちゃん、ありがとう。大好きだよ。はるちゃんはずっと、私の大切な子だよ。骨壺が目に入る度、そんな言葉が自然と胸に浮かびます。