ペット供養体験談

53歳、女、メス犬、供養してもらっていない、いつも忘れないでいる事
初めまして。fuku-nyanと申します。よろしくお願いします。そのワンコには21年前に出会いました。新聞のペット紹介に出ていて、そのお宅の旦那さんと娘さんがとりあげた犬だというので、愛情をたっぷりと与えてもらっている、優しい犬なのではと思い、会いに行きました。
初対面のとき、彼女は縁の下からこちらをじっと見ている、一見臆病な子に見えましたが、他の子のようにすぐにお腹を見せるようでは番犬に向かないと思い、連れて帰る事を決めました。
実は、私の息子は大の犬嫌いで、その為にいじめにあっていました。でも、自分の犬を飼えば、それが直るのではとの想いが私と夫にあって、一か八かで飼うことにしました。おかげで彼の犬嫌いは治り、道ゆく散歩している犬を、ニコニコ笑いながら「かわいいねぇ。」と言うほどに変わりました。そんなありがたい存在のワンコですが、最期はガンに罹り、げっそり痩せてしまい、「もうお別れは近いな。」と覚悟せざるを得ない状態になりました。
ペット墓地の情報を友人たちに問い合わせ、「寂しがると可愛そうだから。」と近場でいい場所はないかと考えていたところ、息子の誕生日にキャンキャン泣いて立てなくなってしまったのです。病院に連れて行くと、身体中にガンが広がっていて手の施しようがない、安楽死を考えた方がいいでしょう。」と言われました。
あまりの苦しみようで、泣く泣く安楽死を選んだのです。病院で柔らかなタオルに包んでもらったワンコは安らかな顔をしていました。暫くワンコの側から離れなかった息子は、自分の部屋からいつでも見る事ができる庭にお墓を作りたいと訴えてきました。それを聞いて、何も言わず父が庭に大きな穴を掘ってくれ、埋葬しました。
11年間楽しい想い出をくれて有難うと合掌しました。ワンコの命日は、息子の誕生日なんです。彼の希望で、誕生日はワンコを偲ぶ日となり、翌日に誕生祝いをする事が、我が家の慣習となりました。
毎年ワンコの命日には、息子が可愛らしい花束を用意して、長い時間、祈りを捧げています。人間もそうですが、供養は形ではないと思います。失くした相手を想い、偲ぶ事が大切なのではないでしょうか。分かりづらい文章で申し訳ありません。ありがとうございました。
50歳女性、家族みんなで見送ることができ、良かったです。
私は相当な田舎に住んでいます。
この子は最初のペットとして家に来ました。
出会いは田舎ではよくありがちな話なんですが、友達の家で生まれ、引き取り先が見つからず家にやってきた子です。
コリーと何かの雑種だとは言われていたんですが、よくわかりません。
でも毛がモコモコしていてとても可愛い子でした。人懐こく、ほんとに優しい子でした。
名前は単純ですが真っ黒だったので「くろ」と名付けました。
家に来たばかりの頃、散歩をしていたら熊の子が歩いていると噂になったくらい真っ黒でしたね。
優しいと言えばこんな話がありました。
ある日、家に迷い込んで来た猫の子を母親代わりに大事に育てていましたね。
実は「くろ」はオスだったんですが母親みたいでしたよ。
よっぽどその子が可愛かったのか、私たちにも触らせてくれませんでした(笑)。
外で飼っていたためあまり目も行き届かず、それが今でも後悔していることです。
寂しい思いもさせてしまいました。
だからその子猫が家族みたいだったのかもしれません。
最後も私たちが仕事に行っている間に天国に行ってしまいました。
あの時は突然逝ってしまったように思いましたが、今になって考えてみると、実は具合が悪かったのかもしれないです。
亡くなった後は、家が田舎にあるので畑の一角の人が歩かない所に埋めて、お墓を作りました。
母はお経が読める人だったので、家族でお葬式をあげました。
お花を飾って、おやつを一緒に入れてあげて、みんなで見送りました。
都会とは違う供養の仕方かもしれませんが、そばにお墓があり、気が付いた時にいつでもお墓参りができるので、それだけは良かったと思っています。
今でも、もっといろんなことが出来たんじゃなかったかとか、たくさんの後悔だらけです。
でもその子にしてあげられなかったことが、次に来た子を育てることの教訓になって「くろ」の供養にもなるんじゃないかと思います。
これからも可愛かった「くろ」のことを忘れることはないと思いますが、先に進むことも悪いことではないのかと思います。
41歳男トイプードル、甲府のみんなのペット火葬無事終了ペットロスへ
私が愛犬のトイプードルにであったのは、今から16年前です。犬は2匹目でどちらもトイプードルです。ペットショップで購入しました、もともと犬はすきでしたし、トイプードルは中でも、頭もよく、評判がよかったので、以前からきになっていました、16年前というと今ほどペットブームではなかったです。
室内犬も少なかった気がします。インターネットも今ほど普及してないよな状態でした、私は、早くから、インターネットはつかっていました、犬の情報はよくあつめていました、愛犬はであったときには2歳でした、とてもかわいらしく小さかったです。10年以上は生きると、ペットショップのかたにいわれました、
いつも家でインターネットばかりやっていて、さみしいときもありましたので、私は、トイプードを購入しました、名前はクックと名付けました、なかなか珍しい名前だとおもいます。当時から動物病院や、インターネット環境もあり、犬の体調不良などには、対応できていました、めだった、病気もなく、クックとは、毎日散歩を1時間ほどしていました、芸をおしえたりするのも楽し思い出です。携帯に写真ものこっていますし、写真もバックアップしてあります。
楽しい思い出ですから、しかし、芸は頭がいいのでご褒美を上げるとよく覚えました、私が一人でスーパーに買い物にいくときなどは、カゴの中ではしりまわって、オイ、私もつれっててよといっているようでした、そんな姿も愛らしくなりました、しかし、人間と犬では、寿命が違うのが現実です。
12歳になったときから、食欲がどんどんへってきて、愛犬のトイプードルは死にました、私はしばらく、ペットロスに陥りましたが、供養しなくてはと、インターネットで情報をあつめました、土葬と火葬で迷いましたが、衛星的な面で火葬にしました、火葬当日は、犬を棺桶にいれました、この時火葬には、結構いれちゃいけないものが、たくさんありました、
スタッフさんに助言をあおぎました、無事火葬をおえましたが、今でも思い出の写真をみて、お酒なんかを飲んで、一緒にすごした、楽しい思い出を思い出しています。愛犬を失うのは、現実です。ペットロスになりましたが、他のかたも、気持ちの整理をしておくのがいいと思います。
37歳男 猫 大阪のペット葬儀業者 ある意味悲しみから脱した
現在、37歳の京都市在住の男です。3年前の夏に愛猫「ダニエル」が旅立ちました。ダニエルとの出会いは、それより12年前、同棲中の彼女(後の奥さん)の職場の某老人ホームにて、他の職員さんが餌付けをしてしまい、頻繁に現れるようになった猫に困った、施設の責任者が保健所に連絡をしようとしていたところを、保護したのが始まりでした。
後に2回一緒に引っ越しをし、私たちは結婚し、二人の娘が生まれました。不思議だったのが、私や、奥さんは何もしていなくても、よく噛まれるのですが、ふたりの娘には、一度も噛みつかなかったことです。赤ちゃんだった娘に尻尾をギュっと握られて、耐えている姿をよく見ました。そんな後、決まって私か、奥さんを噛みにきていました。
ダニエルなりに娘の事を妹の様に思ってくれていたのでしょうか?よく娘が泣いていたら傍にきてジッとしていました。また、人懐っこい猫で、来客があるたび、客の膝に乗ろうとしておりました。猫好きの友人には非常に人気がありました。
困った事といえば、よく吐く猫でした。餌は、市販のカリカリ、缶詰、猫のおやつ等をあげていたのですが、どれを食べても、あまりによく吐くので、病院にも連れて行ったのですが、特に問題はみつかりませんでした。今では、この時にもっとちゃんと調べてもらっておいたら、と悔やまれます。
普段はとても元気で、かつお節の袋を開けた時などは、飛びついてきたので、特に心配はしていませんでした。ダニエルの最後は重度の糖尿病で、もう手の施しようがないとの事でした。
昨夜まで元気にしていたダニエルが、ある朝急にゼーゼーと苦しそうにしてほとんど動かなくなったのです。病院に連れていくと、上記の様な事を言われ、家族で覚悟を決めました。2階の寝室に上がることができないので、1階で皆で寝たり、トイレも行く事が出来ないだろうと、娘二人がトイレシートを引き詰めた箱を作ってくれました。3日後 ダニエルは旅立ちました。娘達が作ってくれた箱はそのまま棺となりました。
スマホで検索し、ペット葬儀の業者を見つけ、娘達が小学校に行っている間に業者に引き取りに来てもらいましたが、業者が45分程、遅刻してきました。仕事も自分の中での感情が悲しみと、怒りで爆発しそうになりました。こんななら、自分でペット供養のお寺に行くべきだったと、強く思いました。
3年たった今でも、ふと娘のヌイグルミやクッションを蹴ってしまった時に「ダニエルごめん!」と言ってしまいます。
30代男性愛犬をペットセレモニーホールさんで供養穏やかな気持ちです
私は現在東京都に住む30代の会社員です。
私が10歳の頃から一緒に過ごしていたラブラドールレトリーバーとの別れについて書きます。
出会いは私が小学5年生の頃、父親が一目惚れして家族に相談もなしに連れて帰ってきた日でした。
私が習い事から帰ってくると、家の中がものすごく騒々しく、何事かと思ったことをよく覚えています。
3か月で貰われてきたので、その子は子犬というには既にすこし大きく、
私より小さな、弟、妹は初めは怖がっていました。
それでもかわいいイエローのラブラドールの女の子は我が家の一員となり、
当時流行っていた迷犬ロシナンテの災難というドラマからロッシーと名付けられました。
最初は噛まれるのを怖がって長袖の袖口で手を隠して撫でてみたりと
今思うとビクビクとした触れ合いだったなと思います。
それでもそれからの約10年間私たちはいつでも、どこに行くにも一緒でした。
小さいころに一緒に散歩に出ると、ロッシーの力の方が強いのでいつも引っ張られて
水が大好きな彼女は、池や海、川を見ると理性をなくして突っ込み、一緒にびちょびちょになったことも
ありました。
彼女が3歳になった頃からは少しロッシーもお姉さんになり、散歩でも妹がちゃんと付いてきているか
など後ろを気にしてあるいてくれていたのをよく覚えています。
そんなロッシーが亡くなったのは彼女が10歳になった頃でした。
少し前から病院に行く機会も増え、薬を飲むことも多くなってきていたので
多少覚悟していたとはいえ、まさかロッシーがいなくなる日が来るなんて思ってもみませんでした。
7月7日の夜、彼女は最後に実家で私も含め全員がリビングにいるタイミングで
今思えば最後の挨拶だったのでしょう。
一人一人にくっつくようにしてから、一人で奥のベッドのある部屋へ歩いていきました。
そして彼女はそのまま一人亡くなってしまいました。
一緒にいられた時間に後悔はありません。
ただ、もっと健康に気を使ってあげられたら、ケガを予防してあげられたら
もう少し一緒にいられたのではないかと思う日はあります。
ペット供養はマンション住まいでしたので、車で来ていただけて
その場でしていただける業者の方にお願いしました。
当時大学生だった私は棺にロッシーを入れ、最後の別れをした後茫然自失でした。
いつもそばにいた家族がいなくなり、家庭内の会話も本当に少なくなってしまいました。
それから1年し、今実家にいる新しい家族を迎えるまでの時間は本当につらいものでした。
皆様へアドバイスがあるとすれば、
別れを怖がらず、次の家族を迎え入れることで今の悲しみは紛れますし、
家族の会話は増えますよということでしょうか。
いつか来る別れを恐れず、今を幸せに一緒に生きることが一番大切だと思います。
28才女性自宅の庭に埋葬 後悔はなし
私は関西在住の28歳の主婦です。
私は3人兄妹の末っ子で小さなころはいつも兄たちの下っ端扱いを受けていましたので「末っ子はとてもイヤだ。私にも弟か妹が欲しい」と親に泣きついていたのを覚えています。そんな折に出会ったのがミニウサギのランでした。
ペットショップの店先にあるゲージの中には何匹もの仔ウサギが入れられていたのですがそのうちの一匹と見つめあったまま離れられなくなったのです。最終的に親も折れ、うちに小さな仔ウサギが迎えられました。実家の庭の周囲を囲い、ランのために開放され、父はホームセンターで木材を買ってきてウサギ小屋を作ってくれました。
犬や猫に比べて短命なウサギですが、ランは8歳まで生きました。ウサギにしては長生きです。最後の1年はもともと茶色がかっていた毛もすっかり白くなり体つきもほっそりとしていました。週に一度動物病院で栄養剤とホルモン剤を注射して、細くなった食を取り戻し数日経つとまた食が細くなる…そんなことを繰り返しはいたけれど私や母が声をかけるとゆっくりではありますが近寄ってきて頭を撫でるよう催促してきました。本当に賢くてかわいいウサギだったのです。
高齢になったランは庭のウサギ小屋を離れ、玄関先に置かれたウサギケージに住んでいました。うちを訪れる人は皆、ランに挨拶していったものです。
ランはそのケージのすみで静かに眠るように亡くなりました。雨の日の朝でした。呼びかけても反応がないので撫でてみるとほんのり温かく、逝って間もないのだと察しがつきました。
ランは実家の庭の片隅に埋葬しました。まだ元気だったころ自由に駆け回った庭に。ランが大好きだったブロッコリーやイチゴやバナナ、公園で摘んできたシロツメクサの花なども一緒に埋めました。本当はちゃんとしたペット火葬をお願いしたほうがよかったんでしょうけれど当時は犬や猫の火葬はあれどウサギに対応しているところが無かったし、家族のそばに居て欲しかったので家族みんなで話し合って庭に埋めました。
ランがこの世を去ってだいぶ経ちますが今でも実家に帰って庭を見ると思い出します。ランが家庭菜園のキュウリを食べちゃったことや抜け穴を掘って庭から脱走して兄と周辺を探し回ったこと。ランを庭に埋葬したことに後悔はありませんが、もし今同じ選択をするかと言われたら正直わかりません。ちゃんと火葬してお骨にして仏壇などに納めるかもしれません。でもあの時ランを庭に埋めたのは当時私たち家族にできる精一杯の家族葬でした。
26歳女性 愛犬をペット専用協会で供養してもらい、心の整理が
26歳、会社員の女性です。
一昨年に14年間一緒に暮らした愛犬を亡くしました。
幼いころから動物に囲まれて育ってきました。愛犬を買うきっかけは、同居していた祖母がかわいがっていた雑種の中型犬が老衰で亡くなってしまい、家の中がガランとしたようで寂しかったからです。10歳の誕生日に両親に懇願して、ラブラドールの女の子をお迎えしました。
ブリーダーさんからお譲り頂くときは「一番元気な子がいい」と思い活発な子を選びましたが、あまりにも陽気な子で、家族全員手を焼きました。家具家電はよく破壊され、しっぽでお風呂場のガラスを割ってしまったこともありました。ようやく落ち着いたと思ったのはたしか8歳になったころです。
最期をなんとなく感じ始めたのは、愛犬が12歳くらいになったころでした。足腰が弱り、長い距離が歩けなくなりました。ごはんを食べるときにつかれてしまうのか、座り込んで食べるようになりました。それでも散歩は好きで、よたよたと近所を歩く姿を見たときに、もっと元気な時に遠くまで一緒に歩けばよかったと後悔をしました。
14歳の誕生日を迎えたころには、部屋のど真ん中に敷いた子供用布団の上で眠っている時間が長くなりました。目も耳も悪くなり、近づいてもすぐに気づかないことが増えました。それでも撫でてあげると、若いころと変わらない力強さで尻尾をふる健気さに、家族全員支えられていました。
その日の朝ももうほとんど歩けなくなってしまった足腰で、父に支えられながらなんとか自分の足で外に出ていき、トイレをしました。真冬でしたが天気のよい、いい朝でした。
家の前で少し匂いを嗅いだりした後に、ゆっくりと家に戻ってきて、いつものリビングの布団の上に横になると、そのまま静かに亡くなりました。家族全員が一緒にいる日曜日の朝でした。
最期まで家族孝行な子だったね、と言いながら、その日のうちにペットの火葬場を探し連れて行きました。協会が併設されているところで、簡単でしたが法要もしてもらうことができました。お骨は雪が解けた春に、庭の一番大きな樹の下に埋めました。
正直大型犬を対応してくれる火葬場を探すのは大変でしたが、丁寧に対応していただけるところに出会えてよかったです。ラッキーでした。
もし愛犬を亡くしたら、と考えるだけでどうなってしまうか自分でも想像がつきませんでしたが、供養をしっかりとすることで心の整理が早めについたように思います。いまでも何度も愛犬のことは思い出しますが、そのどれもが楽しい思い出のことばかりです。
18歳男愛犬を家で供養してもらい気持ちが少し晴れた
初めましてhondamamoと申します。
私がまだ10歳のころ、飼っていた犬の話です。
飼っていた犬は、ミニチュアダックスフンドで名前はピケという名前でした。私はそのころ小学生で少年野球チームに所属しており、その日も練習で疲れた帰りでした。家に帰ると私の祖母が泣いていたので話を聞くと「ピケちゃんが死んじゃった」と祖母は言いました。私は驚いてピケの側に行くとぐったりと倒れていてもう息をしていませんでした。2週間ほど前に散歩のときもほとんど歩かなく抱っこして帰っていたので動物病院に連れて行ったのですが、先生に「年だから散歩はあまりしなくていい」といわれたため、家の中でずっと寝ている状態でした。いつかこんな日が来ることは薄々わかってはいたのですが、実際に来てみると涙が止まりませんでした。
私の父はお経を日頃から上げていたため自宅で供養することになりました。生きているものには全て寿命がある、これは自然の摂理だから仕方のないことだと思ってはいたけれど悲しくてたまりませんでした。
昨日まで普通にいたピケにはもう二度と会えないのは悲しかったですが、人間が生きていく中で毎日肉や魚、野菜や果物などいろんな命をもらって生きていること、そして、それらに対する感謝の気持ちが高くなったと思います。人生において身近なものの死は避けては通れないことなので、ピケにはとても感謝しています。もっと一緒に散歩したり遊んでおけばよかったという後悔は少しありますがピケの死が教えてくれたことを忘れず日々感謝して生きていこうと思いました。
また、ピケの遺体は自宅の庭に埋め自然に返しました。そしてそこに花を植えました。
ひまわりの花です。毎年多くの種をつけてまるで今もピケがすぐそこにいるように思えます。
見ている人がいるのなら1日1日を大切に過ごしその当たり前の日常に感謝していくことをわすれずに、たくさんの思い出を作ってください。
15歳女 ペット供養でやっと別れを受け入れることができた
私が小学生だった頃、一人っ子だった私のことを思い、母がペットを飼ってくれました。動物嫌いな祖母がいたため、犬や猫などの大きなペットではなく、モルモットという小動物を飼ってくれました。私は動物が大好きでしたが、祖母が動物嫌いだったため、ペットを飼うことをずっと我慢していました。しかし、母がモルモットを飼ってくれたおかげで、やっとペットを飼うことができ、とても嬉しかったことを覚えています。
私はモルモットにミーと名付けました。兄弟姉妹のいない私は、家にいる間はずっとモルモットと一緒です。一緒にお風呂に入ることもあれば、猫じゃらしのようなもので遊んであげることもありました。初めの頃は赤ちゃんだったミーもすくすくと成長し、そして私も中学生へとなりました。モルモットの寿命は大体5~7年程度だと言われているので、中学生だった私はそろそろミーもおばあちゃんになっている頃なんだなと、なんとなく思ってはいました。
そして、別れは突然やってきました。忘れもしない、私が中学3年生で、ちょうど受験生の大事な時期に入っていた頃でした。ミーがお尻から血を流し始めたのです。私は動物病院にミーを連れていき、すぐに処置をしてもらいましたが、体が小さすぎるために何も処置することができないとのことでした。しばらくしてミーは死にました。
突然の別れに、私は動揺し、死を受け入れられずにいました。ご飯が喉を通らず、勉強にも集中できず、1週間で3キロ近く痩せました。ずっと泣いているため、目は腫れて、こんな姿を友人に見せたくないと、学校に行くのを渋りました。そして1週間が過ぎ、みかねた母が私を連れて、近くのお寺に連れて行ってくれました。
お寺に着くと、住職が私達を向かい入れてくれ、ミーの遺体を前にお経を読んでくれました。私も手を合わせ、ミーが無事に天国に行けるよう、ひたすら願っていました。そしてお経を読み終えた後、住職がこんな話をしてくださりました。「死んだ人は残された人のことが気がかりで仕方がない。自分が死んだことで周りの人がいつまでも自分の死を悲しんでいると、天国に行きたくても行けずにこの世にとどまってしまうことがある。」と。私はそれを聞いてハッとさせられました。ミーが天国に行けることが今は一番の私の願いであるということを、その住職に教えられた気がしました。
お寺から帰って、ミーの遺体を家の畑の横に埋め、小さなお墓を作りました。不思議と、気持ちが軽くなり、やっとミーの死を受け入れることができた自分がそこにはいました。ペットの死が受け入れることができず苦しんでいる人は、自分の気持ちに区切りをつけるためにも、ペット供養をした方がいいかもしれません。私もペット供養をしたことで、無事、ペットの死を受け入れて日常に戻ることができました。
51歳女性 動物霊園でお経をあげてもらったら気持ちが落ち着いた
私は以前、飼っていたペットが亡くなった時に、動物霊園にそのまま行きました。
すると、そこの管理人さんがお経をあげてくれました。
人間の供養と同じようなやり方でしたが、長年、家族と一緒に暮らしてきたペットだったので、私の中でも気持の整理をつけることができました。
これで無事に天国へ行ってくれるだろうと思いました。
ペット大国となった日本では、人間並みのお葬式を挙げる場合もあります。
私はそこまで大げさにはしたくはなかったのですが、やはり供養だけはきちんとやっておきたいと思いました。
そのあと、彼岸の時期になると、毎回、お墓参りに動物霊園で行きました。
その時は人間と同じようにお線香やろうそくを供えました。
他にも彼岸に亡くなったペットのお墓参りに来ている人達がいました。
生前、ペットが好きだった物をお供えしている人もいました。
ペットは人間ではないので、言葉が通じなくても、やはり家族と同じ存在だったのだということを改めて思いました。
私はしばらくペットロスになりましたが、ペットの供養を行うことで、気持ちが少しずつ落ち着いていったように思います。
そして、改めてペットを飼う時に心構えというか、最後まで面倒を看ることの大切さを知りました。
人間の場合は一般的に子供の方が親よりも長く生きるので、親が子供の面倒を最後まで看るということはあまりないと思います。
しかし、ペットの場合はほとんど先に逝ってしまうので、やはり飼い主が最後まで責任を持って世話をする覚悟が必要だと感じました。
とはいえ、ペットの一生は長く、その間にいろいろなことがあると思います。
どんな場合でもそのつど対処できるように、ある程度将来を見込んで行動していったほうが良いのかもしれません。
現在は一昔前よりも、ペットの高齢化が進んでいます。
その分、ペットは長生きするようになった分、亡くなった後の気持ちの整理の付け方も大切になっていくと思います。
やはり、きちんと供養をして、自分の気持ちの整理をしっかり行っていきたいものです。