犬を亡くしてペットロスになった体験談

2024年1月14日

飼い始めて10年後腎不全で亡くなった愛犬 早く気づけばよかったと後悔

知り合いのワンちゃんに赤ちゃんが産まれて飼い主を探しているという事だったので
犬が欲しかった私は譲り受けることになりました。


初めてペットを飼うので、家とかエサとか知らないことが多くて友達に沢山聞いて用意しました。


本当に赤ちゃん犬は可愛くて毎日遊ぶのが楽しみでした。


しかし飼い始めて10年目、よく食べていたエサを食べなくなり食欲が全くなくなってしまいました。


だいぶおばあちゃんだし年齢によるものかなと思っていました。

様子を見てエサを変えたりしていたのですが、それでも食べてくれなくて病院に連れていきました。


病院で検査すると腎不全である事が分かりました。

もっと早く気が付けば良かったととても後悔しました。


夏の疲れかもしれないと思って、食欲がないときも様子をみてしまっていたので本当に後悔しました。


それからだんだんと衰弱してしまい結局亡くなってしまいました。

最後は痛そうな顔とかしていなくて
安らかな感じでした。


10年間病気しないで元気でいてくれていたので、体調が悪くなってしまって突然の他界には本当に涙が止まらなかったです。

今会うことができるとしたら、ありがとうと伝えたいです。

本当に毎日の生活に笑顔を届けてくれましたし、辛い時も見て癒されることが沢山ありました。

一緒にいた時間は宝物と感じています。

今からワンちゃんを飼おうと思っている人は、ワンちゃんの急な変化にはすぐに対応してあげてください。

後悔しないためにも定期的に病院に連れて行ってあげたいですね。

愛犬の病死 安楽死を選択しなかった事に後悔 しかし時が癒してくれた

7年前に飼っていたハナというダックスフンドの雑種を亡くしました。

元々は、弟が神社の下で拾ってきた犬です。

弟は可愛がっていましたが、結婚したため実家を離れなくてはならず、引き継いで私が面倒を見ることになりました。



私は面倒なので動物を飼うことが好きではありませんでしたが、残されたハナが少し不憫でしぶしぶ私の犬にしました。


毎日の餌やりや散歩は正直面倒でしたが、だんだんハナもわかってきたのか私を見ると嬉しそうに尻尾を振るようになりました。

そんなハナが可愛くなってきて、毎日の散歩も嫌ではなくなってきました。



元々大人しい性格の犬だったので、穏やかな時間が一緒に持てる癒しの犬となっていました。



しかし、数年経った頃から散歩の様子がおかしくなり、病院に行ったところ心臓が悪いと言われました。


呼吸も苦しそうで、見ていて辛かったのですが、ある日獣医さんから安楽死も選択の一つと選択を迫られました。



薬もだましだまし餌に混ぜて飲ませたり、毎日さすったり、暖めてみたりできる事は一生懸命やっていましたから、安楽死は選べず、ハナを最後まで頑張らせてしまいました。


毎朝仕事に行くのが怖くて、仕事が終わると急いで帰りました。

そしていよいよ亡くなる前日、家に帰ると、ハナが私のパジャマに包まれていました。

ハナの様子の変化を見て、私がもう間に合わないと思ったようで、私の匂いの付いたものと咄嗟に考えたらしいです。

本来動物が苦手で触ることすらできない母がパジャマでくるんでいたのを考えたら、本当に最後なんだと泣けてきました。


幸い次の日は日曜日だったので、一日中ハナの側にいれました。

そして私に看取られて逝く事が出来ました。


母は、日曜日まで貴方を待って頑張ったんだよと言いました。



しばらくは、ハナのいつも居た場所を見るたびに悲しかったですが、時間とともに苦しさも和らいでいきました。


時ぐすりって本当だと思います。

無理に忘れようとしても無駄です。

逆に辛い。

毎日の自分の生活を淡々とこなしていく内に少しずつ、和らぎます。

悲しい時はそれで良いと思います。


必ず思い出しても、辛くなくなる時という日が必ずきます。


人間の仕組みはうまく出来ていると本当にその時思いました。


だから、今苦しい人もきっと大丈夫です。

時間が、思い出に変えてくれます。

16歳でガンで亡くなった愛犬 テレビで動物番組を見ただけで泣いてしまう

2年前の冬、高校生の頃からともに生活した愛犬ジョニーが亡くなりました。

16歳でした。



高校生の頃、友達の飼い犬が子供を産み、貰い手がいなくて困っていたところ、子供のうちの一匹をうちで飼うことになりました。


その時はただただ可愛くて一緒に居たいという気持ちが強く、「別れの時の辛さ」のことなんて一切考えていませんでした。



いつも一緒にいるのが当たり前な感じでした。


ジョニーが15歳の頃急によろけるようになったり、動きが非常に鈍くなり、おかしいと思って病院へ連れて行きました。



そこでガンであることが発覚したのですが、歳が歳なだけに手術はかえって危険だということで、手術せずお薬を飲むことに。


その1年後のある日、穏やかな顔で息を引き取りました。



一緒に過ごせる時間は残りわずかなのに、私は仕事が忙しくて遊んであげられなかったことを非常に後悔しています。


その日も仕事だったのですが、さすがに仕事できるような状態ではなかったので、「熱が出て仕事に行けない」と上司に嘘をついて休みました。



火葬場で
「このワンちゃんは大分長生きしたよ、頑張った」
と言われました。


確かに長生きした方かと思いますが、でももっと一緒に居たかったです。



宅配便の方が来ると必ず鳴いていた、非常に警戒心の強い犬でした。

ジョニーが亡くなってから、なんだか静かになってしまいました。



あれから1年は寂しさと後悔で泣いてばかりで、泣いてばかりいました。

テレビで動物番組を見ただけで泣いたり、他の家のペットも見れませんでした。


でも今は泣かなくなったし、動物番組を見ても動じなくなったし、時がたてば徐々に辛さが和らぐのかなと思います。



ジョニーの動画がスマホにたくさん撮ってあるのですが、亡くなって2年経った今も見れません。


きっとこれも時が経てば見れるようになるのかなと思っています。



ジョニーが亡くなったショックを今も少し引きずっているので、もうペットを飼うことはないと思います。

引っ込み思案だった私に友達ができたきっかけを作ってくれた愛犬の老衰 授業を受けても涙があふれていた

私が柴犬と出会ったのは、私が小学1年生の時でしたその時、小学生になったばかりの時でちょっと不安だったのです。

そんな私を見て、父親がかってくれたのが柴犬のしばです。



しばはそれから私と遊ぶ時に、だいたい一緒にいました。

しばと一緒にいることにより、友達も出来て学校が楽しくなったのです。

引っ込み思案の私がそんな風にできたのは、しばのおかげです。



その後は、歳月が流れしばも老犬となってしまいました。

8歳ぐらいになったときは、歩くことができませんでした。

首をあげることしかできなかったのに、私が学校から帰って来ると必ず吠えてくれのです。

体力がないのに、それでも必死に私のことを思ってくれていたのです。



その時は、しばの愛おしさを尚更感じた事でした。

一緒に少しでもいたいと思ったのです。

ほとんど動けなくなった時に、部屋の中で一緒に寝ることにしました。

もうすぐなくなってしまうのかと思って、その時はちょっとしたことでも気になり、ほとんど寝ることができませんでした。

少しうとうとして起きた時に、しばが動かなくなっていたのです。

そのそばで母親が泣いていました。



しばがなくなってからは、学校に行きたくないと思うほどの喪失感がありました。

それはいっても、泣いてしまうのです。

授業を受けていても、聞くことができずに自然と涙が出ていました。



今は、別のワンちゃんをかっています。

しかししばのことを忘れる日はありません。

やっぱり家族なので、いつも思い出しています。

癌でなくなった愛犬 定期的に病院につれていけばと後悔

愛犬ライアンと出会ったのはもう今から20年以上前の話です。

それでも私の脳裏にはライアンが亡くなる寸前までの様子が鮮明に残っており、時々、夢の中にも今でも出てきます。


私との出会いは、隣人が飼っていたワンコが子犬を産んだからです。


その子犬達が私の実家へ遊びに来るようになったのです。

その中でも特に愛想が良く懐いていたのが、後に我が家の愛犬になるライアンです。


ライアンは癌で亡くなっています。

私がまだ若過ぎたこともあるのですが、病院に連れて行った時には手の施しがなかったのです。


愛犬になってから11年目のことです。

まだ若いと思っていたので、多少体調を崩しても次の日には回復していたことが多く、まさか癌になっているとは考えられなかったのです。


ちょっと食欲が減っていたのと、細身になったことなどで、調子が悪いのが続いていると思い動物病院へ連れて行ったのですが、先ほども話したように遅すぎたのです。


手の施しようがないので、日に日に動けなくなっていきます。

血便も出るし、口から吐くしで、いつ亡くなってもおかしくない状態になっていきます。

ついにその時が来たのが、私が学校から戻ってきた夕方です。

家族に見守れながら静かに息を引き取ったのです。

凄く悲しみが襲ってきたのですが、本当の悲しみは亡くなってから5年以上先です。


亡くなってから5年すると私は後悔をしだします。

どうしてもっと定期的に動物病院へ連れて行かなかったのか、どうして調子が悪そうな時にもっと寄り添ってやれなかったのかなど、私が飼いたいと最初に言い出したので、凄く責任を感じたのです。


他の家族はそれほど悲しみにくれてなかったですが、私は周りの様子を見ると余計に悲しみが溢れてくるのです。

これは今でもです。


私がもっときちんと愛犬の健康管理をしていれば、もっと長生きできたと思うからです。


ペットロスという言葉がありますが、私の場合はそれとは別です。

悲しみよりも後悔ばかりだからです。

亡くなってから5年後から今まで、夢の中でどうして私がきちんとした体調管理をライアンの為にしてやれなかったのかという後悔をしている夢を見るのです。


愛犬ライアンはとても人懐っこい性格で、しかし知らない場所は怖がる臆病者でもあったように思います。


もし、私と同じような悲しみにくれている人がいるならば、いつでも供養できるような環境を作ることです。


私は大人になってからですが、自分でお墓を作り、いつでも愛犬ライアンに感謝の気持ちと懺悔の気持ちを言えるようにしたのです。


それ以来、少し私の気持ちは落ち着いたような気がします。

私にも寿命がありますから、いつの日か天国で愛犬ライアンと会える日を楽しみにしています。


その時には、私の気持ちを面と向かって話したいです。

そして、愛犬のやって欲しかったことをあの世で思う存分にしてあげたいと考えています。

老衰で亡くなった愛犬 また飼いたいなと思うもあの冷たくなった愛犬のことを思うと切なくてちょっと怖い

こんにちは!
32歳の主婦です。



私には14歳の頃から飼っていた「ロロ」という犬がいました。


ロロは知り合いの家に産まれた雑種犬。


黒柴のような外見です。


知り合いの家に子犬が数匹生まれたというので、その中から選ばれたのがロロでした。


両手に乗るほどの小さかったロロ。


はじめは怖がりで家族から離れられなくて、いつも誰かの後ろをついて回っていました。


気が付けばあっという間に大きくなって、元気いっぱい。


玄関先で飼ってましたが、誰かが帰ってくると大興奮してしっぽを振り、飛びついて、甘えてきました。


散歩が大好きで、リードを見せるとぴょんぴょん飛び跳ねて、大喜び。


時々脱走する困った子でしたが、みんなに愛されていました。



大きな病気もせず、過ごしてきましたが、ロロの体調が崩れ始めたのはロロが11歳を過ぎた頃でした。



ご飯を残すことが多くなったことや、なんだか元気がないことが多くなりました。


散歩に行こうとしてもあまり喜ばず…

父が心配し病院に連れて行くと、もう10歳も過ぎ、少しずつ年をとってきているからだろうとのこと。


そのあたりから少しずつチロは元気がなくなってきました。



散歩に連れて行ってもノロノロ。


初めは喜んで行くのですが、すぐに帰りたがります。


途中でパタリと足が止まってしまうのです。


誰かが家に帰ってきても犬小屋から出てこなくなりました。



定期的に病院に連れていきましたが、大きな病気もなく…
少しずつ、少しずつロロは年老いていったのです。


12歳になった頃には外犬だったロロですが、家の中で過ごすようになりました。



ほとんど動かす、ご飯もあまり食べなくなり、病院の先生も
「もう老衰と思って、いつ亡くなるかわからないから覚悟しておいてね」とのことでした。



私達も覚悟をしていました。


なるべくロロのそばにいたくて、家族みんなロロのいる居間に集まるようになりました。



そしてある日のこと、私が外出中のことでした。


ロロは突然痙攣をし、そのまま静かに亡くなってしまいました。


その時たまたま父と母がそばにいて、「ロロ!」と呼びかけたそうなのですが…。


私は帰宅し、冷たくなってしまったロロに会い、本当にショックでした。



当たり前のようにいた愛犬。


帰るたびに出迎えてくれたロロはもうなくなったんだと本当に悲しかったです。


しばらく引きずってしまいました。

 愛犬ロスという言葉がありますが、本当に自分がなるなんて。

  

職場でもロロの話をすると泣いてしまったり、ふとした時に思い出して本当に辛かったです。



少しずつ時が流れて、あれから数年がたちました。


いつか犬をまた飼いたいなという思いもありますが、
あの冷たくなったロロのことを思うと切なくてちょっと怖いですね。

 

あとは、一番辛いのは辛そうな愛犬を見守ることしかできなかったことです。


言葉を話せないけど、辛いってことが伝わるんです。


それが本当に切なくて。



何もできなくてごめんね。


辛いよね、って撫でることが精一杯でした。



でも楽しかったロロとの日々は本当に宝物です。


いくつになっても、ロロのことは私は忘れません。


 

お葬式もしたのに愛犬の死を受け入れれなかった高校生の私 大人になり生まれ変わりとも思える仔をお迎えした 私の相棒でいてくれてありがとう

小学校2年生の時、我が家にゴールデンレトリバーの子犬がやってきました。


子供の私には難しい事は分からなかったけれど
血統証付きのこの子は当時人気の犬種で高値だけれど、ブリーダーが舌に痣のあるこの子は買い手がつかないと言い連れてきた。



動物好きの両親は当時、猫も飼っていたけれどラッキーと名付け家族として受け入れました。



田舎暮らしで、山の中を冒険する相棒を得た私は、よくラッキーと散歩をしたり夏は川遊び、冬は雪遊びとたくさんの時間を過ごしました。

反抗期も思春期も泣きたいときは全部、ラッキーにしがみついて吐き出して。



中学に入り部活の忙しくなった私は、あまりラッキーとの時間を過ごさなくなり、年老いて行く姿に気付いてやれなくて
部活引退後、久しぶりにラッキーと散歩した時

少し走ってすぐに上がった息、ゴールドの毛並みが白く色抜けしている姿、優しいままなのに弱々しくなった瞳。


一緒の時間がもう少ないのだと感じました。



高校に入り、帰宅後の時間はラッキーと過ごすときめて一緒に寝るようになりました。



高校2年生になった頃には2階にある私の部屋まで来れなくなったラッキーを抱きかかえてベットに運び、ペットシーツを引いて夜でもおトイレできるようにするのが日課になり
休みの日はほとんどの時間を部屋で過ごしました。



寒くて底冷えのする冬。

夜明けに布団が冷たくて、ラッキーの匂いがしなくて、いつもは私のお腹に顎を乗せて眠るのに
心地い重みも感じなくて不安で目が覚めました。



ベットの下にラッキーがいて、苦しそうに息をしていて、混乱した私は母を起こし、ラッキーのそばで大泣きしました。



痙攣もはじまり、苦しそうな姿に耐えきれずたくさん名前を呼び
ましたが硬直もはじまり冷たくなる体に『私も連れて行って』とすがりつきました。



何日もベットにラッキーの温もりを探し、起きれば鼻先を寄せてくれるのをまつ自分がいました。

お葬式もしたのに受け入れれない現実に食事もできなくなりました。



それでも、今私は大人になりラッキーの目によく似た犬を迎えました。

もしかして生まれ変わりかもしれないと信じたくなるほど
優しいラッキーに良く似た子です。

側溝に落ちて亡くなった愛犬 私の帰りを待っててくれたんだね 10年経っても思い出す

私が20代後半だった頃、ミニチュアダックスを事故で亡くしましたときの話です。



当時、彼女と同棲生活をしていて、犬好きな彼女のためにミニチュアダックスを飼い始めました。



しかし、私も彼女も共に働いていたので、日中は部屋の中でお留守番状態でした。


出かける時のあの悲しそうな顔を見るとほんとに申し訳ない気持ちが常にありました。



そんなある日、たまたま通りかかったペットショップでミニチュアダックスが格安で販売されていたのを見つけました。


しっぽが少し曲がっていることと、生後1年近く経ってしまったことで特売されていたのです。


その子を見た瞬間に「この子を飼おう」と思いました。

偶然にも彼女も同じ考えでした。


2人いれば留守番の時も少しは寂しさもまぎれるだろうという思いでした。



そんなわけで、今度は4人での生活が始まりました。


2匹目の子はある意味お馬鹿ででしたが、その分可愛かったです。


2人でじゃれてる姿を見ていると、とても可愛らしく飼ってよかったとほんとに思いました。



しかし、そんな幸せな生活は長く続きませんでした。



私も彼女も地方からの上京組で、GWの連休はそれぞれ実家に帰省したのですが、その時に問題がおこりました。



まず、車で彼女の実家に向かい、彼女と犬2匹を下ろして、私はそのまま自分の実家へ帰省しました。


すると、彼女の家を出てから1時間ほど経った頃、彼女から電話がきました。



涙声で「〇〇〇(2匹目の名前)がいなくなっちゃった…」と。



その子は彼女に実家に行くのは初めてで、知らない所に連れてこられたとでも思ったんでしょうか。


玄関に入り家の中に犬を2匹放した瞬間、2匹目の子が玄関へ走っていき、そのまま外に飛び出してしまったとのことでした。



彼女の家族や親戚も総出で探したのですが、一向に見つからなかったようです。


彼女の実家は田畑が目の前に広がる田舎だったので、どっかに隠れているのでは?と思っていましたが、10人近くの人出で探してくれましたが、結局夜になっても見つかりませんでした。



そして翌日も朝からみんなで必死に捜索しましたが、結局見つからず。



私もさすがに心配になり、予定よりも1日早め実家を出て彼女の実家まで向かいました。



彼女の実家に着いたときも、みんなで捜索している最中でした。



私もすぐに捜索に参加したのですが、なんと彼女の実家から50mほどしか離れていない田んぼの側溝に横たわっている姿を発見しました。


私が着いてからわずか10分ほどの出来事です。



私はすぐさま深さ1mほどの側溝の中に入り、その子を抱き寄せました。



とても冷たく、硬くなっていました。


わずか2年の生涯でした。



彼女や彼女の両親たちも、その場所は何度も探したのになぜ?と不思議がっていましたが、きっと私の帰りを待っていてくれたんだと私は思いました。



ただ、亡くなってしまったショックと、見つかってくれた安堵感、様々な感情が入り乱れ、しばらくは彼女と共に呆然としていました。


彼女は自分のことを責めましたし、私はあの電話をもらった瞬間に戻ってきていればもしかしたら助かったかも、、、と考え込んでしまいました。



私たちが落ち込みすぎていた為、彼女の両親が火葬場の手配等滞りなくしていただき、無事あの世へ送り出すことができました。



もちろん大切な家族の一員を亡くしてしまったことのショックはしばらくは続きました。


家に戻ってからも数日は彼女と共にろくに食事もできず、ただただ悲しんでいました。



しかし、GW休暇が終わるころ、このままではだめだと奮い立たせ、悲しいのは当たり前ですが、少しでも前を向かなければあの子があの世で悲しがると思うようにしました。


彼女共話し合い、悲しい事実は受け止め、その分もう1匹の愛犬を大切にすることを心に決めました。


そして、彼女共仲良く過ごしていくと誓いました。



結局、時間がある程度の悲しさを緩和してくれましたが、10年以上経った今でもふとした時に、あの子を抱き寄せたときの冷たい、硬い感触が蘇ってきます。



きっと、この思いは消えることがないでしょうが、亡くなったあの子のためにも一生大切な思い出として心に受け止めたいと思っています。


記憶の中からも忘れられてしまったらあの子にも申し訳ないし…

今でも思い出すと、ごめんね、という思いと、待っててくれてありがとう、という感謝の気持ちが蘇ります。

ダイアナさんの亡くなった日に亡くなった愛犬 映像をみるたびに愛犬のことを思い出す

実家で飼っていた犬から生まれたミニが生まれたのは、私が高校1年生くらいの頃でした。


生まれた4匹のうちの1匹でしたが、生まれたときからすごくかわいくて
いつも学校から帰ってから、抱っこして撫でて上げると、
すやすやと私のひざの上で眠っていました。



そのミニが亡くなったと聞いたのは、私が社会人になって3~4年したころでしょうか。


いつもすきをみては、ほかの犬たちと玄関から飛び出していき、私たちは犬たちを
探しに行っていたのですが、この時も、また、玄関から飛び出していき、
探しに行くと、家の近くの道路で、耳から血を出し倒れていたそうです。


そばには、近所に住む方がたっていてくれたそうです。


私は、実家から離れたところで一人暮らしをしていたので、電話で父からその話を聞いて
とてもショックでした。

夕方になっても、電気もつけないで、ぼーっとしていた覚えがあります
また、その電話が来るまえに、カップラーメンにお湯を入れてまっていたのですが、
その電話がきて、ショックで食事どころではなく、ぼーとしていたので、
気づいたころには、ラーメンはカップからあふれてふやけていました。



その日は、ちょうどダイアナさんが交通事故でなくなった日でした。


ダイアナさんの亡くなった日には、テレビでダイアナさんの映像が流れますが、
そのたびに、私も、ミニが亡くなったのを思い出します。



もっと、かわいがってあげればよかった、と今でも後悔しています。


今は私も結婚して、チワワを1匹飼っていますが、生きている間中、
かわいがってあげなければと、今回の作文をきっかけに、強く思っています。


そうすれば、犬が亡くなった時も、後悔せずにすむのかと。

出会いから15年首輪を引きちぎって逃げ出した愛犬 3日後用水路で変わり果てた姿に。 首輪を新しくしなかったことに後悔

寒い寒い曇り空の冬の日でした。

小学校からの帰り道、畑の真ん中でプルプルと震えている子犬がいました。



つぶらな黒い瞳と人懐っこい口元、頼りなく震えるその小さな生き物をこのままにしておけないと思い、両手に抱えて家に連れて帰りました。



家は一軒家でしたが、ペットを飼うことに良い顔をしなかった両親に、「自分でちゃんと世話をするから」と頼み込んで、なんとかその小さな生き物を家に迎え入れることができました。



出したごはんをなんでもモリモリ食べて、お皿まできれいに舐めるので、「ペロ」と名付けてかわいがりました。



ペロが亡くなったのは、出会いから15年目のことでした。

ペロは外飼いにしていたのですが、年季が入ってゆるくなった首輪を引きちぎって、逃げ出したのです。



今までこんなことはありませんでした。

ペロがいないことに気づいて、必死になって探しました。



ペロがいなくなって3日後、家から100メートル離れた用水の側で、冷たくなっている姿を見つけました。



泣きました。

そして自分を責めました。

どうして首輪をもっとちゃんと確認しておかなかったのだろうか。



家が汚れるからと外飼いにせず、家の中に入れていてあげれば、こんなことにはならなかったのじゃないか。



ペロはもっと、自由になりたかったのだろうか。

うちでの暮らしは、楽しかったのだろうか。



ペロが亡くなっているのを見つけたのも、寒い寒い曇り空の冬の日でした。



私は底冷えする冬の曇り空の日には、ペロと出会った日の事・ペロが冷たくなっているのを見つけた日のことを、どうしても思い出してしまいます。



あれから8年経ったのですが、今もまだ大切なものを失うことが怖くて、ペットを飼うことが出来ません。

ペットロス

Posted by 管理人