ペット供養体験談

2023年2月21日

34歳女2月に犬を亡くし奈良の動物霊園に埋葬してもらいました

初めまして。
私は今年の2月14日に10年飼っていた犬を亡くしました。
その犬との出会いから最期のお別れになるまでの話をしたいと思います。

その犬は私が23歳の時に当時付き合っていた彼とPet博に行って購入した犬です。
私は昔からパグが好きで一度は飼ってみたいと思っていました。
もちろん犬を飼うというのはお金もかかるし犬を飼うつもりでPet博に行った訳ではないのですが
とあるブースで生後3ヶ月半のパグが3万円で販売されていました。

店員さんに頼めば抱っこもさせてもらえるので私は抱っこをさせてもらいました。
パグは好きでしたが一度も生のパグを触ったことすらなかったのでその時は可愛さと感激で一杯でした。

値段は3万円とはいえ、やはり犬を飼うという気持ちまではならなかったので犬を返しその場を離れました。
他のブースをウロウロと見ていましたがやはりそのパグがまた見たくなりまたそのブースに行きました。

するとパグを連れた若い夫婦らしい方がそのパグと自分のパグとを見つめ合わせるような事をしていました。
私はもしかするとその若い夫婦がその犬を飼うのではないかと思い、またその場を離れました。

また他のブースを見ていましたがやはりあのパグが気になり戻ってみるとあの夫婦には買われず残っていました。
私はその時に何故だかその犬を飼おうと思ってしまいました。

犬を購入する手続きが終わりその日に連れて帰れるという事だったので、犬の爪切りをしてもらっている間に
彼と犬の名前を考えていました。

爪切りも終わり首にはリボンが付けられていました。
犬を箱に入れてもらい私達は家へと帰りました。
帰りの車の中で犬を出し私の膝の上に乗せました。

その当時はまだ3ヶ月半だという事で私の膝の上に収まるぐらいのサイズで。
今でも思い出すと懐かしいものです。

私も彼も実家暮らしだったので普段は私の家で世話をし彼の家に行く時は連れて行くという生活をしていました。
犬にとってはストレスになった生活だっただろうなと後々になり本当に思いましたが…。

犬を飼ってから1年程経った頃私達は別れてしまいました。
彼と別れてからは正式に私が引き取り私の家で飼うことになりました。
犬を飼うことは本当に大変でした。

でも家に帰ればいつも出迎えてくれ、寝る時もいつも一緒で私の大事な大事な家族でした。
しかし長く一緒にいればいるほど犬との別れも近付いて来ているんだなぁ〜とある時から思うようにもなりました。
去年の10月に、私は仕事のお昼休憩は自宅に帰るのですがその休憩中に犬が倒れてしまいました。

すぐに意識は戻り、心配でしたが私も仕事に戻りました。
病院に連れて行きたかったですがその日はかかりつけの病院が休診日ということで次の日に病院に連れて行きました。
病院ではレントゲンとエコーなど様々な診察をしてもらったところ、お腹に腫瘍があるという事が判明しました。

手術をするという選択肢もありましたが、正直手術をしても腫瘍が全部取りきれる可能性の方が低いだろうと言われました。
10歳という年齢の事もありますし考えた結果、手術はしないという選択肢を選びました。

それから週の2、3日に1回、点滴を打つとい生活になり金銭的にもかなり大変でしたが通院していました。
年が明けてもそんな生活が続き、犬自体はわりと元気だったのですが2月13日の夜に嘔吐をし始め、
しかし体調が悪い時は嘔吐をたまにする犬だったので私と犬はその日は寝ました。

翌日の朝方5時半頃、私は目が覚め犬が気になり名前を呼んだが反応がなく手探りで犬を探すと体が冷たくなっている感じがし
慌てて部屋の電気を付けると犬が亡くなっていました。
私は泣き崩れてしまいました。

でも犬が亡くなったという実感がまだなかったせいか私は犬を火葬してくれる所を探し、冬場だったので保冷剤を使えば2、3日持つと言われたが
犬の亡骸をそのままにしてあげるのも可哀想だと思いその日のうちに火葬してもらう事にしました。
その日は会社を休み犬との最期の時を過ごしました。

奈良にあるお寺がやっている動物の火葬から埋葬までをしてくれる所に頼み、火葬車だったので家の前で火葬してもらいました。
骨は大体の方は引き取り、後日動物霊園に埋葬したり人間のお墓に入れる方もいらっしゃるみたいですが
私の家にはお墓もなくそのまま引き取ってもらい合同で埋葬してもらう事にしました。

犬が亡くなって4ヶ月が経ちましたが、今でも犬と過ごした日々を思い出しては寂しくなったり正直、犬が嘔吐をしている時に
その日やっている病院を探し連れて行ってれば犬はまだ生きていたんだろうかと考えてしまいます。
ペットを飼った時点でペットの死を受け入れなければならない責任が伴ってきます。

もっとこうしていればという後悔もついてきます。

私はこの犬を飼って、生き物を飼うという事はどういう事なのかという事とその責任感について学ばされた気がします。
でもペットからもらう愛情や癒しは他には代え難いものです。
この犬と過ごした10年は本当に最高の時間でした。

33歳女、愛猫をペット斎場で供養してもらって後悔しか残らなかった事

こんにちは。

今から10年前頃、母がペットショップで愛猫に出会いました。
長毛種のヒマラヤンとラグドールのmixでした。家に連れて帰り私も会って直ぐに溺愛する様になりました。

私が学生の時は、いつも一緒に居られたのですが仕事をする様になってからは、あまり一緒に居られない日々が続きました。

そうして時が過ぎある日、愛猫の体調の変化に気付いたのです。
急いで病院に連れて行きましたが腎不全を起こしていて、てのほど腰ようがありませんでした。
それが私の誕生日の日でした。
それから2日間、頑張ってくれましたが3日目に、先生から『どうされますか?』と聞かれました。
このまま酸素ボンベを着けていても良くなることはなく苦しむだけだと…。
『もう良くなる事は無いんですか?』と聞き返しました。
しかし良くなる事は無いと言われました。
安楽死しか選択がありませんでした。

どんな形でも良いから生きていて欲しい。
それが私の願いでした。
でも実際、私の願いは愛猫を苦しませてるだけでした。
本当に苦しい中、頑張ってくれました。
体調の変化に気付けなかった自分が許せなくて、悔しくて、悲しくて。
その時の感情は言い表せないものでした。
何故もっと早くに体調の変化に気付いてあげられなかったのか、何故、もっと一緒に居てあげられなかったのか。
後悔しても仕切れません。
私にとって凄く大切な愛猫でした。
本当に大好きで心から愛していました。

動物は繊細な生き物です。
出来るだけ一緒に居て、体調の変化に気付き、いっぱい、いっぱい愛してあげて下さい。
どれだけ愛しても最後は悔いが残ります。
あの時、ああしてれば良かったとか。
こうしてれば何か変わってたか?とか。
でも本気で愛してあげていて体調の変化に気付けたなら、最後の悔いも違ってくる事でしょう。

私は今も悔いだらけで、毎日手を合わせる事しか出来ません。
『ごめんね』と泣き言いながら…。
本当にあの子には申し訳ないと、10年以上経った今でも思っています。

31歳女 弱っていく姿を認められなくて、直視できずごめんね

30代前半の女です。大好きな猫を4ヶ月足らずの短い期間で亡くしてしまいました。もっともっと、向き合ってあげられたかな、と後悔しています。

猫とは保護施設で出会いました。私の一目惚れで大好きになりました。とても美しく、特徴のある猫で目立つ子でした。一目見て以来、私はその子のことが気になって仕方が無くなってしまいました。保護施設なので明日にも他の人のおうちにもらわれていってしまうのではないかと毎日そわそわしていました。
ある日、うちに猫を迎えようと言うことになり、保護施設の方にそのことを伝えにいきました。その日は緊張とうれしさで足下も心もふわふわしていました。舞い上がってとてもうれしかったのを覚えています。

おうちにその子が来るのは数日後です。念のため、保護施設にいる間に動物病院にいって再検査をし結果が出た後の譲渡になります。そこで突きつけられたのは悲しく受け入れがたい事実でした。その子は元々猫エイズと呼ばれるキャリアもちの猫でした。発症していて末期とのことでした。綿密に言えば伝染性腹膜炎というものが発症していたそうです。

私は以前他の猫を飼っていたことがありますが猫エイズのことはこの子と出会うまでまったくの無知でした。
頼るものは保護施設の方と動物病院の方、インターネットの情報です。その子がおうちに来るまで、ほんの数日ですがいろいろな情報を集めました。けれど、集めても集めても私が求める情報は出てきません。わたしは「完治」ということばを求めて寝る間を惜しんで画面と向かい合っていました。

猫がおうちに来てからもわたしはそのことばを求めて画面ばかり見ていました。猫は、当時のわたしは見ないように見ないようにしていましたが日々痩せていきました。私は馬鹿でした。もっともっと、猫を見ていれば良かった。こんなにかわいくて大好きなものがうちにきたとたんに痩せ細っていって、死に向かっている。そんな現実を受け止められなかったのです。痩せていく猫、元気がなくなる猫がかなしくてスマホで簡単に写真をとれるこの時代に、写真がとてもすくないのです。もっともっと、撮れば良かった。わたしは目をそらさずに現実を受け入れて、精一杯生きる子を受け止めるべきでした。

供養は他にもたくさん仲間のいる市営の動物愛護センターにお願いしました。手元にはお骨は残りません。他で供養していただきお骨を手元に残すことも考えましたが、それならば生前にもっともっと接するべきだったと思いやめました。残ったのは少しの携帯画像と私の心の中の思い出と落としていってくれた4本のヒゲです。少ししか一緒にいられなかったけれど大好きでした。ヒゲもおいていってくれてありがとう。大切にします。

大好きなペットさんがいらっしゃる方、もしその大切なペットさんが弱っていくことがあったら、どうかその弱っていく姿もしっかりみてあげてください。頑張っていきているかけがえのない存在です。

30代女、葬儀場でペット供養をしてもらって気持ちに整理がつきました

はじめまして。現在30代の女性です。高校生の頃、いつも通るペットショップに、なかなかお家が決まらない犬のポメラニアンがいました。生まれたての頃、兄弟げんかでしっぽの先を骨折して曲がっていたのと、あまり人懐っこい性格ではなかったのが原因だとお店の方から聞きました。ちょうど両親と一緒にいたので、なぜか全員一致の即決でそのまま一緒にそのポメラニアンは私たちの家族になりました。

それからは一緒に散歩をしたり、ご飯を食べたり、みんなが家族として過ごして、あっという間に明るく元気な、そしてちょっと気が荒いところもある子(!)に成長しました。

成長とともに、お腹やわきの下に大きなこぶが出来たこともありますが、その時にはもう15歳。手術をする体力もなく、また良性の腫瘍と診断を受け、見守ることしかできませんでした。

それでもご飯はたくさん食べて走り回る、可愛い可愛い子でした。17歳を過ぎたころ、一気に目の白色が濃くなり、あまり目が見えなくなりました、机の脚に頭をぶつけながらもにおいを頼りにヨタヨタと近くまで来て「お腹なでて~」と甘えてきたのを思い出します。そのころから、粒状のご飯を色んな所に置いて、ニオイをたどってご飯を食べる、ということを始めました。目が見えにくくなっても、嗅覚はなるべく衰えないようにしてあげたい、という想いからのことでした。

ご飯の粒を見つけた時には喜んでいるように見え、家族でよく見守っていました。そのころから、ペットシートにしていたトイレを失敗することがほとんどになり、その掃除が大変になってきました。特に病気なわけでもないので「そのくらいはやらないと」と思われるかもしれませんが、自営業の我が家では、掃除の最中でも来客もあれば電話もなり・・・。接客中に失敗したトイレを踏み荒らされることもしばしばで、大変な時期もありました。

気性が荒いところもあるため、なかなかおむつをしようとしても嫌がって噛みつかれる始末。どうにかおむつのちょうどいいサイズや、漏れ出ないようにひもでフォローする方法も見つけ順調に暮らしていた時、突然眠るように亡くなってしまいました。老衰だそうです。あまりに突然で涙も出ず、だんだん冷たくなっていくあの子にみんなで寄り添っていました。

そして母がペット供養をしたいと、ネットで探して供養に行きました。伺った供養所では、白いふかふかのお布団を用意してくれ、家にお骨と位牌を置いています。骨になる前に、しっかりとありがとうの気持ちも伝えられましたし、供養する場所に行って見届けることで、亡くなってしまったということを受け止める良いきっかけになったと思います。

私は両親ほど一緒にいる時間は長くなかったですが、マッサージしたり、ブラッシングしたり、心からほっとする時間を過ごせましたし、後悔はありません。特別なことや物がなくても、なでたり、一緒に遊んだり、そういう日常を、一緒に過ごす時を大切にすることが一番なんじゃないかと思います。一緒にいてくれてありがとう。一緒にいさせてくれてありがとう。いっぱい、楽しかったね。ありがとう。ゆっくり休んでね。

29歳男性 ハムスターを近所の神社で供養 気分は落ち着きました

こんにちは。当方は29歳の男性であり、現在は自営業を営む者です。このハムスターに出会ったのは、休日にホームセンターへ出かけた時でした。

ハムスターを販売しているコーナーにて、何故かこのハムスターと目が合い、運命的なものを感じて購入したのです。家に帰り「ブーちゃん」と名付けました。(笑)あまりにも可愛かったので。ブーちゃんは、結構元気の良いハムスターであり、気性が荒い性格でした。ところが、僕が毎日遊んでやったら心を開いてくれて、優しい性格になりました。

ご飯の時は走ってくる癖、ふてくされると角にいく癖、ご機嫌だと必ず僕の手の上で寝る癖、今でも鮮明に覚えております。そんなこんなで4年の歳月が過ぎた時に、ブーちゃんは旅立ってしまいました・・・とても悲しかったですね。もう家族の一員のようなものでしたから。

お恥ずかしい話ですが、立ち直れないほどにショックでした。「でも、このままではいけない!ブーちゃんがかえって悲しんでしまう!せめて供養しよう」という事になりました。

そこで近所にある神社では、ペット供養もしているとのことでしたので、こちらの神社にお願いをしました。そして、神社にてペット供養をして頂き、儀式が終わって家に帰りました。この時の心情としては、「やっとこれでブーちゃんが天国に行って安らかに眠れる」と思いました。

ですが反面、供養した事によって「本当にブーちゃんは死んでしまったんだな」と思ってしまったことも事実です。後悔している事は、仕事が忙しくてブーちゃんに構ってやれない時や、遊んでやることができないことが多かったです。

ですので、もっと構ってやって遊んでやれば良かったと非常に後悔をしております。最後になりますが、アドバイスとしては本当に大切なペットならば仕事が忙しくても、一日1回でいいです!1分でいいです!

そのペットに「触れてあげて」ください。これによって、愛情を伝える事ができるし、そのペットがもっともっと愛おしくなるでしょう。だから大切にして飼おうと思う心が、とても大切だと思います。

そして、ペットが旅立ってしまったら、お時間のある時でいいと思うので、お寺や神社にてペット供養をしてあげて下さい。そのペットを忘れないために・・・ペットが安心して天国へ行けるように。

26歳 女 お寺で供養 感情は徐々に変化する

初めまして。神奈川県在住の動物好きです。
私は、実家でわんちゃんと一緒にくらしていたのですが、11歳で亡くなってしまいました。
途中で家をでて一人暮らしをしていたので過ごせた時間が少なく、また、たまに帰ってもそんなにかまってあげられなかったので、少し後悔しています。

出会いは母のお友達の事情でどうしても飼えなくなってしまい、母のところへお話が回ってきました。
ちょうど我が家でもわんちゃんをお迎えしようと検討中だったので、今考えるとちょっとした運命だったのかもしれませんね。
1歳とちょっとでお迎えし、10年程一緒に家族とすごしました。

最後は、病気で亡くなってしまったのですが、その時に供養してくださったお寺さんと住職さんには今も感謝でいっぱいです。
いろいろな供養の仕方について教えてもらったり、最後のベッドを選んだり、家族それぞれで形見を分けたり、そうやって少しずつ最愛のペットの死を受け入れていきました。

その後、ペット用の小さなお仏壇を購入し、可愛らしいお位牌も作ってもらいました。
今も毎日母がお線香とお供えをあげています。
形が見えなくなってしまっても共存する方法はいくらでもあるんだなと感じています。
もちろん、ペットを亡くすということは、本当に辛く絶望的です。

ですが、そうやって大切なことを教えてくれたのだと思うと、悲しんでばかりじゃ本当に無駄な死になってしまうのではないかと怖くなりました。
今はまだ次の子はお迎えせずにいます。

1年半経って、一番溺愛していた母もようやく受け入れることができたようです。
なので、もう少し、触れはしないし、見えない共存を味わおうと思っています。

そうやって、徐々に自分や家族も感情が変わっていきました。

冒頭にも書いたように、もっといろいろしてあげられたのではないかと、もっと早くに病気に気が付いていればとたくさん後悔はありますが、教えてもらったことを教訓に生きていきたいと思っております。
偉そうなことが言えた立場ではありませんが、今大切な家族同然のペットを亡くされて悲しんでいる方のお役に立てれば幸いです。

23歳女性飼っていたデグーを霊園で供養してもらい夏の怖さを再認識し

こんにちは、Quonです。自分は去年の夏飼っていたデグーを自分の不注意で亡くしてしまいました
その時のことを書きたいと思います

その子との出会いは一昨年の秋で、とあるペットショップで元々デグーを飼育してみたいと思っておりそこにいました
そこで出会ったのがその子でした。一匹だけしかおらず目があってしまい飼うことを即決、そく家に連れて帰りました

名前をベーたと名付けました

あまり過度なスキンシップが好きな子ではなかったためベタ慣れにはなりませんでしたがそこそこ仲良くしていました
事件があったのは去年の夏のはじめの方まだ連日猛暑に見舞われる少し前でした

その日も仕事で昼まで家をあけることになってたので自分はいつもどおりご飯をあげて水を替えました
でクーラーを入れて保冷剤を中に入れると噛んでしまうためケージの外にくっつけるように設置して暑さ対策をしてから家を出ました
だいたい家をあけていたのは3時間か4時間くらいだったと思います。家に帰ってきたら部屋が思ったより冷えていない。

やばいと思いケージを確認したらベーたの姿が見えない

あれっと思い中を探ると干し草を入れるようの小さいバケツの中で息絶え絶えの虫の息状態でぐったりしてました
自分は動物看護士をしているのでこれはもうダメだとすぐに悟りました

そのあとすぐに水を与えて涼しい環境にはおきましたが甲斐なく息を引き取りました
なぜこんなことになってしまったか

クーラーはつけていきましたが設定温度はそこまで低くしておらず外は自分が思ってる以上に猛暑になってしまい冷却が追いついていませんでした
そのため保冷剤もほぼ役に立たず
トドメは水です。水は給水ボトルを使っていたのですが水を変えた時に中の玉が上に行ったまま降りておらず舐めても水が出ない状態になっていたのです

いつもは水が出ることを確認してから家を出るのにその時に限ってギリギリになってしまい確認をしないで家を出てしまいました
まさか出ない状態だとは思わず…

こればかりは自分の不注意でいつもやってることなのに怠ったために招いたことでした
悔しい限りです

その日の夜に箱に詰めて安置し次の日の朝に霊園に連れていき供養してもらいました
集団の供養に出したため火葬されるところまでは見守ることができず他の子がはいいてる箱の隣にベーの箱をおきそこでお別れをしました

ペットを飼っている人にアドバイスがあるとしたら夏は本当に気をつけてほしいです
年々暑くなってるので去年の常識が今年通用しないかもしれません
あと水は何があっても絶対に確認しましょう これでもかってくらいたっぷりと入れてから出かけましょう

参考