ペット供養体験談

2023年2月21日

49歳男 愛犬をみんなで実家で供養してもらい天国で幸せにいてほしい

私は所帯持ちの中年男子でこれまでペットを飼ってきました(犬、猫、ハムスター、金魚、チンチラ(ねずみみたいな)、ミニウサギなど)。いずれのペットたちも亡くなったらすべて埋葬してきました。そのなかでもやはり犬は長い間、一緒に暮らしますし想い入れもあります。ミニチュアダックスを飼っていてブリーダーに繁殖依頼し親子全部で3匹飼っていました。

子供が2匹、親は1匹です。一番最初に亡くなったのは意外にも一番元気な子供の犬でした。腫瘍があり手術をしたのですが手術は成功したのですが容体が急変し亡くなりました。

亡くなると思っていなかったので悲しく寂しい気持ちになったことを忘れません。冷たくなったラブちゃんを実家の敷地の一角に好きだった小物と一緒に埋葬しました。それが4年前のことです。ラブちゃんが10歳の時です。

元気な子でしたので活発に動き回る無邪気なことしか思い出せないです。そんな子がこんなに早く亡くなるなんてという想いしかありませんでした。残念で残念でなりませんでした。手術をしなかったらよかったのではないのかとか手術後、いっときも離れず一緒にいれば急変に気づけたのではないかとか後から思い返すと後悔に近い部分があります。

ラブちゃんがうちにきてくれたことに感謝していますし可愛がっていましたから私たちも幸せでしたがラブちゃんも幸せだったと思います。3匹のなかで一番先に亡くなった犬だったのですまなかったという気持ちが3匹のなかで一番強いです。

せめて母親犬よりは長生きしてほしかった。運命なので仕方ないですが。私の習慣なのですが毎朝、お経をとなえておりますがその際、これまで亡くなっていったペットたちが安らかにとお祈りしております。

ペットたち以外についてもお祈りしていますが。それが私にできる唯一のことかと思っていますので。本当に安らかにいてほしいです。同じような方は数多くいらっしゃると思いますが私と同じように安らかにとお祈りすることをおすすめしたいです。それが誰でもできる供養だと思いますので。

49歳、男性、愛犬ハナちゃんの眠るお墓で供養。少し楽になれたかも

私は49歳、男性、会社員です。我が家には女の子のコーギー犬がいました。名前をハナちゃんと言います。
ハナちゃんは14年ほど我が家にいたのですが、残念ながら病気で他界してしまいました。病状は癌だったのですが、最後の方は、本当に体力的にハナちゃんにはキツかったようで、それはそれは見ていられない状態でした。

ハナちゃんとは町のペットショップで出会いました。本当は我が家では犬を飼うつもりはなかったのですが、ふと出会ったハナちゃんに一目惚れしてしまったのです。ペットショップを出る時には私の中ではもうハナちゃんという名前は決まっていたくらいです。でもその時、実はハナちゃんがメスだったという事に気付かず私はハナちゃんという名前を決めてしまっていました。もし男の子だったらどうなっていたのだろうと今でも苦笑いしてしまう事があります。

私には一つだけ後悔している事があります。それは私たち家族はどちらかというと内向的な部分があるので、あまり外には出ないという事がありました。そんな事もあり、ハナちゃんを十分に外で遊ばせてあげなかった事が今でも悔やまれます。散歩もそうです。世間一般的な飼い犬に比べて私はハナちゃんに十分な散歩をさせてあげていませんでした。

その事でハナちゃんにはストレスが溜まるような環境に追いやってしまっていたと思いますし、やがてはハナちゃんの健康を害する事にも繋がってしまったと思います。これは考えすぎかもしれませんが、もう少し私たち家族がハナちゃんの健康をきちんと考えていればハナちゃんは癌という病気にはならなかったのかもしれません。

ですからハナちゃんが亡くなってからというもの、私たち家族はハナちゃんの命日にはハナちゃんの眠っているお墓で供養をしています。もちろん1年のうち、ハナちゃんのお墓に訪れる事は何回もあるのですが、この日だけは家族が全員揃ってハナちゃんの供養をするのです。お坊さんにお経を上げてもらい、お線香をあげている時、私はハナちゃんにきちんと接していなかった事をいつも心の中で謝り続けています。そして、

天国では思いっきり走り回って遊んでねとハナちゃんに話しかけているのです。そんな供養をしているとハナちゃんは私を許してくれているような気持ちになって、少しだけ気分が楽になります。

48歳男 火葬場で愛犬を供養していただき私の気持ちも落ち着きました

初めてまして、愛犬を亡くして今年で10年になることに驚いている物です。
歳を取るにつれて時が経つのが早く感じます。
亡くなった愛犬との出会いは衝撃的な物でした!

出会いは、ペットショップへ新しい家族(9年家族だったマルチーズが亡くなり新しい家族を探しにいきました)を見つけに姉と二人で出かけました。店に入るとやたらと愛想が良いヨークシャテリアがいたので二人で抱っこしあったりしているうちにもうヨーキーのトリコになりました! 体も小さくネズミのようにピョンピョン跳ねながら「僕をつれて行って!」と言っているみたいでした!

僕らはすぐにヨーキーを家族にするべくお店で手続きをし、後日、家につれて帰りました。

僕と姉はもう嬉しくて嬉しくて「お手」や「おすわり」、トイレのしつけを毎日のようにしていました。父も大変喜んでいたのですが母だけは最初の1ヶ月はヨーキーに馴染めませんでした。

マルチーズが亡くなって3ヶ月しか経っていませんでしたので、まだ母は心の切り替えが出来ないでいました。
しかし時間が経つにつれて母もようやくヨーキーを家族として迎えてくれました!
このヨーキーとの思い出は数えられないくらいありました。

家にきてすぐに元気がなくなったので病院へ連れて行くとお腹に虫がいたのですぐに処置していただいたり、右後ろ足の靭帯が切れたのか足を手術したり、歯が前歯上下抜け落ちてしまったりと色々でした。

僕らが家に帰宅すると玄関で出迎えてくれたり、朝、僕らの部屋のドアを前足で「カリカリ」と叩いたりして起こしにきてくれました。
しかし、彼が家族になって16年目にお別れはやってきました。

高齢になり、足腰や目が衰えていたヨーキーが、2階の階段から滑り落ちてしまい全身を強打・・・。
病院で処置をしてもらいそれから毎日ほとんど寝たきりに。

階段から落ちた原因は、2階の階段から落ちないように何も処置をしていなかったのが原因でした・・・。
それから数週間後にヨーキーは亡くなりました。

最後は、彼を木箱に寝かせ、沢山のお花を体の周りに埋め尽くし綺麗にさせていただきました。
葬儀は、市の火葬場で合同葬儀をさせていただきました。

今も時々、お線香やお花をあげに行っています。
ペットの葬儀は、やはり家族ですので行った方が良いかと思います。

47歳女性飼っていた猫に対して焼き場で供養落ち着きました

母親は猫が大好きな人でしたが
子供の頃たくさん飼っていた猫が次々亡くなって悲しい思いをした
ということから私が動物を飼ってほしいといっても
飼ってくれませんでした。

その後母の知り合いから迷い猫がいるということでヒマラヤンを
飼うことになりました。

すでに大人のヒマラヤンでしたが
とても大人しく、きれいな猫でした。
うちに来た時長い間迷っていたようで
顎の下を怪我していました。

顎の治療をしながら飼うことになりましたが
すでに年を取っていたようでした。

半年くらい我が家にいましたが
いる間は私がお風呂に入れたり、一緒に寝たりしていました。
大人になって我が家に来たにもかかわらず
お風呂に入れることができたのはとても性格がよかったからのような気がします。

結果的に顎の下の怪我から感染症になり
入院、通院を繰り返すようになりました。

薬や注射をしても声を出さずにじっと我慢しているような子でした。
入院していた時はお見舞いに行くとふらふらしながら手前まで
来てくれました。

あまりよくならないので病院で最後になるのは
可愛そうなのて我が家につれて帰りました。

私が学校に行っている間になくなったようで死に目には
会えませんでしたが学校から帰宅しても
亡骸はまだやわらかく夕方焼き場に連れていく時も
体が柔らかかったのです。普通は死後硬直が始まるのに
性根の良い猫はそうならないと信心深い祖母が
言っていました。

このような猫は
絶対にすぐに生き返りまたあなたと会えることができるんだよ
という祖母の言葉を繰り返し言ってくれました。

また迷いネコだったのに最後は畳の上で眠ることができたことも
よかったね。とも言ってくれました。

焼き場では普通はお骨は分骨しないということでしたが
直接焼き場に足を運んだので分骨してもらい家で供養することが
できました。

祖母の言葉によって
深いペットロスにならずに済んだのかもしれません。

実際一緒に生活していたらお互いこのような言葉をかけあうことは
難しいかもしれません。ペットの死を後悔しそうになったら
一緒に生活していない身近な人からのこのような言葉があれば
その言葉を思い出しペットロスにならずにすむような気がします。

41歳男 近くの業者で苦境してもらって、気持ちがすっきりしました。

私は、41歳の会社員です。システムエンジニアの仕事をしています。あれは、5年程前まで買っていた猫の話です。ヒマラヤンという品種の猫でとても可愛がっていました。

顔に模様があり、タヌキのような顔をしていて、とても愛嬌がありました。

猫は、とってもなついていて、家族の一員のような状態でした。そんな猫が、5年前になるくらいに、急に衰えていきました。みるみるうちに、食べ物も食べなくなり、やせ細っていきました。そうなってから、1週間くらいした朝、猫は亡くなりました。本当に悲しかったです。家族がいなくなったような感じでした。

それから、しばらく家族の人も、猫を抱きかかえたままどうしようもできない状態でいました。今では、猫と一緒に撮った写真がリビングに飾られています。本当に、良い思い出を作ってもらったなと思っています。

そして、猫をどうしようかという話になりました。焼いてもらって、庭に植えようということになりました。そして焼いてもらう前に、供養してもらおうということになりました。

供養は、業者に頼んで、供養をしてもらうことになりました。自分は、いかなかったのですが、家族の人が猫を連れていきました。業者の人とお坊さんがしっかりと、供養をしてくれたようです。

その話を聞いて、少しは、気が楽になりました。やはり、猫という動物ではなく、家族として扱いたいと思ったので、本当に供養することができて良かったと思っています。そして、供養したおかげで、しっかりと猫もあの世にいけたのではないかと思います。

今、思い出すと、死ぬ直前にバターを上げて、ペロペロと舐めたのを覚えています。最後の食事になったそのときのことを良く覚えています。死ぬ直前に、好きなものを食べることができて良かったなと思います。

猫の供養に関しては、調べてみると色々と業者やお寺が出てきました。自分の場合には、家の近くのところを選びました。
後悔していることは、特にありません。

大切なペットがいるとしたら、亡くなったときには、是非、供養してあげるといいと思います。

39歳女性 愛猫とペット供養寺で永遠のお別れ。次の命を救いたい。

はなちゃん。忘れたくても忘れられない私の愛猫。
仕事で生き詰まって、毎日追い詰められていた29歳の頃。このままいまの会社でいいのか、それともスキルアップのために転職したほうがいいのか。。。
毎日、悶々としていた私に運命の出会いがありました。

仕事が休みの土曜日、マンションでずーっと鳴き続ける猫の声が聞こえます。その声は悲痛で聞いていて胸が苦しくなるくらい。まるで「助けて~、誰か」と、言っているようでした。
鳴き声のする階までマンションの階段を下りていくと、猫がいました。床に伏せっておびえたように鳴き続けています。引っ越しに連れてもらえなかったようです。

私はその猫を自分の猫にすることにしました。それがはなちゃんです。

はなちゃんはすぐに私に懐きました。まるで赤ちゃんのように私に懐いたのです。当時、独身だった私は完全に母親気分でした。
母になり、守るものができた私には強い気持ちが生まれ、転職をする勇気が湧きました。
結果、転職に成功。はなちゃんが私の背中を押してくれたんだと思います。

はなちゃんとの愛にあふれた日々はとても幸せでした。寝るときはいつも一緒。
私の腕に頭を置いていつも寄り添って寝ていました。モフモフの毛が暖かく、気持ちよかった。。。

しかし、はなちゃんとの幸せな日々は長くは続きませんでした。
もともと腎臓が悪かったようです。1週間に1度、点滴をしても失った腎機能は元にはもどることなく、少しずつ、少しずつ、はなちゃんは弱っていきました。

最期は病院のベッドでした。
深夜、病院に呼び出され、心臓マッサージをうけるはなちゃんをただただ、茫然と立ち尽くして祈るような思いで見ていました。
でも無常ながら、心電図は棒一直線になってしまいました。
予期はしていたものの、涙は止まりませんでした。

悲しみに暮れている私にとって、唯一の救いは、荼毘に付したお寺さんでのご住職のお言葉でした。
「愛されて幸せだったと思いますよ。」そう言っていただき、救われた思いがいたしました。

飼い主さんは皆、「自分のところに来て、この子は本当に幸せだったのか?」と後悔の念を抱くと思います。もっと、遊んであげられたんじゃないか。もっとおいしいものをあげればよかったんじゃないか、、、、
でも、精一杯の愛情を注ぐだけで十分なのではないでしょうか。
精一杯、愛したと思えれば、お亡くなりになった動物も幸せに旅立てるはずです。
そして、泣いている暇があったら、「ママ。次の子を助けてあげて」と言っているのではないでしょうか。

私はすぐに保護猫譲渡会に行き、新しい猫を譲ってもらいました。
はなちゃんのことは忘れない。だからこそ救う命がある。
私はそう思っています。

38歳女性飼っていた猫をペット葬儀場で供養してもらい良かったと思う

わたしは、猫を20年ほどにわたって、4匹飼っています。そのうち2匹は、17歳で亡くなりました。2匹とも、ペットショップで、一目惚れをし、ロシアンブルーとアメリカンショートヘアーを買いました。

2匹とも、とてもよくなついていて、賢い猫たちでした。若いうちは、2匹とも、病気もなく、すくすくと育っていきましたが、16歳頃から、どんどん老いていき、2匹とも、リンパ腫という病気にかかってしまいました。ロシアンブルーの方が、3歳ほど年上だったので、ロシアンブルーが先に亡くなりましたが、ロシアンブルーが死んでしまったときは、本当に、悲しくて悲しくて、とても気分が沈んでしまいました。前の日の夜まで、息をしていたのに、朝起きたら、静かに、安らかに逝ってしまっていました。

せめて、最後の時くらいは、哲也でも構わないから、ずっと見守っていてあげたかったと思っていたので、朝起きて、死んでしまっていたときには、とてもショックでした。朝一番にペット葬儀屋さんに連絡して、白い新しいタオルとお花を買いに行って、ねこのベッドに猫をタオルにくるんであげて寝かせて、お花をおいてあげました。

家族と一緒に、ゆっくりお別れをして、ペット葬儀屋さんに預けて、火葬してもらい、ペットの墓地に納骨してもらいました。二匹目のアメリカンショートヘアーが死んでしまったときは、ロシアンブルーの時に、一回経験しているのもあって、割と、落ち着いていました。ペット葬儀屋さんの車に乗せてお別れするときは、とても辛くて泣きましたが、今までありがとうと言ってあげられる余裕がありました。ロシアンブルーの時と同じように、白タオルにくるんで、お花を添えてあげました。

火葬してもらい、ロシアンブルーと同じお墓に入れてもらいました。アメリカンショートヘアーがなくなってから、1年以上経ちましたが、時折、2匹のお墓参りをし、大好きだったおやつを備えています。

今まだ、2匹家に猫がいるので、亡くなった猫たちのことで、辛くなることはもう、少なくなりましたが、なくなる前に、しっかり看病し看取ってあげられたので、悔いはないです。後で、悔いが残らないためにも、最後は、しっかり看取ってあげることが大切だと思いました。

35歳男性 ハムスターを近くに神社で 心が軽くなりました。

現在35歳の男性です。8年ほど前に当時付き合っていた彼女(現在の妻)と同棲中にハムスターを飼っていました。なにげなく訪れたペットショップでみかけ、その時は飼うつもりなど全く無かったにもかかわらず気づいたら飼っていました。指を入れた時に一匹だけ噛み付いてきたコがいて、そのコに決めました。ハムスターの寿命はとても短く約2年ほどです。ただせっかく飼ったのだから他のハムスターよりも幸せにしたいという気持ちが強かったのを覚えています。

今までペットを飼ったことが無かったので、毎日が楽しくすごく新鮮な気持ちでした。ハムスターは意外ときれい好きなのでゲージを常に清潔に保ってないといけません。

だいたい3~4日程度に一度はゲージの清掃をしていました。他にもハムスターがかかると危険な病気について学んだり、餌を気をつけたり自分の生活の中にいて当たり前の存在になっていきました。

飼い始めて1年3ヶ月ほど経ったころ彼女から連絡があり、ハムスターの足が折れているかもしれないと言われました。そのとき彼女は部屋の掃除をしていて誤って足をふんでしまったかもと言いとても後悔していました。ゲージから降りるときに怪我をしてしまうハムスターもいるらしく原因は定かではないですが、とにかく足に怪我を負っているのは確実でした。

そこからはすぐに病院に連れて行き、命には関わらないですが通院が必要になってしまいました。その後は更に注意深くハムスターと向き合って1年経ちました。

寿命といわれる2年を超え、だんだんと動きがにぶくなり、日中を寝て過ごすことが多くなりこちらも死を意識するようになってきました。そして冬のある日の夜中ゲージの中から声を出してきたのですぐに行き、手の上に乗せました。

その瞬間にこのコが亡くなるというのが何故かわかりました。彼女と二人で声をかけつづけたのですがそのまま手の上で亡くなりました。悲しくて涙が止まらなかったと同時に感謝の気持ちが溢れてきて不思議な感覚でした。失ったものはとても自分の中で大きく、このコはうちに来て幸せだったのかな、もっとできることは無かったかなと自問自答しました。

少なくとも私たち2人はこのコに出会えて幸せでした。
私たちの家に来て幸せだったと天国で思ってくれてたらうれしく思います。

35歳女性犬をペット火葬場で焼いてもらいその時は悲しかったです

こんにちは。犬を飼ったことがきっかけで犬好きになった者です。中学生くらいの子どもの頃、確か犬が欲しいと両親にねだったのかもしれませんが、ある日突然、父親が犬を買ったことがきっかけで飼い始めました。

当時は準備やどう飼えば犬にとっていいのかがわからず、外の出していたら迷子になってしまい近所を探しまわったり色々なことがありました。なんだかんだと14年もたち、わたしが20代をすぎた頃、メラノーマというガンに犬がなっていたことが発覚し、間も無く逝ってしまいました。

火葬場へ一緒に行き写真立てに小さな写真を持って行って、亡骸ですが、最後のお別れの時、思いのほかボロボロに泣けてきて、今でも色々なことを後悔したり、思い出したりします。

後悔しているのは、もっと犬が寂しくないようにできなかったのかとか、犬の気持ちにそった関わり方ができなかったのか…。犬と一緒に生活するコツが掴めたのは犬が晩年になってからだったので、もっと早くにできていたら犬ももっと幸せだったんじゃないかな、と今も想っています。学校や仕事など、どうしようもないことなんだけど日中、犬はいつも切なかったんじゃないかと。

犬が旅立った日は、冬でも日差しがポカポカ入って、心地よく感じる日だったので、あぁ、こんないい日だったのがせめてもの救いだなと感じました。

当たり前ですが、動物を飼うのだったら勢いではなく最後まで看取る覚悟、飼い方の最新の本を読んで勉強し、犬だったら散歩は必ずしてあげられる環境かなど、大事なことが必ずクリアできると思える人だけが飼ってあげて欲しいと思います。

犬が旅立つ前月に、家族でその季節の花を観に行くことができたことがすごく大きな思い出として残っています。最後に皆であそこに行けてよかったと。遠くから近づいて行ったら、こちらを見て嬉しそうにしていた犬の情景や景色が今も浮かんできます。

本当はまた機会があったら犬を飼いたいのですが、最後まで幸せな気持ち、形で飼ってあげられるのかが心配でなかなか次というのができないでいます。最近は災害が多く、そんなアクシデントで離れ離れになって不憫な死に方をさせてしまったら、多分立ち直れないだろうなと思うので…。

35歳女 うさぎ ペット専用納骨堂 悔いはありません

はじめまして、TOMOと申します。
私は、ネザーランドドワーフの男の子と暮らしていました。
出逢いは、学生の時に付き合っていた彼とデートでたまたま寄った、ホームセンターに入っているペットショップです。
いつか動物を飼うなら仔犬がいいなぁと思っていたのですが、その日は、大きく「値下げ」と書かれたポップが目に留まりました。

それは、2回値下げされて5000円になっているネザーランドドワーフのゲージで、兄弟と思われる2羽が丸くなって眠っていました。店員さんに話を聞くと、白い2羽にはそれぞれ背中に黒い模様がありそれが原因で、他の真っ白な子達は売れていったのに残ってしまっているとのことでした。
店員さんが「触ってみますか?」とゲージを開けてくれると、1羽は寄ってきたのですがもう1羽は遠目にこちらを眺めているだけで一向に寄ってこない上にしばらくするとまた寝てしまいました。寄ってこない子の自由さが物珍しかったのと、そっと撫でた時のちらっと私を見た目が可愛くて、その日に家に連れて帰ることを決めました。

気分が向かないと撫でさせてもくれない気分屋の彼との生活は、気楽で楽しくて、学校から帰るのも就職してからは会社から帰るのも、毎日楽しみで仕方ありませんでした。

9年と少しがたったある日、夜中にコンビニに行きたくなり「ちょっと行ってくるね」と彼に声をかけて出かけました。15分ほどして帰ると、ぐったりした彼の姿があり、息がゼエゼエしていました。私はわけがわからず、背中をさすったり名前を呼んだりしましたが、苦しそうな状態が変わらず、泣きながら夜間診療をしている動物病院を調べ電話をしました。

ところが、うさぎの症状を話すと初めの2件には断られました。「小動物がそういう状態になった場合、助かる見込みが少ない。病院へ向かっている間に死んでしまうこともある」と。

私はそれまで、病気は何もしたことがなく、いつまでたっても毛並みが綺麗でかわいい彼の寿命など考えたことがありませんでした。縋る思いでかけた3件目、受け入れてくれるという病院へタクシーで向かいました。タクシーの中、毛布に巻いて抱えた彼は、今まで感じたことのない、なんとも言えない「動物の匂い」がしました。

受付で彼を看護師さんに手渡してから、先生に呼ばれるまでの間のことは何も覚えていません。名前を呼ばれて診療室に入ると、人工呼吸をされている彼がいました。

「一度自発呼吸が戻ったのですが…今はまた人工呼吸が必要な状態です。人工呼吸を止めてしまうと、もう自分では呼吸は出来ない状態です。」と言われ、私は貯金は幾らあっただろうか算段しながら「入院には1日幾らかかりますか?何時まで面会できますか?毎日会えますか?」と聞きました。でも、そういうことではなかったのです。それは実質的には死亡宣告でした。

「病気もせず9年生きたこの子は幸せだったはずです。寿命です。」と言われましたが、あの時コンビニに行かなければと今でも思わずにはいられません。

翌々日、個別火葬をし、遺骨を持って帰りました。合同火葬では遺骨は九州のある県の山にまくと聞いたので、自分で弔いたかったので個別火葬を選びました。その後、遺骨はペット専用の納骨堂に納めました。

夜間救急病院から個別火葬、納骨まで、迎えた時の何倍もお金はかかりましたが、彼ときちんと時間をかけてお別れできたので、お別れの方法に後悔はありません。

大事なペットとのお別れは、最後の大切な時間です。どんな方法を選ばれるにしても、後悔のない方法を選ばれますようにと思います。