犬を亡くしてペットロスになった体験談
海に流されそうになった子犬の命をお預かりいたしました!
今からちょうど8年前の初夏でした。柴犬のタロオスが亡くなったのは。少し赤茶色でちょっと間抜けな家族の一員でした。そこが超絶可愛かったんですけど。寿命としては10数年生きたので長生きな方でしたが、その分家族として過ごしていた時間が長かったので亡くなった時の悲しみは相当深いものがありました。今これを書きながらその頃のことが思い出されてしまい、正直胸が熱くなって涙が出てきそうになります。さて、私がタロと出会った経緯は、こうです。私の弟が幼い頃に友人から引き取ってきました。じつはタロはたくさん生まれた中の一匹だったので、元の飼い主が多すぎて育てきれないとのこと、そのまま海に流されてバイバイしてしまう運命にあったのでした。(非情な気もしますが)丁度そんなときに元の飼い主さんが子犬を要らないか?と声をかけてくれたのがきっかけで我が家に来ることになったのでした。そう、まだ目もあかないうちに段ボールに入れられて海にそのまま葬られそうになったんですよ。たしかに、飼い主さんの立場になれば育てきれないし、責任を持てないならしょうがない面もあるなと同情する面もありますが。その話を聞いたうちの弟は早速、何匹かいた子犬の中から一匹を選びタロとなずけました。選んだ理由は単純だったそうです、尻尾の尾っぽの一部がタロだけ白かったそうです。例えるなら書道の筆先という感じですかね。この世にある命には必ず死があります。死の瞬間に立ち会ったのは、私と父と母の3人でした。実は、タロの具合が悪くなる前にちょっと3人で旅行をしようという計画が持ち上がっていました。なぜそれが中止になったかというと、母が「タロが具合悪そうで、万が一死んだら嫌だから、旅行はいつでも行けるから今回は家におろうや」といったからでした。そんな母の直感はズバリ的中!数日中に急激に具合が悪くなってしまいました。私たちは母の言ったとおりにしていたので後悔せずに済みました。でも、最後の息を引き取るその時まで一緒にお別れができたのは本当に幸せでした。タロをひとりぼっちで死なせなくて本当に良かったと心から思います。タロありがとうね。そしてさよなら。
愛犬ナナが亡くなってわかりました ナナも私達の家族だったんです
それまで12年も一緒に暮らしていた愛犬(コーギー)のナナがガンで亡くなりました。ナナは私達夫婦の間に生まれた息子よりも先に我が家にやって来てくれた愛犬です。今にして思えばナナは我が家の家族同然の存在でした。でも、その事に気付いたのは最近の事なんです。ナナは本当に我が家にやって来て、幸せだったのでしょうか。私達夫婦の間にはしばらく子どもが産まれませんでした。どんなに不妊治療に頑張っても子どもを授かる事は出来なかったのです。もう、子どもを授かるのは無理。私達夫婦はそう結論を出しました。でも、二人だけの生活はどこか寂しいもの。そんな寂しさを紛らわす為に私達夫婦はコーギーの仔犬を家族に迎える事にしたのです。我が家にやって来てくれたコーギーにはナナと名付けました。それこそナナは本当の私達夫婦の子どものよう。私達夫婦は本当にナナを自分の子どものように可愛がり、そして育てて行きました。ナナが我が家に来て3年経ちました。その時、私達夫婦には思いもよらない事が起こったのです。何と、諦めていた子どもが私達夫婦の間に出来ました。それは本当に夢のような出来事だったのです。無事、生まれてきた長男は私にも家内にもまさに天使のように思えたものです。初めて授かった子どもです。とにかくかわいのです。私と家内は育児の大変さに追われながらも、子どもが授かった喜びを噛み締めていました。もちろん、ナナの事も忘れてはいません。ナナは長男にとって兄弟のような存在だと思っていましたから。けれども、私達夫婦は長男相手にする時間に追われて、ナナの世話は疎かになってしまっていたのです。そんな生活がしばらく続きました。気がつくとナナはとても病気がちになってしまっていたのです。病院に連れて行くとナナはガンにかかっている事がわかりました。私達夫婦は本当に驚きました。獣医さんの話によると、運動不足なども原因のひとつと言われたのです。確かに長男が生まれてからは忙しさのあまり、恒常的にナナを散歩に連れて行かなくなってしまっていました。ガンと診断されてナナはあっという間に私達の元を旅立って行きました。本当にあっという間だったのです。その時、改めて私と家内はナナは間違いなく私達家族の一員だったと思い知ったのです。ナナがいなくなって、この上なく心にぽっかりと穴が開いてしまいました。何か、私達夫婦には子どもは生まれないんだと諦めた時の感覚と同じ気持ちです。ナナが私達家族の元を旅立ってもう3年になります。今でもナナがいない生活に私も家内も慣れる事はありません。ナナは私達夫婦の元に来て幸せだったのでしょうか?その答えは到底、私も家内も自分では見つける事は出来ません。ですから、ナナの代わりに新しい犬を我が家に迎え入れる気持ちにもなれないのです。多分、ナナの代わりの新しい家族を迎え入れるにはもう少し時間がかかるのでしょう。その為には私と家内がきちんと新しいペットを飼う事が出来る人間に生まれ変わらなければなりません。この苦しみってなかなか、人には理解して貰えない事も事実です。その事も私が苦しい思いをする理由の一つになってます。ペットでしょ?気にする事ないんじゃない?こう言われるたびに私は心の中でペットは家族なんだよと叫んでいるのです。
違う病院に連れて行った直後なくなった愛犬 後悔 縁で新しい仔をお迎えして乗り越えられた
私が初めて飼ったペットは私の誕生日に両親が飼ってくれたシェットランドコリー犬でした。たしか病気で6年くらいしか生きなかった事を覚えてます。初めて飼った動物だったので母たちも勝手が分からず長く生かせてあげれなかったことを今でも後悔してます。名前はリリでリリが病気になり病院通いが続きました。ある日、とてもグッタリしていたので病院に連れて行ったらしいのですが休みで違う病院に連れて行きました。その数日後、息を引き取りました。違う病院を責めるつもりはないですが凄く悔やんでます。病院が休みなのは仕方がないのでどんな薬を飲んでるのか症状など明確にメモでもすべきだなって思う今思います。私は幼かったので学校に行かされて帰ってきたらもういませんでした。最後触った時、とても硬くなっていたのを覚えています。とてもヤンチャでした。どちらかというと私が遊んで貰ってたような。もし、もう一度会えるなら、いつも遊んでくれてありがとうって、長く生かせてあげれなくてごめんねとっ言ってあげたいです。悲しんでいる人に伝えるとしたら、その子の寿命は決まっていてくる時が来たんです。あなた自身が悲しんでいては旅立つに旅立てません。ゆっくり眠ってねって言ってあげれるようになれたらいいですね。その当時、数ヶ月経ってワンちゃんを飼えなくなってしまったので飼えないですかって話を貰ってまだ、リリへの思いが残ってましたが、リリから早く前に進んでじゃないですがそんな思いかなっと思い飼うことにしました。あえて自分から飼うことはできませんでしたが話を貰って良かったと思います。不思議とそのワンちゃんを飼ってから、リリの影を見るようになった気がしてました。見守りに来てくれたんかなとか寂しくなったんかなとか考えましたね。そんなこんなで乗り越えたと思います。
ポロとの思い出 出会いから別れ
私は、中学生の時に、塾から帰って来るとシーズー犬のポロが居ました。まだヨチヨチ歩きで赤ちゃんでした。ポロは人なつこくて、寂しがり屋、無駄吠えもしませんでした。また、防衛本能が低く、他の犬にも直ぐに近寄って行く割には、実はビビリで、虫などは怖がっていました。また、プライドが高いのも見た目とのギャップが可愛かったです。そんなポロですが、11歳の時から心臓を悪くします。一度美容院兼お医者さんにカットして貰った際に、心臓に擬音がすると言われたのですが、それが始まりでした。シーズーは心臓や耳の疾患が多い様です。ポロが亡くなるまで、何度か発作で危ない時がありました。苦しそうで、本当に辛かったです。また心臓の発作は所構わず起きます。いつそのまま亡くなってもおかしくない状況が2年近く続いていました。発作が起きる度に、ポロは、食べ物を食べなくなります。単純に食欲が無いというより、食べ物により発作が起きている、もしくは食べ物を口にするのが、怖くなっているのです。ポロは元々は大食漢で大きかったのですが、痩せて行きました。3日、4日と食べない日が続きました。ポロからしたら、食べ物を口にして発作が起きるなら、食べずに、発作が起きず、一日でも生き延びたという気持ちが強かったのでしょう。そんな時は、鼻にアイスを塗ってあげます。すると、食欲の本能に火がつき、食べ物を口にします。こんな日が続いていましたが、ある朝ポロは、机の下で隠れる様に亡くなっていました。亡くなってから17年経ちますが、愛犬家だった実家は、ポロへの気持ちが強く、それ以来ペットは、いません。しかし、今でも毎年思い出します。辛かったですが、思い返すと楽しい事の方がずっと多かったです。ポロに出会えてよかったです。
我が家の崩壊の危機を救ってくれた優しい愛犬 医療の発達に間に合わなかった病気で亡くなる
私と愛犬モモとの出会いは、私が 小学校5年生の頃でした。その頃私の家族は、母の夜遊びが原因で、家族バラバラになりかけていました。それを見かねた父親が、家族全員連れて出かけた先がペットショップでした。そこで母の心を射止めたのが、モモでした。母以外の家族は、別の犬で意見合致になりそうでした。しかしモモは母に穴が開くのでは、と思うくらい見つめていました。母がその目線に負けて、モモに決めました。モモが来てから我が家はすっかり変わりました。モモは生まれてすぐに家に来ました。それから5年程経ったある日、、、モモが急に歩けなくなりました。初めはヘルニアか何かで腰が痛いのだろうと、全員が思っていました。しかしながら2日経っても、モモは歩こうとはするのですが、足が言う事を効かない、足を引きずって一生懸命歩く様になりました。見兼ねて病院に連れて行ったのですが、ただのヘルニアでは無いと宣告されました。そして近くの大きな動物病院を紹介されました。その病院に行った1日目に、もう助からないと宣告されました。椎間板ヘルニアという病気で、ウイルスが椎間板に沿って登っていき、最後は脳を犯す、といった病気でした。それから通院する度に、これより下はもう神経が通っていないと現状を確認するのみでした。頭の方に登ってからは、言えっでゆっくりしてあげてください、と言われました。診断されてからたった1週間の命でした。日に日に弱って行くモモを見るのは、本当に苦しかったです。モモとの別れが強く印象に残っています。私は当時塾に通っていたのですが、とうとうだと言う時に親が塾に電話をかけてきてくれて、走って家に帰りました。モモは私をペロッと一度舐めて、すぐに亡くなりました。私の帰りを待って亡くなりました。待っていてくれて嬉しかった反面、辛くなかったか、今も考えてしまいます。モモは本当に頭の良い子でした。まだ小学生だった私は、モモの散歩が面倒くさくて、サボった事も何度もありました。しかし私が家で泣いていると、モモは必ず寄ってきて、私の涙を舐めてくれました。こんな愛犬に出会えて良かったです。
肺に水がたまり苦しみながらなくなった愛犬 飼うんじゃなかったと後悔もするも出会いに感謝
一人っ子で寂しくしている私に、父が犬を飼ってもいいよと言ってくれた時、本当に嬉しかったです。小学校3年生の時でした。マルチーズでとても元気な男の子です。私は嬉しくて毎日愛犬ブルーと散歩に行き、一緒に寝ました。弟ができたと思って本当に嬉しかったですね。学生時代辛い時、苦しい時はブルーを抱きしめると勇気が出てきて明日も頑張ろうって思えました。ブルーにはたくさんの元気をもらいました。でも、年を取り最期は肺に水がたまりとても苦しんで亡くなりました。苦しんでいるブルーを見て、私は眠れずにずっと起きていました。ブルーの苦しんでいる姿を見て、こんなに辛い思いをする日が来るなら犬なんて飼うんじゃなかったと思いましたが、ブルーが亡くなってから二年経ち、少しずつ辛い気持ちが薄くなってきて、やはりブルーに出会えたことは人生でとても幸せなことだったと思えるようになっています。ペットを飼ったことのない会社の人達や友人からは、「また他の犬を飼えばいいでしょ」と言われます。ブルーは家族なんです。物が壊れたから別の物を買えば良い、ではないんです。信じられません。ブルーと違う犬を飼ったとしても、傷は癒えない、楽にはならないと思いました。ブルーが亡くなって一年ぐらいは外でどの種類の犬でも見ると苦しくなり、目を背けました。ブルーのことを思い出しては涙が出ました。でも日にち薬のおかげで気持ちが軽くなってきており、もう少ししたら猫を飼おうかなと思っています。やはり犬を飼うのは苦しいんです。でもまたペットとの素敵な日々を過ごしたい、家族のように愛したい、癒されたいという気持ちが大きくなってきています。新しいペットを飼ったとしても、ブルーのことは絶対に忘れません。
犬嫌い克服のパートナーの死 もっと一緒に散歩すればよかったと後悔
高校1年の秋、10年間共に過ごしてきた愛犬のロンが亡くなりました。ロンは私が小学1年生の時に我が家にやってきました。なぜ犬を飼うことになったかというと…私の動物嫌いを克服するため。ご近所さんに犬を飼っている家が多く、時間帯によっては放されている犬も多くいました。そんな犬と遭遇した私はものすごい勢いで逃げ出してしまっていたのです。それを見た両親は私が登下校中に犬と出会ってしまったら道路に飛び出すのではないかと本当に心配して犬を飼うことを決めたのでした。最初はロンを入れるために持ってきた箱に私が入って泣いていたり、ロンが室内で放されていると机など高いところから降りることができなくなっていました。苦手な犬が突然家にやってきてすぐに克服できるわけもなく、家族の中で私だけがロンに触れないという状況が続きました。でも両親のサポートもあり、少しずつ触ってみたりおやつをあげてみたりと距離を縮める努力をし始めました。そして約1年の時を経て、私は犬への苦手意識を克服することができました。ロンがいなかったら私はいまだに犬嫌いだったと思います。ロンは身体が小さくて大人しくちょっとビビりでしたが、とても綺麗な目をしていて後ずさりしながらも知らない人を見たら吠えてペットとしても番犬としても魅力あふれる犬でした。体はあまり強くなかったけれど散歩も大好きで、私の父の相棒としてよく散歩に行っていました。家族みんなに愛されて、共に生きてきたロン。でも別れはやはり訪れました。学校から帰ってきて動かなくなったロンを見た時、言葉を失いました。別れとはこんなにあっけないものなのかと絶望しました。出会いがあれば別れがあるなんて言葉ではとても受け入れられないくらいの悲しみが私たちの中でいっぱいになりました。もっと一緒に散歩すればよかった、もっとたくさん撫でてあげればよかった、後悔してもロンは戻ってこないと分かっていてもつい考えてしまいます。でもロンは本当にたくさんの思い出を私たちに残してくれました。これからもロンのことを忘れず、私たち家族は生きていきます。
老衰で亡くなった愛犬 今もいるのではないかと振り返る 人生に満足していたのか?いつもそんなことを考えています
私が18歳のころ、飼っていたコロちゃんが亡くなりました。コロちゃんは天真爛漫の柴犬でした。最初コロちゃんと出会ったのは、私が幼稚園のとき。私のおじに当たる人の友達が柴犬を飼っていて、その子どもを育てられる人を探していたんです。それで会ったのが最初です。コロちゃんが亡くなった原因は老衰でした。老衰だから仕方がない、と分かってはいるのに、とても悲しかったです。私だけではなく、家族もショックを受けていました。最初は食べる量が減って、病院へ連れていくと、「歳だから」と言われました。コロちゃんはよく脱走していたのですが、(夜中に脱走して、朝に帰ってくる)、もうその頃は、そういう事もしなくなって、いつもご飯を食べた後は庭をうろうろするくらいになっていました。散歩に一緒に行っても、私が走ろう!と言っても、全然走らないようになって、たまらず抱きしめた事がありました。コロちゃんは外で飼っていたのですが、私たちが車を庭に止めると、いつも家の影からひょこっと出てきて、すごく喜ぶんです。それで車から降りて近づくと、スリスリと寄ってきて「なぜて、なぜて」って言ってきていました。逆に知らない人が近づくと、「ヴゥオウゥゥウ」みたいな、どこから声だしてるの?みたいな声だしてましたね。笑だから、今はもうコロちゃんはいないって分かっているのに、毎回車を止める時に、後ろを振り返ってコロちゃんを見つけようとしてしまうんです。コロちゃんの人生は楽しかったのかな?後悔のない人生を生きれただろうか?私はコロちゃんにできることすべてしてあげられたのだろうか?いつもそんな事を考えています。あなたとの沢山の思い出忘れません。またいつか会おうね。
腎臓の働きが悪く亡くなった愛犬 人間とおなじものを与えたことに後悔
今から20年くらい前、母と二人で入った喫茶店の斜め前にペットショップがあり、母も私も「動物でも見て癒やされよう!!」なんて軽い気持ちで入ったその店にチロがいました。それがチロとの出会い。 生後4ヶ月のチワワで狭い檻の中から私たちを食い入るように見つめてきた。「かわいい~」を連発していると、お店の方が「抱きます?」なんていうものだから、ついつい抱いてしまった。もう本当に可愛くて私はつい勢いで飼ってしまいました。 それからというもの、寝るのも起きるのも一緒。ご飯を食べるのも膝の上。家族中がチロのとりこになりました。 飛行機に乗って北海道までも旅行した。 一緒に生活をしていると、やっぱりどうしてもだめなところがあって、チロは人間の食べるものをとても欲しがりました。そこは、私たち人間がしつけとして、人間の食べるものをあげなければよかったのですが、ついつい与えてしまい、結果チロを太らせることになってしまいました。 獣医さんにも注意され、何とかダイエットしようとがんばりはしたけれど、成果はそれほど出ませんでした。 やがて私は嫁にいきました。アパートは動物禁止でしたので、実家においてでました。毎日散歩をしに帰ったりもしました。亡くなるその日まで・・・ その夜、母親から電話がかかってきて「チロの様子が変だから今から病院に連れて行く、姉ちゃんも来て!!」 私は着の身着のままで車を運転し、母親が駆けつけている病院へと急ぎました。しかし駆けつけた時にはすでに亡くなっていました。 母の話では病院に着く200メートルくらい手前で亡くなっていたそうです。その日散歩の時チロを抱き上げたとき何となく身体全体がむくんでいるような感触がしました。腎臓の働きがよくなかったようです。 やはり人間の食べる、動物にとっての濃い味が、チロの腎臓に負担をかけてしまっていたのだなと後悔してもしきれませんでした。 実家に帰るとしっぽを振って走って迎えてくれたチロ。実家の風景はなんら変わらないのにそこにチロの姿が見当たらない・・・ チロがいないことがどうしても信じられませんでした。母も父も相当つらがっていました。今、実家には「なんな」というチワワがいます。今年で12歳を迎えました。 チロの教訓をいかし、1日でも長生きしてもらおうと両親も頑張っております。
一人暮らしをはじめいつかつれてこようと思っていた愛犬の死 想像以上に辛いものだった
小さい頃から動物を飼ってきたので、ペットが死んでしまう経験もたくさん経験してきました。もちろんそのたびに、悲しい思いをすることになるのですが、一緒にいた時間、一緒に過ごさなければ感じることがなかった思いもたくさん経験することができました。そんなたくさんペットの死を経験してきた私にとって一生忘れることのできない愛犬との別れがあります。その愛犬が我が家に来たのは、私が中学校1年生の時です。当時非常に人気の高かったダックスフンドの男の子、ロンでした。小型の室内を家で飼うのは、はじめてだったのでロンが家に来た時は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。寝る時も、ご飯を食べる時も、散歩の時も、ずっと一緒に過ごす事が日課になっていました。それから数年後私は社会人となり、家を出て行くことになってしまいました。その時ロンを連れてくことができたらよかったのですが、社会人1年目の私にとってペットを連れて一人暮らしする事は、ハードルが非常に高く感じ、実家に置いてくるという選択肢をとってしまったのです。いつか迎えに行こう…当初はそのように考えていました。しかし結果的にロンがなくなるまで連れてきてあげる事は出来ませんでした。ロンが死んでしまった。ある朝母から電話かかってきて、ロンが死んでしまったことを聞かされました。衰弱して眠るように亡くなったとのことです。その話を聞いた瞬間に、まだロンが小さかった頃、わんぱくで悪さばかりしていた頃の思い出がたくさん出てきて涙が流れてきました。動物を飼うということは、死ぬまで面倒みるという事です。それはロンを飼う位前から知っていましたが、一緒にいる時間が長いペットとの別れは、私が想像してたよりもずっとずっと辛いものでした。