めったに泣かない私ですが、愛猫を思い出すと涙腺が熱くなります。

私が24歳のころ、私が小学校の頃から飼っていた猫ピートがいつも寝ている座布団の上で静かに息を引き取りました。
ピートの猫種はラグドールで、とても好奇心が旺盛で、よく外に飛び出しては鳥や虫を捕まえて遊んでいます。
ある時は野良猫やご近所の飼い猫と喧嘩になり大けがをさせてしまった事もありました。
そんなやんちゃな猫ではありますが、私が勉強机に向かっていると決まって落ち着かないように私の足元をウロウロし頬ずりをして乗せてくれと懇願します。
私が、「わかったわかった」とピートを持ち上げ膝に乗せると落ち着いた様子でウトウトと眠りにつきます。

そんなピートですが私が成人になるにつれ病気がちになり、元気に外へ飛び回ることも無くなっていきました。
寂しくはありましたが相変わらず私の膝に乗ることだけは好きなようで、いつものように乗せてあげると満足げな顔で眠ります。

ある日仕事から帰ってくると妹が私にピートが朝からずっと起きないという事を伝えられ急いで居間に向かうと眠るようにしているピートの姿があり、さすっても声をかけても微動だにしません。
歳も歳だという事もあり諦めました。昨日はいつもどおり私の膝に乗せてあげた時はそういう予兆は感じられませんでした。察するに眠りと同時に逝ったのでしょうただ死に気づいてあげられなかったのが全てもの悔いです。

遺体はピートが良く遊んでいた庭の中央に埋めてあげました。
めったに泣かない私ですが、ピートとの思い出を思い出すと涙腺が熱くなります。
いろいろな事があったけど本当に愛おしく憎めない我がピートありがとう

遠距離恋愛の彼女に振られた日に愛犬も亡くなった。大事な物は失ってから気付く。

小学生4年生の時に飼い始めたペットの犬が死んだときは今までで一番悲しい出来事でした。

その犬を飼うまでに、雨の日に子犬が紛れ込んできたこともあり、その時に飼うことを親から許して貰えなかったりと悔しい出来事があったりと犬を飼いたくて仕方がなかったです。

待望のその犬は、親戚から譲ってもらった犬で、白と茶色の混ざった柴犬みたいな感じの雑種で、耳のところが茶色でパンダみたいな感じだったので、パンダという名前にしようと姉が提案しましたが、最終的にアニメからとってペスという名前になりました。

飼い始めてからは一緒に遊ぶのが楽しくて、毎日遊んだり、一緒に昼寝をしたりと、いつも一緒に過ごしていましたが、大学受験などで忙しくなったり、彼女が出来て夢中になったりと、だんだん相手をすることが少なくなりました。

そして、22才の時に朝起きたら死んでいました。
前の晩の夜中に吠えたり、鳴いたりということがなく、夜中は気気づかなかったですが、苦しんだような顔をして死んでいたので、一人で苦しんでいたと思います。
少し前から苦しそうな咳っぽいことをしていたので、喉が悪かったと思います。
散歩の時に、ものすごく引っ張っていたので、それが原因だと思います。
その後動物霊園に行き火葬してもらいました。

いなくなってから、大事さに気付くということはよく聞きますが、本当のことだと思いました。
生きていた時は、他のことに忙しくて、興味があまりもてなくなり、相手をすることが少なくなっていたので、もっと一緒に遊んだり散歩したりすれば良かったと後悔しました。

同じ日に遠距離恋愛をしていた彼女から振られるということもありました。
原因は忙しくて相手をできていなかったことだと思います。
大事なものを二つ同時に失って、やる気も気力もなくなり、とても悲しかったです。

それからは同じような過ちをしないように、ペットを飼うのをためらっています。

不注意でいなくなったハムスター。後悔する前にペットを飼う意味を知ってください

私が昔飼っていた動物は、ハムスターです。
実家のほうで飼っていた大切な家族でした。
ハムスターは亡くなったのではなく、いなくなってしまったのです。
全部私の不注意のせいでした。私の姉とともに、ハムスターを外で一緒に遊ぼうとした時です。
姉も小学生でしたので、ハムスターを私に預けたつもりで、家の中に入って行ってしまいました。
そして私もハムスターの傍を少し離れてしまい、目を離してしまったのです。そうしてほかのことに夢中になっていた間に、ハムスターがいなくなってしまったのです。
姉にハムスターはどこに行ったのかと言われ気づいたのですが、もう遅かったのです。
その日は家の庭中を探して、近所も探しました。
ハムスターは狭いところに行く習性があるので、もしかしたらマンホールの中とか、下水道に落ちてしまったのかもしれません。
もうどこに行ってしまったのかはわかりませんが、それを想像すると申し訳なさがこみ上げてきます。
今後悔しても遅いかもしれませんが、もっと注意していればと思っています。
それ以降、小動物を見ると、ハムスターのことを思い出してしまい、かわいそうなことをしたなと思い出してしまうのです。
もう動物を飼うには、責任感が強くなければ、飼うべきではないと思います。
当時の私は子供だったからと言って、命を扱うという責任を放棄していたと感じます。
かわいいというだけで、動物を飼うべきではないのです。最後まで責任を持てる覚悟が備わっていないと、ペットを飼うべきではないと思います。

帰省を待っていたかのような愛犬の死。12年経っても涙ぐむ

 高校生のころ、母親が外で空き地から子犬を拾ってきた。空き地で段ボールから出たり入ってりしていたようです。可哀そうで連れてきたとのことでした。うっしーと名前をつけ、家で飼うことになりました。うっしーは目がクリっとして、可愛い雌の犬でした。何となく、日々の生活がつまらなく、イライラすることが多かった僕は、うっしーに癒されるようになっていきました。姉が二人いましたが、何となく妹ができたみたいで、可愛がりました。

 5人家族でしたが、うっしーは愛嬌があり、皆に可愛がられ、家族の一員となっていきました。うっしーは朝方3時や5時に僕を起こし、散歩に連れていけとよくせがみました。僕は眠いながらもうっしーに頼まれては、連れて行かないわけにいかず、ぼんやりと朝方の散歩をしていました。手はかかりましたが、それがまた愛おしく思いました。

 僕は、大学進学の関係で、地元を離れ、別の地で生活していました。実家に帰るときはいつもうっしーに会えるのを楽しみにしていました。

 離れていて暫くぶりに会ううっしーは、次第に年をとったと思わせるようになっていきました。

 大学が忙しく、しばらくうっしーに合わない日が続きました。

 国家試験の勉強のため、実家に戻ったとき、うっしーは尻尾を振って近づいてきました。僕は何となく、違和感を覚えました。生気がなく、よろよろしている感じがして心配になりました。呼吸も荒い感じがしていました。帰省して直ぐに散歩に連れて行きましたが、呼吸が荒く、直ぐに家に戻らせようとしました。家に戻ろうとしたとき、なんとなく寂しい表情を浮かべていました。

 その日の夕方から更に呼吸状態が悪くなり、横たわっているうっしーを見て、母親と二人で動物病院に連れて行きました。うっしーはそのまま他界しました。

 自分も悲しみでいっぱいでしたが、家族を失った母親の狼狽ぶりが凄く、自分はしっかりしなければと思いました。

 あと一日自分の帰省が遅ければ、うっしーの最後にも立ち会えなかったと思うと、うっしーは僕を待っていたんだなと思いました。

 あれから12年くらい経ちますが、未だにうっしーのことを思い出し、涙ぐむことがあります。

 自分の心を成長させてくれ、家族を繋げてくれたうっしーに感謝しています。

 

手から落ちて亡くなったハムスター。罪悪感からお墓にも近づけない。

ジャンガリアンハムスターを飼ってました。
名前はクッキー飼っていたのは小学生の頃でカゴから出して遊んでいました。

床からたったまま手に乗せていました。

手が小さかったことと、クッキーがいきなり動きまわりとてもびっくりした当時の私は手からクッキーを落としてしまいました。

あの時の事は今でも忘れられません。

慌てた私はすぐに座ってクッキーを抱えました。ちゃんと歩くことが出来ていたのでホッとしていました。

しかしその夜、お母さんがクッキーの様子がおかしいとみたところ足が腫れていて、足の力が入らないのか歩けなくなってました。

そして死んでしまいました。
すごく泣きました。

すごく後悔しました。
なんでたったまま手に乗せたのか?
病院につれてかなかったのか?

とても残酷なことをしました。
命は大切です。小学生の私でもすごくわかっていたことでした。

ですがその頃は小学生で、危ないとかの危機管理が出来てなかったのです。

お墓をつくりました。

泣きながら謝りました。
許さないかもしれませんが謝ることしか出来ません。

クッキーはとても元気なハムスターで
よくゲージを脱走しては、クローゼットの中に自分の巣を作ってました。

ヒマワリの種を口いっぱい頬張り、巣へと運んでました。

もう1匹ハムスターがいて、おんなじジャンガリアンハムスターでよくケンカしてました。

ハムスター同士の喧嘩は激しく、ケガをしょっちゅうしてました。

クッキーが死んだあと、ゲージがとても寂しくもう1匹のハムスターはなんとなく寂しがってる様に見えました。

ゲージを見るたびに自分のしてしまったことを思い出しました。

お墓も罪悪感から近寄り難くなり、
ずっと避けていました。

あれから何年もたちましたが忘れる事は出来ません。
ペットは家族です。

クッキーにしてしまったことを一生忘れないでつぐないにはなりませんが小さな命、大きな命を大切にしていきたいと思います。

連休に心臓の発作を起こした愛犬。それいらいGWがキライになった。

去年の春に、愛犬のビーグルを亡くしました。その年の4月には「太っている以外は悪いところもない。長生きしますよ」といわれた16歳、もうとっくに高齢犬でしたがすぐに別れることになるとは思っていませんでした。
6歳でやってきた譲渡犬で、名前はアリスとつけました。ビーグル特有のコントラストの強い先の白い尾は、イングランドでウサギ狩りをやっていた先祖からのトレードマークだったので、不思議のアリスを連想し、そんな名前を選びました。

一度動物管理センターまで入った経験があるため、本当になつくまでおよそ1年はかかりました。でも仲良しになってからは、一緒に散歩し、よく食べ、キッチンでいたずらし、私のベッドで文字通り大の字になって寝息をたてて寝ました。

14歳になった頃、頚椎ヘルニア、関節炎と、シニアらしく衰えはありましたが、耳をパタパタさせてはしゃぐさまは子犬そのもので可愛かったです。

最後の年、外耳炎を起こして病院通いをしたら、もう病院は嫌だと車に乗ろうとしなくなりました。それでも何とか治療を終え、ワクチンも済んだゴールデンウィークに、異変が起きました。

多少、食べ過ぎて吐くということはたまにあるので、初めはそんなに深刻に思わず、好きな缶詰やチキンを買い与えて、これを喜んで食べるので心配しませんでした。けれども、連休に入るなり食欲がダウンしました。

私が仕事から帰り、アリス、ただいまーと声をかけると、いつものように転がってべったりくっついて甘えました。でも散歩に行く元気もなく、水を飲んでは吐いてしまうのです。連休中でかかりつけの病院は休診ですが、明日は月曜だから朝一番に連れて行く、嫌がるだろうけどやむをえない、ということになりました。
そうして間に合いませんでした。朝方、けふっと咳き込んだのが最後でした。

後日、ドクターに聞いたところでは、これは心臓の弁が急に異常を起こしたのでしょうとのことでした。
翌日病院から花が届き、これを見たときにアリスを亡くしたことが急にリアルに迫ってきて、雨が降って濡れてもどうでもいいという感じになり、地下鉄に乗ろうとして吐きそうになりました。

アリスにかまう時間が減ったのに部屋も庭も散らかり放題で暗くなりました。
その庭に、なぜか見たこともない猫がいれかわり立ちかわり訪れるようになり、アリスが様子を見るようにいいつけたに違いない、とふと考えるようになって、少しずつ気分が落ち着いていきました。

アリスは人間で言えば93歳の大往生です。けれどもその悲しみは乗り越えることはできないし、無理に乗り越えなくてよいと思います。ゴールデンウィークは今も大嫌いです。ただ、一緒に過ごした時間を微笑とともに、あるいは涙とともに思い出すとき、硬くなった心がほどけていくのは感じます。

突然亡くなったセキセイインコ 大事な家族だからこそ一歩前に進もうと思った

私が飼っていたのはセキセイインコです!
私の家に来たのは中学2年生の冬でした。

亡くなったのはつい最近12月の頭でした…
夜勤の休憩中携帯を確認したところ母より「ピーちゃん死んじゃった」とメールが入っていました。

夜勤が始まってまだ数時間だったので仕事を真剣にしなければいけないしでも
早く会って頭を撫でてあげたいなぁという気持ちもっとああしておけば・・・

もっと遊んであげたかった…そんなことばかり考えていました。

夜勤が終わり家に到着し夜勤の緊張感から解き放たれたとき
自然と涙が流れてきました。

頭を撫でながら人生で初めて声を出して泣いてしまいました。
その日は何も手につかない思い出すだけで涙が出てきてしまうほどでした。

いつまでもそのままでは居られないのは分かっているのに中々立ち直れないでいる自分に
母親から

「ピーちゃんの為にも笑って元気に過ごそう」

この一言に少しだけ心がスーッとしたような気がしました。

何かの記事で見た気がしたのですが
ペットが亡くなるのには何か理由があるのだと。

「自分の役目が終わったとき」「家族が幸せになったとき」

色々あると思いますが私は結構信じています。

いつも見守っていてくれてたんだと思うと悲しい気持ちもありますが
心から「ありがとう」という気持ちでいっぱいになりました。

その人によって考えは違うと思いますが

その子のためにも一歩前に進んでいきましょう!

その先に新しい出会いやいいことが待っているはずです!
そして私はその子に「ありがとう」の気持ちを忘れずにこれからも元気に暮らしていきます。

愛犬と最期に一緒に居られなかったことを夢に見るほど後悔

5年前に我が家の愛犬が亡くなりました。ハナという名前の女の子で、シーズーの血が入った白くてふわふわして可愛い犬でした。

彼女の具合が悪くなったのは丁度わたしが大学に入学したころからでした。彼女はまだ10歳でした。

ハナがなんだか食欲がないとは聞いていたのですが、わたしは入学と同時に一人暮らしを始めており毎日が忙しかったのでそれほど心配していませんでした。

あまりに調子が悪そうなので病院に連れて行くつもりだと親から聞いた時もわたしは特に心配せず、自分から連絡することはありませんでした。

次に母親から電話がかかってきたとき、彼女は泣いていました。ハナは癌にかかっているというのです。詳しく検査をしなければ良性か悪性かは分からないものの、癌という病名はわたしたちに大きなショックを与えました。

癌は悪性でした。そこからはハナが死んでしまうまであっという間でした。癌はすぐに彼女を蝕んでいきました。癌が分かってから半年もしないうちに彼女は死んでしまいました。

わたしは8月の夏休みに実家に帰り、ハナとたくさん触れ合いました。彼女はとても元気そうで、両親も「あなたが帰ってきたからハナも元気になったみたいだ」と喜びました。わたしもその光景を楽観的に受け入れ、二週間程度で大学に戻りました。

ハナが死んだのはわたしが戻った一週間後でした。もうしばらく実家に滞在しておけばよかったと今でも後悔しています。しかもどうしても大学でしなければいけない用事があったため、彼女の葬儀に参加することも出来ませんでした。

今でも夢に見るほど後悔しています。大事な家族の最期の瞬間に立ち会えなかったというこの記憶はわたしの中から一生消えることが無いのだと思います。

前触れなく亡くなった愛猫。友達優先だったことに後悔。

シャム猫のケーナとは、小学校に入る前に出会いました。とても大好きで、エビの尻尾をあげたり、また、私が寝ていると近づいてきて私の 胸元にきて、舐めるのです。
それが気持ちいいのとこそばゆいのでしかくの方なく起きると嬉しそうな 声を出してきます。
それをずっとやっていたら寝れなくなります。
ケーナが突然死んでしまいました。
前触れがあったら良かったんですが、そんなこともなくいきなりだったのでびっくりしてしまいました。
固くなった体をさすっていると 体がとても硬くなるんだなと思いました。
中学生になると友達と遊ぶことが多くなり、あまりケーナと遊ぶのが少なくなってしまいました。それが、とても後悔しています。
ケーナがいなくなって食事の時にいないのがとても寂しく思いました。いつも私の横にいて私の物を欲しがるのを見ているととても可愛いと思いました。
でも、エビを丸ごと食べられることもありましたのでその時は怒りましたが、エビは美味しいですからそういう気持ちになるのもわかりますので仕方ないと諦めます。
今、ケーナと 会えるならまた私の上に来てペロペロ舐めて欲しいと思います。
そして、 ケーナと一緒に外に出て、一緒に走り、遊びたいです。ケーナは、女の子でしたのでとても可愛くて、舐めてくる時のケーナがとても大好きでした。
もっと、長生きしてくれたらとても良かったのにと思います。その時に友達ともケーナとも大事にしてたら良かったなと思います。

共食いの末に亡くなった鯉たち。今も残る後悔と疑問と想い。

小学校の頃、自宅で鯉を7匹飼っていました。

最初はお祭りで金魚すくいと同じような出店で鯉のつかみ取りで3匹飼い始めました。
大きいオスが2匹、メスが一匹。1年後、メスが4匹の子どもを産みました。

鯉は本来水槽で飼うべきではないのですが我が家には庭があまりおおきくなかったため、水槽で飼っていました。あまりに大きくなりすぎて大きな水槽が2つ必要になってしまいました。

それから3年の間、毎日エサやりをし、1週間ごとに水槽の清掃をしていました。
鯉は池や川で生きていることからあまりきれいな水ではなくても生きていけるイメージがありますが実は綺麗好きで、我が家ではカルキ抜きをした水道水にろ過した雨水を混ぜたものを水槽に入れていました。
藻草なども入れ、食べ残ししたエサはこまめにすくい取るなどの工夫していました。

我が家の鯉たちが一番好きだったエサは青魚を焼いたものです。
小骨を丁寧にすり潰したものをあげていました。今思えば、これが良くなかったのだと思います。

最初の三匹を飼い始めて4年がたった、年末。
当時の鉄道で半日かかる親戚の家にお正月を過ごしに家を空けることになりました。
7匹の鯉は連れていけないので、年末年始の3日間分のエサを水槽に入れていえをでました。
今までも2日ぐらいは家を空けたことがあり、その間に鯉たちはエサを分け合っていたので大丈夫だと思っていました。

そして、年が明けて帰宅したその日家で見たのは2つあるうちの水槽の最初につかみ取った大きいオスの一匹がいる水槽。
同じ水槽にあと、2匹いたはずなのに浮いていたのは鯉の骨でした。
1匹だけいた鯉もところどころ鱗がはがれていたりと怪我をしていました。
お腹が空いた鯉たちは共食いしはじめたのでしょう。弱肉強食の世界で体格の大きな鯉が生き残ったというわけです。生き残った1匹も怪我が原因でそのあとすぐに死んでしまいました。
もう片方の水槽では比較的体格が小さな鯉たちだったため、4匹いても共食いすることなくエサで3日間乗り切ってくれました。

鯉たちにひもじい思いをさせて申し訳なく思うと同時に4年も一緒に育ってきた仲間を食べるなんてと驚きを隠せませんでした。

もちろん鯉にも様々な葛藤があったと思います。
それでもお互いをつつきあい、殺さなければ殺されるという恐怖があったのでしょう。
そんな動物、自然界での弱肉強食の摂理を目の当たりにし当時小学生だった私はショックと後悔をしばらく引きずりました。

もう少し、多くエサをあげていれば… もう1日早く家に帰っていれば…
そんな思いがありました。

それから20年。
私は鯉が死んでしまって以来ペットを飼っていません。
もちろんペット同士の共食いなんてそうそうないことだとはわかっていますが、
それでも当時小学生だった私は自分の責任感のなさ、危機管理能力のなさに絶望しました。
そんな私がまたペットを飼ってもいいのか悩んでいます。
私の不注意で大切なペットが苦しむのはもう嫌です。

もし、あの時共食いされたした鯉たちと話すことができたなら。
鯉たちは何をいうのでしょうか。

エサを十分においていかなかった私を責めるのでしょうか。
それとも私を慰めてくれるのでしょうか。